なんであんな事言っちゃったんだろう。
嘘だよ、家庭教師を辞めてほしいだなんて思ってるわけない。
じゃあなんで?
きっと怖かったんだ。今のままじゃ私は五人の中の一人、ずっとそうだ。時間がたって、もっと仲良くなれたとしてもそれは変わらない。
私は、もっと”五つ子の一人”じゃなくて私を見てほしかったんだ。
だからどうかーーー私を見つけてよ、先生。
「あいつらの見分け方を教えてください。」
翌朝早く、昨日と全く同じ場所、同じ姿勢で微動だにせず座っていた爺さんに俺は全力で頭を下げていた。…本当に寝てんのかこの人?
昨日散々考えて出した答えがこれだ。急にあいつらを見分けられるようになるなんて思っていない。昨日中庭にいた五月が本物かどうかアホ毛を引っ張って確かめてからそれとなく聞いてみたが、「愛があれば!」なんて言う超理論しか返ってこなかった。
俺はあの偽五月に向き合わなければならない、でもその為にはあれが誰かを知る必要がある。そのためにはどうすればいいのか混乱したままの頭に鞭打って出したのがこの方法だった。
「なぜ…、そんなことを頼む…?」
「あいつらに、きちんと向き合うためです。」
そのまま黙り込んでしまった爺さんを不思議に思い、恐る恐る顔をあげてみると腕を組んでこちらをじっと見詰めている姿が目に入った。長い前髪に隠れて目は見えないが、こちらを値踏みするような視線は感じる。
…っていうか怖い!無言でじっと見られると昨日投げられた記憶がよみがえってくるから怖い!
だんだんと姿勢がきつくなってきて、冷や汗も流れだした頃にようやっと爺さんが口を開いた。
「君のことはあの男から聞いていた。孫達が今楽しそうにしているのは君のおかげらしいな。…礼は、しなければならないだろう。」
ついてきなさい、その言葉とともに立ち上がったその背中にありがとうございます、と再び頭を下げて後を追った。
「とりあえず…、この料理を205号室にもっていきなさい。」
「え…?宿の手伝いですか?」
「つべこべ言うな…、さっさと行け。……投げるぞ。」
「なんかキャラ変わって……、どふぇっ!」
……しばらく尾骶骨の痛みが引かなかったとだけ言っておこうか。あの爺さんには逆らわないほうがいい。いやほんと、マジで。
「…フータロー君がお爺ちゃんの手伝いしてる。」
「ほんとだ、なんか忙しそうね。」
「せっかく一緒に砂浜行けると思ったのになぁ…、残念残念。」
あはは、と寂しそうな顔をして笑う姉の横顔を見て、行き先を砂浜から変更することに決めた。
「ねぇ、今から温泉はいらない?」
「えぇ?今から?」
「偶には朝風呂もいいじゃない!ほら行くわよ!」
「わ、ちょ、ちょっと二乃ひっぱらないでぇ!」
昨日は五月と四葉がずっと上杉の横に引っ付いていて、あまり構ってもらえず二人を羨ましそうに見ていたのだこの姉は。
昨日、というよりこの頃はそんなことが多い。ちょっと前ならば何かあればすぐに楽しそうに笑いながら弄りに行ってたのに、ここ最近あまりそんな場面が見られない。
これはいい機会だ、とばかりに何があったのかを聞き出すつもりなのだ。いつも姉が人をいじくるときに浮かべる笑みと瓜二つな笑みを浮かべながら勢いよく手を引き、昨日の夜にも入った露天風呂に急いだ。
朝に姉と二人きりなんて久しぶりだ、いつもは自分と同じ時間に一花が起きることなんてないのだから。
そう思うとなんだか無性に笑えてきて、さらに足を速めてみた。
「もう!お風呂入るにしても着替え持ってないでしょ!」
「た、たしかにそうね…。」
変なところで抜けてるんだから…、とあきれたように腰に手を当てて笑う姉に、あんただけには言われたくないわとジト目を向けてやると、あらぬ方向を向いてできもしない口笛を吹き始めた。
自覚はあるらしい。なら直してほしいものだ、とは思うがあの汚部屋を考えるとあれはもう一生ものだろう。きっと高校生くらいになっても変わっていないに違いない。
部屋に戻って着替えをもって、今度こそ温泉に向かう。私と一花が出るときはまだみんないたのに、部屋にはもう誰もいなかった。皆どこに行ったのだろうか?
