球磨の薬指   作:vs どんぐり

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第18話 叢雲の薬指 - 来訪者

【1】

 

 一ノ傘が海に睨みを効かせていた鎮守府から十数キロ先に、日本有数の粗鋼生産量を誇る巨大な製鉄所がある。高炉を備える敷地は冗談のように広大で、構内の道路を、特有のナンバープレートを付けた自動車やトラックが、信号や踏切警報機に従い走っている様は日本の法から独立した自治区のように感じられる。安全という観点では、どの車も必ず規制速度以上の速度を出さないため、製鉄所の外よりは安全といえた。歩道はごく一部しかなく、歩行者も自転車もほとんど見られない。あまりに敷地が広すぎるため、製鉄所内で働く人々は移動手段として主に車を用いる。

 資材産業のテーマーパークのように、敷地内には様々な建物があり、内部、あるいは外部で鉄の材料らしきものをこねくり回したり、あるいは入道雲のような蒸気を吐き出したりしている。北九州にある遊園地「スペースワールド」のすぐ隣に未だ鎮座している、八幡製鉄所の高炉跡に似た設備も見受けられる。関係のない話だが、八幡の高炉跡内では今もなお作業をしている人影をJR鹿児島本線のスペースワールド駅から八幡駅の間で見ることができる。

「あの工場はまだ稼働している」

「作業員の幽霊が見える」

「廃材泥棒がいる」

 よほどの暇人でない限り電車以上に近寄らないため勘違いが多発するのだが、高炉跡内で作業中の人々は何らかの理由で撤去されるまで永遠に作業中のままである。

 

 

【2】

 

 

 我々が血眼になって集める鋼材は、製鉄所で艤装専用に製造され、形を整えられたものである。生産方法は当然ながら機密事項であり、新日鉄住金が韓国メーカーPOSCOにやらかされた例もあるため、製鉄所の見学に行ったはずの一ノ傘は「なんか、うるさくて熱かった」と何一つ学んではこなかった。

 製鉄所と出入りする船を守るため、私と一ノ傘、他にも数カ所の鎮守府は頻繁に見張りを出す。深海棲艦に接近を許してよい陸地などないが、大規模の製鉄所が一箇所でも潰されてしまえば戦争の天秤は大きく傾くこととなる。艦娘の装備品だけではなく、鉄はあらゆるものに大量に使用される。破壊された建物ひとつにいったい何トンの鉄骨が使用されているのやら。

 資源メジャーや中国の過剰でもあった鉄鋼メーカーの躍進により日本での「鉄は国家なり」がひっくり返され、同時に品質面での優位も揺るいで自動車向け鋼板などにも海外製が使用され、もはや拠点を海外に移し需要の多い新興国にターゲットを絞るしかないか、に見えたところに現れたのが深海棲艦である。海から襲って来る連中のせいで国内外を問わず需要が爆発的に増えたのだから、メーカーの偉い人間は「平和のためにも安定供給に努める」と取材記者の前で硬い顔をしつつ、設備をフル稼働・増築しても足りない需要を「業界に二度と訪れない特需」と言ったことだろう。

 

 

【3】

 

 

 一ノ傘の艦隊が私のところに転がり込んできた後、空になった鎮守府には重要な場所なだけにすぐに新しい者が配備された。とはいえ近海は一ノ傘がブラック的手腕で遠出ついでに敵を葬っていたので、一ヶ月は放っておいても平和なはずだった。そのため防衛上のご近所さんでありながらも、どのような人物が提督になったのか私の耳に届くまでしばらくかかった。

 警察でいうところのキャリアのような男だと聞き、しかし警察に興味のない私にはいまいちピンとこなかった。

「乱暴に言えばエリートのことです」と手近な椅子に座った電は言った。情報を持ってきた電は今日は休暇を取得しているはずである。しかし仕事熱心である彼女は私と、本日の秘書艦である叢雲の間に割って入ることを常に忘れない。

「現場を知らないのにどんどん出世街道を登っていく、みたいなイメージを持たれる感じですね」

「なるほど、ドラマで悪役にされるタイプか」

「逆に凝り固まった組織を壊す、ってパターンも多いのです」

「ならば私や一ノ傘とは扱いが違うのだろうなあ」

 ペンを走らせていた叢雲が顔を上げた。

「最初から正規空母を連れてたそうね。当面の運用資材付きで」

 どう返したものか困った。私は叢雲や電のような駆逐艦が正規空母に劣るとは考えていないのだが、広範囲の索敵や装備を自在に変更できる艦載機などは圧倒的なメリットである。顔に考えが出てしまったのか、電はフォローするように言った。

「でも所詮は練度の低いeliteです。flagshipのわたし一人の足元にも及ばないのです。それより問題は噂のほうですよ」

「噂?」

「経歴が隠されてるみたいなんです。普通はどんな作戦に参加したとか記録に残るはずなのに、その人については以前までどこかの鎮守府で司令官をやっていた、とだけしかはっきりしていなくて。怪しくないです? 記録を消すってことは、つまりその記録は誰かにとって面白くないものなわけですし」

「上がマズいものを隠したかったとかか? あるいは、どこぞの艦隊のようにブラックな運用をしていたことを――」

「そこなんです。流れている噂は」電は人差し指を立てた。

「指揮の腕も性格も、ちょこちょこ聞こえてくる噂は一ノ傘副司令が可愛く思えてくるような話ばかりなのです。ええもう本当にわたしは井の中の蛙でした。一ノ傘副司令こそ最悪だとばかり思ってたのですが、副司令なんて全然です。小物ですね」

 隣の部屋で今もキーボードを叩いているであろう一ノ傘が哀れでならなかった。私が一ノ傘の立場だったら心が折れて魚雷を抱いて海に飛び込んでいるに違いない。

「一ノ傘副司令の艦隊はブラック艦隊でしたけど、その例の人はまともな艦隊の運用すらままならなかったそうです。滅茶苦茶な編成で激戦海域に出撃させて、他の艦隊に『支援』と言いながら実質『救助』要請を出してばっかりだったそうです。記録が消えても『救助』に出た人の記憶までは消せませんからね。運良く逃れて助けられた艦娘がまた同じ海域で助けられた、なんて話まで聞きました」

「まさか捨て艦戦法ではあるまいな」

「ちょっと、やめてよ聞くだけで寒気がするんだから」

 叢雲は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「実質そうだったかもしれませんけど、そもそも戦法どころか戦略すらあったかどうかも怪しいみたいです。素人が同じ海域にずっと拘って艦隊の編成は二の次、みたいな感じで」

「何故そいつは提督になれたのだ? いや待て、一ノ傘がいた鎮守府にそんな奴が着任したというのか? 冗談だろ?」

「悪い冗談みたいですが、その人が着任していくらか時間が経ってます。ですので――」

「待て待て。本当に冗談じゃあない。あの鎮守府は工業地帯、特に製鉄所を守る要所だぞ。一ノ傘は出撃に出る『ついで』に近海の草むしりをしていたがな、それくらいでないと務まらんのだ。そんな無能に防御ができるものか。あの工業地帯に何かあればここら一帯の戦況が傾くぞ。……ああ、くそっ、余計な仕事が増えた。防衛の計画を……駄目だ、そいつが邪魔で話が通らん、予算も足りん! ……そうだ、今から一ノ傘を元の居場所に戻すか」

「おお、ナイスアイデアなのです」

「二人ともやめなさい……艦娘の私たちが考えることじゃないとは思うけど、実際に戦う私たちからしても足手まといのご近所さんは嫌よ。昔からずっとあんた」とは勿論、私である。「と一ノ傘副司令で持ちつ持たれつ上手くやってきたから尚更。工業地帯の防衛だって、ちょっと距離は離れてるけど私たちだけで十分やれるって思ってる。自惚れじゃなくて、ほぼ全員の認識は一致してるわ。面倒臭いって声も同じくらい多いけど……まあ、私たちはそんな感じ」

 実にあっさりと漏らす叢雲の話は、今に限らず貴重なものばかりである。

 てんでバラバラで言うことを聞かない連中に情報を流し、情報が鮮度を失う前に反応をまとめる。これは容易なことではないどころか私や他の連中には不可能な仕事である。百を超える有象無象は一人一人に考えるところがあり、ひねくれ曲がった球磨や悪運の化現である山城、頭のおかしい大井、営倉で罵り合う空母連中、鋼の如く動かず働かない日向……その他諸々、考えるだけで目眩がする阿呆共を整列させられるのは叢雲ただ一人をおいて他にない。

 それに私が新たに防衛海域を増やすと言えば、阿呆共はブーイングしか返さないだろう。そのことを(私としては情けない限りだが)叢雲も理解してくれているらしく、根回しを積極的に行ってくれる。私の叢雲以上の秘書艦が古今東西に存在するだろうか、いやいない。

 叢雲は話を続けた。

「だから私たちが演習で、あまり良いやり方じゃないけど徹底的に脅して大人しくさせるか、上手くいけば演習結果が上層部に人事異動を掛け合うための材料になるかなって」

「成る程なあ。相手は知らんが万に一つも負けないであろうし……ん? 演習?」

 電は面白がって椅子をガタガタ揺らした。

「ですので、今度の演習で天照大艦隊の圧倒的な力を見せつけて、しばらくあちらの司令官さんには執務室にひきこもって掛け軸コレクションでもやっていてもらおうかと」

「待て。演習とは何のことだ」

 電は「やらないんですか?」と首をかしげ、叢雲も片方の眉を上げた。

「演習も何も、相手が誰だかすら知らなかったんだぞ。そもそも、なぜ二人が知っていて私が知らないのだ」

 叢雲が不思議そうに答えた。「昨日の夕食の時、白露が食堂で話してたからみんな知ってるわよ。誰が相手になってやろうかって、ちょっとした騒ぎになって……ねえ電」

「なのです。一瞬で壊滅させるかジワジワ追い詰めるかで盛り上がってましたが……」

 私はどこぞの社名ロゴが名入れされた三色ボールペンを机に叩きつけた。昨日は外に出る用事があって、秘書艦だった奴に電話番を任せた。任せた私が馬鹿だった。もし奴が電話に出ることを怖がるタイプだったらまだマシで、奴は相手が上層部であっても平気で世間話を始めるタチなのだ。勝手に通話して自己完結してしまうのが奴だ。話し好きなくせに肝心の私への報告は忘れるのだ!

