宇宙世紀0079 11月19日 午前8時50分
レイン・ウォーミングが提示した捕虜解放の時間まで残り10分。サニー・コールディはまだ濃く残る霧の中部下のジュリアス・ヴァルトロに指示を飛ばしていた。
「慎重に進めよジュリアス。敵がどこで待ち構えているか分からない。多少進軍速度が落ちても構わない、伏兵の有無に気を配れ。分かったか。」
「了解です、隊長。」
一歩、また一歩と慎重に歩を進めていく2人。下手に速度を維持して進撃を続ければ取り返しがつかない事になる。その代償の重みが2人の足取りをより重くしていた。
午前9時
サニーとジュリアスはレインから提示された場所へと到達した。まだ霧は晴れないが、少しずつ少しずつ前方の視界が開けていく。サニーは喉をごくりと鳴らした。敵がいるのか。いるとすればどの様にして立ち回れば良いのか。今打てる最善の手は何か…頭の中で多くの思案が湧きあがってくる。
しばらくすると、示しを合わせたかのように陸戦型ジムが眼前へと姿を現した。ジュリアスの乗るヅダはモビルスーツ用ロケットランチャーであるシュツルム・ファウストを構えて今にも砲撃を行わんとしている。
そのモビルスーツにエリカが、自身の可愛い部下が搭乗させられているかもしれない。そう判断したサニーは早るジュリアスを通信で諌め、敵の出方を伺う。
(……敵が動いて来るならば、霧が完全に晴れてこちらの数が判明した時のはず。いつだ、いつこの霧は晴れる。ここまで霧を恨めしいと思ったことはない…!!)
サニーの怨念が通じてか、一帯に蔓延っていた霧は一刻一刻と晴れていく。そしてサニーの眼前が完全に開けた時…サニーは驚きのあまり言葉を失った。自身の前には伏兵はおろか、ガンタンクの一機すらなくただ陸戦型ジムが一機佇んでいるだけだったのではある。
「レイン・ウォーミング…お前一体何をした!?」
「……何もしていません。オレの目的はあなたの部下であるこの娘を解放する事、ただそれだけですから。」
ーーーーーー
レインが3人に命じた事、それは自身を1人だけ置いて先行して連邦軍シドニー基地へ向けて南下すること、それだけである。濃霧で視界が覆われているうちに友軍を基地へと少しでも進ませる事で友軍が敵と交戦し、撃墜される事を避ける狙いがあった。しかし、ただ逃げるだけでは今までのように追撃を食らい犠牲者が増えてしまう。何としても敵の進軍を鈍らせるキッカケが必要だった。
そこでレインは、捕虜の解放の交渉を行う事で友軍が逃げるための時間を稼ごうと画策した。言うなれば、サニーへ捕虜解放の交渉を行い終えた時点で作戦のほぼ全ては終了していたのである。敵軍から捕虜解放の交渉を行うというイレギュラーな事態と、濃霧という特殊な気候状況。この2つに戦場慣れをしているであろうジオン軍人は、敵の真意を読もうと洞察し、伏兵の可能性を考える。そして伏兵を警戒しつつ進軍してくるはずだ。そう思わせる事こそがレインの作戦の肝だと思いもせずに。策を練れる状況下で敢えて何も策を講じず友軍機を逃すことに徹し、捕虜を解放する機会を作り敵の進軍の足を遅らせる。それがレインの作戦とも呼べない捨て身の戦略だった。
だが、この戦略には致命的に大きな穴があった。サニーが捕虜の解放を望まなかった場合や、捕虜解放の場に現れずそのままシドニーの連邦軍基地へ向けて進路を取られた場合、この戦略は完全に崩壊してしまう恐れがあった事だ。
しかし、レインには必ずサニーが捕虜の解放に関心を示し、解放場所に現れるという確信を持っていた。彼の脳裏には、現在捕虜であるエリカ・ローズマリーが撃墜された時のサニーの慟哭が鮮烈に残っていた。仲間の死を嘆き悲しむ様は彼の仲間への情の厚さを表すものである事は考えるまでもなく明らかだった。そして、そんな優しさを持つ男が仲間の解放を望まないはずはないとも。
この捨て身の戦略の成否をレインは、あろうことか敵であるサニーの仲間を思う良心を信じて委ねたのである。
全ては友軍を逃し、捕虜であるエリカを解放する。ただそれだけの為に。
霧の中から現れたのは無益な争いを少しでも避けたいと思うレイン・ウォーミングの嘘偽りない本心であった。
「随分と舐めたマネをしてくれるな、レイン・ウォーミング…!!」
「オレは約束を果たしたかっただけです。あなたの部下は、あなたとその仲間を家族の様だと泣きながら言っていました。だから、必ずあなた方の元に返すと彼女に約束したんです。」
「ただ、その約束を戦略として組み込んだ事は罵っていただいて構いません。その咎めは正しいものだと思いますから。」
「……偽善者め。自らの落ち度を弁えているあたり分、余計にタチが悪い。」
「偽善は人の為の善。この偽善にも意味があるのだとオレは…信じています。」
サニーから発せられる悪辣な言葉達にレインは表情を崩さず、澱みなく言い切った。オーストラリア大陸を覆っていた濃い霧は完全に消え去り、2人を隔てるものは戦場と価値観のみである。
ーーーーーー
「さあ、オレは約束を守ったよ。君は君の行きたいところに帰れば良い。」
決して広いとは言えないコクピットの中でエリカに語りかける。エリカは戸惑った声でレインにどうしてこんな事をしたのかと問いかけた。レインは、右手を顎に当ててんーと数秒思案してからこれが責任だと思ったからかなと答えた。
