「山城が出撃した直後に洞観者になったって連絡を受けた時は本当に、もう絶対ダメだと思ったんだけどな。よくもまあ沈まなかったよ」
【長月:Lv.42+1 → 43+1】
「あの大和型の武蔵でさえ最初は普通に海に出ることすら危うかったんだ。艦船として戦えなくなってハングド・キャットでバイトしてる奴もいる。幸運の女神って奴がいるのなら案外、山城に呪いはかけてたとしても見捨てるまではいってないのかもな」
射撃場で軽い調整を行った帰り道、隣をてくてく歩く小柄な駆逐艦、少しだけ得意気になってペラペラ話す長月の言っていることを、山城はせいぜい二割程度しか理解できないでいた。
姉との再会は山城にとって海の平和を二の次にする目標だった。彼女のすべてと言い換えてもよい程に。故に扶桑との邂逅に恵まれ、代償なのか“不運(ハードラック)”と“踊(ダンス)”っちまい、提督に姉妹仲良く土下座して借金を抱えた後に今度は「実はハングド・キャットという秘密結社があり、お前もその一員となった」などと言われて誰が真剣に耳を傾けるのか。確かに事故の直後に世界が変わった、自分自身の感覚が変わった『理解不能な何か』が起こった。しかしその不可思議な現象を、丁寧にも陰謀論めいて解説する者がコンタクトを取ってくるなど出来過ぎていると山城は思った。さらに相手が素直なカレンダーズの一員、それも嘘は苦手そうな長月である。今まで両者に特別な接点があったわけでもない。山城は現在の状況を計りかねていた。
歩きながら話す二人の周囲には誰もいない。長月が人を避けて道を選んでいた。
「山城には最低限、三つのことを守ってもらう。まず――」
「あのー長月先生? 質問しても?」
「なんだ」
言葉にこそ出さないし、扶桑型航空戦艦とカレンダーズでは艦隊での役割がまったく異なる。それでも山城の頭の中では、自分があらゆる面で教える立場にあり、長月は教わる側にあった。
「話の中によく出てくる『はんぐどきゃっと』とか『どうかんしゃ』ってさあ。そういう招待制SNSがあるの? 理由は分からないけど私たちは大和型二番艦様のお眼鏡にかなった、と思っていいの?」
長月の足と口がピタリと止まったのを見て取った山城はアプローチの方向を間違えたことを悟った。
「いやごめん私の勘違いだった。SNSとかではないのね。うん。なるほど。よし。えーとじゃあ……何か食べながらじっくり話を聞きたいから売店に行きましょ。そうしましょ」
山城は支払いの目処が付かないツケを売店に作ってしまっており、なるべく売店(とアルバイトの磯風)には近づかないようにしていた。スマートフォンを一回充電しただけで一万円も取られた事を泣き寝入りする軟弱な彼女ではないものの、磯風のバックにいる売店のお姉さんには自慢の扶桑型艦橋を以てしても勝ち目はない。
よってしばらく利用しないつもりでいた売店だったとしても、しょんぼりしてしまった長月には甘い物を与える必要があった。近頃カレンダーズを頑張り以上に甘やかしていると竹櫛提督より軽巡洋艦以上の艦にこっそり苦言を呈されたのだが、主に甘やかしているのは分隊の斑鳩である。山城の知ったことではなかった。
「頭を整理するのには甘味よね。長月もシュークリームとか好きでしょう?」
「……山城も私を子供扱いするんだな」
「い、いや。そんなことは……」
「いいさいいさ構わないさ。どうせ私は電なんかよりお子様さ。甘い甘いシュークリームで機嫌を取ればいいさ」
つむじを曲げて早足になってしまった長月の背中を見ながら山城は、やはり自分には誰かの面倒を見るのは向いていないらしいと思うのであった。逆に自分が長月に面倒を見られているとはまだ知らずに。
◆――――◆
長月の機嫌の淀みは売店に入るなり吹き飛んだ。
商品の陳列をしていた磯風が「おお、長月に山城じゃないか」と頭を上げた。「二人ともこちらの都合を察して来てくれるとは、手間が省けて助かる。良い心掛けだぞ」
「お金なら無いわよ」と山城は先手を打った。「バッテリーの支払いは再来月まで待って。しばらくカツカツの生活をしなきゃいけないから」
「だろうと思ってな。では延滞料の話をしようじゃあないか」
「……先に長月の方の話を済ませて」
その長月の耳には山城と磯風の会話は入っていなかった。コンビニエンスストアのように整然としつつも混沌とした商品群の中、店の隅に立て掛けられている商品に目を釘付けにされ、「長月?」と山城に呼び止められるのにも構わずフラフラと吸い寄せられた。
全幅の信頼を寄せている斑鳩に預けた巨刀、ネコノツメが、一体全体何がどういった因果科学的反応を起こして売店に並べられるに至ったのか、今の長月のこんがらがった頭脳ではルートのひとつも思い描くことができなかった。
美しい朱色の鞘に僅かに付いている傷は長月の記憶にあるものと完全に一致した。それだけではない。
【 ~ 猫爪(ネコノツメ)~ 3,000,000円 】
明らかに事情を少しでも知る者が書いたであろう値札が貼られている。
呆然とする長月の隣に磯風が並んだ。
