球磨の薬指   作:vs どんぐり

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第36話 秋空を翔ける阿呆

 何の冗談か。

 あるいは夏の暑さと忙しさが嘘であったかのように北鎮守府に吹き渡る涼しく牧歌的な風がそうさせるのか、白露が大規模作戦の情報誌に目を通している。紙面の文字をじっくりと目で追う姿はまるで、誰にも想像し得ないような、仕事熱心な艦娘のそれだった。

「ド、ドウシタノ白露姉サン、具合ガ悪イノ? 半袖カ長袖で悩ム季節ハ体調ヲ崩シヤスイシ、熱ガアルノカモ」

【春雨:Lv.24-1】

「ソレトモ知恵熱? 知恵ガツイテキタラ発熱スルッテイウアノ熱ガアルノカモ……デモ待ッテ。資料ヲ読ンダカラ熱ガ出タノ? ソレトモ熱ガ出タカラ資料ヲ読ムナンテ有リ得ナイコトヲシテルノ? ドッチガ先ナンダロウ。イイエ、ヤッパリ普通ニ風邪カモシレナイ。ダケド白露姉サンガ、アノ白露姉サンガ、気温ガ少シ下ガッタクライデ風邪ヲヒクトハ思エナイシ……風邪ヲヒカナイ何トヤラノ象徴ミタイナ存在ナノニ……ウ~ン」

 あんまりな言われ様は白露の右耳から左耳へと抜けていき、彼女は物憂げに溜め息までついてしまうほど本調子から外れている。天照大艦隊に着任してから比較的日が浅い春雨にさえ大きな心配をかけてしまう程だった。

 それほど今回の大規模作戦に参加できなかったのが悔しいのだろうかと春雨は考え、すぐに否定した。昨日までは激戦が繰り広げられていた海域すら知らなさそうな、知っていたとしても「ソロモン海? ああ、うん、もちろん聞いたことあるよ。うん。聞いたことはあるね。ソロモンの悪夢。確か時雨か夕立がそんなこと言ってたような」程度の反応だったはず――そんな姿を思い出して、ある事に思い当たった。五日前にこの北鎮守府に移ってから今に至るまで、白露の元気がどうにも日に日に萎んでいるようなのだ。

 

 

◆――――◆

 

 

 竹櫛・一ノ傘が活動拠点とする鎮守府から見て、傘姫や斑鳩の鎮守府は北に位置する。夏の騒動で傘姫の艦隊が天照大艦隊に吸収されてからは互いの関係がより太く綿密になったため、傘姫の鎮守府を正式名称とは別に「北鎮守府」と簡単に呼ぶようになった。竹櫛・一ノ傘の方は逆に「南鎮守府」ということになる。

 艦隊名も「特殊深棲監視艦隊」という長ったらしく分かりにくい名前から「分隊」と大胆に縮められ、こちらについては少々揉めた。

 二つの艦隊は姉妹艦隊ということになっているため同格であるが、傘姫たちを天照大艦隊の管理下に置く意味もある。話し合いの中で「分隊」という言葉の意味については深く触れられなかった(興味のある者がいなかった)ものの、艦娘の頂点である撃沈王が仮にも所属する艦隊を、小規模なオマケ扱いしてもよいものかが悩みどころだった。加えて北鎮守府の他のメンバーも決して大和に劣らない。斑鳩や潜水艦たちも含めて全員の練度が測定不能域にあり、陸海空に隙のない精鋭中の精鋭という意味では、演習の場では手加減をされない限り南鎮守府の者たちに勝ち目は万に一つも望めないほどの差がある。

 斑鳩が控え目な性格でなかったならば話はさらにこじれて収拾がつかなかったことだろう。

「天照隊には感謝してもしきれないくらいお世話になってますし、人数だって一桁以上違いますから、むしろ同格に扱われると恐れ多くてですね」

 こうして天照大艦隊の構成は竹櫛・一ノ傘が率いる南鎮守府の「本隊」と、傘姫が率いる北鎮守府の「分隊」という形で落ち着いたのだった。

 

