物思いに耽るレインの肩に何かが触れた。レインが首と視線を向けると、そこにはクリーム色のショートボブに少し紫がかった瞳をした少し小柄な女性が立っていた。
彼女の名前はアイリス・ベルガモット。
レインの同期であり、訓練ではルピスに次ぐ二番目の成績を残している。そして、ルピス同様
モビルスーツでの戦場出撃経験を持つ人物だ。レインの同期の中ではルピスとアイリス、この二人だけが出撃経験を持っている。
「どうしたの、レイン。そんなボケーっとしちゃって。」
「ああ、アイリスか。オレに何か用事でもあるのか?」
「別に、ただレインがボケーっとしてるのが気になっちゃって。どうしたのかなって。」
アイリスはニコッとオノマトペが付いてきそうな理想的な笑顔を浮かべレインに問いかける。
同期の中には彼女に敬慕の念を持つ者も多くいる、それと同様に好意を抱く者も。おそらく彼女の純真そうな立ち振る舞いがそうさせるのだろう。女の涙が武器ならば、女の笑顔はさながら凶器だ。レインはそんな凶器から少し距離を取るべく軽口を叩く。
「相変わらずアイリスは人の世話焼くのが好きだな、何だか同い年って感じがしないよ。」
「えー、何それ。あたしが年寄り臭いってこと?」
アイリスは頬をフグのように膨らませむくれた。二十歳の女性がするにはいささか子供じみた行為ではあるが、年齢以上に幼さが残る顔を持つ彼女にはさほど不釣り合いでは無いように見えた。
「ゴメンゴメン、そういう意味じゃなくて人の世話を焼けるくらいのゆとりがあって良いなと思ってさ。」
「えー、本当かなぁ。ま、騙されといてあげるね。」
アイリスはいたずらっ子の様な笑みを浮かべてレインの隣の席に座った。レインは驚いた表情でアイリスを見つめる。
「えっ、ここに座るのか?」
「どこに座ったってあたしの自由でしょ〜。それに、レインの考え事の内容まだ聞いてないし。もしかして秘事?恋愛についてならあたし大歓迎!」
「恋愛話じゃないし、そもそも教えるわけないだろ。」
「うー、レインの意地悪」
レインの苦笑を含んだ言葉にアイリスはまたしてもヘソを曲げてしまった。しかし、彼女の眼差しは暖かいものだった。この取り留めのないやり取りを彼女自身も楽しんでいるのだ。
彼女の賽の目の様に変わっていく表情を見たレインは彼女には自分が感じている様な孤独感とは無縁なのだろうと思った。そしてそれは一層自身の孤独の深まりを感じさせた。
ーーーーーー
それから暫くしてミーティングルームは静寂に包まれた。クラウディア・フラッツ大尉が作戦説明の為に現れたからである。
「諸君らに集まって貰ったのはゴールドコーストにあるジオン軍基地の奇襲を行って貰うためだ。端的に言う、ここにいる十六人を四班に分け、地上と空中の二つの方向から襲撃を行う。この作戦は地球連邦軍がオーストラリア大陸を奪還するための第一歩だ。ジオン公国の蛮行はコロニー落としから始まり枚挙にいとまがなくーーーーーー」
クラウディアは作戦の意義、重要性、内容の3点を抑揚をつけず淡々と説明を行っていく。
クラウディアの演説の様な作戦説明を聞く連邦軍人達は飢えた狼の様に鋭利な視線を向ける。それはクラウディアに対する反感ではない、作戦説明のホワイトボード越しにいるジオン公国の名もない兵士達に対する明確な殺意である。
レインはその様子を静かに眺めていた。作戦の当事者であるはずの自分がまるで部外者の様な感覚を覚えながら。
「レイン・ウォーミング伍長」
いくばかりかの時間が過ぎた頃、クラウディアは不意にレインの名を口にした。虚をつかれたレインは講義中居眠りをしていた生徒の様に少し上擦った声で応対する。
「は、はい!」
「君は第四班として空中からの奇襲を担当してくれたまえ。」
クラウディアはどうやら自分の態度を叱責する為に名を口にしたわけではなく、班の割り振りを発表する為に口にしていた様だ。
「了解しました」
レインは席から立ち上がり敬礼をして再度着席する。すると、アイリスが小声でレインに話しかけて来た。
