球磨の薬指   作:vs どんぐり

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(R-15)第37話 磯風がいる世界

「叢雲の肌の冷たさが、気持ちよくて、たまらなく好きだ」

 ずっとずっと後で頭を冷やして考えて磯風と私の体温に大きな差なんてあるはずがないと気が付くのだけれど、今この時の私は口車に乗せられたと言うべきか、そういう気分になってしまった。必要以上の好意を乗せた言葉を貰ったのは初めてでもないのに、真正面から受け止めてしまうのがこんなにも危ないとは知らなかった。

 磯風が冷たいと感じるなら、私は磯風が温かいと感じることになる。そう意識した途端、ずっと受け身のされるがままだった私の身体が勝手に、磯風の温かさを受け入れようとしていた。気付いた時には私は色々と手遅れだった。

 くすぐったいと感じるのはさらさらと肌にこぼれてくる髪くらいになった。影に溶けるほど綺麗でも今だけは邪魔をして欲しくなくて、私は両手を上げて磯風の髪をかき分けた。そのまま手を磯風の背に回すと、うっすらと見える磯風が嬉しそうに微笑んだのが分かった。

 私たちはたぶん、初めてキスをした。

 たぶん初めて。ああ、なんて酷い関係でしょうね。今だって寝間着や下着を剥ぎ取って随分と時間が過ぎているのに、ここまで来てようやく心を重ねるようなキス――なんて考えてると呼吸も忘れて求めてしまった。磯風は今、何を考えてるんだろう。絡み合う音がどんな言葉よりもいやらしかった。

 布団の上に寝かされた私と被さる磯風、二人して手のやり場にさんざん困った後、握り合った。

 磯風の顔が離れた。

「叢雲が恥ずかしがっていた気持ちが今、私にも分かった」

「何のこと?」

「電気。風呂には普通に入れるのに不思議なことだな」

「あんた……この前偶然、浴場で二人っきりになった時に襲って来たじゃない。島風たちがあと少し早く入って来てたらどうなってたと思ってるのよ」

「見せつけてやればいい。と、さっきまでの私なら言ったかもしれないな。だが今になって急に恥ずかしくなった、というのも一つあるのだがな。それよりも、より深く理解したんだ」

 私に軽く身体を預けていた磯風は両手を解いて起き上がり、私を抱き起こした。カーテンの隙間から零れる灯りしかない部屋の真ん中で、世界の中心にでもいるような気分で座ったまま抱き合った。私たちは夜目はきいて当たり前だからお互い見たければ見えるけど、やっぱり直接の感触に勝るものはない。磯風の羨ましい胸が押し当てられる。くすぐったかった髪が当たらなくなった今は、ただすべてが気持ちいい。

 磯風は私の右肩に顎を乗せて耳元で囁いた。

「口下手ですまない。だがこれは紛れも無い本心だ。――私は叢雲を大切にしたい。傷つけたくないだとか守りたいだとか、言うだけならば簡単な事のすべての実現を以って信頼されたい。たった今この磯風が手に入れた気持ちこそ、『本物の愛情』なのだと思う」

 言葉だけなら本物になれる。私だってそれくらい知ってるはずなのに、今はただひたすらに本物だけを欲した。

 

 

◆――――◆

 

 

 最初の頃、磯風が吹雪と入れ替わるように私の部屋に転がり込んできたばかりなんてそりゃあもう酷いものだった。まず私に抵抗させないよう手を縛るのは当たり前で、足まで固定されたこともあったし、ガムテープで口を塞がれたこともあった。それに加えて吹雪から借りてきたいかがわしい道具を持ち出すのだから、そんなに私の怯える顔を見たいかと怒ったり泣かされたりするのはしょっちゅうだった。

 ドタバタした夏は昼間に汗を流した分だけ夜はグッスリと寝て、なんだかんだ充実していたのだけれど、磯風は欲求不満をこっそり貯蓄していたらしい。暑さと仕事が落ち着いたかなと思っていたある日に突然、ビックリするほど突然、私が「おやすみなさい」と言おうとした瞬間、爆発した。それ突き刺したら超えちゃいけない一線を超えるでしょうがって卑猥道具を使われそうになって、磯風の無防備なお腹に本気の膝蹴りを入れてしまった。深海の敵に備えて球磨に教わっている格闘術の尽くを磯風に向けて使っている気がしてならない。うずくまって動かなくなってしまった磯風と両手を縛られて動けない私。深夜に、しかも二人とも裸だったこともあって助けも呼べず、私の艦隊ライフもこれで終わりかと本気で覚悟した。どうにか自力で動けるようにはなった磯風だったけど、私たちはこの事がきっかけで変わったんだと思う。

 磯風は懲りないし、めげた後でもっと強くなる。

 膝蹴りのダメージを引きずっていた磯風は私と目を合わせようとはしなかった。まあ嫌われるのも仕方ないかなと強がっていた私が寝る時間になって、さて友人が減った記念に枕でも濡らそうかと布団に潜ろうとした時にようやく磯風は私の前に帰ってきた。

 先に謝ったのは磯風だった。

「雷に説教されていたんだ。そんなものは愛じゃない。愛がなければ気持ちよくないし、気持ちよくなければ愛じゃない。強引に奪おうとするなんて、あなたはレイプ犯になりたいのかと。厳しく叱られた」

 もう手遅れだと思う。十分やらかしてくれたでしょうが。そう言いそうになったけど私は膝蹴りの負い目があって黙って聞いた。

「では愛とは具体的にどうすれば手に入れられるのかと聞くと、雷は慈母のように教えてくれたよ。それは手に入れて初めて本物だと気付く。しかし本物を知っていなければ気付くこともない、とてもまどろっこしいものだと。例えばペットの犬に愛情を感じたとして、では叢雲のことも犬のように扱えば愛を得られるのか? 否。そうではないだろう」

 ……例え悪っ。

「私は明日から一週間かけて雷から本物を教わることになった。もう北鎮守府に二人分の仕事を作って寮も一部屋使うことにしている。だから叢雲。一週間ばかり部屋を空けるがどうか許して欲しい。この磯風は必ず戻って来る」

「長期遠征とかよくあるじゃない、大げさな。そのまま分隊所属になってもいいくらいよ」

 そして翌朝。本当に磯風と雷の一週間分のスケジュールが北鎮守府の方でキッチリ組まれているのを知った私が手際の良さに呆れたのは言うまでもない。磯風はまだ仕事の都合を好き勝手に操ることなんてできるはずもなく、雷には磯風のためを思うのなら愛じゃなくて仕事を教えなさいよと言いたかった。言いたかったのだけれど二人はとっくに北鎮守府に向かっていた。

