IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI 作:SDデバイス
学園の地下五十メートル付近。
そこに本来あるべき土くれは何処にも見当たらない。代わりに人工的に造られた空間が広がっている。学園内でもレベル4権限を持つ限られた関係者だけが知り、入ることの出来る隠された空間。
中でも更に幾重もの分厚いドアで隔てられた一室があった。侵入者どころか、正規の関係者すらも拒んでいるかのような部屋。
中にあるのは、残骸だ。
ほぼ黒同然の濃い灰色。人型は保っているものの人間よりも遥かに大きい。左腕がなく、胴体は両断されている。誰の目にも明らかに残骸に映るその機体は、かつてクラス対抗戦の最中に突如出現した所属不明IS。
回収当時は修復や解析も視野に入れられていたものの、今となってはそのどちらもほぼ手詰まり。だからといってそこら辺に無造作に棄てる訳にもいかない。
肝心要のコアこそ残されていないが、
かつて灯していた赤い光もコアごと抜け落ち、ただの異質なフォルムの無機物のかたまり。誰もにそう認識され、いくつもの計器もそう判断している。
今、この瞬間までは。
胸部の穴――かつてコアが収まっていた箇所。左腕がコアを持ち去ったために、ぽっかりと空いた。そこは何事も無く空虚なまま。
――――右腕。
子機の変形した右腕が弾け飛ぶように展開。その中央にして最奥には、小さな小さな赤い点のような極小の結晶体。機体の中を自在に動き回り、調査の手と目から逃れ続けた残滓一粒。
明滅に伴って変化が起こる。
歪で欠損していて不格好でも、最低限度は保たれていた人型が失われていく。ではどんな形に変わっていくかといえば――”どれでもない”。
氷が溶けて水になっていくように。黒同然の人型が黒同然の何かに溶けていく。固定具をすり抜け、台の上から滴り落ち、床を這いずり回る。
瞬く間に部屋全体を覆うまでに広がりながら外へと通ずる僅かな綻びを探ってゆく。数秒とかからずに手頃な道を見つけ出したのか、吸い込まれるように室内から消えていった。
かつてISだった何かは凄まじい速度で道のりを進んでいく。予めインプットされていた第一目標地点は――訓練機の保管室。
上へ、上へ。
新たな身体を目指して、音もなく。
意思もなく。
▽▼▽
腹に何か抱えている事は見れば判る。
隠し事に向かない性分だという事も見てれば判る。
でも性別を偽っている事は、見てても全然さっぱりまったく判らなかった。
つまるところはシャルル君だと思っていた彼は彼女でシャルルちゃん。ダメだ今日もマイブレインがポンコツだ。復旧するのに時間がかかるどころか、そも復旧する兆しが見られやしない。
関係ないようで関係ある話。
今でなく”前”で、どう見ても『女にしか見えない男』ってパターンに心当たりがある。だもんで頭ん中に『物凄く女顔の男は存在しうる』ってゆー前提が居座ってる訳で。
今更ながら容姿で気付かないまでも疑えよって自分でも思うんだけど。どうも考えるにその”前提”に思いっきり影響受けたらしく。今回ばかりは経験に邪魔されたってゆーか。
他にも色々あるけどちょっと経験の影響がでかすぎたってゆー…………女のフリした男パターンなら今度こそ一発で見破ってやったのに逆パターン来やがったちくしょう!
