◆―【球磨さんのナイフ】―◆
「今日やるべきことを今日やると実際疲れる」
格言めいて尚且つクソみたいなことを言って、傘姫提督が自室に引っ込んでしまいました。そして困った事に、この僕も、午前零時になったら気晴らしに執務室を出て、そのまま業務を終了してしまう事が多くなってしまったのです。執務室の明かりは明日の朝に消せばいいやと。南鎮守府の本隊から来てくれる助っ人たちは誰もが夜更かし好きですから、気付いて消灯しておいてくれる事もあります。というか皆、僕のことを過労で深海棲艦になりやしないかと気遣ってくれる優しさっぷりですから、その好意に甘える余裕が僕にはできた、ということなんでしょう。
「斑鳩さんがちゃんと休むための姉妹艦隊です。夜遅くまで働くなら睦月たちにも仕事を分けてください。あ、でも電気はこまめに消したほうがいいと思います」
【睦月:Lv.44 → 69】
命を救われた上にこんなことまで言われては甘える他にありません。布団を用意して貰っておきながら眠らない失礼がどこの世界で許されるというのでしょうか。
まあ、睦月ちゃんクラスの頑張り屋さんになると手伝い感覚で仕事を奪いにきてワーカホリックになろうとするので、そこはバランスです。助け合ってこその姉妹艦隊です。いやー睦月ちゃんがあと一年早く艦娘になっていればなーと詮無いことを考えずにはいられません。十分に成長した睦月ちゃんと僕が出会えていたら……目から青白い炎を出した時点で決断的殺処分されていたかもしれませんね。くだらない妄想歴史はくだらない未来しか作りません。ひとつ勉強になりました。
睦月ちゃんに尊敬される正規空母であり続けたければ、ちゃんと働いてちゃんと休んで、澄まし顔で挨拶しろということでしょう。空母ヲ級の澄まし顔なんて不気味で怖いだけかもしれませんが。
ちなみに、この分隊を紙とペンとその他諸々で支える有能秘書の猫吊さんはというと、僕が知る限り鎮守府内での朝昼晩のタイムスケジュールを崩したことがありません。そのくせ突然パッと消えたりハングド・キャットに現れたりと謎めいています。ですがそれは罠だと僕は睨んでいます。人は時として解決しないほうがよい謎に出くわすものです。
「好奇心は猫に殺される引き金」
諺をつぶやいた口から、ついでに小さな欠伸も出ました。
今日は寝る前に何を食べよう、また大和の冷蔵庫から冷凍ピザ貰おうかな、グラタンピザが意外にも美味しかったな――(といった事を天照隊の皆に話したら驚かれました。撃沈王からおやつを盗むなんて正気の沙汰ではないとか云々……プリン一個で流血沙汰になる人たちの方が狂ってる、とは言えないので、大和の冷蔵庫を見せて更に驚いてもらいました。冷凍ピザの一枚二枚を抜いたくらいでは撃沈王の貯蔵にいささかのダメージも通りません。後でちゃんと埋め合わせさえすれば実質ピザ食べ放題なんです)――なんて考えながら執務室を後にしようと扉を開きました。すると。
「クマッ!?」
【球磨:Lv.78 → 92】
扉の向こうに、着ぐるみのような着膨れパジャマ姿の暗殺者がボケッと立っていました。
いや、驚きたいのは僕の方なんですけどね。
◆――――◆
夜食にピザ一枚は自分でもどうかと思っていたには思っていたので、僕と球磨さんが二人で一枚のピザを焼くことにしました。
……無言で。
オーブン(大和用ではない小さなもの)は給湯室にあるのですが、ついでにお茶でも、という気にもなれません。黙々と冷凍ピザを開けてオーブンに放り込むだけです。僕が何をしたというのでしょう? あと道衣袴から楽な格好に着替えたいです。