「雷ですか? 私が起きた時にはもう準備万端でカロリーメイト食べてましたよ。よっぽど磯風との仕事が楽しみなんでしょうね。叢雲さんはそんなに呑気にしてていいのです? 磯風、取られちゃうかもしれないのです」

 電は無駄に私を煽りつつ欠伸もしつつ朝食をとりに食堂に歩いていった。

 最近、どいつもこいつも総旗艦を蔑ろにしすぎている。そう思ったのが二週間前の事だった。

 

 

 磯風が本物の愛なるものを獲得しに出ること一週間後、そして今からは一週間前、雷と帰ってきた磯風は部屋に戻ってくるなり私を抱こうとした。私は今度は加減して膝蹴りを入れた。

「やっぱりただ性欲を満たしたいだけじゃない、このバカ! 変態スケベ!」

 プリプリ怒りながら一日を終えたのだけど、ただその日、私の警戒を裏切って磯風がやけにあっさりと引いたのが少し気になった。

 私の異変は翌日の朝から始まった。

 普段通りに一日のやるべきことを頭の中で整理しようとすると、何故か磯風の事が真っ先に浮かんでくる。まあ本物の愛がどうだと言って一週間の修行から帰ってきたばかりだし気にもなるかと深く考えずに気を取り直して、午後は傘姫司令官と斑鳩が来るから会議の準備をしなくちゃ、ところで磯風はちゃんと無事に出撃から帰って来るんでしょうね、なんて……何故か、私は、ダメになっていた。

 磯風が頭から離れてくれない。この場に居もしないくせに私の邪魔をするなんて。それも油断していると今直ぐ顔を見たいという欲求に知らず知らず侵食されて、昼食のたぬきうどんを一口も食べずに冷やしてしまう有様だった。

「叢雲ちゃん? 大丈夫?」と声をかけてくれた吹雪のおかげで現実に戻って来られた。

「あ、ああうん。大丈夫。ありがと」

「大丈夫な顔してないよ」

 ずっと前にも吹雪に考え事してるのを見抜かれた事があったような。あの時は確か竹櫛のことを考えていて、今回は磯風……そう、磯風が……。

「叢雲ちゃん!」

「はひっ!?」肩を揺すられて再び現実に帰ってくる私だった。

「今日はもう休んだほうがいいよ。今の叢雲ちゃん、絶対に普通じゃない」

 よっぽど呆けた顔をしていたらしく、吹雪型のみんなに強引に引っ張られて寮の自室に放り込まれた。

 思えばこの時、吹雪に悩みを見透かされたような事を言われなかった時点で、私は疑うべきだった。牧歌的な顔の裏に雷から与えられたR指定知識を暗器のように隠し、時に人の心を看破するのに使い、時に人に巫山戯た道具を貸し与える、私よりも艦娘歴が長く、あくまで善意で悪魔的な道に迷い込んだ私と磯風の背中を押す吹雪を、私は疑うべきだった。

 恋は苦しいものだと月並に言うけれど、部屋に一人きりになってからが苦しさの始まりだった。認めてしまえば楽になると自分にほのめかせ、ええそうです磯風が気になって仕方がないんですと開き直ってしまうと、余計に磯風に会いたくなった。時計を見るか、磯風に抱かれた夜を思い出すか、そのどちらかしかできなかった。磯風の布団を引っ張り出して抱きついていた時に丁度、竹櫛から心配する電話が来て、……邪魔をするなと思ってしまうくらい私は異常だった。

 そう、異常。

 自覚はしていても、どうしようもなかった。

 夕方頃に磯風が部屋に戻った時、たぶん私は犬みたいに尻尾を振っていたと思う。「夕食なんてどうでもいいから一緒に居て」という言葉をすんでのことで飲み込んだのは本当によく我慢したと自分を褒めてやりたい。ただ磯風と食堂に行ったものの何かを食べる余裕なんてあるはずもなく、通りかかった雷がくれたカロリーメイトをちびっと齧った。私がどんな状態か知った上で心配してくれてたんでしょうよ、吹雪みたいに。

 そして無自覚に待ち焦がれていた夜。そろそろ肌寒い季節なのに暑くて熱い。寝間着をはしたなくはだけさせた私に磯風はゆっくり近づいて来た。もう回避が間に合わない敵の魚雷がスローモーションで見えるような、そんな感じだった。でも悪い気分じゃない。回避できないのなら仕方がないと自分に言い訳をしながら、磯風の唇を受け入れようとして――。

「おやすみ。叢雲」

 磯風は私の頬を指でちょんとつついて、寝てしまった。

 

 

 正気を失うと視野は極端に狭くなるらしく、私が亡霊のように駆逐艦寮を出て工廠あたりの暗い場所に消えていくのを夜勤組に見られていた。近寄らないでくれたのはありがたいけど、正気を失ってしまった艦娘を「ああなったらもう手遅れクマ。下手に近寄ったらクマ達も危ないクマ」あっさり見捨てる艦隊ってどうなんでしょうね。

 

 

 磯風なりの迷惑が過ぎるお茶目だったそうで、翌朝に見せてくれた笑顔は干からびそうな私には眩し過ぎた。

「今日は休暇を取得していてな。好きなだけ一緒だぞ、待たせたな。ああ叢雲の休暇も吹雪が取っておいてくれたから心配不要だ」

 磯風をグーで殴った勢いで自分まで倒れた。

 そしてその次の瞬間、私は磯風の上で目を覚ました(服はちゃんと着てる)。夜に寝たと思った次の瞬間には朝になっていて寝た気がするようなしないような分からなくなる、あの損した感覚と同じだった。

「今、何時?」

「午後二時を少し過ぎたところだ。まだ顔に疲れが残ってるぞ」

「誰のせいよ。――はあ。お腹空いた」

「私もだ。食堂へ行こうか」

 お腹を満たしたついでにお風呂に入り(何となく離れて湯船に浸かった)、私たちは駆逐艦寮まで手を繋いで帰るという暴挙に出た。誰にも見られてないか念入りに索敵したとはいえ、大井と北上の他に例がない小っ恥ずかしいことをしていると、ああ、私の頭は沸騰した後の残り湯になっちゃったんだなぁ、なんて泣きたくもなる。さすがに磯風まで顔を真っ赤にしてしまい、だから尚更、私は繋いだ左手を離せなかった。

 部屋に戻ったら今までの全部、全部が全部の仕返しをしてやろうと私は意気込んでいた。自分がこんな風になってしまった元凶の日、あの時の浴場でやったように、磯風が悲鳴を上げても休ませてあげるもんですかと。勝ち気な顔が歪んで可愛くなるところをまた私に見せなさいよと。許しを請えば請うほど燃やし尽くしてあげようと。

