トレセンの朝は早い。
馬の起床時間は厩舎によっては3時を切る事もあり、遅くとも4時には朝の食事やら検温含め諸々の検査やらを終えて、馬場へ調教に向かうのが普通であり、それは栗東も美浦も変わらない。
だからこそ……
「……毎度ながらほんと気持ちよさそうだな……ドコに野生を置いて来たんだコイツは」
周囲の馬房が起床時間でバタバタする中、一切動じる事もなく『ふごごごご、ずごごごごご』とイビキをかきながら、馬房の奥で横になって幸せそうな寝顔で寝てるUMAを見て、担当厩務員の石河賢介は『寝藁より枕でも差し入れたほうがいいんじゃ?』と呆れ返る。
「幸せそうだねぇ……何時もこうなの?」
「放っておいたら日が昇る8時くらいまで起きませんよ……無理に起こすと不機嫌になるから、併せ馬で早起きする時の目覚まし役は、常に俺が担当です」
「そうかぁ……ちょっと乗ってみたかったなぁ」
「ダメです。クアッドで我慢してください……っていうか、宣伝で『殿』を乗せて以降、美浦の騎手みんなに言われているんです。ホントにキリが無いんで勘弁してください。
あと、大体、他の馬たちの朝の調教が終わってから起きて来るから、うちの厩舎でコイツだけ本当に生活サイクルが違うんです……まあ、お陰で新人の俺でもキッドとクアッドと両方担当出来てるんですけど」
「……その調教をちょっと見せてもらうわけには」
「ダメです。どうしてもというのなら、ディープの鞍上を降りてからです」
そう言って、わざわざ栗東から美浦まで足を運んだ、クアッドターボの新たなる主戦騎手……館ナユタに釘を刺すのだった。
(え?)
騎乗して馬場に入り、クアッドターボの鞍上で感じたのは、競走馬としての力強さと『違和感』。そして意外なまでの『素直さ』だった。
(逃げ馬……いや、絶対違うだろ、これ!?)
新馬戦、2歳Sと、兄を彷彿とさせる大逃げからの押し切りで勝っているために『弟もそうだろう』という先入観からの判断は、ウッドチップのコースを半周もしない間に、消え失せていた。
『はい、そこからスパート!』
インカムからの指示に従い、手綱をしごいて加速するクアッドターボ。
前を走る調教助手の騎乗する一歳年上のストームシャリオを、1600を想定した距離で、一瞬で抜き去っていく……
(っ!? これは……これほどとは!?)
『どうしますか、あと何周か、感触をつかむために乗られますか』
『お願いします』
そして……予定していた調教を終えた時には。
疑問は確信へと変わった。
「いかがでした、クアッドターボの感触は?」
調教を終え、石河調教師に問われた『天才』は、素直に答える。
「失礼ながら……所属の石河騎手からボクを指名して交代された理由が、良く分かりました。
兄譲りの走りの力強さもさることながら……本当に『素直』ですね、凄く。これは逃げ馬にしておくのが勿体ないですよ」
「ええ、クアッド最大の武器は『ソレ』です。
だからこそ勝ち方を沢山知っているベテランに任せるのがベストだと思いまして。というか……調教師として恥ずかしながら『分からなかった』んですよ。気性的にも脚質的にも『この子の一番の適性が』。
逃げ、先行、差し、追い込み……四つ全部の『脚質適性』を示されて、本当に困ってしまいまして……こんな事は初めてで、私も凄く迷っていまして」
「なるほど。素質もさることながら気性が素直で脚質の幅が広く、あらゆるレース展開で勝負の出来る子……ですか。確かに『何でもできる』からこそ『最大限の力を引き出そうとするならば』逆にベテランの騎乗が求められる子ですね」
「ええ、折り合いの付けやすさから、成長を期待して新人を乗せる事も考えたんですがね。
新馬戦やOPまでなら地力の素質でどうにでもなるでしょうが、思うにこの子の本質は、あくまで唯我独尊な兄と違い『他の馬と駆け引きの中で勝負する馬』だと思うんです。そしてこの子はオープン馬で留まる馬じゃない……だとするなら、無理を承知でも館さんのような引き出しの多いベテランを頼むべきかな、と思いまして」
「ああ、そういう経緯で……いや、しかし力強さもそうですが、正直オグリを思い出す素直さですよ。手綱の指示通りに言う事を聞いて、思った通りに動いて止まってくれる。折り合いの付けやすさはぴか一です。正直、オグリの『正当継承者』ってこの子なんじゃないのかな?」
と……
「キッド、こっちはダメ、道草を喰わないの、朝メシ喰ったばっかだろ?」
「ぶるるるる……(ええやん、腹減っとるねん)」
「プール行くぞプール、朝の日課」
「ふぁぁぁぁ(しゃーないのぉ……眠い……)」
