人間か深海棲艦か、どちらかと言えば後者に見える売店のお姉さんがなぜ売店でお姉さんなどやっているのか、疑問を持つ者も、知る者も、少ない。
お姉さんが抱えていた事情まで知る者はもっと少なく、今もまだアカシマートと戦い続けてまで天照大艦隊の中で売店を開き続けている理由を知る者はさらに少ない、どころか片手の指の数の方が多すぎる。
理解者になるべく、
「何故ですか」
とお姉さんに素朴に聞いた磯風はアイアンクローで持ち上げられた。
「痛い痛い砕ける!」
吊るされた磯風には聞こえなかったようだが、お姉さん――極楽型戦艦1番艦、極楽は素朴な問いに一応は答えていた。
「我にも分からんことを聞くな」
◆――――◆
磯風という扱き使えるアルバイトがいるとはいえ、お姉さんは磯風とだいたい半々くらいの割合で代わる代わる店番をやっている。お姉さんの方は勿論だが、なんと磯風の方まで割に融通してもらえるのだ、次のやり取りのように。お姉さんはやさしい。
「明日は浜風たちと遊びに行ってきますので店番お願いします」
「構わんが――なあ磯風、我は確かに『マスクを集めろ』とお前に言ったし、お前は確かにそうした。それはいい。我が思ってたのと少し違ったがまあいい。だが一緒に同数以上集めた『ネズミボトル』というのは……これはなんだ?」
「聞くところによると『ネズミボトル』あっての『マスク』だそうです」
「それ、誰に聞いた?」
「専門家です」
「何の専門家だ?」
「恐らく『ネズミボトル』と『マスク』の専門家かと」
「……まあいいだろう。色々と初耳で興味深い」
自らが前に立ってみせなければ自分の言葉に何の説得力もないことを戦艦極楽は嫌と言うほど知っている。だから店番をそうそう渡しはしない。それはそれとして、後に磯風はネズミボトルとマスクの実演販売をやらされ死にかけた。
◆――――◆
今日この日も店番をしているのはお姉さんの方で、磯風はというとバックヤードのさらに奥の茶の間で、赤いジャージ姿でダラダラとスマートフォンをポチポチしている。最近買い換えた大型テレビは見られてもいないのに、アナウンサーがああだこうだ言っているニュース番組を垂れ流している。
「こんなに堕落した艦娘磯風なんてもう磯風じゃない!」
と言われて当然で、
「いや、うん。この磯風は艦娘を辞めて売店のアルバイトとなって随分久しいからな」
と返されるのも当然である。
バックヤードの反対側、ネズミ色の上下スウェットに黄色いエプロンをかけたお姉さんもお姉さんで、カウンター裏に座って(必要がなければ基本立たない。立ちっぱなしは疲れる。これ至極当然のことである)ひとつ欠伸をした。
鎮守府内での流通を禁じられているプリンを除けばアカシマートの何もかもを上回る(予定の)お姉さん自慢の売店とはいえ、鎮守府の売店が常に、ましてや艦隊が本格的に活動を開始して間もない時間から賑わうはずもない。今現在のように店内に客が1人しかいない時だって当然ある。
唯一の客、球磨も金を落とさないという意味では客ですらない。カウンターから10メートルほど離れたわずかなスペースに設けられた銃器コーナーで、憧れのちゃんとした本物の銃器をガラス越しに指をくわえて見ているだけである。この軽巡洋艦は朝から何をしているのか? 何か文句あるクマ?
