エンジュールの落とし子   作:言巫女のつづら

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古代エンジュール人の日記 2+α

エンジュール暦3035年6月27日

 ここから先の記述は、これまでの護衛騎士のものではない事を最初に明記しておく。この日記の最後の日付から5年がたっているが、その間にたいへんな変化があった。

 まず、精霊石を巡る研究支持派と研究否定派の内乱は、研究支持派のほぼ完勝に終わった。それがエンジュール暦3031年の事である。研究否定派として、反乱軍に抵抗した旧政府及び軍の重鎮は収監。中堅以下のものも公職から追放された。

 護衛騎士の主だったものたちは、この内乱でことごとく戦死。わずかに生き延びたものもそのほとんどが辺境への追放刑に処された。刑の理由は選挙干渉である。この日誌の持ち主も、本来はそうなるはずであった。

 最後の最後まで奮闘し、大勢の仲間を道連れにしていったこの護衛騎士に対する研究支持派の憎悪はすさまじく、本来の流刑地である西エレンシア大陸西部のドム地方を通り越して、さらに海を渡ったメッシナ大陸のサルト地方にて生涯の終身刑を言い渡された。終身刑と言っても、内乱で重傷を負い、もはや日常生活さえ思うに任せない彼にとって辺境のそのまた辺境への追放など実質的に死刑のようなものである。

 科学者であった私は、この内乱について中立的な視点から後々研究したいと考え、この日記を譲り受ける事を条件に、もはや現地での生活に耐えられない傷病者にことさら厳罰を加えるまでもあるまいと赦免(しゃめん)を願い出て受け入れられた。

 無論、こんな事をすれば強硬な研究支持派がおさまらないのは分かりきっていたので、私は彼らにも便宜(べんぎ)を図った。精霊石の研究に、私も参加するのでどうか許してやってほしい、と。彼らは苦い顔をしていたが、それなりに名の通った科学者である私の協力が得られるというなら悪い取引ではないと、どうにか納得してくれたようである。

 

 

エンジュール暦3036年4月13日

 今日のニュースは、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、判断に悩むものだった。各地に身を潜めていた研究否定派の残党が、試運転中だった新型の空中都市アレントを占拠。同都市を衛星軌道上に移動させ、追及の手を振り切ったのだ。さすがにそんなところまで逃げられてしまうと、追手を手配するのも難しい。

 新政府首脳は歯噛みしたが、結局アレントについては放置することに決まった。アレントにはこれといった武装があるわけでもなく、本稼働前なので、人間が生きていくために必要なあらゆる設備もそのほとんどが未完成で衣食住にも支障をきたす。占拠にあたって持ち込んだと思われる食糧や水にしてもたかが知れており、籠城にも限界があるはずだ。

 それでも彼らがアレントを墓標(ぼひょう)にしたいというならせめてもの情け、好きなようにさせてやろうではないかという意見が大方の支持を得たようだ。中立派の私としては、両者の勝敗が決した今、強者の慈悲をもって研究否定派に恩赦(おんしゃ)をかけてほしいと思っていたのだが、中々そう都合よくはいかないようだ。

 それでも、拷問の末に屈辱的な最期を遂げるくらいなら、名誉ある自決の方が彼らにとっては望むところなのかもしれないが。

 

 

エンジュール暦3037年10月5日

 この日記の本来の持ち主である護衛騎士にとっては不本意な事であろうが、精霊石の研究は順調に進んでいる。同僚や上司は、私は咎人(とがびと)を救うため不本意ながら研究に参加したと思っているようで、その私が熱心に仕事しているのは何か裏があるのでは、と事あるごとに疑ってかかる。だが、そんなものはない。

 この際なので断っておくが、私はこの護衛騎士のような敬虔(けいけん)なエンジュール教徒ではない。先祖の定めた掟を(かたく)なに守り続けようとする彼の姿勢は見上げたものだが、時代が変われば価値観も変わる。強硬手段で光翼人から精霊石を奪ったという点には私もこの日誌2,3ページ分ほど言いたいことは溜まっているが、精霊石の事を何も知らないまま精霊石の加護に頼りきる生き方をいつまでもしていていいのか、という研究支持派の主張は至極もっともだと常々思っていた。

