G1馬を育て上げる。
多くの調教師が望み、そして果たせずに廃業、または引退していく栄誉であり夢。
最小規模である12房の零細厩舎を美浦で開業し、程々の成績を残しながらも、じり貧な状況下……『自分もそうなるのだろう』と思い、それでも『子供たちを育て上げるまでは』と覚悟を決めて居た矢先に。
予想だにしない所から持ち込まれた馬が、G1どころか最多連勝記録すら作ってのけた。
夢物語。立身出世。遅咲きの花。
周囲にはそう語られるが、G1馬を受け持つ調教師に掛かる重圧というのは、半端ではない事を、自分――石河吾朗は改めて認識していた。
ましてや、馬自身もそうだが、持ち込んだ馬主が……色んな意味で『(一部は小市民な方向に)規格外』であり、むしろ人生の先達として『
故に……バーネットキッドが活躍すればするほど、先達たちの付き合いでの話を聞くに連れ、『G1馬を輩出した調教師』というくくりの中では『自分は凡人だな』と、嫌でも自覚を持たざるを得なくなっていた。
そんな状況下。
加速度的に今年の年末の朝日杯、有馬記念に向けて増していくストレスは、モロに頭頂部を襲い始め……
「!!!!!!!!」
その日……朝起きると、頭部にあった毛髪が枕元に大量に横たわっていた。
愕然としながら洗面台で鏡を見ると、そこには……最早、絶対防衛線は蹂躙し尽くされ、二年前にはやや薄くなりながらも白が交じったふさふさとした洋芝のコースは、あらゆる育成の努力も空しく、主に芝を食い荒らすG1級のUMAによって、加速度的に地肌むき出しのダートコースへと変貌しつつ在った。
無論、息子たち含め、厩舎の調教助手や厩務員や所属騎手たちは、慈悲深く見て見ぬふりをしてくれていて……それが更にストレスを加速させていく状況下だったりする事に、自分の器の小ささを自覚しつつも、それが止められなかったりして、自己嫌悪のストレスサイクルが完成しちゃってたりする。
……いかんいかんいかん……これはいかんぞ……
何か気分転換の出来る趣味でもあればいいのだが、無論、調教師という職業はそんな暇ではなく。
増してや……不仲だったとはいえ厩舎の開業が決定打となって、他所に男を作って出て行った妻と離婚した身である以上、もとより馬以外に趣味を持つような器用さを、彼は持ち合わせてはいなかった。
故に……時間の無さ、そして『馬場』の再生の見込みの無さから彼は決断を下し……アデラ〇スのチラシを手に、携帯電話のダイヤルを押し始めた。
で……
「いやぁ……毎年テレビでは見てましたけど、まさか『出る側』になれるとは、思っていなかったですよ。キッドを預けて頂いてありがとうございます、オーナー」
「は、はぁ……」
待ち合わせた、都内の某有名ホテルのロビーで。
にこやかな笑顔の石河
服装は全員スーツ姿の一張羅。文字通りの正装での『勝負服』なのだが……
「……こ、こちらこそ先生にキッドを預かって頂いて感謝しております」
謝辞を返しながらも困惑した目線を、隣に立つ石河兄貴に向けると『俺に聞くな』と首を横に振る。
こんな都内の高級ホテルなんて、それこそ都内で暮らしている以上、色々な意味で縁のない自分が、何故足を運んだかというと……無論、毎年、そこで行われる、有馬記念の抽選会である。
ちなみに、新野女史は、別の担当作家に絡んだ急な仕事が入ってそちらに行ったため、この場には居ないものの……色々と、ぶっとい釘を刺されていたり。……信用ネェなぁ、俺……
……ああ、ただでさえ馬主の方々と会うのって、胃が痛いのに……その……
「あ、申し訳ない。
会場に入る前に、少し用を足してきます。……緊張してきちゃった」
そう言って、待ち合わせたロビーから石河
「お兄さんお兄さん。その……親父さん、アレ完全に『パイルダーオン』しちゃってません?」
「パイルダー言わない!
……正直、俺もどうかと思うんだけど、本人凄い気にしてるんだから!」
「じゃあ『ブッピガン』でもいいです。……正直アレ、バレバレじゃないですか!?」
「ぶふぅっ……ブッピガンって…! ……そんなにネタがポンポン出るなら、オーナーから上手い事突っ込んでやってくださいよ!」
「
「以前ふさふさのクアッドと絡めてネタにして思いっきり睨まれちゃってるんですよ、俺も賢介も。怖くて二度目なんて言えません!」
「だからって誰か言わないと、ずっとあのまんまですよ!
