走る。
この坂道を一気に駆け上がる。
イメージするのは、この間の秋天。
たった2000の短い距離で、後続のスタミナを削り切れなかったとはいえ、純粋に末脚勝負でああも迫られた。
中でも……
「そら、スイープが来たぞ」
鞍上の厩務員君の合図と共に、イメージと肉体を加速させる。
当然の話だが……厩務員君のほうが、本来の相棒である兄貴より『重い』。そもそも成長にダイエットが追いつかずに、騎手をあきらめた経緯があるのだから当然だ。
そのハンデを込みでの……ウェイトトレーニング。
競馬は、乗っかる重さが1キロ重ければ0.2秒の差が出ると言われている。
現役騎手である兄貴よりも、弟のほうが4キロ以上は重たいのである。
ちなみに、本日、調教助手のダケさんは厩舎の別の馬で、兄貴は……主戦を交代したストーミーカフェ君の調教中。
ただし、カフェ君はあの秋天以降、G2、G3中心の裏街道を行くことが決定したらしい。無論、同じ美浦なので時々、調教は一緒にこなすものの『もうお前と一緒にレースを走る事は、ほぼ無い』と語っていた。
だからこその『鞍上の交代だ』とも。
その言葉に一抹の寂しさを感じながらも。
今、坂路を駆け上がりながら、トレーニングを受けながら俺の頭を占めているのは、あの秋天の最後の直線だった。
「そら、キッド! あと少しだ!」
『ぬおおおおおお!!!』
色々とあったとはいえ……それでもあの時のスイープの末脚は凄まじかった。
否、スイープだけではない。
純粋に『アレがG1級古馬の末脚か』と思い知った。
ロブロイ親分含めて、秋天は本当にやばかった。
そして……俺はソレよりヤバい末脚の持ち主を知っている。
ヤツならば、上がり3ハロン33秒台なんて『生ぬるい』事は言ってこないだろう。中山の2500でも32……否、事によっては31台すらもやってのけるのでは、と予感し、恐怖している。
それに対抗するためにも、ひたすらトレーニングあるのみ……って……
「ほら、キッド。もうおしまい、坂路はおしまいだよ!」
えー、もう一本行こうよー……美浦の坂路緩いから不安なんだよー
「ダメだよ、ケガしちゃうぞ。屈腱炎とか裂蹄とかシャレにならないんだから」
……ちぇー……しょうがない、泳ぐか。
「集中してんなぁ……」
調教を終えて、のんびりと放牧場をふらふらしているキッドだが。普段ならばアクビをしながら『芸』の修練に勤しんでいる所を、ここ最近はのんびりとクールダウンするように歩いたり、ノビをしたり、ぼんやりと休んだりするだけである。
というか、ここ最近は坂路も周回も『もっと、もっと』とせがんでくる程だ。……あまりにやり過ぎると裂蹄や屈腱炎が怖いので、余った元気は全部プールにぶち込んでいるが、何やかんやと騎乗していてもキッドの本気が伝わって来る。
「決戦が近いのを、認識しているんだろうな」
有馬まであと2か月を切り。ジャパンカップは1か月を切っている。
思えば。
幼駒から面倒を見た馬がG1に行くなんて……厩務員以前に、馬に関わる人間としては物凄い幸運なんだよな。
なにしろ競走馬というのは、五体満足無事に生まれてくるか否かで運命が大方決まり、更に馬主に見染められて買われるか否かで篩にかけられ、そして競走馬としての訓練を受けて試験や検査で落第したら競走馬になる事は叶わず、試験を越えて無事デビューを果たしたとしても新馬戦や未勝利を3歳の8月までに勝ちあがらねばならず、更に獲得賞金を重ねながらOP戦を乗り越えて、晴れてG2、G3に挑む権利を有し、そしてそれらG2、G3を『予選』として潜り抜けた所で、晴れてG1の舞台に立てる。
そう、G1レースの舞台に立つだけでも、物凄い淘汰と競争の嵐である。
そして、そんなG1の舞台を……こいつは鼻歌交じりで芸をしながら無敗で4度も制しやがったのである。しかも新馬戦から9戦無敗というJRA記録つきで。
「……うん、まあ……あの馬主にして、この馬あり、だよな」
何しろ、俺は……俺自身の腐れ縁を差し引いて考えたとしても、今の蜂屋以上の馬主を他に知らない……なんて言うと、アイツは手を横に振って苦笑いをするが。『とぼけた顔してババンバン』なんて缶コーヒーのCMみたいな性格を地で行ってるヤツなので、全く油断できない。
少なくとも、持ってる馬の数よりもG1タイトルの数が多いなんて馬主を、俺はTVゲーム以外で他に知らない。
「さて、と……」
休憩を終え……ふと、厩舎の調教予定表を見て、気づく。
栗東から?
