イングヒルトはベアトリクスやニコラ、他のヴェアヴォルフ大隊衛士とは別行動を取り、シュタージの命令で「亡命者狩り」のために森の中へと足を踏み入れていた。だが、彼女はその任務に対する矛盾を感じながらも、心のどこかで自分の行動に対して迷いを抱えていた。
森の中を進むイングヒルトは、静かな足音を立てずに歩いていた。彼女の少尉としての立場が、周囲の状況にどう影響を与えるのかを考えながら、目的地へと向かっていた。
ふと、彼女の耳に聞こえてきたのは、隠れている人々の足音だった。急いでいる様子で、何かに追われているのが明らかだった。イングヒルトはその音に従い、少し先で小さな家族を発見した。長男、次女、三女の三人兄妹と、その両親だった。
家族はイングヒルトを見つけると、驚きと恐怖が入り混じった目で彼女を見つめた。彼らが逃亡していることはすぐに理解できた。イングヒルトは少尉として命じられた通りに彼らを捕まえるべきだと思いながらも、目の前の光景に一瞬躊躇してしまう。
「……あなたは、私たちを捕まえに来たのですか?」
父親が震える声で尋ねた。
イングヒルトはほんの少しだけ立ち止まり、長い沈黙の後、静かに答えた。
「いいえ、私はあなた達を捕まえに来たわけではありません」
その言葉に家族は驚き、顔を見合わせたが、イングヒルトは冷静に続けた。
「私が『粛正したことにしておく』と言っておきます。他の者が来る前に、早く逃げなさい」
その言葉に、家族は一瞬の戸惑いの後、感謝の意を込めて頷いた。
「!―――――ありがとうございます!」
父親が声を震わせながら、感謝の気持ちを口にしたが、イングヒルトはそれに答えることなく、ただ目の前の家族を静かに見送った。彼女の中では、この決断が本当に正しかったのかと、迷いの感情が湧き上がっていた。
「大丈夫です、行ってください」
イングヒルトは小さく囁き、家族がその場を立ち去るのを見届けた。彼女は自分の行動が結果としてどうなるのかを見届けることはなかったが、少なくとも今、彼女が選んだ道は間違っていないと信じたかった。
家族が視界から消えると、イングヒルトは深いため息をつき、そのまま立ち尽くした。再びシュタージの命令通りに戻るのは確かだが、心の中で自分が守りたいもの、信じたいものが何なのかを考え続ける。迷いの中でも、彼女は少尉としての責務を果たすために歩き出す決意を固めた。
その足音は、静かな森の中で響くことなく消えていった。
イングヒルトが家族を逃がした後、彼女は一人で静かな森の中に立ち尽くしていた。逃がした家族の命が彼女の手の中から滑り落ちる感覚が、胸の中で何度も反響していた。命令に従ったことは間違いではない。だが、それでも、逃げることが許されない人々の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。
冷たい風が森の葉を揺らし、イングヒルトの肩を撫でる。深呼吸をし、心を落ち着けようとするが、どこかで答えが見つからない自分に苛立ちが湧き上がってくる。
そのまま暫く考え込み、ようやく立ち上がると、イングヒルトは決意を固めて進み始める。彼女の目は先を見据え、シュプレーヴァルト基地へと向かっている。
数時間後、イングヒルトはシュプレーヴァルト基地の入り口に到着する。霧がかかり、基地の周りは不気味に静まり返っていた。冷徹で暗い雰囲気が辺りを包み込む中、基地内ではヴェアヴォルフ大隊が既に待機している。ベアトリクスの姿を見つけると、イングヒルトは無言で歩み寄る。
「遅かったな、少尉」
ベアトリクスは冷たい目でイングヒルトを見つめるが、その表情には特に感情が見えない。
「申し訳ありません、大隊長」
イングヒルトはやや硬い口調で答え、軽く頭を下げる。昨夜の出来事がまだ胸に重く残っているが、それを見せるわけにはいかない。
「まぁ、今は作戦に集中してくれ」
ベアトリクスは言いながら、手に持った資料をイングヒルトに渡す。
「はい、大隊長」
イングヒルトは受け取ると、渡された資料を開き、作戦の詳細に目を通す。しかし、その内容がどんなに厳しく、冷徹であっても、彼女の心の中ではあの家族が逃げることができたという事実が、解放された安堵感とともに、かすかな希望を抱かせていた。
作戦の内容は極秘で、シュタージの指導のもと、逃亡者を追い詰めることが目的となっている。しかし、イングヒルトは自分の中でその命令を実行することで、どんな結果が待っているのかを考えずにはいられなかった。
「私は何を守るべきなのか。何のために戦っているんだろう…」
心の中でその問いを繰り返しながらも、イングヒルトは冷徹な表情を作り、再び指示を待つ。
その後、作戦が始まり、イングヒルトはいつものように指示通りに動く。しかし、心の中で揺れ動く思いが彼女を困惑させる。シュタージの任務として命じられたことを実行することと、自分の内にある「人間として守るべきもの」の間で、彼女は揺れ続ける。
基地の奥へと進みながら、イングヒルトは自分に問う。
「この先、私はどうすべきなのか」
シュプレーヴァルト基地の奥へと進んだイングヒルトは、重く静かな空気を感じながら、巨大な格納庫に足を踏み入れた。冷たいコンクリートの床に響く足音が、広大な空間の中でひときわ大きく反響する。その視線の先には、シュタージ武装警察軍が運用している戦術機――MiG-23、”チボラシュカ”が並んでいる。
