「……はぁ……」
七月の日差しは、既に北海道でも夏本番といったノリである。
つまり……このグラサン付け髭姿の不審人物スタイルというのは、ひぢょーに厳しい。
というか付け髭が熱い、邪魔。
「『身から出た錆』とは言うものの……」
つい先日、深夜放送のラジオから、俺の正体が全国規模で身バレしてしまい。
こうしてグラサンと付け髭、ついでに幾つかの顔のホクロを除去して印象を変えて。
で、羽田から新千歳まで飛行機で飛び、現地で宿泊して何度か下見した後、タクシーに乗って会場まで移動することに。
……もー行きつけの銭湯もコンビニも本屋もスーパーも、ついでにアキバを気軽に徘徊する事も暫く出来やしねぇ……18歳未満閲覧禁止のあれこれの調達とかもそうだし、コミケも行けねぇ……とほほー……
なんて言うと、むしろ担当編集の新野女史が『今までペンネームで好き放題していたんですから当然です! ガードするのにどんだけ苦労したと思ってるんですか!』と、怒られてしまった。
……冗談抜きに、家賃の安い新居への引っ越しも、セキュリティの関係で難しそうである。あと、前の部屋に残った、使える家財や資料を分別して新居に運び込み終えるまで、家賃や光熱費を2か月も余計に払う事になったのは不覚だった。
なお、前に住んでいた築55年の木造二階建てのボロアパートは、大家が襲撃したテレビ局や出版社に損害賠償を請求した結果、結構な纏まった額の賠償金を頂戴して、建て替える事にしたそうな。
……まあ、デカい地震が来る前に建て替えたほうがいいだろうな、あんなボロ屋……確実に崩れて死人が出るだろうし。
「ああ、そうかぁ……」
こんな状況になり、初めて身をもって理解した……大きな会社の社長とか王族とかが、何で専用車とか専用機を持っているのかって理由。
テロリストや暗殺者なんかに狙われたとして、巻き込まれる事を想定すれば、社員や国民の事考えたらそりゃ専用機に乗るよね……自分とその周囲だけで被害が済むんだもん……
「思えば、こういう視点も意外と新鮮かもな……」
何か創作の参考にしよう、と思いながら受付を済ませ……
「こんにちは、牧村先生」
見知った顔や、制服の生徒たちが居たので、軽く声をかける。
「!!?」
「俺です、俺……」
グラサンと付け髭を外し、正体を明かす。
「なんだ、蜂屋か……びっくりしたなぁ」
「すいません。
もうなんか全国規模で正体がオープンになっちゃって、少し警戒してるんですよ」
「ああ、なんというかな……お前がJRAの馬主登録証を貰えた理由も、寮の消灯後に夜中ちょくちょくPCに向かって内職していた理由もよくわかったよ」
「あはは、すいません。その節は不良生徒しててご迷惑を……」
「思いっきり迷惑かけられたよ、まったく……」
と……
「あの、蜂屋先輩……っていうか、針生先生サインください!」
「え?」
そこに、一人の女子生徒が、少し日焼けした単行本を差し出してきた。
っていうか……
「うわ、1巻の初版本じゃん……校正追いついてないヤツ」
「ラジオで正体聞いて、実家から送ってもらいました!」
「おいおい、寮で夜更かしは怒られるぞ? 地方でも深夜放送だろあれ?」
「大丈夫です、罰当番はちゃんとしました!」
「ならよし」
「良くねぇよ! ……みんな、この不良生徒は参考にしちゃダメだからな?」
先生の突っ込みを無視して、本にサインして手渡す。
「で、キッドの妹は今、どんな塩梅ですか?」
「ああ、順調に育ったよ。レントゲンの写真とかは貰ったか?」
「いえ、これからです。
あと、来年以降の予定の産駒について慌ただしくて聞いていなかったですけど、何を付けたんです?」
「今年出品する産駒の一個下はセイウンスカイ産駒で牡。で、今年種付けして受胎したのが、少し奮発してサクラバクシンオーだよ。
ほら、キッドが勝って奨励金が入ってきたから、その分種付け料の予算を奮発できるようになってな」
「ああ、なるほど……」
今まで、ノーザンキャップ含めて、前に引退した牝馬の産駒もホント割安なヤツしか付けてなかったからな……むしろテイオーの種付けで相当頑張っていたとも言えるわけで、そのしわ寄せが翌年のセイウンスカイになったか。
「今年も狙いは、ウチの産駒か?」
「ええ、割と。
あ、そのセイウンスカイの産駒、写真でいいので後で見せてください」
そして、展示エリアで本物を見て……俺は正直びびった。
(赤い?)