……クアッドの鞍上、栗東の人になるんだ。美浦の誰かかと思ってた。
と、言っても、来るのは不定期に月曜や火曜日……すなわち、関東でレースがある日の帰りに、美浦に寄って時々調教に参加していく形になるようだ。
しかし、それにしても、わざわざ栗東から大変だなぁ……と、その時は気にも留めていなかった。
後に、俺は思い知る事になる。
クアッドターボもまた……あの怪盗の全血の弟であり、オグリの孫であり……あの『蜂屋源一が見出した馬だった』という事実を。
「先生……」
「新野女史……」
とある日の昼過ぎ。
やや遅めの昼食を新野女史とレストランで摂りながらも。
互いに真剣な顔で向かい合いながら、緊張した顔で……
「ボツです」
「デスヨネー……」
ノートPCの画面に映る、原稿を見た新野女史が、あっさりと言い切った。
「先生、時間や肉体的には兎も角、精神的に余裕がなくなると本当にクオリティ落ちますね」
「分かってるんですよー……このままじゃダメだってー」
「……少し休載されます?」
「そりゃ迷惑でしょう? 今、穴開けたら大変じゃないですか」
「半端な原稿を持ち込まれるほうが迷惑ですよ」
「デスヨネー……分かってはいるんですけど……その、前ほど外に気軽に出られなくなって」
「ああ……」
マスゴミ共の裁判沙汰は、刑事のほうは完勝と言っていいレベルで終わり、あとは民事だけ……となったはいいが。
いろいろと判例として画期的な判決が下った結果(なお、内容に関してはテレビ新聞各社共に『報道しない自由を発動』)逆に民事で巻き返しを狙おうと、へんなカメラがウロウロし始めて、本当に困っているのである。
「……あー、このままエロゲ買いにアキバ行きてぇ……」
「先生……」
「分かってますよぉ……」
何しろ、コンビニで買い物してる所すらカメラで撮られてるし、風呂屋に行った時など風呂に入ってる間に服が盗まれるという事態にすら遭遇してるのだ。
……財布や携帯なんかの貴重品は番台に預かってもらっていたから無事だったものの、もう気軽に風呂屋にも行けねぇ……。
で、色んなものを通販なんかに頼らざるを得なくなるが……まあ、ハズレ引いた時の精神的ダメージのデカい事デカい事。
やっぱショップうろついて直で観察しないとなぁ、ホント……
「うーん……思ったんですけど。物語としてキャラを動かせる状態じゃないのでしたら、いっそのこと、実際にあった事を書きません?」
「実際に?」
「エッセイですよ。
正直申し上げて、成人年齢の二十歳まで、私が知る限りでも波乱万丈すぎる人生送ってるじゃないですか? デビュー前の小中学や農高の頃のネタとか一杯あるんじゃありません?」
「えええええ……って言っても……農高行く前の頃の面白い話とかになると、犯罪歴の暴露に近い話になるから、どれがどれだけ時効になっているかも、分かったモンじゃないんですけど?」
カラオケボックスにパソコンとモデム持ち込んで、無邪気にカラオケ機材に繋がってる電話線抜いて、モデム直結してやらかしたアレヤコレヤとか。不正アクセス禁止法が施行される前の話なので、ざっと5年くらい前だから『当時は合法』だったけど……うん、まあ『ルールや法律が無いから裁かれない』なんてナメた生き方してると、後で絶対にヒデー目に遭うって学習したのも、この頃である。
「……一体、何をしたんですか、先生!?」
「基本、俺じゃないよ。
ただ、俺のパソコンの師匠がハッカーやっててねー……何に首突っ込んだとかドコの誰を怒らせたかは知らないけど、あの人最終的に、明らかに堅気じゃないブラックメンな方々にアブダクションされて行方不明なの。
そん時に、俺個人も……まあ某漫画のベニーさんが『マフィアとFBIを怒らせて、トランク詰めで
正直、師匠を拉致った相手の正体が、公安だろうがCIAだろうが裏社会の何かだろうが、多分、ロクな所に連れて行かれてないだろうな、って思うし。下手しなくてもコンクリブーツ遊泳とかグアンタナモ的な所にご招待とか、そーいった話になってもおかしくない。
ほんと、思い知ったよ。『法律が無いなら何やってもいい』じゃないんだよ……法律が無いって事は『法律に守ってもらえない』『公的なモノに守ってもらえない』って事なんだよ。『何かあったら信頼できるお巡りさんがやって来る』って状況は、まだ幸せなんだぜ?
