Re:escapers   作:闇憑

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有馬記念を終えて その1(調教師、石河吾朗の受難……その1)

 最後の直線。

 

 スタンドの大歓声に比例するように、馬主席の興奮も最高潮に達していた。

 

「行けっ!」

「差せ!」

「そこだ!」

 

 深いしわと白髪が刻まれた、スーツ姿の紳士たちが。

 それでも、その顔に浮かぶ表情(おもい)は、ミニ四駆の大会に出た子供たちとなんら変わらない。

 

「差せ! ディープ!」

「ロブロイ! いけ!」

「そこだ、ハーツ!!」

 

 そして……ああ……チクショウ……レース前はあんなにキッドが心配だったのに。

 それでも……

 

「逃げ切れ、キッド!!」

 

 懸命にターフを走り抜ける、愛馬たちの姿に。

 気が付くと俺自身も叫んでいた。

 

 そして……

 

『もつれた、もつれた、もつれた! 首の上げ下げ! 今、ゴール!!』

『うおおおおおおおおおおお!!!!!』

 

 外のスタンドからの叫びだけではない。

 馬主席の人間みんなが、レースの結果に騒然となっていた。

 

「いや、凄いレースだ……」

「このレースを見るだけでも馬主席に来た甲斐があったよ」

「レコードタイムかぁ……去年のロブロイだって当分超えられないだろうって思ってたのに、凄いなぁ」

 

 そうだろう。

 中でも最後に競り合った4頭の後ろには、たっぷり3馬身差はついており、あまつさえ最後の最後……あまりのハイペースに力尽きてヘロヘロになりながらも、マイソールサウンドが駆け抜ける頃には、4頭のゴールからたっぷり5秒を超えていたが……それでも、例年の有馬の平均タイムくらいじゃないか?

 

 やがて、掲示板の4着の部分に3番……ゼンノロブロイを示す表示が灯り……そこからが長かった。

 

「長いな……」

「長いですね……」

 

 まあ、秋天だって、あんな大接戦でもつれにもつれた結果、掲示板の表示に4、5分くらいかかっていたし『そこまでは』と、思っていたのだが……しかし本当に長いなオイ。

 

「ああ、出た。

 ハーツと……6センチ差?」

「すごいなぁ……本当に紙一重だ」

 

 五分くらい経って、ようやっと三位の結果が掲示板に灯って、大型モニターで着差が発表され、園長が感心したようにつぶやく。

 

 これで『ディープとキッドのどっちか』という話が確定したのだが……そこから更に五分経っても、全く音沙汰がないのである。

 

 馬主席も、スタンドも。

 困惑から来るざわめきが場を支配し始めていた。

 

「……まさか、同着とか?」

 

 冗談めかして呟いた言葉に、篠原の会長が苦笑いしながら。

 

「G1の? それも有馬で? 歴史に残っちゃうね」

「え、残りますか?」

「確か、日本のG1レースで同着ってのは今まで無いよ?

 しかもレコードタイムで同着ってなったら、もう伝説を通り越して『神話』の領域じゃないかな?」

「あははは……まさかぁ」

 

 とりあえず、馬券はどっちかが当たる事は確定したので。

 

「もーちょっとかかるなら、トイレ行っとこ」

 

 間を持たせるために結構ジュース飲んでいるので、下のほうが限界気味だったのだ。

 

「いや、もうすぐだろう? 流石にそろそろ出るよ?」

「すんません、そうは言っても、もう限界っス」

 

 そう言って、そそくさとトイレに向かうと、小さいほうの用を足して……

 

『うおおおおおおおおおお!!!!!』

「ぴぁっ!!」

 

 中山競馬場全体を揺るがすような……というか、馬主席からも凄い声が聞こえてきまして。

 

「な、何、何が起こったの?」

 

 ビックリしてちょっぴり狙いを外しちゃったので、手早くトイレットペーパーで拭いて、手を洗ってトイレから出ると。

 

「蜂屋君! どこいってたの!?」

「え、なに、キッドが勝ちました!?」

「違うよ! 同着だよ! 同着!」

「は? ……はあああああああああああ??」

 

 慌てて掲示板を見に行くと。

 そこには1―6……キッドとディープで『同着』という表示がされてまして……

 