格納庫には36機のチボラシュカが、整然と並べられていた。その鋭い機体が光を反射し、冷徹なまでに整備されている様子が目に入る。機体の輪郭は力強く、凛とした美しさを持ちながらも、その存在がイングヒルトに重圧をかける。まるでその機体たちが、何かを予感させるような静かな威圧感を放っている。
「これが……私たちの未来なのか」
イングヒルトはつぶやき、無意識に立ち止まった。戦術機の冷徹なデザインに触れ、彼女はその強大な力を再認識する。これがシュタージが誇る兵器、これからの戦いを支える機体だという事実に、何とも言えない感情が込み上げてきた。
その時、ベアトリクスが彼女の横に歩み寄る。
「感想は?」
ベアトリクスの冷徹な声が響く。彼女の目には、この戦術機たちがただの道具でしかないかのように映っているのだろう。
「強力な武器です―――バラライカと桁違いです」
イングヒルトは淡々と答えるが、その声にはどこか沈んだ響きが含まれていた。彼女は次第に視線を移し、格納庫の奥に並べられたチボラシュカの一機に目を止める。その機体は、ほかの機体よりも少し古びたように見えたが、何か異様な魅力を放っていた。何か、他の機体にはない存在感を感じる。
ベアトリクスがその視線を追い、微かに笑みを浮かべる。
「それが”チボラシュカ”の中でも特別な機体だ。最初に製造された機体の一つだ。だが、今はただの記念品に過ぎない」
ベアトリクスの冷徹な語り口に、イングヒルトは一瞬だけ言葉を失う。その「記念品」とは、戦争の道具として何年もの間戦場に立ち続けた後の、ただの遺物にすぎないということだ。
「それでも……」
イングヒルトは深く息を吐き、再び機体を見つめる。彼女はその「チボラシュカ」に何か重いものを感じていた。それは戦争の象徴、冷徹な死の使者でありながら、その存在には深い歴史と苦しみが詰まっているようにも見える。
「もし戦争が続けば、私たちはこれらの兵器に頼るしかなくなるのでしょうか?」
イングヒルトは心の中でその問いを自分に投げかけながら、格納庫を見渡す。戦術機たちの冷徹な美しさが、彼女の胸を締めつける。
ベアトリクスは何も言わず、ただ静かにイングヒルトの隣に立っていた。二人の間に流れる沈黙が重く、どこか不穏な気配を漂わせていた。
その時、遠くから声が聞こえる。
「少佐!」
声の主は、ニコラだった。彼女は急ぎ足でベアトリクスの元へと歩み寄り、敬礼する。
「指令です。作戦が開始されます」
イングヒルトはその言葉に一瞬固まるも、すぐに作戦に集中しなければならないということを理解する。彼女は静かにうなずき、ベアトリクスに向き直る。
「出撃する。総員行動を開始せよ」
ベアトリクスは冷静にニコラに伝え、再びチボラシュカを見つめる。目の前の兵器は、間違いなくこれからの戦争で重要な役割を果たすだろう。そしてその中で、ベアトリクス、ニコラ、イングヒルトがどのように戦うべきか、答えが見つからないままその足を進めていく。
数分後、ニコラはイングヒルトを呼び出し自室に来させた
「イングヒルト、ブレーメ少佐から直々の命令を伝える」
「はい」
ニコラはイングヒルトの目をじっと見てこう言った。
「…銀行員としてドイツ民主共和国国立銀行に潜入する任務を遂行して貰う」
イングヒルトはそれを聞いて戸惑うが、察していった
「それって別行動…となりますよね。同志大尉は?」
「私はベルリン派の制圧作戦に挑む」
「……クーデターを起こすんですか?」
「いや、逆だ。ベルリン派のクーデターを食い止めるだけだ。心配するな…私は必ず戻ってくる」
「……必ず生きて…生き残って帰ってきて下さい!」
イングヒルトの瞳は決意を表してる。
それに対しニコラはイングヒルトを抱き締める
「勿論だ。お前は与えられた任務を集中しろ」
「――了解しました!」
翌日
イングヒルトは、銀行員としてドイツ民主共和国国立銀行に潜入する任務を受けていた。今回の目的は、横領事件の真相を解明すること。そして、何よりも重要なのは、事件がただの横領に留まらない、背後に隠された大きな陰謀を暴くことだった。
彼女は銀行の制服を着込み、目立たないように身を固めた。髪はきっちりと束ね、黒縁の眼鏡をかけることで、普通の銀行員として完全に溶け込んでいた。どんな些細なことでも注意を払い、余計な注目を集めることなく行動しなければならない。イングヒルトは自分に言い聞かせるように深呼吸をし、扉を開けた。
銀行の内部は、意外にも静かで落ち着いた雰囲気だった。窓口には行員たちが手際よく仕事をしており、音もなく続く日常が広がっている。イングヒルトはその中に溶け込むように、慎重に足を踏み入れた。
「おはようございます」
イングヒルトは軽く挨拶をし、同僚らしき人物に微笑みかけた。その人物も何気なく返事をし、彼女はそのまま指定された場所へ向かって歩き出す。
だが、イングヒルトはただの銀行員として潜入しているわけではない。彼女の目標は、銀行内部のどこに不正が潜んでいるのか、誰がその不正に関与しているのかを見抜くことだった。そのために、周囲の人々の動きに目を光らせながら、できるだけ自然に振舞うことが求められる。
