◆― 洞観者 ―◆
「長月だ。久しぶりだな」
【長月:当時Lv.14+1】
「例の物がさっき届いたぞ。素敵なインテリア雑貨をありがとう。さっそく駆逐艦寮の玄関にでも飾ることに――それは私の台詞だそっちこそふざけるな。こんな武器をくれなんて頼んだ覚えはないし私のあだ名が『フフ怖』になりそうだ、どーしてくれる! それに大戦艦のあんたは初心なんて忘れてしまってるだろうけどな、私らの部屋は基本的に複数人部屋で宅配テロ対策なんて不可能なんだからな。私は二人部屋で寝起きして扉に鍵をかける習慣もない。鍵は逆にプリン一個を巡る殺し合いを認める証っていう変な風習があるんだ。もう姉妹艦の全員が触ったぞ、この刀。――手入れ方法なんて知るもんか、本物の刀がこんなに大きなものだってことすら知らなかったんだぞ。残念だけど価値の分からない人間に送るものじゃなかったな。――……は? え? ちょっ、ワンモアプリーズ。……特注で、さんびゃくまんえん? ……ははっ、いやいや武蔵さん、そんな冗談に引っかかるほど子供でも阿呆でもないぞ私は。嘘をつくなら『猫爪(ネコノツメ)』なんて可愛い名前じゃなくて虎徹とか斬月とかもっとこう……そりゃ私の艤装なんかより上等な鋼なのは触れば分かる。分かるけど……送り返す。この刀はあんたが自分で……嫌だよ三百万円を担いで出撃するとか! 手を滑らせて海中に落としたらお終いじゃないかふざけんな! ――ああ、そのためのストラップ通す部分が――いやだからそういう問題じゃなくて」
―【 0 】―
「何本か作る予定だから、最初の試作一本に強いて値段を付けるなら三百万くらいになる、という意味だ」
【武蔵:Lv.150+1】
「例えばお前が百人前のカレーを作ったとして一皿にどれくらいの値段を付ける? ってくらいの感覚だよ。新開発の兵装に三百万くらい珍しくも何ともないさ。それとベタベタ触るなとは言ったが『猫爪』は艦娘が扱う兵装として作ったからな、防食に特化させている。汚れたらこまめに拭く程度で問題ない。その代わり刀の性能としては難しいが、少なくとも三徳包丁よりはマシだろう。……おい、いい加減に観念しておけよ長月?」
痺れを切らした武蔵は「その刀はお前の物だ。お前が使え。普段どこに置こうが飾ろうが構わないがな、もし送り返したり誰かに譲ったり換金なんかしてみろ、全国の洞観者と大和経由で司令部にお前のことを『フフ怖』と紹介するからな。――あー電波が悪いみたいだ聞こえない。それじゃ上手く使ってくれよ」長月の返事を待たずに通話を切り、すっかり店主、あるいは司令塔としての貫禄が付いてきた『ハングド・キャット』の仕事に戻った。
◆― 話はさらに一年以上前に遡る ―◆
鉄を舐めると血のような味がする。卵の腐ったような臭いはなるほど腐卵臭と呼ぶに相応しいと、腐った卵を見たことすらないのに納得する。強大な戦艦であった彼女にとっての呼び水はその程度の、自覚することすらなかったものだった。
従って彼女はある日ある瞬間、まったく唐突に目を覚ました。
居眠りを咎められたわけではない。一秒前までは事務仕事に追われていたはずである。室内の様子も、外の天気も、共に働いている提督も、何も変わらない。ただ彼女の意識だけが夢から現へと這い上がった。
覚醒してしまったからには理解できない道理はない。即ち今までの『夢』が、彼女が戦ってきた何もかもが、覚悟を決めて臨んできた戦場が、悪い冗談であるように思えてならなかった。
数秒前までの自分が作成していた記録が目の前のモニターに映っている。ルーチンワークではあるものの真面目に作成していたはずのそれを見て、彼女はボソリと呟いた。
「……何の遊びだ、これは」
【武蔵:当時Lv.150 → 150+1】
その声に反応した提督が何か言った。しかしその男は今の彼女の目には、ケージの中で回し車に夢中になるハムスターのようにしか見えなかった。いや、生きるための運動という意味のあるハムスターのほうがマシとすら思えた。そんな無意味な児戯めいた仕事を今すぐやめてしまえ、そう言いかけた言葉をすんでのことで飲み込めたのは、彼女も数秒前まで同じ児戯をしていたからだった。その日は体調が優れないからと強引に休暇を取った。
その違和感が明確な不具合として現れたのは出撃時だった。
なぜ人間が戦車のような装備を担いで平然としていられる?
なぜ人間が、いや何であろうと海面より下に没することなく立っていられる?
