府中市、東京競馬場。
例のマスゴミ騒動に巻き込まれて引っ越した自宅のマンションからかなり近く、電車で一時間もしない……というか、少し気合を入れれば自転車で行ける距離にある競馬場ではあるものの。
これまでのレースで、キッドが府中を走ったのはたった一度、8か月前に共同通信杯を走ったっきり。
縁の浅さ故に、近くて遠い場所で……どちらかと言えば、札幌競馬場のほうが、クアッドも含め、今の所縁が深いくらいである。
というわけで、普段なら電車か自転車で移動する距離なのだが、今回に限ってはバッチリ勝負服姿なので、奮発してタクシーで移動である。
……勿体ねぇ……まあ、スーツ姿そのものが、元来、貴族の社交のためのモノで、従者や召使が居る事が前提の格好だしなぁ。
ちなみに、新野女史とは現地で合流予定である。というか、もう先に着いてるらしく、携帯電話にメールで連絡が来ていた。
……ああ、しかし気が重い。
ディープを避けるためにクラシックから古馬路線に舵を切ったツケが、巡り巡ってこんな所に回って来るとは……正直、人馬共に、ここまでいばらの道になるとは思いもよらなかった。
そんなこんなで、タクシーに乗り続け……って……
「なんじゃこりゃあ!?」
「ああ、今日、天皇賞ですからね……こりゃノロノロ運転になりますね」
「うっわぁ……」
府中に近付くに連れて、絶賛大渋滞中だった。
……そりゃそうだよな……
「そういえば、府中競馬場と聞いてましたが、どこの門で降りられます?」
「あー、すいません、多少時間とお金かかってもいいんで、第三駐車場の中まで突っ込んじゃってください。最悪、二時までに間に合えばいいので」
「はいはい、第三駐車場……は? いや、あそこは馬主専用で、入ったら怒られ……」
「大丈夫です。コレで問題なく通れるハズです」
そう言って、馬主記章とJRAの馬主登録証を見せ……。
「俺、一応、馬主やってて、ウチの馬が天皇賞に出るんですよ」
俺の言葉に、運ちゃんの目が点になった。
「お待たせしました、新野女史」
「!? ……ああ、お待ちしていました、先生」
馬主受付の近くで待ち合わせた新野女史と出会った途端。
……一瞬、なにか物凄く驚かれたのだが……
「……なんというか、キメれば決まるんですよね……先生も。
普段からその姿で生活して下さればモテるでしょうに」
……いえ、新野女史、あなたの化けっぷりには敵いませんがな……などとは言えず。
「冗談言わないでください。
確かにこの仕立服はスーツ姿にしては軽快で快適ですが、だからといって毎日この姿で動いていたら、息が詰まりますよ」
ビジネスマンにとって、スーツはわが身を守る鎧兜に等しいというが。
常在戦場にしたって日常生活を鎧兜姿で常時生活してたら、そりゃ息が詰まってぶっ倒れるわ。
そして……
「おぉ、久しぶり、蜂屋君。元気にしていたかね?」
「篠原会長、ご無沙汰しております」
「おじ様、お久しぶりです」
馬主席で、篠原会長と再会。
「時々、執筆に余裕があると『スパイラル』に足を延ばしてるんですけど、会長とはいつも入れ違いみたいで」
「ああ、ここ最近、私も慌ただしくてね……でも、昔の仲間と出会えたみたいじゃないか? 話は聞いてるよ」
「ええ。またボチボチデッキを組み始めていますが……未だにスタンダードのメタゲームについていけずに浦島太郎ですね」
なんやかんやと、5年以上もブランクがあるのである。
加えて、全ての余暇の時間をゲームに費やすなんて事が出来る身ではなくなってきたわけで。
……気長にやるしかないな……ローテーションの無いレガシーあたりで、何かじっくり考えよう。
「しかし……ふむ。またシンプルな組み合わせだが、キメて来たねぇ。
あのリクルートスーツ姿も、フレッシュマンらしい若い君には似合ってはいたけど、やはり仕立てで決めてくると違うねぇ」
「あははは、勝負服だと思って突っ込んじゃいました……というか、流石にこのシチュエーションで決めて来ないワケには行かないし」
なにせ、106年ぶりの天覧競馬である。
勝ち負け云々以前に、確実に歴史に残っちゃう以上、そりゃもう無理にでもキメて来ないワケには行かない。
と……
「それじゃあ由香里……出走馬主のロビーじゃ、しっかり蜂屋君を支えてやるんだぞ」
『へ?』
会長から振られた話に、二人とも目が点になる。
「……おや、知らんのかね?
東京競馬場の場合、G1レースがある日は『出走馬主ロビーはG1レースに出走する馬主専用になる』んだぞ?