丁度、厩舎からバーネットキッドが、盛大なアクビをしながら、石河弟に連れて来られた所だった。
「あ、お疲れ様です」
「や、おそよう。キッドはこれから調教?」
「の、前の下準備です……プールに浸けて軽く泳がせてからですね。
心臓も性格も太すぎて色んな意味で『寝起き』が悪いんですよ、こいつ」
「ぶるるる(おりょ? 何で美浦に館さんがおるん?)」
「ぶぼ(兄さん、次にボクに乗る人みたい。兄さんの上の人より軽い感じ)」
「(ふーん)」
「……なんだろう、キッド君に凄い見られてるな」
「そりゃディープの鞍上だって覚えてますよ……こいつ凄く頭いいですから」
「ぶるるるる(ふーん、弟に乗るんだー……クアッド、この人凄く上手だから、ちゃんと言う事きいてあげなさい)」
「ひん(うん、兄さんの鞍上より色々言ってくるけど、その分凄く面白い)」
「ぶふぅ(そっか、頑張れー)」
「うわ、兄弟で仲いいねー、グルーミングし合って」
「母校でも仲良かったですよ。キッド、それくらいにして、行くよ」
「ばふっ(あいよー)」
「しかし、初手からプールって……聞いた事ないな」
「シャワー浴びせた程度じゃ起きないんで、もう最終手段なんですよ。
さっきも言った通り、基本的に朝は滅茶苦茶ズブいんで、念入りにウォームアップしないと、調教で本調子が出ないんです。……それでもレース前になると分かってるのか、自分で体を作ってくれるんで、助かってるんですけど。んじゃ、失礼します」
そう言うと、美浦で一番遅い調教に、キッドは向かっていった。
「ふーむ……」
その姿を眺めながら、館は考え込む。
放埓な兄と優等生の弟……同血でありながら、実に対照的な性格と才能。
だが……
「参考までにお尋ねしますが、兄のキッドも差しや追い込みが『全く出来ない』ワケじゃないんですよね? 札幌記念で見せてるし」
「常時出来るならやらせていますよ。
なんといっても性格がね……ああ見えてキッドは走る事にかけては本当に頑固ですから」
「なるほど」
さて……クアッドの鞍上として、どんな騎乗をするべきか……
かつて、テン乗りで騎乗した『母父』で大失敗をした記憶を片隅に置きながらも、館は朝日杯でのプランを練り始めていた。
その日。
公民館の貸し会議室の一室に満ちた緊張は、最高潮に達していた。
カードショップ『スパイラル』の主催する月例大会。
エクステンデット、スイスドロー6回戦後、トップ8によるシングルエリミネーション。決勝戦の3ゲーム目。
即ち……一勝一敗で迎えた、大詰めの三本目。
先手はこちら。
デッキをシャッフル。互いにカットし、カードを7枚ドロー。
……よし!
「はい、マリガン無しで……じゃ先手1ターン目、セットランドからフェッチ起動で島もってきて、天使追放してクロームをプレイ。島とクロームから2マナ出してセプターをプレイしたい」
「OK、出ました。刻印は?」
「オアリム」
こちらの宣言と同時に、数秒、沈黙が落ち……
「……うん、無理だな。投了します」
その日の集まった54人の頂点を決めるべく、一日をかけた一髪千鈞の勝負の行方は……僅か1ターンで決した。
……流石、古参の現役……判断が早いなぁ……
そのまま『ナイスゲーム』と対戦相手と握手を交わし、表彰と決勝まで店に残った参加者たちの拍手。
そして……
「まったく……復帰して半年もせん内に、セプター振り回して楽しいか、我が弟子よ」
「そっちこそ情け容赦なくマッドサイカ振り回しといて何言ってんですか。
大体、中坊のクソガキに鬼の如きバウンスステイシスを掛けてフルボッコにしたのが師匠なんですから、当然でしょう」
久方ぶりに再会した、決勝の対戦相手だった『カードゲームの師匠』と一緒に、ファミレスで軽く検討会という名の打ち上げを行っていた。
「その二週間後に俺を含めショップの常連全員ガンメタしたような、ワケの分からんエルフデッキを組んで来やがった弟子が何を言うか」
「そりゃ師匠含めた、当時のホワイトロータスの面子の、素ン晴らしい教育の賜物ですとも♪」
中坊のクソガキだった俺に対して、当時のスタンダードで鬼畜ロックや瞬殺コンボを叩き込みまくり、このゲームの暗黒面……もとい、真髄を見せつけてくれた方々である。
むしろその期待と思いに応えて(ぶちのめして)やらねば不作法というモノであろう♪
「……うん、ごめん。教育を間違えたのは素直に認める。アカン真理に目覚めさせたのはホント悪かった」
「はっはっは、知ってますか、師匠。
人間、弟子も子供も、師匠や親の言う事を聞くんじゃなくて『真似て』育つんですよ♪」