 何度もそう告げたのだが、なかなか信用してもらえない。それが目下のところ一番の不満である。

 

 

エンジュール暦3038年3月28日

 アレントの残党もなかなかしぶとい。

 彼らが世界各地にコンピューターウィルスを拡散して、新政府のお偉方がまた頭から蒸気を噴き上げている。

 とはいえ、このウィルスの行う悪さは可愛いものだ。研究支持派は先祖の言い付けを破った人でなしであり、彼らがいかに非道な手段をもって光翼人から精霊石を奪ったかという事を定期的にスパムメールで喧伝(けんでん)して回るだけ。これといった実害はない。

 それにしても、護衛騎士たちが選挙干渉していたという彼らにとって都合の悪い事実については全く触れられていない。身内の不祥事には甘く、敵の不祥事は徹底的に叩く姿勢はいかがなものだろうか。そのような姿勢こそが、私のような中立派から距離を置かれた要因だというのに。

 ちなみにアレントの残党はこのコンピューターウィルスを「リエーテ」と名付けているとか。ウィルスらしからぬ少女のような可愛い名前である。

 

 

エンジュール暦3043年6月30日

 あまりにも忙しかったので、日記を書くのも随分とご無沙汰になってしまった。精霊石の研究で、それどころではなかったのだ。

 しかし今日は記念すべき日なので、記録しておかずにはいられない。 ついに人工の精霊石のプロトタイプが完成したのだ!

 むろん、オリジナルほどのパワーはない。スペックはオリジナルのせいぜい百分の一、いや千分の一といったところか。しかしそんなことは重要ではない。大幅なダウングレード品とはいえ、完全に我々の技術だけで精霊石を安定的に供給できる目途がたったのが重要なのだ。

 我々はこのプロトタイプを「ガイア・シード」と名付けた。「ガイア」とは我々の精霊石研究プロジェクトの名称であり、シードは言うまでもなく「種」をさす。我々のプロジェクトから生まれたこの種が、遠い未来、オリジナルの精霊石に限りなく近いスペックを有したガイアという花を咲かせることになろう。

 エンジュール始まって以来の快挙である。建国以来、常にエンジュールの栄華と表裏一体を成していた「精霊石の加護が失われたら我々はどうなる?」という恐怖から解放される日も近い。エンジュールの新しい歴史が始まろうとしているのだ!

 

 

エンジュール暦3045年1月11日

 とてつもない悲劇が起きた。精霊石が突如、異形の怪物に変化したのだ。そしてそれと共鳴するかのように、各地の研究所のガイア・シードも化物と化した。彼らの進むところ生物であれ非生物であれ、ことごとく命を落とすか石にされるか、いずれかの末路を辿っているという。

 光翼人は人間の悪意に反応して暴走を始めたのだと言っていたが、そんな非科学的な事があるものか。オリジナルの精霊石はともかく、人工の精霊石であるガイア・シードにブラックボックスなど存在しない。原理的に暴走するなどありえないのだ。なのになぜ……?

 それに、暴走の末に発現した精霊石のあの禍々しい姿は一体何だというのだ……?あれが、光翼人から精霊石を奪った我々エンジュール人の罪の具現化とでもいうのか……?

 

 

エンジュール暦3045年1月23日

 怪物の暴走は止まらない。東エレンシア大陸は北はカフル市から南はレンヌ市まで、生物の動く影すらない。エンジュールの超科学の粋を極めて作られた兵器群も、怪物にはまったく歯が立たない。

 私は生き残りの研究者をかき集め、最後の賭けにでることにした。

 空中都市ジールパドンにある私の研究室には、いまだ暴走状態に至らないガイア・シードがある。私が一から、作り出した最初期のガイア・シードだ。

 精霊石やガイア・シードが人間の悪意に反応して暴走を始めたなどという光翼人の世迷言(よまいごと)を私は信じてなどいないが、仮にそうだとしたら、このガイア・シードはなぜ暴走しないのだ? 精霊石という借り物の力に頼らず、自分達の足で立とうとするためにガイア・シードを作り出そうとした事は悪ではないと、このガイア・シードは認めてくれるのか?

