IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 私に父親は居なかった。

 

 私の母親は居なくなった。

 

 私自身は――どこにも居ない。

 

 私が居た場所に、”(誰か)”が居るから。

 

 

 

 ▽▽▽

 

 鍵を開けて、ドアをくぐり、『世界で二番目の男性IS操縦者』である『シャルル・ルクレール』は寮の自室に足を踏み入れた。

 部屋の中には他に誰も居ないのだから何も言われない。だから何も言う必要はない。

 

「……………………疲れた」

 

 けれども意思とは裏腹に、シャルルの口は言葉を吐いた。倒れるようにベッドに身を投げだす。落下地点は思っていたよりもずっと柔らかく、身体はきっちりと受け止められる。

 うつ伏せだった身体をぐるりと回して仰向けに。首から下げたペンダント――待機状態のISに指で触れる。数秒と経たずに『結果』がシャルルの意識に直接提示された。

 大型の銃器三丁分の容量を費やして量子変換(インストール)した機器が、周辺に盗聴器やカメラの類は検出されなかった事を示している。違法に設置されたものだけでなく、学園側でも記録装置は設置していないらしかった。

 これで監視対策に持ち込んだ幾つかの機器が無駄になった事になる。余計な手間が減ったと考えれば悪い事ではないのだけれど。

 誰にも見られていない。聞かれていない。けれど消えない息苦しさを軽減しようと、襟元を開くようにぐいぐいと引っ張る。

 やっておくべきことは済ませた。けれどあくまでも最低限だけ。まだ荷物の整理もあるし、何時迄も制服のままでいる訳にもいかない。

 今直ぐ起き上がって行動するのが、正解。

 けれどもシャルルの身体は未だにベッドの上に投げ出されたまま。のろのろと動く右腕が制服から取り出した物を上へと掲げる。

 特別な物ではない。それは学生証だった。IS学園の生徒は一人残らず所持している。

 

「君は僕。僕は僕だから、これが僕」

 

 当然そこには生徒の顔と名前が表示されている。写っているのは柔らかく笑う金髪の人間、名前は『シャルル・ルクレール』と書かれている。ここにそう書かれているから、この人間は『シャルル・ルクレール』なのだろう。

 

 ――本当に?

 

 無性に。どうしようもなく。手の中にある『学生証』を放り捨てたくなった。いや、足らない。床でも窓でもいいから何かに叩きつけて壊してしまいたい。

 でも、出来ない。そんな簡単なことがどうしても出来ないのだ。なにせシャルルはシャルルなので、シャルルと書かれたシャルルがシャルルである証を放り捨てたら。ここにいる自分(シャルル)が誰でもなくなってしまう。

 

 嫌だという気持ち以上にそれが怖い。

 何より、そう思ってしまう自分(シャルル)がたまらなく嫌だ。

 

 首から下げたペンダント(待機状態のIS)を手の中に収める。目を閉じ、耳をふさぎ、他の何もかもを遮断しながら身体を丸めた。閉じこもるように。あるいは、”閉じ込める”ように。

 

 ――僕はシャルル・ルクレールだ。

 

 優しくて、気が効いて、丁重で、丁寧で、人当たりがよくて、でも堂々としていて、儚げでもあって――ひとつひとつシャルル・ルクレールという人間の特徴を思い出す。

 そうあるべきと言われた姿を思い出す。思い出して、刻みこむ。何度も、何度も何度も何度も延々とひたすらにつらつらと繰り返す。

 

 一時間ほど、そうしていた。

 

 

 ▽▼▽

 

 

「織斑織斑オリ斑オリムラおりむららららーい、俺が織斑僕は織斑私も織斑君も織斑君が織斑君こそ織斑、今日も織斑明日も織斑、これまで織斑これから織斑、織斑ったら織斑――――山田先生これ書類多いっすよぉ! 名前書くだけつーても画数多いんで地味にきついんですけど!?」

 

 山田先生の横でひたすら紙に『織斑一夏』を書き込み続けていく。元のに比べたら随分と画数の多い――主に苗字のせいで――名前も、今ではすっかり慣れたもの。

 慣れたからといって書くのが手間ってのは変わらねえ訳であるが。そろそろ右手が『いい加減にしろよ』と叫び出しかねない。

「が、がんばってください織斑くん! もうあと半分ですよっ!」

「まだ半分なんすか……」

 視界には何やら両腕を奇怪にばたつかせる山田先生。もしかしなくても応援してくれてるんだろう。でも催眠術かけられてる気分にしかならねー!