訝しむ仲間がどのように装備し進水しているか、それだけはハッキリ理解できた。騙されているのだ。豚を煽てて木に登らせるように、事実、かつての彼女自身も欺瞞に煽てられるまま木に登った戦艦だった。騙されていることを甘んじて受け入れながらの出撃は常の幾倍もの精神的苦痛をもたらし、母港に帰る頃には天下無敵の大戦艦は見る影もなくボロボロになってしまっていた。
最近らしくない、と気遣われながら彼女は体を休めるよりも頭を冷やすことに重きを置いた。自分の頭がおかしくなったと疑うような弱い心など深海棲艦を千ほど沈めた頃に捨てた。欺瞞を洞観して見えた世界こそ絶対であるのは間違いない。しかしそれを仲間にまで伝えてしまってはいたずらに混乱させることだろう。心技体の練度に不足のない彼女ですら少々参ってしまっているのであらば、いっそ墓か深海にまで持っていくのがよい。
ならば彼女が成すべきことは己にしか成せないこと、砲火とは別の手段で世界を弾劾することに違いないと、日が昇れば起床するよりも当然のように覚悟を決めた。動力源は己が正義。倫理に従った義務である。だがしかし何より、彼女ら艦娘が騙されるまま戦に臨んでいる現状が気に食わなかった。
名残惜しさはあったものの無理を言って鎮守府を出て、彼女が向かった先は研究機関だった。海を汚す深海棲艦パンデミック――そのように解釈している誤りを正すことさえできれば、戦争を終わらせて全鎮守府を漁港や観光地に変えてしまうのに一年も必要ないだろうと彼女は考えたのだった。まさしくウイルスのように人類を悩ませる深海棲艦に対して、艦娘はワクチンなどではなく都合の良いウイルスに他ならない。最強の戦艦として戦ってきた経験と新たに得た啓蒙より導き出された結論である。この現状はあまりに巫山戯ていると、彼女は中枢で働いている姉妹艦・大和に頼み込んで用意してもらった紹介状をうっかり握り潰してしまった。
―【 1 】―
彼女は自惚れていた。迂闊と言う他にない。
その欺瞞こそ彼女を今まで最強の戦艦たらしめ、ルールから外れることは当然のように与えられてきた加護を捨てることでもあると、思い知った時には既にどうしようもなくなっていた。
―【 2 】―
研究者共は腐っていた。
普通の戦艦であった頃は新兵器の開発や海域調査、深海棲艦の研究などに没頭する純粋な味方であるとばかり思っていた。
彼女は何度も、クズ共の脳味噌というものは果たして何色に腐食するものなのかを頭蓋を砕いて確認してやろうかと手を伸ばしかけた。深海棲艦が沈めるべき存在であるならば研究者共には人としての形を保つことすら度し難い。彼女に下卑た話を持ちかける男を肉塊に変えるなど、敵部隊からはぐれた駆逐イ級を踏み潰すよりも容易い。
逆に研究者からしてみれば、社会の構造を知らぬ鴨が葱を背負って来ただけのことだった。若い娘、しかも『撃沈王』と名高い大和と並ぶ大戦艦が大した見返りも求めず協力を申し出て来たのだ。これ以上の果報が残りの人生に訪れようか。彼女は無知であるだけで知力は悪くない。好きに利用されていることに気付くのは早かった。だがその僅かな時間で十分だった。それほどに彼女の蜜は甘い。
傍から見たら何の事はない、子供が大人に良い様に使われただけの話である。
艦隊に戻る気力も無くしてしまうほど彼女は疲れてしまった。鎮守府を出た彼女を心配して様子を確かめた提督が強引に連れ戻し休養させたのだが、塞ぎこんだ彼女の耳には何も届かなかった。
巫山戯た世界を変えようとして何もできず、結局、この巫山戯た世界に帰ってきてしまった。こんな事になるのなら何も知らないまま戦艦として戦っていればよかった。行動を起こして後悔するなど最悪の兵士の見本ではないか。
白いはずの布団が灰色に汚く見え、もうずっと目を閉じていようかとぼんやり思った時、布団の上に茶色をしたものが飛び乗ってきた。立派な毛並みの茶猫だった。猫は黒猫に限らず不吉の象徴のように思われている。しかし欺瞞を洞観した彼女には何故だかそうは見えなかった。
「お前は自由の身か?」
茶猫は一声、小さく鳴いた。それが肯定か否定か、ただ気まぐれに鳴いてみせただけなのかはどうでもよかった。ただ無害に、何を気兼ねする必要もなく話し相手になってくれることが少しだけ嬉しかった。だからようやく、彼女は心のままに泣くことができた。
「……助けて、くれないか」
涙をぽろぽろと流す彼女に茶猫はまた短く鳴いて、布団から飛び降り窓の外へと走っていった。
