長月が普段は私室の壁に飾っていたり適当に立て掛けていたり、あるいは洗濯物を掛けたりとぞんざいに扱われる刀『猫爪(ネコノツメ)』は、天照大艦隊の他の者からは無駄に本格的な芝居用小道具か何かだと思われていた。刀と呼ぶには、それも小柄な長月が携えるには、冗談じみたサイズだからである。
竹櫛の自慢だった今は亡き軍刀『丑の刻摩天楼』が量産的オーラを醸し出していたため、一部の例外を除いて超近接兵器を持たない艦娘らには「刀といえば提督の役に立たなかったアレ」という基準がある。長月のネコノツメはその基準から一回り二回りでは済まないほど逸脱していた。
「バスタードソードみたいな日本刀を作れ」と大和に注文を付けたのは武蔵だった。姉妹艦の我儘にウンザリしながらも大和が、せめてシステム開発プロジェクトの悪夢とならぬよう顧客が本当に必要としているものを探ると、「深海棲艦を真っ二つにできる強靭さでテレビゲームのように刃こぼれひとつせず海水なんかに浸かっても腐食しない刀」を武蔵は求めているらしいことが分かった。
「海底遺跡で伝説の剣でも探しなさいよ。ああいやだ姉妹艦のゲーム脳!」と大和は嘆いた。
「……こっちは大真面目なんだが。言わせてもらうと、洞観者から見ればお前ら普通の艦娘のほうがよっぽどゲーム脳とかいうヤツに見える」
武蔵と大和、最強の戦艦が口喧嘩を念入りに繰り返してネコノツメは鍛えられた。その姿は工業刀というよりも工業で破棄された鋼鉄のリサイクル品のような風格が感じられる。美しさのカケラもない姉妹愛を反映してか、その鋼色の刀身には一切の輝きが無い。通常は弓のように反るべき刀身の弧と弦の間にできる空白まで鋼で埋められており、バスタードソードのような日本刀という注文に見合う身幅である。お世辞にも美しいとは言い難い形の溝は洗練された樋ではなく、強度シミュレーションを取り敢えず反映させてみた結果オーライ的形状と言うべき様相だった。重ねは戦艦の装甲にも匹敵し、そして何といってもネコノツメ最大の特徴はその長大さである。
『ねえ、刀身とかのサイズはどうすればいいの?』
仕様検討中の事である。大和は電話から疲れた声で武蔵に尋ねた。
『というか何を基準に決めたらいいのかサッパリ分からない。普通に配られてる軍刀くらいって言おうとしたら、じゃあ普通の軍刀でいいだろって馬鹿にされそうな空気なんですけど。ワタクシなにか粗相をしましたかしら?』
「そりゃあ基準は長月だ。長月のための刀だからな。長月が取り回せるギリギリの巨大さがいい」
『……あのね武蔵。百歩譲ってナガツキさんが世界の何処の誰だとか意地の悪いことは言わないでおくわよ。でもその長月さんは可愛らしい女の子なんでしょ? その子に扱える限界と成人男性の平均はどう違うのかしら。ぐ・た・い・て・き・に!』
「ふむ、そうだな。例えば長月が、こう、野球のバットをリラックスした感じで構えたとするだろう」
『もう結構。明日からハングド・キャットを臨時休業してこっちに来なさい。召喚命令です。仕様書の空欄を埋めるまで帰さないから。……ああもう、バスタードソードみたいな日本刀じゃなくて、日本刀みたいなバスタードソードだったらまだいくらか楽だったかもしれないのに。なんだって日本刀のパーツって細かくて名前が難しいのかしら。しかも尺貫法とメートル法がごっちゃになって、ああもう……温泉行きたい』
かくして開発されたネコノツメは長月の手に渡り、武蔵が期待した以上の威力を発揮することとなった。
偶然、たまたま、いったい何の因果かテスターに選ばれた長月は敵駆逐艦や軽巡洋艦、重巡洋艦を一刀のもとに斬り伏せて、大和が開発のためにこじつけた「最接近距離での一撃必殺兵器」という名目に具体的な成果を与えた。道連れを覚悟した魚雷発射など言語道断であると力説する大和は試作を終えてようやくプロジェクトが本格始動してしまった感覚を泣きたいほど味わい、またその裏で武蔵が真の狙いが果たされたかを確かめた。
