……参った。
いつものように、東京競馬場の出入り口で新野女史と合流して馬主受付を済ませ。
レースの予定があった園長と出会って、挨拶を済ませて、開口一番。
「ところで蜂屋君。キッド、凱旋門に挑戦するつもりなんだって?」
「え、ドコから聞いたんですか園長?」
そう、共同通信杯である。三歳馬のレースである。クアッドのレースである。
今日、この日、この東京競馬場において。
キッドの事はこれっぽっちも関係が無い。
キッドの出走するダイヤモンドSが行われるのは、同じ東京競馬場でも来週の話である。
なのに……
「いや、もう競馬新聞に載ってたよ?
登録情報って、基本、公開されるから馬主の間で噂になってるよ?」
「あぁー、そっかぁ……しまったなぁ。
まあ色々あって石河調教師と相談した結果、条件付きで凱旋門に挑戦しようって」
「えー、色々って、何が有ったの?」
「ちょっとそれはご勘弁を。厩舎の秘密に関わる事なんで。
まあ、そこで出した条件が、春天か宝塚を勝ったら凱旋門に行きましょうか、と。
で、宝塚の結果出るまで待っていたら、普通の締め切り超えちゃうんで、さっさと登録したほうがいいかと思いまして」
「なるほど。ところで、その……」
園長の目線の先。
俺の右目の上の『眉毛のあたり』には、医療テープでガーゼが張り付けられていまして。
「あー、コレですか? あの中山大爆笑の詫びに、石河
剃った時は『笑いものになる覚悟の上』だったんですけど、冷静に考えたら、片眉人間が街を闊歩していたら、そりゃ『何かの脱毛性の病気か怪我に罹った人』って思われて、見て見ぬフリの同情されるのが普通だよなぁ、と……ご所望でしたらガーゼ剥がしますが?」
「い、いや、いいって……」
「以前、石河師が付けてたカツラを『ブッピガン』とか『パイルダーオン』とか悪フザケしちゃったけど、今ならその気持ちが良く分かりますよ。多分、今の俺って『カツラが本体』ならぬ『ガーゼが本体』とか思われてるんだろうなぁ……」
そう、困ったことに。
眉毛って完全に剃っちゃうと、薄い人だと、元に戻るのに半年くらいかかるのである。
なにしろ、年末に剃って二か月経っても、剃った右眉毛だけ明らかに薄くて。
鏡で見る自分の顔が、正真正銘『考え無しのバカの顔』のままなのだから。
「他の馬主の皆さんと違って、普段、顔で商売をしてない分、執筆作業に集中できるといえば出来るんですが……園長を前に言うのもアレなんですが『片眉落とせば笑われる』なんて、単純すぎてお笑い舐めた『正真正銘のバカの顔』に仕上がっちゃいまして。
ホント、考え無しに眉毛は剃るモンじゃないですね」
「わははははは、そりゃタダの『考え無し』で『型無し』じゃないか。
行動そのものは『型破り』ではあるけど、『お笑い』にするには、あと一歩が足りてないよ」
「ですよねー。
いや、園長は『19万人を笑わせる人』ですけど、石河
よくよく冷静に考えると『笑わせる』のと『笑いものになる』のとは、全然違うワケで……そういう意味でも『型無し』と『型破り』の差って、似ているようで凄く大きい紙一重があるんだな、と」
「あー……分かる。俺も必死でコントのネタを考えているけど、キッド君のアレみたいな『天然物の笑い』には、どう頑張っても勝てないって思うもんね」
ふと。
そこから気が付く。
ああ、だから……ホームビデオを貸し出してまでやっていたアレって、そういう側面も……
きっと、そこからも色々勉強してたんだろうなぁ……
などと考えていると。
「おお、蜂屋オーナー、お久しぶりです」
「あの、凱旋門の噂は」
「ああ、いえ……ディープに宝塚か春天で勝てば、という条件付きですから」
入れ替わり、立ち代わり。
凱旋門に挑戦の噂の真偽を確かめに、他所のオーナー様が質問に来る事態に。
ああ、コレ、会見かなんか、またやったほうが手っ取り早いんじゃねぇか?
