IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 ▽▽▽

 

 『天才』

 

 イレギュラー。

 

 

 ――とある人物の手記より抜粋。

 

 

 ▽▽▽

 

 

「織斑くんてさあ」

「結構弱い?」

「ISほんとに動かせるのかなー」

 

 今回の場合は正当に相手が強いんだぜお嬢さん方。

 ま、俺が弱いのも合ってるけど。

 

 ギャラリーの落胆する声を聞きつつ、俺は呼吸を整えながら外した面を置く。

 元々剣道自体は大して強くないとはいえ……まあ面白いくらいボコボコに負けたもんだ。

「中学では何部に所属していた」

「帰宅部最高」

 さっきまでは竹刀で打ち合っていて、今は俺を見下ろしている相手――箒は、俺の答えに対して盛大に目尻を釣り上げた。

 

「どうして、どうしてそんなに弱くなっている……!」

 

 酷く悔しそうな様子で箒が声を搾り出す。顔を紅潮させ、目尻を釣り上げたその顔は怒っているように見えるし、実際怒っているのだろう。

 けれど、俺には今にも泣き出しそうな子供の顔に見える。

 きっと箒の知る織斑一夏は本当に強かったのだろう。六年の時を経てもまるで色褪せないほどに強く、その心に刻み付けられるほどに。

(………………)

 ところで何で俺と箒がこうして剣道をしているのかといえばだが。

 記憶を戻すのも大事だが、俺にはまず手近に迫った決闘が控えている。なので箒に提案というかお願いというか、決闘が終わるまではISの勉強してもいいかと聞いてみた。

 んで、その提案ついでにISについて教えてくれないかとも言ってみた。そしたらこうして剣道で勝負することになったのである。

 聞いた直後は何言い出してんのこの侍娘と思ったが、改めて考えてみたら現在の俺の実力を測るための剣道勝負だったんだろう。たぶん。

 それともう一つ。

 織斑一夏と篠ノ之箒はかつて同じ道場で共に剣道に打ち込んでいたらしい。だから一緒に剣道をやる事で、俺(一夏)が何か想い出すのではないのかとも考えていたんだろう。

「そんなに強かったのか? 昔の織斑一夏は」

「ああそうだ。一夏が私なんかに負けるはずがない」

「そーかい。そりゃあよっぽどだな……」

 いや。

 いやいやいやいや。今の君より強いって正直相当無茶振りだと思うぞホーキちゃん。

 とは思いつつも、口には出さない。だってあんまりにも箒がきっぱりと、そしてとても誇らしげに言うものだから。水を差す気分にはなれなかった。

 そして実際打ち合ってみて改めて思い知ったのは箒の強さだ。

 箒は強い。とんでもなく強い。俺との差は格が違うというか、次元が違うというか。もうそんなレベルだ。全国大会優勝の名に恥じないどころか、その枠を超えかねない。

 俺も剣道の経験があるから、判る。

 ちなみに『前』の方。といっても学生時代に部活でやっていた程度で、学生(部活)じゃなくなってからはてんで触れていない。

(なぁーんっかさぁ、根本的に向いてねんだよなあ……)

 別に剣道が嫌いな訳じゃない……が、正直なところ尋常じゃない苦手意識がある。

 まあ精神の修練という面でも果てしなく俺に向いちゃいないのだが、もっと根本的な部分で”苦手”なのだ。

 

 ”違和感”がある。

 

 竹刀を握って振っていると、何か得体の知れない妙な違和感がある。最初は慣れてないせいだと思ったが、何年やっても消えるどころか――むしろ続けるほどに違和感は大きくなっていく。そんな風によくわからない違和感に苛まれ続けた結果の、この苦手意識だ。

 

「……直ってねえなあ。まあ今となっちゃ、愛着も湧くってもんか」

 

