第四コーナーを曲がって突っ込んでくる馬群。
潮騒のような場内の叫びは、波濤のソレと化して中山を揺るがせる。
『さあ、最後の直線、馬群を割って黒い馬体が内から抜けた!』
実況のアナウンスと共に、一頭の鹿毛の馬体が、馬群を割って飛び出して。
「いけ……いけっ!」
馬主席に、オーナーの小さな期待の声が響く。
『躱す! 躱す! 前二頭をかわして一気に先頭に立って、今、ゴール!!』
そのまま、先頭を走っていた芦毛の馬を差し切って。
鹿毛の馬がゴール板へと飛び込んだ。
「やった……勝った!!」
「おめでとうございます、園長!!」
第3レースの未勝利戦。
馬主席で園長の勝利を祝う。
「いやぁ……馬主10年目にして、初めて中央で勝てたよ!!
に、しても、蜂屋君も、良く当てたねぇ? 『多分、走ってくれそう』って」
「ええ。
とりあえず、パドック見て『なんかヤル気っぽいな』って思ったんで。
昼飯代、ありがとうございます♪」
因みに。単勝1000円。倍率は18.3倍。
なかなかオイシイ当たりである。
「あ、そういえば、噂の『単勝転がし』はしないの?」
「いやぁ……アレって、それこそ失敗すると税務署が怖い事になるし、周囲の目も怖いんで、もう懲りました。ぼちぼち賭けて遊ぶダケにするつもりです」
などというと、周囲から。
「もったいないなぁ……」
「あやかるつもりだったのに」
「やめてくださいよ。
……ってか、先生も静舞と中山の往復の宿泊交通費くらいは稼げたんじゃないですか?」
「うん。まあ、そのくらいだね」
ありがたや、ありがたや、と園長を拝む牧村先生。
やがて、支度が整ったのか、アナウンスで園長が呼ばれ……
「じゃ、いってらっしゃい、園長♪」
「うん、行ってくる。……どんな感じの場所なんだろうなぁ」
「最っ高ですよ♪」
そう言って、親指立てて笑顔で応援し。
「うわぁ……楽しみだなぁ」
意気揚々とウイナーズサークルへ向かって、エレベーターで下に降りていった園長を見送る。
と……
「ね、ねえ、蜂屋君……ところで、その……次に走るウチの馬はどうかな?」
新野パパに、くいくい、と袖を引かれて、聞かれ……
「あー……その……うん、頑張ってくれると思いますよ」
「おねがい、勝てると言って! でないと娘が怖いんだ!」
傍に立って穏やかな笑顔のまま、殺る気満々な新野女史を見て、怯える新野パパ。
「ンな事言われたって、私は預言者でも未来人でもないんですから無理ですよぉ。
所詮、素人の直感で遊んでるダケなんだし、気になるなら本格的な競馬新聞や予想屋のお歴々がいるんですから、そちらを参考にされたほうがいいかと」
「だって、君、一回も馬券買って外してないんでしょう!?」
「いつかは外れますよ!
少なくとも、今日、確実に、有馬記念は絶対外れます!」
「なんで?」
「ディープとキッドと5千円ずつ単勝で記念馬券買ったからです!
どっちかは確実に外れます!」
「それは外れてるとは言わないよ! っていうか、何で馬連買わないの?」
「馬連のほうが倍率低いんですよ。
1.1倍で、どっちが勝ってもトータルで考えたら500円くらいお得なんです」
「単勝転がしで億稼いだ人間の言葉じゃないよ、それ」
「元からこんな人間ですってば! 周囲が誤解してるダケですって!
皆して、妖怪見るみたいな目で見られてて、ほんとに困惑してるんですから」
いや、本当に……『ゲーマー』の上位クラスが『勝負師』だとしても、その上位にクラスチェンジすると『妖怪』になるなんて、初めて知ったよ。
と……
「ふむ……正直、私も『ディープかキッドか』で考えていたけど、君の目をもってしても『分からない』か……」
篠原の会長まで、しれっと俺の分析をアテにしていたらしく。
なので……
「っつか、ディープだけじゃないですからね。ヤバいのが何頭も居ますよ」
「やばい? 誰?」
「ハーツクライとゼンノロブロイ。
ディープとキッドの二頭に割って入る馬が居ると考えるなら、この二頭があるいは……って所ですかね?