「駆逐艦寮の玄関に飾ってあった剣だ。ある日忽然と紛失したと思ったら、お姉さんが司令から買い取ったんだ」
「待て。司令って傘姫司令官じゃなくて竹櫛司令官か? どうして司令官がネコノツメを持っていた?」
「詳しいことは聞いてないな。司令が軍刀欲しさに、代わりとしてこの剣を駆逐艦寮から持っていったのではないか?」
「剣じゃない。刀だ」
長月の口調は強くなった。
「な、なんだ。やはりお姉さんの言った通り長月はこの――刀に思い入れがあったのか。元々はフォークリフトで長月の元に届けられた謎の荷物だとは聞いていたが」
「磯風が知ってる限り全部を教えてくれ。ここに至るまでの経緯は?」
「本当にほとんど知らない。お姉さんから少し聞いただけだぞ」
磯風はエプロンの上で腕を組んで記憶を遡った。二人とも売店の入口で所在無さそうにしている山城のことは忘れていた。
「どうして司令がこんな大業な刀を持とうとしたのかは知らないが、知っての通り刀として持てる重量ではない。戦艦のどんな艤装よりも遥かに重いだろうな。でだ。司令にフォークリフト並の筋力があるはずもないから当然もてあましていた。そこに目を付けたお姉さんが声を掛けた。この刀と、常識的サイズの軍刀を交換しないかと。というわけで司令は新しく手に入れた面白味のない刀に『丑の刻摩天楼・改』という名を付け、お姉さんはこのネコノツメにとんでもない値を付けた」
「……300万って値段は、見る人から見たら妥当なのか?」
「さあ? 聞いてみたが教えてもらえなかったな。しかし長月よ、やはり買い戻せるならそうしたい様子と見た。寮の玄関に飾っていたとはいえ大切だったのではないか? 覚えのない異世界の海戦の記憶に焼き付いているとかいった類の」
「いや全然違う。――けど、取り戻したいかと聞かれたらその通りだ」
手近な包丁でも構わない。そう何度も言ってきたからこそネコノツメから球磨のナイフに持ち替えて、改めて兵装そのものが持つスペックにも欲が出て来たのだった。
長月は偽葛城事件でネコノツメと自分自身を初めて酷使した日のことを何度も思い返していた。睦月を守るために飛び出して、自分は少々の傷を負ったものの守るべきものは守り切った。ネコノツメを装備した自分以外の誰かに代役が務まる事件だったか? いや無理だ、次があるならば次も私が守ると決意しているから球磨のナイフを持っている。だがしかし、心に背負った荷物を確かめれば確かめるほど、球磨のナイフでさえ心許なくなった。
この世界には深海の闇ですら消せない炎が存在する。
果たして球磨のナイフは炎に焼き尽くされず仲間を守る使命を全うしてくれるだろうか。難癖を付ける話ではない。それでも、どうしても、もし偽葛城事件の時に装備していたのがネコノツメではなく球磨のナイフだったら結果がどうなっていたか。再び同じように全身全霊を要求される場面が訪れたらどうなるか。長月は砲撃を防ぎ切るのに力を使い果たして破片の雨を全身に浴びたと聞いていた。それでもネコノツメを使ったからこそできた精一杯だった。
装備の不足は睦月に砲弾が直撃する映像を鮮明に創り出し、それは夢の中で何度も再生された。
「そう悲しい顔をするな長月よ。話の続きだが、長月にだけ特別割引の話を持ち掛けろとお姉さんに命令されている」
「特別割引?」
「略して特割だ。聞いて驚け、このネコノツメを片手で持ち上げられたら99%OFFで売ってもいいそうだ」
「99%OFF!? ……きゅ、きゅうじゅうきゅうを掛け算? すると? するのか? あれ? えーと」
「3万円也」
「3万……それでも微妙に高いな」
「入口に立っている航空戦艦ならポンと出してくれるんじゃあないか」
「聞こえてるわよ、そこのアルバイト」と山城がつっかかるも磯風は「聞こえるように話したんだ」と軽く流した。この二人にとってはネコノツメが持つ値段以上の重さも、長月が脳内で戦っている水火の難も、まったく知るところではなかった。
カレンダーズ全員に頼めば3万円ならどうにかなるかもしれない。しかし『駆逐艦寮の飾り物』を買いたいからお金を貸してくれ、とは言い出せない長月だった。斑鳩や武蔵に相談すれば何ということもなく解決すると分かってはいても、やはり無心のようなことは性格に対してハードルが高かった。
「なあ磯風。その……ネコノツメの取り置きはして貰えるのか」
「構わんぞ。というか誰が300万円を売店に落とすのか、お姉さんの考えが理解できん。美しい刀であるのは間違いないがコレクションの足しにするにもなあ」
「じゃあ――これは真面目な約束だ磯風。今から見る事を絶対に他言するなよ。フリでもなくマジで。山城は誰か来ないか入口で見張っててくれ」
「客の大切な秘密を他言してしまうようなら口を物理的に結べとお姉さんに言われている。まあ、この磯風がそう簡単に約束を違えはしないが」
つまり磯風は、竹櫛の軍刀購入については心底どうでもよく秘密でも何でもない事だと認識しているらしかった。