 

◆――――◆

 

 

 待機も立派な職務である。

 天照隊に吸収されるまでは留守を置いておく頭数すらなかった分隊では、予備の戦力を鎮守府でゴロゴロさせておくのは斑鳩に言わせれば戦艦大和を遊覧クルージングの護衛に使うレベルの贅沢だった(当然このシビアに過ぎる感覚はブラック艦隊に頭が汚染されつつあった彼女に特有のものである)。故に、頭数を揃えることができ、自分の帰る場所で仲間に待っていて貰える安心感を作られた北鎮守府は、欠けていたあたたかみを少しずつ取り戻しつつあった。

 白露と春雨の他にも数人が復旧させた寮に待機しており、潜水艦らと共に出撃したメンバーの帰りを待っている。ただ待っているだけだった。

 ふう、と白露は煙草を吹かすように気取った溜め息をついた。

「暇。暇。すさまじい暇。とっても暇だよね春雨」

「ソレナラ傘姫司令官ニ報告書ヲ出シニ行コウ。今日ノ夕方ガ期限ノヤツ」

「そうじゃない。そうじゃあないんだよ春雨。あたしの退屈っていうのはさ」

「マサカトハ思ウケド白露姉サン、念ノタメニ聞クヨ。ソレダケ余裕ブッテルノニ報告書ハ書イテナイ、ナンテコトハナイヨネ?」

「いま春雨が『報告書』って言うまでは、あたしの頭にそんな言葉は存在しなかった。これってつまり……えーと因果的な……あれが……とにかく暇なの。突き詰めて考えれば人生ってさ、つまりそういうことでしょ? 分かる?」

「ウワァ……阿呆ノ哲学ッテコンナニムカツクンダ……深海側デスラ白露姉サンヨリ上等ナコト言ッテルヨ」

 白露は読んでいた大規模作戦の情報誌を机の上に放り投げた。読んでいたと言うよりも正確には熱心に戦いの記録を頭に詰めていたのではなく、防空棲姫のように大胆かつクールな格好をすれば自分も情報誌に載るくらいイケるかもしれないと考えていたわけでも少しなくはないがそうでもなく、味気無い室内よりは情報誌の方が視界に入れていてマシなものだった、というだけの事だった。

 白露はしんみりした表情になった。

「先月にさ、南鎮守府の近くでよさこい祭りってあったでしょ」

「ヨサコイ祭リ? アア、ウン。ココノ艦隊ノ事トカ大規模作戦ノ支援ガアッテ、私タチハソレドコロジャナカッタケド」

「去年の夏はさ。まだ春雨がいなかった時なんだけど、そこで時雨たちとステージに立ったんだ。そりゃあ盛り上がったもんだよ」

「ホント!? スゴイ!」

「この白露型一番艦が考えた『ずっと一緒だよ』っていうお芝居をちょっとね。まあ、大したものじゃあなかったんだけど」

 嘘である。この阿呆は嘘を吐いている。詳しくは叢雲の薬指の第20話『ずっと一緒だよ』を御参照頂きたい。

「今年もやりたかったと思うと退屈度が余計に増しちゃってさあ。春雨をぜひキャスティングしたかったなー。心まで深海棲艦になっちゃた夕立と心から深海棲艦の先に行きたい春雨の戦い。実現させたかったなー。全米を感動させたかったなー」

「白露姉サンハ阿呆ダケド真ッ直グナ心ヲ持ッテル――トカジャナクテ純粋純然ナ阿呆ダカラ反応ニ困ルヨネ」

「できなかったことばかり考えてると心が不完全燃焼になるでしょ。あたし達ってやっぱり駆逐艦だしさ、デストロイヤーなわけだしさ、無意識に刺激を求めるトコロがあるよね」