超ザックリとしたド素人の直感ですけど」
「ほう、ロブロイは兎も角、ハーツ? ふむ。興味深い分析だね。
しかし……今更ながらだけど、出走する馬のほとんどが、サンデーサイレンス産駒とその系譜で、君の目で見てもキッド以外の有力馬は、みんなサンデーの系譜か……」
「まあ、『サンデーの系譜に
年間200頭近い、もしくは超える、狂った回数の種付けを行い。
毎年のように
あまつさえ、死後のトドメに出て来たのがディープインパクトである。
時折、『キッドが第二のサンデーに』なんて気の早い事を言う人もいるけど。
そんな成績残してる先達に対しては、もう『恐れ入りました』としか言いようがないし……むしろそんな事になったらキッドがミイラになってしまいかねん。
「まあ、正直なところ、結果よりも、無事に帰って来てほしいですよ。
あの怪物と張り合って潰れなければ……それだけです」
などと、無事を祈ってると。
「まあ、馬産関係者にとっては、ある意味ディープより注目の馬だからねぇ……多分、いろんな所の牧場が、必死に今から皮算用してると思うし」
「あー。そっか、ソッチもあるのか」
「……気づいてなかったの?」
「ええ、全く。
というか、種牡馬って言ったって、個人的には、4、5年で終わると思ってますし。
血統的に、やっぱり怪しい馬なのは事実ですから」
「……シビアだねぇ……」
「確率論を無視する人間じゃないですよ、俺?
どんな非現実的な結果だって、確率の上で叩き出た『結果』は『結果』なわけで。
そもそも、未来が分からないからこそ『確率』は絶対無視しちゃいけないもんだ、って、子供の頃から色々と『身をもって』学びましたから」
「ほう、何処で?」
「ご近所に有った駄菓子屋のメダルゲームと、スパロ〇の命中率。
本格的に悟ったのはやっぱりカードゲームですね」
小学生の頃から、一回30円のクジ引きのお菓子に総額何千円も吸い取られ、じゃんけんゲームにみるみる消えていくメダルに憂慮し。
スパ〇ボでも、とてもとても当たりそうもない命中率1桁%の攻撃が直撃して、悶絶しながらリセットボタンを押したものである。
だからこそ、カードゲームだって、構築に必要なのは確率論だと理解しやすかったし。
「まあ、だからね……今、自分は『とっても運が良かったんだな』って事は、理解してるんですよ」
「……はぁ……」
中山競馬場、第三レースの未勝利戦。
騎手としてソコソコの仕事……2着の掲示板に飛び込んでの後検量を終えて、俺――石河大介がジョッキールームに帰った時に出たのは、盛大な溜息だった。
……縁起でもない、全く。
騎乗していた『サンディザーション』……無論、キッドとは似ても似つかないのだが、それでも芦毛というのは暗い毛色が主流の馬たちの中では、非常に目立つ馬で。
しかも勝利した『アインサイレンス』……志室園長の馬に騎乗していたのが、館さんという……
「あーもー……不吉過ぎて考えたくねー」
「お疲れ様です」
……ちなみに、彼女は本日、俺だけでなく、他の若手の二人の面倒も見ている。なので、12レース、ほぼフル回転だ。
対して、俺は本日のレースは、残り一つ。
有馬記念のみである。
……うん。
風呂で汚れと汗を流したら、飯食って仮眠をしよう。
サウナに入ってもいいが、まずは気持ちを落ち着けたい。
レースまで、残り、約4時間。
開催日で鞍上が少ない事は、騎手として未熟の証明かもしれないが。
今はその余裕がある事に、安堵を覚える自分がいた。
「なんじゃこりゃあ……」
午前中からパンク寸前な中山競馬場で、バーネットキッドのファンである一人の青年は呟いた。
彼に限らず、あの純朴なオーナーと、その珍しい出自と脚質の馬……バーネットキッドに魅せられて、初めて競馬場に足を運んだファンは多く。
故に、一方のディープインパクトに対しては、『にわか』『ミーハー』と見られるのを嫌う『通好み』を自称する少々捻くれたファンが多く付くというのが、全体の雰囲気と傾向だった(勿論、その逆のパターンでそれぞれに付いたファンも、総数から少ないとは言えないが)。
「死ぬかもな、これ」
状況に呟いた青年の言葉は、冗談でもなく。
既に主催者の発表では、『19万人を超えた』との発表が成され、入場規制がかかっている状態。
人が多すぎて、飯を食う場所どころか、飲食店はどこも長蛇の列。
真冬の関東だというのに、熱気が凄まじい勢いだ。
正直。
レースを見るだけなら、テレビ越しに見るほうが、俯瞰して全景を見られるだろう。
馬券を買うならば、都内にある場外の馬券売り場で買ったほうが遥かに便利だろう。
それでも。
『自分の目で。
生でキッドとディープのレースが見たい!』
その思いが、彼らファンの足を競馬場へと運ばせるのであり。
そして……彼らは全員、『伝説の目撃者』となるのであった。
『アインサイレンス』『サンディザーション』は、オリジナル馬です。
……っていうか、調べて分かったんですが、園長って中央で一勝もしてなかったんですね……