 私がぷるぷる震えていると、叢雲が静かに席を立った。

「えっと……白露、呼んでくるわね」

 

 

【4】

 

 

「明日? わざわざココに来るん?」と一ノ傘は目を丸くした。

「打ち合わせをしたいらしいぞ。我々にとっては急な話だがな、相手はしっかりと、あの阿呆――」会議室の隅に正座させている白露を指さした。「に連絡を入れているからな、延期はできん」

 私は叢雲を、一ノ傘は秘書艦の吹雪を連れて、会議室で頭を抱えた。私と一ノ傘の二人が黙っているので、ホワイトボードの前に立った記録係の吹雪は日付と参加者(白露の名前もあった)を書いただけで、他に何を記録すればよいのか分からず困った様子だった。

「あの……そんなに大変なことなんでしょうか。顔合わせと演習の打ち合わせ、なんですよね」

「そうやけどさー。色々気まずいやん」

「一ノ傘が弱気になってどうする。お前は得意じゃないのか、エリートだかフラッグシップだか……」

「キャリアね」叢雲がフォローを入れてくれた。

「そう、キャリアみたいな人物を上手く転がすのは得意だろう」

「ブチ殺しちゃろかアンタ、人をなんやと……ワタシ他の用事入れるけん、アンタだけで対応してくれん?」

「一ノ傘が出ないでどうする。元々お前がいた鎮守府に着任した奴だぞ」

 私の艦隊に戻ってきた電一人を追いかけるように、一ノ傘の艦隊は拠点に何の未練もなくこの鎮守府に引っ越してきた。押し掛けるように入ってきた一ノ傘の、電に嫌われ冷静さを失った顔はよく覚えている。一ノ傘自身でさえ、自分が何をやっているのか分かっていないようだった。電のことで頭の容量を埋め尽くし、防衛拠点を空にしたことなど微塵も頭になさそうだった。それから数日で今度は鬱々となり、電と和解させると次はブラック指揮っぷりを発揮して、元いた鎮守府の事など考える暇もなさそうである。

「お前が抜けた穴を埋めるために着任したのだろう。挨拶のひとつもしないでどうする」

「じゃああんた、合同作戦で自分が戦果あげるために妨害してくる腐ったヤツとか、頭が黄色い『T』の形した人間かどうかも分からんヤツと仲良くしたい?」

「それとこれとは話が別だ」

「一緒やろ。演習やるなら相手するし、してもらう。応援……要請があれば……部隊は出す。でもそれ以上仲良くしろって命令はなかろうもん」

「そう言う割には以前まで私の艦隊とべったりだったではないか、ツンデレめ、さては叢雲の真似「ふんっ!」あぼっ!?」

 叢雲の肘鉄砲が私の脇腹に突き刺さり、内蔵へのダメージは椅子から落ちて床に転がり苦しむほどだった。息が詰まり、叢雲よさすがの私も黙っていないぞと言いたくても声が出ず、仕方なく黙って脇腹を押さえているしかなかった。床に正座している白露よりも頭が低い位置にあり、白露から哀れみの視線が降り注いだ。白露ごときに哀れまれる屈辱といったらない。

 叢雲は私を無視して話を続けた。

「近隣の鎮守府ですし、仲がいいに越したことはないと思いますけど」

「ワタシらが突発的に抜けたのは……悪いと思っとるけど、そんな他所様から見たら捨てられたみたいな鎮守府に充てられてん。捨てたヤツと仲良くできると思う? しかも、よりにもよってプライドの高いキャリア様よ。何か曰くがついとるとしか思えん」

「……まあ、そうですね。せっかく司令官が二人いるんですから、一ノ傘副司令が無理に出る必要はないですよね」

「あ、はいはい!」と白露が挙手した。

「でも電話だと一ノ傘提督を会議に出せって言ってたよ。一ノ傘副提督は副提督で、提督は竹櫛提督だって教えたけど、それでも一ノ傘提督を出せ! って、なんか怖い人だった」

 白露は他人事のように言った。床に転がっていては表情は見えなくとも一ノ傘、叢雲、吹雪が凍りついたのが分かった。

「……白露ちゃん、そんな大切なことなんで黙っとったん」

「黙ってなんかないよ。今思い出したんだもん」

「そっかー、今思い出したかー。……吹雪、白露ちゃんを営倉に連行」

「なんで!? ちょっと忘れてただけ、え、冗談でしょ吹雪ちゃん、痛っ、ねぇ足がししびれて、ねえ! ちょっと! 嘘、いやだ営倉なんて嫌だー! 助けて叢雲、提督、明日のコンサ――」

 白露を襟を掴んで引きずっていった吹雪が会議室の扉をバタンと閉じた。廊下でも騒ぎ続ける白露の声が聞こえなくなった頃になって、ようやく私は椅子に這い上がれるまで回復した。

 ストーカーに怯えるように縮こまっている一ノ傘に、叢雲は気を使った。

「あ、明日は私と司令官で対応しますから、一ノ傘副司令は執務室で待機しておいて下さい。……えっと、護衛に霧島を付けますので」

 

 

【5】

 

 

 一ノ傘という人物はあらゆる面で誤解を招きやすく、それは自らが望んでいるうちに度が過ぎてしまった、というようなことを酔った時に言っていた。

 私から見ればまったく阿呆らしい限りだが、それが持病であるかのように策を弄したり、あるいは犬が腹を見せるように下手に出るのはどちらも一ノ傘が相手との立ち位置を調整するためである。私が観察すると八方美人になり、それが叢雲であれば仕事の出来る女性、球磨であれば遊び相手、雷であれば愛人、電であればセクハラ魔が少しはマシになった程度、どこぞの鎮守府の提督であれば女でありながら戦場に立つさながらジャンヌ・ダルク、上層部の連中からすると従順で器量が良く餌をやれば懐くが手を伸ばすとスルリと逃げる猫のよう。どれも一ノ傘が相対する人間一人一人を相手に作った仮面である。では私が言った八方美人というのが正しい人物像かといえば、それこそ一ノ傘が望まぬうちに作ってしまった仮面だった。

 器用な人間であれば鎮守府に着任していきなり資材を全て溶かしたりなどするものか。私の艦隊から当時では最も助っ人になりそうだった電を派遣して以降のトラブルを抱え込むことなどなかったはずだし、「お前には向いてない」と私の助言を聞いていれば今頃は軍人ですらなかったはずだ。仲が良かった従姉妹の姫乃にも反対されていた。柔らかくも強かな姫乃の前ではいかなる仮面も用意できずに、反射的に反発することがよくあった。そして踵を返した途端に溝に嵌って身動きが取れなくなったところに散歩中の大型犬に襲われる。それが本来の一ノ傘である。

「鉄ちゃんはもう少し落ち着かないと、ケガ、しちゃうよ?」

 大型犬の頭を撫でながら諭す姫乃を、一ノ傘はべそをかきながら見上げた。

 

 

【6】

 

 

 慌ただしく今日の出撃部隊を送り出し、私と叢雲は会議室に控えた。相手も秘書艦を一人連れて来るだろうから会議室の中央に長机を二つ並べ、椅子は四つ用意している。

 客人が面会を所望している一ノ傘は第二執務室に電と雷を連れて、本日の一切の職務を放棄して籠城に入った。電話をかけても代わりに雷が出る徹底っぷりだった。

『今日は副司令官はお休みなの。静かにさせてよね、もう』

「だから外に出かけたらどうかと言っただろう。出張先の台風をバスの中でやり過ごそうとしているようなものだ」

『出先で誰が守ってくれるっていうのよ。私がいるここが世界で一番安全なんだから』

 頼もしい限りである。

『それと警護に霧島を付けてくれるんでしょ。早くしてよ、危ない奴が来てからじゃ遅いのよ』

「雷が守るんじゃなかったのか」

『念には念を入れないとダメじゃない。一ノ傘司令官に何かあったらどうするの!』

「うるさい電話で騒ぐな。ちょっと一ノ傘と代わってくれ」

『今日は高尾山に旅行に行ってて、期待がはずれてガッカリするって設定なの。だから第二執務室には私と電しかいないの』

「ガッカリする設定は必要か?」

『こういう事はリアリティが大切なの。いい? 相手に一ノ傘司令官のこと聞かれたら「今頃はケーブルカーで登らなかったことを後悔しているでしょう」って言うのよ』

 電話の向こうから『そげん軟弱やないんやけど……』と聞こえてきた。

『今の訂正。「やっぱり高尾山よりスカイツリーのほうがよかったかなぁと後悔しているでしょう」って言っといて』

「どうしても高尾山をつまらん場所にしたいらしいな。恨みでもあるのか」

『じゃあ例の男が鎮守府から出て行ったらまた連絡して』

 護衛に霧島をつけるとは叢雲が一ノ傘を気遣って言ったことであり、無視するわけにはいかなかった。かといって第二執務室の扉の前にずっと立っていろ、不審者が来たら殴り倒せ、など下らん命令はできず、金剛型姉妹に隣の第一執務室――私の部屋の留守を頼んだ。今日の来訪者がきな臭い男らしいことは艦娘たちには既に知れ渡っており、金剛たちは二つ返事で引き受けた。