「無イヨ。皆無ダヨ。ヨシンバアッタトシテモ仕事ヲ放棄シテイイ理由ニハナラナイヨ」

「もう二度と戻っては来ない今年の夏を、この白露は胸にぽっかりと空いた穴を、とびっきりの思い出で埋めたい。そう、今からでも遅くない」

「今カラデモ遅クナイカラ報告書ヲ――」

「というわけで、ですよ。今こそ大っ切に温めておいた、とーっておきのプロジェクトを実行に移す時!」

 スマートフォンを取り出した白露は、まだ一度もかけたことのない番号を、それも天照大艦隊の誰もがかけようとしない番号を、気後れするでもなく呼び出した。

「春雨も超エキサイティンするよー期待しててね。――あ、どーも白露型一番艦の白露です」

「時雨姉サンガ前ニ、危ナイト思ッタ時ハ姉ヲ躊躇無ク見捨テテ逃ゲロッテ言ッテタケド、今ガソノ時カナァ」

 

 

◆――――◆

 

 

『試飛会』とは日向が制作したラジコン飛行機のテスト飛行を行う会である。

 戦艦から航空戦艦へと進化した日向は己の刃を研ぐべく航空機の研究に明け暮れ、定期的に切れ味を試すべくラジコンを製作しては戦艦寮上空を飛行させたり墜落させたりした。

 日々を深海棲艦との戦いに費やす艦娘にそのような暇があるのかと問うならば普通は無いと答え、日向は普通という枠を何食わぬ顔で切り捨てた。故に航空戦艦になってから随分と久しいものの練度に僅かの上昇も見られず、ラジコン飛行機の製作技術ばかりが無駄に上昇していった。勿論、この技術が深海棲艦に対する抑止力となった例は一度として無い(一度だけ、深海棲艦になりかけた艦娘を止めたことならあった)。本末転倒も甚だしかった。

「艦娘としてあんたそれでいいの!?」と叢雲に激怒されることは度々あり、日向も猫の額くらいは気にしている。ところで猫の額とは面積の狭さを例える言葉であり思慮の大小を表すのには使えないのではと日向は疑問に思い、つまり全く気にしていないと同義とも言えた。これぞ鋼のメンタルの成せる業である。

 日向が製作するラジコンはいかなる機種であれ、全体をヘチマのような緑色に塗装され、両翼と胴体には赤いマル模様が入れられる。機体下部には固定翼機や回転翼機、アダムスキー型未確認飛行機だろうと何だろうと例外無く水上に浮かぶためのフロートが無理やり取り付けられ、つまりは瑞雲化改修が行われた。

 制作する飛行機の機種はいつも自由自在だった。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡ、A-10サンダーボルトⅡ、Ka-50ホーカム、V-22オスプレイ、サボイアS.21、SH-60K、コンコルド、気球船、果てはハインケル・レルヒェのような珍機体(特に航空戦艦が運用できそうなもの多)などがプロペラ駆動のラジコン飛行機となった。

 半強制的に観覧に招待された最上が見守る中、日向のラジコンは戦艦寮前の空を優雅に飛行した。あるいは制御不能に陥った機体が爆発しない巡航ミサイルとして最上の頭や山城の部屋、葛城(現・斑鳩)の意識、金剛の後頭部を狙ったりもした。それら経験はすべて日向の糧となり、最上の精神的重石となった。

 

 

◆――――◆

 

 

 白露が北鎮守府での仕事を放棄している一方で南鎮守府、天照大艦隊の本隊が拠点とする方では日向が仕事を放棄していた。日向に仕事をさせようという試みはかなり前から挫けたままであるため放棄する仕事が元々無いという鋭い見方もあるかもしれないが、そうであってもなくても今の日向の眼前には絶好の試飛会日和が広がっていた。

 試飛会には『日向以外の誰かが声を発するとラジコンが墜落する』という悪夢のようなジンクスがあり、今のところ的中率100%のそれはジンクスというよりも確立されたシーケンスともいえた。しかし今日の最上は最初から有らん限りの声を発した。

「やめてくださいマジで!」スタスタ歩く日向の腰に最上はしがみつきながら引き摺られている。「他のヤツなら何でも飛ばしていいですからそれだけは! それだけは駄目なヤツですって!」

