(さて、どうしてくれようか)
美浦トレセンの坂路を駆け上がりながらも。
俺――バーネットキッドの頭の中は、ある事で一杯だった。
即ち……パドックで披露するネタが尽きた。
一通りやらかして対策をされまくった結果、出来る事が変顔と尻尾振っての挨拶くらいしか無くなってしまったのである。
ったく、ツマラン……
いっそ『二足歩行でパドックを周回したろか』と思ったりもしたが、二人がかりで頭を押さえられて引綱を引かれてしまっては、馬という体の構造上、後ろ足で立ち上がろうにも、立ち上がる初動を完全に抑えられてしまい上手く行かず………ん?
……待てよ?
そうか! 頭を押さえられるのならば、逆立ちをすればいいじゃないか!?
本日のトレーニングを終え、放牧に出された今がチャンス!
よし、軽く練習を……うむ、イケる! 出来るぞ逆立ち歩き!
いえーい、俺、天才じゃね!?
と、こんな感じで、一歩、二歩と、逆立ちして歩き始め……
「やめろキッド!!
最悪、蹄が腐るし、倒れたら首が逝くからマジでヤメロ!!」
厩務員君に滅茶苦茶怒られて、このネタはあえなくお蔵入りになりました。 ……ちぇー……
「アイツ、本気でパドックをM-1の舞台か何かだと思っとりゃせんか?」
「育ての親として完全否定できないので、マジ勘弁してください、戸竹さん」
後ろ足で立ち上がるどころか、前足で逆立ちまでしてのける。
筋力と運動神経と柔軟性と平衡感覚をフル活用した、正に『才能の無駄使い』としか言いようのない所業を繰り返すキッドに対し。
当初は『あのオーナーの馬だし』で済んでいたモノが、だんだんシャレにならない事態にエスカレートしている事に、石河厩舎の面々は真剣に頭を抱えていた。
「いや、諸悪の根源は、オーナーとお前な事は間違いないだろうが。
あのヒゲダンスで完全に味をシメたって自覚はあるだろ?」
「一応、一度怒られれば同じ芸をやらない程度には、頭が良いのが救いなんですけど……
ここまで『芸』がエスカレートすると、パドックで真剣にナニやらかすか知れたモンじゃないですよね……」
「なんというか、今回の逆立ち歩きにしてもイタズラに命賭けてるとしか思えんな……」
『レース前のパドックで、バーネットキッドを如何に大人しくさせるか』。
『ディープインパクトとレースでガチらせる』という論外なシチュエーションを除いて、その至上命題を果たすための方法を、厩舎の一同が真剣に模索する中……。
「あ……いや、戸竹さん。
『イタズラに命』というより『周囲の人間のウケを取る事に』命賭けてるんじゃないですかね?
周囲の人間が笑う反応を見て楽しんでいるのならば……つまり、今回の逆立ちのような騒ぎを起こさせずとも、要はキッド自身が『周囲のウケが取れている事を確認できれば』満足させる事はできるんじゃないですか?」
『育ての親の一人』のその言葉に。
嫌な沈黙が会議室に降りる。
「お前……何、考えてる?」
先達であり、厩舎内では直属の上司である戸竹が、嫌な予感と共に、担当厩務員に問いかけると。
「要はパドックでキッドが『周囲に迷惑を掛けず』『大人しくしてさえ居ればいい』ワケですよね?
