「……何事だよ……」
朝。
ボロアパートで起床した俺は、そのまま朝食を摂って大学の講義の支度を終え、玄関を開けた途端……待ち構えていたカメラを前に戸惑った。
……なんか芸能人が来たか事件でもあったのだろうか?
「あの、蜂屋源一さんですよね?」
「はい?」
「バーネットキッドのオーナーをやってらっしゃる」
「……はあ? まぁ……」
え……まさかの、俺!?
「あ、わたくし◎◎テレビの……」
「あの、すいません、大学の講義に遅れるんで、後でいいですか?」
で、その場は切り抜けたものの。
「蜂屋君。志室動物園の番組見たんだけど、馬主やってるって本当?」
「え? はぁ、まあ……」
同じゼミ生にキャーキャー言われ、合コンだなんだと誘われはするのだが……残念ながら、作家業も馬主業も忙しすぎるので断りを入れる。
ただでさえ、大学に行ってから原稿が遅れ気味だというのに……単位も原稿も落としたらヤバいなんてもんじゃない。
大学生で、作家で、馬主で……三足の草鞋を履いてる身だというのに、無神経に突撃取材とか突っ込んで来ないでほしいわ、本当に。
「本当に暇な連中だな、おい……」
農業系の大学だから、隔離とか消毒とかはそれなりにしっかりしてはいるのだが。
それでも追跡取材のテレビ局が来るわ来るわ……よっぽど暇なのかお前ら。
で……とうとう切羽詰まり……
「なあ、美浦の石河厩舎の寮に泊めてもらうって、ダメかな?
トレセン内部って一般人お断りの世界だろ?」
『ダメに決まってんだろ、作家先生』
賢介の奴に電話して、速攻で断りを食らってしまった。
「だよな……これじゃ大学にマトモに通えねぇよ。
……困ったなもう……」
『っていうかさ……俺からするとすげー謎なんだけど……なんで作家で食っていけるお前が、わざわざ大学に通ってんの?』
「あ? そりゃ学歴ないと苦労するから……Fランのポンコツ大学だって、大卒は大卒だよ。
いつか人気が落ちて作家辞める事になった時に、学歴と手に職があるかどーかって、すげー大事だろ? まして……俺、馬主で食えるなんて思ってもいなかったんだぞ?」
その言葉に、電話越しに賢介の奴が物凄い溜息をついて。
『あのな、一つ教えておいてやるがな……うっかりするとキッドの奴、マジで人生買えちゃうくらい稼いでくれる可能性あるんだぞ? しかも結構高確率で』
「あっはっは、だって朝日杯勝ったって億稼げるわけじゃ……」
『今だって賞金の総額五千万超えてるってのに、朝日杯勝てば普通に1億超えるよ!! 二歳の賞金ランク100%トップだよ!
ぶっちゃけていうけど、あいつマジで今、ウチの厩舎の救世主だぞ!?』
「え、あー……そういえば、そうだった、かな……?」
よくよく考えると、今の時点で俺より稼いでいやがるんだよな……キッドの奴。
来年は自分の作品の映画化の話も来てるから、いいお金になるかなって思ってたけど。
……やべーな、キッドが朝日杯勝ったら、完全に年間収入で負けるぞ俺……
『お前さ、賞金とか、稼いだお金とか、どうしてんの!?』
「え、計算面倒だから、経費含めて編集部が紹介してくれた税理士さんに領収書束にしてほとんど丸投げ……とりあえず飯が食えて生活できればいいかな、と……『馬主業やる』って税理士さんに相談したら、目を白黒されたっけ」
『お前……なあ……』
「去年は馬主業じゃなくて雑所得扱いで、預託費用なんかの経費が税金に考慮されなくて結構酷かったのを覚えてるわ……いつかネタにしてやろうかとか考えてる」
と……
『……いっそ、休学とかしたらどうだよ?』
「え?」
『『馬主業と作家業の多忙、また大学に多大なる迷惑をおかけする事になるため』、とか……で、今住んでるアパートからセキュリティのしっかりしたところに引っ越せば?』
「引っ越すって……そんな大げさな」
『いや、あながち間違いじゃないかもだぞ、9チャンのテレビ点けてみろよ』
「え?」
テレビを点けたそこには……モニター越しにインタビューに適当に答える、俺の姿が映っていたのだった。
「……マジか……」
『マジみてーだな……とりあえず俺らはお前を守ってやれねぇから、アドバイスくらいしか出来ないけど。
ほとぼり冷めるまで休学するのも一つの手だって、視野に入れておいたほうがいいぜ? あと、そのアパートから引っ越すことも考えたほうが……え、なに?
……ああ、すまん、蜂屋。オヤジが今帰ってきたんだけど、代わってくれって言ってる』
「ほいほい」
で、電話口でがさごそと音がして……。
『もしもし蜂屋君……君にとって非常にまずい事になったかもしれん。
JRAが……キッドをオグリの伝説に絡めて、売り出そうとしているみたいだ』
「……はい?」
『勝ち過ぎた……そう言わざるを得ないような快勝が続いてるからね。
JRAもオグリキャップが起こした、競馬ブームの再来を夢見てるんだよ』
緊迫したオヤジさんの声に、俺はいまいち事態が呑み込めず。
「はあ……あの、いいですか?」
『……何か?』
「その……オグリキャップのブームって、そんなに凄かったんですか?