「おっ? 最上もコレを覚えていたか。メディアから名前が消えて久しいからな」

「めっちゃ名前書いてるじゃないですか片仮名で!」

「形状はしっかりと再現した上でボディに大きく日本語で名前を書くのは面白いだろうと思ってな。まあ、実際やってみればただシュールなだけだったが。ところで最上、この『テポドン』とは別にノドンというミサイルもあっただろう。あれは朝鮮語で「労働」を意味するというどうでもいい雑学があったが、しかし実は間違いであったらしい。いくらミサイルがどうだと騒いだところで海外に関する知識なんていい加減なものだな」

 日向が抱えているテポドンはそれ以上にいい加減な代物だった。優に全長2メートルを超えるサイズは今までのラジコンとは一線を画するものの、瑞雲化改修の例外ではなかった。即ち全体をヘチマのような緑色に塗装され、固体ロケットブースターのようにフロートが無理やり取り付けられているのだ。一本の太い棒と二本の細い棒からなる謎のオブジェクトだが、最上が言った通り本体には味気無い赤文字で『テポドン2号』と書かれている。ロボットブーム黎明期に見向きもされず消えたような残念極まりない勇姿であっても、あくまで日向は近代的ミサイルのつもりなのである。

 日向はしがみつく最上をものともせず、戦艦寮前に予め設置しておいた発射台へと歩いていった。

「なあに、そう心配するな。外観こそ弾道ミサイルだが、これはあっという間に過ぎてしまった夏の宿題として提出し損ねた、たわい無い工作――ペットボトルロケットだよ」

「ペットボトル……あの水の勢いでブシュッと飛ぶアレのことですか?」

「そうだとも。夏の工作には少し遅いが、この心地よい天気に飛ばすのにはうってつけだろう。ほら、自分で歩け」

 最上は日向が抱えているペットボトルテポドンを怪訝そうに観察しながら日向の腰に回していた腕を解いた。

 今までの試飛会にエントリーしてきたラジコンはすべてプロペラやローター、そういった回転する羽によって空を飛んだ。だから日向ならば次はきっと話題になったドローンに飛び付くだろう、鎮守府の外を撮影しようなどと言い出したら営倉行き覚悟で対空装備を持ち出そう、それほどに恐れていた今回の試飛会が予想を上回るミサイルであったことは最上の肝をカチンコチンに冷凍させたが、しかしペットボトルロケットと言われると別の疑念が生じてくる。

 最上の記憶にあるペットボトルロケットといえば、大きくともせいぜい2リットルサイズのペットボトルを加工して繋げた程度のものでしかない。しかし日向が発射台に据え付けているものの大きさは日向の身長を大きく上回っている。太さもかなりのものである。しかも無駄に金属製であるらしい堅牢そうな発射台がテポドンを支える時に少し軋んだ。航空戦艦筋力によって運ばれてきたため重量の推測が難しい。あのテポドンの材料はそもそもペットボトルなのだろうか。素材は本当にポリエチレンテレフタラートで間違いないのか。瑞雲塗装を剥がせば金属光沢が現れる、といった裏切りはないだろうか。

 テポドンというチョイスに加えて先述の通りプロペラ駆動ではないところも非常に怪しかった。これは最上の知る日向の好みではないように思われた。春夏秋冬休日の日向が夏休みの工作をする阿呆らしさは置いておくとしても、ただ打ち上げてキャイキャイ楽しむだけの単純なものをなぜ作ろうと思ったのか。日向ならばもっと技工を凝らしたミサイルを――ここで最上のトラウマにより形成された思考回路に閃くような電気が走った。

