沿岸から人の目が届かないぎりぎりの航路を、睦月はやかましい陸軍人に先行して気怠そうに進んだ。睦月の鎮守府と葛城がいる鎮守府を結ぶ一時間程度の連絡航海が、これほど憂鬱だったことがあっただろうか。
「此度はアウェイであったからの転進であって、これは自分の的確な状況判断によるところだったであります。そこのところを駆逐艦の君、勘違いされては困るのであります」
「そうですね」とプログラムされたような返事をした睦月は追いかけてくる雨雲を見上げた。遠くの方では既に雲から霧を落とすように雨が降っており、自分たちと雨脚のどちらが先に葛城の鎮守府に早く着くか微妙なところだった。
睦月は案内とそこまでの護衛をしてやれと命令されただけで、到着後の面倒まで見ろとは聞いていない。あきつ丸を葛城に引き渡した後は兵装を仮置きさせてもらって陸路で帰ることにした。
「時に君。例の偽葛城とは顔見知りでありますか」
あきつ丸は葛城のことをずっと偽物呼ばわりしていた。
「偽物じゃないです」睦月は少しムッとして振り返った。
「葛城さんはいい人だって天照隊のみんなが知ってます。睦月も作戦とか訓練とかで何度もお世話になってますから。それに葛城さんは、あの『撃沈王』大和さんと肩を並べて戦ってるんですから」
大和の名前を出して睦月は少し得意気になる。
「やはり戦力的な問題は撃沈王でありますな。自分が下調べした通りであります」
「他の仕事と掛け持ちだから今日いるかは……いま戦力的って言いました?」
「撃沈王が偽葛城サイドに付いたとなると厄介であります。対するこちらの戦力は自分と駆逐艦が一人。やはり実力行使を避けるため情報を武器に揺さぶりを――」
「ストップストップ! 諸々を置いておくとしても睦月はあっちに着いたらすぐ帰りますよ!?」
「不思議なことを言うでありますな。君は自分の護衛であります。人の間違いに漬け込み、補給満タンの対価として装備を身ぐるみはがされ無防備な自分を守るのが仕事。そう、つまり君は貴重な装備であったカ号の分だけ働けと、あの悪魔のような副提督に命令されたはず。であります」
虎子を得ようとするも虎穴の隣にあった熊の寝床に間違えて入ったのは自分だろうと睦月は言い返したかった。しかしあきつ丸は捕らえられた時から相変わらずの絶好調だった。自分の落ち度とて元を辿ればすべて海軍や葛城のせいだと言わんばかりの様子である。
「それにこれは君にとっても幸運な話であります。内部告発は事情とか私情とかなかなか難しい事ではありますが、潜入している深海棲艦と匿う者たちを白日の下に晒した正義の駆逐艦として、新聞の一面を飾りたくないのでありますか」
「……どうして葛城さんのこと、そんなに悪く言うんですか」
「む。新聞ではなくテレビのほうがよかったでありますか。それとも今時の若者はユウチュウブ派でありますか」
「睦月は名声とかそんなの欲しくないです!」
「これは自分の上官の教えでありますが」とあきつ丸は前置きして言った。
「深海とは宇宙にも等しいのであります。海と陸は海岸という境界で隔てられており、海岸を超えて海上に人が――艦が進出するのはアポロ11号が月面を踏んだ程度の些事でしかない。即ち深海棲艦とは太陽系の遥か遠くから襲来しているようなものである。我々に果たして原始的返答以外の何ができようか。鉄と鉛と火薬だけが言語なのか。理解を深めるために、しかし深海はあまりに暗く恐ろしく、そして恐れるべきである。この世界には深海の闇ですら消せない炎が存在することを。――さあ。急ごう、であります。雨が降る前に到着したいところでありますな」
あきつ丸は僅かに速度を上げて睦月の前に滑り出た。
睦月は得体の知れない宗教団体の標語を押し付けられたような気分になり、黙ってあきつ丸の後に付いて行った。もう案内役の睦月が先導せずとも進めば目的地が見えてくる距離だった。
二人は『何かしら用事がある客』として、棚ぼた的に手に入れた装備にホクホクしていた一ノ傘からアポイントメントを取って貰っていた。
鎮守府の施設が見えてきたところで大粒の雨に降られてしまい、急いで駆け込もうとした二人は、しかし同時に速度を落とした。
「だ、誰でありますかあれは」あきつ丸はここまで来てようやく恐れをなした。
「……睦月も最近会ったばかりだし、詳しくは」睦月も『あれ』がいたことを今更になって思い出し、あきつ丸を置いてこのまま回れ右をしたい気分だった。
「いやしかし君、いったい……あれは何でありますか」
