IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 ▽▽▽

 

 『記憶』

 

 言ってしまえばそれは脳に蓄積された過去の情報でしかない。けれど人間にとってはそれだけで片付けてはいけない程大事な物であると思う。

 人生を歩む上で蓄えてきたそれらは個を形成する重要な要素であるのは勿論、その人自身の証のようなものだと俺は思うから。

 でも記憶は、その人がその人であるために絶対に必要という訳でもない。

 例えばその人自身が記憶喪失なり障害で自分はその人だと認識できなくても、周囲がその人はその人であると認識すればその人はその人になる。

 だから、例え中身(精神)が違っていてもそれを内包している器がその人ならその人はその人なのだ。人の精神や記憶の中身なんて調べようがないのだから。

 もし。もしもいつか人の精神が解析されたとする。

 もしそんな時が来たら、俺の状態が正しく周囲に認識されるのだろうか。

 その時周りは許してくれるだろうか。ずっと嘘を吐いていた俺のことを。

 そして俺の存在の証明は、別の誰かの消失の証明でもある。

 それが示された時、あのひとはどうすんだろね。

 

 まあどうするにしても、俺は――

 

 

 ――■■■

 

 

 ▽▽▽

 

 

「あの馬鹿者め…………!!」

 

 出席簿を投げつけた姿勢のまま、織斑千冬はそう呟いた。ドアの向こうにはもう気配はない。あろうことか今日だけで二度も人をちゃん付けで呼んだ馬鹿に教育的始動(鉄拳制裁)をしてやりたいところだが、今から追いかけても遅いだろう。昔からあいつの引き際の上手さは群を抜いていた。

 刹那の間に精神の動揺を鎮め、普段の凛とした表情に戻った千冬は教室の中に視線をざっと走らせた。すると呆然とした表情でこちらのやり取りを静観していた生徒達が、先程までのざわつきをぎこちないながらも取り戻す。

(………………初めて会った日も、言っていたな)

 ドアの下に落ちているひしゃげた出席簿を拾い上げながらふと想い出す。

 背筋が嫌な感じに震えるちゃん付けをされたのは、初めて会った日が最初だ。色々と衝撃的な説明を受けた日なので、六年経った今でも鮮明に憶えている。その時は反射的に殴り飛ばしてしまった事も。

 

『お、弟の身体は……大事にしたほうがいいんじゃねー……かな…………!?』

『……う、うるさい。弟だからこそだ』

『そ、そー……くるかぁ……――』

 

 あの日からだ。

 今も尚続く、この奇妙な関係が始まったのは。

 

『俺は織斑一夏じゃありません』

 

 頭に包帯を巻いた弟がそんな事を言い出した時、織斑千冬は割と本気で脳の異常を疑った。

 何せ彼女の弟――織斑一夏は数日前に事故に巻き込まれて頭部を強く打っている。頭の包帯はその時の怪我によるものだし、更に一夏は数日前まで意識不明になっていたのだから。

 まるで意味不明な弟の言葉に対し、しかし彼女は普段どおりの凛とした表情を崩さなかった。弟の言葉が唐突な上に意味不明すぎて、どう反応していいかわからなかったので固まってしまったのである。

 

『今こうして貴女と話している『俺』は、昨日まで別の場所で別の人間として別の人生を送っていました――死んでしまうまで。事実だけを端的に言うと、”死んだ後に何故か目覚めたと思ったら貴女の弟になっていました”』

 

 目覚めた後も検査や何やで会わせてもらえず、ようやく顔を見れた弟がそんな事を言う。

 冗談だとしたら随分と性質が悪い。悪過ぎる。表面にこそ出ていないが、どれだけ千冬が心配したのかわかっているのかこの愚弟は。

 一夏の言葉は、それ程までに『はいそうですか』と頷けるような内容ではない。信じる方が異常といってもいい。

 だが、千冬は弟の言葉を笑い飛ばすこともしなかったし、叱り飛ばすこともしなかった。それが出来なかった。

 だってベッドの上で正座している一夏の目が余りにも真剣だったから。

 巫山戯ている様子も嘘を言っている様子も欠片も無い。千冬にはそれが解るくらいの観察眼があった。それにもし目の前の弟が千冬を欺けるほどの演技力を持っているなら、それこそ”目の前の弟が弟で無いことの証明”になる。

 

