黄金の暴君×永遠の二番手=星の皇帝(僕)   作:パンダコパンダ

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 ツァーリ産駒のちょい出し。

 ツァーリの産駒名募集します!
 繁殖牝馬の一覧も載せるので、牝馬と名前下さい!
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 the HERO 募集の活動報告
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競走馬ー26:ズヴィズダツァーリという馬

 ズヴィズダツァーリという馬は、それはもう特殊な馬だった。

 

 彼の馬を簡潔に表せ。

 なんて言われたら、賢い、優しい、強い。と答えると思う。

 特に、その賢さは今まで見てきた馬の中で一番。ゴールドシップも頭は良かったが、それ以上に頭が良かったんじゃないだろうか。

 

 こちらの言葉はしっかりと理解していて、レース前に作戦を伝えたらその通りに走るし、レースを熟せば熟すほど、レースの位置取りや、僕の考えを理解していっていた。

 

「本当に不思議な馬でした。今まで乗ってきた馬の中で、ゴールドシップみたいな気性が荒かったり気まぐれだったり。なんて馬も経験してるんです。ツァーリもツァーリで、女の子好きだったりして気分屋なところはありますが、それでも根は真面目です。勝った負けたを理解していて、初めて負けた時に呆然と立ち尽くす。人の背中に乗ってるような感覚が時々ありました」

 

 ズヴィズダツァーリが引退したことにより、僕に、ツァーリに対するインタビューが殺到した。テレビ番組から雑誌、ラジオに新聞と、かなりの数インタビューを受け、そのほとんどが同じ回答ではあるが。

 

「打田ジョッキーとズヴィズダツァーリの思い出で、一番良い思い出と、一番悪い思い出はなんでしょうか」

 

 これもよく質問された。けど、たまにははじめてのことも話してみるべきかな? なんて思い、あの夜のことを話してみる。

 

「そうですね。良かった思い出とすれば、あれですね。サートゥルナーリアにはじめて負けた有馬記念の後。僕は色々考え込んじゃって、ツァーリの馬房に行ったんですよ。その時にね、ツァーリははじめて負けたのがショックだったのか落ち込んで、飼い葉も全然食べなかったんですけど、僕が行ったら食べてて」

 

「ズヴィズダツァーリが吹っ切れていたと?」

 

「いや、多分自棄食いだったと思います。それで、その時に色々愚痴みたいな感じでツァーリに話しかけたんです。負けたな。とか、自分はリュックだった。とかを」

 

「はいはいはい。打田さんが思う自分の不甲斐なさを吐露していたような感じでしょうか?」

 

「そうですね。その中で、ツァーリのレベルにサートゥルナーリアが来た。とか、ここから負け続けて有象無象の馬になるより、数少ない負けを語られる存在にならないか? って。お前は一人じゃない。陣営がしっかりついてるから。って言ったのが良い思い出です。そこからツァーリが本気を出し始めましたから」

 

 三冠を取ったあの菊花賞より、世界一になった凱旋門賞より、僕の記憶の中で一番輝いていたのは、子供のようにしょぼくれた、人間臭いツァーリの気弱な顔だった。ただそれだけ。

 

「それでは一番悪い思い出は」

 

「春の天皇賞ですね。怪我した時。ツァーリが無理をすることはなかったのに、それでも騎乗中に起きた怪我ですから。あの日、ツァーリがお辞儀をしなかったのは、すれば自分が立てなくなることに気づいてたんじゃないでしょうか? 獣医曰く、立ち上がる時の反動で肩の骨に異常が発生していたかもしれないとおっしゃっていましたから」

 

 あそこでお辞儀をしていれば、予後不良の可能性もあった。と言われた時、僕の目の前が真っ暗になったんだ。ツァーリが死ぬなんて考えたことも無かったから。そりゃあいつかは死ぬけど、競走生活中になんて考えられない存在だった。

 

