『一族の悲願だ。ダービーを取って来い』
代々続く家系のウマ娘として生まれた者は、必ず一度は耳にする言葉。
ダービーウマ娘。世代の頂点と言われる存在。
シンボリ家やタニノ家を始め、多くの名家がその座を競い、求め、栄誉と栄冠を証明するために、府中のトレセン学園の門を潜る。
無論、名家だけではない、地方からのし上がったオグリキャップ先輩や、イナリワン先輩のような、猛者も大勢居る。
そんな中。
そこそこの名家に生まれた私は、期待の神童として育てられ、中央のトレセン学園の門を潜った。
そして、トレーナーも決まり、福島の競バ馬でジュニア級のメイクデビューを迎え……
「あひゃひゃひゃひゃひゃ♪」
「そこの新入生!! パドックで遊ぶのはやめなさい!!」
パドックで客席に向かって変顔してた、片眼鏡を掛けた芦毛のウマ娘が、緑色の服を着て帽子をかぶったスタッフ……たづなさんに追い回され、注意を受けていた。
……まあ、全国からウマ娘が集まって来るのだ。中にはああいうアホも居るのだろう。
ただ、ああいうトレセン学園を舐めたバカは早々に消えるハズで、だから少しの辛抱だ。
そう、思っていた……
ばかな、ばかな、ばかな、ばかな、ばかな。
ありえない、ありえない、ありえない、ありえない。
「よぉ♪ イイ末脚だったな、お前♪ ……マジ追いつかれるかと思ったぜ」
「っ……ど、どう、も……」
メイクデビューのウイニングライブで……私は『あのバカ』のバックを務める事になった。
油断していた、と言えばそれまでかもしれない。
だが……ヤツは『タダのバカでは無かった』事が、一番の敗因だった。
道化を装った大逃げ。
しかしその実力は、まぎれもなく『本物』だ。
……これが……中央……!!
ライブでバックを務めながら、私はその目線を今日の勝者へと向けていた。
「トレーナー。大逃げに勝つには、どうしたらいいのでしょうか?」
その後。
ジュニア級のレースで順調に勝利を重ね……G1朝日杯への出場が確定したその日。
私はトレーナーに問いかけた。
「バーネットキッド、か。
色々とフザケたウマ娘だが、実力は本物だからな……それに、サイクロンティーも居る。
二人で潰し合いをしてくれれば御の字なんだが……問題は、二人とも
レースは確実に高速展開になるだろう」
「そうなりますよねぇ」
あの二人が『札幌ジュニアステークス』で見せた、正に『狂走劇』と呼ぶに相応しい、爆逃げレースを見て、唖然としなかった同期のウマ娘はいない。
そして、勝負はジュニア級の頂点の一つ。朝日杯。
「勝負のポイントはここ、終盤からのスパートに賭けるしかない。
序盤はじっくり後方待機でスタミナを温存しながら、中盤にかけてポジションを上げて行け。
高速展開で確実にバラけるから、集団内に囲まれる事は想定しなくていい」
「はい」
ただ、機械的に答える私に、トレーナーが察したように
「焦る気持ちは解る。大逃げ相手に負けた時の『何もできなかった無力感』っていうのは、大きいからな。
だが、逃げウマ娘にとって、一番の恐怖は4コーナーを曲がってからなんだ。彼女たちとは『勝負どころが違う』。それだけだ。
君は無力なんかじゃないよ」
「『勝負所が違う』っていうのは、分かるんです。
でもアレは……アレは多分……『私なんか眼中に無いんじゃないかな』って」
「?」
「だって……『アレは何とレースをしているんだ!?』って逃げ方をするんですよ。
駆け引きなんかじゃないんです。
ただ『大逃げが一番速く走れるからそう走っているだけ』なんじゃないかって」
「大逃げをするウマ娘ってのは、得てしてそういうモノだよ。
彼女らは君たちウマ娘の中でも、異端なんだ」
「異端、ですか?」
「だから、その逃げウマ娘をゴールまでに捕まえる事が出来れば、『異端』は『ただの変わり者』になる」
「……」
「見せつけてやりなさい。君の末脚を」
「はい! トレーナー!!」
ゲートに入る。体勢を整える。
……相変わらずパドックでバカ騒ぎを起こして、たづなさんに怒られていたアホが一人いたが……まあ、いつもの事だ。
だが……
「!!」
ゲートの隙間から。
一人を挟んで向こうに見えた『アイツ』の横顔は、ゾッとなる程に真剣で、一瞬、気圧される。
……本性見せたわね、この化け物!
