球磨の薬指   作:vs どんぐり

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第14話 叢雲の薬指 10

[叢雲;Lv.103 → 104]

 人数がある日突然、およそ倍に増えてしまうという珍事を迎えて右往左往していたこの鎮守府も、ここ最近はようやく足が地につく、もとい帆に風を受ける舵取りができてきたように見えた。

 しばらく一ノ傘副司令の側で働きつつこの場所での仕事のやり方をサポートしていたけれど、それも必要なくなりつつあった。元ブラック鎮守府の責任者は思いの外仕事が丁寧で、持ち込んだパソコンのキーボードを叩き、あちこちに電話をかけて、あっという間にこの鎮守府に存在を馴染ませてしまった。部屋は相変わらず片付けようとしないけど。

 寮や工廠などの設備の増築工事もあと僅か一部を残すだけとなり、みんなも(一ノ傘副司令にこき使われる艦娘を除いて)変化した環境を原因とする緊張から開放されつつあった。

 夜になれば旧竹櫛艦隊と旧一ノ傘艦隊のメンバーが入り混じって飲み会を開いては喧嘩して、次の日はアルコールをさらに増やしてまた喧嘩していた。

「ビッぎゅセブンの力をあらどるなぁ!」

「わらしの扶桑姉さらを返せぇ!」

 殴り合う長門と山城を周りの阿呆たちは無意味に囃し立てている。夜になれば居酒屋鳳翔に様変わりする食堂は、一ノ傘副司令が来る前までは愚痴をこぼしたり悩みを打ち明けたりしながらしんみりお酒を飲む場所だった。私は食堂の隅から乱闘騒ぎを眺めながら、これはこれでいいかとコップに口をつけた。

「珍しいですね。叢雲さんの顔が赤いのです」

[電;Lv.100 → 102]

 電は私の隣の椅子に腰掛けた。

「ただのウーロンハイよ。明日も仕事があるし」

「流石なのです」

「電のそれは?」

「『電気ブラン』というらしいです」

 小さなグラスに綺麗な琥珀色の液体が注がれていた。半分ほど減っているそれを私に勧めてきた。香りをかいで一口飲むと、火を放り込んだように口の中が焼けた。吐き出しそうになるのをこらえて飲み込むと喉に電気が走った。ビリビリする。悶絶しているところに電が水を差し出し、ひったくった私はすべて飲み干した。じわりと涙が出てきた。

「ぷはっ! なによこれ、きっつぅ」

「でもお水を飲んだ後はどうです? 甘いでしょ」

 確かに口の中はまだヒリヒリしているけれど、それと一緒に甘さも残った。ただその甘さも風邪薬のシロップのような甘さで、美味しいとは思えない。

「電、まさかそれ好きで飲んでるの?」

「嫌いじゃないですよ」

「電気なだけに?」

「鳳翔さんに教えてもらったのですが――」

 なんて酒を出すんだ鳳翔め。

「まだ電気が当たり前じゃなかった時代、東京の銀座に日本で初めての電灯が輝いた年に浅草で生まれたカクテルなのだそうです。日清戦争より10年くらい前、日露戦争より20年くらい前ですね。今も雷門通りの東端にお店があります。スカイツリーやあの……えっと、形がアレな金色オブジェがよく見える場所ですね。その頃は海の外から西洋の珍しいものがたくさんやって来て、ハイカラな品を『電気ナントカ』って呼んだそうです。それにあやかってこのお酒も目新しく『電気ブラン』と名付けられたと。まあ珍しいものでごった返していた時代ですから、何でもかんでもそうだったわけではないみたいですけど、電気は珍しさの象徴のようなものだったのです」

 電はちびっとだけ電気ブランを口に含んだ。電気のような刺激と独特な甘みを楽しんでいるようだった。赤銅色の目は穏やかに、遠い昔の、急速に移ろう文明を見つめていた。小娘のくせに。

 私はウーロンハイで口直しをして、また黙って戦艦たちのバカ騒ぎを眺めた。山城を殴り倒した、怒り狂っているらしい霧島は今度は長門に詰め寄った。霧島は頭にカニ玉の皿を、ベットリと帽子のように被っていた。酔いのせいか恐怖のせいか震える手で霧島をなだめようとする長門の前に陸奥が割って入っ――ああ犠牲者が無駄に増えただけだった。金剛姉妹の末っ子を三人の姉たちは無責任に煽っていた。

 他の席では、空母たちだけは艦隊が統合する前とほとんど変わらなかった。旧一ノ傘艦隊にいた蒼龍と飛龍は一航戦と五航戦の間で泣きそうになっていた。加賀と翔鶴は箸を振り回して唐揚げを奪い合い、隙あらば相手の目を潰さんと火花を散らしていた(あんまりにも箸を折るので、正規空母の箸はみな金属製にしてある。だから文字通り火花が飛ぶ)。肴をめぐる正規空母の争いを肴にして軽空母の面々はひたすら飲んでいた。その中には早くも軽空母に改造された大鯨改め龍鳳もいて、龍驤と身を寄せ合って何やら泣いていた。そういえば二人ともここのところずっと一ノ傘副司令の命令で任務に駆り出されている。

「新しい飲み物、持ってきましょうか?」

 電に声をかけられ、いつの間にかコップが空いていたことに気づいた。

「ああ、ごめん。お願い」

 電は空になったコップを持って鳳翔のところへ向かった。料理で忙しい鳳翔が動き回る前のカウンターには球磨型の五人が座っていた。球磨は真ん中に座り、左隣では北上と大井がところ構わずイチャつき、右隣では多摩が、最近改二になったばかりの木曾に何かを言ってからかっていた。球磨は一人、なんだか私自身の背中を見ているかのように静かに飲んでいた。なんとなく、私と球磨、電、それと司令官の四人だけで艦隊をやっていた頃が懐かしくなった。