 真相は分からない。

 私は聞き分けの良いこのガイア・シードを素体に、怪物と化した精霊石と戦う力を備えた人造人間を開発することに決めた。計画の正式名称は、精霊石殲滅用自律型バイオロイド開発プロジェクト「リブラ」。コードネームの由来は、言うまでもなく人の魂の善悪を判別する審判の天秤リブラである。

 繰り返すが、これは賭けである。それも、分が悪い。戦うための生き物をつくる。そんな行為が悪と断じられない方がおかしいだろう。しかしこれ以外、我々が生き残る術は思いつかない。どのみちこのまま精霊石の暴走が続けば、エンジュールどころかこの星そのものが滅んでしまうだけである。腹をくくった私達は極悪人として、無間地獄に落ちる同意書にサインした。

 

 

エンジュール暦3045年3月31日

 幸か不幸か、私の判断はガイア・シードに悪と判断されなかったようである。

 そのように教育したとはいえ、人造人間は私を実の父のように慕ってくれる。私もプライベートな時間はできる限り彼女の為に割き、彼女を実の娘のように愛した。プロジェクト名にちなんで、彼女に「リブラ」という名前もつけた。

 偽善と断じられても仕方がないことは認める。十分な運用試験と戦闘訓練を積んだあと、彼女は死地に赴くことになるのだから。

 私にできることはそれまでの間、その短い人生に少しでも多くの潤いを、安らぎの時を与えることしかない。そして彼女が戦陣に立つとき、私も一兵卒として戦いの場に赴こう。そこが私の死に場所となる。役に立つ立たないは問題ではない。それが彼女を生み出した私が果たすべき責任なのだから。彼女を死なせるだけ死なせて、私一人おめおめ生きながらえるつもりはない。

 私はこの日誌を、異形の怪物に対抗すべく結成されたレジスタンスのリーダーに就任した義妹に託すことにする。

 

 

 

エンジュール暦3050年8月1日

 義兄さんからこの日誌を託されてはや5年が経つ。

 この間に、再び事態は大きく変動した。

 まず、精霊石の暴走は止まり、異形の怪物はエンジュールの首都地下深くに封印することに成功した。しかし、そこに至るまで支払った代償もまた、甚大なものになってしまった。

 精霊石の暴走で、これまでにはっきりしているだけでも東エレンシア大陸在住のエンジュール人の8割が死亡あるいは石化した。精霊石の加護を失った東エレンシア大陸の各都市は、文字通り廃墟と化した。電気も水道もすべて止まり、それらを修復できる人間も、知識や技術を蓄積した書物も機械も、そのほとんどが死んだか石にされたかで我々はごく原始的な手段で生活インフラを供給せざるを得ない状態に追い込まれている。

 弱り目に祟り目というべきか、精霊石の暴走で制御システムに深刻な異常をきたしていた雨月の塔が、ここにきてとうとう完全に活動を停止した。塔のフォーミング能力が失われた為に、もともと農耕や居住に適していなかった地域では、寒さで死んだり暑さで死んだりするものまででている。田畑の作物も、かなりやられてしまった。

 修理しようにも、私は科学者でもなければ技術者でもないので塔の制御システムの事など何も分からないし、修理方法だって皆目見当もつかない。義兄さんが生きていてくれれば。

 率先して修理にあたるべき塔の管理人たちとの定時連絡も、ガイアの暴走時に、前述の制御システムの異常を伝えてきてから音沙汰なし。おそらく暴走の影響で彼らも死んでしまったか、石になってしまったか、いずれかだろう。

