「叢雲の意見を聞きたい。今年は皆に節分騒ぎを控えさせるべきだろうか」
あんた司令官でしょう好きにしなさいな、と言おうとしてやめた。「そういう風習の日だから」って疲労を無視して豆のドッジボールなんてやっていたら、節度をわきまえない子から順に魂をスウッと抜かれかねない。実際、私自身もそれくらいの疲労を抜けきれないでいる。豆まきが原因で死ぬのも過労死にカウントされるのかしらね?
「そうね。今年は豆は食べるだけにしといた方がいいかも。あと恵方巻きを食べる程度に」
「今年からはもう恵方巻きは販売されないのではないか? 去年、売店のお姉さんはかなりの量を廃棄する羽目になったとぼやいていた。珍しいミスだった」
「あー。私も恵方巻きより……今はエナジードリンクの方がっふうぁあ~……失礼」
午前10時からあくびの我慢もできない秘書艦、叢雲よ。文句ある?
◆――――◆
大規模……いえ、大々規模作戦『南方作戦』は、全作戦を成功し、敵深海主力部隊の撃滅にも成功した、と発表された。
疲れた。
やっと終わった。
泥沼化するかと思った。いや、泥沼に片足をつっこんでいた。
ソロモン海戦中、大和と武蔵が数年ぶりにコンビを組んだことがニュースになったけれど、「大和型戦艦二人の投入ですら決定打にならない」とネガティブなことを言う軍事評論家もいたし、実際に鉄底海峡に突っ込んだ幾つもの艦隊も「砲撃より雷撃が運良く致命的に当たってくれるよう祈るしかない」と意見をそろえた。もちろん、そんなことは撃沈王自身が一番よく分かっていて、最前線では大本営直属部隊が砲撃という名の防御に徹していた。
そう。“誰か”の魚雷が運良く致命的に、重要攻撃目標である防空巡棲姫に当たってくれさえすれば。
その“誰か”になったのが、うちの、天照大艦隊の、夕立だった。
◆――――◆
確かに夕立は幸運を引き当てた。
敵主力部隊の旗艦だけを刈り取って、戦力的にまだまだ余裕があった(ように見えた)深海棲艦群を引かせた、その結果だけを見れば、重要攻撃目標だけをスマートに刈り取って勝ちを得た……とは、いやいや、ならないわね。こっちは大本営直属部隊も含む多くの艦隊がボッコボコにされたのだし。かつてないほど疲弊させられたし。
でも。あの子のために言っておかなくっちゃあならないのが、夕立がただのラッキーガールではないってことね。
夕立の攻撃のセンスは頭一つか二つ抜きん出ている。練度がずっと高い私よりも、ずっと効果的な攻撃ができる。ただ撃って当てればヨシ! の先、装甲を貫いて有効なダメージを与えられる。とても自分と同等の装備を使っているとは思えないほどに。
「どの艦隊の誰でもいいからアイツに魚雷を当てろ」と叫ばれてはいたけれど、その「誰でも」の中に入るには、やっぱり夕立ほどの攻撃のセンスが求められた。
だから作戦終了後、夕立のことをやたらラッキーガールだと持て囃した人たちは本質を見誤っているし、つられて勘違いした夕立が買った宝くじが当たるとは到底思えない。
◆――――◆
午前中にやってしまおうと思っていた仕事が片付かなかったのはよくない。昼餉まであと何分……と時間を数えてばかりで、これじゃあただの怠け者だっての。
カツ丼でも食べてパワーをこうグイッとしようとふわふわ思いながら食堂までの廊下を歩いていると、そこで時雨がどうやら私を待っていた様子だった――あるいは、唐突に私の前に出現した。まあ、なんでもいい。
「叢雲、ちょっといいかい」
時雨は周囲をキョロキョロと見回して人の目を避けているようだった。ここで見える範囲には私と時雨しかいない。
「どうかした?」
「それが……」と声を潜めて言った。「夕立が……天狗になってしまったんだ」
「天狗ぅ?」
「うん、天狗。あれはどう見ても天狗だね」
「な~んですってぇ~~~っ」
夕立が驕ってもよかった時間は慰労会の時まで。大和型ですら防戦一方だった重要攻撃目標を撃破したことを誇りに思うのはさらなる飛躍の足しになるから推奨する。でも天狗になって鼻を高くするのはいただけない。まったく、誰よ「夕立には攻撃のセンスがある」とか言って持ち上げたのは。「ぽーいぽいぽい」と笑って他の駆逐艦を見下す夕立が、想像しようとする手順をすっ飛ばして私の頭の中を占拠した。
「ぽーいぽいぽい。叢雲なんかぽーいぽいぽい」
総旗艦を足蹴にして天狗笑いとは猫をも恐れぬ所業。おのれ夕立許すまじ。
「なにしてるの時雨、早く行くわよ。高くなった鼻を元の高さから1cmマイナスまで縮めてやるわ!」
「夕立は寮の自室に閉じこもっているよ」
すぐ行くから待ってなさいよ夕立ぃ!