『……わかりません。俺にも本当に何が起こったのかわからないんです。元々弟さんの中に俺が居たのか、俺と弟さんが入れ替わったのか――俺が弟さんを消してしまったのか』

 

 ”だったら私の弟は何処に行った”。

 千冬の問いに、自称弟の姿をした別人はそう苦しげに答えた。特に最後の可能性について述べるときは一瞬言葉を詰まらせた。

 それでも目の前の弟にしか見えない誰かは、最後まで千冬の目を見て言い切った。この後どうされようとも構わないと、暗に告げているように。

 

『家族の貴女には知る権利があるし、俺は家族の貴女に説明する義務がある』

 

 ”どうしてそれを私に話した”という問いの答え。医者は記憶障害としか言っていなかったから、この信じられない事態を話したのは千冬だけなのだろう。

 会う前に医者が、弟さんはもしかしたらあなたの事を覚えていないかもしれない、と言っていたが、現実はそんな物では済まない様だ。

 

『それに貴女なら、信じてくれると思ったから』

 

 彼の言うことが本当なら、千冬とはまだ会って少ししか経っていない筈だが、それだけは表情を緩めてそう言った。苦笑混じりのその笑顔は、年齢に似合わず酷く疲れきった様子だった。もうこの時点で、朧気ながら千冬は彼の言うことが事実であると思い始めていた。

 目の前で語る少年は、千冬の知る一夏とは”違う”。こうして話しているだけで口調や立ち振る舞いの端々から違和感を絶え間なく感じる。

 故に彼は千冬なら――元の一夏を知る彼女なら信じてくれる、そう思ったのだろう。

 

『で、どうしましょうか。これから』

 

 酷く疲れきった顔を引っ込め、真剣さを一瞬で取り戻した彼が言う。

 病室の中に沈黙が降りた。彼はただ黙って千冬の言葉を待っている。千冬に決断権があると、その決断に従うと、そういう事なのだろう。

 

 ――――私は、

 

 彼を受け入れた。

 千冬は彼の言葉を信じていたが、周囲がこれを信じるとは思えないし、信じてもどうすることが出来るとも思えない。さっきの表情を見てしまった以上、彼がこの事態を引き起こしたとも思えない。

 それに千冬の知る一夏が消えたと決まった訳ではないのだ。記憶が特殊な状態になっているのは一時的なもので、時間が経てば元の一夏に戻る――もしくは記憶を取り戻す可能性もある。実際は何が起こったのか何も解っていないのだから。

 そして弟(他人)との生活が始まった。

 始まった当初は千冬も『一夏』も距離感を測りかねていたが、それは時間が解決した。思ったよりも喪失感は薄かった。

 確かに今の『一夏』は本来の一夏とは正に人が変わってしまった、そう言える変化をした。けれども共に時間を過ごして気付いたのは違和感だけではない。

 行動の端々に、本来の一夏が見え隠れしているのだ。

 今の『一夏』を千冬の知る一夏として見ると確かに違和感を感じる。が、逆に一夏ではないと見た場合もまた違和感を感じるのである。

 例えるならば違う車になったのではなく、車の色を塗り替えたような、そんな変化なのだ。

 当初は事態に困惑し、見落としていたが、今の『一夏』もまた一夏であると、現時点で千冬はそう結論付けている。

 

『へい、いってらっしゃーい。お仕事頑張ってねー』

 

 織斑家には両親が居ないので、収入は千冬頼みである。そのせいか千冬は元々家を空けがちで、弟をいつも一人残す事になっていた。

 しかしあの事故以来精神年齢の跳ね上がった弟は、寂しがるどころか千冬にできるだけ気を配るようになった。話を聞く限り元は千冬より年上であったらしく、『姉』とはいえ女性一人働かせている現状に思うところがあったのだろう。

 千冬の方も千冬の方で、弟が少し変わっただけという結論に行き着きつつも、他人であると思っていたせいだろう。前とは違う方向で遠慮が無くなった。

 いや、遠慮をなくされたと言えるかもしれない。

 今の『一夏』はやたら聞き上手というか話し上手というか、こちらの不満やら愚痴を何時の間にか引き出して、千冬に本音を話させる。

 それがまた終わったあとに気付くから厄介だ。気がついたらもう気を遣われた後で、精神的にほぐされているのである。

 中身はともかく年下の弟に気を遣われるのは何とも妙な気分だったが――その関係は悪くなかった。気がつけば、悪くないと感じていた。

 

