もしも歳が離れていたら   作:夕暮れの家

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第20話

 

普段の自分ならば絶対に来ることなど無いであろう高級レストランにいて、目の前には如何にもと言う様な料理が出てきているのにも拘らず、早く帰りたいなどと切実に願ってしまうのは罰当たりなことなのだろうか。

 

いや、今この状況に限っては十人中十人とまではいかなくても十人中九人くらいは自分に同意してくれるのではなかろうか。

──お願いだから何か喋ってくれ!怖い!

向かいには背中に定規でも入れてるのではなかろうかと疑ってしまうほどに真っすぐ背筋を伸ばして表情を微塵もかえぬままこちらを見つめる男性が座っている。

先程からその視線に耐えかねてそんな念を送ってみてはいるものの、相変わらずの鉄面皮、全く何の効果もないようだ。先程から全く動かないその視線から逃げるように顔を少しそらしながら現実逃避気味にそんなことを考えていると、正面から聞こえてきた咳払いの音によって現実に引き戻された。

…つい先程何か言ってくれと考えたばかりだが、いざ相手が口を開くとなると今度は急激に不安になってしまう。これはあれだ、蛇に睨まれた蛙、いや、教師に睨まれた小学生の気分だな。これから説教が飛んでくると分かっているときのあの緊張感にどこか似ている。

何かやってしまっただろうかとこの二か月足らずを振り返ってみるも、これといった覚えはない、ないったらない。

ではなぜこんな状況に陥ってしまっているのか。外は真夏の日差しに加えて高い湿度のせいで筆舌に尽くしがたい居心地になってしまっているものの、そこは高級レストラン、空調は完璧で不快さなど一つもない。それにも関わらず背中から嫌な汗が噴き出してすぐさま冷房によって冷やされてしまっている。そろそろ寒くなってくるのではないか。

この夏まっただ中、一時だけでも涼しいを通り越して寒いなどと感じることなど贅沢なことなのかも知れないが、そんなことで喜ぶ気分になどなれない。とりあえず今はこの空気をどうにかしたい。

…本当になぜこんなことになってしまったのだろうか。

「あっっっちいぃ……。」

今日も今日とて五つ子の待つマンションに向かう。こんな言い方をすると毎日行っているように聞こえるかもしれないが、流石にそこまでではない。五日か六日に一度くらいは行かない日があるのだ。…いや、家庭教師としての仕事は三日に一度のペースで休みがあるはずなのだが、休みのはずの日であっても質問したいことがあるだのなんだので呼び出されるので結局そんなペースに落ち着いてしまった。

折角の夏休みなので予定があれば断るなりなんなりできたはずだが、生憎とうちのカレンダーに予定らしき予定は記入されていない。夏休みの最後の最後に一つある事にはあるが、それは今関係ないだろう。

それに折角やる気を出してくれているんだ、それを予定もないのに無碍にするというのもなかなかに心が痛む。なんだかんだ言って断ることはいまだにできていない。

あれこれと御託を並べてみたが、今日は普通に家庭教師の仕事がある日だ。頼み事ではなく仕事なのだからどんなに暑くてアスファルトからあがってくる熱気で頭がゆだりそうでも行かねばなるまい。本当に、先程あまりの暑さに負けて自動販売機で購入した冷たい水がなければ倒れていたかもしれない。

いつもならば絶対にしないことだが、こんな炎天下の中で倒れる可能性を考えたら間違った選択ではなかったはずだと自分をなんとか納得させながら、現実逃避気味に自転車の購入を真剣に検討してみる。自転車があればこの行き来も随分と楽になるだろう、いやしかしそのためだけに少なくないお金を費やすのは少し……。

「あ、風太郎君!待ってましたよ!」

ぐるぐると迷路に迷い込みそうになっていた思考は唐突にかけられた明るい声によって切られ、引き戻された。気づかないうちにもうついてしまったのかと思い回りを見渡すもまだ見上げるだけで首が痛くなるような高層マンションは少し遠くに見えている。じゃあなんだとさらに見回すと少し先で元気に跳ねながら手を振る少女が目に入った。