「長月よ、本当にチャレンジするつもりか? いくらお姉さんの名指しとはいえ、この刀を片手で持つなんて人の形をした生物には不可能だ。個人的には触らないでほしいくらいだぞ。もし長月の上に倒れたらペシャンコに押し潰されるのは避けられないし、今こうして立て掛けているのだって苦労したものだ。考えてみれば寮に飾ったのは誰がどんな治具を使って――」
磯風のぼやきに耳を貸さずに長月はネコノツメの柄を小さな右手で握り、まるで一本千円で販売中の海軍精神注入棒を物色するような力加減で99%OFFの条件をクリアした。
「………………は?」と磯風の口から彼女らしからぬ間の抜けた声が出た。
今は売店の商品であることもアルバイトの反応にも構わずネコノツメの刀身を鞘から抜いた長月は本物かどうか念のための確認に、自分が手放した原因である刃毀れを探した。しかし真っ先に目に飛び込んで来たのは大胆にも白いチョークで刀身に書かれた矢印と『ココ修復済』という注釈だった。誰の文字か分かろうはずもない。だから長月は知れない誰かに頭を下げ、刀身を鞘に収めた。
「ねえ。磯風がフリーズしてるから解説が欲しいんだけど。何なのさっきから」
売店入口の見張り番を任されていた山城は視線を適当に外に向けつつ、制服のどこかに小銭の一枚でも紛れ込んでいないかまさぐっている。
「ああ悪い。元々は私のものだったんだ、この刀は」
「それは話を聞いてりゃあ分かった。磯風がこんな反応をする理由の方よ、聞きたいのは」
「いや、これは……手品、なのか?」
磯風は長月の周囲に透明なワイヤーやクレーンを探そうと手をふよふよ漂わせた。
長月は苦笑して「種も仕掛けもないよ」と言った。
「駆逐艦寮に住んでる奴らならだいたい触って知ってるんだけどな。ネコノツメはちょっと重いんだ」
「待て」と磯風。「長月は『ちょっと』の意味を知らないらしい。それともまさか、私が戦闘から離れて知らぬうちに衰えただけ……では絶対にないな。うん。戦艦である山城も試しに持ってみてくれ。絶対に持てないから」
「持てない物を持てって、頓智?」
「その真逆の筋肉だ。力こそパワーだ。あり得ないことだが、もし持ち上げられたらツケは私が肩代わりしてもいい」
「よーし言ったわね。取り消しなんて許さないから。扶桑型戦艦のパワー・オブ・チカラを侮ったことを後悔するがいいわ。長月、それ貸して」
「やめとけって。無理すると腰とか痛めるぞ」
「駆逐艦にンなこと言われちゃあ余計に引き下がれないわ。というか普通に持ってるじゃない、長月。そんなに大きな刀を軽々持てるくらい力持ちだったのは少し驚いたけど、私だって決して非力じゃあないつもりよ。ほら貸してみなさい」
言うなり山城は長月が持つネコノツメを引っ手繰ろうと柄に右手を掛けた。――が、ネコノツメは山城の意に反して僅かの動きも見せなかった。
「ちょっと。手ぇ離しなさいよ」
「いや、力は入れてないが」
長月は両手のひらにネコノツメを置き、献上品のように山城の方へ差し出した。磯風はニヤニヤして様子を見ている。
山城はもう一度、ちょっと借りるくらいの気持ちで取ろうとした。しかしネコノツメはフーリンカザンの奥義を象徴するヒマラヤ山脈めいて上にも下にも動かない。両手で試してみても結果は変わらず、長月が巨大な鞘の裏でこっそり掴んではいないかとジロジロ確かめてから、もう一度挑戦した。
「ふんっ! …………っんん?」
今度は少し腹に力を入れてみたものの、ネコノツメはその名の通り、暖房の前から動こうとしない猫のようだった。
「私の言った通りだろう」と磯風は現実を受け入れられない様子の山城の肩に手を置いた。「気持ちは分かるぞ。刀か長月のどちらか、それとも両方がおかしい筈だろう? しかし刀が並大抵で持てないのは店番をしている私が確認したし、見ての通り長月は涼しい顔で持っている。私だってまだ現実を受け入れきれていないさ。でも今は納得しておいた方がいい。でないと、この『長月の姿をしたターミネーター』に始末されてしまう」
「変なこと言うな。私は私だ」
「このターミネーターが長月を演じてくれている今がチャンスだ。刀でも何でも渡して見逃して貰うしかない」
「おいコラ。じゃあ私の心臓をソナーで確かめるか?」
だが山城は磯風の言葉に耳を貸さなかった。
「私はね、強くなるって決めたばかりなのよ――扶桑姉さまのように!」
今度は駆逐艦の前で余裕ぶるような真似はせず、息を大きく吸った山城はネコノツメの柄を両手でしっかりと握った。砲撃時のように両足を軽く開き、丹田を意識しつつゆっくりと息を吐いた。戦艦の力とは腕力に非ず。頭の艦橋から足の先まで力が充実するのを感じながら深呼吸をもう二度行った。
高練度の航空戦艦の引き締まった表情は洞観者の長月、そして売店のアルバイトの磯風にも緊張を伝えた。
肺に空気を満たした山城は、目を見開き活火激発、出力を限界まで引き上げた。
「 W a s s h o i !! 」
その掛け声は店内の長月を、磯風を、あらゆる雑多な商品を震わせ吹き飛ばすかのようだった。そして、おお、なんたる戦艦の大出力か! ネコノツメがコンマ5秒ほど浮き上がったではないか!