以前ナイフでざっくりとやられた両腕が傷を覚えているかのように疼き、気付かないうちにまた刺されたんじゃないかと肉に食い込んでくる幻覚に、ピザを食べる食欲を削がれていきます。
ショック死しそうになった僕と、ショック死させそうになった球磨さん。どうしてこんな時間に二人してピザが焼けていくのを観察しているんでしょうね。オーブンはジジジとゆっくりタイマーを回しつつ淡々と職務をこなすばかりです。
あと僅かでも応急処置が遅れて血が足りなければとは聞きましたが、そんなことより激痛でしたからね。心も折れましたよ。自分の父親が人様に鉄砲を向けているのを黙って見ていた僕に身の安全を叫ぶ権利は無かったわけですが――そうそう。あの場の会話を盗聴していた天照隊の何人かは、僕の叫び声がまだ耳から離れないそうです。本当は怖い艦これ的な絶叫だったそうです。自分の声がトラウマにされるって、申し訳ない以上に嫌ですねえ。ははは。
「…………怖いクマ?」
「ひっ!? は、はい?」
やっと喋ってくれたはいいものの、いきなり話しかけないで欲しいです。球磨さんはジウジウ音を立てて焼けてゆくピザをじっと見つめたままでした。
「クマのこと、怖いクマ?」
なんとも反応に困る質問です。僕は慎重に答えました。
「誰だって、痛い思いをしたら怖がると思います」
「……まあ、そりゃあそうクマ」
再びオーブンの目盛りがひとつ進むくらいのだんまりを挟んで、球磨さんはポツポツと話し始めました。
「クマは普通の軽巡クマ」そんな出だしでした。「なのに気付いたら皆から工作艦みたいに思われてて、クマも工作艦みたいなことしてたクマ」
「そんな技術持ってたんですか? すごいじゃないですか、自衛もできる工作艦なら三千世界から引っ張りだこですよ」
「クレーンとか使う工作じゃなくて、スパイ的な工作クマ」
「……ああ、そっちの方ですか」などと適当に話を合わせる僕です。どっちの方ですって?
諜報艦というか情報収集艦なるカテゴリーもありますし、それはそれで偉い人からスカウトされるレベルかも分かりませんが、球磨さんの様子からして海洋上での話ではないのでしょう。もっと身近でナイフが生きる、外套と短剣の世界……天照大艦隊は何と戦争をしているのでしょうね。ハロウィンの時は身内での戦争を予期していた何人かがこっちの鎮守府に疎開してきて、実際に戦争が起こったそうですが。洞観者の目から見ても意味が分かりません。
「この前、金剛にある仕事を頼まれたのだって、クマのことを工作員か何かと思われてたからだったクマ。――確かに出来るクマよ? でも違うクマ。艦隊の誰かがクマのことをスケープゴートにしてるクマ。金剛が隠れてコーヒー飲んでたことなんて知らなかったし、第一話の提督盗撮情報だって闇ルートから偶然入手した情報だったクマ。この艦隊にはマジモンのスパイがずっと前からいるのに、最近はクマを隠れ蓑にして好き放題クマ……夜の潜水艦より隠れるのが上手い、クマの第六感にも映らないヤツをどうすればいいクマ……」
シリアスで闇が深い話をしているのは理解できます。球磨さんがモコモコフワフワ格好でなければ、もうちょっと真剣に聞いてあげられるのですけどね。
でもそんなことより提督盗撮情報って、僕としてはその部分を特に気にするべきなんじゃあないかと詳しく聞きたいところです。第一話の提督と言えばもちろん竹櫛提督のことを指すわけですが、あの人が盗撮?
