「………………」
新宿駅の地下街。
世界一の乗降客数を誇る一大ターミナル駅のコンコースの壁面一杯に、大々的に張り出された『ソレ』を、俺――蜂屋源一は、茫然と眺めていた。
『お待ちくだされ殿!! 天皇賞でござる!』
『くせ馬じゃ! 皆の者、出会え、出会えー!!』
そんなセリフの書き文字で追いすがるガチョウ倶楽部と家老を、時代劇な馬装をしたキッドが、鞍上のバカ殿と一緒に家臣たちを煽り笑っている姿の宣伝ポスターが、壁面一杯に張り出されていたのである。
……なんでも池袋や渋谷、上野や東京駅あたりの主要なターミナル駅にも、こんなノリのポスターがバリエーションを変えて何種類か張り出されているらしい。
「ハッチャケ方も本気だからすげーなJRA……」
山手線の主要駅のコンコースに、こんな壁面一杯に宣伝広告を張るとか『広告宣伝費幾らかかってんだろうなー』とか現実逃避気味に思いつつ。
銀座の老舗テーラーから『勝負服が出来た』との連絡を受けたので、受け取るために丸の内線に乗り換えると、そこにも車内の中づり広告に何枚か天皇賞の広告が並んでいたのだが……コンコース内や車内に大抵並んで張られている、ディープと館さんが写った真面目にかっこいい菊花賞の宣伝広告と、キッドと殿が絡んだハッチャケた天皇賞の宣伝広告とのカオスな落差に、思わず風邪をひきそうになる。
なんでも、館さんとディープが絡んだ菊花賞の宣伝ポスターを『JRAの正気』と呼び、キッドと殿が絡んだ天皇賞のほうは『JRAの狂気』と巷では謳われているらしい。
「……変な方向に覚醒しなきゃいいけど……」
その不安は数年後に的中し、JWCにキッドが出走する事になる(勿論、馬主としてノリノリで許可&協力した)のだが……それはまた別の話である。
「うわぁ……凄い……これ、本当にスーツなんですか?」
生まれて初めて、本格的な仕立服を着せてもらった感想は、とにかく『軽い』。これに尽きた。
ネイビーのダブルスーツに、ブラウンのネクタイと革靴。地味で鉄板かつ外さない服装とされているが、職人の手に掛かると、かくも素晴らしい着心地と立ち姿になるのか、と本当に感心してしまった。
「ありがとうございます。
……『馬子にも衣裳』って本当だな」
「とんでもない、良くお似合いですよ蜂屋様。
こちらも頑張らせて頂いた甲斐がございました。
……ああ、それと、今回、特別のおまけがございまして」
おまけ?
「実は、うちの裁断士やお針子が、蜂屋様の馬で一儲けさせて頂いたお礼をしたいと申しておりまして。
よろしかったら、こちらもお納めください」
「えっ……え、これ……あははははは!!」
そこにあったのは……おまけらしく割と安い生地で作られた、でも老舗テーラーらしく、縫製のシッカリした赤いジャケットに青いシャツとネクタイ。
そう……例の猿顔の三代目の第二シーズンのコスプレ衣装そのまんまだった。
「ありがとうございます。何かの折に内輪でネタに使わせて頂きます!」
はーい、美浦トレセンからこんにちは、バーネットキッドです。
追い切りの調教もほぼ終わり、ただいま、目隠しウォークの真っ最中。
「よーしよし、新たな芸も順調だなー、キッド♪」
厩務員君が褒めてくれるのは嬉しいけど……これ、芸なのかなー?
というか、目隠しして引綱を引かれながらタダ歩いてるだけって……なんだろう、何かドッキリでも仕掛けられるのかな?
一応、俺、馬なんだけどね? 馬にドッキリやったらどうなるかくらい、ホースマンじゃなくても理解できると思うんだけど?
……というか、それ以前に俺、そんな目隠しが必要な、気性難な行動をした覚えは『全く』無いんだけどなぁ……しかし、いよいよパパさんの頭髪が危険水域通り越して、焼け野原寸前なんだけど……ホント大変だよなぁ、調教師って。
「キッドは順調か?」
目隠しウォークの調教(?)を終えると、キッドの調教助手のダケさん……戸竹光彦に問いかけられた。
一応、親父……もとい、テキの調教助手として、彼もこれまで何度もキッドに騎乗しているが、ヤツの癖の強さを見越して親父の指示で俺と二人三脚で調教している状態である。
「ええ、とりあえず目隠しウォークを『芸』と認識させる事には成功しました。
ですが秋天以降どうするか、ですよね……多分、これ、一回きりしか通じないと思いますよ?」
「秋天以降は後で考えるしかない。というか、本当に今回に限ってはドコの厩舎も入れ込み具合が半端ないんだ」
「ですよねぇ……」
遠い目で考え込んでしまう。
静舞の悪童……そう言われてきたヤツが、今やG1レース3つも取ったG1馬である。
「なにより連勝記録がな……ほれ、この間の札幌記念で無敗の8連勝でマルゼンスキーやタマモクロスに並んだだろう?