◆― 売店で鉄砲が買える ―◆
コーナーのスペースが狭いこともあってショーケース内に展示されている銃器・弾薬の数こそ悲しいほど少ないが、どれも有名どころばかりが厳選されている。
(読者諸氏には注意願いたい。銃と弾を一緒の場所に置いておくと法云々以前にターミネーターのシュワちゃんよろしく「いいんだ(ズドン!)」される。慣れている球磨でさえエアガンでやらかす時はやらかす)
それもテロリストを連想させたり、鈍器だ栓抜きだ爆発するとネタにされるようなモノではなく、友好国の軍や警察などでの採用を云々……とにかくお姉さん選りすぐりで、銃砲店としても隙がない。むしろ購入後は、
「せっかく工廠とか2kmの射撃試験・演習場があるんだから自分で勝手にしろ。整備修理はどうしてもと言うなら、そうだな……新品を買うのと同じ値段で受け付ける」
というスタンスなので日本一自由である。鎮守府の外にこの話が漏れたら通報と苦情の嵐に見舞われるだろうが、磯風には扱わせないのと、後述の理由から、安全面にも抜かりはない。
ただし銃砲店としても隙がないというのはお姉さんの弁で、明確に1点だけ欠点がある。その1点があまりに痛い。
今、球磨がジーッと見ているのは、西側諸国がよく使っていそうなアサルトライフルに似ていて、それも民間市場向けの自由な(自己責任な)アップデートが施され、かつ鎮守府内ならいくらでも言い訳誤魔化しができるからと銃規制をガン無視して本来あるべき機能や姿をそのまま保っていて、とにかく非常にカッコイイ。このライフルを抱いて眠りたくなる程である。
故に球磨は悩まされ続けている。そのライフルは目の前にあるのに、一言お姉さんに、
「このガラス戸を開けてほしいクマ」
と言えば手が届くというのに、届かない。
いかに高い評価を得ている1丁とはいえ、ただのアサルトライフル1丁と弾薬1箱のお値段が馬鹿みたいに高いのだ。それだけの金を用意できるのならば、国際線航空券とセミオートマチック・アンチマテリアルライフル1丁、それに見合う高級スコープ、しばらく遊ぶに足りる数の弾薬が買えてしまう程である。自動車と違って抱いて眠る以外に何の実用性もないくせに。
同時に安全性も非常に高いレベルで確保していると言える。そもそも誰にも買えないのだから。鎮守府の外にこの話が漏れたら「そんな屁理屈が通るか」とさらなる通報と苦情の嵐に見舞われるだろうが、通報苦情すべては『デマ』となり天照大艦隊は引き続き呑気に鎮守府一般公開で大好評の砲撃体験をやる。
スマートフォンを持つ球磨はスマートにアンチマテリアルライフルの参考価格を見せながらクレームを入れた。
「馬鹿げてるクマ! 馬鹿げてるクマ!」
天照大艦隊内において基本的に「阿呆」は軽いツッコミで「馬鹿」はガチ罵倒を意味する。
「足許見るにも限度ってもんがあるクマ! ふざけんな馬鹿!」
だが、お姉さんはガチ罵倒を、むしろ面白がった。
「ほーぅ。ほおーぅ。なるほど。では聞くが。もし我がお前に10万$ポンッとくれてやったとして、お前は海外に飛んで対物ライフルを買ったとして――『日本に持ち帰れるのか?』」
「ぐぅ……っ!」
「そんな日本人向けに、海外で銃を購入させてそのまま海外に保管させるビジネスもあったなぁ。あんな悪辣な遣り口、いやぁ小心者の我にはとてもとても。購入させた銃すべての所有権は会社にあるといきなり主張すると同時に会社ごと逃げるなど、信じられない話もあったものだ。我としては国内でお客様ご自身に所持頂ける安心なサービスを提供したいものだな。ああ勿論、寮内での保管に不安があるだろうから我に任せるのもオススメだ」
「……な、なら、銃砲店じゃあなく射撃場的な――」
「断る。買え」
「…………クマぁ」
それができないから球磨は我慢してエアガン……も安くはない玩具なので、一ノ傘副提督(球磨のサバイバルゲーム仲間)のコレクションを借りて遊ばさせてもらったりしている。