 ……私はいつからこんなにも思い上がった愚者になっていたんだろう。

 例えるなら、飼い主に遊べ遊べと突撃した子犬が優しく撫でられた途端にお腹をさらけ出しておとなしく服従してしまう感じだった。私が子犬に持ってるイメージが合ってるかどうかはさておき、私はこの子犬になり、磯風は飼い主だった。

 お腹を撫でられるだけでここまで気持ち良くなれるのかと味わう感覚に驚きながら、仰向けになった子犬のようにうっとりしてしまった。

「しばらくこの磯風を、叢雲に尽す存在でいさせてくれ。今までの不甲斐ない私を上書きさせて欲しいんだ」

 磯風の手はお腹やその周りを撫でつつ、もう一方の手はさっき帰ってくる時のように私の左手を取った。今度はただ握るだけじゃない。指と指を絡め合い感触を確かめ合って、愛おしむように。

 磯風が今まで強引に貪ってきた箇所にはまだ全然触れられていないし、服もお腹くらいしかはだけていない。それなのに、既に満ち足りた気分だった。本音を言えば、お腹から上の方や下の方に感触が伸びる度に期待はした。私のような誰かの吐息が上ずったものになると感触が逃げていって、ああこれは焦らされてるんだと気付きはしたけれど満たされない不満なんてない。十分に気持ちよくて、安心して身を委ねられて、ほんのり幸せだった。

 私は思い出したように空いていた右手を上げて、私の上で微笑んでいる磯風の顔に触れた。磯風にもこの気持ちを味わって欲しい。でも磯風ほど上手にできる自信なんてない。

「気持ちだけでも嬉しいさ」と言ってくれた。「まだ叢雲は疲れているんだ。時間はいくらでもある。今は休むといい」

「うん……ありがとう」

 起きたまま幸せな夢を見ながら私は、いつの間にか本物の夢の世界に入っていった。

 

 

 次の日、私は初めて無断欠勤というものをした。

 日向を筆頭とする阿呆たちがさんざん仕事を放棄しておいて今更、駆逐艦の一人や二人が寮から出ないくらい何ということもないと許してくれる司令官もこの世に存在するかもしれない。でも想像してみて欲しい。積み重ねてきた艦隊のデータベースを鑑みて部隊を編成し、艦娘に装備の許可を出し、さあ抜錨だと気合を入れようとしたところで旗艦がいない。あるいは鎮守府中に散らばった奴らのお尻に火を付けて回ってでもレポートを回収してまとめないと天照大艦隊データベースが狂ったり軍令部から怒られたりするのに、そもそもデータベースの管理者である総旗艦がいない。仮に艦隊運営をすべてイントラネット化したとすると、そもそも任務受付画面のお姉さんポジション艦娘が出て来ないから仕事にならない。――さすがにそこまでは言い過ぎで、実際には電の負担が増えるか他にも代理を頼める子はいるけれど、つまり私はそれくらい自分の立場に責任を持っているのだと表明したい。

 ……したいのだけど、まだ体調が優れないですごめんなさいとすっかり日が高くなってから連絡した私は、直前まで磯風とイチャついていたのだった。

「調子が悪いのは本当なのだから、気まで病むことはない。叢雲だって他の者にはそう言うはずだ」

「でも、こんなんじゃ私……」

「心の休養も体調管理の内だ。ほら、もっとこっちに。布団に隙間ができてしまう」

「うん……」

 結局、少し時間を置くと触り合いを再会してしまう私たちだった。こんな情けない自分で他の皆に顔向けができるはずもなく、昼食と夕食は磯風が溜め込んでいたカロリーメイトで済ませた。

 ところでこのカロリーメイト、ここ最近の磯風がおやつのように食べるものだから私もブロックの半分だけ貰ったりしてたけど、この前も誰かが食べてたような。流行ってるんだろうか。この『ようかん味』なる美味しくはないけど不思議と癖になるものが新登場して人気が出てきたとか?

 部屋の外でみんなが自室に戻る気配が落ち着いてくる時間になると、私は自分から下着姿になっていた。もちろん明かりを消した後で。弁解する余地もなく私から磯風を誘っていた。私は別に、お腹だけじゃなくてもっと他のところを触られても構わないのだけれど? ――なんてせめてもの去勢を張ることすらしなかった。昨日の陶酔感が忘れられない。あれだけの事で気持ち良ければ、誰だってまた触って欲しくなるに決まってる。

 なのに!

「んっ…………ねえ」

「どうした。触れられたくないところは言ってくれ」

「いや触れて欲しいんだけどね? そうじゃない、と言うか何と言うか……」

「ふふっ。おかしな事を言うなあ叢雲は」

 身に付けているものが下着だけだから肌の露出箇所は服をちょっとめくった時より断然多い。そして私の無自覚に近い期待通りに快感は露出分だけ増えた。……ぴったり露出分だけ。

 鎖骨から私の反応を楽しむように指を下ろしていって、以前までは人様の胸をオモチャのように好き勝手にしていたくせに、今はただ周りをなぞるだけ。胸なんて触られても恥ずかしいし噛みつかれて痛いばっかりでちっとも面白くないと私に印象付けたのは磯風なのに、今はもうはっきりと、何故か、快感がある。だからブラの下に手を入れられないのが余計にもどかしい。

 太ももの内側を舌でなぞられたのには驚いたけど、抵抗しない自分にはもっと驚いた。さすがに恥ずかしくて磯風の頭を押し退けようとするのに手に力がまるで入らない。もっとして欲しいのに力なんて入るわけがない。私の足に顔をうずめた磯風の前髪が、布一枚を挟んであそこに不意に触れ、つい腰がピクリと反応してしまった。髪で触ってしまうことは予想外だったんだろう、察知した磯風は顔を上げて私をじっと見た。たぶん私は物欲しい目で見詰め返していたんだと思う。腹立たしいことに少し勝ち誇ったような笑みを作った磯風は這い上がってきて、上半身を口で、下半身を手で攻めてきた。

 絶対に下着を着崩させることなく、私の芯を外側から炙り続けてくる。とっくにその気になっていた私を上げも下げもさせず、生かさず殺さず――途中で何度も負けを認めそうになったり休憩中に磯風をそれとなく触って促したりするうちに、朝というタイムリミットを迎えてしまった。部屋に明かりが入って来たことに気付いた途端に息切れするほどの疲労感に襲われるのだった。

「ね、ねえ……ちょっと」休憩しよう、と私が言いかけると同時に磯風はゴトリと布団に倒れ込み、そのまますぅすぅと寝息を立てはじめた。私が火照った身体を、オイルをなみなみと注いだランプのような身体を少しでも燃やしておこうと目の前で一人でしてみせても、磯風は幸せそうな顔をして夢の中だった。

「……天然悪女め」

 汗やら何やらでほとんど全身が濡れてたから拭いた後で自分と磯風に布団をかけると、私もすぐに落ちた。

 