―【 3 】―
その茶猫こそ、史上初めて全国に点在する炎に呼びかけた猫となった。
腐った者共を尋常外の炎で燃やし尽くせ。
武蔵と同じく道理を外れ、己を持て余していた艦娘達は茶猫の招待に喜んで応えた。
―【 4 】―
食事が喉を通らなくなって二週間ほど過ぎた頃だろうか、一人の駆逐艦らしき少女が訪ねてきた。
「あー参った。余所者が入る手続きだけでも面倒だってのに、あんたに用があるって言った途端に警備の目つきが変わったぞ」ぼやきながら部屋に入ってきた少女は頭に茶猫を乗せていた。「えーと、はじめまして。……何から話したものか迷ってたんだが、私と話す元気は……どう見ても無さそうだな」
【長月:当時Lv.9+1】
茶猫は少女の頭から布団の上に飛び乗り、何日かぶりに戻ってきたと武蔵が思えばすぐに丸くなった。
「こういう場合の対処はどうしたものか……私らが羊羹でも食べていれば気分が高揚する艦娘でなくなってしまったのは分かるだろ? だからたぶん普通の治療が必要だ。薬を飲んで寝ろ。夢すら見ないほど爆睡しろ。明日か明後日にでも医者をここに手配する。それから最低でも半年は休暇を取れ。艦娘の義務だの世界の嘘だのは忘れろ。とりあえず、あんたが一人で抱え込んでた面倒事は猫から聞いて、私らで全部片付けておいたから。……新米同然の駆逐艦風情が何を偉そうにと思うだろうなぁ。いや思う気力もないか? でも我慢してくれ。猫の大雑把すぎる連絡じゃ、あんたが嘘だらけの世界を滅ぼそうとする可能性も考えないといけなかったんだ。つまり、あんたが人類に敵対しようとした場合は最低でもこの鎮守府より外に被害を出さないよう身構えてたんだが――」
武蔵より頭二つは小柄な少女は、背に隠していた三徳包丁をプラプラと見せびらかした。
「――懐疑が無駄になって良かったよ。あんたが鬼姫になってたら私一人じゃ始末は骨が折れる」
―【 5 】―
長月が言った通り、その翌日に民間の医者が武蔵の診察に来た。
療養を続けるうちに、次第に口を開くくらいの気力は戻ってきた。蝸牛が這うようにゆっくり頭を整理しながら、艦隊の皆には当たらずといえども遠からずな話でお茶を濁し、対して見舞いに来る長月には思い切って様々なことを打ち明けた。
「まったくだよ。私ら艦娘は深海棲艦と戦えたって、それだけの世間知らずだ」
どいつもこいつも箱入り娘からは程遠いのに、と長月は付け足した。
「嘘を嘘と見抜けたからって何なんだろうな? 各地の鎮守府から一人出るかどうかの洞観者は――」
「洞観者?」
「言ってなかったっけ、私らはそう名乗ることに決めたんだ。秘密結社の構成員みたいなものだと思ってくれ。ただ困ったことが……ああ、ちなみにその洞観者なんだが、目覚めた中で自発的に目標を持って動いたのはあんた一人だけだった。で、様子見してた私らの元に猫の使いが来た。その猫が発信源の伝言ゲームみたいに全国の猫が、伝書鳩ならぬ伝書猫になったんだろうな。ちなみに私の所には白猫が来た」
モップのようにふさふさした茶猫は武蔵に大人しく撫でられていた。
「それで困ってる事ってのはな。あんたの呼び掛けに応えた後、洞観者が集まって本当に秘密結社みたいなクラブを作ろうとしてるんだ。ああ勿論クラブを作る話が先で、それありきの洞観者だったはずなんだけどさ。フリーメイソンみたいな隠れつつ現れつつの自己主張をしたいわけじゃなくて、強いて言うならアサシン伝説に近いような……」
「穏やかじゃない例えだな」
「例えだよ例え。あんたも私も秘密の薔薇園ってガラでもないだろ? 北は幌筵泊地、南はショートランド泊地まである鎮守府から集まって薔薇を楽しもうってわけじゃないけどさ、情報の集約点とか発信源になる場所は必要だろ? 問題はそこなんだ。どこを拠点にして誰が仕切るのか、てな具合でね。最近は名前をオシャレにしたい、なんてくだらない事で揉め始めて」
「最初に皆に声をかけた私が……このザマだからか」
「いや悪い。そういう意味で言ったんじゃないんだ。ただ伝書猫をくだらない連絡のために使いっ走りにしてるのが少し面白かったり――まあ少ない仲間だし、気楽にやっていこうと考えてはいるよ。その点だけは皆の共通認識だ」
ケラケラ笑う長月は、武蔵には確かに気楽で楽しそうに見えた。
「気楽に……ひとつ聞いてもいいか」
「どうぞ何なりと」