 とはいえ名前も思い出も不確かな『今』となっては、違和感といえど『前』から持ってきた本来の俺の一部分に思えてくる。不思議なものだ。

「どうかしたか?」

「いや何も。それでどうすんのこれから?」

 咳払いしつつ手にした竹刀の先端を床に打ち付け、箒はきっぱりと言い放った。

「これから毎日、放課後私が稽古を付けてやる。鍛え直しだ」

「はいよ」

 苦手意識全開の剣道をやるのは、ちょっと憂鬱だが、元々身体は動かしとくつもりだったから丁度いいだろう。どうも訓練機の申請も通りそうにないし。

「全く、どうしてそんなに平気で居られるのだ!」

「なにが?」

「ISを使うならまだしも、剣道で男が女に負けるなど、悔しくはないのか!? 情けないとは思わないのか!?」

 箒がこちらに竹刀を突き付けつつ言い放つ。見るからにボルテージが上がってきている。

 しかし女尊男卑の現代社会で、男に対して男児であれと言い放つって感性はなかなかに稀少価値。本当真っ直ぐブシドー突っ走ってる娘だ。

「そりゃ負けるのは悔しいし、情けなさもあるけどさ。終わっちまった後にそれをぐじぐじ誇示して何になるんだよ」

「ふん。軟弱者め。女に囲まれた暮らしに浮かれているんじゃないのか?」

「現状に浮かれられたら楽だなあと、初日からずっと思ってるよ?」

 気に入らなかったのは俺の返事か態度か、もしかしたら両方か。踵を返し荒々しい足取りで箒は更衣室の方へと歩いていった。

 更衣室に行くんだからそりゃ着替えるんだろう。つまり今日の稽古はお開きと考えていいようだ。とりあえず道具片付けよう。

 

「織斑くん、織斑くん?」

「なんですか。ていうか誰ですか」

 

 ギャラリーと化していた剣道部員の一人に道具の仕舞う場所を聞いていたら、見知らぬ誰かに呼びかけられた。いやまあ剣道部の人なんだろーが。

「私はこの剣道部の部長さんなんだよ?」

「とりあえずその疑問形がツッコミ待ちなのか口癖なのかを教えてください。今後の対処に困るんで」

「それでね、織斑くん? 聞きたいことがあるんだけどね?」

「華麗にスルーしやがりましたね。で、何ですか聞きたいことって?」

「織斑くんって織斑くんだよね?」

「部長さん。質問の意味が普通にわからんのですが?」

 ちょっと対応に困るというかまた妙に変わった人出てきた、なんて密かにげんなりする俺の心中を知ってか知らずか――まあ知る訳ないか。

 部長さんは容姿とは方向性の違う小動物のような可愛らしい仕草で小首を傾げているが、首を傾げたいのは俺の方だ。

 

「いやね? 織斑くんが私の知ってる”織斑くん”なら、篠ノ之くんに負けるはずがないんだよね?」

 

「……初対面ですよね?」

「そうだね?」

 

 ていうか何だよこの疑問符の多い会話。

 

 

 ▽▽▽

 

 

 ――不思議な気分だった。

 

 剣道場の更衣室で着替えを続ける箒の脳裏にはそんな気持ちが浮かんでいた。更衣室に入った直後はただ一夏の不甲斐なさを嘆いていたのだが、時間の経過と共に気持ちが落ち着いてきたせいだろうか。

 織斑一夏。

 六年ぶりに再開した幼馴染は、箒の知る幼馴染とは何もかもが違っていた。

(一夏。私の知る、一夏。私の会いたかった、一夏)

 懸命に剣道に打ち込む幼い一夏の姿が思い出される。六年前の――箒の記憶の中にある幼馴染はとても強くて、格好良かった。

 けれども今は見る影もない。

 先程のように手も足も出ずに箒に負けた事が良い例だ。きっと一夏が箒の知る一夏のままだったなら、負けていたのは箒だったろう。

 

「……どうして変わってしまったんだ」

 

 技術が後退したとか、感覚が衰えたとかその程度で済む話ではない。恐らく取り戻すよりも一から作り直した方が早いのではないか。

 それに剣の腕だけではない。

 今の一夏は、箒の知る一夏とは悉く結び付かない。六年という歳月を経ているから容姿は変化して大人びている。だが雰囲気、口調、物腰――容姿以外の何もかも、そこにかつての面影は無い。まるで別人に変わったかの様な劇的な変貌を遂げている。

「でもわかってくれた。私だと、わかってくれた」

 休み時間に呼び出した時から一夏は箒の事をちゃんと『篠ノ之箒』だと認識していた。

 新聞で箒の名前を見つけたと言っていた。『篠ノ之箒』を忘れたままならその名前に反応しないはずだ。

 アルバムを引っ張り出したと言っていた。『篠ノ之箒』がどうでもいいならそんな行動をするはずがない。

 