 

 生活リズムが綺麗に反転したことは私たちにとってあまり不都合じゃなかった。トイレやシャワーで他の誰かに会う事もないし、食事は磯風のカロリーメイトが沢山ある。

 次の日もそのまた次の日も磯風は意地の悪い愛撫に終始し、私のなぶり方から探りを入れるような無駄が削ぎ落とされていった。

 何時間も私の反応を観察していれば当然といえば当然のことでしょうけど、それだけじゃない。磯風が不意打ちでたった一度だけ、ブラの上から爪で弾かれた瞬間、波のある呼吸を続けていた私の口から、自分が出したなんて信じたくない悲鳴が出た。絶対に隣室まで聞こえたくらいの大きさだった。狭い部屋の中でも少しだけ反響した声は悲鳴のくせに驚きが半分、もう半分は甘ったるい何かのように聞こえた。その瞬間に味わった唐突で強烈な刺激も忘れられないけど、それよりも私は自分の声がさらなる興奮と快感をもたらすことを知ってしまった。ただ恥ずかしいから我慢してたのに、さらに部屋中に声を響かせたい欲求まで我慢しないといけない。知れば知るほど気持ち良いのに辛くなる。加えて磯風が上手くなればなるほど私は声を我慢しないといけなくなって、そんな私を見るほど磯風は私の弄び方を覚えていく。これが気持ち良くて堪らないから逃げることもどうすることもできない。私は磯風にどこまでも深く溺れていった。

 

 

 そうして、こんなにも不純な関係を築き上げていると一週間なんて瞬く間だったように思えた。私たちは今、初めて唇を重ねたこの時に至る。

 いまさら言葉にするのは照れくさいし、昨日まで積み重ねてきたように触れ合って結ばれるのも悪くないかな、なんて根本から変わった自分に少し驚いていたりする。素直になるとはこういうことなのだろうか、それとも単に頭がダメになってしまったのだろうか。まあどっちでもいいか。そう思える変な強さを私はいつのまにやら手に入れていた。

 何か大切なものを捨ててしまったかもしれない。けれどやっとお互いの身体のすべてを晒し合うまでに達したことに比べたら、どうでもよかった。

 

 

◆――――◆

 

 

 正直なところ、という前置きも必要ないくらい、以前までの私は磯風との触れ合いに消極的だった。磯風を特別に見ていたわけでもないし、自慰よりも気持ち良かったことなんて覚えてる限りでは四本目くらいの電動マッサージ機を使われた時くらいだった。

 一本目から三本目までは見る度に破壊して(吹雪はその都度買い直しているらしい。引くわよね)それでもあんまり磯風がしつこいから、それと、まあ、私もそりゃあ興味が無いはずがなかったから折れたわけで、あの「家庭用電源の力は偉大」と思わせる振動に私は為す術もなく何回か負けてしまった。この時だって磯風が調子に乗って強さレベルを最強にしやがったことで、下半身が血の流れが止まったように麻痺してしまい、手は縛られてるから渾身の頭突きを食らわせて止めさせるというムードもへったくれもない遊びに終わった。

 せっかくの磯風の好意を無下にせざるを得ない私の身にもなって欲しかった。仮にも身体を許してるんだから、心まで許してもいいかなと思えるような、いや私は決して同性をそんな目で見る趣味はないけどそれでも、下着の下を触られて私も触り返すに足る気持ちが欲しかった。

 

 

「たった今この磯風が手に入れた気持ちこそ、本物の『愛情』なのだと思う」

 向かい合って座った磯風はそう言った。

 今更そんな事を言うなんて、磯風の方だって気持ちを持っていなかったみたいだった。酷いヤツだと思った。

 言葉は行動で証明してくれた。私のあそこに優しく触れた磯風の指から、さんざん待たされた分を補って余りある愛情が伝わってきた。

「んっ……!」

 用心してたのに声を上げそうになる。部屋の壁は薄い。気を強く持つしかない。

 指の動きそのものはマッサージくらいの強さしかない。自分でもこんなに優しく触ったりしない。それなのにくすぐったくないどころか、上から下に、下から上になぞられる毎に私の口から小さな声が漏れた。自然と腰が跳ねてもっと強い感覚を欲してしまう。優しい火は私をゆっくり確実に炙った。

 磯風のもう片方の手が私の左胸に不意打ちのように伸びてきたせいで、誤魔化しようのない喘ぎ声が暗い部屋に響いた。これで確信した。私も磯風が手に入れたらしい本物の感情を持っている。心臓のバクバク鳴っている鼓動を感じ取られないか、もしかして磯風より緊張してるんじゃないかと思うと、磯風のものより随分と寂しい胸に収まりきらない快感を与えられた。

 胸のことを気にしたのを悟られたのか、急に手つきが少し荒くなって乳首をしごかれた。

「や、やだ……!」抵抗しようとすると布団に押し倒されて、いつもの二人の位置になった。今は磯風が完全に優位という違いはあるけれど。

「嫌じゃないさ。そうだろう?」

 急にそんな事を聞かれた。

 強がったことを言う前に、この時を待っていたかのように秘所を炙る火が強くなる。

「あ、ああっ!」狙われた。今の私が言葉を出そうとすればこうなると分かってやられた。

「自分の器は自分ではない誰かに満たして貰うものだ」

 磯風の言葉と感触だけが私のすべてになる。そのくせ耳がくすぐったいのが舐められているからだと気付くのに時間がかかった。頭の中をくすぐるようなぞわぞわしたものから逃げようとすると、「器を満たされる喜びを叢雲にも知って欲しい」今度は蛇のように胴体をなぞり、心を締め付けてくる。

 私はお腹を撫でられた日の事を思い出した。たったあれだけのことで満足していた自分がばかばかしい。ずっと動きを休めない磯風の手から逃れようと腰が意思に反して跳ね回る。私を満たそうと注がれ続けるなんて経験がない。これだけ長い時間を絶頂も迎えずによがり続けたことなんてない。

 腰から下と上は、動かす気力はなくなっていた。足なんて腰が上がる時にちょっと支えるだけの棒だったし、下手に手で遮ろうとしたら磯風は「叢雲の弱点はここ数日で調べた」と言葉にはせず徹底的に責めてきた。

「冷たい肌が好きだとは言ったが、鼓動が聞こえる熱いここも好きだ」

 胸に顔をうずめられ、中まで手に取られているようで押し退けようとすると、両方の胸から離れなくなり信じられないくらいそこが弱いことを教えてくる。

 抵抗すれば手荒くなる。その事を磯風はたっぷり時間をかけて教え込もうとしてきた。ペットの躾をされる私がどれだけ辛いか、歯を強く噛み締め過ぎていよいよ我慢できそうになくて、でも耐えるしかなかった。明らかにまだ前哨戦だと分かってしまう分だけ先が想像できなくて余計に決壊も早くなってしまい、磯風だって……こんなに早く私が絶頂までいってしまうとは思いもしなかったでしょうよ。