三徳包丁をプラプラ持った長月に完全敗北したことのある武蔵は、試験は試験で勝負は勝負、次こそ一発くらいは見舞ってやろうと一対一の演習に臨んだ。
「最強と名高い大和型の力、今度こそ披露しよう」
『そりゃ楽しみだ。ネコノツメ抜猫!』
三百万円の刀と聞いて尻込みしていた時とは違う威勢のよい声が無線で返された。長月は『抜猫』なる造語を作る程度にはネコノツメを気に入っていた。
そして結果は前回と何ら変わらなかった、どころか武蔵は戦艦撃破タイムアタックの標的にでもされた気分になってしまった。
「……ネコノツメは工業の産物だぞ。魔法アイテムにしろと誰が言った」
仕様見当段階から懸念されていた重量については、少なくとも長月が持つ分には余計な心配だった。身の丈ほどもあるネコノツメを長月は、まるで三徳包丁が少々大きくなった程度であるかのように軽々と扱っている。
長月は刀身の汚れを制服で拭い取り、桜と猫の模様をあしらった豪奢な鞘にネコノツメをバチンと小気味よい音を立てて納めた。その納刀モーションは居合道のような洗練された技術ではなく、傘立てに傘を突っ込むような気軽さで行われた。
「よっぽど私を人外扱いしたいらしいな。じゃあ自分でこの刀を使って試せばいい。火とか雷とか出たら人類は戦争に勝ったも同然だ」
「普通の人間は数百メートル先の物体を切断したりしない……」
「マンガとかゲームとかでよくあるのを真似してみた。ほら、ジャンプとか」
「普通の人間は数百メートルの距離を一瞬で詰めたりしない!」
「マンガとかゲームとかでよくあるのを真似してみた。ほら、プレステとか」
「大和に何と説明すれば私は罵倒されずに済むんだ? 『ほら見なさいゲーム脳!』と罵るあの顔が目に浮かぶぞ」
「撃沈王が罵倒する姿かぁ。軽くニュースになるな」
「私の戦艦としての立場もズタズタだ。偵察機でお前の姿を見つけたのが唯一の戦果だぞ? ハングド・キャットが忙しくて鈍ってましたでは済まない。長月、お前こそどうするつもりだ。『相手の装備を次元ごと抉り取って無力化した』とか結果報告するつもりか?」
「ふん。一年前の私じゃあるまいし」そう言うと長月は申し訳程度に装備していた主砲を一発、空に向けて撃った。
「『一発の砲弾が偶然、相手の艤装の誘爆を引き起こした』とか書く。こういうちょろまかしばっかり得意な仲間がいるんだ」
「三百万の刀を預けるテストでもあったんだぞ。そんな浅知恵が通ってたまるか」
「ふふふん。こっちの白露っていう駆逐艦の深淵なる浅知恵を侮るなよ」
「……その白露とかいう阿呆とお前には一度、分からせてやったほうがいいな」
鬼に金棒、長月に猫爪の組み合わせはしかし指折り数える程しか出撃していない。ネコノツメは専ら長月の鎮守府内で発生する『事』にのみ使われた。
最終決戦兵器とも言うべきそれを用意した武蔵は良い仕事をしたと手を叩いて満足し、しかし勘では安直に強力な兵器を作るのは危険だと警告した。
◆――――◆
カレンダーズに制止させる暇すら与えずにネコノツメを掴み、艦を拒んでいるような雨が降る海を十五分ほど走り抜けた頃、長月のスマートフォンが雨音の中で機械的に小さく鳴った。叢雲だった。
何があろうと艦隊は艦隊として動くのが最適である。睦月と長月を欠いたカレンダーズは総旗艦に事情を伝えて、今頃は出撃準備のために各寮に走って呑んだくれていない者をかき集めていることだろう。しかし今回ばかりは長月にとって正しさと早さは決して等しいものではない。
「悪い叢雲。今は言い合ってる余裕もないんだ」
スノーノイズのような雨音の中で鳴り続ける着信音が、何故か叢雲の怒鳴り声のように思えて長月はクスリと笑った。
長月は前方少し上にスマートフォンを放り投げた。鬼姫クラスの深海棲艦の頭はあれくらいの高さだろうかと適当に考え、そしてネコノツメは既にその刃を放たれていた。破裂音を伴う斬撃を武蔵は魔法だと言い表した。