イングヒルトは新しい制服に馴染むまで少し時間がかかるかもしれないと思っていたが、思いのほかすんなりとその日常の流れに加わることができた。彼女は自分の机に向かい、まずは目の前にある書類を片付けながら、銀行内部の様子を見渡した。
「これが…」
暫くして、イングヒルトはその異変に気づいた。ある一部の銀行員が、何かを隠すように素早く動いていることに気づいたのだ。その動きに、どこか不自然なものを感じ取った。
その中でも特に注目すべき人物がいた。彼は一見して普通の銀行員だが、時折焦ったような表情を見せ、手にしている書類をしばしば隠そうとする。イングヒルトは彼の動きを追い、さりげなく近づいていく。
「すみません、これ、確認してもよろしいでしょうか?」
イングヒルトは優しげな笑顔を浮かべながら、軽く彼に話しかけた。相手の銀行員は驚いたように振り向き、すぐに緊張した様子で答えた。
「ええ、もちろんです」
「ありがとうございます。ちょっと急いでいるので、すぐにお渡しできると思います」
イングヒルトは微笑みながら、少しだけ手を伸ばしてその書類を受け取った。その書類には、横領事件に関連する情報が書かれている可能性があった。だが、相手はそれに気づかぬふりをしている。
イングヒルトは書類を受け取ると、わずかな隙を見てそれを素早く確認した。その書類には銀行の内部口座と、そこに不正に流れた金額が記録されていた。内容は極めて不自然で、銀行の中でも知られざるルートで資金が流れていることを示していた。
「これで一歩前進だ…」
イングヒルトは心の中で呟き、再びその書類を元に戻すと、彼に微笑みかけて言った。
「ありがとうございました」
銀行員は一瞬目を見開いたが、すぐに笑顔を返し、イングヒルトは何食わぬ顔でその場を離れた。
書類の内容が予想通りだとすれば、今回の横領事件は単なる金銭的な問題ではない。何か大きな勢力が絡んでおり、彼女がその真相に近づくほど危険な陰謀が隠されていることを確信した。
イングヒルトはその後、引き続き銀行内部を観察し、さらに詳細な情報を収集し続けた。気配を消すように、確実に真相に近づいていく自分を感じながら。
イングヒルトは引き続き銀行内で慎重に行動を続けていた。最初は孤立しがちな状況だったが、少しずつ信頼できる仲間を作るために努力していた。そして、その中で目をつけたのが、ジョン・カミンスキーという同僚だった。ジョンは新入りの銀行員で、穏やかでありながらも慎重で観察力が鋭い男だった。彼の態度には、ただの銀行員ではない何かを感じ取っていた。
ある昼休み、イングヒルトはジョンと一緒にランチを取ることにした。席に着くと、軽く会話を始める。
「カミンスキーさん、最近の仕事はどうですか? 銀行のシステムには慣れましたか?」
イングヒルトが穏やかに声をかけると、ジョンは少し考えた後、答えた。
「最初は混乱しましたが、だんだん理解できるようになりました。でも、どうも最近、いくつかの取引が不自然に感じるんですよ」
イングヒルトは内心、つかみかけた情報に胸を躍らせる。
「不自然な取引?」
ジョンは周囲を確認し、声を低くして続けた。
「はい、何度かチェックしてみましたが、取引記録の中に不正確なデータがいくつか見つかったんです。それに、いくつかの顧客アカウントが異常な動きをしている。」
イングヒルトは一瞬、驚いたようにジョンを見つめたが、すぐに冷静を保つ。
「それは興味深いですね。私も少し気になることがあって、調べ始めたところなんです」
「本当ですか?もしよければ、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
ジョンは警戒心を抱きながらも、イングヒルトに協力する姿勢を見せた。イングヒルトは慎重に続けた。
「実は、私も同じような兆候を見つけて…。どうやら、銀行内部で大きな不正が進行中かもしれないんです」
ジョンは少し考え込み、ゆっくりと答えた。
「それなら、私たちが協力して調べるべきです。真実を知りたいですし、このままだと事が大きくなりすぎますから」
その言葉に、イングヒルトは静かに頷いた。
「確かに。そのためには、慎重に動かないといけません。これからはお互いに助け合いながら、少しずつ証拠を集めていきましょう」
イングヒルトとジョンはその後、計画的に銀行内の記録を調べることを決意した。ジョンはイングヒルトの指示に従い、銀行の内部システムを使って不正な取引を確認し、彼女は他の重要な情報を探し続けた。数日後、ついに重大な手がかりが見つかる。
ジョンは慎重にイングヒルトに告げた。
「この取引、かなり大きな額が動いています。しかも、いくつかの銀行アカウントは、過去の取引履歴と一致していません」
「誰かがこのアカウントを不正に操作している可能性が高いですね。」
イングヒルトは、ついに証拠を掴みかけたことに興奮を隠しきれなかった。
「この情報をどう持ち込むかが問題です。もし見つかれば、私たちの身も危険にさらされる」
ジョンは警戒しながらも、イングヒルトに尋ねる。
「それでも、真実を明らかにしないと。」
イングヒルトは冷静に答えた。
「私たちがこれを放置すれば、何も変わりません。だからこそ、慎重に、でも確実に進めるべきです」