「あたしも第四班なんだ、よろしくねレイン。レインと一緒ならあたしも安心かな。」
欲しいお菓子を買ってもらった子どものような笑顔を浮かべるアイリスにレインはやや困惑した。
「安心って…オレは今回の作戦が初めての実戦だぞ?何も安心できる事なんてないじゃないか」
「チッチッチッ、分かってないな〜レインは。あたしの言う安心はパイロットの腕や経験の話じゃなくて心の話だよ、心が安心するの」
「そ、そうなんだ。」
心の安心という言葉をレインはあまり理解出来なかった。
返答に窮したレインは困惑しつつ、話題を逸らす事にした。
「ルピスは何班だったんだ?」
「ルピスは第一班だから地上攻撃の担当だね。何、ルピスのこと気になるの?分かる分かる、男の子だもん、ライバルの事は気になるよね〜」
アイリスは大袈裟に頷きながら話に乗ってきた。それを聞いたレインは少なからず安堵した。ルピスと同じ班だったなら彼の仕事への情熱と過度なポジティブ思考で自分の心が休まらないからだ。配属班が違えば心の持ちようも変わってくるというものだ。
ああ、アイリスの言う心の安心というのはもしかしたらこういう事を言うのかもしれないとレインは納得した。しかし、同時にどうしてアイリスは自分といると心の安心が得られるのだろうという新しい疑問も生まれてきてしまった。
考えても仕方がないと思ったレインは小さく溜息を吐き疑問を溜息と一緒に頭の中から押し出した。
ーーーーーー
作戦は三日後の早朝に行うことが発表され、解散となった。
パイロットの殆どは自室に向けて歩き出していたが、ごく一部のパイロットはミーティングルームに留まっておりレインもその1人だった。
ルピスの情熱、他のパイロット達のジオン公国に対する殺意に等しい執念…自分に欠けた連邦軍としての資質を改めて見せつけられた様な気がする。そんな自分が連邦軍人として戦うことに意味があるのだろうか。
レインは窓の外の世界に視線をやる。基地の無機質なライトが夜の闇を照らしている。その光もか細く到底先を見通せるほどのものではないか弱いものだった。
「レイン、部屋に戻らないの?」
「アイリス」
「また考え事してた?」
「……大したことないさ、大丈夫」
アイリスに内情を打ち明けても何にもならない、これは自分自身の問題なのだとレインは自分に言い聞かせた。そして彼女の問いかけを当たり障りのない言葉で躱してレインは彼女の顔を見ることなく席を立つ。その時だった。
「レインは今のままで良いんだよ?…ううん、今のままが一番良いんだよ?それがレインらしさだと思うから。だから自分が独りぼっちだなんて思わないで?」
「!!」
「あー、やっぱりそういう悩みだったんだー。レインって正直者だね。」
「……カマをかけたのか?」
子どもの様な笑顔を浮かべるアイリスにレインは驚きを隠せない様子で言葉を投げかける。
「ううん、多分こんな感じなのかなって。何となく分かっちゃったんだ。」
そんな曖昧なもので自分の内情を把握されたのではたまったものではない。彼女の勘の鋭さにレインは完敗を認めざるを得なかった。
「はーっ、参った降参だよアイリス。いつから人の心が読める様になったんだ?」
「知らなかった?あたしニュータイプなんだよ?」
「えっ?」
「なーんて冗談だよー。そんなわけないじゃない。」
あんな芸当を見せられた後に言われたせいかレインには彼女の言葉が冗談には聞こえなかった。
「ニュータイプとか心を読むとかじゃなくてもっと単純で簡単なことだよ、レイン」
「単純で簡単?どういうこと?」
「それは教えなーい♪ レイン君への宿題って事で。答え分かったら教えてね!それじゃおやすみレイン。」
右目でウィンクをしてアイリスはミーティングルームを出て行った。彼女が出て行ったミーティングルームにはあっけに取られたレインと彼の困惑だけが残された。
「な、何だったんだ今の…」
辺りを見渡すともうミーティングルームにはレインしか残っていない。彼は部屋の電気を消灯し自室へと歩き出した。その足取りは何故か少しだけ軽かった。