「先生!! 先生!! 起きて! 起きてください!!」
「ふにゃあ?」
曜日も時間の感覚も喪失しながら原稿に向かい続け、文字通り寝食を忘れて単行本2冊分くらいの文章量を、一気に書き上げ終えた後。
ぶっ倒れるように泥のように寝込み続け……新野女史に叩き起こされた。
「朝日杯でしょ! 今日!!」
「ふぇっ!? そうだ、今日だったっけ……え?」
……そういえば『冠婚葬祭万能の学生服が通じなくなるから』って買った、背広とかのフォーマル向けの服って、アパート荒らされてそのまんま……
滅多に使わないから、押し入れの奥に置きっぱなし……しかも荒らされてない保証もない上に、編集部から車で飛ばしても、アパートまで片道3時間はかかるよな。
「い、今、紳士服の店とか、どこか開いてるかな……?」
「その前に、お風呂に入ってヒゲを剃ってください。
原稿作業に没入してくれるのは編集者として嬉しいですが、何日お風呂に入ってないと思ってるんですか!?
ぶっちゃけ臭いです!!」
ふと、気が付くと。
缶詰部屋の中が、外のマグロが転がってる編集部と、大差ない荒れようになっていた。
「やっべぇぇぇぇぇぇぇ!! い、急がなきゃー!!」
編集部の近所にある24時間営業の風呂屋に行って体を洗い、薄汚れたTシャツGパンサンダル姿で紳士服の店に突っ込んで、顰蹙を買いながら吊るしの上下とシャツとネクタイを買い込み、大慌てで中山につく頃には……。
「もうレース始まっちまってるじゃん……今、第何レースだよ……」
既に正午を過ぎて一時になろうかという時刻だった。
ま、まぁ、午前中は逃したが、重要なメインの朝日杯は午後なので間に合いはしたらしい。
とりあえず、馬主席に……ば、馬主席に……
扉を開けて部屋に入った途端、なぜか、馬主席からズラリと向けられる俺への目線。
「……あ、ど、どうも……」
新馬戦やOPなんかとは違い、曲りなりにもGⅠレースである。
そりゃ、見に来られるよねぇ!? 他の馬主様!!
新潟や札幌じゃ、そもそも馬主席にいる人間の数が少なかった上に、目を合わさないように隅っこで小さくなって軽い挨拶だけして、ささーっと逃げられたんだけど。
ふと、石河の言っていた事を思い出す。
『あそこは別世界』
『マジモンのブルジョワ様の吹き溜まりって感じだったわ』
ひ、ひえぇぇぇぇぇ、こ、これ何やったって粗相になっちゃうんじゃねぇの!?
と……
「おお……蜂屋君!? 無事だったかね?」
「へ……?」
見知った人の声に、びっくり。
「篠原の社長!?」
初老のスーツを着た男性が、そこに立っていた。
話は、俺が中学生時代に遡る。
まだ、普通に家族との関係が幸せだった頃……とあるカードゲームにハマった俺は、近所のカードショップの常連だった。
海外製のそれはイラストが割と大人向けだった事もあり、俺たちのような中高生だけではなく、割と年齢の高いおじさんやお兄さんなんかもチラホラと来ていて。
で……そんな中には、彼……篠原さんという『自称』社長やってるという人も居たわけなのだが。
当時はそんな事を深く考える事もなく、ただひたすらに『大きなお友達』としてカードゲームに夢中になって、彼とトレードを楽しんでいた。
「ほ、本当に……社長だったんですね」
隣の席に腰を下ろして、ビールとジュースで再会を祝しながら。
「君、私を何だと思っていたのかね」
「え、えっと……割と胡散臭いけど、子供と遊んでくれる面白いオッサン……」
「ぷっ……まあ、間違ってはおらんよ……」
「だって、あの頃の俺たちみたいな中坊の子供と遊んでくれる大人って、大概がこう……今思うと、地元だとダメ人間臭の漂う人が多かったから、てっきり……」
「まあ、社長というのは嘘で、会長だがね。半分、楽隠居のようなもので暇はあるし」
「やっぱエライ人じゃないですかー……というか、もうこの空気に押しつぶされそうですよぉ……変に注目されてるし」
と言うと。
「まあ、確かに、君と居たカードショップと似たところはあるなぁ」
「へ?」
首をかしげると。
「ほら、君たちが居たカードショップ。
ビルの三階にあって、閉鎖的な雰囲気の狭い店で、ご新規さんが来たら品定めをするような目で常連に見られただろう?」
「あー……まあ、確かに、って、注目度が全然違いますよぉ!」
ガン見こそされていないが。
それでもチラチラと周囲が見てくるのである。
「そりゃあんな大騒動が起こった後だからねぇ?」
「は?」
「君の家に押し込み取材があったんだろう?
それで行方をくらませてるって噂になってね」
「はあ、それが一体、どういう事に?」
割とテレビ局とか新聞社とか、どこもそれに近い事を常習的にやってるはずで、だからこそ俺はただの一被害者で、ワンオブゼムの一つでしか無いはずで。
故に、俺は遠慮なく個人的に怒り全開で、やらかした放送局やら出版社に怒っているのだが。
「君は、オグリキャップが新聞記者に追い回された話を知ってるかね?」
「ああ、はい……話だけは。
子供すぎるくらい小さい頃だったので、実感は無いのですが」
「あの一件は、JRA、馬主、厩舎……アレを知ってる当時のすべての馬に関わる人間のトラウマなんだよ。
そのオグリの孫で、しかもオグリの跡を継ごうかというような馬のオーナーが、それに近い目に遭わされたんだ。
過剰反応に思われるかもしれないが、馬に関わる人間すべてが怒っていると思ったほうがいい」
う、うわぁ……現場サイドの怒りはオヤジサンから聞いてたけど、馬主やってる社長から聞くに、こっち方面もお怒りなのかぁ……
「い、石河のオヤジサンが、厩舎の解散とキッドの海外委託を賭けて、JRAに対応を談判しに行ったって……」
「やりすぎだが、あり得るだろうね……そもそもJRAにとってオグリは神様のようなモノなのだよ」
「神様!?
