白雪の中から
宇宙世紀0079 10月15日 ロシア モスクワ郊外
寒冷地仕様ジムに搭乗する連邦軍パイロットのブレット・ステイシー軍曹はモニター越しに白雪を眺め鬱陶しい雪だなと悪態を吐いた。彼はメキシコの出身であり雪はおろか寒冷地にすら馴染みはない。赴任した直後には白雪の美しさを見て心が動くことはあったが今はただ目障りなだけだ。これがナポレオンやヒトラーを苦しめた冬将軍というものなのかとブレットは左手でおもむろに顎髭を撫で再び雪を恨めしそうに一瞥した。
自機である寒冷地仕様のジムのモニターに敵影は映っていない。数日前に同エリアで同胞が奇襲を受けホバートラックが鹵獲される事案が起きてから警戒は強めてはいたが、またノコノコと現れるとは思わなかった。10分ほど前に発見し友軍機4機と追跡するも雪のせいか敵影を見つけられず今は索敵の最中だ。周りを見渡しても、かつてマンションが建ち並んでいたであろう廃棄が広がっているだけで敵からの攻撃もないどころか敵影すら確認できず時間だけが過ぎていく。
突然の静寂にブレットは本能的に危機を感じ取る。まさか敵の術中に嵌っているのか。いつの間にか吹雪へと変わった気候が一層ブレットに焦燥感を煽りたて平常心を凍てつかせてゆく。その時連続した乾いた音が雪原に響いた。戦場では聴き慣れた機関銃の掃射音だ。友軍機が敵機を見つけたらしく敵機は一機のみと聞いたブレットは敵機を撃ち墜とさんと友軍機に援護の必要なしと静観を決め込もうとしたその刹那、機関銃の照射を受けて友軍機が断末魔という名の現状報告を残し戦場に散った。
ブレットは自らの懸念が取り越し苦労ではなかったことを悟ると共に周囲をより強く警戒し始める。友軍機にも努めて冷静さを保つように通信したが、届いてはいないのかブレット以外は狂った様に機関銃を打ち続けている。
ーーーーーーコイツらはもうダメだ。せめて俺だけでも生きて帰らなければ。
ブレットは進路を反転させると分からず屋たちに見切りをつけ猛然と来た道を戻り始めた。その間にも1機また1機と友軍機が狙撃されていき、気がつけば通信から味方の声が消えていた。何故ジオンがこちらの場所を把握し狙撃出来たのかおおよその見当がついている。おそらくマズルフラッシュと呼ばれる銃火器を使用した時銃口付近で起こる火薬の燃焼現象を利用して位置を割り出し、狙撃したのだろう。それはこの戦いが偶発的な遭遇戦ではなく戦術を練った上で行われている作戦行動であることを示している。戦術も友軍もいない自分が取るべき手は撃たずに撤退する、ただそれだけだ。
ブレットはどうか無事に基地に戻れることを雪降る静寂な大地に祈った。
ブオオオオン
そんな願いは視界から突然現れたヒートホークの一太刀で掻き消される。危ないっ!あと3秒気がつくのが遅れていたら間違いなく機体を裂かれて死んでいただろう。ジオンが追撃してきている。つまり撤退が露見したということだ。何故だ、何故こんな視界の悪い吹雪の中で俺の動きが手に取るように分かるんだ!?
「血気にはやらずに撤退するなんて、あんた優秀なパイロットだな。5機いる中でそれをしたのはあんただけだぜ?」
「ちっ、何も嬉しかねーんだよっ!」
自身の焦りを悟られまいと虚勢を張り敵兵からの煽りにも似た賞賛を吐き捨てる。
「自分の居場所を明かさない様に気を張り、友軍機を落とされても反撃しなかった、マゼルフラッシュの事を頭に入れてたわけだ。」
「けど、頭でっかち過ぎるぜ…あんた手品見たことねーだろ?」
「だったら何だってんだよ!?」
ブレットはビームサーベルを下から上に振り上げようと構えるより先に機体頭部を撫で切りされ視界を失った。
(コイツ…エース級かっ!)