「あーあ、俺の苗字が山田だったらなぁ」

 名前責めという現実から逃避を試みる。なにせ画数の多さに難儀している中、横にはずばり書きやすく呼びやすい苗字の人が居るのだ。

 

「え、ええっ!? む、婿入りですか!? こ、困ります……こんな場所でこんな突然……! 私と織斑くんは仮にも教師と生徒でですね! ああでもこのまま行けば織斑先生が義姉さんってことでそれはとても魅力的な――!?」

 

 突然山田先生が明後日の方向を見つめながらくねくねしだした。さっきの呟きが妙な届き方をしたらしい。あ、でも場合によってはそういう意味も含められるか。こーゆー口説き方してる奴昔見たことあるわ。

「そーゆー意味で言ったんじゃ無いってか、千冬さんと家族になると苦労……あ、駄目だ聞こえてねえ」

 完全に精神が異世界というか別次元に旅行中。しばらく放っておこう。どうせ手元にはまだ未記入の書類がたんまり残っている。書き終える頃にはさすがに山田先生も帰ってきているだろうってか帰ってきてもらわないと困る。

 

 ――『織斑一夏』と、書く。

 

 自分でない別の誰かの名前。

 画数が多くて大変だけど、慣れてしまった。目をつぶっていても書ける。名前と言われて、直ぐこっちが出てくるくらいに当たり前になっている。なってしまった。

 ただいくら繰り返しても。どれだけ慣れても。

 

 俺が『織斑一夏』になることはない。

 

 仮になろうと思っても。本物が隠れるくらい嘘偽りで幾重に塗り固めても、嫌っていうほど繰り返しても。出来るのは『偽物やってる自分』であって『自分』以外の『誰か』ではない。

 

 『自分』以外の誰かになんて、誰もなれやしない。

 

 つーか。そも何で俺こんな今更なこと考えてるんだっけ。名前書きまくってるからか。もうちょい別口が引っかかってるよーな気もするけど。

 止めだ止め、頭の中こんがらがってきた。とにもかくにも、この書類の山を片付けるのが第一だ。終わらせなけりゃ晩飯にありつけやしない。それは困る、非常に困る。

 

「織斑織斑ーおりむらーおりむーおりむー…………あ゛っ。おりむーって書いちまった、しゅ、修正液、修正液――!」

 

 

 ▽▽▽

 

 息を一度大きく吸って、吐いてから。

 

 シャルルはむくりと起き上がった。何時までもこうしていたいけれど、何時までもこうしてはいられない。特に”着替え”は他に誰も居ない今の内に済ませておくべきだった。

 もう大分時間が経っている。ルームメイトが戻ってくるまでの猶予は短いと考えるべきだった。

 

 ルームメイト――織斑一夏と、もうすぐ顔を合わせないといけない。

 

 顔は知っていた。名前も知っていた。経歴も開示されている限りは知っていた。事前に教えられたから。織斑一夏の経歴の中にシャルルと”共通”する部分があったから、もしかしたら気が合うかもなんて、思っていたりもした。

 第一印象も良かった。一目見ただけで、不思議と親近感のようなものを抱いた。シャルル自身、どうしてそう感じたのかはわからない。もしかしたら気のせいだったのかもしれない。今ならそう思う。そうとしか思えない。だって、

「……嫌だな、あの人と話すのが、一番疲れるんだよなあ、嫌だなあ」

 実際は――最悪だったから。

 目が合うたびに神経がゆるやかに丁寧に逆撫でされるようで。会話すれば不快でべたつくように気持ちが悪い。シャルル・ルクレールは大抵の相手とは友好的に付き合えるはずで、実際そうできているのに。

 織斑一夏が相手だと途端に関われば関わるほど苦しくなる。心の奥から何か沸き上がってくるようで、むしろ心の奥を覗かれるようで。

 

 ――――お前、向いてないぜ

 

 まるで、覆っている物を剥がされていくようだ。あんなに時間をかけて塗り固めたものが、簡単に剥がされる。その中に居る誰かなんて――誰にも求められていないのに。だから出てきちゃいけないのに。

 織斑一夏はその要らない部分に、へらへら笑いながら手招きしてくる。

 だから、シャルル・ルクレールは織斑一夏を嫌うべきだ。シャルルの存在を否定しているのと同義なんだから。

 

「……シャワー、浴びよう。ダメだ、気分、変えなきゃ……後着替えも、して……それで、またちゃんとシャルルになって、それで、それで――」

 

 誰も居ない部屋の中でわざわざ言葉にする。シャルル自身に言い聞かせるために。

 荷物の山から着替えのジャージだけ引っ張りだして、浴室に向かう。脱衣所で着ているものと、付けているものを全部脱いで、頭から湯をかぶった。

 少し熱めのお湯は意識をはっきりさせてくれるけど、それ以上は何も流してくれない。だから耳をふさいで、目を塞いで、抑えこむ。

 

 ――――お前、向いてないぜ

 

 思い出しちゃいけない。思い出してない。考えちゃいけない。なのに勝手に頭の中で響いている! ずっと、ずっと!