「……むー」
スマートフォンが真っ二つになり叢雲の怒声めいた着信音が止んだのはよかった。久しぶりにネコノツメを握る感覚が鈍っていないのもよい。しかし雨粒のカーテンの中では魔法の正体が飛沫となって現れてしまっていた。スマートフォンを切断した一閃が芸術的な形を作ったまま海に落ちてゆく。
深海棲艦が――例えば今から睦月を助けに行く場所に潜む敵が一体のみとは限らない。超音速の砲弾が飛び交う死闘の中では誰であっても、この一撃目の飛沫を見逃してはくれないだろう。
ネコノツメを鞘に納めた長月は緩みかけていた速度を再び上げた。今は総旗艦のお叱りを受けている時間も、技を深く考える時間もない。一撃一体で追いつかないのならば一撃と呼べる瞬間の内に相当数の斬撃を繰り出すまで。もしも葛城が敵となるのであれば空に群れを成す航空機を、雨のように降り注ぐ爆弾を、何一つ逃さないイメージを長月は思い描いた。同時に、スマートフォンを衝動的に捨ててしまったことは少なからず後悔した。
「あう……」いや、かなり後悔した。睦月や他のカレンダーズと連絡を取れなくなってしまったのだった。
夜と雲の闇、そして雨の音が長月の存在を覆い隠すため、日中の睦月のように陸から離れた航路を通る必要はない。目的の鎮守府までほぼ一直線に進む長月の左手にはぽつぽつと道路や建物の灯りが見えた。今のようにこっそりと夜間に近道をした時、睦月が「海から見える灯りって、なんだか寂しくなるね」と言ったことがあった。カレンダーズで編成された部隊は揃って頷いた。長月も勿論、睦月と同じように寂しくなった。
情報網を文字通り切断してしまったこともあり仲間との時間がつい恋しくなった長月の尻を蹴るように、再び電子音が鳴った。
「うえっ!?」
それはハングド・キャットに属する洞観者が肌身離さず持っておくよう命じられている携帯電話だった。猫以外の迅速な連絡手段であり、着信があった場合は交戦中でない限り必ず出ろときつく言われている。極めて重要度の高い連絡のみを行うための電話なので、よほどの事でもない限り使う事は無かった。長月がネコノツメを鎮守府外に持ち出した回数とこの携帯電話が鳴った回数は今のところイコールである。
「この忙しい時に……!」
驚かされた怒りに任せてさっきのスマートフォンのように切り捨ててやろうかとも思った長月だったが、こればかりは叢雲にギャンギャン言われる程度では済まない。カレンダーズを大切にするのと同じように仲間意識を特に強く持つのが洞観者だった。防水仕様の携帯電話は雨にどれだけ濡れようとも鳴り続け、仕方なく長月は電話に出た。
『遅い』と武蔵は挨拶も省略して難癖をつけた。『待ってる間に腕に爪痕が二つも増えたぞ』
「爪痕? 知らないけど今の私は姉妹艦の救出で手一杯だ。今こそネコノツメの真価を発揮する時なんだ、文句ないだろ」
鼻息を荒くして断固睦月救出の態度を崩さないよう身構える長月だったが、電話の向こうで武蔵は僅かに沈黙した後、他の誰かと話をしている様子だった。
「間違い電話? そうなんだな? 切るからな」
『待て、ちょっと待て。その姉妹艦というのはもしかして睦月という駆逐艦か?』
「そうだけど、どうして知ってるんだ」
『口癖でよく「にゃしぃ」と言う者か?』
「誰だそれ……もしかして武蔵の用事って、正規空母の葛城を倒せと?」
『痛っ!?』武蔵は唐突に悲鳴を上げた。『もう少し表現をマイルドにしてくれ。本物の猫の爪はけっこう痛くてな』
「もうあんたにまで情報が届いたのか、早いな。私が睦月のメールを受け取って二十分くらいしか経ってないぞ」
『そのメールより早くて正確で恐ろしいモノが届いたのさ……そして私は今、脅されている』
「脅され?」
『あとどれくらいで到着する?』
「えっと、ショートカットしてるけど、それでも三十分はかかる」
『なら十五分後にまた連絡する。そのまま進んでくれ』
