「ほ、本気ですか……?」
「はい」
翌日。
改めて石河厩舎に顔を出した俺は、石河調教師にそう告げた。
「今年のキッドの予定を、宝塚記念、そして余裕があれば間に1レース、その後に秋天、ジャパンカップ、最終目標を有馬記念に変更します。
一番の問題は、宝塚記念に出走できるかどうかって所なんですが……獲得賞金足りますかね? 足りなければ金鯱賞か目黒記念あたりでしょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。つまり……」
「はい、ダービー、菊花賞。共に放棄します」
その言葉に、絶句する石河調教師。
「お、オーナー……改めて尋ねますが、ダービーも、菊花賞も」
「三歳の時期にしか挑戦できない。それは承知しています。
ですが……こう、考えられません?」
「……?」
「セントライトからナリタブライアンまで。三冠馬は今、歴史上既に五頭います。
でも、三歳で宝塚記念取れたら史上初だし。三歳で秋古馬三冠取れたら……それはそれで伝説になりません?」
「その秋古馬三冠の、ゼンノロブロイと多分競い合う事になるんですが……」
「厳しい事は承知していますが、ディープインパクトと競い続けるよりマシです。
あれは……化け物です」
「そう見ますか」
「はい。今年の……いや『ヤツが健康なまま現役で居る限り』有馬記念はキッドが出なければディープがとり続けるでしょう。
ここだけの話、正直、並のG1馬10頭と同時にレースをするより、ディープただ一頭と競わせるほうが、私には恐ろしいです」
そう告げたあと。
長い長い沈黙が落ちた。
「競馬の神様ってのは本当に残酷だな……なんで今年なんだよ。
せめて一年ずらしてくれりゃあ……」
「きっと以前、ルドルフとシービーを手違いで同時にクラシックに出しそこねたからじゃないですかね。だから、見てみたくなったんじゃないですか?」
俺の言葉に。
石河のオヤジサンが苦笑した。
「……解りました。
それでは、次にキッドの次のレースからの騎手についてですが、とりあえず候補をこちらに……」
は?
「ちょっ、え? あの、何かお兄さんが乗れない事情でもできましたか? キッドが倒れた時は無事に思えましたが、どこか捻ったとか?」
「えっ!? いや、あんな騎乗をした以上、さすがに……」
「その、お兄さんにちゃんと確認取ってください。
もし彼がキッドに乗り続けたいのでしたら、私は彼に続投を要請するつもりです!」
「!? ほ、本気ですか!?
そ、その……私はオーナーの気性なら、てっきり馬を倒れさせるような騎乗をする騎手は交代かと」
「あんな規格外の化け物と競り合って勝とうとするなら、誰が騎乗したって倒れますよ。
むしろあの時パニックになっていたお兄さんの心のほうが心配なんですけど!?」
と……厩舎にかかってきた電話に、オヤジサンが出た。
「はい、こちら石河厩舎……え、はぁ? 警察?」
「申し訳ありません、館さんにまでこのバカと付き合わせてしまって」
ぐりぐりと30近くになろうかという息子の頭をわしづかみにして、一緒に頭を下げる石河調教師。
「いえ、むしろこちらこそ、いろいろ吐き出せてスッキリしましっ……失礼!!」
そのまま、青い顔で警察署のトイレに駆け込む館騎手。
更に……
「ごめん、オヤジ……俺も……」
「とっとと行けバカ」
警察署のトイレで盛大な吐しゃ物の音が鳴り響く。
その様子に、俺は心配になり……
「あの……館騎手。一日だけでもホテルか何かに泊まって行かれたほうが。
お代は私が出しますので……」
トイレから戻ってきた館騎手に、そう申し出たものの。
「い、いえ……さすがにもう今日にも栗東に戻らなければ……調教の予定が……」
「そうですか。それでは仕方ないですが……あの、失礼ですが、一度風呂か何かに入られたほうがよろしいかと。ぶっちゃけ……」
「ですよね、わかっています」
それから、身支度をした館騎手を見送った後。
「あの……オーナー、今日までキッドに乗せていただいて、本当にありがとうございました。次の騎手への申し送りも滞りなく済ませる所存です」
深々と頭を下げる大介騎手。
「それなんだがな、大介……その、オーナーがな……」
苦い顔をする石河調教師。
「あの、大介騎手……まだキッドに乗れますか?
ひょっとして変なトラウマになって乗れないとか、それならば致し方がないのですが……」
「は?」
「今、療養中のキッドが帰って来てからの判断でも構いません。
引き続き、差支え無ければキッドに騎乗して頂ければ、と私は思っています」
「え……で、でも……お、俺……」
「今回のレースは不幸な事故だと思ってます。
もし仮に責任があるとするならば、無責任に熱戦を期待したオーナーである私や……失礼ですが、全体の判断を下した調教師の父上のほうにあると思ってます」
「だ、そうだ。……乗るか、大介?」
暫しの沈黙の後。
「の、乗りだひです……よ、よろ…よろぢく……おでがいぢます」
滂沱の涙を流しながら、石河大介騎手が、深々と頭を下げた。
その後。
JRAにダービー、菊花賞の回避と、次走は出来れば宝塚記念出走、無理ならば金鯱賞か目黒記念あたりを予定していると伝えると、ハチの巣を突いたような大騒ぎになってしまい。
『せめて記者会見して広報してくれ!』と言われ……
「う、うおおおおお、これ何!? なんなの……」
「記者会見ですって……にしても私に任せてもらえれば」
「そういうワケにも行かないでしょう?