 

「そ、んなの……」

 

 今喋っているのは、果たして本当にシャルル・ルクレールなのだろうか。

 ここに居るのはシャルル・ルクレールだから、シャルル・ルクレールの言葉以外あってはいけない。だけど。

 

「そんなの……っ、言われなくても……っ! わかってるよぉ!!」

 

 ほんの少しだけ。本当に少しだけ。綻びから出てきたのはシャルル・ルクレールでない部分。それがもがくように、勝手にシャルルの身体を動かして、手近にあったものを力の限り殴りつける。八つ当たりの様な意思の表示。ほんの些細な抵抗。

 

 そして、それが。

 

 

 

 ▽▼▽

 

「お、ここだここだ」

 

 積み重なった書類をレコードを更新するような速度で書き終えて、やって来ました新たな自室まで。

 山田先生に渡された紙に書かれている部屋番号と、目の前のドアに貼ってある部屋番号は完全に一致している。間違いなくここが新しい俺の部屋だ。

 そしてシャルル・ルクレールの部屋でもある。

 

「………………うっ」

 

 鍵を開けようとして、硬直。思い返すのは入学初日の入寮初日。部屋に入ったら風呂あがりの箒とばったり遭遇した例の出来事だ。

 あんな心臓に悪い出来事はもう御免被りたい――あ、でも今度のルームメイト男じゃん。だったら問題ねーや。

 一応ドアを叩く(ノック)

「……ありゃ? あいつ先に戻ったはずなんだけど」

 室内からは何の反応も無い。更衣室で別れてから随分と時間が経っているから、帰ってきてるとばかり。

 鍵を回してオープンザドアー。足を踏み入れた室内は特に何の変哲もない二人部屋。内装に大きな違いも見られない、普通の寮の一室。そこにルクレールの姿は無い。

 無い、のだが。

 現在進行形でシャワー室から水音がしている。ということはつまり誰かがシャワーを使っている訳だ。この部屋で俺以外に誰か居るとしたらルクレール以外ありえない訳で。

 ノックに返事が無いのも当然だった。ところでこーゆーのをデジャブって言うんだろうか。いや前はシャワー使ってるって気付く間もなく出てきたから、ちょい違うか。

「ん、シャワーって確か――後でいいか」

 シャワー周りが不調だという山田先生の言葉を思い出した。が、間の悪いことにルクレールはもう使っている。今から浴室に突入して注意するってのは――したくねえなあ。

 ぶっ叩かない限り大丈夫だって言ってたし、大丈夫だからルクレールも今使えてるんだし。さーて俺の荷物荷物っと…………これ増えてね? 学園に来た時より多いってか、千冬さんの私物混じってんじゃねえのこれ。

 

 ――ごがんっ

 

 はて。今、何だか浴室の中から音が聞こえたような気がするんだけど。例えば手近なものを力いっぱい殴りつけたような感じの重いのが。

 

『あっっつあつあつあっっっつッ!!!!!』

 

 俺の思考が事態を予想するより早く、現実が答えを突きつけてきた。悲鳴、次いでシャワー室の中からどったんばったんがっちゃんと騒音。次いでごっ、と一際鈍く大きい音。

 ふいに、音が止む。

「――おい。おいおいおい、何やってんだ!?」

 異物混入の恐れのある荷物を傍らに押し退けて、浴室のドアに飛びついた。熱湯ひっかぶって慌てふためくまでなら笑い話で済む。でもすっ転んで頭打ってたりしたら洒落で済まねえ。

 洗面所兼脱衣所に飛び込むと、まずざあざあとお湯が吐き出される音が聞こえてくる。次いでシャワールームに続くドアが開いているのが見えた。

 何故ドアが開いているのかって、そりゃ中に居た人間が開けたからだろう。ただ出てきたであろう人間が見当たらな――居た。

 

「おい大丈夫かルクレー………………る?」

「い、いたた…………え、あ、お……おりむら……いち……か……?」

 

 すっ転んだという予想は当たっていたらしく、目当ての人物は床に座り込んでいた。

 そいつの首から上は俺が今日会ったシャルル・ルクレールってやつのもので、実際この部屋に居るのもシャルル・ルクレールであるべきで、だからこいつはシャルル・ルクレールなんだろう。

 が、違う。確実に違う絶対に違う。だって俺が知ってるシャルル・ルクレールと目の前で座り込んでる奴とは決定的な違いがある。

 

 男子じゃない。

 

 何故そうだとわかるのか。

 そりゃ全部見えてるからだ。

 なんにも隠していないからだ。

 下着どころかタオルの一枚もない。

 頭のてっぺんから、足の爪先まで見えている。

 背中以外の全部を俺の視界は一つ残らず捉えている。

 膨らんでいるところ、出ているところ、へこんでいるところ、ぜんぶ。

 髪の毛の先端から落ちた雫が、男では絶対に有り得ない曲線をなぞりながら滑り落ちた。

 

 

 

 

 

 

「…………………………はァ?」

 

 

 そこに、女子が居た。

 

 

 







同属嫌悪。


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