あれ、夕立の部屋ってどこだっけ――……そうそう、ここだ。
「コーンコン。ノックしたわよ。入るわよ夕立」
「は、入っちゃダメ!」
構わず私は扉を開いて押し入った。
部屋の中には――顔を手で隠そうとしても隠しきれていない、天狗になった夕立がいた。
いや、どちらかと言うと、夕立に似た天狗がいた。
◆――――◆
天狗とは日本に古来から存在するフェアリーの一種で、赤く長い鼻を持ち、空を飛ぶという。
【ニンジャスレイヤー「アトロシティ・イン・ネオサイタマシティ」 #2 より】
◆――――◆
顔の真ん中から立派な赤いモノを生やすという不意打ちを受けた私は反射的にこうするしかなかった。
「ブっふぉwww」
吹き出した。
赤いモノがあまりに立派だったから。
半べそをかいていた夕立天狗は、そりゃあ笑われたら怒るわよね、背中に生やした大きな黒い翼を広げ、勢いよく羽ばたかせた。
「ザッケンナポイー!」
夕立天狗が起こした天狗風は私を部屋の入り口から吹き飛ばし、寮内の廊下と階段から押し流すように吹き飛ばし、駆逐艦寮の入り口から外へと吹き飛ばした。
寮の前で地べたにひっくり返った私を、時雨が困り顔で見下ろした。
「どうして怒らせるような真似をするかな、叢雲」
「……天狗になってる、ってちゃんと説明しない時雨が悪いでしょう」
「そう言ったじゃあないか」
「いや言ったけれどもよ。ミスリードを誘われたというか……え、あれ本当に何なの? 夕立? 天狗? 夕立改二天狗?」
「なるほど、さらなる改装で天狗になった可能性もあるね。元の夕立にコンバート改装できるのかな」
「真に受ける話じゃあないのだけど」
「夕立のことはさておき」
アレを見ておいて、普通、さておける……?
「叢雲、君もどうやら考え物だ」
「はい?」
「夕立を増長という意味での天狗だと決めつけていたあたり、総旗艦という地位にあぐらをかいて――天狗になっているんじゃあないかい?」
「な、なに馬鹿なことを……」
「でも。ほら、君の鼻は嘘をつけないようだ。もう鏡がなくても自分の視界に入っているだろう」
私は顔をおさえようと手を……ああ、でも鼻から棒が伸びたように……なんなのよこの棒のような、赤い、私の鼻は……!
