「がっはっは!嬢ちゃん達が風太郎の生徒なのか、まぁゆっくりしてけよ!」
「「は、はい…。」」
「おい、親父やっぱり知ってただろ。あと自分の外見考えろ。」
四葉も五月も家に入ったは良いが親父に怯えたのか借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった。五月に至っては半分以上俺の後ろに隠れてしまい、顔だけが出ているような状態だ。
しかし、あまりこいつらを家に入れたくはなかった。理由としては何となく、というのもあるがやはり──
「ボロいだろ、うち。」
「いえっ、そんなことは!」
物珍しそうに見回しているところに声をかけると、慌てたようにそう返された。
図星だったのだろう。そりゃあそうだ、うちは他の家と比べてもボロく見えるのにあの立派なマンションと比べたのならもはや別世界の様なものだろう。
居心地が悪くなってしまったのか、手をわたわたさせながらさらに言いつのる。
「そのですね、ちょっと前までは私達もこんな感じの家に住んでいたので、その、懐かしかったというか…。」
「へえ、そうなのか?じゃあ今は何であんな──」
「カレー出来たよ!」
「食べたいです!らいはちゃん、手伝いますよ!」
「じ、じゃあ私も…。」
「ありがとうございます、えっと…。」
「四葉ですよ、らいはちゃん。私の姉です!」
「四葉さんっ、ありがとうございます!」
カレーという言葉にそれまでの会話をまるっと忘れてしまったかのように笑顔でぱたぱたとらいはの方にかけていった後ろ姿を見つめながら今の会話について考える。それが本当であるのなら、何故急にあんなthe.金持ちみたいなマンションに住むようになったのだろう。
…いや、あまり考えるのは止めておこう。恐らく家庭の事情だろうし、きっとろくなものではないのだろう。
ふと、五月とらいはに挟まれて少し困ったような顔をしている四葉を見て思った。五月が言っていた四葉と今目の前にいる四葉は全く別人のように思える。
そうなってしまったのも、そこに理由があるのだろうか。思えば、あの食堂で自分に声をかけてきた五月も今と比べると随分と不安定だった。
笑っていたとしても此方の何気ない一言ですぐに不安を募らせて泣きそうになってしまうような状態だったのだ。
四葉も、同じ様な状態なのだろうか。俺は何かに怯えているようだと思ったが、それに加えてよくよく思い出してみるとこの子の表情が大きく動いたところを見た覚えがない。
それに関しては三玖もそうだが、四葉はなにか違う。何だろうな、無理矢理押し殺してるとでも言えばいいのか、そんな感じがするのだ。
俺は他人だ、この子達の家庭の事情は知らないし、踏み込んでいくべきでもない。
ただ、五月はまだ不安定とはいえ自然に笑うようになってくれた。自惚れではないが、その原因となったのは俺だとも思っている。
なら、他人ならば他人なりになにか出来ないかと、そう思うのだ。
…一応、家庭教師だしな。
「…雨だ。」
「…雨ですね。」
「土砂降りだね~、あ、雷。」
「…どうしよう。」
「五月ちゃんも四葉ちゃんも泊まってけ!遠慮は要らねぇよ、風太郎が床で寝ればすむことだからな!」
夕飯を食べ終えて、五月と四葉が帰ろうとした時に狙いすましたように降り始めた大雨、ご丁寧に雷と強風のおまけ付きでタクシーは来られないらしい。
おんぼろの我が家は先程から風にあおられてギシギシいっている。流石に壊れはしないと分かっているが、それでもうるさいものは煩いし、聞く人によっては怖いだろう。
結局泊まることになってしまった二人は、もう家に連絡を済ませて、今は布団を敷くのを手伝っているところだ。
うちには一応来客用の布団が一組あるが、それだけだ。人数的に布団が足りない、親父がいった通り本当に床で寝るはめになりそうだ。
流石に枕だけはと親父のものを強奪し、寝転がっても大丈夫そうな場所を探していたが、泊めてもらう側なのにそんなことをしては申し訳なさすぎて寝れないと四葉と五月が言ってきたので、その二人が一つの布団で寝る、ということに落ち着いた。
布団が一つ増えたことで、ただでさえ狭い我が家が今夜は特に狭い気がする。もう既に電気は消えており、時刻は深夜もいいとこだ。
角度的に時計は見えないが、日付はもう変わったのだろうか。