尾花栗毛……というより『尾花赤毛』と評したくなる。
正に美貌馬と呼ぶに相応しい、牝馬だった。
「いいなぁ……」
「キレイだけど、競走馬としては」
「ううん……テイオーの産駒だから気性は神経質だと聞いたがな。
農高生がそこまでのモノを育てられるものかと」
「悩むところだなぁ」
周囲のオーナーが悩む中。
見た瞬間に、俺は確信した。
落札しよう。
やがて、セールが始まり……
「では、次に参ります。レイヴンカレン2004。父トウカイテイオー、母父ツインターボ。先日、三歳宝塚を勝利したバーネットキッドの半妹になります。では最低落札希望価格300万から」
「3000万!」
初手から落としに行く。余計な競争はしない。
静舞農高産の価格で、一千万を超えた馬は居ない。これで十分なハズである。
そう……思っていた。
「3500万!」
「え?」
「4000万」
「ちょっ!?」
「4300万!」
「4600万!」
「4800万!」
「ええええええええ?」
「5500万!!」
「う、嘘……なんでそんな他所の馬主様がガチなんだー!?」
良血馬じゃねぇぞ! はっきり言って!!
しかも静舞農高産だぞ!?
「そりゃ、半兄があんな成績残してますからなぁ……」
「か、金戸オーナー!?」
いつの間に後ろに居たのだろうか?
「『とりあえず押さえておこうか』とは、皆思うでしょう……6000万!」
「……」
「7500万!!」
確か時折競馬場で見かける、大手の馬主クラブの主催者の一人が、気合を入れた価格を提示した。
どうする……どうする……
「7500万……ほかにありませんか?」
その時……ふと。
オークションのステージに居た、あの赤い馬と……目が合った。
『会いたいよ』
『助けて』
……!! ……俺は……
思い出す。ウインドインハーヘアの2002の事を。
まだ『ディープインパクトではなかった』あの頃の事を。
あの時、俺が落札していれば……
「1億!!」
気が付いたら。
俺はとんでもない金額を口走っていた。そのことに一瞬、後悔したものの……もう取り消せはしない。
「1億が出ました。ほかに無いか、他には……はい、落札!!」
カーン、と木槌が鳴らされ……彼女も俺の愛馬となった。
制服姿で口取りをしている後輩が、もう泡を吹きそうになりながら……それでも、俺に頭を下げ。
そして……
『えっ………!?』
次の瞬間、会場が大きくざわめいた。
何しろ……テイオーステップを刻みながら、彼女はステージから退場したのだから……
「良かったね、今年も蜂屋先輩来てくれたよ!
リンちゃん、蜂屋先輩に落札されたら、お兄ちゃんに会えるよ!」
オークションにかけられる前。私を一番世話してくれた生徒に声をかけられた。
どうなるのかと思っていたが……どうやら、私を愛してくれた兄に会えるようだ。
なら、大人しくしていよう。
そう思ったのだが……
「3500万!」
「4000万」
「4300万!」
「4600万!」
「4800万!」
「5500万!!」
えっ……私って、そんなお値段するの?
