IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI 作:SDデバイス
▽▼▽
自室に戻ってきた。
椅子に身体をベッドに荷物を、それぞれ放り投げて一息。
「ヴぇへぁ…………」
別に面白い事を言うつもりするつもりなんぞ微塵も無かったのだが。何か思った以上にすごく奇っ怪な声が口から出て行った。
理由は単純に疲れているだけ。酷使しすぎた四肢は文句を訴える力すら尽きたのか、重力に引かれるがまま。頭の方も低速回転が極まって止まっていると見紛う所まで来ている。
このままベッドにダイブしたい。というかシンプルにもう動きたくない。
だが眠気も凄いが空腹も同じかそれ以上にやばい。つか今全部投げ捨てて眠っても、目が覚めた時に空腹で一歩も動けなくなってそうだ。
「大丈夫? コーヒー淹れたよ」
「おーさんきゅー」
天井を見上げているこちらを覗きこんできたシャルで視界が埋まる。その手にはいつの間に用意したのか、湯気を立てるマグカップが一つ。
受け取ったカップには真っ黒な液体が並々と注がれていた。今更カフェインをちょっと入れた位で眠気が吹き飛ぶ訳ではないが、無いよりゃマシ。
さあて。
腹はものすごく減っているが、疲労で限界寸前なのもまた事実。
今直ぐ無理に動くより、もう少し休憩した方がよさそうだ。マグカップが空になるくらいで動き出せばちょうどいい頃合いだろうか。
「俺はもうちょっと休んでから食堂行くけど、先に行きたきゃ行ってていいぜ」
「ううん、待ってるね」
にこやかにそう言って、シャルはふわりと笑った。ちなみにその手元には何も”無い”。つまり俺の手にあるマグカップは”ついで”などではなく、純粋な気遣いから用意されたという事になる訳、だ。
――しかしまあ
シャルは手元に呼び出したウインドウに表示される項目を操作している。今日の模擬戦のあれやこれやを纏めているんだろう。要求した『手伝い』の変則さに対する困惑はあっても、こちらの特訓を手伝う事への不満は一切無いらしい。むしろ予想以上に積極的に手伝ってくれている。
何となく。時折、意識がウインドウでなく”こちら”へ向けられているのを感じ取る。ちらちらと、まるでこちらを窺っているよう。同時になんつーかこう”浮ついた”感じのが漂って来てる気がする。ちなみに今日が初めてでなく、ここ数日ずっと。ここ数日ずっとなので気付いた、と言った方が正しいか。
タイミングを”合わせる”。
それとなくこっちを窺っていたと思しき向こうの視線と、こっちの視線が真正面からぶつかる。あからさまな大慌てっぷりで、シャルがそっぽを向いた。
動作が唐突かつ不自然すぎて全く誤魔化しきれてない。顔どころか一気に耳まで赤くなったのは、そりゃ恥ずかしいからだろう。
んで。どうして『恥ずかしい』のかっつー話だ。こっちを向いていたのがバレて恥ずかしいのか。それとも視線が”合った”事自体が恥ずかしいのか。
――なんか懐かれたな
全力フルスイングでぶっ叩かれた転校初日に比べてえらい変化したもんだ、が。
状況考えりゃそーおかしな事でもなかったりする。ここにきた当初のシャルは家族絡みの問題にザル偽装とかザルプランとか――要するにとびきりキツくてとびきり辛い状況のまっただ中だった訳だ。
そこを『助けて』もらえれば、相手への評価はブーストする。実際に俺が問題の方を解決してはいないのだが、直接的な”危機”を目の前で払い除けている。”行動”して見せた分、”わかりやすい”から余計に響く。
「それにしても、オルコットさんはよく
「今回は本気で下手に出たから伝わったんじゃねーのー?」
なんせ『シャルル』を名乗らざるをえない内は、『シャルロット』としての人間関係は広げられない。なので今こいつは心を許せる相手の絶対数が恐ろしく少ねーのである。
『俺を好ましく思う』というよりか『俺以外に誰も好ましく思えない』――結果的に『俺が好ましいように思えている』みたいな感じ。
「結局部屋の外で待たされてたから、あの日中で何があったのか私知らないんだけど……もしかしてだけど、本当に土下座したんじゃない、よね……?」
「……………………………………もうちょっと凄いことしたぜ?」
これに関しては、シャルが大手を振って『シャルロット』と名乗れるようになるまではどーしよーもない。逆にそこさえ何とかなりゃどーにでもなる。