私の馬は今日、2歳の新馬戦と未勝利を勝って、あとは天皇賞の前座の白秋Sだから、今日は私は馬主席には入れても、出走馬主のロビーには入れんのだ」
……はい?
つ、つまり、その……ものすごーく脂っこい眼差しをコチラに向けておられる、オーナー様の方々の群れに、この若造が同行者である新野女史と二人きりで放り込まれるって事!?
……やべぇ!! 去年の朝日杯以降、調整が合えば、園長や篠原会長の太鼓持ちやるつもりでコソコソと影に徹してきたつもりだけど、今度こそG1の舞台で完全ノーガード状態だ!!
「と、突発的に会長の馬が天皇賞に出走して、一緒に出走馬主ロビーに来ません!?」
「蜂屋君……どんな社会的地位とお金を持っていても、それだけでは勝利どころかレースに出る事すらできないのが、G1レースの称号だって分かってるだろう?」
でっ、デスヨネー!!
だからこそ無駄な嫉妬をエライ人たちから買ってる自覚はあるんだよぉぉぉぉぉ!!
「……い、今から回れ右したくなってきた」
「ここまで来て許されるワケないでしょう、先生!
覚悟を決めて! 取って喰われるワケじゃないんですから!」
「喰いそうな爺さんが結構いるんだけど!?」
主にリンちゃんのセールの時に食って掛かってきたあの辺!
おそらく80は超えてるだろうに、無駄にパワフルに首絞めて来た元気な爺さんたち!
他にも、あの時のセールで無駄に注目集めちゃって、正直困惑してる事しきりなのである。『馬を見るコツは?』とか聞かれたって、正直、現役2頭に育成中1頭の合計3頭しかいない零細個人馬主に問われても、答えようが無い。
「あと、先生……非常手段で申し訳ありませんが、おじ様という盾が使えなくなった以上、ここでは恋人として通しましょう」
「はい?」
唐突に、突拍子もない事を言い出した新野女史に、俺は首を傾げる。
「いいですか、先生。
ピッチピチの20代、売れっ子作家、一頭目からG1馬見つける相馬眼、更にG1有力候補の牝馬が控えている。しかも所有馬は過去の伝説から蘇って来たような馬ばかり。
こんな好物件がフリーの独身で、一族のご長老な方々の集まるサロンでフラフラしていたら、粉かけてあわよくば身内のお見合いに持ち込んで……って考える人が何人か出るのが普通です」
「うっ!」
「先生にとって、家族関係とか恋人とかが鬼門なのは、私もよく理解しています。私も仕事が大事なので、当分そういった方面は考えていません。
ですから、ベタなラブコメの出だしとか関係なく、そちら方面に引き込まれそうになりましたら、弾避けの盾だと思って私をしっかり活用してください」
「OK! ポンコツ庶民として、イイトコのお嬢様に縋らせてもらいます!」
恥も外聞も後先もなく、活用させてもらう覚悟を決める。
経験上、こーいう時の新野女史は、正直ホント頼もしいのである。
……っつーか、一応、自分も弾避けに持ってきましたよ……超オタ部屋でフィギュアや漫画ギッシリな、自分の部屋の写真を。
こーいうの、ご老人には不評だと思うし、オタに偏見ある人たち多いだろうから『インスピレーションを得るための仕事道具です』って言い張れば、無理に迫って来る人も減りそうだし。
「じゃ、とりあえず……会長の白秋S見届けてから、出走馬主ロビーに行きましょうか」
「……徹底的に逃げに入ってますね、先生」
「現実逃避くらいさせてよ……っていうか『あの』キッドの馬主として顔出すんだよ?
一応、石河厩舎から『なんとかなりそう』って連絡は来てたけど、モノスゲー不安なんだから」
天覧競馬でナニやらかすか知れたモンじゃない芸馬の馬主として。
微妙に始まった胃痛が、これ以降フルスロットルで加速していく予感が、どんどん確信へと変わっていくのだった。
「よしよし、メンコはいいな」
……はい、パドック入り前の馬装中にこんにちは、バーネットキッドです。
現在、青いメンコを装着して、目隠しされてる真っ最中。
……OK、わかりましたよ……何でか知らん、今日は本気で大人しくしろって事ね?
ディープ相手にした時みたいな、静かな沸かせ方しろって事ね?
「じゃ、パドックに行くからな、キッド……新しい芸を見せに行くぞ」
へいへい……しかし芸とも呼べない芸で、コレほんとにウケが取れるのかね……
で、そのまま引綱で引かれましてパドックに……っ!?