「それにしても珍しいね、二乃が朝風呂なんて。いつもなら絶対生活リズム崩さないのに。」
「一応旅行中だもんね、少しくらい気も抜くわよ。」
一花の背中を丁寧に流す。一緒にお風呂に入るのはそこまで珍しいことではない。今の家のお風呂は広いのでしょっちゅう誰かと一緒に入ってるし、前の家でも狭い風呂に皆で騒ぎながら入っていた。
でもやっぱり五つ子だから、一花と二人でじっくり話をするなんて久しぶりだ。前を向いている一花の表情は私からは見えないが、同じようなことを考えているのだろう。その声は少し楽しげだ。
「ねぇ一花、最近上杉に対する態度変じゃない?何かあったの?」
「えっ!?い、いやぁ~、そんなことないじゃないかな?」
「いや、おかしいわよ。そもそも弄くりに行く頻度が減ったし、無意識に避けてる時だってあったでしょ。」
「そ、そんなことないって…。」
「何があったの?」
「え、え~っとぉ…。っていうか何かあったのは確定事項なんだね!?」
「な、に、が、あっ、た、の?」
「はい…。」
笑顔で圧力をかけると、諦めたのか背中を縮こまらせて肯定の意を示した。そしてゆっくりと私の隣に座り、いったん口までお湯につかったあと、口を開き始めた。
「ちょっと前に行った夏祭りあるでしょ?あの少し前から私、子役にならないかってスカウトされててさ…。」
「はぁ?聞いてないわよそんなこと!何?子役やるの?じゃあ有名人のサインとかもらってこれる?」
「いや断った、断ったってば!
…でもずっと悩んでてさ、夏祭りの日にフータロー君に相談したんだ。そしたら
”真面目にそれに向き合ってんなら止めはしない”
って言われてさ。
意外じゃない? 勉強をおろそかにしそうだからやめろって言われると思ってたんだよね。
でも私のことをちゃんと見て、頑張ってるとも認めてくれて、私に
”期待してるから、お前なら大丈夫だろ”
だなんて言われたらさ、まだ自分の事を考えるよりその期待にこたえたいって、そう思っちゃったんだよね。」
「…そう、そんなことがあったの。」
嬉しそうに頬を緩ませて話す姉を目を細めて見つめ、そして少し笑った。
「嬉しかったんだぁ、五つ子の一人じゃなくて”私”をちゃんと見て期待してくれる人なんてお母さん以外いなかったから。」
「…それは分かったわ、でもそれとこの頃の様子がおかしいのとは関係ない気がするんだけど?」
「う…、そうだよね…。」
一花はあー、とかうーとか言いながらひとしきり悩んだ後、おずおずとこちらを見て切り出した。
「…笑わない?」
「笑わないわよ!」
笑うわけがない、どんな変な話が飛んで来ようと真面目に聞くことはあっても自分が姉を、家族を笑うはずがないのだ。それくらい知ってるでしょ、という非難の意味も込めて目を見つめ返してやると、一花は目を斜め下にそらせて話し始めた。
「あのね、夏祭りの日から何となく上手くフータロー君と話せないの。嫌いになったわけじゃないよ?でもいざ話すとなると今までどうやって話してたんだろうってなっちゃって…、あの、その…。
あ、あはは、何て言えばいいんだろ…?」
驚いた、頬を染めて身振り手振りを交えながらどうにか説明しようとする一花の姿も、その話してる内容もまるっきり…。
「完全に恋じゃないの…。」
「んなぁっ!」
ぼそりとつぶやいたそれはこの静かな空間では遮るものも何もなく一花の耳に届いたようでーー、
一瞬でその顔を耳まで真っ赤に染めた。
「そそそ、そんなわけないじゃん!私がふーたろーくんに、そんな…」
「じゃあ嫌いなの?」
「そりゃあ…、す、すき…だけど…。」
慌てて真っ赤な顔のまま否定の言葉を並べようとする姉に、一言かけてやればぐ、と言葉に詰まってそのまま顔の半ばまでお湯につかり、不満げにこちらを見ながらブクブクと気泡を吐きだし始めてしまった。
やはりというか、顔は真っ赤なままなので全く迫力はないのだが。
「認めなさいよ、あいつと話すときにはドキドキしちゃうんでしょ?」
「うん…。」
「でも一緒に居たいとは思うんでしょ?」
「うん…。」
「どうせ部屋で自然に声かけられるように練習でもしてたんでしょ?」
「うん…、って嘘うそ!それはうそだよ!」
「でも夜にあんたの部屋から声聞こえてきたわよ?」
「う、うそっ、……あ。」
かまをかけてみると見事に引っかかって自爆した姉は、再びお湯に沈んで行ってしまった。
「はぁ…、とりあえず認めなさい。あんたのそれは恋よ。」
「そ、そうなのかなぁ…?」
「そ、う、よ!」
ここまで来てもまだ煮え切らない態度をとる一花にしっかりしろ、という無言の圧をかけると散々目をさまよわせた後、躊躇いがちにうなずいた。
…我が姉ながら呆れるほどかわいいわね、恋する乙女はかわいいってほんとだったのね。