 いまや東エレンシア大陸全土が、無政府状態と化しつつある。各地に僅かに残された安定的に食糧と水を供給できる寸土(すんど)を巡って、争いが勃発している。

 レジスタンスの臨時投票で、リーダーだった私は横滑りする形でエンジュール再建会議の議長に肩書きを移すことになった。早速、私はこの混乱をおさめるため、いまだ空に浮かぶ力を失っていなかったジールパドンを地に下ろすことに決めた。

 空中都市ジールパドンは、その後継となるはずであったアレント同様、それ単体で半永久的に活動していけるよう設計されており、中心部の核融合炉から、あらゆる活動に必要なエネルギーを生み出している。

 これは精霊石からエネルギーを取り出す方法と比べると非常に効率が悪いのだけど、空中都市という特性上、なんらかの不測の事態により精霊石のエネルギー転換がうまくいかなくなった場合、致命的な事態に陥るのを防ぐための設計だ。この核融合炉から供給されるエネルギーによって、外界の影響を全く受けず安定的に食糧生産を可能にする化学農園や食品合成工場もジールパドンにはあり、それで私達は当座をしのぐことができるだろう。

 むろん、ジールパドンの核融合炉にも寿命はある。いずれ核融合炉に頼らず、私達に残された乏しい技術力で運用できるエネルギー源を別に作らなくてはいけないが。

 とにかく私がますやらなければいけない事は、あの混乱を生き残った人々に生きる希望と安息の地を与え、立ち直らせることだ。そして、崩壊した人間社会を再建するために必要な秩序をつくる。

 食糧や水の配給は厳正に行わなくてはいけないし、人集まるところ必ずや生まれるであろう病気に対して病院も作らなくてはいけない。理不尽な暴力や不正を正す警察も作る必要があろう。警察自体が不正を行っていないか、内部監査する組織も必要だ。それらの組織を任せるにたる、人員の選抜も慎重に行う必要がある。

 その全てがやりとげるのに、どれだけの時間が必要かも分からないし、そもそも私にそれだけの重責を果たせるかもわからない。だが弱音を吐いている暇はない。今こうしている間にも、辺境で同胞が続々と死んでいる。やれるかやれないかは問題じゃない。ただやるだけだ。

 

 

エンジュール暦3060年10月21日

 今日生まれた子も、また死産だった。

 これで先月から30人連続で、死産が続いている。この異常な頻度は、妊婦に十分な栄養を与えないからだと非難する向きもあるが、そんな事実はない。私達の明日を担う子供達の産みの親である彼女達には優先的に配給が行われていて、満腹とまではいかないにせよ健康を損っている妊婦などどこにも存在しない。

 ではなぜ死産が続いているかだけど、実は見当がついている。原因など調べようもないけど、おそらくは暴走した精霊石の影響だ。精霊石の暴走は首都から始まったが、居住地が首都に近かった妊婦ほど死産の割合が高いという事が、はっきりと数字に出ているのだ。なんという恐ろしい、そして無慈悲な数字なのだろう……。

 私はこのデータを誰かに見られる前に処分し、死産の原因について更に調査を続けるのもやめにした。無駄な事をしている暇はないからだ。

 

 

エンジュール暦3065年12月31日

 明日を担う子供達は死産ばかり、高齢化は異常な速度で進んでいる。

 しかしそれよりもっと深刻な問題が生じつつある。奇妙な疫病が蔓延し始めたのだ。これもやはり、居住地が首都に近かった人間ほど感染率が高く、重症化の事例も多い。

 恐ろしいことに、この疫病に感染して重症化した人間は、まるで人ではない、異形の怪物と化してしまうのだ。変化する怪物の姿は一定していない。サボテンに手足が生えたような、それだけ見ればユニークな姿をしたものや、蛾のようになったり蠍のようになったり、はたまた巨大なミミズのようになったりキノコに頭や羽が生えたようなものになったり、とにかくいろいろだ。子供の頃にみた、ゾンビ映画のゾンビのようになっているのまでいる。

 奴らに共通しているのは、体色が気味の悪い紫色であることと、どいつもこいつも狂暴であることだ。蔓延初期は情報が不十分であったため、怪物となった患者に多くの医師や看護師が殺された。