その後、二人はさらに慎重に調査を続け、ついに銀行内の不正取引がどこでどのように行われているかの全貌を明らかにする。ジョンとイングヒルトは、信頼できる他の銀行員たちにも連絡を取り、共にこの問題に立ち向かう決意を固める。
イングヒルトとジョンは、日々銀行の書類や取引記録を調べ、ついに不正行為の背後にいる人物の手がかりを得ることに成功した。その証拠を持って、二人は慎重に行動しなければならなかった。
ある日の終わり、イングヒルトとジョンは、銀行の倉庫の片隅でひっそりと集まった。周囲に人がいないことを確認した後、ジョンが小さな声で言った。
「イングヒルトさん、これが証拠のファイルです。内部の取引システムで確認したところ、数十億ドル規模の不正が行われている。銀行の上層部が関与している可能性が高い」
イングヒルトはそのファイルをじっと見つめ、目を細める。
「これだけ大きな規模の不正だと、関わっている人物は簡単には手を出せませんね。」
ジョンは深く息を吐き、うなずく。
「はい。もしこれが銀行の上層部に知られたら、僕たちの命も危険にさらされます。」
「だからこそ、急ぐ必要がある」
イングヒルトは冷静に答える。
「でも、どうやってこの証拠を持ち出すかが問題です」
ジョンが心配そうに言った。
その時、イングヒルトは静かに言った。
「私がこれを持ち出します。ジョン、君はここで待機していて、外からサポートをお願い。」
ジョンは驚いた表情で彼女を見つめた。
「君が一人で…?」
イングヒルトは静かに頷き、決意を込めて言った。
「もし私達が捕まったら、全てが終わる。それを防ぐためにも、私は最前線に立たなければならない。」
「でも、それは危険だ!」
ジョンは躊躇したが、イングヒルトは強い眼差しで彼を見返した。
「君の安全が最優先だ。君が無事であれば、必ずこの証拠を持って帰る。」
ジョンはイングヒルトの覚悟を見て、しばらく黙って頷いた。
「わかった。でも、何かあったらすぐに知らせてくれ」
イングヒルトは微笑んで言った。
「心配無用です――私は必ず戻ります」
イングヒルトはその後、隠し場所から証拠のファイルを持ち、銀行の地下通路を通り抜けて外に向かう。途中で何度か足音を聞き、身をひそめながら進んでいく。時間が経つごとに、周囲の警戒も強くなり、イングヒルトは一層注意深く行動しなければならなかった。
地下通路を抜けて、ようやく外に出たイングヒルトは、隠し通路の出口から車に乗り込むと、ジョンとの約束通り、安全な場所に向かう。その道中、イングヒルトは何度も後ろを確認しながら、警戒を怠らなかった。もし追跡されていたら、ここからが本当の戦いになる。
ようやく指定された場所に到着し、イングヒルトは車を降りると、周囲を確認しながら建物に足を踏み入れる。すぐに彼女を待っていたジョンが姿を現した。
「お疲れさま、イングヒルト。無事だったか?」
イングヒルトは息を整えながら答える。
「何とか…でも、危険が迫っていたわ」
ジョンは彼女に近づき、証拠のファイルを受け取る。
「これで、全ての真実が明らかになりますね」
イングヒルトは静かにうなずいた。
「ただし、これを公にするには慎重に進めなければならない。上層部の動きが早いはずだから。」
二人はその後、証拠を警察や他の信頼できる機関に渡すため、慎重に計画を立てながら行動を続ける。
一方、その頃ニコラは…シュプレーヴァルト基地の一室、薄暗い照明の下で、静かな空気が漂っている。ベッドの上で、ニコラはベアトリクスに軽く抱かれ、二人は何も言わずにしばらくそのまま横たわっていた。ベアトリクスの手はニコラの肩を優しく抱え、彼女の髪を指で撫でながら、静かな時間が過ぎていく。
ニコラは目を閉じ、ふとした瞬間にその温もりを感じながら、戦場の冷徹さから少しだけ解放されたような気持ちを抱えていた。戦士としての冷徹な面と、人間としての一面が交錯する中で、この一瞬の平穏がどれほど貴重なものかを実感している。
「ニコラ、あなたは本当に特別な存在ね」
ベアトリクスの声が優しく響く。その言葉に、ニコラは目を開けて彼女を見つめた。
「特別なんて、そんなことありません…」
「でも、私にとっては、あなたは違う」
ベアトリクスはニコラの顔を見つめ、微笑んだ。その笑みの中に、どこか温かなものが感じられた。
「私はあなたに、何かを求めているのかもしれない。」
「求めるって…」ニコラは少し驚いた表情を浮かべたが、ベアトリクスは静かに続けた。
「あなたの強さ、あなたの冷静さ、そしてあなたの心。」
ニコラはその言葉に少しだけ戸惑いながらも、何かが胸に響くのを感じていた。
「でも、私達が戦う理由は…」
「戦う理由があるからこそ、私たちはこうして共にいる。」ベアトリクスはゆっくりとニコラを抱き寄せ、そのまま目を閉じた。
「戦場では戦わなければならない。でも、こうした時間こそが、私たちを人間として繋げている。」
しばらくの間、二人はそのまま無言で過ごした。言葉は少なくとも、互いに伝わる感情が静かに部屋の中で交錯していた。ベアトリクスの腕の中で、ニコラは心の中で少しだけ心地よい感覚を覚えていた。
シュタージの衛士としての冷徹さと、もう一つの自分――人間としての温かさ。その二つの面が、今は少しだけ交わっているような気がした。