最初にお値段付けてくれたあの人が、多分お兄ちゃんを買っていった人だと思うんだけど……周囲の人たちに押されて、ぜんぜん値をつけられてない。
「6000万」
「7500万」
ああ……会えないの、かなぁ……もう一度お兄ちゃんに会いたい。
会いたいよ……助けて……
「1億!!」
えっ!?
次の瞬間、さっきの人が、高らかに宣言してくれた。
1億? 払えるのかな? お兄ちゃん……会えるのかな?
そして、木槌が打ち鳴らされる。
「やったね、リンちゃん。お兄ちゃんに会えるよ!」
会える……会えるんだ!! お兄ちゃんに!!
嬉しくって嬉しくって……私は『スキップしながら』オークション会場の外へ出て、待つことにした。
「蜂屋オーナー!! あの産駒、1億5千万で私に売ってください!!」
「私は2億出します!」
「駄目ですよ、無理です! 売れませんてばぁ!」
オークション会場は、ひとしきり大騒ぎになり。
複数の参加者がオークションのやり直しを求めるも、主催者に却下された結果。
俺個人に10人ばかりのオーナー様が詰め寄ってくる事態に発展してしまった。
というか……
「何か情報知ってたんじゃないのか!? 言え!」
「まっだぐ知りばぜん、勘弁じでぐださひ、助げでぇ……」
振り払った拍子に何処かぶつけたらポックリ逝きそうな爺様数人に絡まれて、どうする事もできずに襟首つかまれてゆっさゆっさと締め上げられて……なんか虹の向こう側が見えてきましたよ。
「いい加減にしなさい!」
オークションの進行の人が落札以外でカーン!! と木槌を打ち鳴らし。
爺様たちと一緒に警備員に、オークションの外に放り出される事になった。
「た、助かりました……ありがとうございます」
なお絡んでくるオーナー様方を制止してる警備員の方に礼を言って。
改めて俺は落札した馬に会いに行く。
「なんか、不思議な仔だね……」
「はい、頭が凄く良くて……大人しいといえば大人しいんですけど、少し神経質で寂しがり屋なところがあります」
口取りをしてくれた後輩の説明を聞いて、アレは……そういう事だったのかな、と思った。
一億、一億かぁ……まあ、キッドが皐月賞と宝塚稼いでくれたから、何とかなったワケだけど……無茶しちゃったなぁ……
「ねえ、幼名みたいなのある?」
「あ、はい。凛とした立ち姿が凄く綺麗なので『リンちゃん』って呼んでます」
「リン……リンかぁ……本当に尾花栗毛というより『尾花赤毛』って感じだね?」
「そうです。すごく綺麗な仔ですよね」
少し考え込む。何か良いインスピレーションが浮いてきそうだ。
祖父が皇帝で……父が帝王で……ならばこの仔は『女帝』かな? 女帝……エンプレス? いや……
「リンだから、ドイツ語で女帝の『カイゼリン』……あとは、赤……スカーレット、ロッソ、クリムゾン、ルビー、朱、紅……いや、素直に赤兎馬からセキトでいい。
決めた! この仔の名前は『セキトカイゼリン』だ!!」
後に。
『セキトカイゼリン』を手に入れた俺の決断は、幾つか別の波乱を引き起こす事になった。
何しろこれ以降、キッドやクアッド、リン含め多くの産駒が活躍し続ける、静舞農業高校のレイヴンカレン産駒だが、リン以外は『ほぼ全てが牡馬』という事態を引き起こし。
更に、最後に生まれた『カレンオッドアイ(父、キングカメハメハのラストクロップ。文字通りオッドアイ)』は、市場には出さずに次の繁殖牝馬として育てられる事となり。
結果、一億という『格安価格で』リンを買った事そのものが『何か裏情報を握っていたのでは』という勘ぐりを受けてしまうという、それはそれは滅茶苦茶めんどくさい事になってしまったのである。