 さすがにこれは捨て置けず、ガイア暴走以前の居住地が今のジールパドンより南東だったもの、レンヌより北東だったものは有無を言わさず隔離した。この強硬措置にはむろん反対の声も上がったが、主だったものには他言無用という事で前述の死産も今度の件も、精霊石の暴走による悪影響の可能性が高いと明かして説き伏せた。

 この情報を明かすことは諸刃の剣だ。他言無用と念押ししたが、彼らが大人しく守ってくれるかどうか。

 もっとも、そんな不安は取り越し苦労かもしれない。死産の件はともかく、怪物化については誰にとっても他人事でなくあらゆる立場から調査が行われている。今回の隔離措置が、そのような調査の答え合わせにならない保証などない。

 

 

エンジュール暦3070年12月31日

 精霊石とは、いったい何なのだろうか。我々に大いなる富をもたらし、我々に大いなる禍をもたらした。

 今にして思えば、精霊石を神聖不可侵なものとした先祖は賢明であり、その封印を解いた私達は不肖(ふしょう)の子孫というわけである。だが……。知らない事があれば知りたいと思うのが人間の心理というものであり、いつまでも抑え続けられるものでもない。そのことに、精霊石の力を自らの命綱とすることに決めた先祖たちは思い至らなかったのだろうか。

 純粋な知識欲すら悪というなら、どうして世界は人の心の弱さを認めぬ精霊石という諸刃の剣を与えたのか。神はなぜ、ともすれば欲に負けてしまう人間に禁断の知恵の実をちらつかせたがるのか。

 ……もうよそう。暇ができると、精霊石に対する愚痴ばかりが募る。私達ばかりが悪いのではないと言い訳したがる。

 さて、暇が出来たと言ったが、それは医療関係者の奮闘により、ようやく疫病に対する治療法が確立したおかげだ。彼らが言うには、疫病を発症させるウィルスを結晶化して安定させることで重症化を防げるばかりか、それを利用したワクチンを接種することでほぼ完全な耐性がつくという。

 また、理由は不明だが、ワクチン接種により火をおこしたり水を生み出したり地を揺るがしたり風を起こしたりと、まるでおとぎ話の魔法使いのような能力を身につける事ができるそうだ。彼らはこの神秘的な力の源でもあるワクチンを「マナエッグ」と名付けた。

 悪い知らせであるはずもない。しかし、良き知らせとするにも時を(いっ)し過ぎた。

 このワクチン完成からさかのぼること1年前、とてつもない惨事が起きている。

 例の、疫病の重症率と居住地の因果関係がどこからともなく知れ渡り、ある程度予想はしていたが激しい騒動となってしまった。根拠のないデマが流れ飛び、首都ないしその付近で暮らしていたとされる人間は未感染であっても間引きという形で殺され、症状が軽度の患者も、医療関係者の安全保護という名目で殺された。私はこの混乱をなんとか収拾し、悪質なデマを流したものや殺人に手を染めたものを、社会を混乱に陥れた罪で処刑した。

 しかし、このむごたらしい惨劇でジールパドンはその人口の半数を、特に貴重な若年層の多くを失うことになった。

 もう、エンジュールの再建はかなわないかもしれない。

 エンジュールという重病人から病巣を除去する外科手術の方法は目途がついたが、肝心の患者に手術に耐える体力が残されていないのだ。

 

 

エンジュール暦3100年2月28日

 私は、今日この日に至るまで、全力を振り絞って生きてきた。

 精霊石暴走の混乱の時代、私はレジスタンスのリーダーとして仲間たちと共に死力を尽くして戦った。

 その後の衰退の時代、私は再建会議の議長として、あの混乱を生きのこった人々の生活が立ちいくよう尽力した。

 いずれの立場においても、指導者として出来る限りの事はやってきたという自負もある。

 しかし今にして思うと、それらすべては無駄な事だったようだ。

 今日ついに、ジールパドンの生存者が100名を切った。生き残っているのも、私を含めて年寄りばかりである。もはや私達エンジュール人は絶滅の時を待つばかり、自殺するだけの気力あるものはとうの昔に冥府の門をくぐった。