「それは絶対断固として抗議する。
俺はお前みたいな、アンリマユ並みに存在自体が根本から邪悪なプレイヤーじゃない」
「……じゃ、今のスタン環境でエクテンのセプター並みに使い物になるロックコンボが帰ってきたら?」
「使うにきまってるじゃないか」
実に禍々しい条件反射的な速攻の回答。
パソコンの師匠も割とそうだったが、この御方も実に我が『ロクデナ師』と呼ぶにふさわしい御仁である。
……ああ、ひっさしぶりだなぁ、このやり取り。ほんと中坊のクソガキだった頃を思い出すわ……
「しっかし5年でプレイする環境そのものが全く変わりましたよねぇ……公園のベンチや階段の踊り場でプレイする事も無くなって、渋谷のアソコは無くなって、スリーブやファイルも一般化して、もうショップ内でのトレードはドコもお断り状態とか」
「まー、ネットが一般化したのが大きいよなぁ……一昔前みたいに店ごとのローカルな環境や相場が完全に駆逐されて、個人同士の取引はもうヤフオクとかのネットが主流だし……昔みたいに、トレード用のファイル持ち歩いて、知らない相手同士でトレードってのは、もうかなり下火になっちまった」
「ですよねー……っつーか、何も知らないで店にファイル持ち込んで、トレード禁止を注意されるとは思わなかった」
5年ぶりの再会に、お互いにしみじみと過去を思い返す。
……ほんと、たった5年で色んな環境が激変したよなぁ……
「まあ、俺にとって5年経って何が変わったって、結婚した事の次に、弟子がマジのラノベ作家になって、あまつさえG1馬主になんて成っていた事だけどな」
「すんませんね。確かにデビューしたのは師匠と出会った後ですけど……その頃、色々あって静舞に行く事になってバタバタしてたし」
「そっか……ああ、そうだ。飯の前にな、『コレ』やるわ」
そう言って、気負いなく『ぽん』と手渡されたのは……使い込まれたデッキケースとカードファイルだった。
「師匠?」
「来年の一月から出張でな……ベトナム行きが決まったんだ。
最後にお前と決勝卓で勝負出来て、本当に良かったよ」
「えっ、じゃあ……」
「ま、報告や休暇の一時帰国は兎も角、5年は日本に帰って来れないみたいでな。
……流石にベトナムじゃカードに触れないし、かといって家に置いといて見つかったら、嫁さんに子供の玩具に渡されて滅茶苦茶にされそうだし……現役に活用してもらったほうがいいだろ?」
「……そうっスか……じゃ、『お預かりします』」
「いや、あげるって」
「なに言ってんスか。俺だって復帰に5年かけたんですよ?
まあ、5年後にアソコの店があるかは分からないけど……だから『お預かりします』」
「ったく……分かったよ。帰った時のためにアドレス交換しとこうか」
そして……やってきた料理を食べながら、一通り、思い出話に花を咲かせ終え。
会計を済ませ、店を出た直後。
「ああそうだ。
馬主席でもいいから、プレイヤーとして孫弟子の『社長』によろしくってお前から伝えといて」
「あはは……それはご自分でどうぞ」
「勘弁してくれよ……ウチの親会社の会長だぞあの人。知らないでリアルに『ハマちゃんスーさん』やってて、気づいた時に腰抜かしそうになったんだから。
じゃーな……アディオス、我が愛弟子よ!」
最後の挨拶と共に。
師匠は……手を振って、去って行った。
……ああ、そうか……
きっと多分。
競馬場に今おられる、古くからのオーナーの方々も、こんな『思い』を沢山したんだろうな……環境が変わり、生活が変わり、永い付き合いのある『ゲーム仲間』との離別。むしろプレイヤーとしての『資質と資格』が強く問われる『馬主』なんかは、より顕著だろう。
そう思いを馳せていると。
あれ?
……じゃあ今の馬主としての俺の立ち位置って、昔、師匠筆頭にあの店の修羅たちに『かわいがり』を受けていた、中坊の小僧っ子のポジションか?
「は、ははは……まさかね……」
いや、だって……流石に、梁山泊みたいなあの店の修羅たちとは違って、馬主以外にも社会的な立場のある各界の大立者な方々ばかりなんだから……ねえ?
ちゃんと無垢な仔熊君みたいな若造に手加減してくれている……よね、多分?
と、その時は、そう思って居たのだった。
……まさか翌年、俺とキッドが海外に行く事になるような話が、俺のあずかり知らぬ所で進んでいたとも知らずに……
というわけで、クアッドの新しい鞍上と脚質公開の回です。
能力がある『大人しい万能型』の馬って、裏を返せば全く言い訳も誤魔化しも効かない分、下手な気性難よりも騎手や調教師にとっては恐ろしい存在だろうなぁ……しかも500キロ級の大型馬……