というわけで、少なくとも俺は、自分が『腐敗と自由と暴力の真っ只中を駆け抜けられる、世紀末救世主ではない』という事は、身に染みて理解しているのであり。
だからこそ『法律を飛び越えた世界の経験者』が大勢おられるであろう馬主席が、恐ろしくて仕方ないのである。そもそも、TVゲームも含めた娯楽産業全般が、発生源を辿れば8割超えてテキヤや博徒なんかのヤの方面に絡んでくるし。
……うん、あの時代のインターネットに関しては、ダークサイドに関して本当に色んな事が合法でヒャッハーで、色んな意味で『世紀末』だったからなぁ……開設当初の2chとか……今のほうが酷いか。
「そもそも、師匠に弟子入りして自作でPC作ろうとしたのも、当時、河原で拾ったエロ漫画雑誌のコラムに紹介されてたエロゲを、18歳未満でプレイしたい一心だったしなぁ……ってわけで、小学校高学年~中学生編でエッセイ書くと、割とソッチ方面の『当時は合法、現在非合法』のあぶねーお話になっちゃったりするんですけど、それでも掲載してみたいですかね?」
と……
「ソレ、元ネタにできません?」
「はい?」
「だから、確か長編で、情報屋の盗賊魔法使いが居たじゃないですか、ゼルダイン。
彼の師匠と弟子の関係で、当時は魔道協会で禁呪指定されていなかった危ない魔法を使ってた話とか、風呂覗き用の透視魔法を覚え始めたのが、情報屋としての始まりだったとか……そういったお話にすれば、創作として先生の体験を落とし込める気がするんですけど?」
「あー……なるほど!」
流石、新野女史!!
ものすごく的確なアドバイスに、思わず納得してしまう。
と……
「しかし、本当に重症かもしれませんね、先生」
「へ?」
「こんな風に、ディスカッションでほじくらなくても、以前ならば簡単にこの程度のネタが自分から出てきたじゃないですか?」
「う……」
まあ、色々疲れてる事は事実である。
「今は年末なので忙しいタイミングですが……本当に年明け前後で、休みを取る事を考えてくださいね、先生」
「……あ、その年明けなんですけど。
詳しい連絡はマダなんですけど、元旦過ぎて数日後に、ちょっと馬主業でひと仕事あるので、ジャパンカップと有馬と朝日杯の後に、お付き合いお願いします」
「了解しました。
……はぁ……にしても、全部G1レースの馬主席ですか……おじ様も心配してましたよ?」
「あ、やっぱり?
……まあ、馬主二年生が普通、入れる場所じゃないものね……」
というか、一昨年キッドを買った時は、こんな事になるなんて思わなかったよ! 正直、OP戦を勝ってくれたら万々歳、くらいに思って居たんだって。……まさかキッドがあんな連勝かまして社会現象に近いモノになるなんて、馬主の俺自身がわけわからないレベルである。
「正直、篠原会長にG1馬主の心得とか教えて欲しいくらいだよ……馬主の経験値、結構あるんでしょ?」
「おじ様は20年ほど馬主をしておられますが、G2やG3の経験が片手で数えるほどで、しかも勝利はG3が一度だけだそうですよ」
「うへぇ……これでジャパンカップと有馬をキッドが勝ったら、どんな顔すりゃいいんだろ」
その言葉に、新野女史は暫し考え込み。
「笑えばいいと思うよ」
「引きつり笑いが既に限界でございます」
そう返事を返し……ネタだと気付くのに時間がかかってる事実に愕然とし。
「だめだ……有馬終わったら、ホントに新年から少し休ませてください、新野女史」
「そうなさったほうがよろしいかと。正直、編集部も心配していますよ」
「うへぇ……ご迷惑をおかけします」
感想欄にもありましたが……『書けば出る』というか、物語が現実と変なシンクロをしててビックリしています。
おかしい……どう見てもリアルから外して『こんなやつ(馬)いねーよ』と笑い飛ばせるようにファンタジー大目に描いてるつもりなのに、こんなハズじゃあ……
祝、アプリでスイープ実装。
でもスキル構成に『熱いまなざし』って……以前、ネタにした『シン・第46回宝塚記念第二レース』で、先頭を逃げるキッドに『熱いまなざし』が17人分集中砲火される図が……自然発火待ったなしの焦熱地獄かな?