病気で禿げたのなら兎も角、親父さんくらいの年齢ならハゲだって年齢相応の味になるんだから、ショーン・コネリーみたいにキッチリ整えりゃ変じゃないんですよ。
下手に『若く見られたい』なんて色気出してパイルダーオンするから、下心見透かされて色々面白オカシイ話になるんですよ!」
「そう伝えてくださいよ、オーナーが!」
「嫌ですよ、こないだのJCで単勝転がしのバカやって、怒られたばっかだもん!」
などと、小声で石河兄とやり取りしていると。
「いや、失礼。お待たせしました。じゃ、会場に行きましょうか」
微妙な『ズレ』をトイレで直したのか、きっちり整えた石河
ああ、コレ……誰かツッコまねぇ限り、ずーっと秘密っつか暗黙の了解で守り続けなきゃなんねぇのかな、って思うと。
カツラって事の発端の下らなさやしょーもなさの割に、周囲にとっても自分にとっても、隠し続けるリスクや手間暇が、絶対に割に合ってねーよなぁ……と、しみじみと思い知ったのであった。
「…………………」
「…………………」
白い円卓に座って、ステージの方向を向く。
壇上では司会者やスペシャルゲストの方々が色々トークを続けていくが……正直、俺も兄さんも、色んな意味で親父さんの頭の
……俺の座った位置的に、丁度ステージの中心との一直線上に親父さんがいるので、チェックしても目線的に不自然になりにくいのは幸いだった。
「やはり緊張しますか、蜂屋オーナー」
「は、はい……『色んな意味で』……えらい所に来ちゃったな、と」
丁度、隣の円卓に金戸オーナーと館騎手が掛けておられまして。
で、すぐ隣の館騎手に小声で声をかけられてたり。
「自分がレースに出るんじゃないのに緊張してきた……ひやひやしっぱなしです」
「ははは、これを楽しめれば一流ですよ」
うーん……俺、一流にはなれそうにないです……
『では、運命の時間です。馬名の入ったカプセルを引いて、開けてください』
ステージで呼ばれたスペシャルゲストの女優さんが、カプセルを手にして、開ける。
『さあ、最初の馬は誰でしょう……』
効果音と共に、公開される紙片には……
『バーネットキッドです!!』
初っ端からですかー!?
「うぉ……」
「いきなりキタなぁ……」
会場全体がどよめく中。
とりあえず親父さんと兄さんと一緒に、ステージに上がる。
「さあ、誰が引かれますか?」
と……司会の問いかけに。
「そりゃもう、ラッキーボーイとして名高いオーナーに」
「うん、オーナーが引く方がいい。一番『持ってる』と思うし」
「二人とも、俺ですか? まあいいや。くじ引きはあまり自信無いですけど」
無造作に振られて、軽く戸惑うも。
うん、深く考えてもダメだろうし……外枠だったら外枠で、そん時はそん時だ。
『俺のせいじゃないモーン♪』と気軽にボウルに入ったカプセルを手にし、開ける。
「さあ、無敗の怪盗がクジの先陣を切る、一体何番か……1番だぁぁぁぁぁ!!!」
「え?」
広げた紙を改めて見直すと……『1』という数字がはっきりと書かれていて。
『うぉおおぉぉぉぉ』と、うめき声ともつかないどよめきが、会場を支配していた。
「いきなりやりましたね! 16分の1の確率を踏み越えて、ベストポジションを引き当てました!」
「うん……当たっちゃいましたね」
ひきつった顔で返事をし……ふと、ステージから会場を見ると、軽く頭を抱えていたり、天を仰いでる調教師や騎手の方々が大勢。何人かのオーナーは『どーすんのコレ』って顔で、チベットスナギツネみたいな目になっていたりする。
「抽選開始早々、波乱の幕開けとなりました第50回有馬記念!! まさに先行どころか大逃げを打たれた状況で他の陣営はどうなるのか! さあ、次に参りましょう!」
そこから、順調にくじ引きは進み……
「ゼンノロブロイ……3番!」
「マイソールサウンド……2番!」
「タップダンスシチー……9番!」
「リンカーン……14番!」
「ハーツクライ……10番!」
そして……最後の2枠。館さんともう一人が壇上に上がり……
「さあ、最後の2枠。6番か、12番か……注目のディープインパクトは……6番です!! 12番はビッグゴールド!! これにてすべての枠順が決定しました!」
一時間近く盛り上がった抽選会は、ここに幕を閉じたのだった。
「……うーん、外枠に行ってくれなかったか。なんだかんだ持ってるよなぁ……館さん」
などと、つぶやく石河
(いや、あんた今、持ってるどころか『乗せてる』じゃないですか!)とは……どうしても口に出して突っ込めませんでした。