もしも歳が離れていたら   作:夕暮れの家

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1話

「焼き肉定食、焼き肉抜きで。」

周囲の“なんだこいつ”、とでも言いたげな視線に耐えながらいつもの通りそんな注文をする。

目の前にいる食堂の職員さんも、最初の方こそ周りと同様に奇異の目を向けてきていたが、今ではすっかり慣れたのか、注文の際に笑顔すら浮かべて対応してくれるようになった。

周りから変なものを見るような目で見られてるなか、自分に好意があるわけではなくても笑顔を浮かべてくれるのはありがたいな、何て思いながら、料理を待つ。

量が少ないからか、心なしか他の料理よりも早めに出てきたそれを持っていつもの席に座り、手を合わせて“いただきます”と小さく呟いて食べ始めた。

 

「上杉君また一人で食べてるぜ。」

 

「やべー」

 

みたいな会話が聞こえた気もするが、無視を決め込む。聞こえないふりをする。いつものことだ。それに、そんなことに時間を割く気なんてないのだ自分には。

はぁ、と溜め息をひとつつく。食事中だがポケットから単語帳を取り出し、午後の英語の小テストの勉強をすることにした。

勿論とっくに全て暗記しているが、念のためにだ。高校に入学して今まで、全てのテストで満点なんだ、変なところで1点でも落とすのは癪に触る。勉学というのは足りないことはあってもやりすぎるなんてことはない。やればやるだけそれは数字として表れてくる。

 

「あ、あの!」

 

ざわざわと、周囲の声が心なしか普段よりも大きいように感じる。こちらに向けられている視線も普段より多い。

 

ふと、その喧騒の中に違和感を覚える。小学生のように高い声が混ざっていたように思えたのだ。もはやその大半を単語に支配された頭の片隅に浮かんだそんなことを即座に馬鹿馬鹿しいと切り捨てる。いくらうちが珍しい小、中、高と一貫の学校だとしても食堂はそれぞれきっちり分かれている。こんなところに小学部の生徒がいるわけがないのだ。

 

「あのっ、すみません!」

 

「ん?」

 

今度はさっきより近くから、聞き間違得ようもないほどはっきりと聞こえた声に、たまらず集中を切り顔をあげると、そこには頭から漫画みたいなアホ毛を生やした少女が立っていた。顔を赤くし、余裕のかけらもないような表情でこちらを見ていた。

 

「私に勉強を、教えてくださいっ!」

 

そして訳の分からないことを、言っていた。

───────────────

 

「それで、どういうことだ?」

 

そう言って向かいに座った少女を見る。

さっきは声だけで小学生だと言ったが、うちの学校の小学部の制服を着ているところを見ると、本当にそうなのだろう。だからと言ってなぜこんなところにいるかなんてことは全く分からないのだが。

 

「…先程は突然すみません。改めてお願いします、私に勉強を教えてくれませんか?」

 

そう小学生らしくもない言葉づかいで言い、少女が頭を下げると、そのアホ毛も一緒にピョコリと動いた。

本当にどうなってんだあれ…。って今はそうじゃないな。

 

「俺にそれを頼むことになった経緯を知りたいんだが…。」

 

「そ、そうですね、すみません。では───

 

そう言って少女が語った経緯は、以下の様なものだった。

曰く、自身は小学6年生なのだが、成績が振るわず、このままでは中等部に上がる際に行われる進級試験に落第しかねないこと。

曰く、最初は教師に分からないところを質問しに行っていたのだが、あまりに頻繁だったのと自分の理解が遅いせいで最近ではその教師たちに質問をしに行くと嫌な顔をされるとのこと。

曰く、それならば、小中高一貫という性質を活用して、年上の頭の良い先輩に教えて貰おうと思ったとのこと。

 

「…それで、俺のところに来たと?」

 

「はい、高校1年生の学年1位はあなただと聞いたものですから。」

 

そう言ってどうでしょうか…?と恐る恐るという風に上目遣いでこちらを伺う少女を前に考える。

正直言うと、面倒だ。俺は部活には入っていないが、自分の勉強があるのであって、他のことに割いている時間など無いのだ。

そう思い、断ろうと口を開いたが、直前で思い止まる。ひとつ気になることがあったのだ。

 

「なんで高校生の俺なんだ。先輩なら中学部に同性の頭いい奴なんていくらでもいるだろ。」

 

そう聞くと、少女は唇を噛み、俯いてしまった。

 

「中等部の方々には、断られてしまいました。皆、私みたいな馬鹿には、教えたくないと、口を揃えて言いました。」

 

「…そうか。」

 

そう、何かに耐えるように体を縮こまらせて言う様子を見て、分かってしまった。…いや、理解させられたと言った方がいいか。

うちの学校は、高校こそ共学だが、小中は女子校なのだ。

所謂お嬢様学校というやつで、そこの成績優秀なやつらは総じてプライドが高く、自分よりも出来の悪いものを見下す傾向にある。早い話、小中学部のスクールカーストはほとんどが学力と家の権力で成り立っているのだ。…全体がそうではないと信じたいものだが。

 

更に質が悪いのは、そういう輩のほとんどは、小さいころから最高の教育を受けているだけあり本当に優秀だと言うところだ。

うちの学年こそ一位は俺だが、他の学年は成績上位者のほとんどはその手の奴等だ。

うちの小学部から中学部への進級試験はある程度の難易度を誇るが、落ちるやつ等毎回一人いないかどうかなのだ。現時点で落第しそうなやつ等、格好の的なのだろう。

 