あきつ丸と睦月を出迎えた一人の少女は、屈強な大男でも容易には取り扱えそうにない巨大で無骨な鉄塊、トルピードランチャーを肩に担いでいた。海上での絶大な破壊力を誇示するそれは潜水艦娘にはまるで似付かわしいものではない。
あきつ丸と睦月よりも早く客人の姿を見つけていた出迎えの伊168は、雨に濡れるのにも厭わず不敵に笑っていた。
【伊168:Lv.150+1】
空を覆う黒雲の向こう側では、日が沈もうとしていた。
◆――――◆
伊168は二人の来訪を歓迎した。その対応は少なくともあきつ丸が難癖を付ける隙がない程度には丁寧だった。
濡れ鼠となった二人はタオルとジャージを借りて着替えた。濡れても問題ない水着も予備があると伊168言われ、しかし二人には冗談なのか真面目に言われているのか判断が付かなかった。
前を歩いて鎮守府内を案内する伊168の後に付いて行きながら睦月とあきつ丸はひそひそ囁き合った。
「……なんだか怖くないですか。丁寧すぎて不気味というか」
「我々は客人でありますから当然ではありますが……なぜロケットランチャーを担いでいるのでありますか。まさか水着にロケランが海軍式の礼装なのでありますか?」
「誰が得するんですか、そんな軍隊……」
不意に伊168が立ち止まり、二人は仲良くビクリと震えた。
「ここが応接室になります」と伊168は客人二人に言ってから扉を開こうとして、しかしわざとらしく取っ手に伸びかけた手を引っ込め、ニコリと笑顔を作った。
「誤解されては困りますが、水着はいつ何時、敵が現れても対応できるように極力着用するようにしています。それと、これはロケットランチャーではなくトルピードランチャーです。似たようなものですが、魚雷がいかに強力であるかはご存知でしょう。勿論これも緊急用ですよ。もし万一、鎮守府に人の形をした鼠などが入り込んだら――」
伊168は客人二人を舐め回すように眺めてから「困りますものねえ」と言った。
◆――――◆
応接室は落ち着いた色合いの蛍光灯に控え目に照らされており、窓の外の暗さをいっそう際立たせている。しんと静まった室内を雨に打たれた窓ガラスが震わせた。
部屋に通される前から肝を大破させられた睦月は、しかし葛城の姿を見るなり表情をぱあっと明るくした。カレンダーズ魚釣り大会から数時間ぶりの笑顔である。天照大艦隊の中でも駆逐艦は特に正規空母葛城との協同作戦に出ることが多く、空母の護衛として付きつつも練度測定不能の熟練空母に逆に助けられることが少なくなかった。特に天照隊の食欲に支配された阿呆空母共をよく知る睦月にとって葛城はまさに、アニメーションに出演するような尊敬すべき先輩空母のように見えるのだった。
「こんばんは葛城さん。お邪魔します」
「うん。いらっしゃい睦月ちゃん。それと……」
椅子から立ち上がった葛城は睦月への挨拶もそこそこに、陸軍人の顔色をうかがった。
「……どうも。ご存知だとは思いますが葛城です。すみません、今日は提督が席を空けてまして」
「あ、いえ。自分も突然の参上で申し訳なく……」
魚雷を至近距離で向けられ生きた心地がしなかった直後に、鎮守府のボスは平サラリーマンのような低姿勢である。必要とあらば自分ごと吹き飛ばすのも厭わないと言わんばかりの恐ろしさを漂わせていた伊168が、役割を終えて葛城にペコリと頭を下げて引いてゆく様にあきつ丸は見覚えがあった。任侠映画に登場するようなアレは懐刀などと呼ばれるソレだった。
狭い部屋のどこから現れたのか、席に着いた三人の前にヌッと現れた猫吊さんが茶を出した。猫吊さんはそのまま葛城の横に立ち、部屋から出ていくつもりはなさそうだった。
三人は無言で湯呑みに手を伸ばした。少しだけ気分に余裕のある睦月は壁掛け時計を見て夕飯の時間を逃してしまったと口寂しくなったが、机の皿に盛り付けられた煎餅をボリボリ音を立てて食べてよい空気でないことくらいは察した。
葛城はともかくとして、厄介事をプレゼンしに来たあきつ丸までもが気まずそうに茶をちびちび飲んでいるのだから嫌な間が続いてしまう。外の景色がまるで見えないほどの雨音に耳を澄ませるばかりで、葛城とあきつ丸は目を合わせようとしない。猫吊さんは同席することのみが使命であるかのように、葛城の隣で猫を吊り下げた置物と化している。
任務説明を受ける以外の会議に参加したことのない睦月であるものの、このままでは夜食すら危ういと思い助け船を出した。
「あのう。あきつ丸さんは、葛城さんに用事があるんですよね?」
