宇宙世紀0079 11月19日 午前6時03分
ジオン公国ゴールドコースト基地所属、亡霊部隊長サニー・コールディ少尉との通信を終えたレイン・ウォーミングは安堵の溜息を吐き、仲間へと向き合った。シトラスはレインに問いかける。
「ここまでは想定通りか?」
「ああ、ここまではね。問題はここからだ。」
「お前がオレ達に話した作戦…あんなもん作戦とはお世辞にも言えねーぞ?」
「分かってる、だからこそこの作戦には意味があるんだ。あとは運次第かな…?」
そう言うレインにシトラスは切迫感を全くと言って良いほど感じなかった。まるで自分の思った通りに事が運ぶことを確信しているかの様だった。それがシトラスにはいたく心に引っかかり、不気味でもあった。
「何か当てがあるのかよ?」
「……オレは信じてるんだ、みんなの事をね。」
シトラスからの問いにレインは穏やかに微笑みながら答える。その微笑みはシトラスにより強く違和感を刻み込ませた。これ以上の問答は無意味だと悟ったシトラスは何も言わずに自機へと歩みを進み始める。
かくして連邦軍は作戦を実行に移すこととなった。
午前6時10分
シトラスとシボレーが各々の機体の中で待機し、作戦開始を待っている中で、アイリスは何故か自機から出てきて搭乗前のレインに声を掛けた。レインは少し驚いた顔を見せた。何故なら、アイリスの表情がいつにもなく真剣な顔をしている様に思えたからだ。
「アイリスのそんな顔、初めて見たかもしれないな。何か不安なことでもあるのか?」
「不安なことなんて無いよ、レインの言うことだもん。あたし、レインと一緒だと心が安心するの。前にも言ったでしょ?」
「じゃあ、どうしてそんな顔してるんだ?」
「レインは優しいよね。あたし達の事だけじゃなくて捕虜の娘のことまで考えて動いてる。」
「……」
要領の得ないアイリスの答えにレインは、少し怪訝な顔をして押し黙った。そんな彼の様子を気にする事なくアイリスは言葉を並べていく。
「けど、レインは自分のことになるとなーんにも考えてないんだから。何でも1人で抱え込んで泣きべそかいちゃうし。あたしが居ないと危なっかしいもの。」
「だから、絶対みんなで生きて帰ろうね。レインも一緒にさ。」
「……激励のつもりかもしれないけど半分くらい悪口じゃないかそれ。」
いつにも増して真剣な顔で言われるお小言は心に良くも悪くも響くものだった。何となく軽口を叩いて茶を濁そうとしたが、アイリスの表情は変わらない。アイリスの代名詞のニコッとした悪戯っ子の様な微笑みは影を潜めていた。レインは漠然とした違和感を覚えた。
「それじゃあ、あたし行くから。作戦頑張ろうねレイン。」
言いたい事を言い切ったのかそう言うとアイリスはくるりとレインに背を向ける。その刹那、彼女の瞳は少し潤んでいる様に見えた。レインがそれに気がつき声を掛けようとした時、もう彼女の姿はなく地面に落ちた数滴の雫が乾いた大地を潤していた。
らしくない。自分の知るいつものアイリス・ベルガモットとは明らかに違う。あの別れ際の表情が何よりそれを証明していた。何故そんな顔を彼女はしたのか、それを知る術は今はもうない。レインは意を決して自機の陸戦型ジムへとゆっくりと歩み始める。
例え命が果てる事になったとしてもオレはこの作戦を成功させる。絶対に。
その瞳は静かに燃えていた。
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陸戦型ジムの機内、幼さが抜けきれていない1人の女、アイリス・ベルガモットが出撃の準備を整え濃い霧が立ち込める大地に歩みを進めようとしていた。アイリスは静かに佇み、その瞳は前だけを力強く見つめている。
ふと脳裏に同僚レイン・ウォーミングの姿が浮かんだ。つい先刻話した彼の表情はいつもと変わらず穏やかだった。いや、穏やかな顔に見えたと言う方が正しいかもしれない。側から見れば分からない程の些細な変化ではあったが、アイリスは気づいていた。彼がこの作戦を自身の命果ててでも成功させようとしているということを。彼女は1人そう遠くない過去に思いを巡らせた。