 ――俺が六年間何もしてなかったと思うのか

 

 そして、そう言っていた。

 例え記憶が消えてしまっても、確かに在った箒との思い出を一夏は決して蔑ろにはしていなかった。それどころか、大切なものだと――取り戻したいと言ってくれたし、今までも行動していたのだろう。

 それが、たまらなく嬉しい。

 嬉しくてたまらない。

 何故こんなにも嬉しいのか。

 

 それは、篠ノ之箒が――

 

 幼い頃箒が一夏に抱いていたのは、気になる男の子という曖昧な感情だった。

 離れ離れになる時に、その存在の大きさを改めて自覚した。

 その後もずっとずっと忘れられなかった。

 ニュース番組で名前を見たときは、心臓が止まるほど驚いた。

 そして同じ学園に通うのだと知って、本当に嬉しかった。

 入学式が、待ち遠しくて仕方なかった。

 可愛い髪型にしてみようかなんて、らしくない悩みを毎日鏡の前でした。

 

 そして記憶が無い(忘れている)と聞いて、絶望した。

 

 泣きそうになった。

 意味もなく叫びたくなった。

 何か、何でもいいから手当たり次第に壊したくなった。

 そうして、不意に小さな疑問が浮かんだ。

 どうしてこんなにも心が乱されるのか。

 それは、箒にとって一夏の思い出が――一夏の存在をそれほどまでに想っていたから。

 そうして、それをすとんと自覚した。

 本当は、ずっと昔から心の中にあったそれを。

 

 ”篠ノ之箒は織斑一夏が好き”。

 

 六年の年月の間、決して色褪せることのなかった、胸に灯る仄かな恋心。それは絶望に吹き消されること無く――否、絶望を経たからこそに明確に火を灯した。

「…………?」

 ふと、目に入った鏡に誰かの顔面が映っている。それは”ふにゃり”なんて気の抜ける擬音こそが相応しい、蕩けるような笑顔。

 箒しか居ない更衣室の鏡に映っているので、それは当然箒の顔面である。

「――――――――」

 絶、句。

 自身の余りにも女の子女の子した顔面の有様に、箒の顔から血の気が一気に引いた。

 続いて更衣室に響くベチベチベチベチベチという謎の打撃音。その正体は箒が自分の頬を猛然と叩く音である。

 血の気が引いて眼は見開かれているのに、口元は緩みきったまま。そんな壮絶な状態で固まっている顔面を一刻も早く矯正しようとしているのだ。

「酷い! 酷い!! 直れ! ええい直らんか!!」

 数分かけて顔面の矯正に成功した箒は、壁に手をついて呼吸を荒らげていた。額には汗まで浮かんでいる。

「い、一夏のせいだ。一夏が私を忘れているからこここんな事に……っ!!」

 問答無用で責任転嫁な理論をふりかざしつつ、箒は呪詛のように呟いた。

 

「明日から特訓だ! 私がみっちり鍛え直してくれる!!」

 

 恥ずかしさを激情に、あますことなくコンバート。

 両手を振りあげながらうおーと怒号を上げる篠ノ之箒(恋する女の子)であった。

 

 

 ▽▽▽

 

 

 記憶を無くし、すっかり変わってしまった今の一夏に対する箒の評価は、当初あまりよろしい物ではなかった。というか結構悪かった。

 箒の事をちゃん付けで呼んだり、隙を見つけてはからかおうとしたりするからだ。

 男なのだから何事にも動じない様、どっしりと構える事は出来ないものかと、箒は毎日憤慨している。

 だが、

 

「一夏」

「何さ」

「い、いや。何でもない」

「?」

 

 懸命に何かに打ち込む姿を見せられれば、評価も変わろうというものだ。

 例えばいま一夏がやっている日課もその一つ。日課というのは、ノートの内容を延々と書き写し続けるだけ。毎日毎日同じ事をただひたすらに繰り返す。そんな日課を一夏は今日まで欠かしていない。放課後の特訓で――文字通り倒れるまで打ちのめされた日でも。