「何がどうなってるんだ? 本土に現れた深海棲艦を始末しろと――」
『痛い痛い! と、とにかく今は早まるな。いや速まりはしていいが、頭は冷やしておけ。後でまた指示を――え? ちょっ――……どうもこんばんは、長月さん』
痛がったり武蔵がいきなり別人の声になったり、長月にはいよいよわけが分からなかった。
『任務で来てくれて、何度か会ってるよ? 傘姫提督、って呼ばれてる、葛城の上司です』
天照大艦隊のブラック副提督、泣く子を黙らせてしまい落ち込む一ノ傘鉄子の従姉妹にして、竹櫛からは「羊の皮を被ったエイリアン」と形容される傘姫提督は、少なくとも長月の直感に引っかかる人物ではなかった。部下の葛城にタブレットを持たせていつでもどこでも秘書艦業務に勤しませてはいるが(この濃縮されたブラック加減が葛城を深海棲艦に堕としたのではないかと長月はふと思った)特別に変わっているようには思えなかった。ただ綺麗に切り揃えられたオカッパ頭だけが印象に残っていた。今の今までは。
「……どうも、こんばんは」と長月は挨拶を返した。
この時長月は、洞観者の中にやけに挨拶に拘る海外艦がいたことを思い出していた。それは神聖不可侵の行為であり、挨拶はされれば返さなければならない、古事記にもそう書かれている、と。その古事記と長月が知る古事記が一致するかはさておき、傘姫提督が挨拶を返されるのを待ったように感じた。例の古事記の事を知っているかのように。
『葛城は悪い子じゃない。長月さんも知ってる、よね?』
「あの、そこハングド・キャットですよね? どうしてこんな時間に……」
『じゃあ、また武蔵さんと代わるね』
掴み所がないとはこのことか、と長月は思った。
『……というのをだな』再び声は武蔵に戻った。『傘姫提督は私に拳銃を突き付けながら言っているわけだ。葛城が死ぬのなら人類の敵となって滅ぼす道を平然と選ぶらしい』
「んなバカな」
『今のハングド・キャットの様子を見て欲しいものだ。猫吊さんがいきなり現れたと思ったら猫たちが一匹残らず私に牙を剥いて、これまた突然来店した傘姫提督が協力しろと脅すんだ。正直、一番混乱しているのは私だと思うぞ。これが悪夢なら誰か覚まさせて欲し痛い痛い引っ掻くな! 言葉の綾だろ猫には分からんか! ……またかけ直す。とにかく長月はそのまま進め』
通話が一方的かつ乱暴に切られ、長月はしばらく携帯電話を耳に当てたまま呆然とした。
◆――――◆
閉店から随分と時間が過ぎた人と猫とカレーの天国、秘密結社もとへ秘密喫茶『THE HANGED CAT(ハングド・キャット)』のホールは、一つを除くすべての椅子が机の上に整然と乗せられ、最低限の照明だけが点いていた。
照明の中心にいる武蔵はカウンターに背をあずけ、長月との通話を切って猫たちに引っ掻かれた傷をさすった。照明はまるで刑務所のサーチライト、いきり立つハングド・キャットに住む猫たちは脱獄囚を囲む警備兵のようである。猫吊さんの合図一つですべての牙が武蔵の肉を食い破る紙一重の雰囲気だった。武蔵がいざという時のために奮発して買っておいた高級キャットフードは匂いすら嗅いでくれない。
「さあ。次は大和だね」と猫吊さんの隣で椅子にゆったりと腰掛けた傘姫が平然と言った。
「もう葛城の事は察知してるはず、だから早く手を打たないと。長月さんと合流して、できれば一緒に、何とかして欲しいねえ。うん、それがいい。さあ武蔵さん、ほら武蔵さん、大和に電話しよう」
あくまで朗らかに傘姫は、武蔵に拳銃を突き付けた。その拳銃は既に一発が壁に掛けてある絵画の人物の額に穴を空けており、ハッタリではないことは証明済みである。ハングド・キャットの外が騒ぎにならないのは、その拳銃に消音器が取り付けられているからだった。音も無く発砲できる銃器の所持など、武蔵の知る限り許可される者は存在しない。
「鉄砲から音がするとか、しないとか、細かい事はいいじゃない。ほらほら、急がないと、大和が私の鎮守府に攻撃しちゃう」