 私が必死で口を押さえながら、腰は暴れるように痙攣して磯風の手をはね除けようとし、磯風は軽くクリトリスに触れることで、まるで馬をムチで落ち着かせようとするように指を激しくしていった。

「お、願い……もう……無理、無理だからぁ……!」

 なんとも情けないギブアップだと自分でも思う。

 私の股間に顔をうずめて舌を這わし始めていた磯風は私の声が涙声だったことに気付いたからか、やっと止まってくれた。

 どれだけの時間を上り詰めていたんだろう、磯風が離れた後も感触がなかなか肌から消えてくれず、それは余韻と呼ぶには強すぎた。しばらくは深呼吸も満足にできなくて波が収まってくれるのを磯風の腕にしがみつきながら待った。涙を拭おうとした腕は汗でびっしょり湿っていた。ずっと閉めきっていた部屋の空気は私たちの熱気でこもっていて肌を冷やすような涼しさはない。

 なんとか落ち着くと、二人並んで横になり手を繋いで天井を見上げた。天井のシミでも数えてないと磯風の指ばかりが気になるのに、あいにく部屋が暗くてシミが見えない。私を念入りにいじめてくれた指は、今は私の手を優しく包んでくれている。

 自分ではほとんど何もしていないはずなのによほど疲れたのか、興奮と一緒に睡魔まで襲ってきた。

「……ごめん」磯風の期待に応えられなかった上に寝落ちなんて許されるはずがない。本当なら今頃は我を忘れて燃え上がっていただろうに、すっかりクールダウンしてしまっている。

「謝るのは加減を見誤った私の方だ。生まれ変わった私をもっと味わって欲しかった」

「二週間前だっけ、本物の愛がどうこう言って訓練しに行ったのは。ねえ、何したらこんな技術が身に付くの? そんなに雷が怪しげな技術を――」

「今は他の者はいいだろう。私だけを見てくれ」

 スネた磯風も可愛い。なんて横顔を覗き見ると、その表情は真剣だった。

「二人っきりになれる場所に行かないか」と磯風は言った。

「もう二人っきりじゃない、私たち」

「そうじゃない。誰にも邪魔されない、私たちだけの場所だ」

「何処にあるの?」

「探しに行くんだ。鎮守府の外に」

 磯風が冗談でこんな事を言うヤツじゃないのはよく知ってる。だから問題は私が冗談扱いするかどうかだった。

 磯風は両手で私の手を取り、真っ直ぐ見つめてくる。その選択をさせる真面目さに少し不満を覚えた――私たちは何時でも何処でも一緒じゃないの? どちらかが離れたら残された方は黙って残るの?

「自由の代償は決して小さくない。それでも声を上げたい時に上げられるようなムッ!?」

 磯風のグダグダ喋る口に自分の口を押し当てた。やった直後に「キスで黙らせる」キザなアレだと気付いた私はすぐに顔を離してそっぽを向いた。

「……連れてくなら早くしなさいよ!」

 

 

◆――――◆

 

 

 身体を拭いて外出用の地味な服に着替え、最低限の貴重品をポケットにつっこんだ私たちはそろりそろりと駆逐艦寮を出た。外の新鮮な空気を久しぶりに吸い込んだ気がした。

 深夜とはいえ静か過ぎる気がした。総合棟も含めた鎮守府全体の窓明かりが普段よりも極端に少ない。誰か一人くらいはすれ違いそうなのに姿も見えない。でも今は好都合だった。

 仕事では海だけでなく陸の方にも用事はそれなりにあるわけで、遊びにだって行くし、鎮守府の外に出たら即射殺されるわけでもあるまいし、なのに、正門が見えてくると私の歩幅は自然と狭くなった。「射殺は」されない。なぜなら陸の方に銃口あるいは砲口を向けてはならないから。だから、それ以外の恐ろしい番犬が正門で待っているような確信にも近い勘がある。警備員が一人立っているだけの門だけれど、「目に見えるレベルの話ではない」ことを私は確かに知っている。

 遅れる私に後ろから引っ張られるように磯風が止まった。

「やはり怖いか?」

「……ううん。大丈夫。行きましょう」

 今は目に見えるものだけを信じたくて私は止めていた歩みを進めた。

 警備員に身分証を見せて正門を一歩出たその瞬間――さすがに近くで見れば金剛が警備員に変装してることくらい分かった。けっこう様になってるとはいえ、どれだけ長い付き合いだと思ってるんだろう。

 金剛は私たちを捕まえようとしなかった。見逃してくれるのか、それとも見捨てているのか――私が逡巡したタイミングを見計らって、いきなり空から降ってきたものに押し伏せられた。

「かはっ……!?」

 全身まんべんなく地面に叩きつけられ、隣で磯風も同じようにされているのが見えたのが最後の記憶だった。

 金剛は囮だった。そして何もない空から降ってくる変態じみたヤツなんて、まあ、一人しかいないわよね。

 

 

◆――――◆

 

 

 目覚めれば医務室というパターンは前にもあったけど、けっこう心臓に悪いので出来れば次からは穏便にお願いしたい。

 部屋の隅にある私のベッドはパーテーションで他から隔離されていた。自分がやらかした事を思うと「R指定艦娘注意!」と有害物扱いされているようで凹む。悪いのは私だけど凹むものは凹む。

 部屋の時計は11時12分を指している。全然眠り足りない、眠い。ということは私が磯風と脱柵を試みてから数時間しか経ってないんだろう。服もあの時のままだった。お風呂に入りたい。

 眠い以外に体に不調があるわけでもなく起き上がると、枕元に『起きたら金剛まで電話しろ Bitch』と書かれたメモと私のスマホが置いてあった。……思わず磯風の姿を探してしまう私だった。私のこと愛してるなら代わりに死んでくれないかなあ。

「死なれちゃあ困りマス。叢雲に死なれたら誰が総旗艦やるんDeath?」

 恐る恐る呼び出した金剛は怒ってるというよりも疲労とストレスが堪えきれない様子だった。リンゴと皿と果物ナイフを持ってきたものの「元気があるなら自分で剥くネー」私に丸投げする有様である。お腹はちょっと空いてたからありがたいけど。

「早く仕事をバトンタッチしたいのでさっさと話しマスが、一つ守ってクダサイ。今回の件については他言は許しマセン。愚痴もダメ。SNSもダメ。酔って口を滑らせるなんて論外デス。誓えマスか?」