「で。ぼちぼち落ち着いたかね」
ちなみに俺はまだ全然落ち着いてない。
ルクレールちゃん(仮)はベッドの上で俯いたままなので表情が読めない。だからこうして声をかけて確認を取る必要があるのだ。決して無言の間がそろそろキツくなってきたとかそんな事はねーんだよ。
「――――っ、」
言葉による返答は無い。肩が跳ねたから声自体は聞こえているみたいだが。よく見ると小刻みに振動している。マナーモードかなんかですか。
てーか物理的な距離以上に精神的な遠距離具合が凄まじい。これ物凄く怯えられてないか。いや覚えがないというかありまくるけど。不可抗力って言葉あるじゃんか。それじゃんか。
【……推測ですが、恐らく】
数分前。決定的な光景を見てしまった、その時。
俺は過去最速最丁寧でドアをそっ閉じた。そして、
がちゃり。
『あ、見間違いじゃなかった』
『――え、きゃあっ!? な、何でまた開けっ……!? み、見ないで、見ないでよぉ!!』
【……二度見したからでは?】
人間って驚きが許容範囲超えると一周回って冷静になるってあるじゃん。
あれそう見えるだけで実際は動作に反映させる回路が焼け落ちてるだけで、実際中身は単純に惨状になってると思うんだよね。さっきの俺みたいに。
全部開けなくても、ちょっとだけ開けて覗けばよかったんだよな。いやあ失敗失敗。
【……見たいという欲求を私は肯定します。けれどあの場では必要以上に見ない方が事態の処理は容易になったと思われますが】
(そーなんだけどさ。一回目で完全に意識スッポ抜けたから確認しそこねたんよ)
【……確認? 何をです? 言っておいてください。次から私が見ておきます】
(
次来たら正確には三度目だけど。
どうでもいいけど『前』含めてこれでニ度目。前例少なすぎてイマイチ警戒の仕方掴めてねーのかもな。
【……再度の視覚情報の取得が無くとも判断は可能だったのでは】
(パッと見で判断はしてたけど、確信が欲しかったんだよ)
もしもの話。
『男』をありとあらゆる
――ISを動かせる『女のような男』という存在が出来上がるのではないか。
脳みそが肌色で処理落ちしながらも浮かんだ疑問が、それ。思いついといて何だけど突拍子もなくてバカバカしい話である。単純に『男のフリしてたけど実は女』ってとこに行き着くのが妥当で普通なんだろう。
だけれど、も。
ここは『IS学園』で。『男性操縦者』としての入学だ。服を脱いだらバレる程度の偽装で、入学審査を抜けられるとは思えない。バカみたいにぶっ飛んだ理由や背景があってもおかしくない。いや、無い方が”おかしい”。
だからわざと二度見した。あのタイミングなら”混乱が極まって奇行に走った”とかいくらでも言い訳できるし。向こうだって隠し事をしていたのだ、フリとはいえ動転していたこちらを強くは責められまい。
ただ二度見して収穫があったかというと――――割と無かった。
てか全然無かった。警戒されまくってる分むしろマイナス。完全に見損。
少なくとも外観状の特徴は完全に女にしか見えない。不自然に手を加えた痕跡はなし。じゃあ普通に女――でも俺の目ン玉には内部見透かせる機能なんて付いてねーから、中身弄くられてた場合はわからないってのに見てから気付いた。
一番気に掛かる部分を早めに判別させておきたかったのに、結果として余計わからなくなっただけのよーな。さっさと簀巻きにして寮長室に放り込むべきだったのか。
【今からでも遅くはないと思われますが】
(最終的にはそーするよ)
単純な事実として。
俺自身にコイツの問題をどうにかする力はない。
『織斑一夏』は『世界で唯一の男性IS操縦者』である。
そして。
それだけ。
結局のとこ今の俺――『織斑一夏』は、未だ成人もしてないイチ男子学生でしかねーのである。大層な肩書はあれど実質的な力はほぼ無いに等しい。だったらどうするかって、俺より力のある人に何とかしてもらうしかねえ。