声を掛けられた二人は情けなくも硬直した。
「え、ええ。そうだったでありますな」あきつ丸はようやく空になっていた湯呑みを置いた。
「それで……その……貴官は天照大艦隊の副提督からどこまで話を聞いているでありますか」
「電話では、具体的には何も」葛城も湯呑みを手放した。
猫吊さんはおかわりを注いで回り、その際にさり気なく睦月に饅頭を差し出した。
「ただ、陸軍の方が僕に用事がある、とだけ聞いてます。……まあ、僕に舞い込む話のおよそ九割は深海棲艦に絡む話ですが」
やっと表情らしい表情、自嘲気味な微笑を浮かべた葛城の姿を、あきつ丸は座ったまま見える範囲で観察した。葛城と対面する誰もが最初に行う事であり、饅頭を口の中でモシャモシャさせている睦月も初対面時にはカレンダーズの面々と恐る恐る挨拶をしたものだった。
うっかり鎮守府の場所すら間違えるあきつ丸のアテにならない感覚が勝機を見出した。
「まずこれを見て欲しいのであります」
そう言ってジャージのポケットから取り出したのは、海水と雨でしわしわになった一枚のポートレートである。濡れて変色していても分かる独特な装飾から、どうやら写っている人物は艦娘であるらしい。
こんな風に写真をダメにするからこの人もダメなんだろうなぁ、と睦月が呆れつつ覗き込もうとするより早く、葛城はあきつ丸の手からポートレートを破りかねない勢いで引っ手繰った。
「……どうしてあなたが、海鳥の写真を?」
一年以上前に行方が知れなくなった妹の姿を勝手に持ち出された怒りが、葛城の語調を僅かに荒立たせた。
◆――――◆
正規空母として戦場に身を置く夷川海花には、同じく正規空母となった海鳥という妹がいる。
あるいは、いた。
二人がかつて所属していた艦隊の司令官であり父でもあった男は哀れにもあまりに無能であり、まず海鳥が激戦海域に出撃したまま帰投を果たさなかった。艦隊壊滅の引き金となる一人目となってしまったことを、彼女が知れば何を思っただろうか。
行方が分からなくなった海鳥とその部隊を捜索すべく愚かな父は手持ちの駒を全て投入し、全てを失った。海鳥の姉、海花も例外ではなかった。
それから一年の空白の後、海花は艦娘と深海棲艦の間で揺れながらも父の前、そしてある艦隊の前に姿を表した。
逆恨みから他の司令官に襲撃を仕掛け失脚した父が迷惑をかけた分を償うため、海花――正規空母『葛城』は暁の水平線に勝利の炎を捧げた。
この世界には深海の闇ですら消せない炎が存在する
だが、やはり振り返らずにはいられないこともある。
忘れてはならないことがある。
出撃の度にその海域が気になった。
まだ葛城が精神的に未熟であった頃、衝突してばかりだった妹の行方が知れなくなってからは泣いてばかりだった。そして涙が枯れるより先に彼女自身も行方不明となった。その当時よりは前進し、夢に見る昔の自分を「情けない」と一喝できるまでに力を付けた。しかし叱咤され泣きべそをかく自分の横に立つ妹には何も言えなかった。夢だからだろうか、妹の表情はひどく曖昧だった。
確かな情報がないまま姿を消した妹の海鳥――正規空母『××』を、葛城は今でも想った。
◆――――◆
「睦月ちゃんごめん、こんな時間まで。提督いないから車で送れないんだ。部屋はたくさんあるから今日はここに泊まってくれないかな。天照隊には連絡しておくから」
「まだ休みません。一緒させてください」睦月は力強く応えた。「なんのお話か分かりませんけど、なんのお話でも、睦月は葛城さんの味方ですから。絶対に」
カレンダーズの一番艦を侮られては困ると言いたげに睦月は机上の煎餅に手を伸ばしてボリボリと豪快にがっついた。先輩が喧嘩を売られるならば自分だって何時まででも相手になってやると、睦月は戦闘に臨む駆逐艦の面持ちになった。
決して睦月の仁徳を無下にするつもりはない。だが葛城の耳は、可愛らしく喜ばしく心強い声は雨音と区別が付かないほど朧げな音としか拾えなかった。艦隊の旗艦として事務的に他所の駆逐艦を労いこそすれ、蒼玉のような瞳には妹の写真を自分の許し無く所持していた陸軍人しか捉えていなかった。一瞬、葛城の静かな怒りが左目から青白い火花となり散ったことには、猫吊さんを除いて誰も気が付かなかった。