「ビビリてーとくと盗撮のことは気にしなくていいクマ。そのカメラだってスパイがセットしたもので、ビビリてーとくもクマと同じように情報を入手しただけのはずクマ。それにビビリてーとくのことだから映像はビビって見れなかったと推測するクマ。チキン野郎なんて眼中に無いクマ」
結果的に天照大艦隊に拾われることになった僕としては、組織のトップにそんな過去があったなんて知りたくなかったんですがねえ……。
話したいことを話し終えたのか、球磨さんがほんの少しだけ身を寄せてきました。
初めて僕に神妙なところを見せる球磨さんが切実さを隠そうともせずに、じっと見つめてきます。なんとも庇護欲をわかせるじゃあないですか。その辺りに生えている男なら容易くコロコロされそうな瞳です。
でも、ごめんなさい。
ナイフで殺されそうになったりテポドンで殺されそうになったりした僕は、天照大艦隊に何が潜んでいても納得してしまうんです。そうでなくても僕がここに来てまだ日が浅いというのに、スパイなら陸軍のアレを追い返したことなんかも記憶に新しいです。加えて僕自身もまた洞観者という秘密構成員で、本隊にも長月ちゃんとその協力者が二人います。おまけに協力者のうち一人は球磨さんの姉妹艦でしたよね?
一度、真面目に整理した方がいいくらい天照大艦隊は混沌とした組織なんです。僕や球磨さんが知らない側面の一つや二つが出てきたとしても、いえ、むしろ出てこない方が不思議とすら言えるでしょう。
ですから「と、とりあえずピザ食べましょう? ほら丁度焼けましたよ。悩んだ時は胃袋に何か入れる、って大和が言ってましたし」無力な僕にできることなんて話を逸らすか伸ばすかしかありません。
半分に割ったグラタンピザは生地も風味もペラペラしています。先日までは美味しかった気がしたのに。
「……クマだって普通の軽巡やりたいクマ。雷巡でもいいクマ」
球磨さんはあまり冷凍ピザに期待をかけるタイプではないようで、淡々とムシャムシャしています。
「オマエを殺そうとした時とかは、クマにしか出来なかったからそうしただけクマ。それは別に構わんクマ」
構って欲しい。せめて殺されかけた僕の前では構って欲しい。
「でもクマの知らないとこで『アイツなら出来る』とか『アイツならやりかねない』とか余計な評価は、ちまちまプレッシャーになって肩に積もってくるクマ」
「それが積もり積もりで重荷になってきた、と?」
球磨さんはぎこちなく頷きました。察するに、僕に悩みを打ち明けちゃったことにまだ葛藤があるのでしょう。なにせ僕は(流されるままに)天照大艦隊を襲撃して、球磨さんに「オマエは死ぬべきクマ」と一度はジャッジされた身ですから。そこから傘姫提督の下でけっこう頑張ったことが報われて、やっと「オマエは死ぬべきだったクマ。けど悩みくらいは聞かせてやってもいいクマ」程度の信頼を勝ち取れた――そう思っていいのでしょうか。そういう事にしておきましょう。でないとピザが不味いばっかりですから。
「気持ちは分からなくもないです。僕も深海棲艦じゃないかって現在進行形で疑われてましたから。以前よりはマシになりましたけど」
「そこクマ。斑鳩はどうやって脅威度を下げたクマ? そこのところ知りたいクマ」
ようやっと名前で呼んでくれたことに内心感動する僕です。
「ひたすら無害アピールですよ。普通の艦娘らしく働いて、泳げなくてもプールに飛び込めと言われたら飛び込んで溺れて、傘姫提督の無茶振りに付き合って、天照隊のカレンダーズや阿呆たち……身近な仲間にいろいろ見て貰うのが一番でしたね。振り返る度にそれが大切だって思いましたよ。仲間もスパイも阿呆もいつも一緒なんですから、僕たち自身もその一員ってことを意識し直してどうにかすれば、そのうち、どうにかなるんじゃないでしょうか。信頼され過ぎた結果が球磨さんに悩みをもたらした、だとしてもです」