 このテポドンはこれまでのラジコンとは明らかに『目的』が異なるものだということに最上は気がついた。伊達に試飛会に付き合わされてはいない彼女である。

「あの、質問があります」最上は発射準備中の日向に声をかけた。ジンクス云々はもはや手遅れであるためやむを得なかった。

「何でも聞くといい」日向はまるで工廠から盗んできたような機械とテポドンを接続している。

「それって『ロケット』じゃなくて『ミサイル』なんですよね。飛ばすためじゃなくて、……どこかに落とすための」

「ほう。なかなかどうして鋭いじゃあないか最上。ご明察、というヤツだな。実はこのプロジェクトの発案者は私ではなく白露でな」

 白露。それはこのタイミングで登場するのは最悪の最適解とでも言うべき名前だった。

「前々から白露に疑問を投げ掛けられていたんだ。果たしてペットボトルロケットはどの程度までロケットになり得るのかと。数さえ揃えれば人間だって飛ばせるのは飽きるほど証明されてきたが、白露は単体での限界を知りたいと言う。私はそのダイヤモンドの原石の如く純粋な好奇心に胸を打たれた。まるでかつての自分自身を見ているようじゃあないか。あれは航空戦艦の素質があるぞ」

「それ単に白露が暇だったからテキトーな思いつきを言っただけだと思いますけど」

「だから私は教えてやった。ただ高く飛ばすのも良いだろう。しかし飛行するからには高く、遠く、ただ出力のあるがままに飛ばすのではなく、到達点を決めた方がロマンに満ちる、とな」

 テポドンに太いチューブを繋げた機械がけたたましい音を立てながら動いた。自転車の空気入れを使う普通のペットボトルロケットではないことを日向は隠そうともしない。そして耳を塞ぎたくなるほどの騒音を発しているにもかかわらず、最上と日向を除けば誰一人として建物の外に出て苦情を言いに来ようとはせず、最上が気付いた時にはすべての窓が閉じていた。この疎外感に最上はいつまでたっても慣れる事はない。鋼だと思っていた日向のメンタルは実はオリハルコンか何かではなかろうかと最上は訝しんだ。

「しかしだ最上」日向は無駄に熱く語った。「大砲の中に人間を詰めて打ち上げたところで意味が無いように、ペットボトルロケットにプロペラを付けて飛ばしたところで誰が喜ぶと思う?」

「それよりさっきからペットボトルって言ってますけど、それ金属製ですよね」

「水と圧縮空気で飛ばさなければ意味が無い。空に向かえば何でもかんでもロマンとする見方もあるかも分からないが、目的、手段、そして結果が結びついてこそ真のロマンだ。イカロスは我等が太陽神、天照大御神を甘く見たがために墜落しただろう。無知無謀に人は憧れるべきではないのさ」

「イカロス氏は日本人ではありませんけどね」

「まあ、そのように熟考を重ねつつも航空戦艦だからな。強度計算と機材さえあればペットボトルロケットなど夏休みの工作の範疇を出ないものだよ。残すは白露の準備が整うのを待つばかりだったが――先程、白露から連絡があった。機は熟した、いつでも撃って来いと」

「撃って来い? 白露って確か今日は――いやいや。いやいやいやいやいやいやボクは信じないぞぉ! 姉妹艦隊にミサイル撃ち込む阿呆がこの世に存在するはずがない!」

「よし。最終チェック完了だ。さて最上にはカウンドダウンの権利をやろう。10からでも100からでも好きな数字から始めていいぞ」

「あーあー何も聞こえないしミサイルも見えない」

 最上は目を閉じ耳を両手で塞いで現実逃避の構えを取った。それが不幸中の幸いだった。

「そうか。なら発射だ」

 日向があっさりと発射ボタンを押した瞬間、テポドンは大和型戦艦の砲撃にも匹敵する圧力で炸裂した。水圧も加わる分だけより強烈ですらあった。対戦車障害物のような発射台が木端微塵になり、解体する手間は省かれた。

 視覚と聴覚を遮断していた最上に洒落では済まされないエネルギーを持った水飛沫が襲いかかり、数メートル先のテポドン発射台からさらに数メートル弾き飛ばされた。「金剛型と最上型は姉妹艦も同然ネー」と言ってくれた金剛の下に逃げようと考える暇も、呑気に現実逃避をしていないで日向を盾にすればよかったと後悔する暇もなかった。テポドン発射に伴い発生した衝撃は最上の体より先に意識を吹き飛ばしたのだった。