あきつ丸の双眸は葛城の方を向いてこそいるが、映っているのは現実逃避めいた両親の姿だった。蛇に睨まれた蛙とは具体的にどのような心理的状況であるかを今、彼女は冷や汗が滴るほど思い知っているところである。自身の練度が胸を張れるほど高くないことくらいは弁えているつもりだった。今は一ノ傘に身ぐるみはがされてしまった装備が仮に万全に揃っていたとしても、さらには陸上でさえ、戦力的には拮抗に持ち込むのも難しいかもしれないと考えていた。即ち、あきつ丸は情報収集の段階から、国の英雄『撃沈王』と肩を並べる練度測定不能の正規空母をあまりに低く見積っていた。
「……もう一度だけ、お伺いします」妄想の世界に逃げようとするあきつ丸の意識を葛城は容易く手繰り寄せた。
「どうして陸軍の方が海鳥の姿を持ち出すのですか?」
本格的に土砂降りとなった雨の音をものともせず葛城の声は強く室内に通った。
「あの子は戦いから開放されて安らかな眠りについています。相応の理由を聞かせてくれるのですよね――鎮魂とは真逆にある鎮守府に連れ出した理由を」
今度こそはっきりと葛城の左目から青白い火花が、電気回路がショートしたような音を立てて飛んだ。
煎餅を貪る睦月の手が止まった。燃費の良さから輸送連絡任務を任されることが多いとはいえ彼女も戦場を幾度と経験してきた駆逐艦である。火花は確かに見間違いでなく、間違っても鎮守府内に存在してはならない光だった。そうでなければ装備すらしていない主砲を無意識に構えようとさせる恐怖に説明が付かない。
「は、早まるのはよくないであります」
自分で踏み付けた地雷に爆発しないでと懇願するあきつ丸だった。「落ち着いて。落ち着いて」
さらに葛城の左目の輝きは増し、瞳そのものが小さな破裂にも近い光を放った。
あきつ丸が日中に竹櫛と一ノ傘にしたように、このタイミングで葛城に非難と弾劾の限りを尽くせば……死ぬ。青白く眩しい光は命の危険度を分かりやすく教えてくれる、あきつ丸にとっては不幸中の幸いと言ってよいのか不明ながらも得られた物差しだった。
「自分はそのぅ……、言いたいのはつまるところ……、えー……、その写真は一ヶ月前に入手したのでありまして……」
「誰が、僕の、許可も無く、その写真を渡したと?」
「と、当人! 葛城殿であります!」
詰問してやろうと意気込んでいたあきつ丸だったが今や立場は完全に逆転していた。
「葛城殿から貰ったであります。いえ正確には写真を撮らせてくれなかったので、その写真をくれたのは確か重巡洋艦の……ええと誰だったか……」
「僕? 今日が初対面だと思いますが。ここ一ヶ月も海にはあまり出ていません。どこかでお会いしましたか?」
「そうではないのでありまして、その……その写真の人物が葛城殿であるという意味でありまして」
「はあ? 海鳥が何ですって?」
「で、ですから海鳥殿が正規空母『葛城』であると自分は聞いているのでありまして、これは本人に確認したので間違いないということであり、呉の鎮守府でも海鳥殿は葛城として在籍しておりまして、自分のカ号の一時着艦を許可頂いた飛行甲板がなかなかのフラットさであったのはよく覚えているでありますが、しかし仲間からは対空戦闘への意識や空母としての絶妙な性能バランスが輸送任務に最適であるなどと評されており――」
「……つまり?」
「つ、つまり、葛城と名乗る貴官はいったい誰なのでありますか!」
◆――――◆
天照大艦隊を襲撃し、一ノ傘姫乃と艦隊を立ち上げるまでの葛城は深海棲艦ではないかと疑われる毎日を過ごし(それは今でもそうなのだが)、研究員が考える様々な仮説を元に調べ尽くされた。泳げないとさんざん主張したにも関わらず背徳的スクール水着を着せられてプールで溺れ、大和に救助される姿がメディアに掲載された事もあった。
深海棲艦に対しての理解が浅いから戦争をしているのであり、研究員たちの仮説には荒唐無稽なものも少なくなかった。例えば、轟沈した艦娘が深海棲艦になってしまうという風説は、実は深海棲艦の謀略の失敗が表に出ただけで、その実態は沈めた艦娘になりすました深海棲艦が鎮守府に潜り込み、獅子身中の虫としてじっと機会を窺っているのではないか、という意見がある。
「百歩譲って外見はてきとうな理由を付けるとしますよ。でも記憶の問題とか色々無理があると思います。それにこの前の引っ掛けテストで僕が1インチがどれくらいの長さかも知らないって分かってもらえたはずです」
いくら検証に協力的な葛城であっても、深海棲艦であるか否かを試す思考実験のようなものを何度も繰り返されていれば研究員の一言一句をテストではないかと疑うようになってしまい、互いの溝をより深めてしまう結果となってしまったのだった。この問題は、人畜を対象としたテストを深海棲艦に当てはめても結果の妥当性を示すことが困難である、とお茶を濁すことで要追加検討案件として放置されている。