「ま、マジかああああああ!?」

 

 周囲から一拍遅れた叫びが、馬主席に響き渡った。

 

 

 

「あ……」

 

 気が付くと。

 キッドに跨ったまま検量室の前に戻って来た自分が居た。

 

「お疲れ様」

「凄かったね」

 

 掲示板に『同着』の表示が出た途端、涙が溢れて来て、景色がぼやけてしまい。

 スースーと涙の痕の感触だけが頬に残っていた。

 

 ただ……二頭立てのウイニングランが、凄く奇妙な感覚だった事は、覚えている。

 

「お疲れ様、兄貴」

「お、おう……」

 

 そのまま……ああ、そうだ、キッドから降りなきゃ。

 で、降りて、後検量の支度をして……

 

「……はい、OKです」

 

 キッドから降ろした馬具も含めて検量を終えると。

 

「すいません! 石河騎手。

 後のレースの時間が押してるので、早めに移動お願いします」

「あ、了解です!」

 

 裏方のバタバタはいつもの事だが、今日に限っては相当に酷い。

 何せ、着順の決定に十五分以上もかけてるんだもんなぁ。

 

 まあ、結局……

 

「次のレース、発走10分遅らせます!」

「すいません、ジョッキーインタビューを先にお願いします!」

「あ、はい」

 

 もう色々と想定外過ぎて、裏方のほうがグッダグダな事になっているらしい。

 普段と違って段取りとかが、かなり滅茶苦茶である。

 

「大変だなぁ……」

「まあ、大変なレースをしたからなぁ」

 

 同じく駆け抜けた館さんと一緒になって、二人揃って割と戸惑っていたり。

 

「しちゃいましたねー、なんか現実感が無いですよ」

「たしかに。

 『勝った、負けた』なら理解できるけど、GⅠで同着って初めてだよ。

 光四郎(おとうと)が3年前に一度やってるけど、あれはGⅢだからな……そういえばあのレース出てなかったっけ?」

「ええ。あの時、自分は掲示板の外だったんで、控室で『こんな事もあるんだ』ってびっくりしました」

 

 と……

 

「インタビュー整いました。お二方ともお願いします」

『はーい』

 

 

 

「まずは、おめでとうございます、館騎手、石河騎手。

 有馬記念、GⅠでのレコード同着という……もう、今後出て来ないんじゃ、という凄まじいレースになりました!」

「そう、ですね。

 正直、向こう正面から3コーナーのあたりでキッドが暴走してくれたので『いけるか』と思ったんですが……こんなハードなレースになるとは思わなかった」

「暴走というか……アレはもう『賭け』でした。

 あのままのペースで後続を崩せないまま突っ込んでも、絶対にディープに差されると思ったんで、もう『一か八か』で」

「あぁ……本当にギリギリのレースだったんだ」

「です。

 最後の坂で打った二の足も、普段は突き放すために使うんですけど、アレ以上早いタイミングでやるとキッドが持たないと思って、ギリギリまでひきつけざるを得なくて……本当に追い詰められました。というか、ロブロイやハーツまで来るとは思わなかった」

「こっちも正直、あんな突っ込み方して、更に二の足まで使って来るとは思わなかった……本当に底知れないスタミナですね」

「いや、本当にキッドも真剣だったんだと思います……馬って本当に武者震いするんですね」

『えー?』

「し、したんですか?」

「しました。ゲートに入ってすぐ。

 オグリの逸話だけは聞いていたんで……ビックリしましたよ」

「ああ、そうかぁ……いや、ディープもね、レース前に大人しくて、普段と全然違ってスタートが素直だったんです。……やっぱ意識してたのかなぁ?」

 

 

 

 ビーッ!!

 

『あ……』

 

 エレベーターの床を踏んだ途端。

 重量オーバーの音が鳴った。

 

 どこの競馬場でも、大概、足腰に問題を抱える方々のために、馬主席からウイナーズサークルへの通路に繋がるエレベーターがあるのだが。

 当然、そんな大規模なモノではなく、5、6人くらいの規模を想定しているため、先に乗った金戸オーナーと、その付き添いの人員だけで、定員オーバーになったのである。

 

「えっと、お先にどうぞ」

「いや、済まんね」

 

 そう言って、エレベーターを降りようとし……

 

「ああ、蜂屋オーナー」

「はい?」

「……チャック、開いてるよ」

「!!!!??? す、すいません。ありがとうございます」

 

 危うく、社会の窓全開で記念撮影に臨む所だった。

 ……あぶねー!!

