「だから無理なモノは無理なんです!」
その日、レース後のキッドの緩い調教を終えて帰ってくると。
JRAのお偉いさんから連絡を受けてる親父……っつかテキが苛立った声で電話口で返事をしていた。
「あー……」
内容は、もう予想がついた。
「お気持ちはよく分かりますよ。私も調教師だからこそソチラの立場は理解しているつもりです。
ですが、キッドがいくら賢いったって馬は馬なんですよ。マシーンじゃないんです。
怖い思いしたらそりゃビビッて嫌がりますよ」
あの天皇賞以降、キッドが目隠しを嫌がって着けるのを拒否するようになり。
更に、無理やり装着したら、途端に動かなくなってしまったのだ。
「どうしてもとおっしゃるならば、有馬もジャパンカップも棄権せざるを……だから無理ですってば! こちらだってペナルティ喰らいたくて申し上げているんじゃない。本当に無理だから無理と申し上げているんです!
大体、ジャパンカップまで一か月も無いのに、本気で嫌がって怯えている馬を、言う事聞かせてレースで走らせろと!?
今の状態じゃ、目隠ししたほうが、かえってパドックが滅茶苦茶になりますよ!? 今年の秋天のアレは、本当に一回限りの飛び道具だったんですって」
ですよねー……
あのレースの後、馬具やらハミやらは素直に付けるけど、目隠しどころかメンコまで拒否するようになったし。
……メンコや目隠し持って近づくと、ぺっぺっぺって唾吐きかけてくるようになったよ。
「……はあ、まあ、最終的に、それしかないと私も思います……はい……はい、そのようにお願いします。お手数おかけします、では……」
そう言って、電話を切ったテキが、俺に一言。
「賢介……調教師命令だ、恥かいてこい」
「は?」
「来月のジャパンカップな……パドック、別周だ。キッド」
「うげぇ……」
覚悟はしていたが、とうとう来るべきモノが来たか……といった感じである。
「有馬に関しては別途検討中だが、とりあえずジャパンカップは海外の招待馬も出てくるからな。お客さんが日本の恥に巻き込まれて大騒ぎになるよりは隔離を選んだらしい」
「まあ、そりゃ無難かなぁ……ってか、皐月賞のレポート、お偉いさんは見てくれたかな? ディープが居たら、あまりそんな事もしない気がするけど」
「だろうな。
今思えば、一番キッドがレースに真剣になっていたのが皐月賞だった……真剣過ぎて、死にかけていたが……恐らく、それだけディープを意識はしているんだろうな。
あとな、賢介。それとは別で、有馬が終わった後、年明けして暫くしたらキッドに仕事が出来た。外に連れて行く予定があるから、覚悟と用意をしておけ」
「外? ドコに行くのさ?」
「……まだ場所は確定していないが、多分都内だ。そうじゃなければ……確か、栃木……かな?
オーナーにも話は通してある」
はぁ?