価値ある研究材料が有意義に使われるとは限らない。葛城は大和にこぼす愚痴を、実験を重ねるごとに増やし、葛城の背徳的スクール水着姿に何らかの世界を見出した研究員数名がHDDと共に処分された。それもまた不毛な考察の悲しむべき産物といえた。
とにかく、このようにして深海棲艦に関する多種多様な見当が生み出されては消化されていくのを、葛城は間近で見てきた。
◆――――◆
葛城は鉛球を精製できそうな重いため息をついて席を立った。
「姉妹をタネにした入れ替わりトリックもとっくに考えられてます。もっとも海鳥と私はあまり似てませんでしたから、書類数枚で片付けられましたが」
葛城は冷めた声で言った。「話は以上でよいですね。僕はお腹が空きました」
あっさり切り捨てられて怯むあきつ丸も、切り捨て慣れた風格さえある葛城も、睦月が見る限り二人とも嘘をついているようには見えなかった。
いまさら改まるまでもなく睦月は葛城の味方である。同じ海軍として、それ以上に世話になってきた先輩後輩として。しかしだとしたら、あきつ丸の言っていることを無下にできないのは何故だろうと、話が終わりに差し掛かった今更になって疑念が湧いてきた。未だ葛城は何かにつけて深海棲艦疑惑をかけられるとはいえ、気候が別世界と言ってよいほど変わる遠く離れた海域まで進出しては作戦に従事している。睦月らが苦戦する、あるいはやり過ごすべき強敵を彼方より察知し殲滅する正規空母の姿を何度も見てきた。憧れに近い尊敬の念を葛城に対して抱いている。そんな先輩を贔屓目に見て何が悪い、とすら開き直った。であるのに何故、あきつ丸を悪者扱いする気になれないのか。睦月は自身の感覚に疑問を持ち、それ以上に嫌な予感がしていた。
葛城の左目に走った青白い閃光、あれはまるで燃やしてはならない何かを燃やしたような輝き方をしていた。
「ま、待ってほしいであります」
今日もまた疲れる仕事を終えたといった風に立ち上がった葛城を、あきつ丸は慌てて帰らせまいとした。
「できれば葛城殿には迷惑をかけたくなかったのでありますが、やむを得ないのであります」
「だから、ハッキリ言って僕は既に迷惑かけられまくってます」
あきつ丸は使い古された感じがにじみ出る折りたたみ式携帯電話を取り出した。
「呉に証拠の電話をするであります。少し待って欲しいであります」あきつ丸はそう言って携帯電話をいじりながら応接室から出て行った。
部屋に残された葛城は再び重いため息をついて、睦月と一緒に煎餅を齧った。気が抜けたのか、しばらく雨が降り頻る窓の外をぼんやりと見るでもなく見ていた。
猫吊さんはまるで空腹という概念すら持たないかのように湯呑みに茶を注いで回った。
「本当にごめんね睦月ちゃん。変なことに付き合わせちゃって」
「あの……葛城さん。左目は怪我してるとか、なんですか?」
「うん? 左目? やだ、何か変?」
「いえ、変というより……」なんか火花が出ました、とは言いづらい睦月だった。言ってしまえば自分まで葛城のことを人外――深海棲艦扱いしてしまうような気がしたからだった。
「確かに左目だけ視力が安定しなかったりぼやけたりするんだよね。まあ今はそれより、あの陸軍人さんをどうするかなあ。ここに泊めるべきか追い出すべきか。あーもう、どうしてこんな日に限って出張してるかなあ提督は。夕飯はピザでも注文しようと思うけど、睦月ちゃんもそれでいい?」
葛城が猫吊さんにピザ屋のチラシを取ってきてもらおうとした時、あきつ丸が部屋に戻ってきた。携帯電話の送話口を手で覆いながら、殺人事件の決定的証拠でも見つけたように得意気な顔をしながら「さあ、話してみるであります」と言った。
◆――――◆
物心がついた頃から言い合ってばかりだったとはいえ、姉妹なんてそんなものだろうと海鳥は思っていた。姉妹とは生活の一部として喧嘩をするもので、嫌いかどうかは別問題である。姉――海花もそう思っていたに違いない。
今の艦隊に幸運にも救助され、呉での生活に慣れるのに一年という時間は十分過ぎた。父が指揮を執っていたかつての艦隊が自分を捜索するために壊滅してしまったと耳に入ってからは、自分が何をしたのか、あるいは何もしなかったのか、よく思い出せない日のほうが多かった。ただ季節が移ろう毎に今の仲間が苛烈に戦い抜いていたことだけは確かで、気が付くと海鳥もその中に入っていた。
