球磨の薬指   作:vs どんぐり

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第67話 極楽とは程遠い極楽 ⑭

 午前10時03分。

「違法薬物『メン・タイ』の取り締りを強化せよ――……なんです、この任務? こんなの僕、初めて見ましたよ。何かの間違いでは? 極楽さん、これ艦娘に任せる仕事じゃあないでしょう」

「我に聞くな。暇そうな駆逐艦とか軽巡でも向かわせておけ」

 提督代行、極楽は適当だった。

 濃紺の長袖のシャツに、似たような色のジャージのズボンというラフすぎる姿が、発言にいっそうの軽さを持たせた。せっかくのスラリとした美人が残念な姿になっているのも彼女の性格ゆえに仕方のないことである。

「いやいや、そんな海上護衛みたいなノリの任務ではないですよ絶対。えーっと作戦海域は……オールド東京湾……ああなるほど、受託したのがそもそも間違いのヤツですねこれ。実質ネオサイタマ鎮守府からの応援要請だから、えっと、そう、僕らの手に余るので本隊のガチな人たちに任せましょう。球磨さんでしょ、霧島でしょ、それと――」

「斑鳩。天気予報」

「はい? オールド東京湾の天気ですか?」

「違う。ここのだ。この雨はいつまで続くんだ」

 極楽は提督代行の席を立つと、窓際まで歩いた。

 北鎮守府の総合棟二階、執務室から見える外は、ここのところずっと、朝も夜も日をまたいでも、ほぼ途切れることなくしとしとと雨が降り続いていた。空も海もずっと灰色のままだった。「晴れたら戦艦寿始末作戦を決行するぞ」そう言ってから、今日の今までずっと。誰かが意図して低気圧をとどまらせているとしか極楽には思えなかった。

「ああ外ですか。洗濯物が乾きませんね」と今度は、斑鳩の方が適当に返事をした。「でも、そのうち晴れますよ。それで『メン・タイ』の取り締り任務ですけど――」

「寿を何年待たせたと……いや、我が何年待ったか分かってるのか、この雨雲は。ようやく作戦の準備が整ったんだぞ。ようやくだ。だというのにこれだ。この雨だ。天照大艦隊が崇敬する神の姿を意地でも見せないという気概すら感じるぞ。我にケンカ売ってんのかこの雨は」

「……日頃の行い」

「なにか言ったか秘書艦」

「いえ、任務についてちょっと」

「まさか、我の裏をかいて寿から仕掛けてきてないよな。……いやあり得ん。それにしたって奴も雨上がりのウシミツ・アワーを狙ってくるはずだ」

 極楽は一人で思いを巡らせたが、すべて溜め息と一緒に口から吐き捨てた。

「考えても仕方ないか。気に食わんが待つとするか」

 極楽が「で、任務の方はどうした」と仕事に戻ろうとした、その時だった。

 

「あんぎゃあああああああああああああ!!」

 

 外から、人間の声らしからぬ声がした。

 

 

◆――――◆

 

 

 素早く反応したのは斑鳩だった。

 飛び跳ねるように席を立った斑鳩は窓まで猛ダッシュして、雨に濡れた窓を開け放つと、一分の躊躇もなく外へと躍り出た。地面までの二階分の高さなど、まるで意に介さずに。

 総合棟を飛び出した直後、斑鳩の左目から青い炎が吹き出した。その悪鬼のような目で叫び声のした方向を見ると――いた。時津風が傘を手放し、尻餅をついていた。

「お、おばけぇえええええええええ!!」

 次に時津風の視線の行方を追うと――海から這い上がってきた亡者がいた。極楽の言葉で言うと、ゾンビ。頭から足まで朽ちた人の形。元があるとすれば恐らくは成人男性。

 斑鳩がゾンビを見たのはこれで二度目だった。だからすぐに次の行動を決められた。

 コンクリートの上に右手をついて着地すると、“右手を青い炎で燃やし、その炎を周囲のコンクリートに引火させた”。青く燃えた部分のコンクリートは斑鳩が手を持ち上げるのにつられてバコンと引き剥がされ、彼女の“装備品”になった。それが、ゾンビ目掛けてぶん投げられた。