「四葉か…、迎えに来てくれたのか?」

「いえ!ランニングの途中だったんですが遠くに風太郎君が見えたので!というわけで一緒にいきましょう!」

「元気だなお前…、こんなに暑いってのに。」

「ほら行きますよ!家まで競争です!」

「やらねぇよ…、こんな暑い中走ったら死んじまう。」

「むぅぅ……。」

断ったことで四葉はむくれてしまったが、こちらとしては無茶言うなという話である。ただでさえ体力がないのにこの暑さである、冗談抜きで死んでしまう。

「ほら、行こうぜ。お前もこんな暑さのなか走ったんなら疲れてんだろ。歩きだ歩き。」

「あ、は、はい!」

走るのは嫌だが一刻でも早く室内には入りたいのでそう言って少し早足になると、四葉も慌てたように返事をして横に並んできた。トレードマークであるリボンも心なしか機嫌よさそうに揺れている。

…それにしても暑い。十年くらい前はここまでの暑さではなかったような気がするのだが、年々日本の夏は過ごしにくくなっている。どうしたものか、やはり最低限の体力くらいは付けておくべきなのだろうか。

「?どうしたんですか風太郎君。」

「あ~、俺も少しくらいは体力付けるべきかと思ってな。」

「じゃあ私と一緒にランニングしませんかっ!」

「あぁ、そうだな……。ってなんだって!?」

自分の言ってしまった事に気づいて慌てて訂正しようとするももう後の祭り、四葉はじゃあ早速明日の朝一緒に走りましょうっ!と嬉しそうにしている。その様子に言いかけていた言葉を飲み込み、上げかけていた手はそのまま頭の後ろに持って行った。まぁいいか、とこぼしながらもまたも自由なはずだった時間が無くなったことに密かにため息をついた。

夏休みとは言っても別に特別なことをするわけではない。そもそも勉強とは日々の積み重ねだ、ごくまれに少しの時間に詰め込むだけで好成績をたたき出す者もいるが、そうでないのなら毎日弛まぬ努力をつづけるしかないのだ。

そんなわけでやっていることは夏休み前とほとんど変わっていない。変わったことと言えばやる教科を絞ることをせずに万遍なくやっていることぐらいだろうか。

変わったことはやらないといっても夏休みは長い、出来ることは多くあるのだ。出来ることならば次のテストまでの予習だってこの夏休みで終わらせたいものだ。

「四葉あんた汗でびしょ濡れじゃない!お風呂入ってきなさいよ。ほら、着替えは用意しておくから。」

玄関口で出迎えてくれた二乃は、四葉の様子を見かねたのかそう言うとこちらを見て少し眉をひそめた。

「…あんたもそのあと入る?」

そう言われてみると自分も四葉程ではないがいつもより汗をかいていることに気づいた。ただ、だからと言ってわざわざ風呂にはいるほどではないだろう。

「いや、俺はいい。着替えもないしな。」

「それもそうね。」

お風呂場に走っていった四葉を横目に、二乃の後ろをついてリビングに入ると冷房に冷やされた空気が明けたドアから流れ出してきて汗を急激に冷やしていった。授業は四葉が出てきてからにするか、とそこにあった椅子を引き寄せて座って。一息ついた。

「…あれ、今日は一花いないのか。」

「そうなんですよ、なにか用事があるみたいで…。珍しいですよね。」

「昼過ぎには帰るって言ってた。」

「じゃあ今日のお昼は少し遅めにするわね。上杉、あんたも食べてく?」

「あぁ、そうだな。こんな中一回帰るのも面倒だし、頼んでもいいか?」

いつもなら一度家に帰ってまた戻っているところだが、今日に限っては真昼間の一番気温が高い時間に出歩きでもしたら倒れてしまう気がしたのでそう答えると、二乃は一瞬驚いた顔をした後、任せなさい!といってキッチンの方に歩き出そうとしたが、はっと何かに気が付いたのか顔を赤くして立ち止まってしまった。