真っ先に思いつくのは千冬さん――『織斑先生』だ。
また借り増やす事になるのは思うとこありまくるけど。でもそれが妥当なとこだと思うのだ。力も意思も半端なまんま首突っ込んでもどうにも出来ない。つかヘタしたらどうにもならなくなる。なった。何回か。
てーゆーかーさー。
服剥いだらバレる程度のザル偽装を、俺はともかく千冬さんが見破れなかったのか。これが地味にすっげー疑問なんだけどな。後で聞いとこう。
そんな訳で。
最終的に俺がどうするのかはもう決めている。
ただ引き渡したら、その時点で俺はこの件から外される。何が起きてたのか、結局どうなったのか、あの人教えてくれない気がする。だから俺が”何”に巻き込まれたのかを知る機会は、今しかない。たぶん。
そのためにはこの女(仮)にも喋ってもらう必要があるわけで。けれどもさっきからずっとだんまりなわけで。
だからずっとこのまま――では、ない。
「とにかく。何で男のフリしてたかだけでいいから、教えてくれねーかな」
「…………」
”全部”話せでなく、”これだけ”知りたいって聞き方するのがコツなんだとさ。後は気付かれないように少しずつ引っ張りだす……だったっけ。聞いたのがすっげー昔だから普通に朧気だ。
「………………僕が『シャルル・ルクレール』になったのは」
ほうら。
喋りだした。
確かにこいつの隠し事は露呈した。でもそれは現状では俺一人にだけ。実際どうかはともかく、少なくとも向こうはそう認識しているはず。だから――”俺一人を丸め込めば”こいつの秘密は”バレなかった”ことになる。
一から十までホントのこと話すかは微妙だが、相手を騙す場合は嘘が多すぎても逆効果だ。こっちで判るところだけ”本当”を拾っていけば、概要くらい見えてくるだろ。見えてこなければ、少なくとも”俺の手に余る”ことは確定するし。
「実家から、そうしろって言われてね」
「なんだ変な家訓があるとか言い出すんじゃないだろうなその手の厄介事はもう間に合ってるんだぞ俺の人生は!!」
ルクレールちゃん(仮)の表情から深刻さがすぽんと抜け落ちた。
俺が声の震えを抑えられなかったせいだと思う。
「……織斑くんは、定期的に変なコトを言わないといけない病かなにか患っているの?」
「ほっといてくれ! 違うんなら話続けてください!」
さりげなく罵られているがそれどころではない。こっちは記憶の奥底から這いずってくる人生屈指のトラウマを蹴落とすのに忙しいのだ。
「世界で二番目の男性操縦者の『シャルル・ルクレール』は『フランスの代表候補生でデュノア社のテストパイロット』っていう設定なんだけどね。それで、僕の実家がそのデュノア社」
「へーデュノア、社? でも会社が実家つーことは」
うん。ところでまずデュノア社って何だよ。
まずいちょっと待って話が進んじゃうどっかで見たよーな聞いたよーな気は…………ダメだ上ってくる途中で胃酸に溶かされた。
眼前の娘は当然知ってるんだろうけど、何それって質問できる空気じゃねえ。
【はい。フランスのIS関係企業の最大手で、製造しているラファール・リヴァイヴは量産機ISでは世界第3位のシェアを持っています】
心の中で冷や汗流していると、心の横からフォローが入ってきた。なるほど。覚えがある訳だ。このIS学園の訓練機の大半がそのラファール・リヴァイヴなんだから。
「うん。『僕の父』がそこの社長。その人から直接の命令なんだよ」
「ふ――ん。社長が直々に自分の娘に何でまたそんな妙ちきりんでわけのわからんことやらせたかね」
「それは……」
話題が自分の家になった途端わかりやすいくらいに表情が曇っていく。何より言い方。硬い、無機質――違う、他人事みたいな。
