「……思ったんだけど、馬主席に行くのって、義務じゃないよね?」
ジャパンカップ前日。
ふと、重要な事に気づいて、俺は打ち合わせにファミレスで食事をとりながら、完成原稿のデータを渡した新野女史に問いかけた。
「何を考えているんです、先生?」
「いや、物陰のダンゴムシみたいな性分の自分にとっては、勝った時の撮影だけ顔出して、あとは場内の人込みに紛れて過ごせば、朝から遊んで過ごせるかな、と」
そう、提案したものの。
「過ごせはするでしょうけど、当日の人混みを甘く見過ぎです。前回、馬主が歩くルート以外、コミケ並みかそれ以上の状況だったのを覚えておられませんか?」
「う」
「以前、先生が散歩がてら自転車で出かけて遊んだ、週末のレースとはワケが違うんです。その証拠に秋天は周囲の道路そのものが大渋滞だったでしょう?
……まさか先生、明日、府中に自転車で乗り付けるなんて事はしませんよね?」
「やっちゃヤバいか?」
ちゃんと駐輪場の情報は仕入れて覚えたから、前回みたいに高級車が居並ぶ馬主専用駐車場にママチャリが置いてあるシュールな事にはならないと思うのだが。
「……仕立服は既製品より自由度が高いとはいえスーツですから、自転車を漕ぐようには出来ておりません。府中に着く頃にはズボンが滅茶苦茶になりますよ?」
「……ダメか」
「ダメです」
うーん、ボツか。
チャリで行くには軽い運動に丁度いい距離なんだけどね……府中。
「はい、じゃあ本日で作家業のほうは年内分は終わりで、あとは12月の頭のラジオの収録と馬主業ですね。
……ところで先生。
先日府中に現れた、『妖怪単勝馬券転がし』の噂について、ちょっとお話があるのですが。なんでもその妖怪は、馬主専用駐車場から自転車漕いで帰って行ったとか」
「新手の都市伝説ですか?」
はて、身に覚えがござらんのぉ?(すっとぼけ
「先生。『千円分の馬券を第8から12レースまで単勝で買って遊んで帰っただけ』とおっしゃいましたよね? 具体的にどういう『買い方』をなさったのか、ちょーっと白状したほうがよろしいかと」
「……ちゃんと税理士さんに領収書とかの書類ぶんなげましたよ。『一時所得で処理してくれ』って」
「つまり『税務申告が必要な程の勝ち方』を馬券でされた、って事でよろしいんですね? 少し調べたのですが、あのレースで万馬券は出ていなかったと思われるのですが」
「単勝で万馬券が出たら、ニュースでしょ?」
「だから、千円で単勝しか買ってないのに、伝説になって税務申告が必要になるような摩訶不思議な馬券の買い方をどーすれば出来るんだ、と問い詰めているんです!!」
「そんな不思議な事はしてませんよ。
乗数計算方式で、こう……最初の千円から端数を端折って配当金、全額ぶっこみ続けて、最終的に約150万ほどに」
そう言って、持ち込んだパソコンの電卓で倍々計算を繰り返し、当時のお金の動きを説明すると。
新野女史は頭を抱えて机に突っ伏して。
「……先生」
「なんでしょう?」
「つまり、先生は……ママチャリで府中の馬主専用駐車場に乗り付けて、千円から始めて単勝馬券を全額転がし続けて150万まで増やして、そのまま自宅までママチャリ漕いで帰っていったと?」
「そうなります」
「『そうなります』じゃなくて! 都市伝説の妖怪の所業そのまんまじゃないですか!!」
「だから、次からはちゃんと駐輪場に停めますよ」
「そういう問題じゃありません!! 都市伝説になっちゃってる事が問題なんです!
……信じられない……どうしてこう……時々『何か』ズレてるんだろ、この人……っていうか、ホントにやったんですか? そんな事が可能なの?」
「……なんなら、明日のレースで再現してみせましょうか?」
「できるモノならどうぞ!?」
ヤケクソ気味に、新野女史が言い放つ。
……よし、その言葉を忘れるなよ……?