 こうして金剛に注意を向けている今もどこかに球磨が潜んでいそうで、怯えながら「……誓います」結婚式で言いたかった台詞を言わされた。

「Good. つまり現在の我々、天照大艦隊が何らかのアタックにより深刻なダメージを受けていることを、得体の知れない何者かに悟られたくないんデス。砲弾ブチ込まれて痛くても No problem なフリしてれば敵も怯んで攻撃が一瞬止まるデショ?」

「駆逐艦が真似したら沈むけどね。……深刻なダメージ、って?」

「ヘイヘイヘイヘイ頼むヨ総旗艦。まさか自分が蒸発しても代わりはいくらでもいる、なんて思ってないでしょうネ?」

 この一週間のどこかでも自分の立場について考えた事はあった。いつだって私の責任は変わらない。

「私の代わりなんているわけない。万が一のために託せるようにはしてても、その時が来ないように私は……私は、そのー……自分を大切にする努力と言いますか……空席を作らないために、色々と……するべき、ですね。……はい。ごめんなさい」

「ここ数日、連絡も寄越さず部屋から出なくなった総旗艦の代わりに誰が働いたと思いマスか?」

 金剛ってたまに怖くなる。阿呆ばっかりだから真面目な怖さに耐性がつきにくい。

「マア、働いてたのは電なんデスけどね」

「あんたじゃないんかい」

「でも昨日の晩、ついに堪忍袋の緒が切れて雷と吹雪をブチのめしてゲロさせたんデス。ずっとピリピリしてマシタが今朝なんてもう Breakfast も入らないくらい胃が痛いヨ。ぜんぶ叢雲のせいだからネ」

「どうして雷と吹雪が出て来るの?」と疑問を口にしてはみたものの思い当たるフシはかなりあった。あの二人が磯風をそそのかしたと言っても過言じゃない。でも真相はより悪質だった。

「コレに覚えはありませんカ?」と金剛が懐から取り出したるは、私と磯風が引き籠もるにあたり主食にしていたカロリーメイト(ようかん味)だった。

「よーく見てクダサイ。また食べたいと思いませんカ?」

「いやあ? 何故か癖になる味ではあるけどね。でも美味しいかと聞かれるとかなり微妙よ? 磯風はたくさん買い込んでたけど、種類を選べるなら私はチョコレート味にするわね」

「フム。中毒性は無いみたいデスね」

「中毒性?」

「ようかん味なんて怪しいモノ、手を出す前に成分を確認しなヨ。ホラ」

 金剛に手渡されたパッケージの裏側を見た私は「……恋はダイナマイ」とつぶやいた。

 いや、だって、そう書いてある。カロリーメイトの特徴説明やグラム当たりエネルギー何キロカロリーとか書いてあるべき成分表がすべて『恋はダイナマイ』に書き換えられている。あまりの意味不明さが不気味でつい布団の上に投げ捨ててしまった。

「な、何なのよこれ……!」私はずっと、こんなものを口にしていた?

「ダイナマイトはようかんの味がするって言いマスからネ。『恋は Explosion だ』とでも言いたかったんデショ。有り体に言えば惚れ薬ネー」

「ほれ、ぐすり……?」

「効果は実証済みヨ。雷と吹雪の喉にコレ押し込んで二人を部屋に軟禁したら、一時間も経たずに大井と北上みたくなってたヨ。マア、元々そーゆーのに抵抗のない二人が惚れ薬の被験体に適してるとは言い難いんデスが、少なくとも強烈な促進効果はあるみたいネ。人間が発情期の猫みたいになるのは逆に見てて面白……ソーリー。ちょっと無神経すぎマシタ」

「大丈夫。私の不注意が招いたことだから」なんて強がろうとしても偽物の愛情に眩まされていた昨日までの一週間が頭を過り、金剛が言うことの方を嘘だと思いたい気持ちが捨てられない。あれだけの熱を持った心の底からの気持ちが嘘で偽物で做られたのなら、私はいったい何なのだろう。

「だから天照隊は攻撃されて、叢雲が標的になったってことデス。狙い撃ちされたのヨ。さっき総旗艦の責任がどうこう言ったのは正しいヨ、でも絶対な防御なんてあり得マセン。風邪だって普通にひくでショウ。インフルエンザはもっと強敵ネー」

 それから金剛は事件のあらましを説明してくれた。

 金剛がようかん味カロリーメイトの事を知ったのはほんのついさっき、9時だったらしい。警備員に変装していた時点では惚れ薬云々なんて知らず、ただ危ない顔した艦娘が危なかったから監視していただけということになる。

 その一方で、カロリーメイトの事を金剛に伝えた電も、脱柵未遂事件をその時に聞いたのだという。

「怒った事をコミックで表す時の怒りマークってあるデショ? 血管が浮き出るヤツ。あれリアルで見ると恐ろしかったヨ~。電にファイティングパワーが無かったコトが今回最大のラッキーだったかもしれマセン。制止しなきゃ雷と吹雪がこの世からサヨナラしてマシタ」

 つまり私の異常に気付いていた二人が(と言っても誰から見ても異常だった)それぞれの方向から動いてくれていた事で逃亡に至るプロセスの解明、そして私が磯風一人のために天照大艦隊を捨てようとした疑惑の解消がなされた――で合ってる?

「どちらか片方でも情報が抜けてたら駄目デシタ。カロリーメイトの事が分からなかった場合、叢雲は頭がイカレた艦娘として処分されてたデショウ。逃亡が気付かれずに成功していた場合は……マア、球磨なら数時間で連れ戻せるデショウけど。死体を運ぶより自分で歩かせた方が楽とか言いそうネー。仲間想いな仲間を持ったことを感謝シナサイ」

「感謝します」私は素直に頭を下げた。「この変なカロリーメイト、出所は? まさか普通に売ってたりしないわよね」

 内容物がきな臭い点と、パッケージが不気味である点を除けば本当によくできてる。商標権とかを全力で侵害してる。

「調査中、と言っても発覚したばかりデスし、球磨のサーチアイに引っかからなかった時点でラビリンスに入りそうヨ。今は雷と吹雪の毒が抜けるのを待つ他にないネ」

 ナイフの扱いを習っておいて今更だけど球磨って何者なんだろう。近接格闘に秀でるだけじゃなく、夜間でも当然のように敵潜水艦を仕留めて「運が良かったクマー」と通常どうしようもない脅威を取り除いてくれたり、本当に今更、球磨の野生の勘のような何かを疑う者は艦隊にいない。目の前にあるカロリーメイトだって球磨が注視して得体が知れない物だと言うのなら、たぶん誰にも分からないんだろう。