海花が生きているかもしれない。なんとも曖昧な情報は、ろくでもない父が海花を連れて他の艦隊を襲撃したという情報規制だらけのニュースと共に飛び込んできた。返り討ちにされて良かったと仲間には強がり、それから海鳥は海花についての疑惑を取り上げるニュースから逃げた。深海棲艦になりかけながら帰還したと言われても、正直に言えば反応に困った。おまけに襲撃事件から初めてメディアに掲載された姿は、屋内プールで溺れているところを『撃沈王』に助けられているシーンだったらしい。確かに姉には水泳の才能が絶望的に枯渇していて、水に顔をつけるのが精一杯だった。その意味でも、よくもまあ艦隊が壊滅した中で生き延びたものだと海鳥は思った。面白半分で記事を見せようとする仲間から海鳥は、そんなオマヌケさん知らないんだから、と言って逃げた。
「……まあ、いつかはオマヌケさんに会いに行かないと、とは思ってたけど」
寮から外に出て静かなベンチに海鳥は腰掛けた。黄金色に輝きが過ぎる月がまばらに浮かぶ雲の輪郭を照らしている。
永遠に出来そうもなかった心の準備を、戦争というものは待ってはくれなかった。まさか以前、見ていられなくて手を貸した陸軍の者が、まったく唐突に「貴方の姉君に声を聞かせてあげて欲しいであります」と電話をしてくるなど想像できようはずもない。しかもこの電話が掛かってくるまで、あきつ丸の存在すら忘れていた。久しぶりと挨拶を返したものの顔すら思い出せなかった。なんとなくキョンシーっぽかったようなそうでないような、海鳥にとってはその程度の関係だった。
しかし、これくらいのサプライズでよかったかもしれないと、海鳥はスマートフォンを耳に当てながら観念した。どうせ時間が解決してくれないかしらんと逃げていた事、ならばこの電話こそが漠然と願っていた時間的解決の具体的な表れなのだろうと思うことにした。
しばらくの無言の後、あきつ丸ではない者が恐る恐るといった感じで電話を代わって出た。
『……もしもし?』
出会ってそれほど時間は過ぎていないあきつ丸の顔は忘れても、一年以上もの空白越しに聞いた声は確かに姉のそれだと分かった。
◆――――◆
葛城は泣いたり怒ったりしんみりしたり笑ったり、そしてまた泣いたりと態度をコロコロと変えた。同じ室内に睦月とあきつ丸、猫吊さんがいるのも忘れたように電話に夢中になり、あきつ丸が持ってきたシワシワのポートレートを一心に見ている。
「生きてるんなら生きてるって早く言いなさいよ!」と葛城は呉にいるらしい妹を叱りつけながら歓喜の表情を作った。「昔っから僕に隠し事ばっかり!」
そんな葛城を見ながらあきつ丸は腕を組み満足気に頷いていた。
「人助けは気持ちが良いものでありますなぁ」
葛城を偽物扱いしにこの鎮守府を訪ねた者が吐いてよい言葉とは睦月には思えなかった。海軍精神注入棒とはこのような時こそ役立つのではと、頬をプクウと膨らませた。しかしあきつ丸の考え無し(あったかもしれないが余計なお世話でしかない)の行動は結果オーライと言えなくもなく、もらい泣きさせられた睦月は今だけは素直に感動しておくことにした。
「一段落したらお腹がすいてきたでありますな。今は泡の出る麦茶などを一杯やりたい気分でありますが、この鎮守府の食堂はちゃんと揃えているでありましょうな」
「食堂も売店もないですよ。自炊はできるみたいですけど」
「なんと!?」あきつ丸が大げさに驚いたので睦月は掌打めいた勢いで口を塞いだ。葛城の電話は誰にも邪魔をさせない。
「おぶっ! ……こ、これだけ広い敷地に食事施設がないと? ここを拠点とする者は霞が主食でありますか」
「だってここで寝泊まりする人は、えっと確か――九人しかいませんし。ですよね?」
睦月が猫吊さんにそう聞くと、猫吊さんは無言で八本の指を立てた。
「あ、そうか。大和さんは忙しくて色んなところに出かけるんでしたね。そういうわけで、この鎮守府には使われてない施設が多いんです」
「そ、そうでありましたか」そんな事よりも沈黙の秘書らしき猫吊さんとコミュニケーションを取った睦月に驚くあきつ丸だった。
「まあ、自分は大人でありますし、ビールなどいつでも飲めるから今日のところは我慢するであります」
「睦月はビールの何が美味しいのかよく分かりません。カクテルじゃダメなんですか?」
「君も酒を呑むでありまずべっ!?」いちいちやかましいあきつ丸に再び掌打。
「……普通に飲みますけど。悪いですか」
「なんたる風紀の末法的荒廃でありますか。戦場に立つ若者が嘆かわしい」