全く衰えることなく吹く風は今も家に鈍い音を響かせ続けている。
どうにも目が冴えてしまって眠れない。疲れている筈だが、今日はそれ以上に衝撃的な出来事が多すぎたからだろうか。
眠れない以上はずっとこうしていても仕方ない、少し勉強でもしようと起き上がると、隣で同じ様に起き上がる姿があった。
「四葉、どうした?」
「…分かるんですね、リボンつけてないのに。」
暗くてよく見えないが、驚いている気配は伝わってきた。それにしても、だ。見分けるのは簡単だと思うが。
「当たり前だろ、顔は同じでも違うところがあるからな。」
例えばこの二人だったら髪の長さとかな、そうでなくてもアホ毛のあるなしですぐ分かるだろう。
そう言うと、四葉は息を飲むような音をさせた。
「上杉さん、聞きたいことがあるんです。
良いですか?」
断ってはいけない、茶化してはいけない。決して強い言い方ではないが、そのような雰囲気だ。不思議とこちらも背筋がのびてしまうような気がした。
「上杉さんは、どうしてそんなに笑えるんですか?…前をむけるんですか?」
「…、すまん、質問が抽象的すぎて何が言いたいのか。」
「上杉さんのお母さん、もう…いないんですよね。」
どうして四葉がそれを知っている、五月にも言っていない筈だ。それなら四葉はもしかして───
そこまで考えていや、と内心首を振った。よくよく考えてみれば、家の中にもう母さんがいないと分かる、または推測出来るものなんて幾つもある。大方それらを見て推測したのだろう。
そしてこれを聞けばもう分かる、四葉が、この子達の不安定さは母親が亡くなったことが原因なのだろう。その気持ちは痛いほどよく分かる。
何か適当なことをいって煙にまくことはできる、普段ならそうするだろう。ただ…、今はそんなことはするべきではないのだろう。
「時間が解決してくれるもんだ、どんな傷だって時間がたてば薄れていくもんだ。」
「そう…、ですか。」
四葉の声が明らかに落ちこんだようなものとなる、それはそうだ。“今”を苦しむ奴はそんな言葉は求めていないのだから。
「…なんて言う人は多いだろうな。」
「え?」
時の流れは確かに多くの物を洗い流していく。どれだけ大切だと、手放したくないと思ったものでも、いずれは薄れていってしまうのだろう。
…だが、それがどうした?
あれほどの後悔を、悲しみを消し去ってしまう術を俺は知らない。
たとえ薄れていくとしても、想い続ける限りいつだってそれらは隣にあるのだ。
「悲しみは消えない、後悔も消えない、もう届かないんだから。
最初は下を向いたって良い。だけどいつかは前を向かなきゃならないんだ。
俺の場合は、そうだな。切っ掛けがあった。」
…何を聞いているんだろう、私は。
私にとってのお母さんは、大好きで大切で、いつまでも一緒にいてほしい人で。
風太郎君との約束から、私の頑張る目標だった。
不思議だった、風太郎君も、そのお父さんも、らいはちゃんでさえ今が楽しいという風に笑っている。
どうして笑えるの?なくしたものの大きさは同じ筈なのに。
忘れちゃったから?思い出さなくなったから?…だとしたら、やだな。
「悲しみは消えない、後悔も消えない、もう届かないんだから。
最初は下を向いたって良い。だけどいつかは前を向かなきゃならないんだ。
俺の場合は、そうだな。切っ掛けがあった。」
私は、前を向けるのだろうか。約束したのに、お母さんになにもできずに、ただやった気になっていただけなのに。
…顔向けが、出来ない。母親と、風太郎への申し訳なさに自然と頭が下がるが、ふと風太郎の言葉の中に気になる物を見つけた。
「切っ掛け?」
「あぁ、そうさ。何もかも嫌で、自棄になっていた俺を変えてくれた約束だ。」
その気持ちをなんて言うのだろう。歓喜?それとも恐怖だろうか。心の中を言葉にできないような感情が暴れまわっているような感触。
覚えていないと思った。だって自分を見ても、顔が同じ姉妹達を見ても何の反応も示さなかったから。
でも、覚えていた。覚えていてくれたんだ。
あの時勉強は苦手だと言っていたのに、今は家庭教師をやる程になっている。
きっと凄く努力したんだろう。…自分とは、違って。
「上杉さんは、その女の子が約束を守れていなかったらどう思いますか?