そんな言い方をする場合は本当に他人事なのか、もしくは”他人事だと思いたい”のか。
とにかく自分の父親に対して妙な言い方をしている。
じゃあ仲が悪い――よけりゃこんなとこに送り込まれないだろうけど――のか、もしくは実の父親ではない可能性もある。ただそっちだと言い方でなく言葉自体がもう少し他人よりな表現使うパターンが多くなる。
とすると父親と血は繋がってるとして。母親が正妻じゃない辺りが妥当かな。加えて最近まで認知されてなかったとかだとこの態度に説明がつきやすくなる。しっかし金と権力が一定値越えた層は増えるよねそーゆー話。
【どうゆう話ですか】
(知らんよ、知る機会も知る気も無いし知りたくもない)
とはいえ全部推測だ。でも聞いても素直に答えてくれるか怪しいな、これ。相手に悪印象持たせかねない情報だし。あ、でも同情誘う分には効果的だから案外あっさり打ち明けてくるかもな。聞くだけ聞、
「僕はね、織斑くん。愛人の子なんだ」
「お、おう」
くまでもなかった。
「二年前に――お母さんが亡くなった時にね、父の部下が来て教えられたの。それで色々と検査をする過程でIS適正が高いことがわかって、非公式ではあったけどデュノア社のテストパイロットをやることになってね」
父親と違って母親に対しては不自然に言い淀まなかった。母親との関係は良好だったらしい。まあ――そこは、なんとなくそうんじゃないかなとは思ってたけど。
「父に会ったのは二回くらい、会話したのも同じだけ。普段は別邸に住まわせてもらっててね。一度だけ本邸に呼ばれたこともあったけど、その時は本妻の人に殴られたな。『泥棒猫の娘が!』なんてセリフ、実際に聞く機会があるとは思わなかったよ」
二年で二回。大体年間お父さん。
何か不幸の暴露会みたいになってるけど、同情でも誘われてるんだろうか。その割にはこっちの反応を気にしている素振りがないのがおかしいが。つーかなんか酔っ払ったやつに愚痴聞かされてる時と似た感じがしてきたんだけど。
「少し前から、デュノア社は経営危機に陥ってね」
「うん? 量産機のシェアが世界三位なんだろ? 儲かってんじゃねーの?」
「結局リヴァイヴは第二世代型なんだ。ISの開発っていうのはものすごくお金がかかる。だからほとんどの企業は国からの支援があってやっと成り立っている。それにフランスは欧州連合の統合防衛計画『イグニッション・プラン』から除名されているから、第三世代の開発は急務なんだ。これは国防のためでもあるけど……資本力で負ける国が最初のアドバンテージを取れないと悲惨なことになるからさ」
これ日本語ですか途中からフランス語になってたりしませんか。脳素通りして反対の耳からほとんど出て行ったぞ。
が、話の内容をすべて理解できなくても構わない。
重要なのは話している事が嘘か真か。沈黙で続きを促す。視覚だけでなく聴覚もフルにする、表情と動作だけでなく息遣いも拾いたいから。
「デュノア社も第三世代型の開発に着手はしてるんだけど、元々遅れに遅れての第二世代最後発だからね。圧倒的にデータも時間も不足していて、なかなか形にならなくて。それで、政府からの通達で予算を大幅にカットされたの。そして次のトライアルで選ばれなかった場合は援助を全面カット。その上でISの開発許可を剥奪するって流れになったの」
嘘は言っていない――というか、嘘とか本当とか、考えてないのか。頭の中の知識をそのまま発言しているだけ。ただの説明にしか聞こえない。
「お前の身の上話から会社の経営状況ときたけど、結局男装の理由何なんだよ。話逸らしてるなら戻してくれ、そろそろ脳の容量が限界近いんだよ」
「”それ”が理由なんだよ。僕が男の子のフリをしていたのは、会社が注目を浴びるための広告塔。それと、」
ここで初めて向こうが視線を逸らした。