「時間任せは性に合わんクマ」
「簡単には変わりませんよ。最後の最後は球磨さんのナイフが敵をやっつけてくれる、みたいな雰囲気が分隊の僕にまで伝わってくるくらいですし」
球磨さんはピザを食べる手をピタリと止めて、それから何かを決心したように頷くと、出し抜けにモコモコパジャマの内側に手を突っ込みました。
毛深い中から秘密道具のように取り出されたものが僕のトラウマを刺激します。
「ひいっ!?」
僕の両腕に深々と突き刺さったナイフ――大きさ的には鉈ほどもある危険物が鞘に収まった状態で出て来ました。いま食べているピザの直径よりも長く、大柄でもない球磨さんが普段どうやって隠しているのかサッパリ分かりません。分からないから怖いんです。少女の皮を被ったランボーですよ。かわいいふりしてこの子わりと殺るクマですよ。
飛び退く僕にナイフがズイと押し付けられました。
「ひいいいい!?」
「もう怖がらなくていいクマ。オマエに預けるクマ」
「はぃい!? いらないです結構です遠慮します! 僕の血を吸ったものじゃないですか!」
「オマエが自分で持っとけば、もうこのナイフで怪我することはないクマ」
「ピタゴラスイッチ的に自分を刺しちゃう死亡フラグじゃないですか」
「オマエを……斑鳩のことを信用してやるって言ってるクマ! ありがたく受け取れ!」
ピザの皿を奪われ、代わりに無理矢理ナイフを持たされました。いかにも鉄の塊といった感じの重さがギロチンの刃を思い起こさせます。元々は全体が綺麗な黒色だったのでしょう。今は色褪せや傷によってヴィンテージ感が出ていて、長く信頼されてきたツールであることを物語っています。僕は留め具のところをしっかりと握りました。絶対に抜きたくないからです。刃に僕の血液が1ミクロンでも染み付き残っているんじゃあないかと思うと……ああ寒気と鳥肌。
「クマの気が済むまで預けておくだけクマ。いつか返してもらうことを忘れるんじゃあないクマ」
「今すぐ返しますよぅ」
「誰も持ち歩けとか言ってないクマ。クマの手にないことをアピールできればいいクマ。オマエの机の上に飾るのも悪くないクマ」
噛み付かれた犬を剥製にして飾るようなものです。
「で、でも……そうだ、球磨さんが困るんじゃないですか? 今までずっと、いざって時のために持ち歩いていたんでしょう? 明日がその時かもしれませんよ。例えば……その……近接格闘戦を挑んでくる新手の深海棲艦が現れたり、第二の僕みたいな奴が鎮守府に攻めて来たり、ええと……」
「その事なら心配いらんクマ」
球磨さんは左手を掌底打ちのように素早く突き出しました。すると袖の下から、ジャキンという小気味よい金属音と共に細く鋭いブレードが飛び出しました。スパイダーマンが手から糸を出すような感じで球磨さんは刃を出したんです。いよいよ人間を辞めたのかと思いましたが、袖をめくって腕にベルト留めされただけのギミックを見せてくれました。
「開発に苦労しただけあってかなり便利クマ。今はただの飛び出しナイフで、これから他のギミックとか装飾とか加えていってアサシンブレードっぽく機能的にしていく予定クマ」
「……へーすごいですねー」
僕の意思の弱さがために確認を取ることは叶わなかったのですが、普通の軽巡洋艦アピールのためにナイフを手放した決断と、アサシンブレードなる暗器を新たに装備する愚挙は、特に矛盾しないらしいです。
もしかしてこの人、『アサシン』の意味を知らないんじゃあないでしょうか?