しかし長月の能力に耐え得る最終兵器ネコノツメの方が一枚も二枚も上手だった。山城に掛けられた力のほぼ全てを謎の金属素材は頑とはね返してしまった。エネルギーはそのまま山城の手を伝い肘、肩、胸、腹を通過し、尻の方へと抜けていった。一連の力の流れはまるで無反動砲のようで、戦艦の出力を相殺してしまう程、ガスが噴出した音は掛け声に勝るとも劣らない大きなものだった。
◆――――◆
比較的落ち着きある駆逐艦・元駆逐艦と認められている長月と磯風が抱腹絶倒するものだから、山城の羞恥心が怒気に変換されるまでさほどのタイムラグは無かった。
「わっしょいブーwwwwわっしょいブーwwww」
「死ねっ!」
山城がプリプリしながら売店を出て行ってしまった後も、残った二人はしばらく笑い苦しんでいた。
「あんなの絶対に笑うよな」と涙を拭って長月は言った。
「山城には悪いが、あれは不幸な事故だ」と言った磯風は冷えたペットボトルの緑茶を冷蔵棚から一本取り、長月に差し出した。
「これは私の奢りだ。その刀から早く手を離したほうがいい。怪力は秘密にしておきたいのだろう」
長大なネコノツメを振り回しながら腹を抱えていた長月はそそくさと元の場所に立て掛けた。まだ99%OFFで購入する権利を得ただけで、3万円を支払う目処はまるで付かない。ネコノツメが再び手に入れば不要となる球磨のナイフを売ってはどうかと長月にしては冴えた案が頭に浮かんだものの、長月・球磨・斑鳩の三名間にも厄介な事情があるのを思い出して、しばらくは売店から再び他人の手に渡らないよう見張っておこうと一応の妥協点を付けた。
緑茶で喉と頭を冷やすうちに長月は、磯風にじっと観察されていることに気がついた。
「『なぜ長月なのか』も当然、お姉さんに聞いたさ」
磯風は途中だった陳列を再開しながら言った。
「そして答えも当然、聞けなかった。あの刀も長月も訳有り――と言ったら不義があるようで違うか。とにかく詮索すべきではない何かがあって、私はただのアルバイトとして事務的に刀を取り置き、いつか長月に売る。それだけの話、なのだろうな」
「あの……お金はいつになるか」
「構わんさ。仮に誰かが300万円以上の札束を持って来たとしても、まず長月に一報を入れるから心配するな」
空になったダンボールを手早く片付けた磯風はカウンターの裏側に回り、暇そうに客を待つ仕事に戻った。
「私が艦娘を辞めた理由、長月にはどう伝わっている?」
「いきなり話が飛んだな。――叢雲が抜け殻みたいだったし電は何故か怒ってたし、説明してくれる奴がいなくて変な噂ばっかりだった」
「正直なところ、私自身でさえ説明『できない』事がある。秘密だったり、未だ理解できていないという意味での『できない』だ。辞める直前にかなり痛い目を見てな。直後には怖い思いもした。身の丈に合わない何かがこの世界には存在していて、残念ながらまだまだ未熟な私が触れようとすると瞬く間に身を滅ぼすと思い知ったよ。――この磯風の言わんとする事は上手く伝わったか?」
「はっきり言ってくれ。私の周りはカレンダーズを除いたら小難しいことばっかり言う」
「命乞いだよ」
磯風は涼しい顔で言った。
「刀や長月の秘密には便宜を図る。だから私を消さないでくれ」
◆――――◆
「……と、ところでさ。この店の品揃えってすごいよな。なんでも売ってる」
話し下手な長月の返しが今ばかりは良い方向に働いた。ターミネーターを前にしている緊張が少しは解けたらしい磯風は「そうだろう。そうだろう」と働き始めてまだ日が浅いくせに得意気に頷いた。
「プリンを除くあらゆる甘味を棚に並べる準備がある。魚釣りがしたければ釣り道具一式を提供できる。お偉方の社交パーティーに出席したければドレスや偽名者宛の招待状を用意しよう。工廠で製造できない欲しい装備があれば気軽に注文してくれて構わない。いっそ己が統率する艦隊で戦いたくなったら肩書きと鎮守府をその手に握らせ、逆に私たちの戦争から逃げたくなればカレンダーズ全員が乗れるバスとシェルターまで案内するGPSアプリを手配してみせる。売り場とバックヤードの狭さこそ見ての通りだが、取り扱う商品はそこいらの通販サイトを軽く凌駕する。どうだすごいだろう。今すぐ何か注文したくなったんじゃあないか?」
「本当に、何でも?」
「問い合わせるだけなら無料さ。それに同じ釜の飯を食う仲だろう。気軽に言ってくれ」
「じゃ、じゃあさ。私も、その、睦月みたいに改二になりたいって言ったら……なれる?」
「すまない。装備とか艦隊のくだりは話を盛った」
「なんだよもう! ちょっと本気で期待した私が阿呆じゃないか!」
「私でなくお姉さんに聞けば不可能ではないと返ってくるだろうが、契約が現実的かどうかは別問題だぞ? 一気に睦月に追い付く程の地獄の特訓か、あるいは――そういえば長月は3万円の壁にすら阻まれていなかったか」
「い、言うだけなら無料なんだろ」
「あくまでモノを買って貰うために要望を聞いているのだからな。そうだ長月よ、ひとつ新サービスを買ってみないか。元駆逐艦であるこの磯風が些細な経験を元に考えた画期的なビジネスだ」
「お金が無いんだってば」
「名付けて『島攻略オンデマンド』だ。この名で興味を引かれないはずがない」
「話を聞け。私にはお金が無い」