実際のところ、鎮守府から比較的近いサバイバルゲームフィールドのアイドル『リアルナイファー・クマさん』は遠慮し続けなければ貢がれてしまい、球磨がその気になれば懐がけっこう簡単に暖まってしまうのだが――お姉さんも、そうしろよ値引きしてやるから金を集めて銃を買えと思うのだが――世の男共というのは本当にどうしようもない生き物なのだが……そんな球磨など望まれるものではない。
◆― 過去の復習 1 ―◆
ちなみに。
皮肉なことに、お姉さんがこれほど大胆に足許を見る原因を作ったのは、他ならぬ球磨だった。売店で銃器を2回も取り寄せ、仕方がない部分もあったにせよお姉さんに「これは金になる」と思わせてしまったのだ。
取り寄せ1回目。
人知れずゾンビと戦っていた長月、木曾、時雨に加勢する(という口実ができたのでアサルトライフルを手に入れる)ためにお姉さんに相談して取り寄せたものの、
「弾薬代も考えてお金がないから安いので、でも西側の銃がいいって売店のお姉さんに注文したクマ……。これじゃあ実パ取りにもならんクマ……」
球磨はお姉さんに予算相応のジャンク品を掴まされた。
取り寄せ2回目。
今度は事情を知る者たちで金を出し合い、ハンドガン1丁、サプレッサー複数、弾薬を取り寄せた。
ハンドガンの威力や安定感は当然アサルトライフルより劣る。そこで球磨は一ノ傘副提督が持っていた玩具用のカービンコンバージョンキット(※)を参考に、同機能のものを工廠でDIYすることで、低コストで不足を補うことに成功した。
(※) 小さなハンドガンに大きなサブマシンガンやアサルトライフルのようなガワを被せたりするもの。銃が単純に大きくなるので手だけでなく上半身でガッシリ構えられるようになる。またスコープなどのカスタムパーツも追加しやすくなる。ただし欠点も当然あり、例えば「最初からサブマシンガンとかアサルトライフル買えばよかったじゃん」と計画性の無さ、あるいはお金の無さを馬鹿にされる。
さらに売店経由でなくとも調達可能なフラッシュライト、ホログラフィックサイトを自分で購入し、すべてを合体させて世界にひとつだけのカービン銃が完成した。手作り感あふれ洗練されていない外観が、これがまた愛着を湧かせるのだ。
「なかなか悪く……いやけっこう良いクマ」
この2回目が悪かった。
球磨は銃器に少々詳しいかもしれないが、軽巡洋艦として実際に砲を撃ちまくってもきたが、決してそれ以上ではない。DIYで作られたカービン銃の寿命はとても短かった。正直なところ球磨も失敗作であることは認めていた。やはり素人の工作では無理なのか……?
そうでもなかった。
カービン銃が寿命を迎えたのとほぼ同時に、天照大艦隊にのみ出現していたゾンビ達が何故か襲撃をパッタリと止めたのだ。球磨はカービン銃が奇跡をもたらしたのだと草木も眠る丑三つ時の空に壊れたパーツを捧げた。
「おお、我らが天照大御神か銃器の神様的な誰かよ、感謝するクマ」
天照大御神は布団の中だろうし、銃器の神様的な誰かがいたならば普通は忌避される。
ともかく。よく分からないが。すべての問題は上手く解決した。
一方お姉さんは面白くなかった。球磨の働きを評価して、ライフルよりも日本国内所持が難しい(一ノ傘副提督が持っているものはちゃんとした支給品である。合法品とも言う)ハンドガンを良心的な値段で譲ってやったのに加えて、さらにまともなアサルトライフルも融通してやろうかとまで検討していたのに――すべての問題は上手く解決してしまった。もう戦うための銃器は不要。ときた。
お姉さんが不貞腐れているところに球磨がやって来て、こう言った。
「ねーねーお姉さん。あのハンドガンがあれだけ安く輸入できるなら、アサルトライフルもよろしくして欲しいクマー」
お姉さん――極楽型戦艦1番艦、極楽はこういうナメた奴が大嫌いである。
◆― 過去の復習 2 ―◆
ちなみにちなみに。
ゾンビが襲撃対象としていたのは天照大艦隊ではない。天照大艦隊・本隊内で売店を営んでいるお姉さん個人である。