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アイリス・ベルガモットとレイン・ウォーミングが初めて出会ったのはシドニー基地の小さなミーティングルームだった。ミーティングルームで1人でいたレインにアイリスが気まぐれに話しかけたことが始まりだった。
話しかけられた時に見せた少し困った様な様な顔をして微笑んだレインの姿を今でもはっきりと覚えている。アイリスはその微笑みに戦場という非日常の中の日常を見た。それは彼女にとって一瞬ではあるが安らぎを与えるものだった。
そこから自然とアイリスはレインと行動を共にすることが多くなった。レインは戸惑いはするものの拒絶せずに訓練の合間や食事を共にした。彼がどの様な心境でアイリスと相対していたのかは知る術がないし、本人の口から語られたこともなかった。しかし、彼と過ごす時間がアイリスにとっては戦場で忘れかけていた日常を呼び起こしてくれるかけがけのない時間であったことは間違いないことだった。
そんな時間に一時、終止符が打たれたのは宇宙世紀0079 10月の事だった。アイリスは上官命令で極北の地ロシアでの部隊に編成される事になり、レインといるオーストラリアから離れることとなった。そしてその地でアイリスは初めてのモビルスーツでの戦闘、戦場の非日常をより強く思い知らされる事になる。
アイリスを待ち構えていたのは地獄と言っても差し支えないほどの熾烈で劣悪な戦場だった。そこにはレインと過ごしていた慎ましい日常は何処にもなく、上官の狂気に翻弄され使い捨ての玩具の様に浪費されていく友軍の姿。怒りと憎しみと鉄の匂いが混じり合う修羅場。
そんな環境の中でアイリスは、自身の心から希望や優しさといった良心が失われていくのを感じた。そんな自分を引き摺りながらモビルスーツを操り、ビームライフルの照準を敵に合わせ生き抜がなければならない。そんな日々は彼女に生きること自体に嫌悪すら覚えかけた程の絶望を与えた。2週間と満たない任務の中でアイリスの心は廃れていく。そしてそれは、やがて自身に望まぬ覚醒を自身に促してしまうこととなった。
ロシア最大の都市モスクワでの戦闘の最中、友軍の無線以外聞こえないはずのモビルスーツの密室の中で、アイリスは脳内に響く数多の声を聞いた。驚き周りを見渡しても当然誰もいない。その声は絶えず彼女の頭の中に響き続ける。
ーーージーク…ジオン、滅…べ。連邦のカス共…。
ーーー苦しい…痛いよ。おかあさ…。
ーーーお前だけは、お前らだけは絶対に殺す!!殺して殺して殺し尽くしてやる!!
ーーーサフィール…前を向いて生きなさい、それがパイロットととしての…。
ーーー貴様ら、ジオンは我々人類の癌だ。生きる価値などない!!ここで死ね!!
壊れたスピーカーの様に垂れ流され続ける憎悪と悲しみに満ちた心のうねり。それはアイリスの脳内に漂い沈澱してゆく。そのうねりは彼女の心も握りつぶしていくのにそう時間は掛からなかった。
「ああああああああ!!」
彼女の絶叫が密室のコクピットに響く。それに気がつくものはいなかった。
アイリス・ベルガモット、ニュータイプとしての覚醒の瞬間であった。それは覚醒と言うにはあまりに酷く悲しいものだった。
その後、部隊の再編成に伴いアイリスは連邦軍シドニー基地への帰還を果たした。その姿には覇気がなく緩慢と視線を彷徨わせているだけだった。彼女が帰還してしばらくの間、自室に閉じこもり無気力に日々を過ごした。誰とも会いたくなかった。会えばまた聞きたくもない声が聞こえてしまうかもしれない。仮にまた人と触れ合い日々を過ごしていても、その思い出も感情もいつこの戦場では露の様に消え去ってしまうか分からない。それならばいっそ独りでいよう。アイリスはそう思っていた。
「アイリス…最近どうしたんだ。ロシアで何かあったのか?」
そんな時、自室をレインが1人訪ねて来た。アイリスはやり過ごそうと狸寝入りをしてレインから背を向ける様に寝返りを打った。レインの声が心なしか遠くに聞こえる。戦争の中で日常を呼び起こしてくれたレインとの日々が遥か昔のことの様に思えた。あの日々を綺麗な思い出として昇華したい、だからこそ今は会いたくない。いや、今の自分は会ってはいけない。