「お待たせしました」電に差し出されたコップを受け取った。電も今度は私と同じウーロンハイにしていた。

「ありがとう。ねえ電って一人で飲みに来るタイプやったっけ?」

「副司令官の訛りがうつってますよ。長くあの人の秘書艦やってるとそうなります」

「……お一人でお飲みになられるのでしょうか」

「来る時は雷と響、あと起きていれば暁と一緒ですね」

「じゃあ今日は?」

「一人じゃダメです?」

「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないけど」

「冗談です。今日は宣戦布告に来たのです」

「ふうん」

 長門を沈めた霧島に向かって、顔を真っ赤に染めてはしゃぐ榛名は「いいぞーもっとやれー!」と囃し立てた。慌てて榛名の口を押さえた金剛と比叡だったが、もう遅かった。もっとやろうにも辺りには金剛姉妹の他にいなかった。榛名を抱えて金剛と比叡が逃げ、霧島はそれを追いかけていった。戦艦たちが飲んでいたテーブル周辺の床にはひっくり返った料理や醤油差し、椅子、山城、陸奥、長門などが散乱していた。節度を知らない大学生の宴会が終わった後のようだった。

「で、何だって?」

「ですから叢雲さんに宣戦布告に来たんです」

「……恨みを買うようなことしたっけ?」

「ええ。叢雲さんはずっと竹櫛司令官と一緒にいましたから」

 そろりと電のほうを伺うと、私をまっすぐ見て笑っていた。「知ってるんですよ」と心の声が聞こえてきそうだった。私はウーロンハイを一気に飲み干して立ち上がった。「じゃあ私は今日はこれくらいで」

「まあまあまあ」

 電に服の裾を引っ張られ、椅子に倒れこむように座らされた。ああ、お酒に強いわけでもないのに飲むんじゃなかった。一気飲みと今のお尻への衝撃で酔いがさらに回った。

「まだ寝るには早いですよ」と言いながら電は自分のウーロンハイを半分、私のコップに分けた。

「お話しましょうよ。ねえ叢雲さん。私たちは古い付き合いなんですから、隠し事なんてしなくてもいいじゃありませんか。私たち艦娘は、いつ灼熱の炎に焼かれて寒冷な水の底に沈むか分からない身です。こうしてお酒を飲めるうちに話しておいたほうがいいと思いませんか」

「電あんた飲み過ぎよ。さっきの電気ナントカってお酒、そうとう強いヤツだったじゃない」

「叢雲さんの口から聞きたいんです。あなたの気持ちを」

「き、気持ちったって……そんなもの別に」

「では諦めてくれますか」

「んなこと言ってないじゃない!」他人ごとのように私は馬鹿だなあと呆れた。大概酔っていた。

「べつに人に話すようなことじゃないってだけよ」

「言葉にしないってことは、つまりお話にならないってことです」

「言葉にするとかしないとか、そんなこと関係ないわよ」

「口で直接伝えないで、それならどうするんです」

「どうって……どうにか、する」

「そのスタイルでも構いませんけど、じゃあ私が頂いていくのを叢雲さんは黙っていてくれるんですね」

「ダメ。そんなの許さないから」

「いえいえ許されなくても黙っていてもらえれば」

 私の拳がテーブルを叩いた。

「私のほうがずっと長く側にいたんだから! 誰よりも長く!」

「出会ったのは私が先です。この艦隊だって私がいたから出来たんです」

「でも強くしたのは私! アイツと一緒に大きくしたんだから!」

「関係ないです。これから一緒にいるのは私です!」

「ふざっけんじゃないわよ!」ああ言うな私のバカ。

 

「竹櫛は誰にも渡さないんだから!」

 

 電は私の失言が何よりも楽しいと言わんばかりに顔をニンマリとさせた。私は今更になって、一ノ傘副司令の艦隊のこちらへの転属を拒否しておけばよかったと後悔した。

「後悔は先に立ってはくれませんからね」

「人の心を読まないで」

 電は意地悪そうに言った。「私が一ノ傘『司令官』から離れなければ、って思います?」

「あんたは古い友人よ。何したって構やしないわよ」

「竹櫛司令官を貰っても?」

「絶っ対にダメ。それだけは許さない」

 電はまたニンマリした。私は熱くなった喉に冷たいウーロンハイを流し込んだ。

「今日はこれで満足?」

「大満足です。昔の叢雲さんならダンマリしてたと思いますけど――変わりましたね」

「……あんたは変わり過ぎて別人レベルよ」

「長くて、いろいろありましたしね」

「そうね。本当にいろいろあった」

 やけっぱちの熱が冷めて、少し二人でしんみりした。昔の事が色々と頭に浮かんでは消えていった。

「この鎮守府ができてから、本当に大変でした」

「うん。電は本当に大変だったと思う。それと球磨も――」

 向こうに座っていた球磨を見ると、手を添えた耳をこちらに向けていた。居酒屋鳳翔のカウンターに並んでいた球磨型姉妹が五人とも同じ格好をしていた。

 気が付くと食堂内は、時計の秒針の音が聞こえるほど静かになっていた。争っていた正規空母も騒いでいた軽空母もその他飲んでいた連中が全員黙って、こちらを窺っていた。私がコップを握り潰すと、全員の肩が一斉に跳ねた。

「あ、あんたら、盗み聞きしてたわね……!」

 立ち上がって睨みつけると、一人、球磨だけがガサゴソと動いた。セーラー服の下から小さなテレビのリモコンのようなものを取り出して、ボタンを押した。

【竹櫛は誰にも渡さないんだから!】

 ノイズ混じりの私の声が食堂内に小さく響き、私は球磨を殺さんと駆け出した。

 

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