「アサシンブレードのことをオマエに教えてやった意味、ちゃんと理解することを期待するクマ」
周りの目が気になるといっても根本的には本人の気持ちの問題ですからね、結局は(あるいは乱暴には)。球磨さんがそれでいいのなら万事解決ということになるのでしょう。
これからも影の道を歩んでください。影ながら応援しますから、影から出て来ないでください。
◆―【猫爪(ネコノツメ)】―◆
「明日できることは明後日にするのが知的」
球磨さんのナイフを金庫に封印した翌日の午前零時、つまり先程、怠けたいだけのクソみたいな発言を残してオカッパもやし提督が自室に引っ込んでしまいました。
提督を甘やかす気はないんですけどね。でも困ったことにあの人、飄々としていながらも道理を掌握する脳細胞と得体の知れない知略で問題を魔法のように処理してしまう――わけでもなく、実務となると要領がとっても悪いんです。
従姉妹である一ノ傘鉄子副提督なら三十分もあれば片付けてしまいそうな仕事でも、一ノ傘姫乃にかかれば完全徹夜コースになってしまいます。いつだったか「おはよーございま……え、提督? まだ仕事してたんですか? いくら長く働いても残業代なんて出ませんよ」提督が一人デスマーチをしようとするなんて、その時は仕事量と提督の性格から想像もしませんでした。「……ああ、もう朝? おはよ斑鳩。ちょっと、手伝ってくれ、ると、うれしい……かな」
その後、もやし提督は三八度の熱(低体温症でこの数字です)を出して三日ほど寝込んでしまいました。もう一度言いますが、普通なら三十分程度の仕事です。僕のお父さんのような唾棄すべきクズ提督であれば判子を秘書艦に押させるだけで終わらせるでしょう。提督がどこで躓いていたのかは未だに謎のままです。
向き不向きで片付けるには面倒くさ……ちょっと配慮が必要なので、残念ながら一蓮托生の身である僕は、もやし提督を枯らさない上手な付き合い方を模索していかなければ、というわけです。
「お酒が入ると寝ないくせに……お茶にスピリタス混ぜてみようかな……」
などと執務室で一人ブツブツ言っていると、壁の向こう側の廊下からゴロゴロと重たいものが台車か何かに乗せられて来る音が近づいてきました。僕は身構えます。またイムヤ達が変なものを作ったのかと。兵器開発はもう好きにしていいから、いちいち執務室まで試作品を持ってくるなと何度言えば分かってくれるんでしょうか。
しかし音が執務室の前でピタリと止まると、扉が丁寧にもノックされました。マナーを知らない潜水艦たちではないようで、ですがこんな時間に誰でしょう。
「どうぞ」と緊張しつつ声をかけると、ゆっくり開いた扉から恐る恐るといった様子で長月ちゃんが顔を出しました。帰還してまだお風呂にも入っていないようで、制服にカーディガンを羽織っています。
「あの……ドーモ。斑鳩=サン。カレンダーズの長月です」
【長月:Lv.41+1 → 42+1】
奥ゆかしいエントリーを果たした長月ちゃん。オジギは洞観者ジョークみたいなものです。
「ドーモ長月=サン。斑鳩です。――何かあった?」
「相談したいことがあって……」長月ちゃんはもじもじと落ち着かない様子です。「どうしていいか分からなくて……でも斑鳩にも迷惑をかけてしまうかもだが……」
「いちばん身近なカレンダーズよりも僕に聞いた方がよさそう、って思ったんだよね?」
長月ちゃんはコクリと頷きました。
「そういう事なら僕に聞かせてよ。力になれたら僕も嬉しいし。ほら、立ち話もなんだし部屋に入って。僕以外の誰も聞いてないから」
自制しようと思っていてもカレンダーズは、特に長月ちゃんと睦月ちゃんは贔屓してしまいます。誰だって自分を殺そうとした暴力熊よりは命の恩人を取るでしょう。球磨さんも恩人には違いないのですが怖いものは怖いし、可愛いカレンダーズは可愛がりたいのです。それが自然の摂理というものでしょう。
訳あり正規空母とはいえ熟練艦の矜持を手放さずにここまでやってきた僕ですから、長月ちゃんの悩みを聞くだけ聞いて「話せば楽になったでしょ」的な解決はプライドが許しません。懐の広い大先輩を演じつつ、同じ洞観者として対等であろうとする努力を見せ、ピザが食べたいのなら何枚でも焼き、僕は長月ちゃんの信頼を勝ち取るのです!