 

「何やってるんですか、先生」

「いや、すんません」

 

 新野女史に突っ込まれる。

 ……しゃーないやん。何せ、あの騒ぎで慌ててトイレから出て来たんだし。

 

 やがて、エレベーターが戻って来る。

 

「じゃあ、園長。会長。新野女史と牧村先生と一緒に、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「楽しんどいで」

 

 と……

 エレベーターを降りた先の通路で待っていたのは。

 

「よーっす」

「うぃーっす」

 

 不思議な程に『集まろう』という約束があったのに今回に限って連絡の無かった、静舞農業高校の同期の面々だった。

 

「うわ! 何? みんな来てたの!? 声かけてくれよ!」

「いや、皐月賞の時、お前、馬主席に来なかっただろ? アレが響いたみたいでさ」

「同期の人間が集まって居ると、お前、こっちに行っちゃうじゃないか。

 だから牧村先生含めて全員、偉い人『たち』から、釘刺されてたの」

「まあ、そらそうだけど」

 

 更に……

 

「それに、俺含めて、もう素直にキッドを応援出来る立場じゃないのが、結構いるからさ」

「牧場長のお情けで、休暇が取れたようなモンだから……」

「建前として『自分の所の牧場の馬を応援しに行く』って形になってるの」

「あー……」

 

 そういえば、かっつんは社田井だし、ささぬーは総帥ン所に就職してたんだっけ。

 むしろ、ショッパい個人馬主だからこそ、お目こぼしを貰えたようなモノだよな……

 

 何せ、中には……

 

「蜂屋。今現在の俺の立場として言うね?

 引退後に日高の協会にキッド連れて来てくんない?」

「うん、無理。社田井の偉い人と約束しちゃったから」

「だよねー。OK、ノルマ完了」

「ノルマかよ……」

「当たり前だろ。一応、今は協会の職員なんだから。

 お前にクアッドの方まで断られて、今ホント大変な事になってるんだぞ」

「ンな事言われたって、小城伏さんトコ筆頭にラムタラ騒動含めた壮絶な旧悪を色々馬主席で聞いちゃってるから、あそこに関しては、お前個人は兎も角、組織としてどこまで信用していいんだか分かんねぇんだよ」

「だよねー……俺も『無理だろ』と思ってるし。親父や叔父さんのコネで入れはしたけど、正直、少し早めでも実家の牧場継いだほうがいいかもなー……なんかこの期に及んで色々末期的な派閥争い見てると、とっとと距離置いたほうがいい気がしてきた」

 

 なんてドライに離職を考えてる面子も居たりするワケで。

 ……ほんと、みんな大人になったよなぁ……ソレ考えると、来てくれた事に、マジで感謝しかないわ。

 

「それに、何度も行ける場所じゃないからさ」

「生産者として一度は堂々と入ってみたいし」

「皐月の時は入れなかったから『今日こそは』って思ってた」

「あ、やっぱり?」

 

 まあ、生産者にとって、GⅠのウイナーズサークルって、夢の舞台だしね。

 ……ちょっと今年の俺個人に限っては、夢が供給過多な気もするけど。

 

 で……

 

「オーナー……ありがとうございます!」

 

 その供給過多な夢に、脳どころか頭皮まで焼け野原になった石河調教師(せんせい)が、もう涙を流しながら出迎えてくれまして。

 ……ちなみに、正装のスーツに似合う黒い帽子(ボルサリーノ)を被っており、なかなかのイケオジと化していた。

 

 良かった……ホントに良かった、ヅラのほうでウイナーズサークルに出て来なくて。

 っつか、ヅラよりもその黒い帽子(ボルサリーノ)のほうが100倍似合ってるよ、石河の親父さん。

 

「いえ、こちらこそ本当にありがとうございます」

「君たちも牧村先生も、本当にありがとう……本当にみんな頑張ってキッドを送り出してくれて……ここまで、来れました!」

「石河調教師(せんせい)、ソレはこの後のインタビューでお願いします」

「ああ、うん……うん……」

 

