まだ朝早く、私はあいつのお父さんに送ってもらって自分の家の前まで帰ってきていた。
時刻で言えば私が朝御飯を作るために起きる時間より少し早いくらいだ。
あの子達は、あいつはもう起きてるだろうか。
まだまだ太陽の角度も低い早朝だ、空気は澄み、空には雲一つない。耳をすませばチチチという小鳥のさえずりすら聞こえてくるだろう。
「あのっ、送ってくれてありがとうございました!」
「おぉ、気にすんな。…頑張れよ。」
「…はいっ!」
感謝を伝えるために深々と頭を下げる。1秒、いや、2秒ほども下げていただろうか。顔をあげるともう此方に背中を向けてしまっていて、片手を上げてひらりと手をふっていいた。
それが目に入ると同時に胸に込み上げてきたものを堪えるように、また深々と頭を下げた。
すぅ、はぁと家のドアの前で深呼吸をする。大丈夫、大丈夫といくら思っていても、言い聞かせていてもやっぱり怖いものは怖いんだ。
いざここに立つとどうしても考えてしまう。もし拒絶されたら、やっぱり嫌われていたら、なんて。
取っ手に手を伸ばして、やっぱり躊躇して止めて、また手を伸ばしてなんてことを何度か繰り返す。
このままじゃいけない、そう思いいっそう深く息を吐いて自分の両頬を勢いよく叩いた。
パァン!と音が誰もいないマンションの廊下に鳴り響き、頬はじんじんと痛む。
…お、思ったより痛い、強く叩きすぎたかも。
とにかく、気合いは入った。最後に一言よしっ、と言って今度こそドアの取っ手に手をかけて、勢いよく──ではなくそっと開ける。
「二乃ぉぉぉぉぉぉ!」
「わぷっ!」
そして開けた瞬間、家の中から突進してきた誰かに抱きつかれて背中から廊下に倒れこむことになった。
「二乃、大丈夫?どこも怪我してない?変な人に何かされてもない?」
「あんたのせいで今背中が痛くなったわよっ!」
「あたっ!」
私に抱き着き、瞳に涙を浮かべながら過剰に心配してくる四葉に、一瞬昨日の衝突のことを忘れて何時ものように対応してしまう。
…何よ、これじゃああんなに怖がってた私が馬鹿みたいじゃない。
「…ふふっ。」
「?どうしたの二乃、頭うった?」
「違うわよっ!」
まるで昨日の事が嘘だったかのような四葉との会話に、自然と顔もほころぶ。
うん、今ならちゃんと言えそう。
「四葉、…四葉。ごめんね。昨日のことも、その前のことも。ごめんなさい。」
「え?う、ううん私こそあんなに強く言っちゃってごめん!」
二人して謝りあったあと、顔を見合わせてまた笑う。
「ねぇ四葉、そろそろ家入らない?」
「あ、そうだね。まだドアの前だったね…。」
「あんたが突っ込んできたせいでね。」
「わっ!い、言わないでよ…。」
「ふふっ。」
四葉に押し出されたせいでまだ家に入れていなかったので、改めてドアを開けて家に入る。
…入ると直ぐに、隠しきれてないアホ毛が見えた。と言うことはあと二人も居るんだろう。
「五月、三玖、一花。ごめん、私、自分勝手だった。本当にごめん。…迷惑、かけたよね。」
頭を下げたままで居ると、ぽすっと軽く押される感覚と共に誰かが抱きついてきた。
「二乃ぉ、心配したよぉ。」
「…五月、ごめんね。」
頭をぐりぐりと押し付けてくる五月をそっと抱き締め返す。
…本当に、今なら自分がどれだけ馬鹿なことをやっていたかよく分かる。
「うん、許すよ二乃。でも私たちよりも謝るべき人がいるんじゃない?」
「そうだよ二乃、フータローにも謝ろ?」
「…うん。」
いつの間にか私たちから一歩離れたところまで来てたあいつに自分から一歩近づく。
考えてみれば初めてだ、あいつ、上杉に自分から近づくことなんて。いつもいつも、一歩近づかれたら二歩下がるなんてことをしてたから。遠ざかることばかりしてたから。
「あのっ、…ごめん、なさい。今までのこと全部。わた、わたし、酷いことたくさん言っちゃって…。」
違う、ちがうの。もっとちゃんと謝りたいのに、もっと言うべきことが沢山あるのに。
言葉が出てこない。どうやって話せば良いのかわからない。
それが悲しくて、情けなくて、……申し訳なくて口に出した言葉は段々と小さくなっていき、遂には消えてしまった。
俯いた顔を上げられない。自分よりもずっと高い位置にあるあいつが今どんな顔をしているか、見るのが怖かったから。
一瞬のち上からはぁ、というため息が聞こえてきた。やっぱり、そう思って次の言葉に備えて目をきつくつむる。
…だけど、思っていたような言葉が降ってくるようなことはなかった。
「あー、あのな、お前が俺を嫌ってた理由も分からなくは無いぞ。俺だってらいはに知らないやつが近づいてたら絶対に許さない自信があるしな。
…その、だからな。あんまり気にするなよ。」
顔をあげると、此方を睨んでいるようなことは全くなく、むしろひたすらに気づかって様子だった。