「? ……どうした、キッド」
……いる。
目が塞がれて見えないけど間違いなくいる……何か、アカンヤツがおる……
俺の馬としての第六感が、何か危機的なモンが近くにいると感じてる。
「おい、キッド。行くぞ」
止めろよ……ヤバいヤツの気配を感じるんだよ。ロブロイ親分よりあぶねー気配がピリピリしてるんだよ
「うわ、大人しくなったはいいが、緊張しすぎだ……汗出てきてる」
視線……そう、肉食獣のような視線を感じる。
目隠しの暗闇のなかで、本能が警鐘を鳴らしている。
パドックの周りの人間たちの視線じゃない、多分これ馬の視線だ……誰だ……このヤバいヤツは誰だ!? ロブロイ親分に睨まれるよりもヤベーこの雰囲気は!?
やがて、止まれの合図と共に、鞍上に兄貴が乗り、目隠しが外され……
『ひぃっ!!』
何故……何故貴様がここにいるぅぅぅぅぅ!!
鼻息の荒いスイープトウショウが、周囲に押さえられながら、こちらをガン見していたのである。
「兄貴、スイープに気を付けてくれ。宝塚以降、キッドのトラウマになってる」
「了解、ちょっと距離を取ったほうが良さそうだ。まあ、出走の枠も離れているし、問題ないさ」
呑気に話し合ってる場合かぁ兄弟!!
かっ、返し馬だ! さっさとウォームアップの返し馬に行くぞ兄貴!!
こんなパドックに居られるか! 俺はさっさと逃げさせてもらう!
っていうか、色んな意味でアイツが絡むとやべーレースになるんだよぉぉぉぉぉ!!
そのまま地下道を行き、返し馬で軽く駆ける。
……うん、だからな……スイーピー。こっち見んな。こっち来んな。
ほら、お前さんの鞍上が必死に手綱引いてるだろ? 『止まれ』とか『あっちイケ』って言ってるんだからな? ちゃんと
とりあえず、本日の俺の枠番は、札幌記念に続いて、期待の1枠1番。
なので、輪乗りもソコソコにサッサとゲートインを済ませてヤツから逃げつつ、他の馬が入るのをゆっくりと待……って、おいいいいい、スイープ!! お前2番かよ……嘘だろう!?
……って、いや? 奇数から順なのに何で2番?
周囲の人間も鞍上も必死になってゲートから出そうとしてるのって、ひょっとして……
「下げて! 下げて!!」
「そこじゃない、スイープ、下がって!」
『おっとぉ? スイープトウショウが鞍上と係員の制止を振り切って、勝手に2番ゲートに入ってしまいましたね』
……マジかよ……
「ぶるるるるる♪(会いたかったの♪)」
スンスンとゲート越しに顔を近づけてくるスイーピー。
ひいいいいい! 出せ! ここから出せぇぇぇぇぇ!
ゲートの中で顔を背けて、逃げ出したくなる衝動を必死に抑えつつも。
スイーピーのヤツは隣の2番ゲートの中でガッツリ脚を張って、どうにも動く気配がない。
「ちょ、キッド落ち着け……大丈夫だから」
「ひぃぃいん!!(全然精神衛生的に大丈夫じゃねぇよぉぉぉぉぉ!!)」
「スイープ! こっちじゃない! 下がって、下がって!!」
「ばふぅぅぅぅぅ♪(照れちゃって可愛いのぉ♪)」
結局、ワチャワチャとお隣と一緒になって、数分間、悪戦苦闘を繰り返した結果……。
「すいません!
後ろの扉を開けてもらって、一度キッドをゲートからバックで出させてもらえます?
こうなったらキッド使ってスイープを誘導しましょう!」
「それしか無さそうですね……了解しました!!」
「ごめんなさい先輩! お手数おかけします!」
鞍上の兄貴の言葉に賛同する係の人たち&スイープの鞍上。
このままだと、他の馬たちもゲートイン出来んからレースにならん、って事で、後ろの扉を開けてバックで出る。
で……当然俺についてくるスイープ。
……もうこれしかない……
本来のスイープの枠である14番の隣、13番ゲートに俺が入り。釣られてヤツが自分のゲートに入った所で、後ろの扉を閉め。
んで、俺が元の1番ゲートへと戻って来る。
……なんか閉まった14番ゲートで悲鳴が聞こえるが、無視だ無視!!
『相変わらずモテモテだな、若ぇの』
『うるへーやい、古いの!』
俺をからかいながら入れ違いで13番に入るロブロイ親分に、隣の14番に入ったスイープが『ちょっと! 何で私の隣に、こんな知らないオッサンが入って来るのよ!』と、益々エキサイトしてるのを、必死に鞍上が宥めている。
……まったく、何が悲しうて、現役馬が誘導馬の真似をせにゃならんのやら……ゲート再審査で落ちてしまえ。