現状、少なくともある程度”意識されている”のは間違いなさそう。『好かれている』とまでいってるかは、断言しかねる。でもまーそこまではいってねーかなー。何にせよ、最終的には『思ったより良い人だった』くらいで落ち着くだろ。
「待って、何が、あの日オルコットさんの部屋の中で何があったの、ねえ? ねえ!?」
「ちょやめ冗談っ揺さぶるな今はやめ耐えられなあああァァァ!!」
こいつみたいなタイプは、知り合いこそすれ関り合いにはならない。事が終われば大抵通り過ぎて行く。なんつーか根本的な行動半径が重ねってねーんだろうな、俺みたいなのとは。
だから。
今の状況は、きっと一時的なものだ。
▽▽▽
寮の自室、自身のベッドの上にシャルロットは体を横たえている。
既に消灯時間は過ぎていた。
部屋の照明はすべて落とされていて、僅かな光も存在しない。そんな真っ暗な部屋の中、シャルは目を瞑る事無く天井を見つめている。
眠れない、のではなく。まだ眠る気がないだけ。それに天井を見ている訳でもない。ただ室内の暗さに目が慣れるのを待っているだけだった。要は”ぼうっ”としている。
(いろんなコト、あったな)
考え事をするつもりは無かったのに、思考は勝手にさっきから記憶を掘り返している。未だに不透明な自身の”今後”への不安さが、無意識に思考を強いているのかもしれなかった。
何の前触れも予兆も無く、母との別れがやってきて。
顔も名前も知らなかった父が大企業の社長だった。
愛人の子の自分には血の繋がり”だけ”しか無くて。
都合のいいように名前と性別を偽らされて。
果てには、遠い異国へ送られた。
そして――、
(あって、ありすぎて。すごく、本当にめまぐるしい)
改めて。ここ最近の自身に降りかかった出来事を思い返すと、そう感じる。次から次へと、まるで襲い来るよう。
故郷で過ごしていた頃の『自分』にこれまでのコトを語って聞かせても、きっと信じない。突拍子もなくて信じられない事だらけだし、信じたくない事だらけでもあった。
母と二人で静かに暮らしていた頃の自分は、十分に満ち足りていた。急激で劇的な変化なんか望んでいなかったから。
けれども、全部本当に起こった事。それが全部起こった結果として、シャルは今ここに居るのだ。
やがて何となくでも周囲の様子が見えるようになると、シャルは視線を体ごと横に倒す。視線の先には隣のベッド、その主。
寝相はうつ伏せ。
性別は『男性』。
名前は『織斑一夏』。
シャルル・ルクレールのルームメイト。
シャルロット・ルクレールを助けてくれた人。
シャルル・ルクレールを嫌いな人。
――”そして”
好きという言葉に行き着く感情には幾つか種類がある。
尊敬、憧れ、親愛、それらを表すのも『好き』。母親の事を聞かれればシャルは迷いなく『好き』と答える。食べ物、風景に対しても『好き』はある。
でも違う。それらとほんとにぜんぜん違うのだ。今まで感じたどの『好き』とも違う『好き』が、今のシャルの胸の中にある。だからこの『好き』そのどれでもなく。シャルロット・ルクレールが知らなかった初めて感じる『好き』ということは、
――”生まれて初めて、恋をした”
恋愛感情に、他ならない。
この結論に行き着く度に鼓動がシャルの制御を離れて一際強く跳ねる。シャルそのものであるはずの心の一部分が勝手に暴れ回っているかのようだった。
また一方で別の部分がこれまたシャルの制御を離れて異を唱える。
現在のシャルの立場は非常に危ういままだ。色恋の事を考えている暇なんか無い筈だ。『母親』の事も『父親』の事も未だに引き摺っている。
もしかしてもしかしたら。”これ”は襲い来る辛い出来事から逃れるために、都合よく錯覚しているだけなのかもしれない。助けてくれた相手に、無意識の内に縋ろうとしているのかもしれない。
判断は付かない。
けれどもただの事実として。
隣のベッドの上で眠っている男の子をただ眺めているだけで。
シャルの顔はどんどん熱を帯びていくし、鼓動もだんだんと早くなっていく。
「…………はふ」
気持ちを少しでも落ち着けようと、小さく息を吐く。
恐らくいや間違いなくシャルの気持ちなど知ったことではない相手は、もう見事なまでに熟睡している。どうもベッドに倒れこむとほぼ同時に眠りに落ちているらしく、あのまま朝までピクリとも動かない。
ここ最近すっかり恒例になった”特訓”で疲れ果てているのだろう。変則的とはいえ二人同時に相手しているようなものだ。それもアリーナの使用時間をフルに使ってぶっ続けで。