「…もしかして今から作ろうとしたのか?まだ朝だぞ?」

「う、うるさい!仕込みをしようとしただけよ!」

まさかと思った事を口に出してみるとまさかの図星だったようでもともと赤くなっていた顔をさらに赤くして噛みついてきたあと、ソファーにあったクッションに顔を埋めてしまった。そしてそれを面白がったのかちょっかいを出した三玖と喧嘩を始めてしまった。

「あの二人本当は仲悪いんじゃないのか…?」

「そんなことないですよ、喧嘩するほど仲がいいってやつです。」

その様子を眺めながら何とはなしにつぶやくと、いつの間にか横に来ていた五月がそれを拾って笑いながら否定した。

…まぁ喧嘩つってもキャットファイトみたいなものだしな、それもそうかと納得してうなずいていると不意に携帯の着信音が鳴り響いた。

「あ、わたしですね。」

そう言って五月はテーブルの上にあった携帯を手に取ってリビングから出て行ったが、二言三言話すとすぐに戻ってきて俺に携帯を差し出してきた。

「……どうしろと?」

「お父さんが上杉君と話したいって言ってるんです、…代わってもらえませんか?」

あぁなるほどと納得すると同時になぜ、という疑問も頭をよぎった。ただ雇い主のいうことだ、聞かなければなるまい。

「もしもし」

「あぁ、上杉君かい?直接会って話をしたいんだが、今日の昼はあいているかな?」

そのあとは折角昼ご飯を作ってくれると言ってくれた二乃に事情を説明して謝って──文句を言うといって本当に電話をかけようとしたので止めた──、予定よりも随分早く切り上げて一花を待つこともせずに指定された場所に行き、今の状況になっているというわけである。

「…勇也は元気かい?」

「へ?」

開いた口から放たれた予想外の言葉に一瞬思考が停止しかけるも、何とか持ち直す。いさなり、勇也…と頭の中で漢字変換がなされ、それに該当する名前の金髪サングラスの親父が頭の中でサムズアップを決めてきた。

「親父と知り合いなんですか?」

そう聞くと先程から全く動かなかった表情が僅かに動いた。

「聞いていなかったのか。勇也と僕は学生時代の友人でね…、まぁ腐れ縁というやつだよ。」

聞いていない、そうは思ったが思い返してみればこの家庭教師のバイトは親父が持ってきたものだし、その前日に知り合いに会いに行くと言って珍しくどこかに出かけていた。

よくよく考えれば分かってもいいようなものだった。

「あぁ、今日呼んだのはそうじゃないんだ。お礼が言いたくてね。」

「お礼ですか?」

お礼ね…、先程までの雰囲気的にそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。本当に、あの不穏な空気は何だったのか…。もしかしてこの人どうやって切り出そうか考えてただけなのか?

「…あの子たちの母親が亡くなってから、皆元気がなかったんだよ。それが最近になって元気になったようでね。電話で聞く限り君のおかげのようだと分かった。

……あの子たちを元気にしてくれて、感謝する。私は、色々知っていながら何もできなかったからね。」

そう言っておもむろに頭を下げた。いきなり大人に、それも雇用主に頭など下げられたら誰だって焦る。もちろん俺もその例に漏れることなかった、

「あ、頭を上げてください!大したことはしてませんよ…。」

「それでも、だ。」

頑なに頭を上げようとしない姿にかなりの居心地の悪さを感じてしまうが、ここでその感謝を受け取ろうとしないのはわざわざこんなところに呼んで、年下に頭を下げるなんてことまでして感謝の意を示しているこの人に失礼というものだろう。

「…頭をあげてください、あいつらが元気になったのも、成績が上がったのもあいつら自身が頑張った結果です。俺はただ背中を押したに過ぎません。だから、今度あいつらを褒めてやってください。」

「…そうだね、それもそうだ。」

その後はその話題に戻ることなく和やかに食事が進んだ。雇用主──マルオさんは殆ど表情が動くことはなかったし、会話もお世辞にも弾んだといえるほどあったわけではなかったが、最初のあの空気に比べればずっとましだった。