更に次の秋天は戦後初の天覧競馬。『そこで記録更新!』なんてなったら沽券に関わるってんで、もう他所が必死だからな?」
「ああ、なんかTVの特集でやってましたね……デビュー以来無敗の記録が、ルドルフに並んだとかどーとか」
動物番組に出演するたびにカメラに愛想を振りまくような農高出身の芸馬が、あの皇帝と並んで無敗でG1含めて連勝中……しかもクラシック戦線を早期離脱して、同期のライバルと別路線で、双方無双状態とか。
JRAにとっちゃ客寄せパンダとして万々歳だろうが、他所の厩舎にとっちゃ完全に悪夢だよな……
「そいえば、連勝記録って現時点で最大幾つでしたっけ?」
「確か、日本だと中央競馬で11連勝だ。トサミドリとか何頭か居たハズ」
「トサミドリ……確かキッドの血統表の遠いご先祖様の中に載ってましたね」
「戦後すぐの馬だな。確かJRAが発足する前じゃないか?」
「うへぇ……完全に歴史の彼方の世界だ」
「俺もテキも生まれていないよ。逆を言えば、記録しか残ってない大雑把な時代だからこそ出た記録だな。JRAの記録として残っているのだとカブラヤオーの9連勝だな」
「カブラヤオー……」
それだって俺も蜂屋も生まれても居ない時代の記録である。
「なんつーか、オグリの時代の話をキッドとの比較で親父やダケさんに説明されても、イマイチ実感としてピンと来なかったけど……いよいよ本格的に、比較対象が歴史や伝説の存在になって来ちゃったな」
幼駒から面倒を見ている悪童に対して、比較対象がブッ飛び過ぎてしまい、最早どうやって実感を持ったらいいのか見当がつかない。
「そういや、天覧競馬って前回が何年前でしたっけ? 戦前って言ってたから昭和初期?」
「いや? 確か106年前って聞いたぞ? 明治の頃だってさ」
「……ごめん、ダケさん。今ので完全に頭の中の想像力が肉離れ起こした」
自分の貧困な想像力や語彙を、遥かに超えた世界の話に……蜂屋のヤツだったら作家としてこの状況をイメージしながら作品として万人に伝えられるように描き切れるのかなー、とか考え込んでしまった。
10月23日
京都競馬場 菊花賞(G1)
芝3000m(右) 晴 良
『さあ第66回菊花賞、3000メートル、今年は16頭。コンラッド、ヤマトスプリンター、ミツワスカイハイ、ローゼンクロイツ、アドマイヤフジ、アドマイヤジャパン、ディープインパクト、シャドウゲイト、エイシンサリヴァン、レットバトラー、シックスセンス、ピサノパテック、ディーエスハリアー、フサイチアウステル、マルブツライト、マルカジークの16頭によって行われます』
『向こう正面ゲートイン、これからディープインパクトゆっくりと向かいます。
三時現在、入場人員は14万人を超えた菊花賞レコードを記録しております』
『16番マルカジーク、最後のゲートイン……収まりました』
『菊花賞……スタートしました! 揃いましたキレイなスタート。先行争いに入りまして中からシャドウゲイトが果敢に飛ばしていきました、内からはアドマイヤジャパンが前に上がっていく、ローゼンクロイツが追走して、3コーナー、頂上から下りに入ってまいります、ディープインパクトは丁度中段の位置』
『前二頭が抜けまして最初の第一コーナー、カーブを通過。きついカーブを抜けて中間地点、第一コーナーを抜けます、先頭はシャドウゲイト、リードは2馬身、アドマイヤジャパンが追走、7馬身差がついて3番手にピサノパテックが追走で第二コーナー向こう正面に…………フサイチアウステル、そして丁度中段の位置、三馬身差でディープインパクト。ゆっくりと溜めています』
『さあ二周目に入ってまいります、第三コーナーカーブに入ってきますが前二頭リードは10馬身というところになりました。先頭はシャドウゲイト、三コーナー頂上から下り800の標識を切りました、二番手はアドマイヤジャパン、ディープインパクトはまだ溜めています』
『第四コーナーカーブ、これから生垣のほうに入りますが、先頭はシャドウゲイト、二番手はアドマイヤジャパン、6馬身差3番手ローゼンクロイツが先に動いた、ディープインパクト現在7,8番手、外へ持ち出し馬場の真ん中、先頭までは7馬身』
『先頭はアドマイヤジャパン、リードは3馬身といった所ですが、残り200の標識を切った! ここで交わす! ここで交わす! 一気に突き放した! リードは4馬身! 二冠達成!! ディィィィィィープインパクトぉぉぉぉぉぉ!!』
『神戸新聞杯でライバルからのプレッシャーを弾き返したディープインパクト。今度は天皇賞のライバルに『お前はどうだ』と言わんばかりの勝利を魅せました!!』
執筆が遅れてるうちに、その……色々とタイムリーな事に。
さっさと書いておくんだった……