「貴様が自分で大和を止めたらいいだろ」武蔵は投げ遣りに言った。「貴様が任された空母に何かが起こった時のために、わざわざ撃沈王が貴様の下に席を作ったんだ。だというのにいざその時になれば、こんな場所で何をしている? 閉店時間を過ぎた喫茶店に入り浸るなど敵前逃亡にも等しいと私は思うが?」
「前提が違うんだよ、武蔵さん。仲間に何かが起こったら助けるもの、でしょう? 敵っていうのは、誰だろうねえ。陸軍さんのこと? 何にしても、大和が何一つ問題ない自分の鎮守府を攻撃しちゃうのは、見過ごせないと私は思うねえ」
「瞳を青い炎で燃やす異形に問題は無いと?」
「少なくとも」傘姫は拳銃を持たない方の手を仰々しく広げた。「猫吊さんとハングド・キャットの猫たちは、武蔵さんに不満な様子、だよ? 猫を信じなくなった洞観者に、意味はなくなるんじゃない、かな」
武蔵は赤の他人に何が分かるのかと言い返そうとして、しかし口を噤まざるを得なかった。この喫茶店に猫吊さんと共に入って来た時点で、傘姫は武蔵を手玉に取りに来たようなものである。拳銃も猫たちの乱逆もポーズでしかない。「乱暴なことは好きじゃないけど、あんまり物分かりが悪いと、ねえ」と傘姫の目が言っているように思えた。
「……私だって、猫に助けられはしたさ」
あの時の茶猫の姿を横目に、武蔵は携帯電話で大和の番号を探した。
「言っておくが、何が正解であっても事態が一刻を争うのには変わりない。長月と大和に妙な期待はかけるなよ」
「もちろん。だから大和が早まらないよう少し待ってもらって、腕が立つ長月さんを『調査』に送り込む。武蔵さんと大和がネコノツメを託したくらいだし、こんな時こそ活躍、してもらわないとねえ。あ、そうそう。この件が片付いたら、葛城にもネコノツメを持たせたいと思うんだ。三本くらい作ったんだっけ。あの子ってばわりと器用で――」
得意気に、そして満足気に語る一ノ傘姫乃という女性のことが人間の皮を被った正体不明のように見えてきたところで、不機嫌そうな声音をさせた大和が電話に出た。
◆――――◆
再び連絡を取ってきた武蔵に指示された通り、長月は目的の鎮守府から少し離れた地点を目指した。
視界が悪い中でも大和を旗艦とする重装備部隊はかなり目立っていた。そこに刀一本を装備した小柄な駆逐艦一人が合流するのは、戦力云々に関係なく相当に気まずいものだった。
曇天の暗夜にあって猶、撃沈王大和の気迫に陰りは一切無い。
「もう何度か会っていますけど、改めて――こんばんは、ドーカンシャの長月さん。私の姉妹艦武蔵がいつもお世話になっています」
自分に八つ当たりをするなよと長月は苦々しく思った。「……こんばんは」
「時計は?」大和は訓練兵を揺さぶる鬼教官のように聞いた。
「え? あ、いや、就寝前に飛び出したから……」
「構いません。扶桑、長月さんに時計を」
長月はどこかで会ったような航空戦艦から腕時計を受け取り、右手首に巻いて恐る恐る大和の時計と付き合わせた。
「アラームを30分に――では今から30分後に私たちは鎮守府に攻撃を仕掛けます」
大和は冷めた声で言った。「対地攻撃とはいえこの雨なら三式弾より徹甲弾の方が良さそうです」
「待ってくれ! まだ睦月が残ってるんだ」
「では、これを」そう言って大和が長月に差し出したのは信号拳銃だった。引き金が動かないよう四桁のダイヤル式南京錠で無理矢理ロックしてある。
「その信号弾を確認できたら私たちは作戦を攻撃から偵察へと切り替えます。タイムリミットを迎えるか合図の確認ができるか、あるいは……あるいは深海棲艦が攻撃を仕掛けてくるか、それまでは一切の手出しはしません」
「でもこれ、鍵が」
「暗証番号は私が今までにあの鎮守府で食べたピザの枚数です」
「…………」大和が真剣なのかふざけているのか、長月には判断が付かない。
「葛城は優秀でしたから、それくらい把握しています」