「茶を飲み終えるまでは話を聞いてみないか。未熟なアルバイトのプレゼン練習に付き合うと思って、な。そこの椅子を持ってきて座ってくれ。ほら、これがチラシだ」
せめて他の誰かも付き合わせたい長月だったが、こんな時に限って売店を訪れる客は現れない。カウンター前に置いた簡素な椅子にポツンと座っている自分がひどくしょうもないことをしている気がしてならない彼女だった。
磯風から強引に手渡されたA4サイズのチラシは、あまり詳しくない長月でも「(パソコン教室で作らされるヤツだ)」と思わずにはいられない、体裁を整える努力がまるでなされていないような出来栄えだった。レインボーでポップな文字が不必要に自己主張するかと思えば何らかのプランを並べた表をまたいで磯風の好みそうな荘厳な文字列がみっちりと詰め込まれている。『島攻略オンデマンド』というタイトルしか読む気になれないデザインは数秒で長月の目と頭を痛め、チラシを裏返すと南鎮守府の地図と売店の位置、電話番号、お姉さんのツイッターIDが、こちら側はやけに熟れた風に作られていた。
「長月。表を見ろ。売店の位置はよく知っているだろう」
「必要無い情報は最初から省けよ。裏面いらないだろコレ」
表面もいらない、と言いたいのを良心からグッと堪える長月だった。
「お姉さんに手伝ってもらったら知らないうちに裏面もできていたんだ」
レインボーな文字に目を細めた長月を集中していると勘違いしたのか、磯風は満足気に頷いて「コホン」とわざとらしく咳払いをした。
「それでは、この磯風が考案してお姉さんが段取りをした『島攻略オンデマンド』について説明するぞ」
「お姉さん段取りって、つまり磯風はチラシ作っただけじゃないか」
「黙れ」
自分でも気にしていたのか、少々口調が厳しくなる磯風だった。
「……では内容を説明していこう」
◆――――◆
「我ら人類の敵対者である深海棲艦も悪い意味で期待通りの進化を繰り返していると分析され、それを打ち砕くのが艦娘だと言われている。しかしだ。可能な限り早く脅威を排除したい我々に対して敵はまったく意図が不明、つまり超長期戦を想定していたとしても不思議ではない。鬼姫を観察すれば一目瞭然なように高度な戦術・戦略という概念を持っている点に疑いの余地はない。そこでだ。仮に深海棲艦の現状の目的を、戦争を長引かせることにあると仮定しよう。ではその理由は長月、何だと思う?」
「……悪い。いま何の話をしてる?」
「戦争による特別需要を狙っているとは考えにくい。というより考えたくない。何者かが深海でバイオハザードを起こしているとなればハリウッド映画的解決法を模索するしかなくなるからな。では深海にも技術や懐の事情があるから時間が必要なのか? これは当然あるな。徹底的に妨害したいところだ。さて、ここで再び長月に問題だ。敵も当然こちらを妨害したかろうが、具体的には何を襲撃したい?」
「…………むずかしいなー」
「その通り補給路だ。さらに絞って言えば、我々が安全を確保したと考え、呑気にお喋りしながら最低限の警戒で通過しているルートだ。何度も何度も通り、時には戦い、反攻作戦に出ることもあるだろう。安全を取り戻し継続的に利用可能な補給路を確保したと大本営発表があれば安心するな。だが待て。私がさっき言った事を思い出して欲しい。もし深海棲艦が我々のように戦略を練り、技術を持ち、その上で超長期戦を選んでいるとしたら?」
「……………………うん」
「敵は準備をしているのだ。少々の再生能力を持つ個体をどうにか撃破できないかと四苦八苦している我々の視界の外で、ひっそりと仕掛けを準備しているのだ。いや、もしかすると既に何度も目にしているのかもしれない。分かり易く言ってしまえば、迷彩を施された砲台小鬼のような強力な兵器が各方面でじっとD-デイを待っているとしたらどうだ。北から南まで全域で同時に油断した艦娘を、深海棲艦特有の後先を考えない火力で以て我々を壊滅させる、そのための準備が今この瞬間も着々と進められているかもしれないのだ。今更になって『一度負けてもまた司令と秘書艦の二人で再建していけばいい』などという綺麗事はもはや美談にもならない。一度突破されれば押し返すのがどんどん困難になっていく現在の状況で、これはすぐに対処すべき脅威ではないか!」
「…………………………」
「しかし残念なことに我々は現状見えている危機への対処で手一杯だ。それだけではない。広大な海でゲリラ戦の誘いに乗るなど、それこそ敵にとっては願ったり叶ったりに違いない。ではどうする? どうするのだ長月よ?」
黙っていることにも疲れた長月は磯風に何かをしつこく質問されたようなので、とりあえず手元のチラシを指した。
「その通り!」
我が意を得たりと磯風は大仰に手を広げた。
「わざわざ歴戦の艦隊に恐る恐る偵察をさせずとも、南鎮守府総合棟正面入口から徒歩数十秒の位置にある売店に安全が売っているじゃあないか。いつも見ている小さな島が気になるか? そんな時に『島攻略オンデマンド』だ。簡単なサービスさ。ただ『あそこの島を攻略してくれ』とデリバリーピザのように甲・乙・丙を選んで注文するだけで悩みの種を排除できる。素晴らしいと思わないか!」
「……素晴らしいと思う。わあ。すごいなあ」
「フフッ、そうだろう」
◆――――◆
「――といった具合に不安を煽ることで契約と結び付ける寸法だ」
