この男、モモと名乗る商人を前にした者の大部分がそれを考えずにはいられない。
「―――ではフィルターの交換部品はそのように。
支払いですが、」
「あぁそこは分かってる。こっちもアンタの指定の通りにするさ」
ここは偉大都市の外縁部に位置する闇市。
そしてそこの少し奥、屋外と屋内の中間のようにビニールで覆われただけの屋台の一席だ。
日は沈んではいるが市の表通りはまだまだ活気が大きい。一方、奥の娼窟が「元気」になるにはまだ少し早い。そんな時分だった。
店内には旧時代の
サイロは家族を養うため小さな会社を持つ小市民だった。
従業員用の安価なマスクフィルターを求めていたところ取引先に紹介されモモとこの日に会ったばかりだった。
「では交渉成立ですね。商品は明後日御社まで部下がお届けいたします」
演技を感じさせない丁寧な笑みでモモはサイロに笑いかける。
サイロ自身、小さな会社の社長を務めているので営業用のソレと理解できる。そうでなければ慈善事業に取り組む聖人と誤解できるまでの綺麗な笑みだった。
「おう、事務所にゃ誰かしら詰めてるから居るやつに渡してくれりゃあいい」
機械的に会話を返しながらサイロは店内にかけられたDメーターをちらりと見た。
数値は危険域、一般的な野外と同等を示している。廃塵機もないどころかテントのような店だ。なにもおかしなところはない。
「いやはや商売はこうスムーズに進むのが一番です。サイロ氏を紹介してくれたデダナン会の方々には感謝しなければ」
「ん、あぁそうだな」
少し戸惑いでサイロの答えが遅れた。
そう、サイロはモモに戸惑っていた。
「店主、サイロ氏に紹興酒を。なに取引成立のお祝いです」
サイロから見てモモはまだ二十歳かそこらの優男だった。
マスクの下にシンプルでいて高価を思わせる
頭髪は長い銀でマスクの外、腰辺りまで届いている。
総じてこの貧乏人が集う闇市には似合わない、上層階級の香りが漂う人物と判断できた。
しかし、サイロの戸惑いはそこになかった。
なにしろこの巨大都市には脛に傷を持つ者がごまんと居る。堅気だけが金を持っているわけではない。
塵工灯の陰でどれほどの非合法取引があるかなどサイロには想像出来ない話だ。
であるからしてサイロがモモに対して持つ戸惑いは別にあった。
「なぁモモさんよ、ひとつ聞いてもいいか?」
「おやまだ何かご入用なお品がありますか?御用とあらば我がキョウリ商会まで」
冗談めかすように語りながらモモはグラスをサイロに差し出してくる。
初対面とは思えない態度もその営業用スマイルも相まって堂に入っている。
「そいつは今回の取引次第だがよ。なんで透明なマスクなんてものを付けているんだ?」
サイロはここでモモに会った時から抱いていた疑問をついに口にした。
サイロにとってマスクとは第一義にこの星を覆う砂塵粒子からその身を守るためにある。
そして第二にその顔を他人に晒さないこと。どこで恨みを買うかもわからないこの偉大都市においてそれはとても重要なことと言えた。
モモはその第二をあざ笑うかのように、透明なマスクを身に着けていた。
後頭部に当たる部位こそ防塵機能をもつ機材が詰まっているが前面はモモの顔がそのまま透過している。
「―――そんなことですか。」
モモの顔は笑顔のまま、続けた。
「単に私の信念というだけのこと。面白くもない話です。
では、乾杯を」
明らかにリターンに対しリスクの合わない返答ではあった。
しかし家族でもない社員でもない、ましてや今日あったばかりの相手に踏み込む愚は犯すまい。
「「乾杯」」
誤魔化すようにぶつけたグラスの音は闇市の喧騒にすぐ消えていった。