俺、小学校にも上がって無かったんで、あまり印象に無くて……オグリが凄い馬だったって逸話はそれなりに知ってるんですけど、それがどういう風に周囲に影響を及ぼしたかとか実感としてピンと来ないんです」
暫し、沈黙の後に、オヤジさんはうめき声をあげた。
『あーそうか……オグリのラストランから、もう15年近く経ってる……確かに、そのころは賢介もまだ小学校上がってなかった頃だ。……失念してたよ』
「俺が子供の頃に知った有名な競走馬って、印象にあるのがナリタブライアンとかになっちゃうんですよ。
そもそも、静舞の農高に入るまでスペシャルウィークもエルコンドルパサーも知らなかったくらい、馬に縁が無かったんです。後は、サイレンススズカが死んだニュースは知ってたくらいで……」
『そうかぁ……確かに、スペシャルウィークもエルコンドルパサーも、競馬界では大きく騒がれたが、オグリのような一般に大きく波及するようなムーブメントにはならなかった……むしろナリタブライアンのほうが、一般には大きく話題になった馬かもしれん』
「ええ、だからそう言われても、全然ピンと来なくて……」
その言葉に、電話口で悩むオヤジさん。
『そうだな……個人的な解釈になるが……ナリタブライアンのブームは『余波』だと思ってくれ。そもそも、オグリキャップのブームで競馬ファンが大きく増えた事により、初めてナリタブライアンの一般向けのブームが成立したと私は思ってる。
そして、バーネットキッドの『物語』は、今のところ、かなり近いような割合で、オグリのストーリーをトレースしているんだ』
「物語、ですか……?」
『ああ、オグリキャップは零細農場から地方の笠松競馬へ、そしてそこから実力で中央にのし上がり、アイドルホースとして君臨した。その過程や物語が一般人の琴線に触れた結果、今でも衰えない人気を保っている。
一方のバーネットキッドのほうは、牧場ですらない農高生徒が実習で育てた馬で、その面倒を見た生徒が、馬主と厩務員になり、レコードを叩き出し続ける強さを見せつけた。
しかも、一般人にも強さがわかりやすい、逃げ、大逃げのスタイル。これで人気が出ないワケがないところに、その……あんな芸までテレビで披露してしまってはな……』
「あー……なんか、だんだん解って来ちゃいました。つまり、今日来たテレビの奴は……」
『前哨戦だと思ったほうがいい。
オグリを一週間も24時間追い回してガレさせたバカ記者の話は有名だが、奴らは『馬にやって駄目なら人間にやれば問題ない』って考える奴らだぞ?
悪い事は言わない。
ちゃんとセキュリティのしっかりしたマンションに引っ越すんだ。大学もホトボリが冷めるまで休学するのをお勧めするし、なんなら作家業もペンネームを公表しちゃったほうがいい。
秘密を暴くのが使命だと思い込んでる連中だから、痛くもない腹を探りに来られて滅茶苦茶な事になる前に、明かせる秘密は明かしちゃったほうがいい。
JRAもここ最近、売り上げが下がり気味で必死だから、君とキッドとウチの厩舎をまとめて生贄に捧げかねない。まして、JRAのお偉方には『あの頃のオグリブームよもう一度』って輩も大勢いる。……あの馬に人生を変えられて夢を見た私が、言えた義理ではないがね……』
「ま、マジですか!?
えー……とりあえず前期は単位取れてるし、あと後期……ええ、勿体ないなぁ、三月までは大学通えないかな? そこからだと休学しても一年分の単位はきっちり残るから……」
『つまり『朝日杯を越えて、皐月賞のどれかのトライアルまでは』って事かね? 多分、そんな余裕は無いぞ。
馬主ってのは、大概が大きな会社の社長なんかの金持ちで、だからこそ怒らせたら後が怖いし、秘書なんかが居て本人の代わりに応対しているから直接取材が控えられているが、君はキッドの馬主と作家であるという事以外、ただの一般人だ。
『報道の自由』の錦の御旗のもとに、取材対象がどんな滅茶苦茶な事になっても最終的責任を負う気が無いのがマスコミって連中だから、今からきっちり自衛する事を考えるんだ』
「うへぇ……わかりました。
とりあえず、編集部とも相談して、どこかに引っ越す事にします!」
そして、電話を切り……ふと、気づいた。
なんか……電話の音質にブツブツって変な音が混じってた気がした。
……確か、盗聴とかしてると、そういった音が紛れるって何か作劇の資料で見た気がする……
「まさか……いや、俺の被害妄想の可能性も……いや、本当に大変な事になる前に、予め手を打つか……」
翌日、変装をして、家を抜け出すと、学校に休学する旨を伝え。
更に、その足で掲載誌の編集部へと向かい。
編集部と話をつけ、本格的に引っ越し先が決まるまでの間、編集部内にある缶詰用の部屋を用意してもらった。
……売れっ子作家様、万歳である。
で、身の回りの物や大事なモノ、作業用のパソコンだけをリュックサックに入れて、編集部で寝泊まりしてると、数日後……。
『もしもし、警察ですが蜂屋様でしょうか?』
「……はい?」
恐ろしいことに。
留守中に、玄関のボロいドアを破って部屋まで押し入った取材陣が、アパートの大家に通報されるという事態が起こってしまったらしい。
「嘘だろう……?」
滅茶苦茶に荒らされまくった自分の部屋の中で、俺は茫然としていた。
しかも何が恐ろしいって……住居不法侵入と(多分)窃盗という、れっきとした犯罪が、報道の自由の下にニュースにすらなってないって事である。
……警察に捕まった新聞や放送局の取材陣は『報道の自由』『示談』を盛んに口にしてきたあたり、やってる事の悪質さは自分で理解してるんじゃなかろうか?
「どうしましょう? 示談ならば時間も短くて済みますが?」
「被害届も出すので、徹底的に裁判にして締め上げてやってください。民事と刑事両方で。
金銭の問題じゃありません、厳罰にしてやってください」
編集部に紹介された弁護士さんに、そう俺は答えた。