「おい待て悪徳売店」
最初から話を右から左へ受け流していた長月もさすがに聞き流せなかった。
「ここまでの長ったらしい話は何だったんだ」
「この磯風の想像に過ぎん」と悪びれる様子もなく言い切った。「艦娘を辞める直前の私の練度は長月よりも低かったのだぞ。海の正確な情勢など分かるものか。しかし噂されていたヤーナム島が発見された直後に深海棲艦もいよいよ陸上での展開を活発化させてきたことで不安は高まってきただろう。かといって陸軍といっそう足並みを揃えることに不安もあるに違いない。そこでコンビニで本格的コーヒーを買うような気軽なサービスである『島攻略オンデマンド』の出番というわけさ」
「……うさんくさー」
「胡散臭いかどうかは内容で判断頂きたいものだな。甲・乙・丙が並んだ表を見てくれ」
三列からなる表は説明する気が有るのか無いのか(どちらかと言えば無さそうな)契約内容がひどくシンプルに記載されていた。
「まずは『丙』だ」と磯風は長月が目を通す暇も与えずに話し始めた。「千円ポッキリで陸軍から一人を召喚する。以上だ」
「以上って……島攻略してないじゃないか」
「値下げの限界を追求したプランだからな。有り体に言えば、ほら覚えているか、この鎮守府に忍び込もうとした陸軍人。名前は……ん? まぁとにかく、あの陸軍人が天照大艦隊に自身の有能さを見せつけたいと五月蝿いのでな。プラン『丙』は何とかいう陸軍人を千円出せば寄越すから、島の攻略が少しばかり楽になるでしょう、というものだ」
この鎮守府に忍び込んだ陸軍人(長月も名前を忘れた)を真っ先に発見したのは他でもない長月だった。揚陸前に球磨に捕まる程度であることも、睦月を巻き込んで斑鳩に大迷惑をかけたことも磯風より知っていた。さらにはジャージにわざわざ着替えてから失禁するという奇怪な行為に及んでいる。プラン『丙』は千円を払って厄介者を呼び寄せるものだと長月は結論付けた。
「千円なら長月もそこそこ気軽に出せるだろう。どうだ、ひとつ試したくはないか?」
「……攻略したい島を見つけたら考えるよ」
これなら出撃前にちょっと贅沢に千円分の菓子を買った方が誰にとっても幸せであるように思われた。
一つ目のプランから『島攻略オンデマンド』に見切りを付けようとしている長月の様子に気付かないのか、磯風は次の説明に移った。
「次は『乙』だな。このプランは先程の私が並べた建前を信じる人や、実際に怪しい島に悩まされている団体、この御時世にプライベートビーチを持ちたがる命知らず向けだ。よって事前調査の段階から最低でも2,000万円を頂戴しなければならない」
「もう私とは別の世界だな。高いのか安いのか検討もつかないけど」
「民間の怪しげな軍事会社とは格が違うことをアピールする意味もあるからな。実際に島を攻略する段階になれば契約費用は桁が増えるどころではないかもしれない。多少の余裕がある艦隊に調子に乗らない程度の小遣い稼ぎ話を持ち掛けて、客は出した金の分だけ確実に安心を手に入れ、この店は潤う。完璧だ。隙の無いプランだろう」
「磯風には悪いが、どんどん私の趣味と離れていってるぞ。お金、お金、お金。正直うんざりだ。艦娘を辞める前のお前は、お金よりも大切なものを知っていた。島でも何でも任せろと胸を張って言える奴じゃあなかったか」
「…………」
「悪いが私もやることがある。山城との話の途中だったんだ」
磯風が天照大艦隊に加わったのは比較的新しい事で、それでも戦いに向ける熱意は自分よりも大きそうだと長月は思っていた。それは売店のアルバイトとなっても、いや立場を変えてまで鎮守府に残った揺るぎない信念を尊敬すらしていた。
少し言い過ぎたか、いや磯風のためか、どちらにせよ売店に居づらくなってしまった長月は腰を上げようとした。そこでチラリと磯風の顔を窺うと――不気味にも、ニヤリとしていた。
「できれば遠回しに伝えたかったのだがな。長月よ、よーく考えてみろ」
「考えることなんて無い。私は司令官の命令に従って島の攻略作戦に参加する。個人的に出撃することなんてない」
「あの巨大な刀を担いで鎮守府を飛び出した駆逐艦の台詞とは思えないな。長月という『洞観者』は表舞台で戦った数少ない例だと聞くが」
「――今、洞観者と言ったか?」
カウンターを挟んでの睨み合いに発展しそうだった雰囲気を「待て待て」と磯風が制した。
「さっき命乞いをしただろう。秘密だと承知しているし、正直なところお姉さんに聞かされても、長月の怪力をこの目で見るまでは半信半疑だったんだ。だいたい北鎮守府の事件の時だって、目撃されていたにもかかわらず長月が刀をどうしたと駆逐艦の皆が首をひねっていただろう。私もそうだった。しかし実際にあの刀が兵器として有効活用されそうだと分かれば正直、胸が踊った。これは本当に島攻略オンデマンドのプラン『甲』も現実的になりそうだ」
「おいまさか、私に戦わせる話ではないだろうな」
「まあ少し落ち着こうじゃあないか長月。ほらコーヒー牛乳も奢るから長月。騙されたと思って長月。オーマイリルナガツキィ」
「バカにしてんのかお前」
「とんでもございませんお客様。チラシのプラン『甲』のところを見てくれ」
磯風に渡されたビンを一気に空にして、長月は再びチラシに目を落とした。冗談であろう格安の丙、高額納税者でもターゲットにしているのか乙、そして甲もまた長月とは無縁そうな料金設定がなされていた。