 一夏を特訓する事を決めた当初、箒の心の中には一夏と過ごせる事を嬉しく思う気持ちがあった。認めよう。これ以上の誤魔化しは恥の上塗りになる。

 

(全く、私という奴は……)

 

 浮ついた気持ちは、直ぐに吹き飛んだ。

 打たれても、負けても、笑われても、一夏は倒れた数だけ立ち上がった。いいや、そもそも本当の意味で倒れた事などきっと一度も無かったのだ。稽古をつけてやる等と言っておきながら下心を持っていた自分を箒は本当に恥じた。

 放課後の特訓でボロボロにされた後も部屋に帰ればISについての教本を広げ、日課をやり始める。無論昼の授業の時もずうっとペンを動かしている。

 脇目を振る暇など無い、そう言葉でなく態度で示すように一夏は毎日努力を続けてきた。

(うむ)

 箒はうんうんと、心の中で満足気に頷いた。声に出してしまっては、さっきのように勉強の邪魔になってしまう。

 この一週間、一夏と多くの時間を共有した箒が見たのは、何にも脇目をふらずただ黙々と努力だけを積み重ねる姿だ。それは純粋に賞賛に値すると箒は思うし、好ましい。

 愚直。

 最近の一夏の様子を見ていると箒はそう思う。無論箒は一夏の努力が『愚か』などとは思っていない。どころか一夏の勤勉さには素直に感心している。

 だが、ここ最近の異常な打ち込みようを見ているとそう思ってしまう。普段の態度からはとても想像がつかない――まるで何かに取り憑かれているような様は、どこか()()()ではなかったから。

(いや。真面目なのはいいことだ。しかしだな、いくらなんでもあの時は……)

 勉強を見ている時に、意図せずして箒の胸を一夏の腕に押し付ける形に――本当に事故で――なってしまった事がある。その事態にいち早く気付いた一夏は淡々と箒にその事実を告げると、直ぐに教本に目を落とした。

 動揺の欠片も無かった。

 欠片も、無かった。

 男女が同じ部屋に住んでいるというのに、こうまで気にされないというのは――箒が女性扱いされていないのではないかと思ってしまって、少しいやかなり複雑である。

(まったく。少しくらいはこっちを見ろというのだ)

 ぷうと頬を膨らませ、心の中だけで棘々とした怒りを沸き立たせる。怒っているつもりなのだが、どうにも口元が緩む。

 女に惑わされない一夏に対して感じる好感と、女扱いされないことの不満が入り混じっているせいかもしれない。まあどうせ一夏は背を向けているのだから、少しくらい変な顔をしていても問題ないだろう。

(しかし、明日か……もう明日なのか)

 一夏がどれだけ努力しているのか、箒は恐らく学園の誰よりも理解している。

 

 そしてその努力がどれだけ()()()()()()()のかも、きっと学園の誰よりも理解している。

 

 

 ▽▽▽

 

 手元でガリッと小さく音が鳴った。

 ペン先から出ている芯が尽き、シャーペンの金属部分と紙がこすれあった音だ。

「ふぃー」

 丁度いい区切りだったのでペンを置き、教本やノートを片付けて立ち上がる。大きく伸びをしつつ首をぐるぐる。身体のあちこちで少し音が鳴った。

(明日か。まーやるだけはやったけど)

 ここ一週間の事を思い返す。授業を真面目に受けたり等の勉強方面も確かに苦痛ではあったのだ、が、それよりも箒の特訓の方がきついというか何というか正直地獄な一週間だった。

 おかげで少しは腕が上がった。

 と言いたいところだが、実際そんなに上達してない。あんだけ毎日動いてたんだから、身体のキレはそりゃ良くなってるだろうけど。

 昔剣道やってた時だって、人生かけてたとまではいかないにしても、真面目に打ち込んではいたのだ。それで何年やっても欠片も上達しなかったんだから、今になっていきなり――それもたかだか一週間如きの特訓でどうにかなる筈がない。

 そして勉強の方も微妙な結果だ。

 出来うる限り詰め込んだが、それでも頭に入ったのは必要な情報の半分いったかどうか。まーこれでもロースペックな脳じゃ頑張った方である。

 ”こんなものだ”。

(…………俺にもビックリするほど向いてるもんとか、果たしてあるのかね)

 とりあえず剣道と勉強が向いてないのはこれまでの人生でわかっている。いやちゃんと続ければ相応の成果は出るんだろう、けどそれはやっぱり相応止まりだ。

 何度か『天才』の知り合い(篠ノ之博士に非ず)に恵まれたので、それはよくわかる(・・・)。連中は凡人の努力を軽々と――それこそ本当に息をするように踏み越えていくのだから。

 

 ――そんな当たり前の事を、一々言葉にしないと君は解らないの?