判断下したのは全部俺なんですから、勝手にオヤジサンに泥かぶれなんて言えませんよ」
「……ある意味、そのために調教師が居るようなモンなんですが……」
記者会見のためのプレスセンター。
その舞台袖から表をチラ見すると、モノスゲー数の報道陣とバズーカみたいなカメラが大量に並んでいた。
「しかし……キッドって人気馬だったんだなぁ……」
「今更気づいたんですか、オーナー!?」
「いや、俺の中だと未だに静舞の農高でバカやっていた悪童のイメージが強くて……園長と遊んでるのも、割とその延長上で」
「G1馬! 皐月と朝日で二冠無敗のG1馬ですって!!
無敗クラシック三冠路線の放棄を表明するんですからね……正直、オーナーの判断は、ブーイングを覚悟してください」
「理解していますよ、その辺は。……多分」
「多分!?」
やがて……時間が来て、バシャバシャとカメラに撮られながら、石河調教師とマイクの置いてある席へと向かうと。
あらかじめ用意しておいたカンペを見ながら、マイクに向かって語り掛ける。
「えー、バーネットキッド号のオーナーの蜂屋です。
この度、ほうの…ほ、報道の皆様に、お集まりいただきまして、ありがとうございます。
この度、皐月賞の結果を受けて、バーネットキッド号の今後の進路について、ご報告があります。
次走……あ、その前に状態報告か。
えーと、バーネットキッド号ですが、現在、いわきの競走馬の療養施設において、短期の療養を行っております。ゴール後に倒れたのは、軽度の心房細動が原因で、捻挫等のケガや後遺症もなく、ただレースによる激しい疲労のため、念のための短期療養を行っております。
しかしながら、レース後の状態を鑑みて、次走の日本ダービー並びに菊花賞は……回避という形を取らせていただきます」
うわぁ、とか、おおお、とか……そんな唸り声と共に、バシャバシャとカメラがフラッシュする。
「次走以降の予定としまして、もし出走可能であるならば宝塚記念。人気投票、並びに獲得賞金の関係で出走が無理であるならば、目黒記念か金鯱賞を予定しております。
その次に状態に余裕があれば1レースを挟み、秋の天皇賞、ジャパンカップ。そして最終的に有馬記念を目標にしております。
バーネットキッドのオーナーとして、皆さんへのご報告は、以上です」
「調教師の石河です。
この度は、バーネットキッド号のレース後の症状に関し、皆様にご心配をおかけしまして、誠に申し訳ございませんでした。
先ほど、オーナーからもご報告があった通り、今、キッドはいわきの施設で短期の療養に入っており、体調が回復し次第、美浦に帰厩した後に、宝塚記念、もしくは目黒記念、並びに金鯱賞を目指し、調教を再開する予定です。
なお、鞍上は、引き続き石河大介騎手が騎乗する予定です。私からも以上です」
とりあえず、カンペを見ながらの報告は終わった。
あとは……
「では、各社からの質疑応答に移ります」
「スポーツ報智の石黒です。
それは、クラシック戦線を離脱するという事で、よろしいのでしょうか?」
「はい、そう取っていただいて結構です。バーネットキッドは同期の他馬より一足早く、古馬戦線から有馬記念を目指して戦う事になります」
「サンレイスポーツの中川です。
先ほど、皐月賞の結果を受けて、とおっしゃいましたが、ディープインパクト回避でしょうか?」
「そう受け取っていただいて結構です。
正直、体の完成しきっていない三歳の状態で勝負を続けていたら、どちらか、あるいは両方が潰れて予後不良になると思い、断腸の思いで回避を決定いたしました」
「スポーツジャパンの南条です。
鞍上の石河騎手が続投との事ですが、それは石河調教師の決定でしょうか? もしそうだとし……」
「いえ! オーナーの私の一存で、石河騎手自身に乗り続けたいか否かの確認を取り、引き続き鞍上を任せる決断をしました!!」
「日刊スパートの小室川です。
オーナーにお尋ねします。バーネットキッド号の処遇なのですが、転厩などは考えておられないのでしょうか? 美浦に限らず、栗東ならばもっと有力な……」
「学生馬主が所有する、落札価格90万の農高あがりの馬を、真剣に面倒を見てくれる厩舎と、それを真剣にレースで駆ってくれる騎手が、美浦と栗東併せてどれだけあるのか。私は逆にお尋ねしたいです。厩舎の方々だって暇じゃないでしょう?
そんな中で出自も血統も落札価格もバカにすることなく真剣にキッドを見てくれた、石河厩舎の方々を裏切るような真似は、私には出来ません!
正直、私個人は……今回のレースでキッドが倒れた主な原因は、石河騎手ではなく、軽々に勝負を望んだオーナーの私と、その判断を良しとした石河調教師にあると思っています。
馬主という立場として、そのことを重く受け止め、今後の糧にしていく所存でございます」
「サンデーKEIBAの堂島です。
ファンの方々は、バーネットキッドの無敗三冠を望んでいたと思われますが、そのことに関してはどう思われていますか」
「ご期待に沿えず申し訳ありません。今回の判断はすべてオーナーである私が下しました。
ご批判も承知しておりますが、バーネットキッド自身の将来を鑑みて、必要な措置であるとご理解頂けたら幸いです」
「KEIBAスターの野々村です。
えと……宝塚記念ですが、これまで歴史上一頭も三歳馬の勝利は無かったと記憶していますが、その辺はどうお考えでしょうか? それとも古馬相手の経験値を積むためのレースにするという事でしょうか?」
「バーネットキッドが、その最初の一頭になると信じて、石河調教師と石河騎手に託す所存です」