ベアトリクスの言葉が静かな空気の中で余韻を残す。ニコラは目を閉じ、心の中でその言葉を反芻していた。戦場では互いに何度も背中を預け合い、命を賭けて戦ってきた。しかし今、彼女の腕の中で感じる温もりは、何にも代えがたい安心感を与えてくれる。
静かな時間が流れ、部屋の空気がひとしきり沈黙の中で満たされる中、ベアトリクスがゆっくりと顔を近づけた。ニコラも自然にその動きに合わせ、目と目が絡み合うような瞬間が訪れる。
「…ニコラ」
ベアトリクスの声は柔らかく、しかし確かな意志を感じさせる。
「私は、あなたが欲しい。」
その言葉に、ニコラは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐにその真剣さを感じ取った。そして彼女の瞳の奥に込められた熱意を見つめ返し、ゆっくりと顔を近づける。
二人の息が、徐々に近づいていく。まるで世界が二人だけのものになるような静かな瞬間が広がる中、ニコラは深く息を吸い込み、心の中で迷いを払った。
そして、顔が完全に近づいた瞬間――
ベアトリクスの唇が、ニコラのそれに触れる。その温かな感触に、ニコラは一瞬硬直するが、すぐにその気持ちが自分の中で溶けていくのを感じる。優しく、そして少しずつ強く、二人は互いの唇を重ねた。
キスは最初、そっと触れるような軽いものであったが、次第に深さを増していく。その中で、言葉では表現できない思いが伝わり、二人は静かに寄り添い合った。戦士としての冷徹な部分を持ちながらも、今はただ人間として心を通わせ、感じ合う時間が流れていった。
ベアトリクスがキスを終え、少しだけ離れると、彼女はニコラの目をじっと見つめながら言った。
「これが、私の本当の気持ちよ」
ニコラは無言で頷き、再びベアトリクスを抱き寄せた。その手のひらは温かく、力強さの中に優しさが混じっている。
二人は、静かな部屋で再び言葉を交わすことなく、ただお互いの存在を感じながら、心を通わせていった。外の世界は依然として戦争と混乱の中にあったが、この一瞬だけは、二人にとっての安らぎの時間であり、確かな絆を感じる瞬間だった。
翌日、イングヒルトは、ついにその人物のいる部屋に足を踏み入れた。周囲の警備は手なずけ、残るは彼と向き合うだけだった。部屋の中、背後には数枚の銀行文書が散らばり、横領に関する証拠が映し出されている。だが、その人物は最後の瞬間まで逃げることなく、冷静さを保っている。
部屋の扉が開かれ、イングヒルトがゆっくりと入ってくる。その表情はどこか厳しく、今までとは違うオーラを放っていた。彼女が足を踏み入れると、相手の顔色が変わり、驚きと警戒が入り混じった表情を見せる。
「……イングヒルト、どうしてここに?」
声のトーンには緊張が滲んでいた。目の前に立つのは、かつて同じ組織に所属していた人物だ。彼はこの横領事件の首謀者であり、長い間、シュタージの内部でその影響力を行使していた。
イングヒルトは冷徹に目を見据え、ゆっくりと歩み寄る。
「あなたが犯人だとわかっていた」
その言葉に、相手は小さく笑みを浮かべるが、それはどこか虚しいものだった。
「君もよくやったな、ここまで追い詰めたか。」
イングヒルトは一歩踏み出し、彼に向かって静かな声で言った。
「私はあなたが横領をしていた証拠をすべて掴んでいる。もう隠すことはできない。」
その言葉と共に、イングヒルトは彼が密かに動かしていた大きな金の流れを示す書類を取り出す。彼の顔色が一瞬で変わる。隠し通せると信じていたものが、今目の前で暴露される瞬間だ。
その相手は、しばらく沈黙していたが、やがて深いため息をつくと、彼女を見据えた。
「本当に、君までこんなことをしてしまうとは思わなかった。君も私と同じように、どうしようもなかったんだろう?」
イングヒルトはその言葉を聞いても、ただ無言で彼を見つめ続けた。その目には、かつて信じていた仲間に対する失望と、これから下すべき結末への覚悟が込められていた。
「私はあなたを信じていた。だからこそ、あなたに裏切られたことが一番辛い。」
そう言った瞬間、イングヒルトの顔から表情が消える。
「でも、これは終わりにしないといけない。」
彼女はゆっくりと、その手を伸ばして相手を拘束し始めた。
「あなたの罪は重い。シュタージにとっても、私たちにとっても。」
その言葉に、相手は無力感に包まれ、言葉を失っていた。全てが終わり、彼は拘束される運命に向かって静かに歩みを進めるしかなかった。
イングヒルトは彼を拘束しながらも、心の中で彼の罪を悔い、でも同時に自分が下すべき決断をしっかりと心に刻んでいた。背後に残された書類は、もうすぐ彼の真実を明らかにし、横領の事実が公に晒されるだろう。
「これで、全ては終わった」
その言葉が、静かな部屋に響き渡る。イングヒルトは、事件を終わらせた後、手を振り下ろすように深呼吸をした。肩の荷が少し軽くなった気がしたが、それでもこれからの重責が待っていることを自覚していた。
イングヒルトがその場を去った後、部屋には静寂が戻る。しかし、彼女の中ではまだ整理のつかない感情が渦巻いていた。拘束された元仲間の言葉が頭の中で反響する。
(君も私と同じように、どうしようもなかったんだろう?)