当然こっちの視線はそれを追いかけて、見えるのは。
「それと――『同じ男子なら本物の特異ケースと接触しやすい。可能であれば使用機体と本人のデータを取れるだろう』……だってさ」
生きた人間の顔だった。
苛立っているようで、諦めてもいるような。複数の感情が混ぜこぜになった、愛想笑いしてる時よりも、ずっとずっと人間らしい顔だった。
「つまり、君と白式のデータを盗んでこいって言われてるんだ。僕は、
こいつの話は信じがたい。
けれども同じくらい、これが演技であることも信じがたい。
仮に今までの言動が総て演技だとしたら。この野郎がこんなにも本当にしか見えない演技をできる畜生だったとしたら――そもそも俺はこいつの正体を知れない。
「とまあ、そんなところ」
向いてないどころじゃない。無理だ不可能だ。駆け引きのかの字もねえ。表情にしろ口調にしろ全方面からとにかく総てがだだ漏れすぎる。
誰だこいつを企業スパイに抜擢したバカは。たぶんそいつ俺よりバカだぞ。それって相当バカってことだぞ。
「織斑くんにばれたから、僕は本国に呼び戻されるだろうね。デュノア社は……潰れるか他企業の傘下に入るか、どのみち今までのようにはいかないんだろうね」
んで。こいつの言ったコトが全部真実だったとして。
気になるトコがあるかといえば正直ありすぎて手がつけられない。
あんなザル偽装で国一つとIS学園を騙くらかして潜り込ませるだけの力がある潰れかけの企業ってどういう事だよバカじゃねえのか。
金かコネか弱みかしらんがそれだけ無茶通せるなら最初から潰れかけねえだろバカじゃねえのか。
そもそも追い詰められてるって『設定』なのに偽装のザルさから本気さが全く感じられねえよバカじゃねえのか。
無闇にリスク増やして第三世代と男性操縦者のデータ両方まとめて取ろうって感覚が完全に一発逆転狙いの博打狂いのソレだろうがバカじゃねえのか。
てか存在自体が弱みになりかねない社長の隠し子を使うんじゃねえよそれも手の届かない外国に放り出すって何のためにわざわざ出向いて回収したんだよバカじゃねえのか。
なにより親の命令だからってこんなあからさまな片道切符を素直に受け取ってるんじゃねえよバカじゃねえのか。
「なんだか、話したら少し楽になったよ。聞いてくれてありがとう。それと今までウソを吐いていてごめん」
ルクレールちゃん(仮)が申し訳なさそうに頭を下げる。俺がさっきからずっと押し黙ってるから、怒っているとでも思われたのかもしれない。
頭の中で渦巻いていたものを全部捨てた。潮時だ。これ以上は考えるだけ時間と脳細胞の無駄にしかならない。
後はこのままこいつをふんじばって寮長室にこんばんはすれば終わり。
「もう一個聞きたいんだけど、いい?」
「うん。何かな」
それでも残った疑問が勝手に口から飛び出した。
俺にはよくあること。
「お前何で引き受けた……ちょい違うな、引き受けたら
「…………『デュノア』にしてもらえるんだ。『
「嘘に決まってんだろバカじゃねえのか!」
「――ッ、だって! 大企業が相手で! 僕は身寄りの無いただの子供で! 誰も味方なんか居なくてどうしようもなくひとりぼっちで! 選ぶ権利なんかなかったんだ! 仕方がないじゃないか! 従う以外にどうしようも!!」
『織斑一夏』の経歴にはきっと『両親不在』と書かれている。それは両親に捨てられた、という意味だ。でもそれは本来の『織斑一夏』の話であって『俺』の話ではない。
だから。俺には『親の身勝手に振り回される子供』の気持ちはこれっぽっちもわかりゃしない。共感もしなければ同情もできない。
「誰も『私』を必要としてくれない! 今まで見てくれてた人達も目を逸らすんだ! でも『僕』なら――”お父さん”に求めてもらえたんだ! 居場所を求めて何が悪いんだよ!! 私の事何も知らないくせに僕のこと何もわからないくせにっ!!! 大体織斑くんには、僕がどうなろうともう関係ないじゃないか!! 私を、これ以上もう、僕を、もう止めてよぉ……」