夕立の強力な改二改造祝いを終えた雨上がりの夜にゾンビ攻撃の第1波が現れたことから、対応に当たった時雨・木曾・長月はこのホラー現象を『ソロモンの悪夢』と名付けたのだった。しかし実際には夕立の改二改造とはまったく関係無く、ただ偶然タイミングが重なっただけのことだった。ならばこの時お姉さんが何をしていたのかというと、売店は数時間前に閉めていて、普通に就寝していた。
時雨・木曾・長月、後に加わった球磨・叢雲は、鎮守府を守るために戦っていたのではなく、本当のところはお姉さんの安眠を守らされていた。……このことを最も早く知った長月の頭が理解を拒み、仲間への説明がかなり遅れてしまったのも無理からぬことだった。球磨ももっと早く知っていれば余計なこと「ねーねーお姉さん。あのハンドガンがあれだけ安く輸入できるなら、アサルトライフルもよろしくして欲しいクマー」を言わずに済んだものをと、天照大御神か銃器の神様的な誰かは憐れんだ。たぶん。
お姉さんが売店から離れて別の場所に行けば、そこがゾンビの襲撃対象になってしまう。行く先々で殺人事件を発生させる名探偵のような女性である。申し訳程度の申し訳なさから旅行の際は、現地に迷惑をかけないよう注意深く天気予報をチェックしていたし、べつに予報が外れて雨に降られたとしても、
『総合的に長月より強い』
のだから、お姉さん的にはゾンビが何だ面倒臭いという程度のことで、そんな圧倒的な相手をゾンビ達は律儀に命令に従い攻撃し続けていた。
◆― 過去の復習 3 ―◆
その上またちなみに。
根本的な問題だったゾンビ襲撃の原因を排除したのもお姉さん自身だった。
すべての問題は上手く解決してしまった。もう戦うための銃器は不要。……という締め括りをつけたお姉さん自身に不貞腐れる権利はあるのだろうか。いやない。
球磨が迂闊な発言をしたことが確かに銃器・弾薬値上げの原因ではある。
あるのだが。
果たして0を数倍して10や100にする暴利が許されるのか。
洞観者であるお姉さんの炎の特性『コピー・アンド・ペースト』は、実包223 Remingtonとその弾薬を使用するアサルトライフルでも、基準排水量45,000tの戦艦ミズーリでも、もうひとりの自分や一ノ傘姫乃(傘姫提督)という人間さえも具現化できてしまう。限界はまだ誰にも見せていない。
あるゲームのあるエピソードで、宝石が大好きな女神の依代が、食堂で腕を振るう正義の味方の過去に、「芸術品の贋作でお金儲けをしよう」と冗談半分で言ったことがある。
それを、お姉さんは実際にやっているのだ。
◆― つまり、この売店は ―◆
話をまとめて結論を述べると――天照大艦隊よ聞け。
売店に並んでいる「これ、どこからどうやって仕入れたんだ?」と謎めいた商品の3分の1くらいは、原価ゼロとは言わないが原材料はお姉さんの炎である。お姉さんの気分次第で炎は消える、ということは則ち購入後の商品はいつ消されてもおかしくない。なにか不都合があれば完全消滅するためソーシャルゲームのデータよりも信用がない。
まだ日向以外に目立ってやらかした者はいないが、仮に銃器の事故事件でも発生したらお姉さんにはいつでも証拠の銃や弾などを消す用意がある、どころか『まったく問題のない無可動実銃』を新しく作って差し替えることもできる。弾痕がある? 怪我人がいる? 艦娘たちが艤装で事故を起こさないなど夢の見過ぎだ。
天照大艦隊はそんな恐るべき代物でぼったくられている。
素直にアカシマートを受け入れていた方がよかったのでは? そんな未来が見える。
しかしである。やいのやいのクマクマ言われたとしても何だというのか、銃砲店の店主としてのお姉さんは、真に客と見ている一ノ傘鉄子(一ノ傘副提督)が現実的な交渉を持ち掛けるまで値を下げるつもりはない。
◆― ここから本編スタート ―◆
話は売店の中に戻って、軽巡2人が新たに入ってきた。
「またそれ見てんのかよ球磨。飽きねーなー」
