日は中天にほど遠い、朝靄と砂塵が舞う偉大都市の朝だった。
もう間もなく旧文明の暦の上では春の頃合いとなる三月の終わりだというのに外気は刺すように冷たい。
ここは四番街の外れ。
四番街は偉大都市の中でも特に企業のオフィスがひしめき合うビルの森だ。
中央連盟が敷く法と秩序が表面上色濃く出ている。
その中心部から多少なりとも離れたとはいえその繁栄の影響はある。
ここ、三階建てのビルの屋上はビルによって日照が遮らる形で文字通り繁栄の陰に居た。
「うん、良い朝だ」
その陰しかない屋上には最低限の防塵加工しかされていない三人掛けのベンチがぽつんと置いてあった。
年代物、というよりがたがきたという表現が似合うそこに男が腰かけている
モモ・キョウリ、貌を晒す透明のマスクを着用した商人である。
人体にとって有害である万能物質、砂塵粒子が星を覆うこの現代において人々は顔を覆うマスクを身に着けている。
意匠は各人様々である。が、ある程度マスクによってその
特にわかりやすいところでは所属する組織で統一したりなど。
公的機関に宗教団体、果ては非合法な暴力集団。
群れることが争いと同様に塵禍以前から続く人の本能であるとする学者の言もあるように分かりやすい帰結だ。
第二の顔ともいえるマスクは自身が何者かを端的に示すことが出来るツールであるからして。
そしていわば対外的な顔がある以上、素顔というものをプライベートとする風潮は在った。
誰にも見せぬという訳ではない。公的書類には当然ながら素顔は登録されるのだ。
だが他人に晒すことが少ない素顔がプライベートなもので、身内や親しいものと共有する不文律は特に治安の悪い街区において強くある。
なぜならこの繁栄と秩序に覆われた偉大都市は同じくらいに貧困と暴力が支配している。
喜んで己の素顔を晒すものは社交界にて
そうしてモモはその三つのうちどれでもない。
この日陰のビルはモモが経営する会社であり、仕入れた品を保管する倉庫であり、モモ自身の住処である。
さりとてこの日照権を諦めた場所に居を構えていることからわかるように大金持ちとではない。
身なりは整っており、極度の貧困にあるわけでもない。
そしてこの砂塵を生み出したという女神を信仰している筈もない。
にもかかわらず、その透明なマスクはモモの顔を外に晒していた。
人目を惹く銀の長髪も、色素の薄い瞳も外界から見ることが出来る。
不自然なほど光を通すマスクを付けたモモはそれほど常識から外れた
そのますくはあまりに透明度が高く、表面のディティールを見て取ることは困難だ。
薄い
モモはマスクから流れ出た銀髪を無造作に縛り、余所行きの高級なジャケットをベンチに投げ出していた。
刺すような寒さを無視しながら、モモの視線は手元の新聞に落ちている。
偉大都市を納める中央連盟が発行するものではない。
コシップを中心に取り扱ったような大衆新聞だ。
誰彼の熱愛報道、都市内での流行、ちいさな窃盗事件、中央連盟への薄い批判等々。
罅の刺激程度になる過激さが躍った文面を眺めながらモモは満足げに笑う。
「今日も偉大都市は平和だ」
分かり切った嘘を転がしながら、その笑顔は完璧だった。
耐性のないものならばくらとキてしまうような。しかしそれを見るものはこの屋上には誰もいない。
ビル街で不規則に吹く風が新聞を揺らす。
「今日も楽しくすごすとしよう」
モモが朝のひと時を過ごすこのビルは彼の会社兼倉庫兼住処だった。
連盟に登録された住所は別にあるが通うことが手間で生活の大半はここで完結している。
それもあり朝の時間を自由に使えていた。
部下が出社してくるまではまだしばらくある。
そのころ合いには同じような勤め人で街は騒ぎ出すだろう。
ここのところ近所に建っていた教会の解体工事も始まっており、ビジネス街然とした四番街とはまた違った騒々しさだ。
そんな時間の前、まるで息を引き取るような頃合いの偉大都市のことをモモは好んでいた。
夜半の静寂とはまた違う静けさ。
秩序と繁栄を身に纏い、暴力と退廃を隠したこの都市にこそその静寂が良く似合っている。
そんな益体もないことを考えながら朝を迎えるのがここ一年ばかりの日常となった朝の過ごし方。
そんな朝の贅沢はもうしばらく続いた。
日は中天を過ぎている。
「なんで納品程度に社長もついてくんの?」
商品を納品に向かう車両の助手席にモモはいた。
問いかけの主は車両の運転手、モモがトップを張るキョウリ商会の従業員だ。
「初めての取引先です。どういうところか見に行こうというだけですよ」
揺れる社内で器用に折りたたんだ新聞を眺めながらモモは気もそぞろに返した。
誌面にはやはりゴシップ記事が躍っている。
写真でも撮れば好事家たちが好みそうな画であったが運転手にはそう興味はなさそうである。
「にしても新規の取引先じたいがウチだと珍しいじゃんよ。
一介の従業員としては邪推したくなるっていうかさ」
「あぁそうだ、ベル?あなたまた喧嘩したらしいですね?」
車内には排塵機が稼働しておりモモも運転手、ベルも素顔を晒していた。
くすんだ金髪をざっぱりと切りそろえ適当に後ろで縛っている。
二十歳は過ぎているにもかかわらずどこか少年のような空気をもった女性だった。
鼻筋に張られた絆創膏がその印象を強めている。
背はモモよりも高くすごまれれば一般人なら逃げ出すか腰を抜かすかもしれない迫力も備えている。
その圧も助手席の上司からかけられる微笑には形無しだった。
「またマスクを新調していますね。
先週は流行りのふわもこマスクに変えたと聞きましたが」
ハンドルをきりつつ上司にちょっとした騒動をどう説明したものかと悩んでいるうちに追撃が飛んでくる。
ベルには欠点があった。
それは人よりほんの少しだけ喧嘩っ早いことである。
仕事上では我慢もするが私生活ではたいして我慢していない。
「買い替えに理由なんてナイデスヨ?」
「貴女が私に敬語を使うのは嘘をついている時だけですよ」
「どーりでばれるわけだ!?」
リアクションと共に雑に切ったハンドルで車内が揺れた。
「前を見て運転なさい」
「ごめん」
モモはそれきり新聞に目を落とすことなくニコニコとベルの横顔を眺めていた。
これ以上会話をしても藪蛇だとベルも気が付き以降は運転に専念することにした。
話題をそらされたことに気が付くこともなく、ベルはモモの笑顔を視界に居れぬよう車を進める。
目的地へと到着したのはそれから少し間を置いた後のことだった。
そこは重機を用いて車両などを解体する工場だった。
昨日モモが紹介を経て取引することとなった包帯マスク、サイロの
モモにとって信用のおける紹介者であったからサイロ自体は危ない相手と言うことではないのだろうと思う。
しかし紹介主がわざわざモモと繋ぐほどの人物かということに疑問があった。
足を運んでみてもそう大きくない、街にいくつもあるような工場だった。
野ざらしになった解体済みのガラクタの山に数台の重機。
屋根付きの工場も最低限の雨風を凌げるといった体で排塵を考慮されているものではない。
こじんまりとした二階建ての事務所らしき建物はさすがに排塵機が作動しているようだが。
「まずは事務所にご挨拶ですね」
「りょーかいボス」