「一応、おバカ二人に食べさせる前に軽く聞いたそうデスが、雷も吹雪も自分の部屋で見つけたらしいデス。しかも自分のデスクの上にポンと置いてあって、怪しいとも思わずに『恋はダイナマイ』を試したくなったトカ。脳ミソが蛍光ピンクじゃあないと真似できマセン。だからこそ蛍光ピンクがケミカルアタックの始点として狙われたんでしょうネ。もし攻撃が叢雲まで届かなかったとしても蛍光ピンク二人――最高練度と最古参が無力化された時点で艦隊にとっては十二分な痛手デス。まったく恐ろしいウェポンがあったものヨ。こんなジョークグッズに引っかかる自分たちも情けないデスが」

「この艦隊を狙った攻撃……そう解釈して間違いないの?」

「ヘイ叢雲。自分がハニートラップに引っ掛かったコトは自覚してヨ?」

「…………」謝罪の言葉も出ないほど情けなくなった。

「斑鳩――元葛城の親子に襲われた時もピンチでしたガ、あの時は少なくとも天照隊の誰一人としてダメージを受けてナイ。デスが、今回は叢雲を無力化された上に危うくサヨナラするところデシタ。ついでに電もブチ切れて冷静さを失ってマスし、この二人の代理を担うべき蛍光ピンク二人も結果的に一時戦闘不能。もしワタシが天照隊の敵なら今この瞬間を狙いマス。何も起こらないのが逆に不気味なくらいデース。本気で艦隊がピンチだと思ったのでワタシが最善と思った行動を取りマシタ。――叢雲の様子はここんとこちょっと変でしたガ、医務室でリンゴ食べたら元通り。よかったネ。ワタシ達は昨日も今日も異常ナシ。間違ってもジョークグッズ如きで提督や副提督が狼狽えるような事態だけは避けなきゃならナイ。提督二人の資質にケチつけたいわけじゃあないヨ。ただ、いたずらに流すべき情報じゃあなかった。正気に戻った総旗艦にも意見を伺いたいネ。このカロリーメイトは提督に提出するべきでしょうカ?」

 私に意見なんてできるはずがない。でも天照隊の総旗艦に戻るなら、ここで考えて指示を出せ、と言われている気がした。

「司令官、副司令には真相まで含めた情報を集めてから報告しましょう。その調査だけど……ねえ金剛。こんなに情けない私だけど、今までみたいに頼ってもいいかしら?」

「任せるネー!」金剛は待ってマシタとばかりに親指を立ててくれた。本当に、ずっと頼もしい戦艦でいてくれる。

「この件を知るのはワタシと叢雲、球磨、電、雷に吹雪だけデス。この六人でコッソリ調査を進めまショウ」

「磯風も合わせて七人でしょ? そういえば磯風は? この部屋にはいないみたいだけど」

 金剛の頼もしい笑顔が途端に曇った。

「さっきから磯風の名前が全然出て来なかったけど、あいつだって被害者でしょ?」

「加害者デス」感情が入る余地のない即答だった。

「雷と吹雪だって『恋はダイナマイ』は効果があったら面白いネ、くらいのつもりデシタ。偶然やって来た磯風に渡した時もジョークグッズのつもりだったそうデス。自分で食べたら意味ありませんカラ、クズ二人は磯風を実験台にしたんデスね。そして運の悪いことに本物の惚れ薬だった。どこまでが犯人の計算通りなのカ……。さらに運の悪いことに……磯風も超弩級の阿呆ヨ。自分の叢雲に対する想いと行動は全て本物だ、惚れ薬なんて関係ない、何もかも自分の意思だ……と、最後まで主張を曲げなかったヨ」

「な、何よ、最後まで、って……」

 聞きたくないのに、私は知らないうちに金剛の両肩に手を伸ばして揺さぶっていた。

「ねえ!! 磯風は!?」

「辞めたヨ。艦娘」金剛の言葉は体を埋める鉛のように重かった。「自分のせいで総旗艦、そして天照大艦隊を危険に晒したって。提督には実家の都合がどうとか適当なこと書いた紙を出して、自分から解体処分を望んだヨ。こうなる事が分かってたような早さデシタ」

 私は医務室を飛び出して誰かを突き飛ばしながら寮の自室に走った。

 目眩で吐きそうになるのを堪えながら数時間前まで磯風と抱き合っていた部屋に飛び込むと、そこは半分だけが見慣れた様子だった。私の机、私の棚、私の荷物、私の布団。もう半分は――最初から何も無かったかのように綺麗だった。元々そんなに荷物はなかったけど制服や本だったり色々あった。あったはずなのに、今はすべて嘘だったように何も無い。思い出ごと私の世界から消えた気がした。ただ部屋に唯一残った私たちの匂いだけが鼻にツンとしみた。

 私は泣いた。できる限り大声を上げた。私の声を聞いた磯風が慰めに来てくれると信じて。

 でも集まって来たのは大勢の他の誰かで、私はまた医務室に連れ戻された。

 

 

◆――――◆

 

 

 明らかに適正がなく、沈まれる前に辞めてもらう子は多くはないけど少なくもない。働かない阿呆、働くフリをして遊ぶ阿呆、そんなヤツらでも死なれるよりはずっといい。『艦』だから辞める時は『解体』なんて不名誉な言われ方をされても、沈んで、死んでしまうよりはずっといい。その子の為にも、そして私たちの為にも。

 磯風の解体は、じゃあ、誰の為だったんだろう。

 私の部屋は一人部屋になった。仕事には復帰した。

 勝手に進んでいく時間に合わせて動いていると何となく一日が終わる。

 解体した装備がまだ工廠に残っていて使い道が決まらないと、それとなく気を遣ってもらっても、見る勇気がなくて工廠には近づけなかった。

 司令官に天気の話を振られると、外は雨が降ってるような気もすれば風が吹いてる気もした。

 すべてが灰の色をしているから、たぶん天気はよくないんだろう、と思った。

 

 

◆――――◆

 

 

 食堂の騒がしさには近づく気になれず、今日も売店でパンを買って済ませようとした。

 すると。

「む。いかんぞ叢雲。こんな菓子パンでは精がつかん。ほら、このカツサンドも一緒に買え」

【磯風:Lv.18 → 売店のアルバイト】

 なんか売店のお姉さんがエプロン姿の磯風に見えてきて、これはもう私もダメかな解体されるっきゃないかなと思えてきた。吹雪型駆逐艦五番艦、天照大艦隊総旗艦、叢雲もいよいよ寿命かもしれない。