「時価。……時価?」と長月は首を傾げた。「回転しない寿司屋の怖いヤツか?」
「まずプラン『甲』の概要を説明させてくれ。さっき『乙』は確実に攻略すると話したな。だがお目当ての島を攻略するための全負担を誰かが持つなどあまり現実的とは言い難いだろう。せいぜい双眼鏡で木が何本生えているか数えられるような離れ小島にロケット花火でも撃ち込んで何も潜んでいないか、一応プロである艦娘が確認しに行く程度だ。しかもロケット花火の撃ち込み方を検討するだけに誰が2,000万も払ってくれるのか少々疑問だな」
「私は最初から島攻略オンデマンドに疑問がある」
「だがプラン『甲』は違う。まったく未知であろうと、逆に鬼姫の存在が確認済みであろうと、形振り構わず制圧する。例えその島を攻撃することで深海棲艦を余計に刺激することになろうとも、それが顧客の目論見だと考えて戦い抜くに足る戦力を送り込む。ゴルゴ13でもなければ攻略は難しい? ならば話は早い、ゴルゴ13なら解決できる可能性が高いのだろう。ヤーナム島のように恐ろしい? 斑鳩という攻略者が既にいるのに恐れる理由は無いな。――口で言うだけならば容易いともさ。ならば口で言ってくれ。島攻略オンデマンドのプラン『甲』をくださいと、ファミチキを買うような気軽さで、この磯風に伝えればよいのだ」
堂々と宣言(宣伝)する磯風は気早くも世界を握ったように偉そうである。自分も売店でのアルバイトを経験したら無駄に自信が付くのだろうかと少し考えてみる長月だった。フンスと鼻息荒くプレゼンテーションを終えた姿が、荒唐無稽でも売れるようなモノを作った磯風の行動力が、ちょっぴり羨ましかった。
とはいえ島攻略オンデマンドが阿呆らしいという感想にいささかの変化も無く、プラン『甲』を説明されたから何だという気分だった。
「それで? プラン『甲』を説明されて? だから何だ?」と実際に口にも出した。
「実はだな。既に注文が入っているのだよ。しかもプラン『甲』と『丙』をセットで」
「嘘だろ? というか本当に商売する気があったのか」
「正直なところ発案者である私が一番驚いている。こんなに小さな売店にも頼るほど暴きたい島があるのかと」
「どこの島だ? 誰に頼まれたんだ?」
「契約情報だぞ、口外できるものか。……今はまだ」
「今はまだ?」
「ところで長月よ。いや洞観者の長月よ。ここからが本題なのだが――あのご執心の刀、ネコノツメについて何か変だとは思わないか? というか頼むからそろそろ気付いてくれ。私も隠しているみたいで心が痛む」
言われた長月は慌てて再びネコノツメを手に取った。長月の身長よりも長い刀を端から端までチェックするのは大変な作業で、それでも根気強く探そうとした。
三分だけ待った磯風の方が折れた。
「念のために聞くが長月よ。まさか気付いていないフリではなかろうな」
「教えてくれよ!」長月を縛る300万円の呪縛は99%OFFとはまったく別次元の話であるため未だ解ける気配が無かった。「この刀に何かあったら私……借金地獄……」
「余計に言いづらくなったな……ではヒントを出すぞ」
「ああ。何だ」
「修復費」
長月の手から抜身のネコノツメがポロリと落ちた。持っていたのが小柄な少女であったためにその様はポロリであったが、扶桑型戦艦・山城の出力をはね返して放屁させた重量のある刀は売店の床に落っことしてよい物ではない。それも運悪く切っ先が真下に向かったとなると、山城の次に敗北するのはコンクリートの床だった。正当なる王に抜かれるのを待つ伝説の剣のように、音はまるで重機のそれのように、ネコノツメは売店カウンター前の床に真っ直ぐ突き立った。
ネコノツメの扱いだけならばまったく苦と考えない長月も、300万円+修復費という別次元の重みには耐え切れず売店から走って転進した。
◆――――◆
「あ……待って……」
一方で磯風の口からは情けない声しか出なかった。お姉さんの指示通りネコノツメを店の隅に立て掛けるだけでも天井を一時撤去してユニックを使ったのである。ただの陳列が様々な意味での苦労となった経験は、できればもう二度と御免だった。それが今度はカウンター前、ちょうど客が品物を持ってきて支払いをする位置に深々と食い込んでいる。刀身はおよそ半分ほどがコンクリートの中にあった。
こうなってしまえば最後の手段、万が一、もしかすると自分の中の人がアーサー王の末裔か何かである可能性に賭けた磯風は柄に手を掛けた。時津風が指導の訓練で言わされた掛け声が思い出される。
「よし、せーの…… エ ク ス カ リ バ ー !! 」
誰も見ていないのを良いことに叫んでみたものの、ネコノツメは既に長月を選んでいる。特別な先祖や湖に棲む乙女のような知り合いに恵まれない(加えてアーサー王伝説に興味もない)磯風にはうんともすんとも言わない、どころか下手に刺激を与えたせいで1cmほど余計に沈んでしまった気がした。
あまりにどうしようもなさ過ぎて、長月を説得するまではこのままでも構わないかと磯風が諦めようとした時だった。店の奥から長身の青白い女性が、録画していたドラマを見終えたらしく半纏姿で出て来た。店に立つ時や旅行鞄を持った時の颯爽たる美人は精神的炬燵で寝ているのか鳴りを潜めている。