 私も、もう長くは生きられないだろう。

 しかし私には、死ぬ前にやらなければならない仕事がある。私は義兄さんの形見であるリブラの衣鉢(いはつ)を継いだ2代目リブラに、世界各地に残されたエンジュールの記録の改竄(かいざん)を命じた。

 特に、光翼人や研究否定派にとって都合の悪い事実は、全て抹消させた。千年後か、一万年後か、私達のような知的生命体が再び精霊石を手にした時、同じ過ちを犯すのを防ぐためである。それが大罪を犯した、私達エンジュール人の最後の務めだ。

 私はこの日記を、私達が皆死に絶えた後、本来の持ち主のもとに返すことに決めた。かの護衛騎士が永眠するカプセルの中であれば、日記に記された禁断の真実が後世の人間の手に渡る事もない。

 本音を言えば、私達が過ちを犯してしまうに至った言い分も誰かが聞き届けてほしいという思いはある。しかし、知らない方がいい事がこの世にはある。私達の慟哭(どうこく)はただ一人、我らが娘だけが知っていてくれればそれでいい。

 

 

 

 

 老婆が日記をたたんだ直後、ノックの音がした。

 

「また日記つけているのですか? お母さま」

 

 薬湯を盆にのせて老婆の私室に入り込んできた少女は、彼女の手元の、古めかしい装丁が施された書物を見やった。

 

「ええ。最近は、何もやることがないからねぇ」

「何をやってもムダだから、の間違いではありませんか? もう数えるほどしかいなくなった長老達を介護して、老衰で死ぬまでもっていくのは私一人片手間でできる仕事ですから」

 

 少女が皮肉っぽい笑みを浮かべる。そんな少女の様子に、この子も随分人間らしくなったものだ、と老婆は思った。エンジュールの絶頂と混乱の時代、エンジュールの英知を結集して作りあげた究極の戦闘用人造人間は、親がわりでもあり、老婆の義兄でもある科学者の墓の隣で永遠の眠りについている。私達には過ぎた孝行娘であったと老婆は往時を回顧する。精霊石の加護を失い、衰退を続ける一方のエンジュール人の身を案じ、自らの力と記憶を引き継ぐ「娘」を作り上げ、後事を託して逝ったのだ。

 

「もういっそひと思いに死にたい。と言っていた老人ホームのミミちゃんはどうしてました?」

 

 異形の怪物が封印された今、その超人的な力を持て余す少女が張りきって作り上げた介護施設は、これでもかというほど充実した設備を誇っており日常生活に何ら不自由はない。それでも、子も孫もおらず、友人たちも毎月のように亡くなっていく日々に心に穴が開いていくことは避けられない。

 

「ご要望通り、楽に死ねる毒薬を調合したワインを作ってみましたが、一時間以上ワイングラスとにらめっこしています。いいかげんこちらもくたびれたので帰ってきました。賭けてもいいですが、ミミばあ様は絶対飲まないと思いますよ」

「そうでしょうね、私も飲まないに賭けるわ」

「それでは賭けになりません」

「なら貴方がお金を捨てるつもりでミミちゃんに賭けなさい。どのみち近い将来、貴方の手元に戻るお金よ」

「いくらお金を貰っても、こんな限界集落では使い道がありません」

 

 先代のリブラの記憶を受け継ぐ彼女にとって、あの混乱の時代を生き延びた僅かな書物も映画も、欠伸が出るほど見返した退屈なものばかり、さりとて老人ばかり数えるほどしかいなくなったこの街に、若い娘の無聊を慰める娯楽が新たに生まれる余地があるはずもなし。老婆達の小間使いで得たお金も大半は散財されることなく、彼女の私室にうず高く積み上げられていることだろう。遊びたい盛りの少女を、精神的な牢獄に閉じ込めている事に、老婆は胸を痛めた。