「任せてクダサーイ。怪しい奴が来たら提督の軍刀でぶった切ってやりマース」

「あれは……折れた。この前……」

「Oh……」

 切ない気持ちになりながら金剛型の四人に留守を任せ、今は会議室で待っている。鎮守府の門に島風と天津風を待たせているが、予定の時間から三十分が過ぎている。あちらから一方的に予定を組んでおいて、こうも大胆に遅刻する輩にまともであることは期待できそうもなかった。きっとしようもない男に違いない、それの相手をしなければならないと変に緊張して手が汗ばみ、イライラするばかりだった。叢雲も黙っているが、ペンを出して手先でクルクル回したりと珍しく落ち着きがない。

 廊下から足音が聞こえたかと思うと乱暴に扉が開き、四十くらいの男が一歩入ってきた。男の背後には艦娘らしき者がおり、さらにその後ろで島風と天津風が早くも疲労困憊といった風の顔をしていた。

 男は私を、次に叢雲を不躾な視線で眺め回し、言った。

「おい、一ノ傘はどこだ」

 

 

【7】

 

 

 夷川提督は呆れるほど前評判通りの男だった。

 見た感じは四十代前半だが、渋柿を嫌々食べ続けているような顔の造形をしているため五十、六十と言われても納得できる。背丈は私より僅かに低い。両手の指が僅かに震えている。私と同じ軍服を着用しているものの、どこかみすぼらしい雰囲気がまとわりついている。室内では帽子をとれと言えないのは、軍の帽子では隠しきれない不毛の地が見て取れたからである。

 夷川が同伴してきたのは、着任してから最初に秘書艦になったという正規空母で、名を『葛城』と言った。青白い髪を波立たせて長く伸ばし、藍色の道着袴から細く出している肌は不気味に白い。特に異様なのは我が艦隊の誰よりも鋭い眼光である。全身は青白く暗いのに瞳だけはサファイアのように輝き、私と叢雲を冷静に観察しているようだった。

 空母葛城は夷川提督にはまったく不釣り合いだと断言できる。木刀を持ったこともないような男が斬馬刀を担いでいるような、武装と使い手に天と地の差があるように見える。葛城の練度は相当のものだろう。下手をすると蒼龍と飛龍に並ぶか、それ以上かもしれない。

 叢雲も葛城の異様さに気づいたらしく、私と二人でそちらにばかり気を取られていると、椅子の数をかぞえたらしい夷川が喚いた。

「おい、てめぇ、なんで一ノ傘がいないんだ」

 葛城も会議室に入って扉を閉めたが、夷川と同じく座ろうとはしなかった。

 夷川提督は体のあちらこちらから臭気を発しているらしく、私は鼻をつまみたくなり、こっそり手で空気をはらうとついでに緊張も雲散霧消した。

「一ノ傘は先週から長期休暇中でして。今頃は、あー、高尾山で――」

「馬鹿かお前! 電話でいるつったのはお前だろうが、ああ!?」

 まったくその通りだった。白露が電話に出たことを私も雷も誰もが忘れていた。よくもまあ、こんな器の小さそうな男に言われるまで気付かないものだと我ながら感心してしまった。

 私は叢雲を背後に隠しながら、適当に思いつくまま、出来る限り男を刺激するまいとした。

「冗談です。しかし一ノ傘は昨日から体調を崩しておりましてな。演習の打ち合わせなら私が一人おれば十分でしょう」

「分かんねえのかお前、一ノ傘を出せっつってんだよ」

「一ノ傘に何か用事でも? 彼女が復帰したら伝えましょう」

「今すぐここに呼べ!」

 夷川は棒のような足で椅子を蹴り、椅子は長机にぶつかって倒れた。背後で叢雲が縮こまり、私は雷の過剰なまでの防衛は間違いじゃなかったとうんざりした。頭のおかしい人間は刺激しようとするまいと初めから破裂することが決まっているものである。それだけは程度の差はあれ我が艦隊の阿呆共と変わらない。

 夷川は腰のあたりに手を突っ込んでまさぐると、拳銃を取り出し、ひけらかすように私に向けた。確認するまでもないだろうが、球磨から聞いた無駄知識が役に立つ。銃口からやたら細い銃身が見えたらエアーガンで、そうでなければ――

「ほう、本物の鉄砲か。どうやら玩具の脅しではない様子」

 拳銃を構えて優位に立つことで少し気を良くしたのか、夷川は気色悪い笑みを浮かべた。

「そうだ。やっと分かったかノロマめ。それとな、いいことを教えてやる。俺は演習の打ち合わせに来たんじゃねぇ。演習をしに来たんだ。そこに立ってる空母はなあ――」

 夷川は無駄に勿体ぶって「深海棲艦、なんだよ」

「ふん。そんなことだろうとは思った」

「一ノ傘の演習相手に連れてきた。艦娘じゃねえ、一ノ傘本人に戦わせるんだ。海でも深海棲艦に囲ませてある。ヒヒッ、逃げ道はねぇぞ」

 葛城と呼ばれた深海の空母は扉の前に立っていて、叢雲が睨みつけている。叢雲は相手が深海棲艦と分かれば肝が据わったらしく、静かに観察を続ける葛城に威勢を譲らない。

 私と叢雲は背中を合わせた。夷川を部屋の奥の席、窓側に行くよう促してしまったのは失敗だった。逃げ道を夷川と葛城に塞がれている。

 私は情けないことに打つ手を思いつかなかった。夷川は拳銃を片手で私に突き付けるように持っており、扱いにまったく慣れていないことが分かる(これも球磨から聞いた無駄知識である)。体を横に動かせば弾はまず当たらないだろう。しかし私と叢雲は夷川と葛城に挟まれており、葛城を睨む叢雲は夷川に背を向けている。叢雲を狙われるわけにはいかない。

 夷川よりも何をしでかすか分からない葛城のほうが脅威だ。陸に上がった深海棲艦に何ができるのかまるで分からず、だからこそ艦娘の叢雲は夷川を無視して警戒している。

 海に深海棲艦が包囲網を敷いているという話は本当だろうが、無能と噂の夷川が言うことである。葛城が深海棲艦の指揮をしていて、夷川をただ陸を攻めるための都合のよい捨て駒として扱っている可能性が高いが、海から動きがあれば一ノ傘が気付くだろう。今は目の前の危機をどうにかすべきだ。

 夷川と葛城のどちらがいつ引き金を引くとも分からず、とにかく何か話をして気を逸らすしかなかった。

「深海棲艦にコネがあるとは羨ましい。その葛城とはどうやって知り合ったのだ?」

「一ノ傘の次はお前がいい。海の底でいくらでも会わせてやる」

「冥土の土産、ならぬ深海の土産に聞きたいな。一ノ傘は阿呆だがこれほどの恨みを買うような奴ではないはずだが」

「一ノ傘はクズだ! ウスノロだ! あいつの支援が遅れたせいで海鳥が死んだんだろうがよ! 海花も、娘が二人とも死んだんだぞ! お前みたいな若造に分かるか!? ええ!? そうだ、あの時海鳥の遺体を持って帰ってきた奴も出せ!」

 夷川は拳銃の重さで腕がだるくなったらしく、右手から左手に持ち替えた。あくまで片手で持って威勢を誇示したいらしかった。

「あー事情があるんだな。なるほど。その海鳥さんと一ノ傘には」

「ちょっと艦隊が強いからって調子に乗りやがって、自分の戦果だけ稼いで応援は後回しにしやがる。戦闘が終わった後にノコノコやって来て、お前みたいなバカに分かるか? 精一杯やったみたいな顔して、娘の上半身だけ持って来られた俺の気持ちがよお!」

 上半身、という言葉に引っかかりを覚え、すぐに一ノ傘が屋上でいつか語っていたことを思い出した。

 艦娘がどうやって轟沈するか知っとる? と一ノ傘は私に聞いた。見飽きるほど送られてくる『慢心、ダメ、ゼッタイ!』ポスターのように言葉を遺しながら沈めるほど戦場は劇的ではなく、一ノ傘が応援に出した部隊は壊滅後の残骸を目の当たりにした。唯一発見できたのは飛行甲板にしがみついた、しかし高雄が持ち上げると胸から下を欠損していたという。一ノ傘の艦隊がブラック化する契機になった出来事である。

 後に叢雲から、その話をダシにして上層部を意のままに操っていると聞き、罰が当たってしまえと考えたものだが、その罰がどうしてだか私と叢雲に当たったらしい。

 部隊が全滅するという普通はあり得ない話も、夷川の無能っぷりを伝える評判と一致する。

 高雄が発見した遺体は夷川の娘の海鳥で、夷川は部隊壊滅と娘の死を一ノ傘のせいだと考えている。

 なんと目出度い逆恨みであろうか。人間もここまで腐れば深海棲艦よりもタチが悪い。

 同情の余地が無くなったところで私は再び時間稼ぎの会話を始めた。私も叢雲も丸腰であり下手に身動きが取れず、時間が事態を好転してくれることを願う他になかった。この時間稼ぎもまた球磨が仕事中にペラペラとほざいていた無駄知識に不覚にも頼っているのであり、あんなクマクマ言っている小娘に頼る他ない自分が情けなくて泣きそうである。夷川との戦いは私の脳内で天狗になった球磨との戦いでもあった。