「聞いていると、長月たち――洞観者は皆、私の醜態を知っているのだろう? あれは簡単に片付く話では」暗い顔になりつつあった武蔵を、長月は「猫、武蔵の顔をモフれ」と言って強制的に黙らせた。
「おふっ!?」茶猫が武蔵の顔面に張り付いた。
「医者も言ってただろう。何も悪いことはしてないんだから気にする必要はない。あんたに何の情報も回らないのは誰かが止めてるからじゃなく、私ら洞観者でケリをつけたからだ。解決済みだ。……というかそれが、私みたいな小娘も『洞観者』なんて大仰な肩書きを持つ決意とかアサシン伝説みたいな話に繋がったんだが……まあ、元を辿ればあんたが最初の洞観者ってことになってるしな。うん、確かに変な話といえば変な話だ」
意味ありげに言った長月だったが、武蔵にとってはそれよりも、自分と同じくルールから外れた仲間たちがいることが嬉しく、ずっと重くのしかかっていた肩の荷が下りたような気がした。
洞観者。それは艦娘とは言い難い尋常外の在り方を肯定する徴のようだった。
「詳しい事は回復具合を見ながらぼちぼち話していくよ。ああ、自分で調べようとしても無駄だからな。情報とかアリバイとか、そういうのを弄るのが得意なヤツがいるんだ。マジで。あんたの姉妹艦、国の英雄『撃沈王』ですら真相には辿り着けないだろうよ」
―【 6 】―
武蔵が艦隊の者らと談笑できるまでに気力を取り戻して、さんざん思わせぶりなことばかり言っていた長月はようやく語り始めた。武蔵が茶猫に助けを求めて長月と出会ってからおよそ半年が過ぎていた。
「『インガオホー』というコトワザ? を聞いたことある?」この日も見舞いに来ていた長月は尋ねた。週に一度の見舞いは彼女らの恒例となっていた。
「……『因果応報』という四字熟語なら知っているが」
「だよなあ。私も未だに意味は分かってないんだが、つまりアトモスフィアはそういうことらしい。マッポーの世はナムアミダブツ、慈悲はない。だがアイサツだけは忘れてはならない。古事記にもそう書いてある」
「ますます意味が分からんぞ」
「うん。言っておいて何だけど私も未だに分からない。……分からないまま作戦に駆り出された私も実際バカにされてたのか? あの時はバカバカし過ぎて逆に痛快だったけど、なんか今になって腹が立ってきた」
「私は洞観者そのものが心配になってきたぞ……大丈夫なんだろうな? まさか本当にアサシン伝説めいたオハギで頭をやられて……あれ? なあ私は今何か変な……?」
―【 7 】―
リハビリがてらの鎮守府近海警備を終えて帰投した武蔵を、長月はニヤニヤしながら迎えた。余所の艦隊所属の見舞客もすっかり武蔵の話し相手として歓迎されてすらいた。
「どうだった、洞観者としての初の出撃は?」
「……お疲れ様、くらいは言ってくれないものか」
「ん? ああ、お疲れ様。で、どうだった?」
「見ての通りだ。駆逐艦如きに装甲を破られるなど恥ずかしさで轟沈しそうだったぞ!」
「駆逐艦の私を前にそんなこと言うかね」
「小口径砲をモノともせず戦ってこその戦艦なのにこのザマだ!」
ひしゃげた砲塔を気怠そうにゴリゴリ引きずる武蔵だった。出撃前に忠告した長月も、練度測定不能の大戦艦がはぐれ深海棲艦に大破させられた様を実際に目の当たりにすると、洞観者の危険性を嫌というほど思い知らされるようで逆に笑えた。
「……長月の言った通りだった。艤装も今までの経験も嘘みたいだ。半年前までピアノを弾いていたと例えると、今は鍵盤を奪われた代わりにハンマーを渡されてモグラ叩きのように弦を直接殴打して演奏している気分だった。猫踏んじゃったを弾くために腕が何本必要になる?」
「猫の機嫌は損ねないほうがいい。私ら洞観者は特に」
「長月も私と風呂に入っていけ。猫の情報網でこの症状について掴んでいるんだろう? 笑われてばかりじゃ面白くない。全部話してもらおうか」
「戦艦と長風呂は嫌だなあ……」
余所者でありながらタオルやシャンプー、着替えまで借りられるほど馴染んでいた長月は渋々、武蔵と並んで湯船につかった。身長差・練度差があまりに大きく、他の者から見ると、長月は武蔵に憧れてくっついて回る小娘のようで微笑ましかった。
「……とは言ってもな、分かってることなんて『全然分からない』くらいのものだ」
長月は温かい目で見られるのが嫌で、頭に乗せたタオルを額までずらして目を覆い隠した。