とにかく、熟睡というかもはや『停止』とすらいえる有様なのだ。だからちょっとやそっとじゃ起きない。初日のシャルがそう判断してもおかしくない。むしろ普通だろう。
寝顔を覗きこもうとしたら一歩目で察知された。
普通に起き上がってきてばっちり目が合った。結構な量の勇気をつぎ込んでようやく踏み出した第一歩に全力で足払いをかけられた気分だった。そういうの本当に止めて欲しい。
近付き過ぎると問答無用で気付かれるらしい。逆に近付き過ぎ無ければ跳ね起きてくることは無いようだった。センサーでも付いているのか。
シャルと一夏と知り合って、まだ数日ほどしか経っていない。
それでも事情も相まってほぼ丸一日行動を共にしている。ならば嫌でも色々と見えてくるし解ってくるもので。”知ろう”と思って接すれば、得られる物は更に多くなる。
そうして気付いた事をまとめると、一つの結論に行き着いた。
身支度の順番だとか、会話における間とか、食べ物の味付けの好みとか、根本的な生き方――そういった些細な事から始まって、おおよそ気がついた限りの総てにおいて。
『シャルロット・ルクレール』と『織斑一夏』は
要するに、びっくりするほど相性が悪い。
ここ数日だけでもそう感じるのだ。これから更に月日を重ねていけば、食い違いはより大きく強くなっていくのは間違いない。
シャルが一夏に言う『嫌い』は照れ隠しでもあるが、確かにそう感じているから発している。あれだけ何度も『嫌い』と言えるのに、まだ一度も『好き』と言えない。もしかしたら『嫌い』の方が総量が大きいのかもしれない。
もし。
もしも。
色々とすっ飛ばしてシャルと一夏が結ばれたとして――ただの想像なのに、思考を圧迫しかねない程煩くなった鼓動がああもう煩わしい横にどいて。
ただ一緒に居るだけでは、きっと”幸せにはなれない”。
どちらかが相手に合わせるか、それともどちらも譲って相手に半分ずつ合わせるか――不思議と思考の一部分が妙に冷めている。どうしてもそう思ってしまうし、どれだけ考えてもその可能性をシャルは否定しきれない。
それに負担の方が大きくなってしまう可能性だって、ある。一緒に居ると居心地が悪く感じる、なんて、酷い結末しか待っていなかったり、するのかも。上手く言えないが――どうやっても拭えない、決して無視できない不安が確かに在るのだ。
自分だけが苦労をするなら、シャルは気にしなかった。が、相手にも害が及ぶ可能性が僅かでもあるのなら、シャルロット・ルクレールが躊躇うには十二分な理由になりうる。
それならいっそ、このまま内側に置いておけばいいんじゃないか。
それなら片方しか、不幸にならない。
それがベストかもしれない。
それこそベストかもしれない。
だったら、
でも。
それでも。
”お前の人生、俺が続けさせてやる”
駄目だ、無理だ、嫌だ、諦められない。かけられた言葉を憶えている、見上げた横顔を憶えている、あの生き様を忘れない、きっとこの先何があっても忘れられない。
あの日の総てが、脳裏に焼き付いて離れない。
不安をすべて塗り潰して、なお余りあるほどに。
――私の心を焦がしてしまった。
結局、同じ結果になる。
どれだけ悩んでも、迷おうとも、あの日を思い出せば何もかもが全部呆気無く吹き飛んでしまうのだ。後には顔も体も真っ赤に火照らせた
いい加減、認めるべきなのかもしれない。
”これ”は理屈でどうにかなるものじゃない。
だったら、できるだけやってみるしかない。何も始まっていないのに、始めすらせずに止めてしまうなんて耐えられない。諦めるための努力は何も出来そうにないけれど、その逆ならきっと出来る。
(お母さんも、こんな気持ちだったのかな)
母の恋もまた、諦めた方が楽であったはず。好きになってしまったら、絶対に苦労すると解っていたはず。それでも母は諦めきれなかったのだろうか。理性で判っているのに止まれなかったのか――今の、
ほんの少しだけ、母に共感できる気がした。
『人を好きになる』のがどういう事なのか、少しでも知った今ならば。まるで自分の意のままにならない感情なのだと解った今ならば。
(でも)
そこまでは、だ。
母の恋は『愛人関係』で終わった。母がその事に満足していたのかは、シャルにはどうやっても解らない。ただ確信と共に言える事が一つだけある。
「………………私は、一番でなきゃヤだな」