「……つまり攻撃を止めたければ、葛城が正気であることを30分以内に当人に直接確認して来いと。あんたも武蔵も回りくどいことをやらせるよ、まったく。目標が中途半端な作戦は放棄して考え直せって遠征なんかでも言われるぞ。しかも駆逐艦一人の行動を分岐点にするなんて、撃沈王が情に引きずられて判断をミスったとしか思えないよ」
「私だって!」
大和の冷徹な鍍金は容易く剥がれた。剥き出された表情は英雄の姿からは程遠い、カレンダーズとも変わらない艦娘のそれだった。
「葛城を殺すなんて嫌よ! 仲間殺しなんて嫌よ! 分かるんでしょドーカンシャなら、カケラも残らない姿に変えられた仲間にどれだけ救いが無いか。沈んで深海棲艦になるくらいなら空が見えるうちに灰塵になることに涙、悲しさですって? 昨日までの葛城ならそうして欲しいって間違いなく言った、でも今日もそうとは限らない、深海棲艦になっても私に『助けて』って言ってくれるかもしれない、全部全部もう手遅れなのに! 今日この時のために私は葛城の仲間だったんだから! なによ、もしその時が来たらって……あんなに優しかった人が自分を失くして他の人を傷つけるわけ、ないじゃない……」
雨はうんざりするほど重く暗く降り続いた。重い艤装に重い使命、さらに天候までもが撃沈王にのしかかる。
本当に雨は大嫌いだと、長月は心の奥底からうんざりして前髪をかき分けた。
「練度も大したことない駆逐艦の小娘なんて信用できないだろうけどさ」
ネコノツメが鞘から抜猫され、無骨で規格外の刃が露になる。尋常の刀とはまるで異なる重厚な鈴のような抜刀音を大和は長月よりも聞き慣れている。
その刀は小柄な少女どころか鍛え抜いた大男ですら片手で扱える代物ではない。試作の一振り――長月が手にしている物が完成した時、試そうとした大和は重量に任せて振り下ろすだけで精一杯だった。開発を主導していた撃沈王でこの様では失敗作だと評されたネコノツメを、しかし長月はまるでその辺りで拾った流木の一片のように軽々と振ってみせる。
「私は睦月を助けるのが絶対の目的だ。何事もなく連れ出せたらそれに越したことはないんだけどさ、睦月は葛城の目から青い火が出た時に間近にいたらしい。穏便に、とは期待できないだろうね」
「……誰の安否も分かってないのにどうして、そんなに覚悟が決まってるのよ」
「さっきは中途半端だって言ったけど訂正する。あんたは信号弾を見て作戦を変更するか、私が殺した葛城だった何かに砲弾を撃ち込むか、二つに一つだ。他に無いことは保証する」
「これだからドーカンシャは嫌いなのよ! 大っ嫌い! いっつもいっつも、私が分からないところで!」
「文句は元凶の武蔵に言ってくれ」
「これは私が! 私の手で……決着を付けないといけないのに……!」
「だったら尚更、このネコノツメは有効活用させてもらうさ」
長月は大和に背を向けた。
「あと27分。あんたがくれた貴重な時間だ。無駄にはしないさ」
◆――――◆
総合棟一階、応接室の床に転がって泡を吹いていたあきつ丸は「でありますっ!?」と叫びながら跳ね起きた。口元を拭いながら室内を見回すも、他の三人の姿は無い。飲みかけの茶に食べかけの煎餅もそのまま残っている。
「……えらいこっちゃあ、であります」
あきつ丸は記憶の最後に焼き付いている、青い炎の眩しさを思い出してブルリと尿意をもよおした。
偽葛城に渡した携帯電話も床に落ちたままだった。拾って確かめるも本物の葛城との通話は切れていた。そのまま彼女は上官に状況を報告し、応援と指示を貰おうとした。しかし携帯電話のボタンがやけに固く、操作がままならない。さては偽葛城に破壊されたか、そう疑う自分の親指が極寒の地に放り出されたかのように震えていることにしばらく気付けなかった。
ふと、外の雨音に別の音が混じっていることに気付いた。何かのエンジンが駆動するような音だった。
「な、何でありますかぁ……」