「私も他のヤツらもあんたと同じように、最初は戸惑った。進水のやり方を忘れたとか兵装をどうやって装備してたかも忘れた、なんて話もあったくらいだから、戦って、勝って、帰ってきたあんたはマシな方さ」
「……帰ってこなかった者もいるのか?」
二人は他の者には聞かれないよう声をひそめた。
「今のところは聞いてない。ただ轟沈したヤツは基本的に無口だからなぁ」
「それはそうだが……」
「洞観者を見分けてくれる猫に伝言を託して全国に注意喚起する他にないのが現状だ。あんたはさっき自分の性能をピアノに例えただろ? これも才能というか性質というか、個人差が大きくあるらしい。『エイムアシストが切れたみたいで燃える』なんて呑気なヤツもいれば『深海棲艦が幽霊にしか見えなくなって怖い』ってヤツもいる。『軽巡だけど装備枠をいじったら戦艦の主砲を装備できた』とか『潜行は苦しいから潜水艦やめて空母になりたいと思ってたら航巡になった』とか、もうメチャクチャだ」
「そう言う長月自身はどうなんだ」
「私? ……は、言っても信じないと思う」
「今こうしてゆっくり風呂に入っていられるのは長月のおかげだ。今更、私がお前の何を疑えと?」
「じゃあ……私があんたに初めて会いに来た日のこと、覚えてるか」
「忘れるはずもない」
「あの時点では世界の欺瞞を洞観したヤツらは繋がったばかりで、正直なとこ遣いの猫が目の前にいても半信半疑だった。正確に言うと、猫に助けを求められてるのを信じるか、深海棲艦の罠なんじゃないかと疑うかだ。他のヤツがどれほど深読みしてたかは後にならないと分からなかったが、比較的鎮守府が近くて、かつ腕に覚えのある私が無視するわけにはいかないだろうと考えた。独断で動くのだから艦娘としての装備は使えないし、この鎮守府の警備は厳しい。敷地に入って包丁一本をくすねるのが精一杯だった」
「あの時持っていた包丁は……」
「あんたならどうする? 猫を遣わす魔女のような深海棲艦がいるとしたら、そいつは間違いなく鬼姫クラスの脅威だ。もしそうだとしたら敷地内を歩くヤツらはどうだ? 乗り込んだ泊地が既に絨毯爆撃で焼き払うべき土地に成り果てていたとしたら?」
「あのな。確かに長月くらいの練度の艦娘が無人島の木と深海棲艦を見間違える報告は少なくない。だがこの本土に敵が踏み込んだ可能性があれば、少なくとも私の姉妹艦たる大和が偵察に来るくらいの柔軟性はあるぞ。ましてや私の鎮守府がゾンビパニックになったと聞けば大和は……む、どう反応するかな」
「まだまだ学び足りない駆逐艦なりに答えを出したよ。普通のやり方では対応不可。だから私一人でやると決めた」
「……助けて貰っておいた身ではあるが、これだけは大先輩の戦艦からの忠告として聞け。大規模作戦ってのはな、敵の大部隊を叩くために立案されるものだが、大将の鬼姫クラスの強さは単体でも尋常じゃあない。連戦につぐ連戦で頭のネジを二・三本なくした艦娘でもな、前に出過ぎてうっかり姫と鉢合わせしてしまった時は立ち竦むほどだ」
「へー。バンザイ突撃も考えものだな」
「真面目な話だ」武蔵の声は少し大きくなった。「その馬鹿者は気圧されたんだ。姫の姿を間近でハッキリ捉えて格の違いを悟ったんだ。馬鹿者は勝手に人質になって棒立ちするわ姫は面白がって放置するわ……あんな戦場はもう勘弁願いたい」
「……悪い。その馬鹿者ってもしかして……」
「ん? ああいや私はそんな無様な真似はせんよ。それに、その馬鹿者は反省して後に撃沈王と呼ばれるようになって、十分すぎるほど汚名返上を果たしたからな。とにかくだ長月、絶対に深海棲艦を侮るな。今のところ我々は格の違いを戦術戦略で補っているに過ぎないことを知っておけ」
「…………」
しばらく黙りこんだ長月は唐突に「あ~もう無理。のぼせそう」と湯船から飛び出した。
「おい長月、私はお前のことを思って――」
「だから言っただろ。私の言うことなんて信じないだろうってさ」
長月が急にツンツンし初めたのは新米によくある反発心だろうと武蔵は思い、先に洞観者としての長月はどうなのかと聞いたことは忘れてしまっていた。
湯船から出た少女の体は小さい。今更になって、このような少女が戦場に立たなければならない世界に腹を立てる武蔵だった。
「武蔵。戦艦として万全に動けるようになったら私の艦隊に演習を申し込め」
「は?」
「その時には相手を睦月型八番艦・長月一人と指名しろ。リハビリに付き合わせるとでも言えばいい。できるだろ?」
「いや、できるだろうが……」
