兵法者は脳みそ筋肉のような存在ではない。兵法者は家中でも頭脳派の位置づけで、精神論根性論を戒める立場であった。左門を含む家臣が六人ほど集まって雑談したことがある。その中の一人の若侍が兵法を無用する根性論を言い出した。
「兵法は武士の勤めるべき道には相違ないが、これを習わなければ武道が成就しないという限りもあるまい。心が臆していなければ、兵法を知らなくても功名は出来るだろう」
兵法家の左門として聞き捨てならない発言である。これまでも精神論根性論を軽蔑し、批判してきた。反論しない訳にはいかない。
「心が剛なる上に兵法が優れていれば鬼に金棒になる」
「心が動かなければ、木刀仕合であっても、負けることはござるまい。仕合を致して見たい」
「それはよい心掛けじゃ、いざまいろう」
「心得た」
根性論者は座を立って庭に飛び下り、庭木に添え木として結びつけた長さ一間ばかりの丸太を引き抜いた。
「これにてお相手をつかまつろう」
左門も座敷を立って縁を見ると、小木刀があったので持ち、庭に下りた。
「力いっぱい来い。油断するなよ」
「言うまでもござらぬ」
根性論者は丸太を振り上げた。左門は小木刀をさげた。根性論者は前進し、力一杯打ち込んで来た。左門は素早く避け、飛びちがいざまに小木刀で根性論者の額を打った。根性論者は呻いた。その額は見る見るうちに腫れ上って来て血もにじみ出してきた。
「だから油断するなと言っただろう。まだ納得できなければ、もう一仕合まいろうか」
左門は話しかけた。
「いや、もう沢山」
根性論者は苦しそうに呻き、丸太を投げ捨ててしまった。
「心だけでは勝てないだろう」
「如何にも」
根性論者は最初の勢いはどこかに消え、しょげ返っていた。小木刀で丸太に勝つという得物の長さと勝敗が逆転している。小太刀の名手の面目躍如である。左門は兵法を無視して心だけで勝とうとする精神論根性論を批判する。兵法は効率的に勝つという精神論根性論のアンチテーゼである。
この話を藩主の黒田長政は後日聞いて、根性論者を呼び出した。
「その方は、左門と木刀仕合をして負けたということだが、果してその通りか」
「御意の通りでございます」
「若い者にはその位の勇気がなくてはならぬ。左門であろうとも、打ち込んでやろうという勇気は感心なものだ」
長政は称賛した。
「林田左門は世間に知られた兵法の名人であり、負けたことは恥ではない。これから左門の弟子となって兵法剣道を学ぶが良い」
根性論者は長政の有難い言葉に涙をこぼした。すぐに左門のところに行き、子弟の契約をなし、昼夜勉励したところ、剣術の上手になった。
左門は筆頭家老の栗山大膳(栗山利章)の前でも個人主義を貫いた。元和五年(一六一九年)のある日、左門と大善が語り合った。二人の前にはミカンが鉢に積まれて置いてあった。この年は福島正則が改易になり、戦国の気風は急速に失われていった。
話が盛り上がった後で林田左門は左手に刀を持ち、右手を畳に付けて言った。
「俺は先に帰る」
「俺も行くから、少し待て。一緒に行こう」
大善は皆から重んじられた有力家臣であったが、林田左門は大善の言葉を無視して、そのまま去った。大膳はミカンを一つ取って言った。
「先に帰るならば、これを投げるよ」
「それは迷惑なことだ」
大膳は左門にミカンを投げつけた。林田左門は身を少しひねり、刀の柄でミカンを払ったところ、ミカンはコロコロと転がった。大膳と林田左門は一緒に笑った。
後に大膳は黒田騒動の中心人物になる。大膳は寛永九年(一六三二年)に藩主黒田忠之の失政を批判して幕府に訴え出た。幕府の裁定で黒田家は存続、大膳は陸奥盛岡藩南部家に預けられることになる。黒田騒動と伊達騒動、加賀騒動、仙石騒動の中の三つが三大お家騒動である。三大なのに候補が四つある。