「おお、すまんな最上。少し離れていろと言うのを忘れていた」

 そしてテポドンの間近にいた日向はピンピンしていた。衝撃を回避したわけでもなくテポドンから勢い良すぎる程に噴き出した水を全身に浴びている。鋼のメンタルを包み込む肉体もまた鋼なのである。

 さすがに無視できない破裂音を聞いた鎮守府の面々が窓を開くと、戦艦寮から秋空へと一本の白い線が伸びていた。水色の浴衣に涼しげなアクセントを加えるような美しさが憎たらしい線だった。執務室にいた叢雲も、食堂にいた金剛も、誰もが開いた口を塞げなかった。その正体は何らかの液体であるらしい白い線は、勢いを失わずにどんどん遠く離れていき、北を目指して伸びていった。

 艦隊の中でも特異な視力を持つ者だけが白い線の先端、謎の飛行物体の胴体に『テポドン2号』と書かれているのを確認することができた。

 

 

◆――――◆

 

 

 日向に連絡を入れていた白露は外に出て、いつでも来いと待ち構えていた。活動的阿呆はひとたび動き出せば温まるのは早い。安全第一ヘルメットに海軍精神注入棒というスタイルは野球の打者を表現している。テポドンを打ち返せたら楽しそうだと思いつくも野球道具が無かったための装備である。

「一番打者、白露いきます! ピッチャービビッてる! ヘイヘイヘイ!」と水平線の彼方の日向を無駄に煽っている。

「ネ、姉サン恥ズカシイカラ止メヨウヨ」

 春雨は野球帽にミットという格好をさせられていた。野球帽はきちんとしたもの(傘姫が持っていたダイエーホークスのもの)なのだがバットがなければ当然ミットもなく、工廠から少しでも丈夫そうな手袋を借りてきて両手に嵌めている。

 そんな二人を、総合棟二階の執務室から見下ろす二人がいた。

 傘姫にしては珍しく理解し難いものを見るような目をしていた。

「ねえ斑鳩。私さあ、駆逐艦っていったら、てっきり睦月ちゃんとか長月ちゃんみたいな子、ばっかりなんだと思ってた」

 投げかけられた斑鳩も似たり寄ったりな表情をしている。

「ギャップが凄いよね。でも白露ちゃん達の名誉のために言っておくけど、あれで悪意は無いんだよ。ただ、その、ちょっと……阿呆というか」

「仲間が増えれば人間関係も変わる、のは当然だと理解してる、けど、きっついねえ。竹櫛くんと鉄ちゃんは今まで、どうやって手綱を取ってたんだろう」

「提督がそんな弱気じゃ困るよ。本隊の方にはもっと恐ろしい艦娘がウヨウヨしてるって聞くし。あの球磨さんですら常識人に分類されるらしいよ。暗殺術を極めんとする人を常識側に分ける基準って、僕は信じたくないね。提督が何とかしてよ」

「白状するとね。天照隊に吸収されたら、私が本隊を乗っ取っちゃおう、なんて考えてたんだ」

 傘姫がどのような人物であるかをよく知る斑鳩に驚きはなかった。むしろ傘姫が天照大艦隊の内部からじわじわと侵食し、ついには支配してしまう未来を勝手に想像して戦々恐々としていたくらいである。

「でも、やめた。この世界には深海の闇ですら消せない炎が存在する。けど、そういう約束を、白露ちゃんは平然と、平気な顔して、無視しそう。コソコソすればするほど、カートゥーンめいた制裁が待ってそう」

「例えば?」

「風が吹いても桶屋は儲からない。この世界の猫は強い、からねえ。だからその代わり、風が吹いたら――バタフライ効果で北朝鮮に砂埃が立って、間違ってミサイルが発射される」