恐る恐る窓から外の様子を窺うと、照明灯にぽつぽつと照らされた埠頭に、町内行事などでよく見られる白屋根のパイプテントがひとつ設置されていた。屋根には『Uボート誘致』とプリントされている。勿論あきつ丸と睦月がこの鎮守府に到着した時にはこのようなテントは置かれていなかった。
謎の音の正体は発電機の駆動音だった。金属箱にスイッチやランプが付いている謎めいた機械やプリンタ、ノートパソコンなどに電力を供給しているらしい。
機械類に混じって数本の魚雷が並べられている。その弾頭はしかし通常の丸みを帯びたシンプルなものではなく、逆に爆発を回避しつつ物理現象を観察する実験装置のように見えた。
テントの一歩外が土砂降りである中、海の方を向いて長机に置かれたノートパソコンの前に座っているのは、先程あきつ丸と睦月を出迎えて応接室に案内するついでに二人の肝を大破させた伊168だった。
「アイエッ!?」
応接室のガラス窓は閉じている。テントまでの距離もある。だがあきつ丸が悲鳴を漏らすと、伊168のマウスを扱う手がピタリと止まった。そして尋常外の潜水艦娘はゆっくりと振り返る。応接室の方を――あきつ丸を見る目は冷め切っていた。
パソコンに向かう伊168だけではない。大切な機械類にテントの中から押し出されたように、雨に打たれる四人がトルピードランチャーを肩に担いで並び、鎮守府の侵犯を許さぬ防衛線を成していた。
伊19が、
【伊19:Lv.150+1】
伊58が、
【伊58:Lv.150+1】
伊8が、
【伊8:Lv.150+1】
伊401が、
【伊401:Lv.150+1】
黒く塗り潰され境界が失われた水平線を監視する目を、敵意を伴ってあきつ丸に向けた。
潜水艦娘ら五人の口は固く結ばれている。にもかかわらずあきつ丸は確かに聞いた。地獄の鬼が呟くような声を。
『 雑 魚 は 失 せ ろ 』
「アイエーエエエエエエエ!!」
ナムサン。あきつ丸は目を覚ました時点で、全てに優先してトイレに行っておくべきだった。
←←←←←←←←←←←←←←←←←
TO BE CONTINUED なのです!
←←←←←←←←←←←←←←←←←
◆― あきつ丸の扱いが酷いので第六駆逐隊フレーバーで和らげるのを目的とした、本編となんら関係の無いおまけ 2 ―◆
一昨日も、昨日も、今日も、そして恐らく明日も、ここのところ暁の昼食はオムライスで頑なに固定されていた。
「まあ聞いて頂戴」
ほっこりと膨らんだ玉子焼きの上にケチャップで猫を描きながら、暁は一緒にテーブルを囲む姉妹に語った。その表情はいつもながら無駄に得意気だった。
「一人前のレディはがっきょ、ぎゃ……逆境の中でも平然としているものなの。暁はクール路線で行くことにするわ。じゃなくて、溢れすぎて困ってるクールさをアピールしようと思ったの。クールビューティよ」
「たぶんクールビューティの意味を分かってないと思うのです」と電。
「毎日オムライスを食べ続けるのは時代を先取りし過ぎたクールかもね」と雷。
響は口元に腕を押し当ててプルプル震えている。笑いを堪えるのに必死すぎて蕎麦に手を付けられそうにない。
暁は姉妹艦の言葉にあまり耳を傾けずに話を続けた。
「例えばこの、グリーンピースが入っててあんまり美味しくないオムライスを――」
「あ。てっきり好きで食べてたのかと」と電。
「やっぱりまだグリーンピース嫌いなんだ」と雷。
響は自分の腕に噛み付いて笑いの嵐が過ぎ去るのを待った。
「暁は毎日ずっと我慢して食べてるわけ。でも見くびってもらっちゃ困るわ。逆境はこれだけじゃ終わらないんだから。これを見なさい」
そう言いつつ暁がもぞもぞポケットから取り出したのは、爪楊枝を支柱とする小さなZ旗だった。お子様ランチをお子様ランチたらしめる装飾に他ならないそれを、暁はケチャップで描いた猫の鼻に「テイクディス!」勢い良く突き立てた。
「…………」と電。
「…………」と雷。