彼女はその言葉を否定したい衝動に駆られたが、完全に振り払うことはできなかった。
廊下を進むと、外の夜風が肌を冷たく撫でた。彼女は深く息を吸い、目を閉じる。だが、そんな一瞬の静けさも長くは続かなかった。
「イングヒルト・ブロニコフスキー少尉」
低く抑えた声が背後から響く。振り返ると、そこにはシュタージ内でも強い影響力を持つ作戦参謀、ハインツ・アクスマンが立っていた。鋭い視線が、彼女の表情を探るように向けられる。
「ベアトリクスの命令で任務は遂行したな」
イングヒルトは無言で頷く。アクスマンは一歩近づき、凄みある笑みを浮かべる。
「……ご苦労だった。しかし、君がここまで容易に辿り着けたことが、むしろ問題だとは思わないか?」
その言葉に、彼女の眉がわずかに動く。
「どういう意味です?」
アクスマンは冷笑を浮かべ、ゆっくりと背を向けながら言った。
「君は何かを暴いたつもりだろうが、それは氷山の一角に過ぎない。組織というものは、ひとつの駒を切り捨てた程度で揺らぐものではないのだよ」
イングヒルトの胸に、微かな不安が広がる。今回の事件は、単なる横領ではなく、もっと大きな陰謀の一部なのかもしれない。
「では、あなたは何を知っているのですか?」
彼女の問いに、アクスマンは立ち止まると、肩越しに冷ややかな目を向けた。
「君が本当に全てを知る覚悟があるなら、いずれ分かることだ」
そう言い残し、彼は闇の中へと消えていった。
イングヒルトは立ち尽くしたまま、拳を強く握る。自分が掴んだはずの真実が、さらに深い闇へと続いていることを悟るのに、そう時間はかからなかった。
そして、後にアクスマン率いるベルリン派がクーデター起こし政治総本部を襲撃した事はリィズと共に原隊復帰するまで知る由もなかった
イングヒルトは、アクスマンの言葉が意味するものを考えながらも、今はただ与えられた任務を遂行することに集中するしかなかった。彼女は歩みを再開し、暗い廊下を抜けていく。
部隊へ戻る途中、シュタージの監視下にある街並みを見下ろす窓があった。そこには、平然と日常を送る人々の姿が映る。だが、彼らの知らぬところで、権力争いが渦巻き、陰謀が動いている。
「……私は、何のために戦っているのだろう?」
ふと心の中に浮かんだ疑問を、彼女はすぐに打ち消した。そんなことを考えるのはまだ早い。彼女はベアトリクスの命令を忠実に遂行し、忠誠を示すことで生き延びてきた。それが全てだ。
しかし、アクスマンの言葉が示唆したもの——それが、今後の自分の運命にどれほどの影響を与えるのか、彼女はまだ知る由もなかった。
1ヶ月後、ベルリン派によるクーデターが勃発。政治総本部が襲撃され、シュタージ内の権力闘争は激化していく。
そして、イングヒルトがリィズと共に原隊復帰する頃には、すでに彼女の知らない場所で、歴史の歯車が大きく動いていたのだった——。
1ヶ月後――ベルリン
重厚な石造りの建物に銃声がこだまする。ベルリン市内、政治総本部の外では武装した兵士達と戦術機大隊『ベルリン』のチボラシュカが次々と展開し、制圧作戦が進められていた。アクスマン率いるベルリン派のクーデターが、ついに本格化したのだ。
「反乱軍が建物内に突入!各部隊、持ち場を死守せよ!」
無線が飛び交い、シュタージ内部の派閥抗争がついに実力行使へと発展していた。
その混乱の中、ひとりの女性士官が静かに立っていた。
「これが、アクスマンの選んだ道……」
第666戦術機中隊政治将校のグレーテル・イエッケルン中尉は現場を見つめながら、淡々と事態を見極めていた。アクスマンの動きは予想していたが、ここまで露骨に仕掛けてくるとは思っていなかった。
「クーデターか!(拙いな……)」
グレーテルは静かに呟く。その裏でベアトリクスは次の布石としてリィズ・ホーエンシュタインを呼び戻す準備を進めていた。
――そして、その連絡は遠く離れた戦地にいるイングヒルトのもとへも届くことになる。
一方、その頃――ベーバーゼー基地
イングヒルトは、既に制圧したベーバーゼー基地の格納庫で機械的に整備を終えた銃を確認しながら、報告書を受け取った。
「政治総本部が襲撃……ベルリンでクーデター……?」
彼女は息をのむ。アクスマンの言葉が脳裏に蘇る。
(君が本当に全てを知る覚悟があるなら、いずれ分かることだ)
――いずれ、とはこのことだったのか。
彼女は書類を握り締め、すぐに次の命令を確認する。
「リィズと共に、原隊復帰……?」
目を細める。彼女の知るリィズ・ホーエンシュタインは、優秀でありながらも影のある人物だった。そんな彼女と共に行動するということは……。
「私も、より深くこの闇に踏み込むことになる、ということなの?」
イングヒルトは小さく息を吐き、銃をホルスターに戻した。
ベルリンへ向かうための準備を進める彼女の胸中には、かつてのアクスマンの言葉が、より重くのしかかっていた。
ベーバーゼー基地、資料室――その時
イングヒルトは静かに本を閉じ、指の間から流れ出る光を一瞬眺めた。その時、ふと耳にしたのは、どこからともなく聞こえる女性の叫び声だった。叫び声は混乱と痛みに満ちており、彼女の心に瞬時に不安と怒りを呼び起こした。