 

 この状況下にある私が知るはずもなく後日また改めて唇を噛むことになるのだが、球磨が無駄知識を吹き込んでくるだけの器でないことは知っているつもりで、侮っていた。

 会議室の移動式ホワイトボードの目立たない位置に貼り付けられた小型の機械は、室内の音を拾い続けていた。

 

 

【8】

 

 

 盗み聞きといえば壁や扉に耳を押し当てる方法を想像するが、我が艦隊の艦娘たちは会議室前ではなく食堂に集まっている。皆スピーカーから聞こえてくる会話に様々な表情で耳を傾けている。スピーカーに音声を出力している機械のツマミを球磨が、珍しく緊張した様子で握っている。

 盗聴器は軽い気持ちで仕掛けられた。一ノ傘が元々拠点としていた場所には果たしてどのような輩が来たのか、情けないばかりの噂が本当かどうか確かめてやろうと皆が面白がり、手が空いている者はほとんどが食堂に集まった。

『おい、一ノ傘はどこだ』と下品な男の声が聞こえると、あれやこれやと雑談していた皆が凍りつき、長門などは青筋を立てた。ポップコーンを鷲掴みしながら高みの見物ならぬ高みの盗聴をしていたくせに、一ノ傘に喧嘩を売りに来たと見るとバケツサイズのカップを潰し、他の者を押しのけてスピーカーの前に陣取った。

 私の巧みな話術によって夷川が要領を得なくも状況を一通り話したため、密室となった会議室の中の状況は食堂に集まった者たちにおおよそ伝わった。特に旧一ノ傘艦隊の者たちは夷川の娘がどうしたという話が何を指すのかすぐに気づいた。高雄は飛行甲板にしがみついていた艦娘を助けようとした時の、ズルリと軽い感触を思い出して気が遠くなり愛宕に支えられた。海鳥という名前までは知らなかった。

 高雄だけでなく旧一ノ傘艦隊の者たちは多かれ少なかれ衝撃を受けた出来事であり、また自分たちの艦隊がブラック化したきっかけでもあったため忘れるはずがなかった。

 元から私の艦隊にいた者たちは何やら訳ありらしいことは悟ったが、話を聞いている限りキチガイが深海棲艦を連れて殴り込みに来たらしい、と話を単純に考えた。

 球磨がセーラー服の下から大型ナイフを抜いて周囲の者が飛び退いた。

「会議室の敵はクマが殺るクマ」

「ね、姉ちゃんまだそんな危ないモン持って……」

「木曾、手伝うクマ。窓から煙幕を投げ込むクマ。その前に一ノ傘副提督にも状況を連絡して――」

「駄目だ。副提督には知らせず我々だけで処理する」と言い切ったのは長門だった。

「鎮守府が敵に囲まれてるクマよ、いつ動き出すか分からんクマ。部隊を編成して指揮を取る人がいないとダメクマ」

「近くまで来ているのであればこちらも少々出向いて蹴散らせば済む話だろう」

「下手に動いたら叢雲と提督が危ないクマ! 夷川とかいうのは瞬殺できても深海棲艦は何してくるか分からんクマ」

「球磨、お前は知らないかもしれないがな、一ノ傘副提督はああ見えて繊細なんだ。このような取るに足らない逆恨みで傷つけるわけにはいかない」

「今一番危ないのは叢雲と提督だっつってるクマ! 陸と海で連携しないと敵の思う壺クマ、副提督に全体を見てもらわんと困るクマ!」

「わからん奴だな。一ノ傘副提督に事を話せば必ず動揺する。この件に限ってはまともな指揮を期待するのは無理なのだ!」

「早く動かないと狂った人間はいつ何しでかすか分からんクマ!」

吹雪:「あ、あの、二人ともちょっと落ち着いてください」

球磨:「このまま落ち着いてたら最悪のパターンになるクマ! もういいクマ、せめて叢雲と提督だけは助けるクマ。ほら木曾、早く来るクマ」

木曾:「ちょ、ちょっと待てってば姉ちゃん。本気かよ」

鈴谷:「ねえねえ、空母全員で窓から弓で狙撃するってのはどう?」

陸奥:「一航戦と五航戦は営倉。大鳳は出撃に出てる。蒼龍と飛龍は海戦に備えていてもらわないと」

吹雪:「いえですからぁ……もうちょっと穏便にできませんか。会議室の外から説得するとか」

漣:「青葉さん、そういうの得意そうですよね」

青葉:「おっと思わぬところから弾が飛んできましたよ? 青葉が得意なのは取材で、説得じゃありません」

衣笠:「じゃあお色気作戦なんてどう? ほらあ、ちょうど足柄もいることだし」

足柄:「いい度胸してるわねコンチクショウ。腕切り落としてサイコガン付けてやりましょうか」

川内:「ねえ夜まで待つってのはどう? 夜戦なら無敵なんだし」

皐月:「(出たよ川内さんの夜戦万能論)」

望月:「(無視無視。夜戦に付き合わされるこっちの身にもなれよねー)」

長月:「(私一人で十分なんだが……言っても信じてくれるのは時雨と木曾だけだしなあ……他に敵が潜り込んでないか見て廻るか)」

山城:「この夷川って男……扶桑姉さまのこと知ってそうな気がする」

※知りません

天龍:「な、なあ球磨。その、お、オレも加勢してやろうか? こういうのは人数が多いほうがいいだろ」

龍田:「そうね~。天龍ちゃんは鎮守府にテロリストが来た時のために、ばっちり脳内シミュレートしてるものね~」

天龍:「なっ、ななななに言ってんだっ! 違ぇよ! オレはただ戦闘に球磨を一人で行かせるのは反対なだけで」

暁:「電と雷からメールが来てる。様子はどうかって」

響:「この様子だと勝手な連絡はしないほうがいいな……無難に『順調だ』と返しておこう」

摩耶:「そういや金剛たちは? こーゆー時はあいつらが一番騒ぎそうだけどよ」

飛鷹:「聞いてないの? 第一執務室でお茶会やってるわよ。一ノ傘副提督の護衛を兼ねて」

龍鳳:「……さっきから気になってたんだけど……島風と天津風、ちょっと……臭いが……」

島風:「だって臭かったんだもん! あのオッサン!」

天津風:「腐臭よ腐臭! ぜったいお風呂に入らない系よアレ! あの会議室はもう腐海に沈んだと思って――ぶへっ!? こっちにファブリーズ噴かないでよ!」

時雨:「(木曾、長月を見なかったかい? こんな時こそ出番だと思うんだけど)」

木曾:「(俺もそう思って、さっきまでいたと思ったんだけどよ。クソッ、姉ちゃんじゃ危なっかしいぜ)」

初雪:「鎮守府が深海棲艦に乗っ取られたらどうなるの? 私たち雑魚っぽい駆逐艦になるの?」

敷波:「いきなりはならないんじゃない? こう……ゾンビパニックみたいに一人……また一人と……」

潮:「ひいいいいいいっ!?」

秋雲:「どうせなるなら手がある軽巡以上がいいなー。深海棲艦でもサークル申込ってできると思う?」

初春:「出来る可能性が1ミリでもあろう思うておるのが不思議じゃ……」

那珂:「まあでもぉ、本当のライバルは深海のアイドルのヲ級かな」

北上:「どしたん球磨姉。今まで食べてた鮭が代用魚だったって知った時みたいな顔して」

 球磨はスピーカーから流れ続ける会話を右耳から左耳へ聞き流し、叢雲不在の艦隊がこれほどまで足並みを揃えられないのかと呆然としていた。自身がそもそも歩調を合わせるタイプでないのはよく分かっている。しかしやるべき時はやるクマちゃんだとも思っていた。それは全くの自惚れだった。

 みな危機感はあっても動こうとはしない。長門や高雄などは緊張の面持ちで何ができるか考え込んでいるようだが閃きが期待できる様子ではない。どいつもこいつもどれだけ役に立たんのだと球磨は木曾の胸倉をつかみそうになった。

 球磨が一人で動けば夷川の一人程度であればどうとでもなるが、正体不明の深海空母に下手に手こずってしまえば鎮守府が危険に晒される可能性が高い。海にいるらしい深海棲艦らがどれほどの量と質で攻めようとしているか、あるいは罠を張って待ち構えているかもしれない。

 深海空母に最後っ屁すら許さないよう狙いを絞れば、その場合はパニックに陥った夷川が確実に銃を乱射する。これだけは絶対にあってはならなかった。ツマラナイ銃弾ほど下手な場所に当たってしまうものである。

 夷川の無力化を再優先に行い、深海空母を仕留め損なった時のために部隊を用意しておく。部隊さえ編成してしまえば敵が強かろうと皆はいつも通り動けるはずであり、大きな損害は出ないはずだった。そんな簡単そうなことすらできず、球磨は己の非力さを嘆いた。

 嘆くばかりでは時間が過ぎてゆく。自身の哲学に反することだが球磨はここで初めて、何かくだらないことでもよいからハプニングが起きて今の膠着した状況が壊れないかと虚しく願った。

 

 

【9】

 