『さあ、朝日杯フューチュリティステークス……今スタート!』
ゲートが開いた瞬間。
すっ飛ばして行くバーネットキッド、サイクロンティー。二人が駆け抜けていく後ろを、後続がついていく。
縦長の陣形。
個々人の実力や作戦のバラつき。
そして何より……先頭を突っ走る二人が、一塊の乱戦になる事を許さない。
……予想通りの陣形と状況。
即ち……作戦や駆け引きよりも、ウマ娘個々人の『能力』が問われる、まさに『風車の理論』の真っ向勝負の世界。
上等! 舞台に不足なし! なら全力で追いついてみせる!!
「っ……てやあああああああああああああああ!!!!!」
第四コーナーを越えて、最後の直線。
真っ先に突っ込んでいた先頭の二人めがけて、温存した末脚の堰を切る!!
10バ身? 20バ身?
関係ない!
『ここで後方からすごい勢いでマイネルが抜けてきた! 中山の短い直線のデッドヒート!!』
「あああああああ!!!」
「くっ!! そおおおおおお!!」
前を走っていたサイクロンティーを交わす!
さあ、勝負……って!!?
こんな……こんなに、直線って短かった!?
いくら中山だって! あと少し、少しなのに!!
『だが先頭はバーネットキッド譲らない! 今、ゴール!!』
だが、無情にも……彼女はゴール板を過ぎ去って。
『一着バーネットキッド!! 1分32秒9! とうとう32秒台が出ました文句なしのレコードタイム!! 現在の記録を0.6秒も縮めて、32秒台の世界に踏み込んだ!! 二着争いは、僅かにマイネルワラント。サイクロンティーは三着に収まりましたが、こちらの二人とも本来ならレコードタイム!!
凄まじいレースになりました今年のジュニア級朝日杯!!』
「ぁ……」
無力感をかみしめながら。
私は……ジュニア級最後のレースで、あの白い勝負服の背中を、また見つめる事になった。
クラシック級になってから。
私の身の回りには『壁』が増えた。
弥生賞で見せつけられた、文字通り『桁の違う』末脚。
小柄な体を目一杯使った、驚異的なキレとノビに、私は敗れた。
その頃から、私にレッテルが張られる事になる。
いわゆる、シルバー、ブロンズコレクター。
良い所までは行く。だが勝ちきれない。
ウイニングライブのステージは常にバックの誰かの一人。
いい所まで行くのに……その前にある『壁』は、薄いようで、果てしなく大きかった。
「……はぁ……」
実家からかかって来た電話の内容は、基本、私の身を案じるモノではあるが。
言葉の端々の裏に『G1勝利は狙えそうか?』といった思いが、見え隠れしていた。
……まあ、名家に生まれたウマ娘にとって、『家』という枠組みはそんなモノである。
とはいえ、『衝撃』と『怪盗』に挟まれたこの状況は……私も含め同期全てのウマ娘にとって、果てしなく厳しい。
片や『逃げ差し』『溜め逃げ』まで使う、全てを翻弄する大逃げ。片や『飛翔』とまで語られる末脚。
片方だけでも対処に困るのに、更に両方に備えて仕掛けねばならず……しかも『怪盗』のほうは、レース自体を加速させて『駆け引きそのものを潰しに来る』という悪辣さである。
「どうすればいいんでしょうか?」
「……うーん……」
私の担当トレーナーも、腕を組んで考え込んだまま、答えを得られず。
むしろ……
「……ダービーをあきらめて、安田記念の方に行く、とか」
「トレーナー!!」
「冗談だよ、冗談」
などと誤魔化してはいるが。
割と真剣に検討されている事を、私は知っている。
というか……
「お前の所もか」
などと、サイクロンティーに言われたあたり。
同世代みんな、あの二人のせいで、とんでもない事になっていた。
「え? トレセン、辞めちゃうの?」
「うん……ヒシアマ寮長やトレーナーと相談して。
父さんや母さんとも話をして、地方に行く事にしたの」
中央トレセンに入学出来ても、そこで芽が出ずに地方のトレセンに移籍、もしくは、アイドルとしての道を断念し、一般的な高校、大学から就職する道を目指すウマ娘は、決して少なくは無い。
むしろ、ウイニングライブを一度も踊れずに学園から去っていくウマ娘のほうが、総数から考えれば多いくらいだ。
そして、今日、そんな道を選んだのは……同室であり、同じ『マイネル家』で親戚のウマ娘だった。
「頑張って。マイネル家であの二人を芝のターフで倒せるのは、君しか居ないから」
「う、うん……」
安心させるために笑顔を作るも。
内心、その笑顔は引きつっていた。
倒す? あの二人を? レースで? どうやって?