 

「ところで、貴方に命じた世界各地のエンジュールの記録の改竄だけど」

 

 老婆がそう言うと、少女はうんざりして口を尖らせた。

 

「とうとうボケてしまったのですか? それを聞くのは今月に入ってもう5度目になりますよ」

「あら……そう? そんなに何度も尋ねてしまっているの。でも大事な事だからね。ついつい聞いてしまうのよ」

「何度も同じことを聞かれる方の身にもなってください」

 

 少女はため息をついたが、すぐに気を取り直して答えた。

 

「ご要望どおり、お母さま達に都合の良い記録並びに物品は、その日記以外全て抹消。同じく、光翼人やエンジュール教原理主義者達に都合の悪い記録並びに物品も、全て抹消」

「結構」

「いっそのこと、エンジュールと名の付くものは全て抹消してもよろしかったのでは?」

「そこまでする必要はないわ。精霊石とは関係なく、後世の人間にとって役立ちそうな物は我々からの贈り物ということで(のこ)しておきなさい」

「お優しい事ですね。後世の人間がお母さま達と同じ過ちを犯さないようにとはいえ、これではお母さま達はただ光翼人から精霊石を奪った悪人と叩かれることになりかねませんよ」

「そうでしょうねぇ」

「……どうして、言い訳なさらないのですか」

 

 少女は、眉をひそめた。エンジュール人が、光翼人から精霊石を奪うに至るまでは、様々な紆余曲折があった。そのような言い訳の余地を全て消し去り、後世の批判を甘んじて受け入れようとする老婆の姿勢は、少女には従順を通り越して卑屈に見えた。

 

 

「……リブラ?」

「お母さま達は、既にこうして禁忌を破った罰を受けて苦しみながら死んでいる。滅ぼうとしている。この上お母さま達が、どういう事情があって禁忌を破ったか思いをはせず、古代エンジュール人は性悪で欲深だったんですよ。なんて後世の人間にしたり顔で断罪されるのを受け入れるのですか。後世の人間だって同じ立場になれば、遅かれ早かれ精霊石に手を出すに決まっています」

 

 少女は、唇を嚙み締めた。エンジュール人に落ち度が無かった、とまでは言わない。しかし彼らが犯した罪と、彼らが受けた罰をのせた天秤は、全く釣り合いが取れていないと少女は思うのだ。そもそも精霊石の暴走がエンジュール人に対する天罰というのなら、なぜ大地も、海も、草木も、獣も巻き添えになって石にならなければいけないのか。少女にとっては、理不尽な罰を与える精霊石の方がよほど性悪であり、憎悪の対象であった。

 

「いいえリブラ、私たちは断罪されても仕方がないのよ」

 

 老婆は目を閉じ、弱々しく微笑みながら少女をなだめた。

 

「リブラ、貴方も人造人間とはいえ人の感情を持っているなら何となくでも分かると思うけど、人の感情というのはどうしようもなくてね。貧しければ豊かになりたいと思う。そこまではいいわ。だけど豊かになったらなったで、もっと豊かになりたいと思ってしまう。エンジュール教に限らず宗教の教えには、そういう人間の、放っておいたら際限なく欲しがる欲望を抑えようという意図で伝えられているものもあるの。ご先祖様が定めた掟を迷信と切って捨て、神の教えを聞かなくなった私達は、そのことをすっかり忘れていたのよ。あの世でご先祖様に合わせる顔がないわ。私達はどうしうようもない、不肖の子孫よ」

「……そうですか、お母さま達はどうしようもない不肖の子孫ですか」

「そう。本当に……、どうしようもない」

 

 老婆の言葉には苦みがこもっていた。彼女の言葉は少女に言い聞かせているというよりは、むしろ自らに言い聞かせているようでもあり、本心では納得していないが、無理にでも納得しようとしているようにも見えた。

 

「……それなら、私が後世の人間に認めさせます。お母さま達が不肖の子孫なんかじゃないということを」

 