マルオさんは五つ子の事を話すときは少し雰囲気が柔らかくなる。あいつらからこの人の事を聞いたことがあまりなかったから少し不安だったんだが、この人は分かりにくいだけできちんとあいつらの事を見ているし、愛しているようだ。

…ならなんであの家にあいつらだけで住んでいるような状態にしてしまっているのかは疑問だが、そこは色々な理由があるのだろう。他人がそこまで首を突っ込むわけにはいかないし、この人とあいつらなら何かあっても大丈夫だろう。

「随分時間をとってしまった。悪かったね。」

「いえ、こんな所に来るのは初めてだったのでいい経験になりました。…それより良かったんですか?俺の分まで払ってもらって…。」

「わざわざ呼びつけておいて払わせるなんてことは出来ないよ、…江端に送らせよう、もういくといい。」

「な、何からなにまで…、ありがとうございます。」

家庭教師として雇った少年が車の中に消えて、その車が遠ざかるのを見送りながら一つため息をついた。本当に彼には感謝してもしきれない。五月君が懐いていると聞いて、少しでもあの子たちの為になればとおもい打った手だったがここまでの効果があるとは正直なところ思っていなかった。

それに、彼が大金を稼ぐことが出来るのならそれは間接的にアイツの助けにもなる。

「お前の子とは思えないほどいい子じゃないか…。しかしやはり平気だと言って無茶な働き方をしている。どうにか休ませることが出来ないものか。」

踵を返して自ら運転する車に向かいながら思案する、学生時代の悪友は最愛の人を亡くしてからは借金の工面に東奔西走している。頼んでくるのなら肩代わりの一つや二つしてやるのだが、変に頑固なあいつの事だ。そんなことは天地がひっくり返ったとしてもあり得ないだろう。

この家庭教師の目的もきづいているのだろうが、絶対に恩に着てなどほしくないものだ。お金以上の事を彼はやってくれたのだから。

「…旅行券でも送ってやるとしよう。」

親友、などとは口が裂けても言うことはないだろうが、あの悪友が少しでも羽を伸ばせることを願って。

 

傷つけでもしたら弁償額が目ん玉が飛び出るような額になるであろう高級車に揺られて送られること十数分、俺はマンションの下まで戻ってきていた。

「送って下さりありがとうございました。」

そう言って執事然とした格好の壮年の男性──江端さんに頭を下げてマンションの中に入る。初めは使い方が全く分からなかったオートロックに最上階の部屋番号を入力しようとしたが、そこにすでに先客がいることに気が付いた。

「一花、今帰ってきたのか。ずいぶん遅いんだな。」

「え?あ、フータロー君か…。驚かせないでよ!」

「そんなつもりはないんだがな…。」

鍵を探していたのか鞄の中をまさぐっていた一花に声をかけると、まったく気が付いていなかったのか少し体が跳ねた。…驚かせてしまったようだ。

「まぁ悪かったな。しかしお前どこ行ってたんだ?」

「あ、あった…。え、え~と、ちょっとね。」

エントランスへ続くドアを開けながらたははとごまかす様に笑う一花に少し不信感を覚え、もう少し聞いてみようと口を開いたが、その言葉は被せるように言葉をついだ一花にさえぎられた。

「それよりフータロー君!お祭り行こうよお祭り!」

「…祭り?」

「うん!ほら、らいはちゃん?っていう妹さんも誘ってさ!」

祭りねぇ…、確かにらいははあまり同年代と遊びに行くことがない。夏休みなんだ、少しはらいはが楽しいと思うこともやらせてやりたい。その点、こいつらがいるなららいはも楽しいだろう。

「そうだな、行くか。」

「ホント!?じゃあ今日の夜ね!」

「まぁそれはいいんだが…、一花は昼ご飯どうしたんだ?」

「?そとで食べてきたけど…。」

「あいつら食わずに待ってるって言ってたぞ。」

「え?そ、それは謝らないとだね…。」

「特に二乃と五月にはな。」

「あ、あはは…。」

 

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