ならば……蜂屋を見習って、一個人の恥とか外聞とか、そーいったのぶん投げて考えれば、案外答えは簡単かもしれません」
その、『何か』の覚悟のキマった返事に。
「……お前、まさか……」
嫌な予感をさせながら問いかける調教助手に対し。
「俺、まだ二十歳ですから。
いくら石河家の血筋でも、親父と違って毛根はまだ大丈夫なハズです!」
無敗11連勝、GⅠ6勝の担当馬に全てを賭け、悲壮な覚悟を決めた担当厩務員の姿がソコに有った。
「……ぶっ……」
「ぷぶっ……ぶっ……」
「ぷっ…ぶふおっ……」
2月12日 日曜日
東京競馬場、第11レース、ダイヤモンドS(GⅢ)。
その出走前の、馬主専用パドック……否、観客が集まるパドックの外周全てで。
例によって例の如く、ジャパンカップ以来の『笑ってはいけない東京競馬場パドック周回』が行われていた。
なにしろ……青々とごりんに刈り上げた厩務員の
あの『有馬のご来光』の記憶も生々しい中、パドックでやらかす事がソレで……観客どころか騎手も馬主も他所の厩舎関係者も、みんな必死に笑いを堪えていた。
そんな中……
「無茶しやがって……」
バカをやる意味と理由を事前に聞かされていたために、もう笑う気も起きないというか……オーナーとしても育ての親としても、あの癖馬の本性を知っているだけに、二十歳にもなってバカに付き合わされる
……後で本気で、ゲーセンでも飲みでも、個人的におごってやろう……
「彼のごりん頭って……また何か厩舎でトラブルがあったんですか?」
「いえ、なんか……聞いたところによると、毎回毎回パドックで二人がかりで頭を押さえられたキッドの奴が、とうとう放牧中に逆立ち歩きの練習をし始めたそうで。
そんな大立ち回りをパドックでやらかされるくらいなら、いっそ『笑いもの覚悟で、禿げ頭でも舐めていてくれるほうが、まだマシだ』という結論に落ち着いたとか何とか……」
そんな風に新野女史に説明すると。
「……ベストじゃなくてベターを尽くした結果ですか……」
『何故ベストを尽くさないのか』って目で見られるんだけど……ベストを尽くすとキッドのストレスが半端ないのである。
それが普通の馬だったらいいが、奴は脱走の常習犯なので、なるべくストレスを軽減する方向で考えると、結局こうなってしまうわけで。
「まー、若い男子の特権ですよ。坊主頭って」
「左様、この年になると丸刈りにするには覚悟と勇気が必要になりますからな」
「いや、多分、やりたくてやる人は若い人も、あまり居ないと思いますが」
そんな気の抜けたパドックで、気の抜けた会話を他の馬主様とするも。
独特の間延びをした『止まれ』の掛け声と共に、それぞれに騎乗する騎手が掛け寄って来ると、一気に空気が引き締まる。……約一頭を除いて。
「なんか……お疲れ様、賢介」
「なに、笑いものになる覚悟さえキメちまえば、むしろ気は軽いさ」
唾液でデロデロの頭をタオルで拭きながら、駆け寄って来た鞍上に説明する。
「それより、兄貴。斤量も60キロで3400だからな?
前々から言ってるけど『異常を感じたら、即、レースを中止してくれ』ってのはオーナーと
「了解。俺としても3000超の距離を『逃げ』で挑むのは初めての経験だからな。勉強させてもらうよ……っつか、それよりオーナーと
「今ン所問題無し……と言いたいが、聞いてるだろ?
凱旋門行きの発破かけられちゃったモンだから、
このレースも、オーナーは『春天の試金石』と見てるけど、
「確かに、この斤量は凱旋門に近いからなぁ」
そう言って鞍に手をかけて、サポートを受けながら騎乗して。
地下馬道を手綱を引かれて誘導されながら歩きつつも。
「……そういや、聞きそびれたんだが。
お前は育ての親として、キッドの凱旋門に反対か?」
「仕事だろ? やるならフランスに行く覚悟はキメてるよ」
「個人の本音は?」
「……反対。でも俺はどーこー言う立場じゃねーからさ」
「そうか……意外に割れてんだな、ウチの陣営」
「え?」
「賢介、お前からもオーナーに伝えといてくれるか?
10月1日から二週間前は、『今からスケジュールを空けてある』って」
そう告げると。
バーネットキッドは軽快な足取りで返し馬に向かっていった。
「ですから。
凱旋門の予定は、春天と宝塚の結果次第ですって」
馬主席に戻り。
レース出走前の空白の時間帯。
割とマジに凱旋門に勧誘してくる金戸オーナーに軽く引きながら、本日二度目の返事を返す。……あー……もー逃げてー……
「ふむ……正直、ウチのディープとキッドで組んで出られれば、凱旋門は『どちらか』だと私は思っていたのですが」
うわぁ……ウチの
「またまた……先週も言いましたが、ディープなら勝手に凱旋門こじ開けて、飄々と帰って来ると思ってますよ。私の想像力が及ばないダケかもしれませんけど」
「いや、二頭の勝負の舞台としても相応しいと思いますが?」
「まあ、夢『は』ありますよね、夢は……」
「その夢をこれまで貴方とキッドは叶えて来たじゃないですか」
「いや、多分……ほぼ、運だと思います」
「運? あの結果を?」
「いや、『人事を尽くしたら、後は天命』だからこそ、『ゲーム』って成り立つワケじゃないですか。競馬にルドルフ以外の『絶対』は無いですし……そのルドルフだって、無敗ってワケじゃないですから」
「その『絶対』を引き出したいんですよ。我々も」
『絶対』ねぇ……つか、ソレって……
「え? あ、あの、ソレ…もしかして……」
「?」
「失礼ですが、その……ラビット役でしたら、お断りしたいんですけど」
「あ……」
ラビット……囮となるペースメーカー役。
まあ、要るよねぇ? 日本競馬だったら(建前上)ルール違反だけど、欧州競馬じゃフツーに公式に認められているし。
問題は、『囮はあくまで囮』であり。自らが勝利する見込みを捨ててレースに徹さねばならない、という事である。
ウチのキッドが? 敗北前提で? レースに? ン千万の費用+4歳の古馬としての充実期を棒に振って? ディープのために?