「ありそう。それは十分あり得る」

「どうする? また長月ちゃんに、助けてもらう?」

「いやあ流石の長月ちゃんも弾頭がどんなものか分からないミサイルは無理でしょ」

「ミサイル、怖いねえ」

「日本海側にも敵が現れるわけだし」

「そうなったら、さすがの私でも、ちょっと無理だねえ」

「いや提督はミサイルで死んでるから」

「五十センチ隣に立ってる斑鳩だって、死んでるよ?」

「ほんとだ。阿呆って怖いもんだね」

「怖いねえ、阿呆」

「春雨ちゃんが僕以上に異常なほど深海棲艦に似てることなんて誤差の範疇だよね」

「言えてる、言えてる」

「猫と阿呆が戦争の行方を握ってるとすら思えてきたよ、僕は」

 海花が正規空母『斑鳩』と艦名を改めてからの、これが傘姫との初めての談笑だった。探り合った腹をこねくり回すようだった二人の空気がこの天気のように心地よいものになったのはいつ以来だったか、斑鳩も傘姫でさえも忘れていた。二人は穏やかな気持ちで執務室の窓から、どこまでも広がる青い海と空、そして足元で何やら騒いでいる阿呆たちを柔らかい表情で眺めた。

「おっとストライクゾーンを外れるかな? しかしこの白露に見送りの文字はなーい!」

「逃ゲテクダサイ!! 傘姫司令官ト斑鳩サン、ソコカラ逃ゲテー!!」

 日向の製作する飛行物体は、罪の無いターゲットを意図せず狙うことに関しては期待を裏切らない可能性がない。

 まさかこうも早く、これほどしょうもない事で、しかも睦月や長月ではなく自分と傘姫を守るために、青い炎の力を使う機会が訪れるとは斑鳩には想像できなかったことだった。判断があと僅かでも遅れていれば自分と傘姫がミンチになっていたとはいえ、「僕の決意が……こんなくだらないことで……!」斑鳩は激しく嘆いた。

 羊の皮を被ったエイリアン、傘姫は腰を抜かして、この日は結局自力で歩けなかった。

 そして天照大艦隊に統合されて間もない姉妹艦隊の要人二名が一歩間違えば死んでいたことについて、一ノ傘は電や雷でも見たことがないほどキレた。エイリアンとはいえ一ノ傘鉄子と一ノ傘姫乃は従姉妹の関係にある。ぬらぁりと拳銃を持ち出し雷電姉妹に制止されている一ノ傘の姿を見たため、竹櫛は逆に冷静になることができた。

 自分のやらかしたこと、やらかしかけたことを問い詰められた日向は、テポドンが狙い通り北鎮守府に到達したことに満足気だった。航空戦艦理論によると少々出力が高いペットボトルロケット程度では乱数的可能性の壁を突破することは不可能であり北鎮守府に影響は出ないと供述し、南鎮守府から北鎮守府の間の空を兵器がすっ飛んでいくところを民間人に見られたことも、まぁ珍しい飛行機雲か何かに間違えられるだけだろうと昨今の情報共有社会にも恐れをなす様子がない。当然、派手な抜き打ち訓練をやらかしたばかりの艦隊に苦情とお叱りが殺到しないわけがないのだが、そこは航空戦艦が興味を持つところではない。これぞ鋼のメンタルが成せる業である。

 斑鳩と傘姫に並ぶ被害者が最上である。意識を取り戻した後に自室からルームメイトの三隈を追い出し、数日ほど閉じ籠もってしまった。

「あのぉ……起きていらしたら聞いてくださるかしら。よろしければ私たち、最上さんのお力になりたいと思ってましてよ。ほ、本当ですよの! ……今度こそは。ですから、この扉を開けて下さいまし! せめて無事かどうか声だけでも!」

【熊野:Lv.63】

 最上型は姉妹艦を見捨てる薄情者の集まりでは断じてない。しかし戦闘に臨む者は時として辛い決断を下さねばならない時もあり、最上の周囲ではその辛い瞬間が日常レベルで頻発するのである。誰にも熊野たちを責めることなどできはしなかった。

 




斑鳩が多重ログインしていた不具合を修正
……正直、雑な部分が多いなーとは思っていた回ですが、忙しい夏が終わって秋に入ってからもちょっと、いえかなり、ヤバい感じです。
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