「ゼリャアッ!」

 勢いはドッジボール程度、だが軽いボールではなく十数キロのコンクリート片がゾンビに直撃し、元いた海へと吹っ飛ばした。

「時津風チャン、大丈夫!? 怪我ハナイ!?」

 左目を青く燃やしながら駆け寄る斑鳩も普通ではないのだが、時津風はまず何を理解すればよいのか頭の整理が追いつかず固まってしまっていた。

 斑鳩は執務室に向かって叫んだ。

「極楽サン! コレハドウイウコトデスカ!」

 極楽は渋い顔をした。

「やれやれだ。先手を打たれたな、これは」

 そして二階の執務室の窓から当然のように飛び降りた。斑鳩のようなスーパーヒーロー着地ではなく、濡れたコンクリートをパシャリと軽く踏んだだけだった。

 極楽はまず一度、パチンと右手の指を鳴らした。すると小さく青い炎が出て、それが赤いヘアゴムになった。極楽は雨に濡れだした長い髪を後ろでひとつにまとめた。

 次に指を鳴らすと、今度は青い炎が横に長く伸びて――口径12.7ミリの重機関銃が現れた。通常はガッシリした三脚や銃架に固定されて使われるものだが、極楽が物質化したこれは、手で保持しやすくするグリップと弾帯を収める箱を機関銃本体に直接くっつけた、頭の悪い重火器である。

 極楽は重機関銃を軽々と――肩付けすらせずに――顔の前で狙いをつけると、銃弾を二発、猛烈な破裂音と共に吐き出した。海から這い上がろうとしていたゾンビ二体の頭が消し飛ばされた。

 

 戦艦が46センチ砲を、駆逐艦ですら12.7センチ砲を撃つ時代に、ただの12.7ミリ弾の水平射撃が何の役に立つのか? ――洞観者たちは「そうではない」と口を揃えて言った。強烈な銃弾は、当然、深刻な破壊をもたらすのだと。

 

「作戦を変更する。戦艦寿始末作戦プランBだ、斑鳩」と極楽は言った。「長月と潜水艦たちを呼んで来い。お前らで一緒にゾンビ共からこの鎮守府を守れ」

「ソレッテ……極楽サン一人デ、寿サンヲ倒シニ行クンデスカ?」

「そうだ。どうやら楽をしようとした我の判断ミスだったらしい。結局ここから先は我一人で――」

「アッハイ。オ気ヲツケテ」

「お前……その時津風と我に対する反応の違いは何だ?」

 

 

◆――――◆

 

 

 履物だけはクロッグサンダルではまずかろうと、極楽は工廠に寄って足回りを戦艦のそれに整えた。

 上は長袖シャツ、下はジャージに戦艦艤装、手には重機関銃という海をナメたスタイルで――そして、一人、海に出た。

 

 足を海面に付けてから百メートルほどをツイと進んで、そういえばおよそ二年ぶりの感触だと気付いた。ヤーナム島に『観光』に行った以来だった。しかし特に懐かしくも面白くもない、久しぶりの海上スケートだな、程度の感触だった。

 

 後ろを振り向いて鎮守府の建物がほぼ見えなくなったあたりで、極楽は水族館のイルカのように高くジャンプした。レーダーも偵察機も持たない彼女の、これが索敵方法だった。

 思っていたよりも見渡せる距離が伸びないなと思うと、次は十数メートル跳んだ。雨で視程が低下しているとはいえ、彼女に見えないということはない。周囲に敵影がないことを確認すると、彼女は前進した。進んで、跳んで、進んで、たまにスマートフォンのコンパスアプリで方角を確認して、また進んだ。

 

 三十分ほど進んだところで、前方にはじめて深海棲艦の一団を発見した。極楽との距離はおよそ十キロ。重機関銃もまったく届かない距離である。敵はまだピョンピョン跳ねる極楽に気づいた様子はない。

 

「軽巡2に駆逐3、いや、あれは軽巡じゃなく重巡だったか? まあどっちでも大差ないか」

 

 極楽は敵船団の方へとやや進路を変えた。

 その後、計十三発の弾丸で、邪魔になる可能性のある者らを海の底に返した。

 被弾、当然ゼロ。

 

 

◆――――◆

 

 

 極楽がいくら海を進んでも、雨雲の下から抜け出すことはなかった。雨雲にストーキングされているようですらあった。

 