…頑張っても、勉強が出来ないんだったらどう思いますか。」
…私はどう答えて欲しいのだろう。きっともう突き放して欲しいのだ。
他でもない上杉さんの口からそう聞けば、諦められるから。完全にもう、他人だって…
上杉さんが少し口を開く。
『おい、どうした
……大丈夫か?』
忘れなきゃ、いけないんだ
『大体あそこで御守り五つも買ったのがダメだったんじゃねーの?』
ちゃんと聞いて、ちゃんと……
『離すなよ、忘れるなよ。
…絶対だ。』
…ぃやだ
『大切な人を笑わせてやれる大人になろう。
二人でだ!』
嫌だ嫌だ!手離せないよ、聞きたくないよっ!
「あのっ、やっぱりっ。」
「頑張ったんだろ?ならいいじゃねぇか。
俺はあの子が笑っててくれればいいんだ。」
「…え?」
「あの約束は、あの子に俺みたいになって欲しくなかったからしたんだよ。
…母さんに、伝えたいことを伝えられなかった俺みたいに。
そのせいで、随分苦しめてしまったみたいだな。なぁ四葉、…悪かったな。」
「わ、私はちが…。」
「いいんだ、いいんだよ四葉。
お前の覚えているお母さんは笑ってるか?お前は、大好きだってちゃんと言えてたか?」
申し訳なさそうに眉を下げた上杉さんにそう言われ、思い出したのは姉妹皆に抱きつかれ囲まれて笑うお母さんの姿だった。
どうして今まで忘れていたのだろう。今までは自分が失敗したとき、悪いことをした時に怒った母や、困った顔をした母だけだったのに。
そうだ、いつもは笑わない母は私や姉妹達に大好きだと、そう言われたときは必ず笑っていた。
「でも、私はお母さんになにも返せなかった!」
「それは違うぜ、四葉ちゃん。」
その叫びに答えたのは、目の前の風太郎ではなく少し離れた場所に寝ていた勇也だった。のっそりと状態を起こしてこちらを見る。夕食の際に見せていた快活に笑っていた表情とはまた違う、しかし温かみを感じさせる笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「親ってのはなぁ、子供にそう言ってもらえるだけで報われるんだ。幸せでいてくれればそれでいいんだ。
間違っても何も出来なかったなんて言っちゃいけねぇんだよ。」
それだけ言うと、外の空気吸ってくるわ、と言ってポン、と四葉の頭に手を置いた後本当に出ていってしまった。暗く、静まり返った家の中にガチャリと扉の閉まる音が響く。
「なぁ四葉、俺はお前のおかげで変われたんだ、お前の笑顔に救われたんだ。
お前の母親だってそうだった筈だ。
自分を責めないでくれ、
…笑っていてくれないか。」
…あぁ、どうしてこの人は、本当に私が痛がっているときに、助けてほしいときに隣に来てくれるんだろうか。
「わたし、お母さんのためになってた?」
「あぁ。」
「ダメじゃないの?」
「あぁ。」
「風太郎君は、私のこと馬鹿にしない?嫌いにならない?」
「なるわけないだろ、むしろ感謝してるんだ。」
俺と出会ってくれてありがとう、そう言って笑う彼に、あの夜の金髪の男の子が重なった。
そこまでくると、もう、無理だった。
凍った心が溶けていく、今すぐ思うままに泣きたい、と体は言うが、それは出来ないのだ。
──だって“笑ってくれ”と言われたから。
だから私は泣くんじゃなくて──
勇也が戻って来て目にしたのは、相も変わらず良い姿勢で眠りにつく息子と、それにしがみつくようにして寝る一人の少女の姿だった。その表情は起きていたときと同一人物とは思えないほどに緩んでいる。
「…こりゃあ予想以上だなぁおい。」
息子の思いがけないたらしっぷりに頬をひきつらせるが、それも一瞬。穏やかな表情になっていた。勇也自身も、この不安定な少女を
気にかけていたのだから。
…いつの間にか雨はやみ、風も止まっていた。
次の日風太郎は四葉に顔を蹴り飛ばされて起床し、その様子を見た五月が騒いだのは言うまでもない。