胸の内で意気込んでいると、長月ちゃんは廊下に置いていた台車を執務室内に押してきました。そりゃあ台車で運ばれてくるくらいですから重量物です。重量物なのですが……また刃物でした。
撃沈王・大和の大出力を以ってしても扱える見通しが立たなかったと言われている、まるで巨大なブッダデーモン像から拝借してきたかのような巨大刀『猫爪(ネコノツメ)』は、僕も触ったことがありました。長月ちゃんが持つ一振りの他に使い手のない二振りが余っていたので、それに目を付けた提督が借りてきて、魚雷や艦砲のノリで僕に装備させようとしたのです。一応、(秘密裏に)青い炎の力を行使して、ようやっと装備できたといえばできました。ですが、それは例えるならば「戦艦大和も艤装の八割を捨てたら飛行甲板を装備できる」と言うのと同じくらい意味がありません。ネコノツメはあまりに重すぎて、持ち上げるだけで全身がプルプルしてしまいます。さらに洞観者最悪の弊害である妖精サポート無効化や、泳げないことも考慮して脳内シミュレートを何度繰り返しても、出撃から数分以内に転覆・沈没する未来しか見えませんでした。
そんなネコノツメですが、本体は超無骨なのに、鞘だけは美しく、また可愛いんです。漆のような朱色のベースの上で金色の猫が現代的センスに沿った絵柄で遊んでいます。極秘の兵器なので画像をインターネットにアップロードできないのが非常に残念です。同じ絵柄でTシャツとか作れないか相談までしたのですが、開発責任者だった大和に聞いてもデザイナーが誰なのか分からず終いでした。大漁旗よりは可愛い猫タペストリーのほうが艦娘にウケると思うんですけどねえ。……いや、洞観者になったせいで感覚が麻痺しちゃっていました。猫は不吉のシンボルでしたね。
鞘のデザインだけは好きだったネコノツメが、台車にぞんざいに乗せられて運ばれて来る様に密かにショックを受ける僕でした。鞘も含めて立派な兵装なので少々荒っぽく扱った程度でどうこうなる代物ではないのですが……長月ちゃんはスマホの傷とか気にならないタイプなのでしょうか。
「わざわざ台車に乗せて来なくても長月ちゃんなら軽く手で持って――まさか相談事って、力が出なくなってネコノツメを扱えなくなったとか?」
「いや。台車はいつも芝居のために使ってる」
「芝居?」
「重たい物を簡単に持ち上げたりすると皆から怪しまれるだろう」
そう言って長月ちゃんはネコノツメをひょいと片手で(ひょいと片手で!)取り上げました。オリンピックとか出場してみて欲しいですよね。
「あれ? でもここまで持って来たってことは、南鎮守府から持ち出す時はどうしたの? 赤帽か何かで運送?」
「うまいこと誤魔化してるから、そこは大丈夫」
ダメそうです。この様子だと長月ちゃんは南鎮守府内の引っ越しや模様替えの時には欠かさず呼集されてきたことでしょう。
「それで相談したいことだけどさ……本当に、こんなこと相談されても困るかもだけど……」
長月ちゃんは右手に柄、左手に鞘を持ってネコノツメをズルリと抜猫(抜刀のことです)しました。全長が僕の身長に迫るほどもあり、一息では抜けない刀身が露になります。ここ執務室で誤って落っことしでもすれば大惨事になりかねない兵器なのですが、長月ちゃんが持ってくれれば安心して見ることができます。ネコノツメ+長月ちゃんの重量が華奢な二本の足にかかっているので床鳴りがすごい、にもかかわらず長月ちゃんに重量を苦にする様子はまったくありません。口が裂けても言えない表現ですが、僕の頭の中から(化物)の二文字が消えてくれません。