「うっせークマ。天龍にはコレの機能美なんて理解できないクマ」
「オレの剣のほうがよっぽど強いっつーのに」
買い物に来る奴は皆いい奴である。うまい棒1本だけだったとしても金を落とすし退屈を紛らわしてくれる。
その後に続いてもう1人が……お姉さんをして呆れるほど怪しい奴、性別は女、艦娘っぽいのが店の出入り口から顔を覗かせた。
そいつの顔に見覚えがないのは、鎮守府の入場許可証を首から下げているので構わない。売店の客になるかどうかはまだ分からないが艦隊の客ではあるらしい。フードを目深に被っているのも、スウェットエプロン深海女がファッションセンスを語れるはずもないので一向に構わない。
だが、そいつの視線がまるで駄目だった。せっかくのフードをまるで活かせていない。
名前が分からないので陸軍の艦娘っぽい奴、『陸軍人』と仮称されたそいつは入り口で立ち止まり、球磨の後ろ姿に極端な反応を見せて、ボソボソと誰か見えない別の奴と会話した。声からして相手は男らしい。
「(球磨を発見した。店内にいたぞ)」
《こちらでも確認した。僕はどうすればいい?》
「(その位置で店内の監視を続けろ)」
《僕のドローンに監視以上を期待しないでくれよ》
「(そんなドローンがあるなら貴様の居場所はAIに奪われている)」
店内の軽巡3人には聞こえなくて当然だろうが、一方当然、店内で怪しい奴の声を聞き逃すお姉さんではない。
陸軍人は一般的なアカシマートと比べてかなり広く物も多い店内の様子を素早く目で探った。まさか実銃ではなくエアガンだろうが球磨はそれに夢中で陸軍人に気付いていない、客は他に2人が飲料を見ている、他はカウンター裏にやる気のなさそうな店員が1人だけ、防犯カメラは何故か全部ダミーで防犯ミラーもない、店内の出入り口はいま自分がいるところとカウンター裏と恐らく施錠されている大扉の3ヶ所、売店の外と内を隔てているのは一般的なコンビニのように一面ガラスなので店内で何かを行えば外から丸見えだが幸い今は外に目撃者になりそうな者はいない。わずか1秒か2秒ほどでの観察は大したものだ――お姉さんに看破されていることを除けば。
(ドローン? ……ああ、あれか。現実は妖怪ドローンとは程遠いな。リスキルしてくださいと言っているようなものだ)
逆にゲーム内のお姉さんが比叡に「今そこです! ……え? なんで威嚇射撃? ほら位置がバレたー」と煽られるクソエイムプレイヤーなのはさておき、売店の領空を侵犯されるのは初体験で、なかなか不愉快だった。
「天龍ちゃん、お仕事ない日にそれ飲んでどうするの~?」
「なに飲んだってオレの勝手だろ」
陸軍人が店内にサッと滑り込み、天龍・龍田に見つからず、念を入れてカメラに写っても不自然と思われない動きで、いくらエアガン(と普通は思うだろうが実銃)に夢中とはいえ静かに艦隊の暗殺者・球磨の背後を取ったのは錬磨の賜物に違いない。流石は陸軍といったところかそれ以上か。磯風にも最低あの程度の立ち回りで仕事をさせたいお姉さんだった。なお逆にゲーム内のお姉さんは立ち回りもクソである。
陸軍人にとって都合の良いことに球磨はガラス戸の前にいる。鏡のように背後が見える。つまり自分の存在を正しく認識させるのに振り向かせる必要がない――背後から忍び寄る側にとってあまりに不利な状況を逆手に取れている。
陸軍人は球磨の首に左側から手を回し、程近いところで「ジャキン」と音を鳴らした。球磨の首の近くで刃が飛び出す音を聞かせた。この音に聞き覚えがあるだろう? ガラスの反射で状況を見させた。袖の下から飛び出す暗殺用の刃に見覚えがあるだろう? とでも言うように。
球磨は動かなかった。あるいは動けなかった。
陸軍人の右足は球磨の蹴りをいなせるように置かれた。知らないお姉さんはただ動きを制限させるだけと見たが、実際は球磨の必殺技を事前に研究して潰す恐るべき対策だった。
「(これは貴様がネットで拾った設計図と同じものから作られたアサシンブレードだ)」