視線をさまよわせながら言葉を重ねる姿に、少し笑いがこぼれる。
不器用な優しさは、見た目は違えどその父親のものにそっくりで。
似てないと思ったけどやっぱり親子なんだなぁって思えるものだった。
優しい、やさしいなぁ。でもその優しさに甘えるだけじゃダメなんだ。
「ううん、気にしないなんて出来ない。だからちゃんと謝るわよ。…本当にごめんなさい。
私も、授業に参加させてくれませんかっ!」
「…あぁ!それなら許すさ。大歓迎だ!これから頑張ろうぜ、二乃!」
「…うん!」
さっき四葉とやったみたいに顔を見合わせて笑いあう。きっと今まで私がやってしまったことを私は忘れることはできないんだろう。
でも、できたらいつかこんなこともあったな、なんてこいつと笑いあうことが出来るようになるんだろうか。この事で揺らがないくらい、仲良くなることが出来るんだろうか。
そんな未来があったら良いのにな、なんて。
「二乃ぉ~、朝御飯作ってよ。」
「そうです!なんか二乃の料理が食べたい気分です!」
「あんたはいつもでしょ…、っていうか昨日の夜はどうしたの?」
「フータロー君がカレー作ったんだよ?」
「…おいしかった。」
「ふーん?じゃあ朝御飯はなんで作ってないの?」
「カレーしか作れねぇんだよ…、朝からカレーとか嫌じゃないか?」
「私はいいですよ?」
「それは五月だけだよ!」
「ふふ、じゃあ作っちゃうわね。上杉、あんたも食べるでしょ?」
「あぁ、ありがとな。」
「…私も手伝う。」
「あんたは座ってて!絶対!」
朝御飯を食べ終わり、初めて五人全員揃った授業を始める。…感動だな。ここまでにどれだけ苦労したことか…。
「さて…、昨日今日と色々あったとはいえまさか忘れてないと思うが…。」
五人そろって頭の上に浮かんだハテナマークが見えそうな顔をしている。
…いや、本当にまさかと思って言ってみたんだが、嘘だよな?
「テスト、明日。」
おい、へーみたいな顔をするな顔をそらすな逃げようとするなお菓子を食べるな!
四葉は…、反応がないな。
「おーい四葉、生きてるか?」
手を目の前で振ってみても反応がない。目は虚ろでどこを見ているのか全く分からない。
…まるで屍のようだ。
「よ、四葉…。」
「魂が口から出てきてない?」
全くこいつらは…。
時間が勿体ないがこれは説教だ。ここで発破をかけておかないと明日悲惨な結果を叩き出すのが目に見えてる。
確かに昨日みたいなことがあれば少し気が削がれてしまうのかもしれないが、ここまで気が抜けてしまっていてはダメだ。
一発ガツンと言っておかなければ。
「お前ら全員そこになおれ!説教だ!あと四葉は起きろ!」
「いたっ!はっ!ね、寝てないよ!」
「寝てたって…、はぁ、大体お前らはだな───」
「──だから気を緩めるなんてもっての他だ、分かったか!」
「はいぃ…。」
「足が痺れました…。」
「頑張ります…」
「フータロー、足痛い。崩してもいい?」
「でもフータロー君、私達今まで結構頑張ったよ?」
説教が終わったと思った瞬間、好き勝手なことを言い出す五人。まぁ流石に長かったし、誇張しすぎたところもあったか。
でもそれなりに気は引き締まったみたいだ。顔を見れば分かる。
「そんなことは分かってるさ、ちゃんと勉強した分だけテストに出せれば赤点は越えられるくらいはやってる。…まぁ全教科は無理だが目標の教科ぐらいはな。」
「へへ~。」
そう言って一花の頭をぐしゃりと撫でる。そう、こいつらは今でこそこんなのだが、昨日のことがあるまでは本当にきちんとやっていた。
一番最初の生徒である五月なんて特にだ。ずっと真面目なやつだとは思っていたが、ここ最近の努力は目を見張るものがある。
「二乃は…、あぁ責めようとしてるんじゃない。今から複数科目は無理だろうから取り敢えず絞ろう。多分英語が得意だよな?」
「…うん。」
頑張ってる姿を見てるから、どれだけ苦しんでるか知ってるから、ちゃんとその努力を実らせてやりたいんだ。
…例えどれだけ時間が限られていたとしても。
「よし、じゃあそれでいこう。全員今日で追い込むぞ、覚悟しろよ?」
「「「「「うんっ!」」」」」
二乃だってきっと自分と向き合おうとしている。なら、俺は全力でそれに答えよう。
「よし、お前らちゃんと筆箱持ったか?テスト前の復習もいいが疲れない程度にしろよ?特に五月。」
「は、はいっ!」
「どうしても分からない問題があれば飛ばすんだぞ、他の解ける問題で点数を稼げ、それから──」
「フータロー君、不安なのは分かるけどそろそろ行かないと遅れるよ?」
「なっ、俺は不安じゃねーよ。ただお前らにアドバイスをだな…。」
「さー行きましょう風太郎君!」
「…不安だわ。」
「…二乃は自業自得な気も。」
「う、うるさいわね!」
彼と彼女らの戦争が、今、始まる──