しばらくしてレインはまた来るからと言って自室を出て行った。アイリスは声を殺して独りきりの部屋で枕を濡らした。
しばらくすればレインも来なくなるだろうとアイリスは思っていたがそれは大きな間違いだった。予想に反してレインは来る日も来る日も部屋を訪れ1人で部屋を訪れては声をかけ、基地であったことやたわいも無い話をアイリスに話した。アイリスはそれに返事一つせずレインから背を向けて瞳を閉じ寝たふりを相変わらず決め込んでいた。
そんな日々が1週間近く続いた頃、彼女の心境は僅かながら変化した。レイン・ウォーミングという男は何故こんなに自分と向き合おうとするのだろう。それも何も答えず、黙って壁を向いているだけの自分に。
「……どうしてレインは、いつもあたしのところに来てくれるの?」
自室を訪れたレインにアイリスは顔を壁に向けたままではあるが、帰還して初めて声をかけた。レインは、やっと話してくれた。もう口聞いてくれないかと思ったよ。と優しい口調で答えると言葉を続けた。
「ロシアから戻って来たアイリスを見た時、只事じゃないと思った。あの顔を見て無関心でいられる程オレは冷徹じゃないよ?」
「何があったのか、話したくないなら話さなくていい。ただオレに出来ることは仲間として君を見守ることだけだ。」
「君がオレを見捨ててもオレは君を見捨てない。絶対に。」
そう言うとレインはアイリスの方に回り込み目線を合わせるようにベットサイドの壁に体をもたれかがみ込む。久しぶりに見る彼の表情は変わらず穏やかだったが、その瞳の光は力強く優しかった。何より彼女を苦しめた憎悪と悲しみが彼からは欠片も感じられない。彼女が望み求めた日常は思い出としてではなく現実として再びその姿を表した。アイリスは声を上げて泣いた。レインは一瞬驚いた顔をしたがすぐに穏やかな表情に戻った。そして何も言わず静かに赤子の様に泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でた。
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それから時は戻り、陸戦型ジムのコクピット内。アイリスは以前塞ぎ込んでいた自分を立ち直らせてくれたのと同じ瞳の光を、強い覚悟の表れを先刻のレインの姿に見た。
「ti amerò per sempre」
薄暗いコクピットの中で1人母国であるイタリアの言葉を呟くアイリス。脳裏を過ぎるレインとのかけがけの無い日々が殊更に輝いて感じられる。
ti amerò per sempre
アイリスがレインに伝えた、まじないの言葉。その言葉は本来まじないの言葉ではない。その言葉の意味は、ずっと貴方を愛している。日常の中をレインと共に生きていかんとする彼女の切なる願いがそこにあった。アイリスは心中でレインへと語りかけた。
ねえレイン知ってる?ニュータイプって生きにくいの。人の気持ちが分かっちゃうのも困るんだよ。特に怒りとか殺意とか憎しみとか…分かっても困っちゃうものばっかり分かってさ。けどね、悪いことばっかりじゃ無いんだ。レインが困ってる時、悲しんでる時あたしならすぐに分かる。辛い時側にいられる。ニュータイプは戦争の道具っていう人もいるけど…こういう使い方もアリ…だよね?だって、持ちたくもない力を持っちゃったんだもん、好きな子の幸せのために使うことくらい良いじゃない?
あたし、レインと一緒に生きていきたい。戦争が終わってからもずっと。
だから…生きてレイン。
時に宇宙世紀0079 11月19日 午前6時20分
各々の心情が錯綜する中、地球連邦軍新兵達の反抗作戦が開始された。
飽き性な自分がここまで書けているのは見ていただける皆様のおかげです、本当にありがとうございます。もう少しお付き合いください。
アイリスは個人的に書きにくいキャラクターの1人で悩みの種でもあります。天真爛漫な人って皆様どうやって書かれているんでしょうか、ご教示していただきたいです…。