そうなのか、へえ、覚えていたら後で検索しよう、とお姉さんは思った。
ここで球磨が取るべき正しい行動は、単純に、驚き、叫び、何ならひっくり返ることだった。誰にでもできる行動だ。普通は誰だってそうなる行動だ。そうしてくれればお姉さんが5円玉非電磁砲(ただ5円玉を指の力で弾き飛ばすだけ。超電磁砲と比較するのもおかしいほど弱いが当たると十二分に痛い)で介入してやらないこともない。陸軍人が刃を出すと同時に、既にコインカウンターから5円玉を1枚抜いている。
だが『少々の実戦経験しかない素人』は逆にそれができなかった。恐らく深読みが過ぎてしまっている。素人のくせに一丁前っぽい真似をする。
危害を加えるつもりがあまり無いように見える『専門家』の陸軍人は実際、騒ぐなとも動くなとも言っていない。陸軍人は、刃物を首に突き付けた程度でパニックになられるようでは困る、とでも思っているらしいし事実そうなっている。
「(オマエ、人違いをしてるクマ)」
「(あの設計図を貴様は当然のように見ただろうが、ひとつ真実を教えてやろう)」
「(それよりクマの話を聞いて欲しいクマ)」
自分でクマクマ言っておいて人違いも何もないだろうに。
刃がほんの僅か、出血する寸前まで首に食い込んだ。
「(あれは普通の人間の眼には映らない、『タカの眼を持つ者にしか見えない代物だ』。構造から見直されたアサシンブレードはOTFナイフの強度問題を解決している。だから貴様は――いや貴様だけが設計図をダウンロードした。我々は貴様という艦娘、球磨のすべてを知っている)」
球磨の耳元でささやく声色は……まあ訓練はしているようだが、まだ可愛さが十分抜けていな(くて羨まし)い。
「(……クマに何かご用事クマ?)」
「(ただ副業を紹介してやるだけだ。悪いようにはしないと約束する。本艦と一緒に来てもらう)」
「(副業? 知らんけど…)―そりゃ無理クマ」
球磨は長い髪を置き去りにするほど素早く屈んだ。首に突き付けられた刃に構わず、当然怪我をするのにも厭わずである。
苦し紛れの行動でどうにかされては専門家ではない。だから陸軍人には何故球磨が迂闊な行動に出たのか考える余裕すらある様子だった。
カウンター裏のお姉さんも、飲み物を選んでいた軽巡2人すらもがハッキリ見ていた。
陸軍人には、目の前の球磨の頭が下に引っ込むことでショーケースのガラス戸が見えたのだろう。それに反射したものが、やっと、見えたのだろう。
《神州丸、後ろだ!》
自分の真後ろに、右ストレートをぶっ放す直前の撃沈王が見えたのだろう。
「なっ!?」
それでも陸軍人は自分の後頭部めがけて放たれた拳を右に飛び退いて躱してみせた。隠密行動に失敗したとはいえ、球磨の罠と大和の奇襲を回避する、十分すぎる化け物と呼べる。
お姉さんは大和の右ストレートを受け止めたことがある。まあ弱い連中の中では強い方じゃあないか、程度の威力はあった。それが空振れば……拳が進む先のガラス戸などあってないようなもので派手な音をたてて砕けた。
「くそっ!」
その悪態をつきたいのはお姉さんである。
陸軍人は無駄のないステップで球磨と大和の2人から距離を取った。その先はお姉さんに近づく方向だったが『ただの店員』など今は問題にしていられない。
通信装置に怒鳴った。
「おい! なぜ大和が本艦の邪魔をする!? それに貴様は大和の接近を見ていただろ!」
《大和はなぜか店に入るなり君の元へ一直線だった。警告する暇もなくね》
反撃はまだ終わっていない。
球磨を阻むガラスの壁がなくなった。緊急事態という理由付けも……微妙だが、自分より強い相手に対抗するには強い武器が必要という判断は一側面では間違っていない。
球磨はアサルトライフルを引っ掴んで左脇にはさみ左手でハンドルを引いた。右手で掴めるだけの弾薬を掴み――陸軍人は銃が玩具でないことに気付いた――1発を装填、ボルトを閉じて、
「何事ですかお姉さん!」
騒ぎを聞きつけて磯風が顔を出したのと同時、
BLAM!