 

 私と叢雲が会議室で命の危機に晒され、球磨が食堂で歯を軋ませている時、そんなことは露程も知らない日向は少し離れた戦艦寮の前で呑気に『試飛会』を開催していた。

『試飛会』とは日向が制作したラジコン飛行機のテスト飛行を行う会である。

 日向を除いてたった一人の参加者である最上は旧一ノ傘艦隊がいた鎮守府の提督が来ること、皆で食堂に集まって会話を盗み聞きすることを知っており、日向も一緒に混ざってみないかと逆に誘ってみたものの、

「ほう、そんなことが……ならばやはり航空戦艦の時代だな」

 摩訶不思議な理屈で『試飛会』は予定通り開催された。いつものことなので最上も特に期待はしていなかった。

 日向が制作する飛行機の機種はいつも自由自在だった。F-22ラプター、Ka-50ホーカム、コンコルド、気球船、果てはハインケル・レルヒェのような珍機体(特に航空戦艦が運用できそうなもの多)などがプロペラ駆動のラジコン飛行機となり、ついでに全機体に例外なく外見を瑞雲に似せる瑞雲化改修を行った。瑞雲ペイントを施されフロートが付いた最新鋭機体はなかなかシュールだった。

 今日、日向が飛ばしている機体はA-10サンダーボルトⅡという攻撃機である。この機体に関しては以下の文で有名である。

 

~今日もA-10学校に朝が来た~

「お早うクソッタレ共! ところでジョナスン訓練生、貴様は昨夜ケンカ騒ぎを起こしたそうだな? 言い訳を聞こうか?」

「ハッ! 報告致します! 磯臭いF-18乗り共がアヴェンジャーを指して『バルカン砲』と抜かしやがったため7砲身パンチを叩きこんだ次第であります!!」

「よろしい。貴様の度胸は褒めておこう。いいか、低空で殴りあうには1にも2にもクソ度胸だ。曳航弾をクラッカー程度に感じなければ一人前とは言えん。今回のジョナスン訓練生の件は不問に処そう。だがアヴェンジャーを知らないオカマの海軍機乗りでも士官は士官だ。訓練生の貴様はそこを忘れないように。ではA-10訓、詠唱始めッ!!!!」

何のために生まれた!?

――A-10に乗るためだ!!

何のためにA-10に乗るんだ!?

――ゴミを吹っ飛ばすためだ!!

A-10は何故飛ぶんだ!?

――アヴェンジャーを運ぶためだ!!

お前が敵にすべき事は何だ!?

――機首と同軸アヴェンジャー!!!

アヴェンジャーは何故30㍉なんだ!?

――F-16のオカマ野郎が20㍉だからだ!!

アヴェンジャーとは何だ!?

――撃つまで撃たれ、撃った後は撃たれない!!

A-10とは何だ!?

――アパッチより強く! F-16より強く! F-111より強く! どれよりも安い!!

A-10乗りが食うものは!?

――ステーキとウィスキー!!

ロブスターとワインを食うのは誰だ!?

――前線早漏F-16!! ミサイル終わればおケツをまくるッ!!

お前の親父は誰だ!?

――ベトコン殺しのスカイレイダー!! 音速機とは気合いが違うッ!!

我等空軍攻撃機! 機銃上等! ミサイル上等! 被弾が怖くて空が飛べるか!!(×3回)

 

 このA-10が今、戦艦寮の前を飛行している。ただし機体は例によって瑞雲色に塗装され、ミサイルなどをぶら下げる代わりに水上に浮かぶためのフロートが付いている。

 それほど興味のない最上もA-10といえばアヴェンジャーという単語が浮かぶ程度には知っていた。

 無理に垂直離着陸(VTOL)仕様にされたせいで最上の頭上に急降下着陸を試みようとしたF-35や、一般大衆の期待に違わず山城の部屋に墜落したオスプレイとは違い、今回日向が制作したA-10は危なげなく、また会議室の切迫感などとはまったく無縁で平和な戦艦寮・重巡寮前の空を飛び回った。

 しかし日向はどこか不満気に「ふむ……」と唸り、まさか、いやいやまさかと懸念する最上の気分をざわつかせた。

「速度が出ないし高度もいまいち上げられないな。やはりガトリング砲が重すぎたか」

 造形に拘る(くせに瑞雲化改修だけは欠かさない)日向がそこを再現しないはずがなかった。懸念が当然の如く当たってしまい最上は手で陽光を遮るふりをして額に手を当てた。A-10機首の下部から魚雷のように付き出しているガトリング砲はただの飾りではないらしかった。

「なに、心配するな最上。さすがの私でもあのサイズでガトリング砲は再現できんさ。あの七本の砲身はダミーだ」

「そ、そうなんですか。よかっ……」

 最上は慌てて口を押さえた。つい油断して日向の言うことに相槌をうつのは非常にまずい。『試飛会』にて最上が喋ると十割の確率で日向が増長して何かやらかすというジンクスがあった。山城の部屋にオスプレイが突っ込んだのも最上がほんの一言、感嘆の声をあげてしまった直後の事故だった。

「あれは一本の銃身に七本の細い砲身の絵を描いているだけでな。弾を発射する時は前部の蓋が開く仕組みだ」

「そ、そうですよね。ガトリング砲なんて危ない物、さすがに作りませんよね」

 やはり弾は出るのか、と思いつつも最上はホッとした。せいぜいBB弾か何かを軽く射出する程度だと思ったからである。

「ああ、威力も当然スケールダウンしてしまう。なにせ弾薬はデリンジャーピストル用だからな」

 最上の認識は甘かった。

「本物の弾ですか!?」

「調達には苦労した。この時世に小さな弾薬など需要は皆無だからな」

「BB弾でいいじゃないですか! 一ノ傘副提督がいくらでも持ってますよ!」

「破壊力のある弾を撃ってこそのA-10だ。まあBB弾を飛ばすのが存外難しかったというのもあるな。その点、弾薬ならば雷管を叩けばいいだけだし、反動の相殺ついでに自動装填と発射もできる。代わりに金属部品が増えて重くなってしまったがな」

「……まさか本当に撃つ気じゃないですよね?」

「それと一度発射すると全弾を撃ち尽くすまで止まらないのも課題だな」

「撃ちませんよね! ねえ!?」

「A-10 アヴェンジャーの掃射だぞ。見たくないのか?」

「どこ向けて撃つつもりですか」

「フッ、そう心配するな。山城の部屋の窓を的にしたりはせんさ。ちゃんと海に――ん? どこ行った?」

 日向は最上のほうを、最上は日向のほうを向いて話していたため、暫く無視されていたA-10は気ままに何処へとも分からず飛んでいた。日向はラジコン飛行機を飛ばすのにコントローラーを必要としない無駄な特技を身につけているので、まったくの手放しで飛行機を飛ばすことができた。そのため飛行中のラジコンから意識が逸れてしまうこともあり、日向が思い出して空を見上げた時には墜落するコンマ五秒前であったりした。それでも慌てず冷静に墜落を見守るのが日向のメンタルの強いところだった。

 ごく普通のメンタルを持つ最上からしたらたまったものではなかった。ラジコン飛行機には実弾が積まれている。今までの『試飛会』の中で危険度は異論なく最悪だった。

 必死に空に首を巡らせると、微かにブゥンと低い音が聞こえてきた。食堂や執務室、会議室などがある総合棟の方角だった。何ができるか思いつかないがとにかく最上は走った。空にA-10のような瑞雲のようなものがいた。コントロールを失ったのか飛行の勢いはそのままに高度を下げて総合棟に突っ込もうとしている。最上は泣きそうだった。

 日向は最上の後ろについていきながら操縦を試みたが、どうやら操作範囲外らしかった。もうやだ冗談じゃないよと鼻をすする最上とは対照的に、「操作範囲か……ふむ、検討してみるか」と新たな課題を発見して満足気だった。

 

 

【10】

 

 

 夷川の背後からまったく唐突に、少し大きめの鳥くらいの大きさの飛行機が窓硝子をけたたましく割って入ってきた。さらに間髪をいれず爆竹が破裂するような音がして飛行機の機首から火が出た。それはまさに戦闘機の機銃の如く射撃し、何発かが夷川の銃を弾き飛ばした。だが驚いている暇も喜んでいる暇もなく飛行機はバランスを失い、一度床に墜落すると跳ねて私の左足の脛に衝突した。

「ふぐおっ!?」

「な、なに!?」

 私と夷川に背を向けていた叢雲には何が起きたのか分かるはずもない。

 夷川もいきなりのことで混乱したらしく割れた窓や床に転がった飛行機、足を痛めた私をグルグルと見ていた。窓から一番遠い位置にじっと立っていた葛城は一部始終を見ていたはずだが、反応はなかった。

 自分の手に拳銃がないことにようやく気付いた夷川は硝子片の中に落ちていたのを拾い上げ、私に銃口を向けて混乱に任せるまま引き金を引いた。

 カチッ。

 先程の飛行機が火を吹いた音とは比較にもならない虚しい動作音だった。夷川は二度、三度、四度と引き金を引いて、ようやく銃が歪に変形していることに気付いた。

「クソッ!」

 

 

【11】

 

 

 これまで私と夷川の会話ばかり拾っていたスピーカーから突然、硝子が割れる音や何かが連続して破裂する音などの騒音が聞こえ、ああだこうだと不毛に言い合っていた皆は驚いて押し黙った。その後、夷川の『クソッ!』と悪態をつくのが聞こえ、球磨は食堂から飛び出した。