「ファム姉さん……」
瞬時に、イングヒルトは本を机に置き、資料室を駆け足で出た。廊下を急ぎ足で進む足音だけが響く。目的地は明確だった。どんな理由があっても、彼女は世話になった女性に対する暴力を黙って見過ごすことはできない。
その叫び声の方向を辿ると、扉の向こうに迫力を感じる一瞬があった。それは尋問室だった。そこで起こっている事態が一目瞭然だった。イングヒルトは息を潜め、扉の隙間から中の様子をうかがう。
扉の隙間から見えた光景は、イングヒルトの心を鋭く締め付けた。
ファム・ティ・ラン中尉が、痛々しい姿で床にひざまずき、身体を縮めている。彼女の顔は血塗れ……彼女の目には絶望が宿り、そこに映る人物――リィズ・ホーエンシュタインが、冷徹な表情でファムを痛めつけていた。
水を掛けられ、血しぶきが飛び散る度に、ファムの痛々しい叫び声が響く。リィズは無表情で彼女の頭を何度も水で叩き、続いて殴り、蹴る。それはただの尋問ではなく、極限まで彼女を追い込むための拷問だった。
「なぜ、こんなことを……?」
イングヒルトは心の中で叫びながら、扉に身を寄せた。リィズは義兄のテオドールに対する盲目的な愛情を含めこの基地にいるファム、アネット、シルヴィア、ヴァルターを拘束してまでカティアの正体を暴こうと試みている。それでも、今目の前で行われているのは彼女が許しがたいと感じている冷酷な行為そのものであった。
その瞬間、リィズの冷徹な声が尋問室を支配した。
「答えなさい、ファム!カティア・ヴァルトハイムの正体を!彼女を庇う理由を!」
リィズの言葉は、まるで冷気を放つ鋭い刃のようだった。ファムは震えながらも必死に声を絞り出す。
「知らない……リィズちゃん、もうやめて。あなたは」
だが、その答えを出すことはもうできない。
「ぐ……この犬野郎が!」
イングヒルトは扉をさらに押し広げ、足を踏み出す寸前で立ち止まった。ファムを助けることができるかどうか――いや、リィズと向き合うことができるのか。ここでの決断が今後の全てを決定づける。
深く息を吸い、冷静を取り戻す。彼女の心には少しの迷いもあったが、仲間を見捨てるわけにはいかない。
「リィズ……」
その名前を小さく呟き、イングヒルトはその一歩を踏み出した。
ベーバーゼー基地 尋問室前
扉を押し開け、イングヒルトは一歩踏み出すと、そこに立つリィズ・ホーエンシュタインと目が合った。時間が止まったかのように、二人の間に一瞬の沈黙が流れた。彼女は深く息を吸い、目の前に立つ女性に視線を注ぐ。
リィズはゆっくりと振り返り、その冷徹な表情がイングヒルトの胸に冷たい恐怖を呼び起こす。彼女の目には、確固たる自信と冷徹さが宿っていたが、それと同時に怒りの火花も感じ取れる。
「イングヒルト・ブロニコフスキー少尉……あなたがここに来るのは分かっていたわ」
リィズの言葉は冷たく、鋭い刃のようにイングヒルトの心に突き刺さった。
イングヒルトは一歩踏み込むと、足元で揺れるファムの姿を見て、内心で戦慄を覚えつつも、決して後退しなかった。彼女の目には決意が輝いており、その視線をリィズに向けたまま口を開く。
「リィズ・ホーエンシュタイン、あなたがファム姉さんを拷問しているのを見過ごすわけにはいかない……テオドールを手に入れようとしてまで!」
その言葉は、彼女の内に秘めた怒りと失望を吐き出すように響いた。ファムを痛めつける行為は、イングヒルトにとって許しがたい…絵に描いたような外道そのものだった。
リィズは冷笑を浮かべ、わずかに顔を歪ませた。その目には確信に満ちた冷徹さと、彼女に対する軽蔑が滲み出ていた。
「私は必要なことをしているだけよ、ブロニコフスキー……組織のため、そして私自身のためにね」
その言葉にイングヒルトの目が鋭く光った。
「組織?何を言ってるのですか?あなたの言う『組織』のために、仲間を傷つけることが許されると思っているの?」
リィズの冷酷な行動を見て、イングヒルトはその目に強い敵意を燃やしていた。
リィズは一瞬、まるでイングヒルトの怒りを嘲笑うかのように首をかしげ、そして冷たい笑みを浮かべた。
「あなたには分からないわ、ブロニコフスキー。弱者は切り捨てられ、強者が生き残る。それがこの世界の法則なのよ」
その言葉に、イングヒルトの胸中で何かが弾けた。彼女は怒りを抑えきれず、思わず一歩踏み出して言い放った。
「ならば、私がその『弱者』にならないために、あなたを止めます!」
リィズの目が鋭く光り、彼女もまた一歩前に踏み出す。二人の距離は急速に縮まり、互いの間に燃え上がる敵対心が空気を切り裂いていった。
イングヒルトは迷わず答える。
「あなたがどれほど強くても……」
その瞬間、二人の間に火花が散り、次の行動が決定的に迫る。
「あなたは……独り善がりよ!自分がやっている事が正義だと勘違いしてる狂った愛情を持ってる悪女。それ以外でも何者でもないわ」
「……(この女、確かカティアちゃんの前任者である衛士……公式では既に戦死した筈)」
リィズはイングヒルトを軽蔑な目で見る。そして……。
「ふふふふ…ふふふ…」
ファムの事はお構いなしで悪魔の笑みを浮かべ狂い笑う。