「雨上がりがお望みじゃあなかったのか! なあ寿!」

 

 極楽は叫んだが、声はすぐに海面を打つ雨音にかき消された。

 

 自分でも認めまいとしているが、極楽には焦りがあった。

 ここまで四回、深海棲艦との接触があって、ほんの僅か1パーセントにも満たない消耗で突破できている。出撃時とほとんど変わらないコンディションを保てている。

 だがしかし、元々の戦艦寿始末作戦では、極楽のコンディションを保つのは当然として、それに加えてサポートに長月がいた。単純な話、極楽と寿の力が拮抗するならば、長月の分だけ天秤が傾く。逆に言えば、長月がいなければ最悪、共倒れになりかねない。

 極楽は姉妹艦と心中するつもりなどさらさらない。だから何年も待った。作戦の準備が整うのを待って待って、待ちに待った。

 いや、ここまでの小指の先ほどの消耗の差が、極楽の敗北をすら招くかもしれない。

 それが冷静な自己分析の結果か、あるいは彼女らしからぬ弱気が、幾度目かのジャンプの足を重くした。

 

「…………」

 

 水平線を超えた先に、ついに、その姿を捉えた。

 

「…………」

 

 幸い、周囲約十キロに他の敵の姿は見えない。付近には島もなく、ただ薄暗い海が広がっている。

 極楽は重機関銃を青い炎に戻して仕舞うと、進む速度を落としてもう一度ジャンプした。

 空中で観察したところ、『奴』はただ一人で、一糸纏わぬ姿で海の上に立っていた。せめて深海棲艦のように砲の一つでも持っていてくれたら行動を推測できたのに、『奴』は何も持っていないし周囲にも何もない。

 極楽が見て分かったのは、伸びっぱなしの白い髪が顔を隠していることと、体つきがとても豊満な女性のそれであるということ。肌の色は、海が暗いためはっきりしないが――極楽と同じように青白く見える。

 

 ジャンプから降りて『奴』との間に水平線を挟んだ極楽は、ゆっくりと歩く速度で進んだ。いまさら急ぐ意味もないからか、それとも――。

 

 ゆっくり、ゆっくりと極楽は進んだ。

 

 ついに水平線の向こうに『奴』の頭が見える距離まで近づくと、いきなり極楽の右足に何かが掴まり、海の中に引き摺られそうになった。

 だがそれは極楽の想定の内にあった。想定していたことが起きて安心したとすら言えた。右足を目で確かめるより先にパチンと指を鳴らすと、一瞬の青い炎の出現の後にそれが、全長を切り詰めた散弾銃の形になった。極楽はそれを右の足元に一発撃って、掴んでいたゾンビの手を切った。

 極楽は進む速度をグイと上げた。

 

『奴』との距離があと三キロ程になったところだった。

 

「――――ん?」

 

 ようやく『奴』の頭がピクリと動いた。

 しだれた前髪の隙間から眼が覗き、『奴』の感情が露になった。

 

『奴』の口が動いた。

 

「……ラク」

 

「――――んん?」

 

 極楽は訝しんだ。

 

「ゥゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 極楽まで届いた咆哮。

『奴』との距離、あと二キロ。

 極楽は海面下から伸びてくる無数の腐った手を、軽快なホップステップで跳び越していった。

 既に、ここに来るまでに持っていた重機関銃の有効射程内である。

 

 極楽はようく目を凝らして「――――んんん?」やはりまた訝しんだ。

 そういうものか? 時間が経ち過ぎてそういうことなのか?

 それで自分を納得させようとするも、できなかった。

 もっと、よく観察する必要があった。

 

 二人の距離、あと一キロ。

 

『奴』が、非武装の深海棲艦のような素っ裸の女が、極楽めがけて走り出した。

 二人の距離が一気に詰まる。

 極楽はこのまま散弾銃で戦闘に入ってしまってもよかった。だがどうにも、おかしい。違う。何かが違うのではなく、決定的に違う。

 確かめるためには最接近してみるしかない。

 

 二人はどんどん、どんどん近づいて、ついに殴るための助走をつける距離になった。

 飛び掛かってきた『奴』をトーンとジャンプで回避しながら、極楽は真上から訊いた。

 

「お前、誰だ?」

 


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