敵パイロットの力量に慄き本能的に機体を後退させたが、すかさず距離を詰められる。
視界を失ったブレットに最早なす術はない。
「手品ってのは難しいものほどタネは単純なんだぜ?負けたら死ぬ、この戦場と同じくらいには…な。」
その直後凄まじい轟音と共に機体が切り裂かれた。自身の感覚が一瞬にして無に帰りコクピットには自分のものであろう鮮血と内蔵が飛び散る…そして
ドゴォォォン
連邦軍人の命がまた一つ戦場に消えた。
ブレット・ステイシー含む地球連邦軍、極北モビルスーツ実験(モルモット)部隊第三班はモスクワの地に全滅した。
ーーーーーー
「ったく、囮も楽じゃねーんだぜ姐さん。」
「サフィール・ヴォルフニード軍曹、アンタは敵を惹きつけるのが仕事でしょ?楽じゃないとか言ってないで仕事しなさいっての。」
生意気な部下にお灸を据えるとリリィ・ルナストーンはふーっと深く息を吐きヘルメットに手をかけこれを取り払う。モビルスーツのコクピットはいつ入っても窮屈でモニターも多くて落ち着かない。万が一死ぬとしてもコクピットの中で死ぬのだけはゴメンだ。どうせ死ぬなら広々としたステージが良い。
(不謹慎もいいところね。今し方コクピットの中の連邦軍人を殺しておいて…)
一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる。
宇宙世紀以前の演劇を支えた喜劇王は、戦争による殺戮をこの様に皮肉っているが、リリィにはそれが強ち創作物の一台詞とは思えない。この戦場においては殊更に。
慣れるのだ、人が死に人を殺す現実に。治世で殺人を犯せば罰になるが、戦場では殺した数が多いほど勲章になる…これを神聖化と言わず何と言うのだろう。
喜劇王はこうとも言っている。本当の性格は、酔っ払っているときに現れる。
この戦場に異常な世界に酔っている私達の本質は、ひいては人間の本質は残虐と言うことなのだろうか…。
「おいコラ、姐さんいい加減人の話に返事してもらっていい?ろくに話聞かずダンマリ決め込んでんのはどこの誰なの?」
生意気な部下の声がリリィの思考を現実に引き戻した。わざわざ注意された言葉を意趣返しの様に使ってくる辺りは本当に舐めたヤツだが内心少しだけ感謝した。このまま思考を続けていたらネガティブになり過ぎて今後に支障が出かねなかった。
「ゴメンゴメン、それで何だったかしら」
「マージで何も聞いてねーじゃねえかよ。さっきよく人のこと煽れたよな。」
煽り返しておいてまだ言うかこの生ガキ。リリィは誰もいないはずのコクピットで唇を尖らせ横を向く。
「今回の作戦についてだよ。連邦軍を遭遇戦を装って敵を誘い込んで撃退するって話だったけどさ、よくそんな博打打てたなって思ってよ。」
「博打なんかじゃないわ。私たちには鹵獲したホバートラックがある。それを利用すればそれを利用すれば多少悪天候の中でも敵を叩くことが出来る。単純なタネではあるけど、敵が少人数であるなら十分勝機はあるわ。相手の動きを探知した上で有利な条件で叩く…定石だと思うけど。」
「なるほど、流石は元役者志望。台本には抜かりなしってかい?」
「だ…誰から聞いたのよ!?そんな話!?」
「ジャック爺さん。酔っ払った勢いでベラベラ話されたって言ってたぜ。
姐さん酒癖悪いの?」
「あの口軽ジジイ…!戻ったらシメてやる…!!」
ジャックはメカニックで主にモビルスーツの修理や改良を生業としている齢70近い男だ。おしゃべり好きでよくリリィや他のパイロットとも軽口を交わす事が多いのだが…喋りすぎが大きすぎる欠点だ。
「すいません、お話中のところ。少しいいですか報告したいことがあって。」
リリィとサフィールの話に割って入ったのは2人と同じ部隊所属の女パイロットであるエメラ・キルスティー。新緑を思わせる長くカールされた緑色の髪と瞳はこのロシアの地では一段とよく目立つ。しかし本人は目立ちたがりなどではなくむしろ少し引っ込み思案所もある。サフィールにその慎ましさを分けてあげて欲しいとリリィは切実に思っている程よく出来た部下だ。
「どうしたの、何か急用かしら。」
「撃墜した機体の中で損傷の少ない機体を発見しました。もしかしたら生きているかもしれません…OSが。」
その言葉に2人は目を見開く。OS、オペレーションシステム。モビルスーツを操舵する上で重要な要素となる部分、謂わばモビルスーツの頭脳。それの損傷がもし本当に少ないのなら…。
「解析出来ちまう可能性があるってことか…?」
リリィの心中を見透かすかの様にサフィールが言葉を紡ぐ。日頃生意気な癖して何だかんだ頭の回転は早い。本当に残念な部下である。リリィは残念な部下に早口に指令を飛ばす。
「サフィール、基地に回収用に人員を集めるように連絡して。ことは一刻を争うわ。今日中に片をつけないと連邦に持ってかれるかもしれない。」
「りょーかい姐さん。オレたちは取り敢えず目印残して撤収。残りは基地からの応援任せって感じね。」