詰め寄ってきた誰かが、俺の制服の襟を掴んで叫ぶ。掴まれているはずの襟元から伝わってくる力はとても弱々しい。詰め寄っているのは相手の方の筈なのに、追い詰められているようにしか見えなかった。
息を、吸って、吸って、そんで。
「や――だね!!」
「私、織斑くんのそういうところ本当に嫌い! 大嫌い!!」
悲鳴を上げる誰かの、襟元を掴み返す。意思の強さを伝えるつもり。手加減なしの全力で。手元で繊維がみぢみぢと音を上げた。
「何が『僕』だ笑わせんな! お前はお前なんだよ! お前がお前として生まれてきて、お前として育てられてお前が自分をお前だと思うようになった時点で! もうそれがお前なんだよ! 誰に認められようが結局そこの根底は変わんねえ! 何があっても変わらねえ――変えちゃいけねえんだそれは!!」
「お、織斑くん……?」
もしもの話。今から昔。
俺が『俺』を諦めて、『織斑一夏』になっていたとしたら。
きっと出来上がった”織斑一夏もどき”は、目の前のやつによく似た顔をしていたんだろうな。
だから――だから、見ててこんなにも苛々する。
親に関しての話題は欠片も共感できない。けれど自分を偽っている――偽るしか無かったという点では話は別だ。
自分で変わるのでなく、周りから別の誰かを求められて。他の誰でもない自分自身で自分を消していく気持ちがどういうものか、嫌ってほど知っている。
それは、わかる。わかってしまう。
俺にこいつの問題を解決する力はない。別の誰かにやってもらうしかない。それは変わってない。
けれども。こいつを、このまま見過ごすわけにはいかなくなった。
「聞いといてなんだがてめえの生まれも家の事情も正直どうでもいい! ただなあ、てめえさっき言いやがったな『私は必要とされていない』って!」
「どうしたの、変だよ。何で織斑くんはそんなに怒ってるの……? 怖いよ……私が悪いなら謝るから……僕が悪いんだから、謝るから……」
俺とコイツの境遇は似ているが、違う点がある。偽装の規模とかでなく、もっと根本的で致命的な所が。
目の前に。今にも泣き出しそうな顔をしているくせに、素直に泣けないやつが居る。
そいつはバカじゃないけど間が抜けていて、嘘が下手で、人を騙すのが下手で、隠し事が下手で、悪どい事に根本的に向いてない。事実として俺はこいつが何かしら企んで接してきたって、わかっていたのに結局”嫌い切れなかった”。
じゃあどうしてこいつはこんな風に育ったのだ。元からそういう人間だった。それもある。でも――それだけじゃない筈だ。
「おかしいだろーが! いいか、考えてみろ! 『私』を消すのがそんなに苦しいのは何でだ! お前が親の命令を断りきれなかったのは! 家族って関係に縋りたくなったのは何でだ! それ、――――」
唐突に俺の言葉が途切れる。
正確にはより大きな音で強引にかき消された。ここから本題大事なとこってタイミングでの騒音に、俺は文句の一つも言わなかった。言えなかった。
脳髄の中で警鐘が鳴っている。馴染みの感覚が危険の来襲を告げている。首が反射で音の方向へと向き直り、視覚が”内側から”吹き飛んだシャワー室の扉だったものを捉える。
そいつはのそのそと、あるいは悠々と、扉を吹き飛ばして開いた穴から出てきた。
墨汁ひっかぶったみたいに上から3分の2くらいを黒く染めた、ラファール・リヴァイヴのようなもの。両腕に零しそうな程に山ほどの銃器を携えたそいつがこちらを向いた。目は合わなかった。目が無かった。
「…………………………はァ゛!?」
瞬きよりも早く。
視界が閃光で埋め尽くされる。
【わたしゴーレム、ずっと地下で出待ちしてたの】