「マタ旅行ニ行キタクナッテシマッタ。磯風、オ前ハ鹿児島ノ指宿トイウ温泉観光地ヲ知ッテルカ」
「い、いえ。知りません」
お姉さんから無意識にネコノツメを隠そうと体で遮ってしまった磯風だった。
「旅行ならどうぞ。店はこの磯風に任せて下さい」
「ホーウ。言ウヨウニナッタジャアナイカ。先程、島攻略オンデマンドノ客カラメールガ来テナ。希望ハ明日ニデモ計画ヲマトメテ、明後日カラ特急デ取リ掛カッテ欲シイソウダ」
「あ、明日!? いくらなんでも急過ぎ――」
「オ前ノ背後ニアルモノヲ見ルニ、長月トハ話ヲシタンダロウ」
お姉さんはカウンターに置いてあったチラシを拾って「何度見テモ酷イ。我ナガラヨク客ヲ掴ンダモンダ」としみじみ言った。
「客ノ依頼ハヤーナム島ノ無害化ダガ、トックニ分隊ノ斑鳩ガ攻略済ミダ。深海棲艦デモ人間デモナイ正体不明ノ相手ガ得意ナ長月ニハ退屈ナ仕事ダロウナ。ムシロ同行サセル記録補給係ノ陸軍ノ……エート名前ハ……マアイイ。ソノ陸軍人ノ面倒ヲ見ルノガ唯一ノ厄介事ニナルカ」
「それが……ですね、お姉さん」
「ウン? ドウシタ冷ヤ汗ナンテカイテ。急ニ日程ヲ早メルナド無理ダト突ッ撥ネテモヨカッタガ、オ前ガ考案シタビジネスノ成果ガ早ク出ルコトニナルシナ。良カッタナ。ドウシタ、モット喜ベヨ」
「いや、その……」
「心配スルナ」
お姉さんはあまり健康的には見えない細く青白い手を磯風の肩に、ヌラリと絡みつくように置いた。
「客ハ長月ノ裏ノ姿ヲ知ッタ上デ『甲』ト『丙』デ注文シタカモシレナイガ、戦力ノ指名ハサレテナイシ、我モソコマデノ我ガ儘ヲ聞ク気ハナイ。我ガ温泉ヲ満喫シテル間ニ全テ磯風ノ采配通リニ事ガ進ミ、島ハ無事攻略サレル。確カニ我ハ長月ノコトヲ教エテヤッタシ、アノ子程ノ強サガナケレバ――」
お姉さんはもう一方の手で磯風の後ろに深々と突き立ったネコノツメをチョイチョイと指した。
「――命ガ幾ツアッテモ足リナイト助言モシタナ。オ前ハ忘レルホド阿呆ジャアナイダロウ。シカシ、モシモノ話ダ。客カラ大至急ダト煽リガ来テル時ニ限ッテ、長月トノ友好的ナ会話ニ失敗シタト仮定シヨウ。コンナ時、磯風ナラドウ対処スル? ウン?」
磯風は短い艦娘経験のおかげで自惚れることは(あまり)なかった。だから島攻略オンデマンドを練る段階から、このサービスはあくまで『強い者』といかに交渉し派遣するかを考え、まさか人と時間の不足から『弱い自分』が出向くなどあり得なかった。少し深海棲艦と戦える程度の自分がノコノコと近づけば確実に沈められるような、そんな危険地帯をどうにかするのがそもそもの島攻略オンデマンドであるはずだった。
ヤーナム島については斑鳩から酒の席で話を聞いた以上に、お姉さんから微に入り細に入り聞かされて脅されていた。そこに待つのは死よりも恐ろしいものだと。
「ドウシタ磯風、震エテルゾ。寒イノカ? 心配スルナ。ヤーナム島デハ火種ニハ嫌デモ困ラナイト聞ク。――デ? ドウスル?」
「こ……この、磯風が……」
「磯風ガ? ナンダ?」
「磯風が…………斑鳩と交渉してみます。絶対に時間は作れないと思うが、聞くだけ聞いてみれば、もしかしたら」
するとお姉さんは我慢していたのを堪えきれなくなったように大口で笑った。
「アッハハハハ! 成長シタナァ磯風!」
磯風の肩に置かれていた手は頭に移り、今度はベシベシと叩きはじめた。
「痛っ、お姉さん痛い」
「オ前ハアノ阿呆潜水艦タチト比ベタラ素直デイイ。モシ自分ガ行クト言ッテタラ止メナイツモリダッタヨ」
「私が行っても何とかなる島なんですか?」
「イヤ? 超危険ダトシツコク教エタダロウ。運ガ良ケレバ制服ノ切レ端クライハ島ニ流レ着クカモナ」
「…………」
磯風は答えを間違えなかった数秒前の自分を褒めてやりたかった。お姉さんはヤルと言ったらヤル人で、死にに行こうとした磯風には弁当を持たせて平然と手を振ったことだろう。
「仕方ガナイ。指宿旅行ハ先延バシニシテ、ヤーナム島ノ遺跡ヲ見ニ行クトシヨウ。実在スルト聞イテカラ直接歩イテミタイト思ッテタシ、金銀財宝ガ見ツカルカモ分カラナイ。磯風ハ長月ノ機嫌ヲ取ッテ、我ガ帰ルマデニネコノツメヲドウニカシロ。出血大サービストカ言ッテ100円デ引キ取ラセテモ構ワナイカラ。カウンター前ガ危ナクテ商売ニナリヤシナイ。穴モ砂利カ何カデ適当ニ塞イデオケ」
「りょ、了解しました。しかし、大丈夫なんですか?」
「ナニガ」
「いえ、ですから危険な島なのでしょう。そんな場所に痛っ!?」
お姉さんは磯風の頭を叩いていた手をパーからグーに変えた。
「ネコノツメヲ扱エル筋力ガ無ケレバ弱イトデモ? 剣ト魔法ノファンタジーハ漫画ノ中デヤレ。磯風。我ノ名ヲイッテミロ」
などと漫画の有名な台詞を借りるお姉さんに、磯風は店内を逃げ回りながら答えた。
「ご、極楽型戦艦一番艦の極楽で、痛い痛いですっ!」
「結構。ヨク覚エテイルジャアナイカ」
【極楽:Lv.155+2】
「島攻略を請け負って荒稼ぎしよう」
新海域6-4や大発アタック実装、あと一ヶ月くらい遅らせてほしかった……。
長月と磯風と陸軍人によるサービスの話がボッキリ折れたショックで、赤ペン添削した原稿が迷路の見取図めいていました。
島ではなく花粉を攻略する話にしておけばよかったと、たった今、激しく後悔し始めたところです。