「いやいや、そうではなくて。真剣に勝ち目のある勝負がしたいのですよ。
ただでさえ私も海外遠征に初挑戦なんですから」
「ウーン、ソウデスカ……デモナァ……」
なーんか嫌なモンが透けちゃったよー……そもそもロンシャン2400とか、キッド逃げ切れるんか?
冗談抜きにディープ無視して、国内に専念するほうがいいんじゃねーの、この状況?
ディープ陣営のそんな思惑が(後に誤解だと分かるものの)垣間見えちゃった俺は、即座に意識を『暖簾に腕押しモード』に切り替えて、冷や汗かきながら言質取られないように、馬主席で逃げ回る事になるのだった。
「スタートしました!
まず先頭に立ったのは大外16番バーネットキッドぽーんと飛び出して、その後ろをシェイクマイハート、フサイチアウステル、オペラシチー、ルーベンスメモリー、続いてトウカイトリック、ゴーウィズウィンド、少し空いてハイアーゲーム、ハイフレンドトライその後ろマッキーマックス、ダイワキングコン、メジロトンキニーズ。更に空いてファストタテヤマ、アンドゥオール、シャドウビンテージ、ブリットレーン。
最初の3コーナーを曲がって第4コーナーに入る所で、バーネットキッドが飛ばします! 既に5馬身、6馬身……大丈夫かバーネットキッド、グングンと差をつけてスタンド前の坂を駆け抜けていく!
凄いペースで後ろを引き離す! 3400だぞ大丈夫か!? 1000メートル通過タイムは59秒1! この馬にしてこのペースを、遅いとみるか暴走と見るか!?」
「第1コーナーにバーネットキッド突っ込んで、その差は二番手のシェイクマイハートから10馬身を超えて。
もう実況からは一つの画面に収まりきれません! その差はなおもグングン広がっていく!」
「二周目、向こう正面になって、後方集団が動き始めるが、我関せずとばかりに快調に飛ばし続けていますバーネットキッド! 下りで手前を入れ替えて、なおも加速!」
「3コーナーを回って中間時点、後続が詰められない、詰めて来られない!? どんだけ飛ばす気だバーネットキッド!?
さあ、最終コーナーに流星のようにただ一頭! 白い馬体のバーネットキッドが単独で突っ込んで来た!
後ろからはまだ来ない! 後ろには誰も居ない! 最後の直線は完全に怪盗の独壇場! セイフティーリード! 鞍上石河、完全に持ったまま! 持ったままで今! ゴールイン!!」
「タイムは3分28秒6! 20馬身の大差をつけてのレコード圧勝!
そして、無敗12連勝の日本中央競馬の勝利記録達成!!
これはもう桁が違う! 才能が違う!
初めての長距離! 初めてのハンデ戦! 60キロの斤量をモノともせずに逃げ切りましたバーネットキッド!
春の天皇賞に向けての、距離の不安を一気に払拭しました!!」
「うわぁ……」
「あぁ……」
レース直後、軽く『ヨシ!』と拳を握るも。
ソレすら響くような、完全にお通夜みたいな馬主席に、何人かの乾いた笑い声が漂いはじめ。
「……あ、ども……また、勝たせてもらいました」
「何時負けるんだよ……」
お義理の割と乾いた拍手が響く中。
ぼそっ、と何処からともなく聞こえた小さな声を、聞かなかった事にして頭を下げまくる。
いや、出来すぎだよね、ホントに……
「長距離もアリなのか……」
「ホンモノのお化けだ……」
などと、他の馬主様たちが恐々としていたり。
……失礼な、お化け馬はディープインパクトのほうだよ……などとは思っても口には出来ず。
「蜂屋オーナー? このレースを見ても、キッドが凱旋門でラビットに収まるとお思いですか?」
「イヤ、ドウデショウカネ……まあ、春天か宝塚に勝てれば……とは考えていますから」
そうやって金戸オーナーの追求を必死に誤魔化しながらも。
言質取られるボロが出る前に、撮影準備完了のアナウンスが早く来ないかな、と、馬主席で気を揉み続けるのだった。