『いやふっつうの企業の奴隷でしたけど?』

 

 ふと思いついて、前はどんな生活だったのかを『一夏』に聞いてみた事がある。返ってきた言葉は到底信じられなかった。

 家では千冬に対して落ち着いた態度を取るが、普段は一言で表せば、破天荒そのものだ。もしかしたら千冬の知る一夏よりも子供らしい子供かもしれない。

 だが、何も考えていないようで、実際は誰よりも考えている。向こう見ずな様で、常に周りを必要以上に見ている。人の輪の中とも外とも言い難い位置を見定めて、どこへも動けるようにしている。

 明るみになっている軽いものから、明るみに出てない重いものまで、学校生活での出来事がその手腕を示している。そんな人間が『普通だ』等と言われても納得しかねる。ただ、勉学方面での頭は言う通りに悪かった。

 

 そう、あの■■事件の時だって、あいつ(一夏)は――

 

「お――む――せい――……織斑先生? どうかされましたか?」

 思いの外深く沈んでいた思考が一気に引き摺り出される。横の山田真耶が、怪訝そうな表情で千冬を覗き込んでいた。

「……ああ、すまない山田君。少し考え事をしていたようだ。行こう、会議に遅れてしまう」

「考え事って織斑くんの事ですか?」

「そうだ。どうしてあいつはあんなに馬鹿なのかを考えていた」

 瞳に茶目っ気の混じった真耶の言葉にもまるで動揺する事無く言い返し、千冬は踵を返して歩き出した。

「織斑先生の弟さんだけあって、真面目そうな男の子ですね」

「山田君、君は騙されている。最初は無害を装って相手を油断させるのがあいつの常套手段だ」

 職員室までの道のりを、真耶と他愛のない会話を続けながら進む。ふと窓の外を走っている男子生徒の姿が目に入った。

 この学園で男子生徒ならば千冬の『弟』の一夏一人しか居ない。遠目で解るほどに全力――いや、死力疾走している。一夏の姿はあっという間に見えなくなった。そこまで脅えるのならば最初から言わなければいいのだ、あの馬鹿めと千冬は心中だけで呟いた。

(……六年、経ったのか)

 事態は進展も悪化もしないまま、ただ時間だけが過ぎていく。

 

『千冬さん』

 

 今の一夏は、千冬の事を決して姉と呼ばない。決して口にはしないが、自分が織斑一夏である事に負い目がある事に対するけじめのようなものであろう。恐らく『彼』は自分のせいで一夏が消えてしまったと思っている。

 

『生きたいって願ったんです。どんな事になっても(・・・・・・・・)生きたいと。だから、もしかしたら俺が願ったせいかもしれない』

 

 病室のベッドの上で、かつて一夏はそう告げた。俯いていた彼がどんな表情をしていたのか千冬には知りようもない。

 

 ――一夏がISを動かしたその日から、

 

 進むことも戻ることも無かった六年間。

 深くも浅くもないぬるま湯のような弟との奇妙な距離。

 一欠片の確証も無いが、何かが動き出している予感がする。止まっていた何かがゆっくりと動き出すような、そんな胸騒ぎ。

 

 

 

 弟が事故にあったと聞いた時。

 意識不明だと聞いた時。

 織斑千冬は願ったのだ。

 

 どんな形でもいいから(・・・・・・・・・・)、弟が目を覚まして欲しいと。

 

 

 ▽▽▽

 

「――うふ」

 

 奇妙な部屋で、不思議な姿の女性が笑う。

 各所に機械が散りばめられ、ケーブルの樹海が広がるその部屋は無機質そのものだった。

 その中で、一機のISの傍らに一人の女性が居る。

 アリスの服とウサギの耳を持つ女性はどこか幻想的で、無機質の塊たるこの部屋の中において酷く異彩を放っている。

 

「うふ、うふふ、うふふふふふ」

 

 女性はアリス(少女)と言うには各所に大人の妖艶さが見て取れる。

 格好(子供)と身体(大人)がどこか釣り合っていない。この部屋もその主も、それぞれだけならば酷く正当であるのに、複数が混ぜられることで異質なモノへと変貌をとげている。

 

「うふふふふふふふふふふ――」

 

 真っ白い装甲に指を這わせながら、女性はずっと笑っている。

 とてもとても、楽しそうに笑っている。

 


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