 そして……

 

「オーナー……ありがとうございました!」

「いえいえ、本当に……こちらこそ、キッドに乗ってもらって、こうして、無事に帰って来てくれてほっとしてます」

「いえ、本当に……本当に……キッドに乗せてもらえて……ありがとうございます」

 

 言葉に詰まりながら、泣きはらした目の石河騎手と、握手をしたり。

 

 やがて……賢介のヤツに引綱を引かれて、キッドが現れ。

 ディープも向こうの厩務員に引かれて、二頭同時に入って来る。

 

「なんか、信じられねぇ……この悪童(くそがき)が秋古馬三冠だよ……」

「おう、俺もだよ……」

 

 うん、現実感が、無い。

 というか、石河厩舎、泣いてる人間が多いなぁ……

 

 で……セレモニーが始まったのだが。

 二頭同着なので、まあ色々と変則的な進行になりまして。

 あまつさえ……

 

「これ、どうなるんでしょうね」

「さあ……?」

 

 金戸オーナーと二人で有馬記念のトロフィーを受け取って掲げながら……何しろ、優勝トロフィーを二つ用意なんてしていなかったので、急遽、こういう形になったのである。

 

 ちなみに、係員の方に聞いたら、後で同じモノを作って郵送する、との事。

 

 というか、セレモニーの間も、観衆がすし詰め状態で一杯である。

 更に、有馬記念の優勝セレモニーの後に、タップダンスシチーやゼンノロブロイの引退式まであるんだから、色々と盛りだくさんだよなぁ……

 

 やがて、それぞれの写真撮影の段になって。

 『一緒に撮ろうか』という話もあったが、人数が多すぎたのでそれぞれ別個で撮る話になり。

 

「こんな賑やかな口取り式、キッドは初めてだな……」

「いつも人数少ないですもんね」

 

 そう、『バーネットキッドと関わった人間』は農高出身故に、普通の馬よりも大勢いるものの。

 俺こと『蜂屋源一の関係者』となると、本当に少ないのである。

 だから、G1勝利の割に、普段は『寂しいウイナーズサークル』だとか色々と言われていたのだが……今回に限っては『バーネットキッドの関係者』がほぼ全員集合したために、20人を超える大人数である(皐月賞? あの時は撮影中止だよ)。

 

 なので……

 

「じゃ、写真撮りますよ」

「はーい」

 

 石河騎手を鞍上に。

 石河調教師(せんせい)や賢介や調教助手の戸竹さん。牧村先生筆頭に元農高のみんなが綱を取った撮影『は』無事に終えまして……うん、油断してたんだよね。全員。

 

「ありがとう、キッド」

 

 で、感極まった石河調教師(せんせい)が、最後にキッドの鼻づらにキスをした途端。

 

 ぶふぉーっ!!

 

 キッドの太い鼻息と共に吹いた木枯らしに、石河調教師(おやじさん)の黒い帽子(ボルサリーノ)が宙に舞い上がり……そのまま風に乗って、金戸オーナーの頭の上を跳ねて、ディープの鼻づらにすっぽり収まった挙句。

 お返しとばかりに、脳焼けし過ぎて頭皮までダートと化した石河調教師(おやじさん)頭部(シャイニングヘッド)を、キッドの奴がべろべろと舐め始めやがったのだ!

 

 もー、変顔キメながら『レロレロレロレロ』と『電球を舐めるが如き擬音』が聞こえて来そうなその舐めっぷりに、大爆笑に包まれる中山競馬場。

 

 ……そうだよ……こいつ(キッド)は……こういう(クソガキ)だった……

 

 無論、この映像や写真は、翌日のニュースやスポーツ新聞の記事を飾りまして……うん、そりゃもう、どの写真も『輝いていましたよ』。いろんな意味で。

 

 ……だから……その後に起こった、親父さんの不機嫌にまつわる、石河厩舎で起こったアレやコレやに関しては……もう俺のせいじゃないもーん!!




レース中:『伝説』から『神話』へ。

レース後:『神話』から『お笑い(いつもの)』へ。




なお、大爆笑は、当人と馬以外、中山競馬場の『ほぼ全員が』笑っていました。

……ええ、石河厩舎の関係者も含めて、全員……
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