 

 人間の魅力の一つである個性が存在する以上、得手不得手は必ず存在しちまう。それは当たり前で、そうでなければならない事だ。

 努力しても無駄だってそんなくだらない事を言いたい訳じゃない。努力は必要だし大事だ、でも報われない努力も確かにある。必ず報われるのは夢物語の中だけだ。

 

 ――有史以来、世界が平等であったことなど一度もないんだよ。

 

 考え事に耽っていたら、ずうっと昔に――俺がまだ真っ当に『俺』だった頃。知人(?)であった『天才』の吐き捨てた言葉が脳裏に蘇った。ついでにそう言った時の凄まじく忌忌忌忌しげな表情も。

 黙っていれば可愛いやつだったのに、どうしてああも世界の何もかもが憎いみたいな顔ばっかりしていたんだろう。

 いや、最後に会った時だけは違う顔だったか。

 全くボロボロ泣きやがって、こっちの人生の一部を潰したんだから笑顔(謝礼)の一つも見せろ(寄越せ)というのだ。

 あれから向こうで何年経ってるのかは知らないが、さぞ名を売ったのだろう。その程度が容易いくらいに優秀な奴だったから。

 

 ――不平等こそが真なる平等で、世の中は残酷なまでにその通りだ。

 

 机の灯りだけの室内、奥側のベッドには一人の女の子が眠っている。

 篠ノ之箒――『織斑一夏』の幼馴染。

 当初は俺に付き合って起きているつもりだったようだが、今は俺に気にせず先に就寝してもらっている。俺の態度に不満はありつつも一応は信用されているらしい。

 彼女にはこの一週間勉強と特訓の両方で随分世話になった。加えて同室なのだ、ここ一週間程は常に一緒に居たと言ってもあんまり過言ではない。

 だから、この一週間は本当に大変だった。

 気を抜けば頬が緩んでしまうから。だってあんまりにも彼女が微笑ましくて可愛いものだから、正視できやしない。

 不意に接触した時に顔を赤らめる。

 現を抜かすなと言いつつも女の子扱いを要求してくる。

 俺が他の女子と親しく話しているとそれだけで不機嫌になる。

 何気ない会話の中で過去の一夏と俺が重なったときは顔をぱあと綻ばせる。

 

 この娘は、『織斑一夏』が好きなんだ。

 

 わかるさ。

 わかるとも。

 わからいでか。

 あんなにも日常の中に山の様にヒントがあるんだから。わからないほうが難しいわ。

 しかしどうして恋する女の子ってはあんなに魅力的に見えるんだろうか。全く立ち振る舞いは武士全開のくせに――いやだからこそ、たまに見せる女の子らしさが可愛ったらない。

 だけど。

 彼女の気持ちが向いているのは、それを受け取るべきは『織斑一夏』だ。

 『俺』はただその場所に居るだけの別人なのだから、それを受け取ってはいけない。

 近くで観てきた。

 近くで示されてきた。

 その想いが彼女にとってどれだけ本気なのか、どれだけ大切なのかを。

 そんなにも真摯な想いですら、必ず報われるとは限らないのが不平等の上に在る世の中なのかもしれないけど。

 それでも。いやだからこそ、それは本物に届けるべきだと俺は思う。

 こんな偽物風情が、触れていいものじゃない。

「”にせもの”」

 忘れてはいけないその事実を確認するのは簡単だ。

 両の手を握って開く、ただそれだけでいい。

 自由に動くこの本物の両手こそ、俺が偽物であることの証なんだから。

 

 ――結局それだけなんだ。だから世界なんて、至極単純でつまらない。

 

 かつて、両手で助けた女の子に、もしまた会えるのならば言ってやりたい。

 世界はお前が思っている以上に面倒(人格交代)で、お前が思っている以上に輝き(想い)に満ちているのだと。

 


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