「アルコールは燃料です。駆逐艦が燃料を飲んで何が悪いんですか」
「くたびれたサラリーマンの如き屁理屈でありますな」
「泡の出る麦茶とか言っちゃう人にケチ付けられたくないです」
呑気に言い合う二人は、しかし、電子機器が爆ぜるような炸裂音で緊張を思い出し、また同時に自分達が葛城を弾劾せんがために来ていることを思い出させられた。
歓喜の仮面を捨てたかのように表情は消え、ただ呆然と電話をする葛城の左目からは十や二十では数えられない量の青白い火花が飛んでいた。雨音が響くばかりの応接室はぼんやりとした雰囲気から一転、電気事故が発生した工廠の工作室のような有様となった。
「……カツラギは、僕でしょう?」
そう問いながらも葛城は誰にも答えて欲しくはなかった。
◆――――◆
近く海花に会いに行こうと決めた海鳥は、声だけで繋がった今はせめて気の利いたことを言って姉を安心させようとした。そのつもりだった。
「大丈夫、元気でやってるって。私は正規空母『葛城』なんだから」
途端に口を噤んでしまった海花の動揺は電話越しでさえ伝わってきた。ただ壊れた蛍光灯がショートするような音だけが声の代わりに聞こえてきた。
「海花姉? どうしたの?」ベンチの背もたれに体を預けていた海鳥――本物の葛城は不安から立ち上がった。「何か言ってよ。ねえ」
つい声が大きくなってしまったらしく、同僚が寮の窓から顔を覗かせた。葛城は「大丈夫、何でもない」と手を振って、胸騒ぎを止めようと再びベンチに座った。
空を照らす月が小さな雲に一旦は隠れ、また現れるまでの時間を置いてから姉はようやく言葉を絞り出した。
『……カツラギは、僕でしょう?』
葛城には言われたことの意味が本気で分からず、はてな自分の姉は「俺がガンダムだ」とジョークを飛ばすような人間だっただろうかと考えてしまった。そんな姉の姿は少なくとも葛城の記憶にはない。空白の一年で変わってしまったのだろうか。
「いや、ええと……私が葛城なんだけど?」
『違う!』姉が何かに必死であることが痛いほど分かった。『葛城は僕だ!』
「どうしちゃったの海花姉? ……まさかこの電話、あきつ丸にいいように利用されてるとかじゃないよね」
『他の人は関係無い。これは僕らの問題だ』
「問題って……」
姉の息遣いは早くなるばかりで、電話の向こうでは既に過呼吸で倒れているのではないかと心配になる程だった。
「……私たち色々あって、急にこうして話したからちょっと混乱しちゃったんだよ」
『うるさい! 僕がおかしくなったみたいに言うな!』
「言ってないよ。ただちょっと勘違いみたいなのがあるかなって。落ち着いて思い出して。私が正規空母『葛城』で――」
『うるさいうるさい! もう何も言うな!』
「海花姉は正規空母『××』でしょ?」
ゴトリと何かが落ちる音が返ってきた。通話を切られたわけではないが、どうやら姉は電話機を落としたらしく、それからいくら葛城が呼び掛けても返事は無かった。
◆――――◆
この世界には深海の闇ですら消せない炎が存在する。
海花――偽葛城の左目から、ついに青白い炎が噴出した。怒気が発露したが如く煌々たる火影が不気味にうねり暴れる。炎は偽葛城の白い肌や灰色の髪を焦がしはしない。だがそれ以上に致命的な何かを燃料として燃え上がる類の炎に違いなかった。
「僕は……僕ハ……」
瞳から炎が出ようが気にならないのか、あるいは気付いていないのか、偽葛城は床に落としたあきつ丸の携帯電話を茫然自失の様子で見下ろしている。青白の炎だけが荒く髪をなびかせ、一見して静かであるその姿を睦月とあきつ丸は知っていた。白を基調とした道衣袴で身形を整えているとはいえ、行き場のない怒りを全身に纏ったその姿は空母ヲ級と呼ばれる深海棲艦、その上位種そのものだった。
「ダッタラ、僕ハ……誰?」
【葛城:Lv.150 → 偽葛城:150+2】
答えを求めるように偽葛城は、ゆっくりと睦月らの方を向いた。
「ひっ!?」
睦月が小さく悲鳴を上げた。
偽葛城の左目は燃え盛る炎の中にあって、炎以上に深く輝いている。
豪雨が降り続く外の様子は空からの猛烈な爆撃に曝された海のようだった。
いくら天照大艦隊の中でも珍しい良心的な思考回路を持つ睦月であっても、この状況を招いたあきつ丸には文句のひとつでも言わなければ気が済まなかった。穏やかだった葛城を返せとあきつ丸を睨みつけようとすると、なんとあきつ丸はさっきまで立っていた場所からいなくなっている! なんという逃げ足の速さ! ……と睦月が驚いたのも一瞬のことで、少し下を見ると足元に転がっていた。口から泡を吹いて気絶していた。あまりに情けない姿を見せられて少し冷静さを取り戻した睦月は、偽葛城により近い仲間である猫吊さんに助けを求めようとした。しかし猫吊さんは音もなく部屋の扉を開けた気配もなく、忽然と姿を消していた。