艦娘あるいは元艦娘ですら目眩がするほどの、室内での大音響。
発砲。
身構えていなかった天龍・龍田・磯風は、驚いたというより耳と正気度にダメージを受けた様子だった。艦娘ならば知っている。艦娘たちが事故を起こさないなど夢の見過ぎで、今の音はまさに事故の音だ。狭くはないが決して広くもない屋内でこの音がしたという事は、ただの破裂事故などではなく、『既に他の何かが深刻に破壊されている』。
制止が間に合わないほど手際が良過ぎる上に躊躇のない1発をしっかり見ていた大和でさえ少し怖がったような顔をしている。お姉さん以外に見られておらず良かったものの、撃沈王が頼り無く情けない。
そして陸軍人は左腕を押さえながら痛みと――喜びに興奮していた。
「ハハッ……本艦がわざわざ出向いた意味があったぞ……!」
まあ、この陸軍人が何者かは知らないがその通りだろうとお姉さんは同意した。陸軍人が狙われたのは左腕ではない。頭だった。専門家でなければ今の銃撃で確実に死んでいた。
「その迅速果断の攻撃を可能にする『予て穿つと決めた覚悟』! その通りだ球磨! タカの眼など所詮副産物に過ぎない……!」
お姉さんは普通に弾道を目で追っていた。弾丸は最終的にはネズミボトル1本を貫通した後に壁で止まった。薬莢は……床に落ちた音がしたからすぐ見つかるだろう。
思い切りの良い奴は、嫌いではないのだが。
まず球磨。銃砲店で絶対にあってはならないことを流れるように一通りやった。そもそもこの売店が……の前述の上に、許可のない者がライフルを手に取って、装弾し、他人様の頭に銃口を向けて、トリガーに指をかけて、撃って――。
それに陸軍人は。銃撃が威嚇ではなく避けられないと咄嗟に判断したからか、左腕のアサシンブレードを傾斜装甲のように使って銃弾を逸らした。アサシンブレードと左腕が駄目になった程度、安いものだろう。特殊なカーボン100%の制服がどうこう言っていられる次元ではない破壊力を見事、最小限に殺したのだ。だが、それはまだ1発目で――。
絶対に死……いや殺したはずの相手が笑っているのだ、球磨のその表情はお姉さんにも理解できる。まったく笑えない戦闘だが両手は笑ってしまう。2発目の装弾に手間取ってしまった。
「プランAは失敗したが作戦続行する。プランCだ」
《プランC? そんなものはないぞ?》
「予備チームを車ごと鎮守府内に送り込め。プランBを鎮守府内でやる」
今度は陸軍人が右腰あたりから小型の……リベレーターにそっくりな……消音麻酔銃? を抜いて球磨に雑に狙いを付け、とても小さな発射音を伴って撃った。緑色のレーザーサイトで着弾点を教えてくれる優れものだ。用意が良い。
だが銃撃戦ならば球磨が勝る。むしろ不思議技術ガン=カタを習得した者にとって近接銃撃戦は望むところだろう。球磨は可愛い少女が見せるべきではない目をしている。
麻酔弾の弾速は音速を大きく下回り、おまけにレーザーサイト付き。そんなものが球磨に当たるはずが――ほら回避どころか反撃動作に繋がり――いや違う。陸軍人はわざと銃を使ったようだ。その証拠にさらに嬉しそうな表情を見せた。調査通り『当たらない上に当てられる』ことを身を以て確認できた、といったところだろう。
1歩前に踏み込んだ球磨のライフルが2度目の火を吹いた。しかし今度は陸軍人に距離を大きく取られて外れ、売店出入り口の方へ逃げられた。