「責任?」
要領の得ない答えにエリカの戸惑いはより深まった。そもそも何に対しての責任だと言うのだろう。確かに彼は自分に身の安全を保証すると約束をした。その約束に対しての責任という事なのか。しかし、それで捕虜である自分を解放するという事に繋がるとはとても思えない。
「オレはあの時、君が死ぬだろうと分かっていて機体を墜した。明確な殺意を持って攻撃をした。その行為は決して許されることじゃない。」
「そんな中で君は生きていた。生きていてくれた。こんな事をしてもオレは罪は消えない。許されることもない。許されるとも思っていない。だけどせめて君の望みを果たしたい。それがオレが君に唯一出来る命への責任の取り方だと思ったから。」
「……不思議な人ですね。私、あなたの敵なんですよ?」
「敵である前に人じゃないか。敵だろうと味方だろうとオレは約束を守る、いや守りたいと思った。それが全てだよ。」
その言葉に返事を返すことなくエリカはコクピットから外へと足を踏み出していく。レインは黙って陸戦型ジムの腕を操りエリカを大地にそっと下ろした。エリカは一目散に仲間の元へと駆け出し、そして保護された。
「エリカ、無事だったか!よかった…本当によかった…。」
「隊長、ただいま帰りました!」
サニーは言葉に出来ないほどの喜びと彼女を一時でも敵の捕虜にさせてしまった申し訳なさのせいか月並みな言葉しか部下にかけることが出来なかった。彼女はそんな彼の心境を知ってか知らずか凛々しい顔つきで答える。おそらく上官であるサニーを心配させまいと気張っているのかもしれない。
「ジュリアス、エリカを連れてこの地帯を離脱してゴールドコースト基地へと帰還しろ。」
「隊長!?何を言い出すんです?」
「……死ぬほど癪だが、敵が折角エリカを約束通り解放したんだ。取り返した仲間をまた直ぐに命の危険に晒すわけにはいかない。」
「し、しかし…俺は隊長を残して行くことなんて出来ません!先に貴方だけを逝かせる訳にはいきません!」
「逝く順番なんざ、大した問題じゃない。行き着く所は同じなんだ。エリカを基地に返してゆっくり戻って来い。いいか、今はエリカが最優先だ。」
「……分かりました。」
ジュリアスはそう答えると、エリカを自機のコクピットに連れ込んで機体を浮上させる。
サニーに向けて右手で力強く敬礼するジュリアスにサニーも同じポーズで応える。それから数秒してジュリアスとエリカを乗せたヅダはゴールドコースト基地に向けて飛び立ち、その姿を目視することが出来なくなった。
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「さて、レイン・ウォーミング、まずは部下を無事に解放してくれた事を感謝申し上げる。」
「オレ達はこれ以上の戦闘を望んでいない。安全に基地に帰還したいだけです。だからその火種となり得る捕虜の解放を行った。現在の位置は連邦軍のシドニー基地から60キロ程しか離れていない。ここで無益に戦えばそちら側に不利な状況になるはず。オレ達がここで争う必要はないはずです。」
「随分と独りよがりな主張をするんだな。レイン・ウォーミング伍長。偽善者でもあり独善的でもあるというのか?始末に追えんな。戦争や戦闘はは双方の思惑のみで行われるものではない。この戦争の始まりがそうだったようにな。」
「お前達になくとも俺にはある。…戦う理由なんてそれで十分だとは思わないか?」
そう言うや否やサニーの搭乗するヅダはヒートホークを右手に持ちレインの陸戦型ジム向け切り掛かる。レインは辛うじてそれを躱すがサニーの追撃は収まらない。
「ここで戦うことに一体なんの意味があるです!?オレには貴方が死に場所を探している様にしか見えません!貴方の部下が言ってました。自分にとって貴方と貴方の仲間は家族の様なものだって!今の自分の全てだって!ここで貴方が命を捨てたら、彼女の気持ちはどうなるんですか!?」
死に場所を探している。このレインの何気ない言葉はサニーの任務の根幹を偶然とは言え皮肉にも言い当てていた。そして捕虜になっていたとは言えたかだか数日の出来事で部下の心情をさも理解したかの様な青二才の発言にサニーは激昂した。
「貴様に…貴様なんぞにオレとオレの部隊の何が分かる!?エリカの何が分かる!?オレ達の命の何が分かる!?高いところから訳知り顔して講釈を垂れるんじゃねえよ!!」
「そんなに自分のことも仲間のことも思えるならどうして…どうして仲間の言葉に耳を傾けようとしないんだ!!」
サニーの激昂に怯むことなくレインも言葉を返す。二刀のビームサーベルがヅダのヒートホークを受け止めその場を膠着させる。
「ようやく戦う気になってくれたか。ここで1人でも多く墜とさなきゃいけないんでな。俺をここで止めないと…確実にお前の仲間は俺が殺すぞ?」
「命を賭けてもそんな事はオレが、オレが絶対にさせない!!」
レイン・ウォーミングとサニー・コールディ
立場も生き方も異なる2人。お互いに分かり合えず戦うことしかできない2人。そんな2人の最後の戦いがここに切って落とされた。
宇宙世紀0079 11月19日 午前9時10分のことである。
この時期は花粉が辛い方もいらっしゃると思います。
どうかご自愛ください。