「姉ちゃん! おいっ!」

 何か物が壊れる音がして夷川が悪態をついたということは、夷川は間違いなく無力化されている。そう当たりをつけた球磨は廊下を駆けて会議室前に着き、扉に回し蹴りを放った。

 

 

【12】

 

 

 窓の次は木製の扉が真ん中からひしゃげながら飛び散り、同時に球磨が室内に滑り込んできた。手には冗談のように大きなナイフを持っている。

 球磨は視線を室内に巡らせ、夷川は一瞥しただけで無視し、初対面の葛城を見るなり躊躇無くナイフを突き出した。

「グマ゙ァッ!」

 その掛け声はどうかと思ったが葛城が前に出した右腕にゴリッと鈍い音がして突き刺さり、何もかも青白い葛城の右の袖が瞬く間に赤くなってゆく。葛城が声にならない叫びを上げてナイフを振り払おうとすると球磨はあっさりとナイフを引き抜き、下がろうとした――かに見えると葛城が仰向けにひっくり返った。球磨が足を引っ掛けていた。葛城の両腕に両膝を乗せて跨り、首にナイフの刃を当てながら球磨は言った。

「海にオマエの仲間は何人いるクマ? 答えて死ぬか黙って死ぬか、好きなほうを選ぶクマ」

「ちょ、調子に……艦娘如きが調子に乗ってんじゃねえぞお前! お前も一ノ傘と同――!」

 威勢だけは良い夷川をようやく冷ややかな目でじっと見た球磨は、ナイフを逆手に持ち替えて葛城の二の腕めがけて振り下ろし、葛城の耳を塞ぎたくなるような絶叫で夷川の言葉をかき消した。

「今忙しいクマ。コイツが死んだら次はオマエに聞くから、後で相手してやるクマ」

 赤黒く濡れた大型ナイフを見た夷川は何かをぼそぼそ言いかけて、球磨を避けるように会議室から走って出ていってしまった。

 

 

【13】

 

 

 私が球磨をやり過ぎないように制止すべきか、夷川を追いかけるか逡巡している時、最上は割れた硝子窓から会議室内を覗き見ると、室内は想像以上――どころの事態ではなかった。

 窓硝子を割ったのはA-10(瑞雲風)で間違いなさそうである。床に翼が折れて転がっている。

 今日は旧一ノ傘艦隊がいた鎮守府の提督が来ていて、この部屋で打ち合わせをしているはずだった。そこに(日向が)実弾発射機能付ラジコンを突っ込ませてしまったのだから冗談では済まされない。おまけに客人はキャリアなのだという。怪我をさせてしまえば(日向が)一体どうなってしまうか想像もつかない。

 しかしラジコンが突っ込んでしまったのは事実で、仮にガトリング砲モドキまで暴発してしまったとして、それが原因で果たして今この状況にまで至ることはあり得るのだろうか。

 ぱっと見はとてもシンプルである。球磨が知らない女性に馬乗りになり、やたら大きなナイフを突き付けている。球磨のセーラー服に血がついていることから、どうやらもう怪我をさせたらしい。

 提督と叢雲が客人と会議をして、そこにA-10(瑞雲風)が突撃し、球磨が恐らく客人らしき人をナイフで切りつけている。いったいどこから球磨とナイフが出てきたんだと最上はミステリ現場に居合わせるように頭を捻った。

「どうした、随分と乱暴なことをしているじゃないか」

 こっそり室内を覗きながら考える最上とは対照的に、追いついた日向は堂々と割れた窓越しに室内に声をかけた。どれだけ鋼メンタルなんだこの人は、と最上は呆れた。

「この飛行機は日向のものか。いや助かった。感謝するぞ」

 提督は最上のどの推理とも外れて、皮肉でもなく日向を持ち上げた。

「あれこそ神業だった。しかしよく夷川の銃だけを狙撃できたものだな。大したものだ」

「うん? ――まあ、そうだな、航空戦艦だからな」『航空戦艦』は無闇に会話を成り立たせる便利な単語になっていた。

 どうやらガトリング砲モドキは暴発していたらしく、提督や叢雲に当たっていた可能性も十分あったのだが、最上は一切合切を『航空戦艦だから』ということにしておいた。

「ところで君、球磨が襲っているあれは誰だ? 出血が酷いじゃないか」

「深海棲艦の空母だ。夷川という男が連れてきてな」

「深海棲艦? いや普通の艦娘だぞ」

「男がそう言って連れてきたのだ。それに見ろ、なんとなく青白い」

「それは山城は幸薄いから深海棲艦だと言っているようなものだ。おい球磨、いい加減どいて傷を塞いでやらないと手遅れになるぞ」

「知らんクマ。――で、オマエはだんまりを決め込むクマ? まあ逃げたオッサンのほうが口は軽そうクマ。どうせ指の爪一枚くらいで泣いて喋るクマ。けど、全部剥がしてもクマは――」球磨のこれ以上の豹変を遮るように、葛城は荒い呼吸の合間を縫ってこの日初めて口を開いた。

「深海棲艦は、いません」

「あ? なんか言ったクマ?」

「この、はぁ……この鎮守府を狙う、深海棲艦はいません」

 球磨はナイフの柄で葛城の顔面を叩き潰す勢いで殴った。葛城の口から悲鳴ですらない音が漏れた。とても最上が口出しできる雰囲気ではなく、明るかった球磨の豹変した姿は悪い夢だと、直視できるものではなかった。

「オマエがちゃんと喋れるみたいでクマはとっても嬉しいクマ。お話は大切クマ。みんなが話し合いで物事を解決すれば世界は平和になるクマ。それじゃあ、10数えるうちに本当のことを話すクマ。『お話は大切』、これをよおく頭に刻んで残り10カウントの人生を有意義に過ごすクマ。10、9、……」

「ぼ、僕がお父さんを騙したんです! 艦隊を用意しろって言われて」

「6、5、……」

「でもできるわけない。だから準備したってお父さんに嘘ついて……」

「1、0。嘘でもせめてもうちょいマシな嘘が聞きたかったクマ」

 カウント中ずっとクルクルと回っていたナイフが逆手でピタリと止まり、葛城の喉を目掛けて振り下ろされた。提督が「待て!」と叫んでも止まらず、最上は目を瞑った。

 すぐに「なにするクマ!」と球磨の声が聞こえ、最上は恐る恐る目を開いた。球磨の腕にしがみつくように叢雲がナイフを止めていた。

「無事か!?」

 それから長門を初めとした大勢が会議室に押し掛けてきた。見知った顔が大勢現れたおかげで安堵したのか、ようやく最上は何が何だかよく分からない状況を、何が何だかよく分からないなあと冷静に想うことができた。

 

 

【14】

 

 

 悪運だけは強いのか、それともこの時点で大人しく捕まっておけば良かったのかは誰にも分からないが、会議室から飛び出した夷川は目当ての一ノ傘を探して走った。会議室も食堂も総合棟の一階にあり、夷川が案内板を見て階段を駆け上がるのがあと二、三秒遅ければ食堂から出てきた艦娘たちに見つかっているところだった。

 総合棟はエレベータなどという気の利いたもののない四階建てであり、丁寧に四階にある執務室への順路が矢印で示されている。ずいぶん以前に誰だったか阿呆が「執務室の場所が分かんなかったから、テヘッ☆」と仕事を放棄したため、案内板(DIY)を用意して執務室とそいつの部屋を何往復もさせる訓練を行ったりした。従って部外者であっても執務室へは迷うことなく赴くことができ、さらに人員はほとんど食堂にいるか会議室にいるか出撃しているかで、階段を駆け登る夷川と出会う者はいなかった。

 息切れしながら四階に到着した夷川は深く考えず『第一』執務室へ飛び込んだ。案内板が作成された頃はまだ一ノ傘の艦隊とは統合しておらず、夷川もまた遠い他の地で艦隊を指揮していたであろう。後に『第一執務室』『第二執務室』ができても部屋は隣接しているため案内板の表記を変える意味はなく、そもそも今更誰も気にも留めなかった。

 夷川が飛び込んだ部屋では金剛型四姉妹が紅茶と菓子を置いた丸テーブルを背にして、持ち込んだテレビとゲームキューブでスマブラDXをしていた。

 四姉妹の中で流行っているスマブラDXは比叡vs他三人、というパワーバランスがようやく崩れようとしているところだった。比叡が操るマルスから榛名のピカチュウはどうにか距離を取り、入れ替わるように金剛のキャプテン・ファルコンがこれ幸いと「くたばるネ! Falcon――!」

「援護します……が、だから姉様はファルコンパンチばかり狙いすぎです」

 カウンターを狙うマルス目掛けて、霧島のネスが援護にしては頼りないPKサンダーをよろよろと放った。

 金剛、榛名、霧島はこれまで繰り返していた闇雲な総突撃玉砕から、どうやら波状攻撃が有効であることを無意識に学び取り、他の誰かを狙っている比叡の背後を狙うようになった。

 まだキャラ毎の特性を理解するまでには至っておらず、例えば金剛はポケモンが二匹以上選ばれる対戦では決まってミュウツーを選び、「下等ポケモン共が、最強とは何かを教えてやりマース!」と息巻くくせにシャドーボールを放つくらいしかやることがない有り様である。それでも扱い易いC・ファルコンを選べばCPU程度なら勝つことができ、ヒラヒラと攻撃を見切ることを得意とする比叡を相手に三人がかりとはいえ実力は伯仲している。