「あんたの見舞いはもう必要無いだろう。次は海の上で会おう。というか姉妹艦の中で私一人だけ外出のし過ぎで練度が低いんだ。数字に意味は無くなったがレベルが低いってのはなんとなく嫌だし、何よりあんたに甘く見られるのも、理解できても面白くない。演習で本当の『格の違い』ってヤツをたっぷり教えてやる。それじゃあな。せめて全盛期の八割くらいは力を戻しておいてくれよ。できるだけ沢山の経験値が欲しい」
「お、おい長月……」
浴場から出ていく長月を武蔵は追いかけようとしたが、仲間にまだ修復中だと湯船に押し戻された。
―【 8 】―
それから一週間後、武蔵は言われた通り長月との演習をセッティングした。
『……随分と早かったじゃないか』開始前に無線で長月が言った。『ピアノの弦をハンマーで直接叩く演奏法、まさか会得したのか?』
「ああその通りさ。猫踏んじゃったくらい今や朝飯前だよ。何せ私は大戦艦、武蔵だからな。むしろピアノの構造を熟知した分、全盛期を超えたと感じているくらいさ」
『そりゃ良かった。じゃあ私に艤装をバラされても修理できるな』
「ははっ! その自信の元を見せて貰おうか!」
この言葉から数分後には艤装の80%以上が損傷どころか海中に沈められてしまい、喉元に包丁を突き付けられているのだから武蔵はたまらず息をピタリと止めたまま両手をゆっくり上げた。
「……降伏するついでに謝罪する。格の違いを見抜けない愚か者は私の方でした。ごめんなさい」
心から長月を認める他になかった。
対する、まったく無傷の長月は自分の頭よりも高い位置にある武蔵の喉から包丁を引き、年相応の少女らしく満足気だった。ドヤ顔だった。
「そうそう、この包丁はあんたの鎮守府から借りっぱなしだったんだ」
「包丁くらい構わないが……お前のせいでロストした大和型の戦艦装備、金で換算すると駆逐艦の装備数人分どころじゃ済まないぞ」
「ぅえっ!?」
「くくっ、冗談ではないが冗談だ。戦争には強さ以上に金が要る、とでも言っておかないと私の完全敗北で帰って泣きそうだったからな」
長月から受け取った包丁を武蔵は青空に掲げて眺めてみた。先程、鋼鉄の砲塔を一刀のもとに切り落としたとは信じられない三徳包丁である。刃こぼれのひとつすらない。
「もし私がちゃんとした武器を調達してやると言ったら長月、お前は深海棲艦を世界から一掃してくれるか?」
「無理だ。私は戦闘はできても戦争ができないお子様だと、あんたがさっき言ったんだろうに」
「だからあれは冗談だよ。金の話は艦隊の秘書とか総旗艦とかに任せておけばいい。任務を繰り返せばそのうち嫌でも覚える事さ」
「……ふぅん」完全勝利を狙っていた長月は不満気だった。
「しかしこの強さ、温存しておくにはあまりに惜しい。戦闘はできても戦争ができない、か。それは長月の認識でいい、どれくらいの程度なら勝利を取れると思う? 少なくとも私が鎮守府ごと深海棲艦の泊地に変えていたとしても、中に乗り込みさえすれば勝てると踏んでいたのだろう?」
しばらく俯いて考えた長月は少々真剣な顔をした。
「あんた、まだ薬は飲んでるのか? 医者からは何に気をつけろとか――」
「むしろ適度なストレスも必要だそうだ。もう長月には十分過ぎるほど気を遣わせているし、好きに喋ってくれ」
「なら……単刀直入に言う。あんたを苦しめたクズ共、三人の研究員に行方不明になってもらった実行犯の一人は私だ」
いつかはその話とも向き合う必要があると覚悟はしていた武蔵も、やはり多少は怯まざるを得ない。それが事件性を帯びたとあらば尚更だった。
「わざわざクルーザーとかを買って単独で海に出た可能性がある、くらいはちょっとしたニュースになったな。理由がまるで分からないって。あんたもそれくらいは知ってるだろ。真相はこうだ――クズ共は不正を告発される前に退職金を手にして逃げて、家族からは逃げられて、自暴自棄になって人生最後にオリョールクルージングを楽しむべく船を買って深海棲艦が跋扈する海に出た。勿論、仮に深海棲艦がいなかったとしても素人がオリョールまで船旅するなんて不可能だから、私の役目は捜索の目が届かない所まで深海棲艦からこっそり護衛することだった。その後は深海棲艦にやられたらしい残骸を見つけて雷撃処分。ってなわけだ。海を利用した艦娘ならではの単純な復讐だったが実際はものすごく複雑で、奸計をめぐらせるヤツらには正直、勝てないと思ったね。そういう意味で、私は戦闘はできても戦争は――」