「睦月チャン、ソノ人ドウシタノ? ナンデ倒レテルノ?」
少なくとも睦月には、偽葛城には何の自覚もないように見えた。
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釣りを楽しみ、サメを怖がり、仕事も片付け、本日のやるべきことを終えたカレンダーズは残すところ睦月の帰りを待つばかりとなった。
三人部屋に九人がすし詰めになってだらけているうちに卯月が大きな欠伸をすると、他の全員にまんべんなく欠伸が伝播した。
「誰か睦月から連絡きてないのー?」と聞いてみる望月だったが、ダンボール空間を奪い合う猫のように密集するカレンダーズにとって、スマートフォンは自分の電話番号くらいは設定された共有物のようなものだった。中身の詮索はしないと最低限のエチケットを暗黙の了解とするだけで、誰かのスマートフォンから呼び出し音が鳴れば当然のように近くにいる他の誰かが電話に出る。この垣根の無さが天照大艦隊においてカレンダーズを十人にして一つの集団と大雑把に捉えられる要因の一つだった。
望月だけでなく他の皆も近くにあったスマートフォンを拾って、皆分かっていながら「きてない」と口を揃えて返した。
「この時間なら今日はもう睦月ちゃん、あっちに泊まるんじゃないかしら」
テレビを見る目をしぱしぱさせながら如月が言った。「明日はみんな遠征に出るし、もう寝ちゃいましょ」
「そだね」と皐月が立ち上がった。この三人部屋には睦月・如月・文月の布団がある。「葛城さんとこなら優しくしてくれてるでしょ。睦月にはメールしとこう」
皆が本日のだらける業務を終える準備をする中、長月は天気予報を無視して降り続ける雨を気にした。ずぶ濡れになったであろう睦月が風邪をひいたかどうかなどではなく、洞観者である彼女らしくもない根拠のない不安を、睦月を見送った直後から抱いていたのだった。
葛城が在籍する艦隊に面倒事を押し付けるように、装備を搾り取った出涸らしのあきつ丸には責任を追求せずに逃がすと一ノ傘副司令が決めると、それからの航路案内は燃費の良いカレンダーズから適当に一人が選ばれた。
鎮守府に侵入していたあきつ丸を最初に発見した自分が手を挙げておけばと、長月は睦月の帰りが遅れそうだと分かってから後悔した。
航路は北と南を間違うレベルの方向音痴でもない限り沿岸に沿って進めばよい簡単なルートである。勿論、深海棲艦の脅威など遥か彼方まで取り除かれているため万が一も起こり得ない。睦月が案内するのは陸に艦娘の武装した姿を不用意に見せないルートであり、その気遣いも破ったからどうなると長月は聞いたこともない。ただ慣れた場所まで行って帰ってくるだけのお使いに自分は何を心配しているのだろうと長月は首を傾げた。しかし正体の分からない不安は、睦月からの連絡があるまで治まりそうになかった。
皐月が「じゃ、おやすみー」と部屋から出て行こうとした時、全員のスマートフォンに一斉にメールが届いた。
やっと来たか、と待ちくたびれた様子の皆とは異なる意味で長月は胸を撫で下ろした。その後で首を振った。睦月が無事にメールを送れるらしいことに安堵するなど、それこそタチの悪い想像である。少々イレギュラーな陸軍人を送り届けるだけで姉妹艦に何かあってたまるものかと、長月は小さなため息をついて顔を上げた。
皆、凍りついていた。
画面を見たまま硬直してしまった皆を訝しみつつ長月も、睦月よりカレンダーズに一斉送信されたメールを開いた。そして血の気が引いた。
『葛城さんの目からヲ級改みたいな青い火が出たあきつさんが倒れて猫吊さんもいなくなって睦月しかいなくて睦月はどうしよう????』
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TO BE CONTINUED なのです!
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偽葛城は葛城の姉ではありますが、正規空母『××』は雲龍・天城ではないと断わりを付け加えておきます。
一方、本物の葛城は雲龍型3番艦です。胸部装甲が平坦重点な彼女で間違いありません。