 金剛は豪快系のキャラ、榛名はカワイイ系、霧島は『ターゲットをこわせ!』が好きなのでどのキャラも満遍なく使う。ただし三人ともマリオだけは頑なに使おうとはしなかった。比叡から最もシンプルで使いやすいとの説明を受けて、じゃあ永遠に使うことはないとへそ曲がりな三人は、立派なヒゲを生やした赤い配管工を今日までCPU専用キャラだと決め付けてきた。

「いやー最近のお姉様のファルコンパンチは冷や冷やさせられますよ」

「NOOOOOO!! とかいいつつ戻るの邪魔してんじゃネーヨ! まだ50%もなかったノニ!」

 残り一機となったC・ファルコンが再出現し、性懲りもなく『Falcon――!』とタメに入った時だった。

 執務室の扉が乱暴に開かれ、床にぺたんと座っていた四人が背後を振り返ると、夷川が息を切らして四人を見ていた。

『Punch!』

 発酵しそうな汗を吹き出し臭い息をフシューフシューと吐き出す男の唐突な登場はまさにファルコンパンチのようなインパクトがあった。マルスが場外へ吹っ飛ばされた音がして比叡は慌ててゲームを一時停止した。

 金剛は露骨に一ヶ月寝かせたカレーを見るような目をして鼻を摘んだが、夷川は四人の反応など目に入らなかった。

「お前ら艦娘だな、一ノ傘をどこに隠した」

 呆然とする金剛たちに見られながら夷川は執務机の下を覗き見た。この執務室で人が隠れられそうな場所などそこくらいしかないからである。人が隠れられる大きさの棚もあるにはあるが、キングファイルで埋まっていて扉が閉まらないような状態だ。従って夷川は再び金剛たちに聞く他にやることがなくなる。

「一ノ傘を出せ。ここにいるんだろうがよ! ああ!?」

 夷川が凄んでみせても金剛たちには何処吹く風で、夷川が軍服を着ていることに霧島は気付いた。

「この方、今日打ち合わせに来るという司令ではないですか?」

「あーたぶんそうネ。じゃあこのオッサンが鎮守府のお隣りサン? え~私イケメンがよかったデース」

「うわぁ……やっぱ一ノ傘副司令のストーカーっていう感じですね」

「二人とも、本人の前ですよ」と言いつつ榛名も蒸された空気を顔に浴びて「うぇぷ……」顔を背けた。

「早くしろオラ! 早くしないとお前らを――」

 壁に飾られた軍刀を見つけた夷川はそれを掴み、生意気な艦娘を脅すつもりで引き抜いた。しかし装飾品となっていた軍刀『丑の刻摩天楼』は翔鶴の弓に負けて半分に折れてしまっていたのだった。やけに短い刀身に夷川は呆気にとられ、金剛たちは一斉に大笑いした。

「てめぇら……もう許さねえからな!」

 折れていても刃物は刃物。鞘を投げ捨てた夷川は金剛たちに近づき、一番か弱そうな眼鏡をかけた女の頭に刃を振り下ろした。

 夷川が標的に霧島を選んだ理由が『眼鏡をかけているから』だったことを、霧島は男の視線から正確に見抜いていた。人を見かけで判断する人間は扱いが楽でいい。下手に金剛、比叡、榛名を狙われるよりもずっといい。

 夷川が霧島に狙いを付けて『丑の刻摩天楼』の亡骸を振り下ろすまでの間に、霧島はゲームキューブから全てのケーブルを丁寧に抜いていた。そして夷川が振り下ろす刃を、掴んだゲームキューブで薙ぎ払った。

 ゲームキューブはNINTENDO64の後継機であり任天堂がロムカセットから光ディスクへと移行した意欲的ハードウェアであるが、目立った売上は先述のスマブラDXくらいのもので(作者はFFCCをオススメする)不振に終わり、任天堂は次世代機のWiiで猛烈に巻き返すことになる。ゲームキューブ用ソフトはそれほど作られることなく、延々と続くゲーム業界の歴史の足跡の一つとなった。

 PlayStation2の影で比較的ひっそりとしていたゲームキューブだが、他のハードには決してない異常なほど優れた、ある隠された特徴があった。

 霧島の右の豪腕によりハンマーの如く振られたゲームキューブは軍刀と衝突し、鋭利な刀身を僅かも残さず削いでいった。パキンと軽い音がして折れた刀身が宙を舞って壁にぶつかり、ゲームキューブには擦り傷が僅かにできただけだった。

 伝説の鈍器、ゲームキューブ。

 その名の通り立方体に近い形状はゲーム機としては異様に見えるが、背面にある取っ手を掴むことでゲームキューブの隠された秘密を窺い知ることができるだろう。そもそも据え置きで使用するゲーム機に取っ手など必要であるはずもなく、しかもゲームキューブはせっかく全体をコンパクトにまとめているにもかかわらず、固定式の取っ手を付けることで収納性を損ねてしまっている。何故かと誰もが首を傾げたが一部の者はなるほどと目を光らせ、霧島もまた眼鏡を光らせた。取っ手を握ると重さも本体バランスもメリケンサックの如く丁度良いのだ。それだけではない。比叡が誤って出しっぱなしにしていたゲームキューブを蹴ってしまったことがあったが、壊れたのはゲームキューブではなく比叡の小指のほうだった。繊細であるはずの機器が外部からの衝撃に無駄に強いのだ。

 持ち易く、頑丈で、ついでにゲームもできる。これが武器でなくて何なのだ。

 刀身の柄にすがるように握ったまま何が起きたのか理解できないでいる夷川の前に立った霧島は、ゲームキューブを引いて構えた。

「金剛姉さま。どうやら本当に不審者が来てしまったようですが――構いませんね?」

「This party’s getting crazy……やってしまうネー!」

 霧島の行動は早かった。夷川に反応させる暇も与えず腹にゲームキューブを打ち上げるようなアッパーを入れ、夷川の体が宙に浮いた。夷川の口から汚いものが吐き出され、それを避けながらさらに高く左拳で突き上げた。意識があるまま床に下ろす気はなかった。

「くたばれぇ!」

 落ちてきた顔に破城槌のような右ストレートを打ち込み、ゲームキューブが僅かに歪んで取っ手が外れた。顔面を平面に押し潰された夷川は棚に突っ込んでファイルを散らかし、その中に倒れた。霧島の手から離れたゲームキューブはサイコロのように転がり、止まる前にスマブラDXのディスクを吐き出した。

 

 

【15】

 

 

 会議室には三人の提督と三人の秘書艦がそれぞれ向かい合って座っていた。私の隣には叢雲が座り、一ノ傘の隣には電でも雷でもなく何故か球磨がいる。自分の目で見ないと信用できないから、だとか何だとか。

「まさか本っ当に来るとは思わなかったクマ。ここまで来れた度胸だけは褒めてやるクマ。でも少しでも怪しい動きをしたら――」

 服の下にナイフを隠しているぞアピールをする球磨を「こらっ」と叢雲がチョップで諌めた。

「もう二ヶ月も前の話でしょう、いい加減に水に流しなさい」

「だって……クマ」

 あの事件の後、大型ナイフを持って返り血を浴びた球磨は、現場を見た者からしばらく怖がられるようになった。『意外に優秀なクマちゃん』から『野生に目覚めた熊ちゃん』に見えるほどの格闘をしたのだから当然といえば当然だった。格闘攻撃に秀でる球磨も露骨に避けられる精神攻撃には弱いらしく、球磨型姉妹にしばらく慰められていた。そんな球磨に、気遣ってのことかは分からないが、声を掛けたのは叢雲だった。なんと球磨に、ナイフの使い方を教えてくれ、と食堂で皆が見ている中で頼んだらしい。何故そんなことを始めようと思ったのか私には教えてはくれず、球磨と叢雲のトレーニングが始まった。ゴムのナイフを持って本格的に技を磨く二人は日増しに興味を集め、いつの間にか参加者が増えていった。同時に球磨を避ける者もいなくなっていた。これが狙いだったのかと叢雲に聞くも、未だ何も答えは聞けていない。ただいつも右の太腿に小さなホルスターを常備するようになった。

 球磨の獅子奮迅の活躍で聞き出した通り、我が鎮守府を狙う深海棲艦は索敵の結果、一匹も存在しなかった。あの日の敵は実質的に夷川海司ただ一人だった、ということになる。夷川はひたすら迷惑なだけの男だった。霧島に顔面のパーツを平たく『ならされた』おかげで視覚・嗅覚・味覚を一度に失ったことは自業自得とはいえ哀れではあるが、奴が居座る予定だった鎮守府は工業地帯の防衛の要所であり、そこを根城にして我々人類に喧嘩を売った罪はあまりにも大きい。私を含めた関係者はあっさりと哀れみを忘れ、夷川の今後についてもどうでもよくなっていた。

 この二ヶ月のほとんどは乗り込んできた捜査員への対応と工業地帯の防衛に追われていた。海路でそう遠くないとはいえ作戦としては長期遠征となんら変わらず、しかも戦艦や空母のような大型艦を多数出さなくてはならないため指揮は大いにまごついてしまった。一時的でいいから元の居場所に帰れと一ノ傘に言っても「いっぺん移ったら二度と戻れんくなるに決まっとるやん。電みたいな目には遭わんよ」と返された。電を戻させまいとした張本人がいけしゃあしゃあとよく言う。まあ自分の命を狙った男が一時でも縄張りとしていた場所に足を踏み入れたくないのは私にも分かるつもりである。