「い、いやあっ! 見ないで!」
「君が見せているのさ。天狗になった、自分の顔をね」
「や、やだっ! こんなの、助け……!」
「君自身が自分を天狗にしたんだ」
「て、天狗なんて、そんな、いやぁーーーー!」
◆――――◆
「――ひぃやっ!?」
真正面の敵戦艦から直撃を食らったような飛び起き方をした。
見慣れた執務室。座り慣れた秘書机。
飛び起きた体勢のままコンマ5秒で状況判断。
……夢。
「はぁ~…………」
どうりで、時雨がいきなり現れたり、寮に瞬間移動したり、天狗が出たり天狗になったり、色々ありえないことがおきたのに疑問を持てないわけだ。
居眠りをやらかしたショックで顔を左手で覆うと、いつも通りの大きさの鼻が手に当たった。
「起きたか」と怒るでもなく言う司令官。
「私、いつから寝てた?」
「30分ほど前からだろうか」
壁掛け時計の針は11時8分を指している。夢の中では昼餉を食べようとしていたから時間が巻き戻ったような感覚に陥った。今の疲労度的にこの無駄骨感はちょっとつらい。
「お、起こしなさいよ! ……いや、ごめんなさい」
「隣の部屋では電もな、ソファで仮眠を取っているらしい」
「秘書艦やる意味ないじゃあないの」
「叢雲も昼の休憩は長めに取ったほうがよいのではないか」
「充分寝たから大丈夫」
「しかし、うなされていたが」
「……寝言、言ってた?」
「テングがどうとか」
◆――――◆
ヒトフタマルマルの時報任務を遂行した私は食堂に、ではなく売店の方に行った。
私の、まぁ低くはない練度から導かれた未来予測によると、時雨と夕立が「少し早めの節分の準備」とか言って真っ赤な天狗の――鬼と言い張れなくもない天狗のお面を被って私を驚かせようとしているらしい。さっきの夢はほぼ正夢でした、なんてありがちなオチを用意して食堂に向かう私を待ち構えている様子。
だから先手を打たせないために私も天狗のお面を買っておこうというわけね。天狗には天狗で対抗する。自分でも何を考えているのかよく分からないけれど、たぶん疲れているんだろうけれど、とにかく天狗のお面が必要だった。
◆――――◆
売店のなにがすごいって、本当に欲しい時に売っているのよ、天狗のお面が。売店のお姉さんは私たちの夢の中まで市場調査の網を広げているんじゃあなかろうかと思えてくる。
お面は、夢で見た夕立天狗にも負けない立派な赤いテカテカヌラヌラしたモノを生やしていらっしゃる。需要があると見越してか値段もちょっと強気の3,500円。……まあ、モノが太くて硬そうで立派だし妥当な値段だと思うしかない。
天狗のお面と、ついでにお弁当とエナジードリンクをレジに持っていった。今日の店番は磯風だった。
「おお叢雲、今日は弁当を…………、っ!????」
天狗のお面を見るなり動転する磯風。
「こ、これを買う、のか?」
「ええ買うのよ。ほら立派に生えてるでしょうコレ」
「立派に生え……っ!」
磯風の声が裏返った。なんなの?
「つ、つまり叢雲は、こ、これ、を、使うつもり、なのか?」
「せっかく買うんだから、そりゃあ使うわよ」
「待て! 他の客もいるのだぞ、あまり大っぴらに言うな」
「あんたが聞いたんでしょうに」
「そうだが……やっぱり待て。どちらがどちらに使うつもりだ?」
「どちら、って何処と何処?」
「私と叢雲に決まっているだろう。他にいるものか」
「えぇ……? 私が買うんだから私が被って使うに決まってるでしょ」
「ままま待ってくれ!」
磯風が顔を真っ赤にして私の買い物を妨害してくる。
「これほど太く大きいモノを受け入れる準備は……私にはまだ……早い」
「早い? も何もないでしょう。じゃあ磯風が被って使う?」
「それほどまで『天狗プレイ』がしたいのか!? 少し落ち着け、私たちはもっと緩やかにやっていこうと決めたはずだ。叢雲にだってこれほど太くて大きいモノは――ま、まさか、ついに前の方だけでは物足りなくなってきたのか!? 後ろを使って連結を成すというのか!? 駄目だ駄目だ心の準備が――!」
磯風の言う『天狗プレイ』なる言葉について考えてみた。
太くて大きい立派なヌラヌラしたモノを生やしたお面を、私か磯風のどちらかが被ってどちらかに使い連結する。昼間はお互い仕事があるから、『天狗プレイ』は夜に私たちの部屋でヤることになる。そういえば磯風とは最近、大規模作戦のおかげで疲れていたからご無沙汰だった。ああ、だから磯風は前の方だけじゃあ物足りなくなったのかと勘違いしたんだ。そんなことは全然ないのにね。かといってこのお面の立派なモノが使えるかというと私たちはそのレベルには近づかないよう気をつけているし、磯風の言う通り『天狗プレイ』は私たちにはまだ早い。
売店にいた他のお客の皆が動きをピタリと止めていた。足音のひとつもない。ソナーを使うように耳をそばだてて私と磯風の会話を拾っていた。
私はプルプル震える手で天狗のお面を掴み、磯風の真っ赤な顔面めがけて投げつけた。
「お馬鹿!!」