球磨の薬指   作:vs どんぐり

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第60話 極楽とは程遠い極楽 ⑦

 この世界には深海の闇ですら消せない炎が存在する。

 

 

◆――――◆

 

 

 戦艦、極楽は沈むべきだった。

 沈むべき理由があった。

 沈まなければならなかった。

 だが彼女はこう思った。

 

「阿呆ラシイ」

 

 極楽の炎に感傷の熱は無く、深海から伸びる絶望という名の手に足首を掴まれても何ら怯むことはなかった。その程度か情けない、もっと根性出して引きずり込め、とすら彼女は思った。

 深海からの誘いに無視を決め込んだ極楽は、自分自身を炎で燃やした。深海の手は炎から逃げるように足首を離して消えたが、その炎はむしろ冷たかった。青い炎だった。

 

 

◆――――◆

 

 

 雨も降り止み、幸運にも小さな無人島を見つけられたのは深夜、暗闇の海、さしもの極楽も疲弊していた。残りの燃料も心許なかった。

 大戦艦の艤装を浜辺に捨てて、極楽は砂の上に仰向けに倒れ込んだ。空はどこまでも黒一色だった。方位も分からない。

 今はこのまま寝てしまおうと、目を瞑ろうとした時だった。視界の端、海の方から、極楽を追ってきたように何かが現れた。疲れていた極楽は空目を使おうともしたが、それが人の形をしていては無視できなかった。

 

「…………」

 

 極楽は嫌々、その深海より遣わされた亡者を見た。

 水死体とは違って、どちらかというとお化け屋敷やハリウッドで見れそうなナリをしていた。海や孤島に暮らす生き物の愛らしさの真逆だった。意図してのものであるはずはないが、それを見てしまった者の嫌悪感を強く刺激させる姿になっていた。人の形をしているから、それは尚の事。

 

「コノ世界ニハ深海ノ闇デスラ消セナイ炎ガ存在スル……ツッテモ、海ガ諦メル諦メナイハ別ノ話ッテワケカ」

 

 面倒だ、と極楽は思った。

 海が「恐れよ諦めよ受け入れよ」としつこく迫ろうとも、そんなものは極楽の知ったことではなかった。もう海にはウンザリしていた。怒れるポセイドンがそこにいたのならグーで殴って分からせてやるのもやぶさかではなかっただろう。

 だが海が遣わしたのは筋骨隆々の神ではなく、のそのそと這い寄るだけの亡者である。殴り甲斐もない。面倒臭い。

 ああ、自分がもう一人いたら、と極楽は思った。あまりの面倒臭さに本気で祈った。

 祈りはあっさりと、ポセイドンとは別の神に届いた。何の神かは不明だが、その神は極楽の炎に性質を与えた。

 その性質とは『複製』。

 極楽が期待せず出すだけ出してみた青い炎の中から、もう一人の極楽が現れた。制服の汚れまで一致していた。

 

「……誰ダ、オ前?」とオリジナルの方は訊いた。

 

 人が自分の姿を見るのは主に鏡に映った左右反転された自分だから云々、ではなく、倒れた自分の側に立っている者に見下されるのが不快だった。もう一人の自分を望んでおきながら、それが叶ったら叶ったで文句を言うのが極楽である。

 

「フン、我ガ姿ガ情ケナイ」

 

 青い炎で生み出された極楽は、近付いていた亡者のグズグズの頭をヒールで踏み潰した。

 

「サッサト立テ。我一人ニヤラセルナ」

 

 

◆――――◆

 

 

「…………さん。お姉さん。起きてください。店を開けますよ」

 

 肩を揺すられて極楽は夢の世界から現実に戻ってきた。

 左の側頭部に痛みがあった。しょうもない夢を見た原因が見つかった。テレビのリモコンを枕にして寝てしまっていたらしい。

 

「アア、クソ。磯風、モット早く起コセ」

「早く起こすと怒るじゃありませんか。それにまた炬燵で寝てますし、夜遅くまでゲームか何かやっていたのでしょう」

「水ヲ持ッテコイ。部屋ガ乾燥シテタマラン。ソレト頭痛薬」

「その痛みに頭痛薬は効かないのでは?」

「別ノ痛ミダ。クダラン夢ヲ見タセイノヤツダ」

「朝食は食べますか?」

「イヤ、気分ジャアナイ。水ト薬ダケデイイ」

 

 薬を飲んだ極楽は、一昨日、中にカビの繁殖が確認された加湿器を睨め付けた。空気の乾燥など実際のところ彼女は言うほど気にしてはいない。ただの八つ当たりのようなものだった。

 

「ところで、どんな夢だったのですか?」と磯風は訊いた。

「アー?」

「お姉さんが夢について口に出すのは、そういえば珍しいと思ったので」

「……我ガ海戦ニ出テ、深海ナントカ姫ヲ倒ス夢ダ。高ク売レソウナ勲章ヲ――」

「それはさっきまで見ていた夢じゃあなく、お姉さんの『願望』という意味の夢では?」

「ナゼ分カル?」

「だってお姉さん、この前『ブーゲンビル島ガ近海ダッタラ我ガ甲種勲章ヲ取ッテタノニ』ってぼやいていたじゃあないですか」

「ツマラン事ヲ覚エテルナ、オ前」

「いや、三回か四回は言ってましたよ、お姉さん」

「マジカ」

「マジです」

「磯風。オ前ガ気ヲ利カセテ甲種勲章ヲ取ッテクルトコロダゾ」

「いやいやいや」

 


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