 ここ二ヶ月の苦労も今から始める防衛引き継ぎ会議であらかた終わる。新たに着任した提督――白が眩しい下ろし立ての軍服を着こなしたオカッパ頭、着任して間もないというのに落ち着きっぷりは私や一ノ傘と遜色なく、物柔らかに微笑む一ノ傘姫乃ならば新米であっても上手くやってのけるだろう。

「私はまだ納得しとらんのやからね」と一ノ傘鉄子はここにきてまだ駄々をこねた。

「なんで傘姫が軍の仕事やるんよ。売店のバイトでもしときゃあいいのに」

「鉄ちゃんのコネで、だよ。偉い人が鉄ちゃんのためにって、身内人事してくれたんだから。次にどんな人が着任したって、絶対に信用しない、でしょ? その点、私ならよーく知ってるし、全然問題ない、よね?」

 一言一言を言い聞かせるように返す。

 どちらの苗字も一ノ傘であるため、二人が揃うとどちらをどう呼ぶべきか迷う。

「昔みたいに姫乃・鉄子って呼べばいいじゃない、竹櫛弧域くん?」

「何年前の話だ。いやその前に私は竹櫛と呼べ」

 一ノ傘(訛りのある方)の化けの皮を剥がす一ノ傘(言葉を区切る方)は実は私もあまり得意としていない。いや、記憶にある限り一ノ傘姫乃を対等以上に相手取れる人間はいなかった。軍から信頼の厚い一ノ傘家系での身内人事とはいえ、一ヶ月前まで軍関係者ですらなかった者が曰く付きの鎮守府を任されるなど普通は考えにくい。傘姫(一ノ傘に倣ってそう呼ぶことにする。というより今更になって電大好き一ノ傘鉄子を「鉄子」などと呼ぶ気にはなれない)が強引に入ってきたことは想像に難くなかった。

「失礼なこと考えるねえ、竹櫛くん。私は新米なんだから、今日こうしてベテランの皆様にご助力をお願い、しに来たんだよ? この部屋で私一人だけが経験、無いんだもん。だから私と――」

 傘姫は連れてきた秘書艦、頭頂から足先まで青白く、針の筵に座らされてオドオドしている正規空母の肩に手を置いた。

「葛城ともども、よろしくお願いします、ね」

 余所余所しく傘姫が頭を下げるのに続いて葛城は、机に頭を叩きつけそうな勢いで頭を下げた。

 

 

【16】

 

 

 葛城は記録上では一年以上も行方不明となっていた。本名は夷川海花。今はゲームキューブのような顔になってしまったあの男とは似ても似つかないが実の娘であり、一ノ傘の艦隊がブラック化した発端となった応援作戦で遺体が回収された夷川海鳥の姉である。

 夷川がまだ自分の艦隊を統括していた頃、行方不明となった葛城――海花のために、夷川は全戦力を捜索活動に投入。しかしだだっ広い海で艦娘一人を探すのは百の敵艦と遭遇することと等しく、さらに夷川の頼りないでは済まされない手腕も災いし、海鳥の部隊壊滅を以って夷川の艦隊は全滅した。個人的事情による艦隊の運用、大規模な戦力の喪失、これだけの事をやっても追放されないのだからキャリアだか何だかというのはタチが悪かった。しかし何らかの理由で夷川を庇っていた者たちも我が鎮守府を襲ったことについては庇護も隠匿もしようがなかったらしく、ちょっとした人事騒ぎになったらしい。つまらない男一人で騒ぐ連中も全くつまらないことこの上ない。

 私の目の前でオドオドしているように、夷川が探していた海花――葛城は生きていた。遭難したことだけは覚えていたようだが何故自分が生きているのか分からず、深海棲艦に成り果ててしまったのだと思い込んでいたらしい。そんな自分が陸に帰ってよいのかも分からず、たっぷりと悩んだ末に帰投。その頃には夷川の艦隊は壊滅しており、探し回った父親と再会することはできたものの、父親からは頭のネジが何本か取れていた。一ノ傘への的外れな復讐心を燃やす父親に「あなたの娘、海花は深海棲艦になってしまいました」とは言えず、葛城は夷川に言われるがままになった。

 この葛城の扱いを巡る騒動が今回の件で最もややこしく、実質突っ立っていただけとはいえ鎮守府を襲撃した者が再び我々の前に現れたのだから、球磨がアホ毛を垂直に立てて警戒するのも当然だった。

 襲撃事件の一部始終は球磨の盗聴器から録音されており何が起こったかを捜査員に説明する手間は大いに省けた。日向の発言を除いて。

 記憶が定かではない葛城から有効な証言、つまり葛城は艦娘か深海棲艦かを聞き出すことはできず、唯一頑なに断言する日向も何故分かるんだと根拠をいくら聞かれても「まあ、航空戦艦だからな」と言うばかりで捜査員どころか研究員すら困らせた。深海棲艦とはいったい何なのか、深い謎に対する貴重な証拠を航空戦艦万能論で片付けられてはたまったものではないのだろう、恐らくその辺りの理由で葛城は観察下に置かれることになったのだと私は考えている。だがそれがよりにもよって新たに着任した傘姫の秘書艦になるのは……。

 

 

【17】

 

 

「これも何かの縁、だよ竹櫛くん。葛城が生きてるのって、君の秘書艦の叢雲くんが間一髪で助けてくれたから、なんだから」

「それはそうだろうが傘姫、お前とは無関係だろう」

「せっかく練度が高い正規空母の手が空いてたんだから、手伝って貰おうかなって、ねー葛城?」

「あ、あの僕、今日も検査の予定で……手が空いては……」

「ねー?」

「…………はい」

「ところで球磨くん、私と葛城のケッコンカッコカリの指輪、そんなに、気になる?」

「クマッ!?」

「欲しいなら竹櫛くんにお願い、してみたら?」

「い、いらんクマ! それにクマはまだ練度が……ああああもう関係ない話はお終いクマ! さっさと打ち合わせを終わらせてアナと雪の女王のDVD観ないといけないクマ! 多摩たちを待たせてるクマ!」

 球磨はホワイトボードの前に立ち、下手くそな字で『工業地帯防エイ引きつぎ会ギ』と書いた。読みづらいとケチをつける暇もなく、議題の下に『全部カツラギがやる! 以上!』と書き足した。

「そ、そんなぁ」と真に受ける葛城に「せいぜい頑張るクマ」と捨て台詞を残して会議室を出ていってしまった。

「何がしたかったのだ、あいつは」

「傘姫がいらんこと言うけん」

「面白いねえ、球磨くん」

「あの、僕、本当に忙しくて……」

「はいはい静かにしてください。いいかげん真面目にやりますよ」

 叢雲がホワイトボードの球磨の字を消し、丁寧に『工業地帯防衛引き継ぎ会議』と書き直した。

 会議が終わって執務室に戻り、私と叢雲は椅子に背を深く預けて同時に大きなため息をついた。これでようやく通常業務に戻れると思うと気も抜けるというものだった。隣の部屋でも一ノ傘は同じように呆けていることだろう。

「ここ二ヶ月間の疲れがどっと出たわ」と叢雲。

「ああ」

「一ノ傘姫乃司令って知り合いなの?」

「昔は髪が長かったな。子供の頃の話だが」

「ふうん……ねえ、副司令のことだけど」

 気が抜けた叢雲の声に少し真面目な色が混ざった。

「これで終わった、って思っていいのよね」

「含みのある聞き方だな。まだ気になることがあるか」

「だって……」暫く考え込んだ後、「やっぱり何でもない。普通の仕事が恋しくなったわ」立ち上がって右太腿のホルスターを軽く撫でた。

「コーヒー淹れてくるわね」

 

 

【18】

 

 

 普通の仕事がしたいのは私も同感だったが、やはりというか何というべきか、そうは問屋が卸さなかった。

 新人であろうと傘姫は優れた人材であり、しかし優れた人材とはいえ新人は新人だった。打ち合わせの二日後に資材が枯渇しそうだと連絡を受けた時は、やはり一ノ傘の従姉妹だと笑えた。私と一ノ傘が着任した当初のように電を派遣しようかと冗談で言っていると、電が並々ならぬ殺意を放って私と一ノ傘を震え上がらせ、結局『工業地帯防衛引き継ぎ会議』で決めた内容は一ヶ月ほど先延ばしになった。

 こちらの艦隊から出撃した部隊に葛城が混ざる形での防衛作戦は調度良い交流の機会となった。夷川を再起不能にした霧島と出会った葛城は、父を止めてくれてありがとうございました、と礼を言ったらしい。球磨もかなりの深手を負わせたことを気にかけているらしく、戦闘では葛城をよく庇った。ただしうっかりナイフを落とす振りをして刃を見せびらかし、葛城を意味もなく脅かしては帰投して叢雲に絞られた。

 良くも悪くも愉快な仲間ができた、といったところだった。頑なに納得しようとしない一ノ傘が傘姫に言い包められるのは時間の問題だろう。傘姫の艦隊が落ち着くまで辛抱強く待つだけでよい。ただ待っていればよい問題など、夷川の騒動や営倉から出した直後に殴り合いを始めた阿呆空母の扱いに比べれば何のことはない。

 嵐が去った後の青空は実に美しいものである。其の様な時間ができて私は、ついに刀身を綺麗サッパリもがれてしまった愛刀『丑の刻摩天楼』に接着剤を塗って暇を潰した。

 




な、なんとか3万字に収まった……
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