陸軍人が走る途中に天龍と龍田がいたが止められるはずもなく、球磨が次弾の装填を終える前に売店の外へ出ていってしまった。
ところで。銃撃の現場となってしまった売店をどう掃除したものか。金属製の弾丸は取り除けばいいのだろうが、さすがのお姉さんも麻酔弾の掃除方法は知らない。インターネットで調べて出てくるとも思えない。本当にどうしたものか、困った。
真っ当な頭を持つ艦娘であっても意見が割れるだろうが、
「予備チームを車ごと鎮守府内に送り込め。プランBを鎮守府内でやる」
というセリフを聞いたとしても、あの手強い陸軍人とのこれ以上の戦闘を避ける判断も賢明と言える。だから球磨が電話で艦隊の危機を提督たちに知らせる寸暇を惜しんで、左手にアサルトライフル、右手に数発の弾薬を持ったまま陸軍人の後を追ったことが正しいかはお姉さんにも――まあ、なるようになるし、ならないものはならない。
球磨に力を貸した大和もついて行く……前にチラリとお姉さんと目を合わせ、視線だけで責任を押し付け合った。練度カンスト艦同士に言葉は不要なのである。悪い意味で。
(鎮守府内発砲殺人未遂事件、どうしてくれるのよ極楽あなた本当に……!)
(撃沈王様に突破されないセキュリティがあるなら教えろ)
大和も出ていったことでようやく売店に平和が戻った――と単純に思えるメンタルを持つのは勿論お姉さんだけだった。
お姉さんはずっと持っていた5円玉1枚をコインカウンターに戻した。
「磯風。……おい磯風、生きてるか?」
「は、はいっ! この磯風、力の限り頑張ります!」
「なにを頑張る気だ阿呆。あのへたってる軽巡2人を奥で休ませて、一旦店を閉めろ。まず掃除だが、んー……銃器コーナー周辺5メートルに近寄るな。麻酔弾がどんなものやらまるで分からんからな。それと銃と弾には、何があっても絶対に触るな。大きめの空薬莢2個と小さいの1個がどこかに転がってるからそれは触っていい。まだ熱いかもしれんが探して拾っておけ。捨てるなよ。割れたガラスも今は放って――いや待て。そうか。こんな時のためのネズミボトルとマスクだったか」
「え? いえ、ですが私がまた死にかけるのでは……」
「失敗しても眠らされるだけだ、たぶん。あとは適当に任せる。じゃあ我は少し出てくる」
「どこへ、ですか?」
「あー? 決まってるだろ」
お姉さんは。
いつも先回りしてアレコレ売りつけてくるし、自分が後手に回ることを基本許さないからアカシマートと競い合えているように見えるが、面倒臭くなければという条件が付いている。
例えば、商品を少々不安定あるいは芸術的な積み方をして、それが崩れてしまう1秒前だったとしても、それをどうにでも防げるくせに、面倒臭いから崩落が終わるまで見守る性格である。後で余計に面倒臭くなることは重々承知している。それでも面倒臭いものは面倒臭い。
重い腰を上げるのはいつも落ち着いている時、落ち着いた後になってからである。落ち着くためにわざと腰を重くしている、やる気を捨てている節すらある。
アカシマートも分析している。たまにお姉さんは攻撃を黙って受け続けることがあり、決まって後の報復が尋常ではない。だったら24時間365日ずっと攻撃を続けるのが効果的かと思われたが、1分もしくは1秒でも攻撃の手を休めてしまえばネオサイタマの本部が無事では済まない。
「我が店を壊した奴らに賠償させなくっちゃあならんだろ。それに――銃と弾を『万引き』した愚か者をインタビュー(※)する」
(※) 尋問