「負けたことよりも、そちらの方が悪い思い出ですか?」

 

「ルドルフだってディープだって絶対じゃ無かったわけですから、いつかは負けると思ってました。有馬記念で負けた原因は誰が何を言おうと僕の騎乗ですが、ジャパンカップの時みたく、万全の体調、状態の時に負けることもある。僕たちはそう思ってました」

 

「それでは、何かやり残したことはありますか?」

 

 そう聞かれた僕は、何をやり残したか考える。

 無敗? それともレコード勝ち? 違うな。なんて浮かんでは首をかしげる。

 

「ツァーリとやり残したことはありません。やりたいこと、成したかったことはやらせてもらった。僕みたいなジョッキーに三冠の称号をくれた訳ですしね」

 

 ただ、カレの子供とまた走れたら良いな。なんて思うけどね。

 

「そう言えば、ファンの中には凱旋門賞2連覇を求める声もありましたが……」

 

「ああ、2連覇については佐崎氏も考えていたんですが、帰国後ツァーリの前で外国の名前か凱旋門賞って言うと後ろ蹴りをし始めて。馬房の壁、何箇所か凹ましてるんですよ。それで、やめとこうって」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 種牡馬としての生活が始まった。

 

 一番最初の相手は、やっぱりと言うか、グランアレグリアだった。

 グランも、グランの馬主さんも目をキラキラとさせながらやってきて、そのまま一発目。

 

 秘めた巨大なパワーによって聳え立ったタワーを、アスファルトに網目状にヒビが生えるような地響きで突撃してくるグランに使った。

 

 スッゲーでた。

 

 他にもアーモンドアイお姉様やクロノジェネシスともしたし、有馬で倒したリスグラシューさんとか。会ったことない馬で言えば、ダイワスカーレットさんとか、ブエナビスタさんとかメイショウマンボさんやアパパネさんとか。

 

 全く名前の知らない馬だっていた。

 

 もちろん子供ができない可能性はあるものの、馬主さんたちは子供を求めてる。叶うなら。全頭の種付けができてたらなぁ。なんて考えていたのだが、グランアレグリアと行ったあれから三週間後。受胎ができていなかったことをノーザンファームの厩務員から聞かされた。

 

 馬の発情は三週間毎らしいので、またそれに合わせて種付けを行ったがそれも失敗。他の馬はあらかた問題ないので、なぜかグランアレグリアにだけ成功しない状態だった。

 なので、グラン側も大魔神も5回ほど交配が失敗した時点で一旦交配を中止し、来年また行うことを決定した。

 

「あなたに何度も襲ってもらえるとか……」

 

 とブルブルと体を震わせていたグランには申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、人間だって受精卵がちゃんとできるかは確率なんだ。馬だってそうだ。と、僕は一度気にするのをやめた。

 

「どんな名前でどんな子が生まれるんだろう」

 

 そんな僕たちの裏側で、アーモンドアイの馬主クラブであるシルクが動いた。

 

 アーモンドアイとズヴィズダツァーリとの子供を、最後のシルクにしないか。と。

 ノーザンファームの傘下に入ってから原則として冠名をつけていなかったシルクレーシングだが、これまでのシルクという冠名の終止符に、ズヴィズダツァーリの産駒を選んだ。

 そして、そのまま名前は決定し、アーモンドアイとズヴィズダツァーリの仔である「シルクヒョードル」が、2億円、一口25万円の800口で募集され、「シルク」という冠名と、20冠ベイビーという期待の高さですぐさま埋まった。

 

 そんなまだ生まれていない「シルクヒョードル」が、無敗の三冠を達成するのは、これから3年後の話。

 

 もちろん、そんなことを知らないシルクの面々は言う。

 

「20冠ベイビーで大コケしたら天下の笑い者だな」

 

 と。

 シルクヒョードルの誕生まで、星帝の後継者が生まれるまで、残り300日。




 間違えてそのまま投稿してた笑。

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