……期待が。
期待だけが、私の両肩に、降り積もっていった。
「よっ♪ ちょーっと聞きてぇ事があるんだけど、今、いいか?」
「え? 珍しいね。何?」
ある日。
図書室に向かう途中の学校の廊下で、バーネットキッドに声をかけられ、私は首を傾げた。
「弥生賞で、あの『衝撃』と走ったんだろ?
同じ寮のよしみで、少し走った感想とか、レースの塩梅とか教えて欲しいんだけど」
「あんたの事だから、レースのビデオは見たんでしょ? アレが全てよ」
「まー、バケモンみたいな末脚は見たけどよ。
正直、4コーナーから最後の直線に向けてのポジション取り自体は、お前の方が上手くやっていたじゃねぇか。
だからこそ、なんかこう……ヤツに関しての情報とか無ぇかな、ってさ」
「おあいにく様。同じ皐月賞に出るライバルにあまり語れる事は無いわ」
「だよねぇ。うん、聞いた俺がバカだった。すまん、邪魔したな」
そうして、『怪盗』は去っていくと。
私は貸出期限の近い、借りた本を返しに図書室に向かい……
「すまない、ちょっといいか?」
「!?」
借りた本を返して新しい本を借り。
ついでに持ち出し不可の本を広げて読書に
今度は『衝撃』のほうが、私に声を掛けて来た。
「バーネットキッドに関して、少し知りたいんだ。
私は栗東寮で、正直、美浦寮のウマ娘には不案内でね……君はデビュー戦から何度か彼女と一緒のレースを走った経験があるのだろう?
少し、教えて欲しいんだが……いつも彼女は『ああ』なのか?」
「……同じことを、あなたに関して彼女に聞かれたから、同じ返事を返すわね。
私も、皐月賞に、出走する、ウマ娘です」
「! ああ、そうか……そうだったな、済まない。邪魔をした」
そう言って、彼女は去っていき。
読書を続けられる精神状態じゃ無くなった私は、自室に戻り、同居人が居なくなったばかりの広い部屋で、悔しくて泣いた。
二人揃って『眼中にすら無い』と?
……絶対に……レースで見返してやる!!
『本当にあの時、悔しくて。そう思ってました』
ウマ娘の研究者として、白衣に身を包んだ彼女は、当時を振り返り、弊誌のインタビューにそう答えた。
『怪盗』と『衝撃』の二強に翻弄された『あの世代』の中で、一部のファンからは、『シルバーコレクター』『ブロンズコレクター』として名の挙がる彼女だが。
それでも『マイルCSを勝利した』立派なGⅠウマ娘だ。
『絶対に努力してレースで見返してやる、って。
でも……研究者として色々とデータを分析すればするほど、今思えば、本当に無謀だったな、って。
それにあの後、バーネットキッドの居ないダービーを走って……もう自分の距離と才能の限界が見えちゃったんです。
そうしたらもう……『勝つためにはマイル路線に行くしかない』ってトレーナーの言葉を、素直に受け入れるしかなくて』
――失礼ですが、そこで一度『折れた』と?
『ええ。友人のサイクロンティーも、距離や走法こそ変えませんでしたがGⅡ、GⅢ路線主体に舵を切りましたし……彼女はキッドとよく併せで練習していたし、同じ逃げウマ娘だったから、より強さが分かっていたんじゃないかな。
でもね……逃げた先で、なんとかGⅠウマ娘の栄冠は獲得したけれど、その時の『無理』が結構致命傷で。あとはもうシニア級の間は、体と相談しながら騙しだまし、って感じでした。だからドリームリーグ入りも断って、前々から興味があった研究者の道に進んだんです。
それに、あそこは『本当の天才』だけが集まる世界ですから、私みたいな凡人には辛すぎますし。あと、マイネル家に対してGⅠ勝利という『義理』は果たしたんで、もう好きにさせてもらう事にしました』
インタビュアーにそう答えた彼女の表情は、レースから遠ざかったウマ娘らしく、穏やかなモノだった。
今、研究者として活躍している彼女だが、その研究成果は全国のトレセン学園のウマ娘にとって非常に有意義なモノも多く。引退したウマ娘としては『成功者』と言っていい。
ただ……
『居るんですよね……『天才』って。ほんと、悔しいけど』
インタビューの最後に、彼女が漏らした言葉には。
どうしようもなく手の届かない……恐らくは『真の天才』への憧憬が籠っていた。
学園でモブレベルではなく『平均より上位』でも『圧倒的強者』に蓋をされてるウマ娘って、こんな葛藤を抱えていそうだな、と……なお、モデル馬の史実ルートよりも『少しだけ』成績は上振れしています。