鞘くらいは僕でも持てるので預かると、長月ちゃんは「ここなんだけど」と一点を指して僕に見せてきます。
「どこ?」僕は首を傾げます。巨人の包丁じみて巨大で無骨なので指し示された範囲がまず分かりません。大雑把に鋭利な鉄塊だなあ、としか捉えられないんです。鉄塊に問題など発生するものなのでしょうか。
「ここの部分。ほら」
「ん~?」
「刃が欠けてるだろ」
「いやあ? 何処にも――」グイグイ見せられる刀に少し怯みながらも目を凝らすと「……まさか、この1ミリくらいのところ?」確かに欠けていました。大型バイクくらいなら余裕で真っ二つにできそうな刃の中程に、ほんの1ミリ程度の欠けが。僕が所有者だったなら絶対に気付かないであろうレベルです。
「知らないうちにこうなってて……私はこれ、どうしたらいいか分からなくて……怖くて……修理、やっぱり弁償しないといけないのかな?」
「えーっと……僕が洞観者になったのって最近だし、ネコノツメのことも詳しくないんだけど、大和や武蔵さんとレンタル契約でもしてるの?」
「そういうのが送られて来た時の伝票とか見てもよく分からなくて、で、でもこれ……さんびゃくまんもするんだぞ!」
「三百万――キログラム? ジュール?」
「三百万円!」まるで三百万機もの敵航空機を発見したような怯え方でした。
ここで僕は長月ちゃんの悩みをようやっと理解するに至ります。三百万円の刀を傷つけちゃった、どうしよう、ということなのでしょう。
確かに大金ですよね、三百万円。新車が買える額です。3,000k円と書類に表記しても、それに上乗せされる数%の諸経費が無視できない大きさになってきます。
ですが。
「この刀って長月ちゃんのために開発されたんだよね?」
「武蔵はそんなこと言ってた気がする」
「この刃こぼれが長月ちゃんの戦闘に影響するとか、運用上の問題はある?」
「それはない、けど……」
「じゃあ大丈夫だよ。折れそうな様子もないし」
「で、でも、さんびゃくまんえん!」うちの潜水艦たちに見習わせたい金銭感覚です。「カレンダーズ全員でTDRとUSJに行ける値段だぞ! いや、札束とか見たことないから三百万円がどれくらいかは実際想像もできてないんだけど、でもさあ」
「現ナマは僕も見たことないなあ」と言いつつ口元がほころびそうになるのを我慢する背徳的空母斑鳩です。
可愛らしい子が可愛らしい悩みでオロオロする様は、さながら怪獣のぬいぐるみを警戒する子猫の如し。そっち方向の趣味がなくとも抱きしめてあげたいという欲求が湧いてくるのは社会性動物的本能から仕方のないことです。南方の泊地で目撃されるらしい殺人オラウータンすらも長月ちゃんの可愛らしさの前には警戒心を解くことでしょう。……不適切な例えでした。つまりは「スゴイカワイイ」と言いたいだけなんです。
無意識に手を伸ばしてしまう前に問題を片付けちゃいましょう。
「心配しないで。僕の方で何とかするから」
「ほ、本当か? 何とかなる、のか?」殺人的上目遣い! 守ってあげたい! けど僕より長月ちゃんの方が三百万倍は強い!