いっそ、競馬新聞の記者とかに情報流すべきかな、とか考えていたり。
っつーか、クアッドのレースなんですけどねー、今日。
何しろ……
「今日こそは。あの奇襲は一度見たら、何とかなるやろ」
「ウチも二歳の時に苦杯を嘗めさせられていますからな」
ああ、大手馬主の
うん、館さんとクアッド頑張って。死なない程度に超頑張って……………優勝掻っ攫ってきてくれるといいなぁ……などと考えていると。
「やあ、こんにちは、蜂屋オーナー」
「ああ、お久しぶりです、金戸オーナー」
……わぁお……GⅢのレースなのに、馬主席にキンコンカン勢ぞろいだー……
「もしかして……凱旋門ですか?」
「ああ、話が早い。どうです、ディープと一緒に?」
「いや、本決まりじゃないんですよ。
締め切りの都合上、早めに登録だけ先にしたダケの話で。石河師に条件を付けまして」
「ほお、条件? どのような?」
あー……コレ、オーナー当人の前で言うのかぁ……
「そのー……春天か宝塚の『どちらか』でディープに勝てたら、という条件で」
「なんとまぁ……それは困りましたな。それだとキッドが凱旋門に来れないじゃないですか」
「ええ、私もそう思います」
軽い挑発に対する俺の回答に、思いっきり肩透かしを食らったような表情を浮かべる金戸オーナー。
「即答ですね」
「だって、皐月賞は二の足使った奇襲勝ちで、有馬記念は最良の枠順で同着でしょ?
結果は結果とはいえ、こんな状況で『春天も宝塚もディープに勝てます』なんて脳天気な事、とてもとても言えませんし。
あえて凱旋門に挑むならば、この現状を踏み越えた『もう一歩』を示せるかどうかの確信が欲しいんですよ。
……まあ、こんなだから、ファンや新聞の方々には『ディープ恐怖症』なんてからかわれるんでしょうけど……」
「ああ、なるほど……」
更に……
「というか……正直ディープだったら単騎で凱旋門こじ開けて、飄々と帰って来ると私は信じてるんですけどね?」
「え? いや、それは……どうでしょう?」
「いや、大真面目に。多分出来るんじゃないかと。あの子なら?」
「高評価ですねぇ……」
「いや、私個人としては、冷静に判断してるダケのつもりでして。
今現在の私の知り得る限り、最高の馬がキッドなんで、それを超えるのならば凱旋門くらいはいっちゃうんじゃ、ないかなーと……まあ、私は凱旋門行った事が無いので、かなり雑かつ無責任な見積もりではありますが」
「キッドを超える、と?」
「来るでしょう。
というか……さっきも話した通り、正直、実力にプラスした作戦勝ちや運勝ちの部分も大きかったと思ってるので。
ネット掲示板にあった小話なんですが、あの二頭『ブルース・リーとジャッキー・チェン、一対一ならどっちが強い?』みたいな関係だと思ってますし」
「ほう。で、その小話、どんなオチが?」
「『リーの勝ち。ただし、間に椅子や梯子が一個でも置いてあったらジャッキーの勝ち』……多分そろそろ、こっちの椅子も梯子もネタが尽きて来るんじゃないかな……3000超のレースって枠順ほぼ無関係の真っ向勝負ですし。
あと、その……お話を頂戴しておいてアレなんですが……」
「?」
暫し、躊躇いながらも。
しかしキッパリと……
「今日、私、クアッドターボのレースを見に、ここに来たんですよ。
なのに、会う人会う人、みんなキッドの話ばかりで……」
「あぁ、なるほど。申し訳ない、それは失礼を」
ほっ……理解してくれた……
まあ、とりあえずこれでこの話は一区切り……
「では、この話の続きは『来週』ですな」
あ、来週も来るのね……