「それとコーヒーの飲み過ぎだな。いいだろう。この磯風が昼食を選んでやる。まずはプロテインだ。叢雲はもう少し肉的なものを付けた方がいい。バルジはバランスが肝心だ」

「……何してんの、あんた」

「だから叢雲の昼食メニューを選んでいる。ああ、プロテインは嫌か? 確かに胸部装甲に変化がないのに他ばかりの増強も考え物だからな」

「こいつっ……!」

 思わず太股に手を伸ばしたけど指が空を切り、ナイフを装備し忘れていることに気付いた。なんだかもう色々と阿呆らしくなってくる。ホントにもう。

「解体されたんじゃあなかったの? ここで何してるの?」

「売店のアルバイトをしている」

「見りゃ分かる。どうしてあんたが平然と売店のアルバイトをしてるのかを聞きたいの、私は」

「うむ。実はこの鎮守府を出た直後に傘姫司令から連絡があってな。敷地を出た瞬間に電話が掛かってきたから本当に驚いた」

 またあの人か……。

「自分の下でアルバイトをしないかと持ち掛けられたんだ。北鎮守府は人の出入りが増えたはいいが買い物をするところ、アカシマートすらないだろう? だから私をしばらくここで働かせてノウハウを積ませて、そのうち分隊支店を作る腹積もりだそうだ。ゆくゆくは私も店長ということだな」

「前向きですこと」

 普通の店なんて、面白くない、でしょ? と傘姫司令の声が聞こえてきそう。北鎮守府には空っぽの設備ならあるんだし普通でよければすぐにでも店ができるはずなのに。

「こういう形での戦い方もある、という事さ。一度解体されたくらいで戦いに背を向ける気はさらさら無かったし、またこの艦隊で働けるならそれが最善だ。それに……私はまだ謝罪すらしていない。済まなかった叢雲。危険に晒してしまった事を償わせて欲しい。どうかもう一度だけこの磯風にチャンスをくれ。また私と布団を並べてくれ!」

 ぜんぜん懲りてない。私の涙を返して欲しい。

「今はどこに住んでるの?」

「そこだ」と磯風は売店のレジ奥を指した。「事前準備として、昨日までは何故か『ハングド・キャット』という喫茶店で住み込みの研修を受けていたのだがな、カレーの作り方を覚える前に研修が終わってしまったのだ。噂には聞いていたが傘姫司令の考えている事はよく分からん」

「普通にクビになったんだと思うわ」

「とにかくだ、こうして早く鎮守府に戻って来る事ができたのは幸いだ。しかし……なんだ。ほら。再び叢雲に会うことができたんだ。分かるだろう?」

「何が」

「だ、だから……恋しくなるものだろう。駆逐艦寮の、あの部屋が」

 ぜんっぜん懲りてない。どうして阿呆に限ってメンタルが鋼のように強いんだろう。

「嫌よ。もともと私は天照隊ができる前までは一人部屋だったの。どうして久しぶりに手に入れた一人部屋に、変態を入れないといけないのよ」

「変態とは何だ! そもそも私をこんな風に変えたのは叢雲じゃないか!」

「はあ!? 私がいつ何をしたって――! ……。」

 ……そうだった。どちらかといえば悪いのは私だった。

 私が浴場で磯風を慰めた時のことを思い出したのが顔に出たのか、磯風は「ほら見ろ!」と畳み掛けてきた。

「責任はしっかり取って貰う。そして私も責任を取る。だから一緒に住むのが実際的だろう。今日の夕方にでも引っ越すぞ」

「いや、あのね? 百歩譲って私が許可してもよ? ちょっとキレ気味の金剛とか見たでしょ? 正直あんたと今こうして顔つき合わせてるだけでも、どこに潜んでるか分からない暗殺者が襲って来そうで怖いのよ」

「もし殺されそうでも、納得して貰えるまで説得するさ」

「頭は本気?」頭は大丈夫? 本気なの? が混ざった言葉である。

「研修を受けていた喫茶店では他の艦娘も働いていたのだが、全員から漏れ無く艦娘らしからぬ雰囲気が微かに感じられてな。外見は普通でも、まるで海の裏側の世界に引きずり込まれそうな気配を漂わせていた。まあ、何故か冷や汗が止まらなかった原因に気付いたのは店を出た後の事だったがな。深海棲艦とも違う、あの世界の方へ足を踏み外すくらいならいっそ味方の手で処分されたい……そう思えるような……なのに全員が親切で、丁寧に仕事を教えてくれるんだ。カレーの作り方は途中だったが」

 よっぽどカレーを作りたかったらしい。

「短い研修で表面的には何ともなかったものの、終わってみれば、何も知らずに航行していた海域が機雷原だったと知ったような気分だ。かつて味わったことのない種類の恐怖だ……。だから、今更ちょっと天照隊の誰かに殺されそうになったところで取り乱したりはせん。精神をかなり鍛えられ――そうか! 傘姫司令の狙いは精神鍛錬だったのか!」

「いや、売店のアルバイトにそんな精神はいらないと思うわよ。お腹空いてるから早くお会計」

「すまないが無理だ。この店にはレジが無いからどうしていいか分からない」

 研修の意味がない! そんなんで私にプロテイン売りつけようとしてたのか!

「いつものお姉さんは?」

「私に店の鍵を渡してすぐに、しばらく休暇を取ると言って旅行に出掛けた。ずっと京の都に憧れていたらしい」

「……確かそこらへんにお金が仕舞ってあるから、勝手に使えって事でしょ」

「おお金庫があったぞ。しかしダイヤル式だ。番号は分かるか」

「もうお釣りは後でいいから今は記録だけしといて、お姉さんが旅行から帰ったら処理して頂戴」

「了解した。しかし叢雲、プロテインを買うには最低あと三千円ほど足りないが?」

「いらないっつってんでしょ!」

「ふふ、冗談だ」

 パンを入れたビニール袋を受け取る時、磯風の両手が私の手を優しく温かく包んだ。磯風の真っ直ぐな目はそのまま信頼の強さを表していると素直に受け取れる、そんな不思議な力があった。

「また叢雲に会えて嬉しい。本当に」

「……ま、野垂れ死んでなくて良かったわよ」

「おっと他の客が来そうだ。続きは今晩、私たちの部屋でゆっくり話そう」

「この売店はあんた一人の働きにかかってるんだから。休む暇なんてないでしょ」

「お、おい見ろよ! 磯風だ! 売店のお姉さんが磯風になってるぜ!」と騒ぐ深雪に続いて吹雪たちも入ってきた。特に詳しい事情を知る吹雪は言葉も出ないほどの驚き様で、磯風と私を交互に見て、説明が欲しいようだった。私はニッコリしながら吹雪の肩を叩いて売店を後にした。

 しばらくぶりに心が晴れ晴れすると、部屋の掃除をしなくちゃと思い当たり、小走りで駆逐艦寮に向かった。

 自分は小走りのつもりでも他人からはスキップに見えたらしい。数分前まで廃人のようだったヤツがスキップしていれば、そりゃあ気が狂ったと思われるのも不思議じゃない。

 やれ叢雲がついに狂っただの、やれ磯風の怨念が売店に現れただの、鎮守府はちょっとしたパニックになった。私はその様子をケラケラ笑って眺めていた。

 

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