……すいません、さっきも言った通りオグリの活躍した時期って、ラストランが小学校上がる前くらいなんで、全然ピンと来なくて……」
「君の家には、オグリのぬいぐるみとか無かったかね?」
「え、ええ……え? あった、かなぁ?
確かに灰色っぽい馬のぬいぐるみはあった気はしますが」
「多分それがオグリだよ」
ひぇっ……砂場で振り回して泥まみれにしながら遊んでた覚えしかネェよー……
「オグリが競馬の世界を何もかも変えた。それも良い方向に。
後に出てきた、トウカイテイオー、ナリタブライアン、テイエムオペラオー……みんなオグリが居たからこそ、一般にも受け入れられる存在になった。
だが、オグリ自身は後継には恵まれず、遥か彼方の過去の夢に消えたかに思われた時、後を継ぐ者として君のキッドが現れた……そりゃ周囲も期待するし、あんなことになれば心配もするさ」
う、うわぁ……想像以上になんかエライ事になっちゃってるんだなぁ……まあ、周囲がどう思っても俺は奴らを許さないけど。
「そんな騒動の火種になっているのが君だよ。
そりゃ挨拶したくても気軽にできないし、かといって無視したくたっても出来ないさ」
「その……なんか、すいません。来ない方が良かったかなぁ?」
「とんでもない。むしろ来て良かったくらいだよ。
なんなら何人か紹介しようかね? 皆、気のいいオジサンたちだぞ?」
「い、いえいえいえいえ、皆様、恐れ多すぎて何が失礼になるか分かりませんもの。
一応、社会に出てたって言ったって、編集部との関係しか持ってないようなインドア人間な自覚はあるので」
と……
「くっくっく……あの時とは本当に逆になったねぇ」
「あの時?」
「ほら、私がカードショップに初めて行ったとき。戸惑っている私にいろいろ教えてくれたのは君じゃないか」
ああ、なんか思い出して来たぞ……社長が入口でどうしていいのか分からなそうにしてたから、中に誘って基本的な事を教えたの。
「基本は変わらんよ。
好きなカードを買って、考えながらデッキを組んで、テーブルで向き合って、いざ勝負。
好きな馬を買って、考えながら厩舎と騎手を選んで、競馬場で顔を合わせながら、いざ勝負。
まあ、遊ぶゲームのルールが変わって、おもちゃの値段の桁が上がったダケだと思いたまえ」
「お値段上げすぎだし、いろいろリアルに人生賭かり過ぎですよぉ……ああ、石河のオヤジサンが心配してくれたワケだ……」
ほんと、見栄張らないでダメだと思ったら馬主引退しよう……
「よう、蜂屋! 久しぶり……やつれたなぁ」
「お、おう……石河……それにオヤジサンも、お兄さんも、お世話になりました」
キッドの出走前に、挨拶も兼ねて下のパドックに降りた時には。
もう精神的にゲッソリだった。
あの後。
レースが始まるまで、ずっと雲の上の偉い人たちとの挨拶攻勢と名刺交換……というか、名刺なんて持ってないので、頂くだけという失礼な事になり。
ついでに、なんか俺の正体知ってる人も何人か居たりしたもんだから、馬主の方々に正体がバレて、出来れば内密にと頭を下げたり。……どうも、出版社の忘年会や新年会に、顔を出されていたらしい。確かに気鋭の作家として学生服で壇上に上がって挨拶したりしたよ、あの時。
ついでに、篠原の社長にもビックリされたよ……
……あと名刺無しなんて失礼しちゃったから、後で名刺頂いた方々に返礼代わりにサイン本とか一言添えて送るべきかな……編集の新野さんとも相談しよう。抗議に協力してくれた調教師の方々にも菓子折り持って挨拶行かなきゃ。
「というか、まだ新居決まらないの? 半月以上経ってるぜ?」
「まあ、なかなか良い物件が無くてなぁ……というか、セキュリティのしっかりしてる所って無駄に家賃が高くて広かったりして『こんな広さ要らネェよ』って感じの所が多くてさ」
実家に居た頃の自室は四畳半一間。
農高時代は四人一部屋の4段ベッド。
そしてあのボロアパートも1kの四畳半。
逃げ込んだ缶詰部屋も四畳半くらいである。
「いっそ、編集部に『棲もう』かと思ってたりするよ、もう……」
「『住む』の字が違うあたり、なんか惨状が見えてきた気がするな……いっそ家建てちまえよ」
「……なんかだんだんそれもアリな気がしてきたわ」
そして……
「キッド~」
久々の、精神的な癒しとの再会である。
軽くハグして甘えておこう……すりすり。
ああ、キッド……お前本当に俺の癒しだよ……とりあえず過去の悪行は、今は忘れておくから。
馬主の立場で、出走前に馬に合いにパドックって行けましたっけ?
割と曖昧で書いてるので、間違っていたら修正します。