…つまり、そういうことなのだ。

心無い言葉を投げつけられたのだろう、嘲笑われて、悲しい思いをしたのだろう。

 

そして最後の望みをかけて俺のところに来たのだろう。

 

「だからっ、あなたに、あなたにも断られたらっ、もうっ!」

 

目を潤ませ、言葉に詰まりながら少女が此方を見上げてくる。

最初に小学生らしくもないと思った敬語も崩れてしまっている。

正直に言えばこんな話承諾する理由などない。自分の勉強の時間を他人の都合で削られるなど真っ平御免なのだ。断ろう、そう思い口を開いて──

 

拒絶の一言を、発することが出来なかった。まるで誰かが喉まで出かかっている言葉を必死に抑えているような、そんな妙な感覚。

 

“みんなも、───も、えがおにするの!”

 

ふと、何の脈絡もなく自分が道を正す切っ掛けになった少女の姿が頭をよぎる。あの時自分は何を誓った?親父と、病弱で笑うことの少なかった妹を幸せにすることだ。

あの子だったらどうするだろう。そんなの決まってる、きっと自分のように言葉を止めて迷うそぶりなんて見せない。

 

「…分かった、教えてやるよ。」

 

気づけば、そう口に出していた。

それを聞いた少女は、一瞬呆けたように目を見開き、次の瞬間、ほっとしたように表情を緩めていた。

 

「…はい、はいっ!ありがとうございますっ!」

 

らしくないことをした、面倒なことを引き受けてしまったという気持ちがないわけではない。

ただ、きっとここで自分が断ってしまえばこの子は今のように笑うことなどなく、唇をかみしめて俯いて。それでもしっかりと頭を下げてお礼を言って自分の前から去っただろう。

 

他人のことは嫌いだ。人の努力を指差して嗤ったり、大した努力もしていないくせにそれ以上の結果を求めようとする。そんな奴ら、どうなっても構わないと思っている。

 

…そんな奴らと一緒になりたくなかった、人の努力を嗤いたくなんてない。泣きそうになりながら必死に前を向こうとしているやつの道を閉ざすなんて自分がやっていいことではない。

 

それ以上に、笑ってほしかった。らいはも昔は良くやっていた。感情を押し殺して、どうにか耐えようとして、自分が我慢すればいいんだとでも言いたげな表情。この子はらいはではないが、重ねてしまった。そんな表情は見たくなかった。

 

本当に、らしくない。

 

「…お前、名前は?」

 

「え?」

 

未だに頭を下げたままでいる少女に声をかける。もういい、そんなに感謝されるほど立派なことをやったわけではないのでこそばゆいし、なにより周囲からまたチラチラと感じるようになった視線が痛いのだ。

 

 

「名前だよ、名前。勉強教えるならそれくらい知っておいた方が良いだろ。」

 

「そ、そうですね。失礼しました。

 中野五月と言います。五月と呼んでください。」

 

「五月か、分かった。俺は上杉風太郎だ、呼び方は…、まぁ、何でも良い。」

 

「上杉…、上杉君。上杉君で良いですか?」

 

「あぁ、良いぞ」

 

「上杉君…、本当に。本当に、ありがとうございます。」

 

「…俺はまだ何もやってないぞ?」

 

「それでも、です。」

 

そういってうっすらと笑う少女ーー、五月の目の下には先ほどまでは顔を俯かせていたため気づけなかったが、くっきりとした隈が浮かんでいた。眠れていなかったのだろうか?察することしかできないが、相当参っていたようだ。

…無理もないのだろう、小学生が周囲から多くの心無い言葉を投げられて、弱るなという方が無理なのだろう。

 

ぽたりと、一筋の水滴が頬を伝ってテーブルの上に落ちる。それを境に決壊し、一粒、また一粒と伏せた瞳から零れ落ちる。

 

「辛かったっ!もう、やっぱり私じゃ無理なんじゃないかってっ!」

 

「そうか。」

 

「だれにも頼れなかったっ、誰も助けてくれなかったっ!」

 

「…そうか。」

 

「私は、わたしは、あなたを信じてもいいんですか…?」

 

泣きながらそう言ったあとに、蚊の鳴くような声でごめんなさい、と言って俯いて黙り込んでしまった。ぽろりぽろり落ちる水滴は拭われることもなく膝まで落ちていく。どうすればいいかわからず自分の頭へもっていこうとした手を、ふと思いなおして五月のこちらへ差し出すような形になっている頭に伸ばした。

 

「頑張ってるやつを、笑ったりしない。」

 

返事はなかったが少しまとう雰囲気が柔らかくなったのを確認して、頭から手を離す。

 

「ぁ……。」

 

「五月、今日はもう帰れ。」

 

予想外の言葉をもらったからか、それとも先ほどの言葉で落ち着いたのか、泣き止んだ様子の五月が首をかしげる。その様子にほっとしながらも言葉をつづけた。

 

「帰ってゆっくり寝ろ、睡眠不足だと満足に頭に入ってこないからな。」

 

「あ、あの……。」

 

「明日の放課後、図書室でな。」

 

「…は、はいっ!ありがとうございます、上杉君っ!」

 

振り返った時、五月は安心したように、それでいてあふれる喜びを抑えきれないかのように笑っていた。確かに、笑っていた。

 

「今日初めてちゃんと笑ったな、あいつ。」

 

初めて見るようで、どこか懐かしい…、そんな笑みだった。

 

 

 

 


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