 老婆は、驚いて少女を凝視した。少女の瞳には、決然とした光が宿っていた。

 

「もちろん、ただの人間よりは長生きできる私だっていずれ死にます。だから私の代では無理でしょう。でも私は、先代の私がそうしたようにクローニングで世代を継承することができる。何百年後か、何千年後の事になるかは分からない。でも私の記憶を受け継いだ何代目かの私が、必ずやり遂げてくれます。お母さま達の為に泣いてくれる人が現れるように」

「リブラ、気持ちは嬉しいわ。でもね」

 

 少女は、豊満な胸を思いっきり叩いた。

 

「先代の私から託されたガイア・シードはいまだに暴走の兆候すら見せない。それはこのガイア・シードをマスターが、お父様達が純粋な善意で作ってくれたからです。そしてお母さま達も、私を本当の娘のように育ててくれました。私はその恩返しをしたい。お母さま達を看取るくらいじゃ、全然釣り合いが取れない」

「でも」

「恩返ししたい、という思いは明らかに善意でしょう。それに、これは私が初めてやりたいと思ったことですよ。お母さま達は、先代の私の唯一の我儘(わがまま)も聞き届けて、先代の記憶とガイア・シードを引き継ぐ今の私を作ってくれたじゃありませんか。なら、私の我儘もひとつくらい聞いてください」

 

 不意に、老婆の目から涙があふれた。何度も何度も、手のひらで拭ったが、涙は止まらなかった。

 

「……ありがとう、リブラ。本音を言えば、私達の無念を誰かに聞き届けて欲しいと思っていたわ。だけどその思いに縛られては絶対に駄目。強すぎる思いが、あなたのガイア・シードの暴走の引き金になるかもしれないから。それに、私達の思いを世に伝えるより先に、まずあの化け物を完全に滅する手段も探らなくてはいけないわ」

 

 老婆は、まず異形の化け物を滅すること、エンジュールの正史を過不足なく公表するのはそれからのことと念押しして、少女にやりたいようにやらせることにした。

 少女の帰り際、戸口まで送った老婆は彼女の背中に声をかけた。

 

「リブラ、私の目が黒いうちに言っておこうと思った事を、今言うわ」

「何ですか?」

「先代の貴方の願いだったとはいえ、今日までよく私達に尽くしてくれました。義兄さんの、先代の貴方に対する愛情には及ばないでしょうが、私も貴方を愛しています。ありがとう、リブラ」

「……そんな言葉、私は聞きたくありません。別れの時まで、まだ時間はあります」

 

 少女がそっぽを向いた時、頬に涙がつたったように見えた。まさか、そんなはずはない、と老婆は思った。確かにリブラには人間の感情を持たさせたが、涙が流れるようには出来ていないのだから。私も年で、いよいよヤキが回ったのか。老婆は苦笑した。

 

 これより3年後。

 エンジュール暦3103年4月19日。ジールパドンに残った最後の理性的な女性が死に、名実ともにエンジュール人は滅亡した。




補足説明

始祖リブラ
エンジュールの科学者が作り出した女性型人造人間。暴走した精霊石(後世ではガイアと称される)との抗争を生き残るも重傷を負う。それでも衰退するエンジュール人の力になるよう自らの記憶と力を託した後継の開発に傷んだ体を押して長年尽力し、後継の完成を見届けると完全に機能停止した。

第2代リブラ
クローニングによって、初代の記憶とガイア・シードを受け継いだ若きリブラ。極めて安定した状態にあるガイア・シードから生み出されるパワーは初代になんら引けを取るところはないが、ガイアが封印された現状ではあまり使い道は無く、年老いたエンジュール人の介護で持て余している。

リエーテ
みなさんご存じ、原作最終パーティのプレイアブルキャラクター。アレントの神官。永遠の18歳。かわいい。
……というのが原作の設定。
本作のこの時点(古代エンジュール時代)の始祖リエーテはまだ実体がない電脳空間上の存在で、精霊石研究否定派から偏った歴史しか伝えられていない。
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