「嘘だろ……お前、人に手をかけたのか」
「そんな怖い顔するなよ。ただ偶然、洞観者の中に大学のシステムに詳しいヤツがいて、興信所みたいな事ができるヤツがいて、セールストークが上手いヤツがいて、音も無く深海棲艦を葬りながら船を誘導できるヤツがいて、隠蔽工作が上手いヤツがいて、ソイツらが偶然にも……なんて言ってもあんたは納得しないだろうから一言で済ませると、私らがやったのは正しい意味での確信犯だ」
道徳的・宗教的・政治的な信念に基づき、自らの行為を正しいと信じてなされる犯罪。
「それと皆、自分の手を汚したつもりもない。前に話しただろ、意味は分からないけどインガオホーってやつだ。マッポーな世の中はナムアミダブツ、深海棲艦と同じく人類に仇なす輩に慈悲はない。頭の良いヤツが確認までしたさ。撃沈王の姉妹艦とクズ共、天秤にかけるまでも――」
「もういい」武蔵は長月の話を遮った。「洞観者としてやるべきことをやった、つまりそう言いたいのだろ」
「そうだけど……理解はされないだろうなあと思ってたんだが」
「そりゃあ理解したくないが私とて洞観者だぞ。それに事の始まりは他の誰でもない私じゃないか。私が洞観者になって得た智見を研究者に提供しようとした結果がこれだ。そうだとも、やはり私が自分でどうにかすべきだったんだ」
「な、なあ。ちょっと落ち着いてくれ。あんたはまだ療養中なんだから」
「洞観者の秘密結社を作る話は今どうなっている、長月?」
「え? あ、ああ……それならぜんぜん進展はない、けど。拠点も名前も、どいつもこいつも好き勝手に注文と文句ばかりで」
「ならば私が今日からお前たちの纏め役だ。大和型二番艦に文句はなかろう。あったとしても言わせん。お前らには常識という手綱が必要だ」
「……クズ共を退治したこと怒ってる?」
「ノーコメントだ。私も奴らの腐臭に参ったからノーコメントだ。そういえば演習も終わりだな。帰投するぞ。長月もこっちの鎮守府に来い。早速手伝ってもらうぞ、洞観者」
「で、でも大和型との一対一の貴重な勝負だから結果を詳しく報告しろと命令されてて――」
「来なければ大和型装備ロスト分をそっちの艦隊に請求する。報告など私が直接電話でも何でもしてやる。ほら、いいからさっさと帰るぞ。思い立ったが何とやらだ」
―【 9 】―
『THE HANGED CAT(ハングド・キャット)』は武蔵が開いた喫茶店であり、洞観者の情報収集・発信、補助・統率を担う秘密結社もとい秘密喫茶でもあった。
店内を飼い猫が自由気ままに闊歩し、時に店の天井辺りの窓を出入りする猫は小さな鞄を背負っていた。気取った風なコーヒーを楽しんで貰うのが店のコンセプトだったはずなのだが、やはりメニューから外せないカレーのスパイシーな香りがいつも店内に充満していた。実際カレーが『ハングド・キャット』を支えていると言っても過言ではない。
「もうカレーだけに絞ったら? 武蔵の日替わりオリジナルブレンドは不味いんだもの。実際、飲めたものじゃないわ」
カウンター席で茶猫を撫でながら大和は言った。
「……お前、日増しに私に対する口が悪くなっていくぞ。まだ怒っているのか」
「当たり前です」
「殴られた跡、まだ消えないのだが」武蔵の左頬は大きなガーゼで覆われていた。「ひしゃげたメガネも買い直した」
仕事は仕事、それとは別に自分の喫茶店を持つことに武蔵が多少浮かれてしまうのも無理からぬことではあったものの、うっかり開店告知のチラシを大和にも自慢気に送ってしまったのだった。開店当日、並ぶ客を無視して店に踏み入った大和は武蔵に詰め寄り、オープニングスタッフとして駆り出されていた長月ら洞観者数名の制止を振り切って洗いざらい吐かせた。いくら姉妹艦とはいえ大戦艦である武蔵を殴り倒して何から何まで喋らせる様は、『撃沈王』の通り名は伊達ではないと長月ですら震え上がった。勿論、開店は延期せざるを得なくなったのだが、あの店には国の英雄大和や他にも艦娘が入り浸るのかと、宣伝としては十分過ぎる程だった。
「姉妹艦に今の今まで病気のこと隠してたおバカさんが悪いんだわ。ねえ猫さんもそう思うでしょ?」
茶猫も同意するように「にゃあ」と鳴くものだから武蔵は苦笑するしかなかった。
「コーヒーを淹れる才能がないのはもう十分、分かったでしょ? ……普通の艦娘には戻らないの? 『ドーカンシャ』はそんなに大切なことなの?」