「え? 栃木? ……足利も宇都宮も、全部閉まっただろ?」
「栃木は僅かな可能性だ。多分都内で済むと思う。
まあ『何かロケっぽいものをまたやる』と思っておけ。あらかじめ予告しておくが、オーナーに聞いてもいいが、多分何も答えちゃくれんぞ?」
……その親父の答えと態度に、何となく答えを察し……
「……はぁ、分かった。
聞かれても『なんかロケっぽいのやるらしい』とだけ答えろ、って事ね?」
「まあ、正直、今のキッドの立ち位置はJRAの宣伝馬だからな……ちょっとしたアイドル活動だと思え」
そう言って、親父は窓の外を、遠い目で見てた。
「まあ、バーネットキッドに関しては『私たちが育てた』というよりも『何かが取り憑いた』としか言いようがないんで……『同じ馬をもう一度種付けして再現を』と言われても正直、無理ですね」
主たる業務である学校の授業が終わっても、放課後の定時に仕事がすぐ終わるか……といえば、日本において教師という職業はそんなに甘くは無く。
ましてや生き物を相手にする静舞農業高校の教師は、時には生徒を夕方や夜中に駆り出して作業をせにゃならん、なんて事もままあるものの。
正直、こんな僻地にこんな時間にやってきた取材者に、インタビューを受ける事になるとは、私――牧村紀臣が研究者を辞めて教師を始めるに当たって、思いもよらなかった。
「そもそも、環境や人間を再現しようにも、育てた生徒たちもとっくに卒業しておりますし……何といいましょうか、
無論、学校として誇るべき成果ではあるものの、教育者として『それでいいのか』と悩むといいますか……うん、当時、生徒たちも馬も、色んな意味で
ただまぁ、我々も手をこまねいているワケではなく、それ相応に対処していく事を目指して、設備や人員の充実にカリキュラムの更新などを、日々行っていってるワケでして」
そんな感じでインタビュアーに答えているものの……正直、あの当時の生徒と馬を『同じ状況でもう一度担任として面倒を見ろ』と言われたら、100%辞表を出す自信がある。
中でも、最近発覚した……蜂屋のヤツが『学校のパソコンで時々『オランダ等』に行っており、更に一般的じゃないアクセス履歴の『キレイな消し方』まで下級生に代々その方法を伝えていた』事実は、再会したら問い詰める必要があるな、と思っていたりする。
……うん、来年、赴任してくる予定のIT関係の専門家の先生が、下見に来た時に割と舌を巻いてたし。学校のパソコンをニコイチサンコイチで修理していた事を話すと『彼はもう学校レベルのIT授業は要らなかったんじゃ』って言ってたな……
「そういえば、画期的な方法ですよね。
生徒たちに飼育してる馬に関してのレポートを、班ごとにテーマを決めてブログとして書かせるのって。確か今年はセイウンスカイ産駒の『クモちゃん』でしたっけ?」
「そうですね。
何といっても馬産を学ぶ以上、セールで売るまでが授業なので……こう、緩めのカワイイ系のネタから、学術に基づいたレポート風のモノまで、多角的な宣伝になればと思いまして。
バーネットキッドのように、こう……マスに訴えかけるにはテレビなんでしょうけど、時間的費用的に現実的じゃありませんし、そもそも『競走馬を買おう』って需要は絞られますから、その絞られた需要を満たすのならば、宣伝としてネットが手早いんじゃないかと思いまして」
……言えない。
本当はあの時慌てて確約した『産駒の育成状況のレポートを、随時ネットに上げる』と言ったものの。
レポート内容で生徒同士が分裂した結果、取っ散らかりまくり過ぎて『じゃあお前ら好きなネタでグループ作って各班で別個にブログにあげろ!』とヤケクソになった事を。
「無論、我々としても初めての試みなので、試行錯誤しながら教師生徒共々、手探りの状態なのですが……それだけに教師の側にとっても、学びの多い授業実習になりつつありますね」
「ITと馬産の融合ですか……本当に未来的な試みをなされておられますね」
「まあ、参考にしようと思って調べたのですが、やってる所はまだ少ないみたいですね……今の所。でもこれからは主流になって行く……と、面白いかなぁ、とは思ってはいますが、どうなんだろうなぁ。
なにしろIT産業自体が過渡期のモノですから、そこまで広がるかは分かりませんし、もしかしたら数年後には需要が無くて打ち切り、ってケースもあるかもしれませんし」
というか、俺自身だってパソコンは専門家じゃねーから、ホント困ってんだっての……ホームページを作ろうにも『HTTPって何ぞや』って輩が先生生徒含めて大半だったし、学校のIT授業なんて数年前まで、一太郎のタイピングとお絵かきソフトで絵を描くくらいだったんだぞ?
だからこそ、初心者にも分かりやすく扱いやすいブログ(?)ってシステムを蜂屋が教えてくれなければ……ああ、その点は再会した時は考慮する必要があるか……
……後に。
良くも悪くもいろいろと『伝説』の爪痕を残していく、静舞農業高校の産駒育成ブログの。
これが最初期の、まだ平和な時代のお話であった。