「じゃ、明日は1レース目の前から、早めに府中に行って馬主席で待ってますね」
「申し訳ございません! 私が悪かったです! もう止めましょう! 降参です、降参しますから!!」
翌日。
早めに府中に行くと、馬主専用のパドックや馬券売り場で、第1レースから7レースまで1000円から単勝馬券を『転がして』遊んだ結果……3億くらいになっちゃった所で、連絡を受けて状況を知った新野女史とJRAの職員が真っ青な顔で馬主席にすっ飛んできて頭を下げてきまして。
……なんか、JRAの払戻金の新記録とか言われたけど、自分でもびっくりだわ。
というか、流石馬主専用の馬券売り場、数千万の賭け金とかフツーに受け付けてくれるのな……世界が違うわ。
しかし、2レース目の単勝10倍と3レース目の30倍とか来たのが大きかったなー……4レース目くらいで150万を超えてからは、ホント育つのが早いっつーか……流石ジャパンカップに併設されているレースなだけあって、気合の入ってる馬や騎手たちの多い事多い事……普段やる気出してないであろう輩まで『走りたそう』な雰囲気がビンビン伝わってくるのよ。
「じゃあさ、この3億……キッドに突っ込むから、これで最後にさせてくれない? ジャパンカップだし、賭け金の総額からしていきなり1倍以下に落ちる、って事は、まず無いと思うんだ」
「まだやる気ですか、先生!?」
「えー、だってさー……どうせ元金千円だし、ここまで育てたのなら見てみたくなっちゃって」
「何を!?」
「今まで、G1レースでキッド、一度も一番人気になってないんだよ?
馬主としてちょっと悔しいから、丁度いい機会だし、ちょっとだけ遊びたくなっちゃって……どうせあぶく銭だし、無くて元々だから。ダメ?」
「……はぁ……お好きにどうぞ」
そして……
一般客
「なんだなんだ、いきなりバーネットキッドが一番人気になったぞ!?」
「ヒシミラクルおじさんがまた出て来たのか!?」
耳ペンガチ勢
「おい、アルカセット買いだ買い! 単勝を追加で一万だ!」
「ゼンノロブロイから追加で流すぞ! 誰か知らねぇが強気であの芸馬にブッコんだ、アホなファンが出たみたいだぜ!?」
「今度こそワシらの養分じゃーい!!」
家族連れ等のライト層
「キッドが単勝で一番人気になったんだって」
「応援馬券買った人たちが多いんだなぁ」
「よーし、パパも応援馬券でキッドの単勝買っちゃうぞ~♪」
『ちょっとした』……と文章的に誤魔化す事も出来ない程の大混乱が始まってしまい。
対応に大わらわになるJRAの職員たちを見て、物凄く後悔する事に。
「……ごめんなさい、新野女史」
「何でしょう?」
「お金ってやっぱ怖い……もう億とか行ったら普通に打ち止めにする事にする。
正直言うと、キッドに年収負けているから『これなら』と思って頑張ったけど、流石に懲りた。もう馬券買うの止めるわ。
こんな混乱を引き起こしておいて『ワイングラス持って高笑いしながら馬主席から群衆を眺める悪役』には、俺は成れないよ」
「普通は十万の桁で止めるのが常識です!」
「そうなんだよね……何でここまでやっちゃったんだろ。やっぱ意地になると人間引き際を見誤るよね……」
と……
「……珍しいですね」
「ん?」
「先生が『誰か』相手に、ムキになって対抗しようとするの」
「あー……なんつーか……俺の中で悪友みたいなもんでさ、キッドって。
だからこそ、キッドが稼いでくれるのは嬉しいんだけど、元々キッドが『稼げなくても最後まで養ってやるよ』くらいのつもりで居たからこそ……逆に今の状況が『俺がキッドに養われているようで』しゃくだったんだよ。
……うん、もうこんな事、二度とやりません。ムキになり過ぎました。反省してます」
かくして。
府中に現れる『妖怪単勝馬券転がし』は、馬主席に封印されたのであった。