「ふふふ…ふふ、ふふふ。あははははははははは。はははははははははははは…ふふふ、ふふ…ふふふ。ふふ」
リィズは悪魔の笑みを浮かべたまま開き直る
「……そうよ、私はお兄ちゃんの為に叛乱分子であるファム・ティ・ランを痛めつけたわ」
イングヒルトはリィズの態度を見て怒りを表す
「……!」
「ならばどうする?―――ここで殺すの?」
「……――!」
「いい?私が痛めつけた。そして……」
「!!」
「お兄ちゃんのお嫁さんよ」
リィズはテオドールと一緒になるためにイングヒルトにこう言い放った。
そして話を続ける。
「……確かに常識で考えれば私が悪であなたが正義よ。けど本当に世の中を正してるのはどっちなの?強盗、殺人、放火……私は何百何千の凶悪犯や叛乱分子を消してきた。でもそれは善良な人間を守る為よ。あなた達が法で裁けない悪を私が代わりに葬ってやってるのよ」
「あなたにそんな事する権利はありません」
「あるよ。……人は誰にでも幸せを追求し幸せをなる権利がある…でも一部の腐った人間の所為でそれが不意にいとも簡単に途絶えてしまう…そういう被害者は貴方達は沢山見てきたんでしょ?その都度心を痛めたでしょ?何もできない自分を、悔しいと思ったでしょ?」
ファムは憔悴しつつ悲しい顔を浮かべる
「リィズ 、ちゃん………」
「悪は悪しか生まない…意地が悪い人間が悪事を行い世に蔓延るから弱い人間はそれ屈して腐って行きいつかはそれが正しいと自分を正当化する……残念だけど、これが今の世の中よ」
イングヒルトは鋭い視線をリィズに向けたまま、一歩前へと踏み出した。ファムの憔悴した姿が視界に入り、怒りが胸の奥から込み上げてくる。しかし、リィズはまるで何も感じていないかのように、不敵な笑みを浮かべていた。
「けど、お兄ちゃんと一緒にいれば真の平和が創れる!」
リィズは高揚した声で叫ぶように言った。
「善良な人間が犯罪者に怯えなくていい、平和な世界にすることができるのよ! 知ってるでしょ? 私が党と盾に忠誠を誓ってから3年……ヴェアヴォルフに入り、そのおかげで犯罪は減った。世の中はシュタージを求めているのよ!」
「……!」
「そうよ……私なら出来る!私が今の世界を!犯罪のない真の平和な世界に変えられる!」
イングヒルトは冷たい目で彼女を見据え、静かに口を開いた。
「……犯罪が減った? それは違うわ、リィズ。ただ、あなた達に逆らうことを恐れた人々が、声を上げることをやめただけよ」
「ここまで出来るの!?この先やれるの!?革命で世界を正しい方向導けるの!?無理だよ…出来る訳がない!これは私にしか出来ないのよ!!私は秩序を守ったの! 叛乱分子を取り締まり、裏切り者を裁き、正しい秩序を築いてきた。その結果、社会は安定し、人々は安心して生きられるようになったのよ!」
「その『安心』のために、どれだけの人が犠牲になったの?」
イングヒルトの声には怒りが滲んでいた。
「あなたは、シュタージの力で人々を押さえつけただけよ。力ずくで黙らせるのは、支配であって平和じゃない!」
「力ずく? ええ、そうよ。だから何?」
リィズは皮肉げに微笑んだ。
「人間は恐怖によって秩序を学ぶのよ。正義と悪を決めるのは、理想ではなく力なの。あなたの言う平和とやらは、綺麗事に過ぎないわ」
「なら聞くわ」
イングヒルトはリィズを睨みつけた。
「あなたの言う『平和』のために、どれだけの人が泣いたの?」
「泣くのは弱者よ。弱者は強者に従う。それが世界の摂理じゃない」
「あなたは……!」
イングヒルトは怒りに震えた。
すると、憔悴しきったファムが震える声で呟いた。
「リィズちゃん………あなた、そんなこと……本気で……?」
リィズは一瞬、ファムを見下ろしたが、すぐに目を逸らし、狂気じみた笑みを浮かべた。
「そうよ、私はお兄ちゃんのために叛乱分子であるファム・ティ・ランを痛めつけた。それが何?」
イングヒルトの中で何かが弾けた。
「ならば、私があなたを止める!」
二人の距離が縮まり、空気が張り詰める。
「私に立ち向かう覚悟があるの?」
「あなたがどれほど強くても、私はあなたを止める。それが私の使命よ!」
リィズは冷笑を浮かべ、ゆっくりと首を傾げた。
「……本当に? あなたは自分の正義が正しいと思ってる? でもね、ブロニコフスキー……この世の中を本当に正しているのは誰なのかしら?」
イングヒルトは迷わず言い返した。
「少なくとも、恐怖で人を支配するあなたじゃない!」
二人の視線が激しくぶつかり合い、決戦の火蓋が切られようとしていた――。
色々とバッサリカットした場面ありますが許して下さい。
漸くリィズが登場しましたが、Pixivで書いた『LiseNOTE』で十分活躍したから出す必要性がないと思って、ノイエンハーゲン要塞陣地、海王星作戦、ゼーロウ要塞陣地での戦闘は、この外伝話はあくまでもイングヒルトがシュタージに鞍替えし活躍する話なので丸ごとカットするに至りました。
次回は反体制派が襲撃します。
この作品を…トータルイクリプスサンダーボルトや他の作品、Pixivで投稿した作品を読んで頂けた全ての方々に感謝しつつ、今回はここで筆を置かせて頂きます
ではまた