「えっ、手伝わないで私たち帰るんですか?」
「いくら悪天候といえどもザク3機がボーッと突っ立ってたら目立ち過ぎるだろうがよ。オレたち囮部隊は陽動して短期決戦に持ち込まないと勝ち筋ねえんだから隠密行動が肝なの分かる?」
「言い方は悪いけどサフィールの言う通りよ。ここは引くわ。今万が一敵に遭遇してしまえば打撃を受けるのは間違いない…応援には申し訳ないけど、命賭けてもらうしかないわ。」
「分かりました、リリィ隊長の意見に従います!」
「なぁ、オレの意見は!?オレの意見は蔑ろかよっ!」
その言葉を掻き消すようにリリィ機とエメラ機は基地方向に向かい駆け出し始めた。
ーーーーーー
「極北モビルスーツ実験部隊第三班が全滅してモビルスーツを回収されちゃった可能性ありね…まぁ期待はしてはいなかったから全滅はさておきモビルスーツの回収は最悪中の最悪だね。」
地球連邦軍モスクワ基地の一室床に敷かれた赤い絨毯が目を引くその部屋で連邦軍中尉に属している男アレキサンドラ・ライオネットは一つため息を吐くと天井を見上げた。185cmを越えようかと言う高身長に透き通る白い肌と対比するか様な黒々とした瞳を有する眉目秀麗な顔立ちのせいか何処か芝居じみた所作でも鼻につかない。
「それでこれからどうするんです、極北戦線はやや膠着状態ではありますが長期戦になれば私たちにも分がありますが。」
「長期戦?ダメダメダメ。ダメだよベリル。そんなまどろっこしい事続けてるから睨み合いになってるんでしょ?そんなことやってたから前任者飛んじゃったじゃない首。」
口元は緩んでいるが目の奥ではマグマの様な粘着質な熱意が噴出している。前任者は長期戦を主張しその作戦の最中戦死した。ヒートホークに切り裂かれたその亡骸は筆舌し難い惨さだったとベリルは赴任時申し送られている。
「チンタラ行動しててモビルスーツをジオンに解析でもされてたらどうすんの?下手打ったじゃ済まないんだからね。…取り敢えずは今僕らが持ってるアドバンテージを活かさなきゃ。」
「アドバンテージ?どう言う意味です?」
ベリルは小首を傾げてアレキサンドラに問う。オレンジ色のセミロングがふわりと揺れる。女性にしてはやや高めな背丈で目鼻立ちはハッキリとしてる容姿ではあるがそのような所作のせいか30歳手前の年齢には不相応な若さを感じさせる。そんなベリルにアレキサンドラは指をピッと立てると私見を述べる。
「失敗から学べる。これが1つ目。相手の傾向が見えてくるのはデカいよ?作戦に活かせる。アドバンテージその2は人員の調達が容易ってところ。ここは地球だよ、降下した人間たちでジリ貧してるジオンとは訳が違う。人も道具も同じ足りなくなったら補充しないとね?」
ベリルの背筋に悪寒が走った。この男は危険過ぎる。この男は畑から取れる野菜と同じ次元で人の命を考えている様な軽さがある。上官としては時に冷徹な判断や人を使わなければならない場面は往々にしてあるだろう、しかしこの男はあまりに度が過ぎている。この冷徹さが彼を「雪原の獅子」の別名、もとい蔑称を持つ所以だ。何が彼をそこまで駆り立てるのだろう…きっと『あの時』の経験が痛みが彼を変えてしまったのか。
「人員補填が終わり次第総力戦による短期決戦でジオンの基地を制圧してモビルスーツを奪還する。それが今回の僕の作戦かな?」
「人員回してくれそうな所は…オーストラリアかな。あそこは膠着状態どころか主だった戦闘すら起きてない。若手のパイロットとか余ってるかもしれないな〜。」
遠足の計画を練るかの様な気軽さで人員補填の予定を組み立てるアレキサンドラの様子にベリルは内心嫌悪を覚えながら現地に行かれるのですかと問う。アレキサンドラはもちろんだよと短く答えた。分かりました、それでは失礼しますと会釈をしてベリルは部屋を出ようとドアノブに手を掛けた時、アレキサンドラが思い出したかの様に言葉を投げた。
「オーストラリアにはベリルにも来てもらうからね。」
「…どうして?」
「だって僕は君の上官でしょ、どうしようと僕の勝手だと思うけど?それに僕たち同期でしょ?昔はもっと優しく話してくれたのに今じゃ他人行儀なんだから、僕は悲しいよ。」
「……」
「ベリル。君『も』あの時から変わったもんね。」
「それはお互い様じゃないアレク。随分偉くなっちゃって……似合ってないよ全部。らしくない。」
「寂しいね、元に戻ってくれるのが悪態吐いてくれる時だけなんて…さ。」
ベリルは返事代わりとも言う様に乱雑に扉を閉め早足で歩き始める。その頬には涙が伝っていることをアレキサンドラは知らない。
新章です、書いてて自分が1番驚いてます。一体完結にどれほどの時を要するのか分かりませんが気長にお待ちください。感想いただけると本当嬉しいです。
前章に登場した方々も何人かは出は予定です、前章を読んでいただいていた方がいらしたらその点もお楽しみにしていただけると幸いです。
ではまたお会いしましょう〜♪