「ネコノツメと普通の刀を一緒くたに考えていいかは分からないけど、消耗品を開発した時点でアフターサービスまで考えてあるはずだからね。材料を継ぎ足すなり全体を研ぎ直すなりして修理するのか、製作された三本のうち一本が予備とされてるのか、どっちかだとは思うよ。僕が調べておく。開発責任者の大和を捕まえられたら一番だけど最近また忙しくしてるからなあ。まあ、他にもツテはあるし、傘姫提督も知ってそうだから大丈夫かな。長月ちゃんが心配してるお金だけど、修理にせよ交換にせよ天照隊に請求されることは絶対に無いよ。秘密兵器を最前線で戦う駆逐艦に押し付けて壊したら弁償しろー、なんて話が通った日には信用も何も無くなるからね。たった三百万のためにコロネハイカラ島を見捨てるおつもりですか? 全国の鎮守府には作戦決行の用意があったんですけど三百万を支払ったばっかりに食べ物が買えなくて出撃を断念せざるを得ず、悔しい思いをしますね。――なんて言っちゃって、僕たち艦娘は堂々としてればいいんだよ」
夜の東京タワーを色鮮やかに照らすライトめいた視線が長月ちゃんから注がれます。
「ネコノツメはしばらく僕が預かるけど、その間は大丈夫かな。やっぱり先に予備を手配した方がいい?」
「……えっ? あ、ああ、そうだ、何か代わりの刃物がないと。できればちゃんとした物があればいいけど、最悪そのへんの包丁でも……」
「それなら丁度、ベストなものが手に入ったところだよ」
昨日、絶対に金庫から出すまいと心に固く誓ったばかりの球磨さんのナイフを、僕は躊躇無く引っ掴みました。
「それって確か球磨のナイフじゃないか。どうしてここに?」
「ちょっと訳あって今は僕のものなんだ」本当は預かり物ですけど、僕に預けた球磨さんが悪いんです。「コレでどうかな?」
「――うん。球磨のナイフなら信頼できる。すごくいい!」
超大型ナイフもネコノツメと比べると小刀も同然です。それでもナイフを手にした長月ちゃんは喜んでためつすがめつして見たり指で弾いたりしました。
「斑鳩に相談して本当によかった」長月ちゃんの肩から三百万円の荷が下りたようで、その表情は晴れ晴れとしています。「本当にありがとう。こんなに簡単に解決できるなんて。さすが練度カンスト空母だ。実際スゴイ」
まだネコノツメを預かっただけで解決はしていないんですが、今はそういうことにしておきましょう(それと最近、唐突なブレイクスルーによって僕ら艦娘の性能と練度の上限見直しがなされると発表がありましたね。小賢しくなってきた深海棲艦に対抗するための力が手に入るのはよいことですが、強さの基準が霧の艦隊レベルにまでインフレする前に戦争を終わらせられることを願うばかりです)。
「さあ。人生に立ち塞がる壁をひとつ乗り越えたところで、今日はもうお休みの時間だよ。長月ちゃんは確か、明日は近海の警備の後で南鎮守府に戻るんだよね」
「私の予定まで頭に入ってる……!」
「本隊から貴重な戦力を預かってるなら当然のことだよ。ご飯はちゃんと食べた?」
「如月が作ってくれてたおにぎり食べた。軽くシャワー浴びたら寝るよ」
「うん。じゃあ僕はもう少し仕事があるから」
「分かった。それじゃあ悪いけどネコノツメのことは任せるよ」
「任せて~おやすみ~」
「ああ、おやすみなさい。――いつかお礼するから! 本っ当にありがとうな!」
執務室の扉が閉まり、廊下をトトトと軽い足音が駆けていきました。
少し待ってから廊下に誰もいないことを確認して扉に鍵を掛け、ネコノツメのカワイイ鞘に飛び付いて頬擦りしつつスマホで呉の海鳥を呼び出しました。コール六回も待たされました。
「遅い! お姉ちゃんの電話にはすぐ出なさい!」
切られました。
0.5秒で掛け直します。
「聞いてよ海鳥! 僕たちさあ、色々あったよねえ。でもね、僕さっきね、今まで頑張ってきて本当に良かったと――酔ってないよ仕事中! なに、もしかして寝てたの? 呆れた。あのねえ海鳥、いや正規空母の葛城=サン。部屋の窓から埠頭を見てご覧なさいよ。悩める駆逐艦が膝を抱えて海を眺めていたらと考えたことないかなあ。現実の仲間はみんなが都合よく眠れなくて散歩しつつ集合したりしないんだよ? じゃあ誰がその駆逐艦の子を助けてあげるの? それが僕たちの使命でしょうからに!」
切られました。
0.5秒で掛け直します。
律儀に出る方も出る方ですよね。
「前に長月ちゃんって子のことは話したでしょ。今さっきその長月ちゃんがさあ――うへへ」
つ づ く
【追記】
長月が行きたいのはネズミリゾート(R)ではなくネズミランド(L)では? という指摘を頂きました。
正解はリゾートの方です。カレンダーズ妄想旅行計画では「アレもコレも行きたい!」と満場一致で可決されています。