響は顔を紫色に変色させてテーブルに突っ伏している。隣の陽炎型一団が喉に何かを詰まらせたのではとハラハラしたが、電と雷はそんな響の様子を見慣れているため腹がつって本当に息ができなくなるまで無視するスタイルである。
「オホホホホ。どう、この逆境。こんな逆に子供みたいな雰囲気の中でもクールに振る舞える私ってば、やっぱりクールビューティなお姉さんなのかしらん? あら電、この旗が欲しいの? よいですともよいですとも。暁はお姉さんだから、はいあげる」
「いらない……というかスパゲッティのどこに刺せばいいのです……」
「あら響、お腹痛いの? 大変だわ。でもこれこそ真の逆境ってヤツだわ。クールビューティに振る舞わないと。ほらお水よ。――飲めない? ふぅむ、顔色も悪いみたいだし、今日はもうお休みしたほうがいいわ。心配しないで、全部この暁お姉様に任せればいいのよ」
その時、暁の背後に「姉さま?」と鋭く反応する者がいた。
「ああ大丈夫よ雷、クールビューティな私はちっとも気にしないわ。お姉さんキャラを被せていきたい気持ちはよーく分かるもの。でも何というか、雷が『お姉ちゃん』だったとしても暁は『お姉様』なの。レディでクールビューティな私のお下がりのお洋服とか貸してあげるのもやぶさかじゃないわ。なぜなら暁は」
「暁、後ろ!」
雷が叫んだ時にはもう遅い。暁の左側頭部に摩天楼のような艦橋が傾いて取り付けられた。ランチ・ノンビリ・アトモスフィアを利用した狡猾で卑劣なアンブッシュだ。そのジェンガめいた艦橋の持ち主は天照大艦隊に一人しかいない。
「姉さま……ああやっぱり。この艶やかで綺麗な黒髪によく似合うと前々から思ってたのよ」
自分の頭から艦橋をもぎ取って暁に勝手に付けた山城は、暁の潤った長髪をうっとりしながら撫でた。青黒く作られたくまの上に据わった瞳は、見るべきではないものを見ている。
「正直におっしゃって下さい。暁って本当は扶桑姉さまなのでは?」
暁は否定できない。声の出し方が分からない。艦橋の重さで首を傾けつつ、自慢の髪を好きなようにされているというのに、しかし振りほどきたくとも頭の艦橋からおぞましいものが流れ込み、頭の中を髪よりもドス黒く侵食してゆく。それは『不幸』などという生易しいものではない。暁が経験したこのとのない感覚は『絶望』と呼ぶには闇が深過ぎた。
山城が暁の髪にキスをしようとした瞬間、「イヤーッ!」ゴウランガ! 雷のチョップが間一髪で暁の頭から艦橋を削ぎ落とし、ブッダに手を引かれるように我に返った暁は飛び退くことができた。
「FLSよ! 山城がまたFLSを起こした!」
雷が暁を手繰り寄せると同時に電は落ちた艦橋を拾い上げ、元々あるべき山城の頭に破城槌めいた勢いで振り下ろす。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
そこそこ重量のある艦橋で殴られれば冗談では済まないダメージが入る。山城の右側頭部に確実に生えるであろうタンコブを封じる要石めいた艦橋が戻り、脳震盪により山城は意識を失い倒れた。
「暁!? しっかりしなさい、暁!!」
暁を胸に受け止めた雷は頬を叩いて呼びかけた。頭に少し違法建築物を建てられただけの暁はしかし、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」ブッダに慈悲を乞うように呟くばかりだった。
陽炎型一団が心配して寄ってくる中、響は響で一人、別府温泉めいて湧いてくる爆笑を止められずに山城の隣で腹を抱えて転げ回っている。
ナムアミダブツ。
天照大艦隊において、この程度の事件はチャメシ・インシデントなのである。
ばつびょう 【抜猫】
(名)スル
①猫爪(ネコノツメ)を鞘から抜くこと。「長月の-術は魔法だと思うんだがな。いやホントに」
②鎮守府の全機能が猫によって停止すること。また、その猫。
③猫を駆除? 貴様如きが?