「いくら説明しても『そんな事は知りません』の一点張りなのはお前の方だろうに」
「この店とあっちの鎮守府、往復して働くなんてそのうちまた体を壊すに決まってるじゃない。おバカな姉妹艦を心配してあげてるの。い・ち・お・う・ね」
「今ちょっと手が離せないんだ。だが未知の敵陣深くに切り込むのが仕事のお前に比べちゃあ楽なものさ。大丈夫。同じ過ちを繰り返すつもりはないし、皆が私を気遣ってくれる。それに笑えない冗談ばかりの仕事が多過ぎて逆に笑えてくる程だ」
「下手の横好きって言うものね。コーヒー飲んだお客さんが泡吹いて倒れても知らないんだから」
「……私はお前の方が心配だぞ撃沈王。世間での艦娘のイメージはお前のイメージとイコールだからな。出されたコーヒーに延々とケチをつけ続ける英雄は私ですら正直、嫌だ」
「だからこうして変装してるんじゃない」
「変装のつもりだったのか、そのメガネ」
「ねえ。さっきから裏でゴソゴソ何やってるの? コーヒー豆いじくる暇があるなら外の自動販売機でコーヒー買ってきたほうが有意義だとアドバイスしてあげる」
「いい加減にしないと殴るぞ貴様……!」
大人しく座っていた灰猫の背中の鞄を閉じて「よし、じゃあ頼んだぞ」と頭を撫でた。灰猫は軽快に店内のキャットウォークを登り、天井付近の専用窓から走り去っていった。
「今のがドーカンシャの仕事?」
「立派なドーカンシャの仕事でありお前にも関係する。――誰にも説明しようのない事だから姉妹艦の勘と思って聞け。例のダメコンを装備したまま沈みもせず遺体で発見された艦娘の件、深追いするな。あれは彼女が洞観者、つまり例外だったからである可能性が非常に高い。だから間違っても全艦隊にダメコン云々の情報を漏らしたりするなよ。注意喚起なんてすれば士気戦力はガタ落ちだ」
「……不味いコーヒーがもっと不味くなる話をここでする? その話に耳を貸すなら武蔵、あなただけじゃなくて他のドーカンシャさんも同じ危険性を抱えてるってことにならない? いま嫌な映像が頭に浮かんできそうで気持ち悪いんだけど」
「だから気をつけるよう猫で情報を発信している。仲間が身をもって炙り出した問題だ、決して無駄にはせん」
「猫で、ねぇ……」
「名簿すら作成困難な状況でな。猫の感覚だけが頼りなんだ」
「私、艦娘の俗っぽい風習とか噂話には疎いけど、どの鎮守府でも鼠と同じくらい猫も忌避されてるんでしょ? それくらいは知ってるわ」
「まあ確かにな。だが逆にこれほど頼もしい味方もいない。事実、私はその茶猫に救われた。――お前には本当に感謝しているよ」そう武蔵が投げ掛けても茶猫は気持ちよさそうに大和に撫でられるばかりで反応しなかった。
「ところで大和。お前がこうしてタダで不味いコーヒーを飲めるのは、私がお前に頼み事をしているからだったはずだが。そろそろ良い返事を聞きたいものだな」
「あのねえ。バスタードソードみたいな日本刀を作れと言われて簡単にヨロコンデーって誰が言えると思う? 申請の理由をでっち上げてねじ込むだけでも三週間かかって、気が付けば大口径砲開発くらいのビッグプロジェクトになっちゃったわ。納期十五ヶ月とかふざけたこと言われて短縮するよう交渉中」
「そのでっち上げた申請すら甘い見積りになるぞ。三徳包丁ですらアレだったしなぁ」
「それもドーカンシャ?」
「そう。ドーカンシャ」
「自分で使うわけじゃないのよね」
「お前が私を殴りに来た日に会っているはずだぞ。見た目は子供、強さは化物だ」
「少年漫画じゃないんだから、もう!」
コーヒーを一気に飲み干した大和は「この不味さが逆に健康に良い気がしてきた。もう一杯」カップを店主に突き出した。
この物語はあくまで正規空母・葛城を巡る因果を辿るものである!
その先触れとなったアホウスパイ・あきつ丸をどうする、天照大艦隊!
次回、ようやっと本編っぽいストーリーが動き出す!
……たぶん!
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TO BE CONTINUED なのです!
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3,000文字以内で冒頭のオマケにしようと思っていた話が14,347文字まで増えた挙句、本編が無くなるくらいのことはチャメシ・インシデントですよ。
漫画の過去編がやたら長くなる理由を身をもって知りましたわ……。