「…で?これからどうするの?」
「?どうって?」
不思議そうな顔で髪の毛を乾かしている姉にため息をはいて見せる。自分が恋してるって自覚した、いや、したかどうかは分からないけどとにかく意識した今のままじゃダメでしょ。
「あんまり話せないままでいいの?」
「それは…、よくない、けど。」
「それならほら!せっかくおんなじ場所に旅行に来てるんだから声かけてみましょうよ、私も手伝ってあげるから。」
「う、うん!おねえちゃん頑張ってみるよ!」
背中を押してあげると、やっと踏ん切りがついたのか頑張るという意思を見せてくれた姉は、両手を胸の前で握ってふんす!という効果音が付きそうな体制でやる気を示してくれた。
「あと、さっきまでのあんたに姉の威厳何てなかったわよ。」
「に、二乃ぉ、どうかさっきのことは皆には内緒で…!」
「ん~、どうしようかなぁ~?」
「お願いします!二乃様!」
「ぷっ、あはははは!」
「あ、酷いからかったなぁ!」
「簡単にあの子たちを見分けられるような方法なぞ無い。」
「…そうですか。」
なぜか急に振られてきた大量の仕事を何とか終わらせた俺は、これまたなぜか今は爺さんと並んで釣りをしていた。
「五月にも見分け方を聞いたか?」
「はい…、愛があれば見分けられると言われました。」
「だろうな…、零奈が、あの子たちの母親がよく言っていたことだ。」
そういって全く動きのない浮に視線を投げた。海は気味が悪いくらいに静かで、上をみれば雲の動きはやけに早い。それはまるで風太郎に対してまだ時間はあるとなだめているとも、もっと焦れとせかしているともとれるような景色だった。
「長い年月をかければ、一人一人のわずかな仕草や声、ふとした癖でおのずと誰か分かるようになってくる。それはもはや愛といえるだろう。…零奈が言いたかったのはそういうことだ。」
そういうと、爺さんは顔をあげてこちらを見た。髪で隠れてよく見えていなかった目は、顔を傾けていることで少しあらわになっており、見た目にそぐわない強い眼光がこちらを射抜いた。
「君にもあるだろう。どんなに短くとも、あの子たちが他人にあそこまで心を許しているところは初めて見た…。
積み上げたものが何もないはずがない。」
「ありがとうございます。…もう少し、ここで考えさせてもらってもいいですか。」
「……構わん、どうせまだ何も釣れておらん。」
再び浮に目を戻して口をつぐんでしまった爺さんに頭を下げ、自分も先ほどから動く気配すらない浮に目を向けた。
俺があいつらに勉強を教えていく中で積み上げたもの…、一体なんだ?
そもそもどうして俺は五月に勉強を教え続けていた?どうしてーーーーー
「ねぇ上杉、上杉ってば!」
「!な、なんだ二乃?」
よほど深く考えていたのか、二乃に声をかけられているのにすぐには気が付けなかった。首をひねって後ろを見ると、不機嫌そうにこちらを見る二乃と、それに隠れるようにこちらをみる一花の姿があった。
「ちょっと前から見てたけど、全然釣れてないじゃない。なら私たちと一緒に砂浜のほう行きましょうよ。」
「あ、あぁすまんな二乃、俺はまだーーー」
「ーーー行ってやりなさい。考えるより、動くほうが分かることもある。」
まだ考えがまとまっていないと、その誘いを断ろうとした俺の言葉はそれにかぶせるように発せられた爺さんの言葉にかき消された。どうしてかと視線を投げてももうそ知らぬふりで浮を見つめたいる。
きっともう何を言っても言葉を返してくれないだろう。
はぁ、と一つため息をつき、釣竿を置いて立ち上がった。
「わかった、じゃあ行くか。」
「え?良いの?なんか断ろうとしてなかった?」
「いいんだよ。」
ふーん、まぁいいわ。といって砂浜のほうに歩き始めた二乃を追おうとすると、こちらを不安そうに見る一花と目が合って…
すぐに逸らされた。
「ふ、フータロー君。嫌じゃ、なかったの?」
二乃に続いて変な気遣いをしてくる一花に苦笑を返す。…やはりため息をついたのがダメだったのだろうか。
「そんなわけないだろ。一花こそどうしたんだ、昨日からなんだか元気ないぞ。」
「だ、大丈夫だよ…。」
そういいながらも決して目を合わせようとしてくれない一花に不信感が募る。これは…、らいはが熱が出ていることを隠そうとしているときと挙動が似ているな。
「熱でもあるんじゃないのか?」
そういって一花の額に手をあてて熱を確認するも、特に体温が高いというわけでもない。じゃあなんだとそのまま顎に手を当てて考える。熱がないのならどこか怪我でもしているのだろうか…?
「…おい一花ーーー」
「だ、だいじょうぶだからぁ!」
怪我でもしたか、と聞こうとする前に一花の大声で遮られてしまった。風太郎の手を振り払った一花は、そのまま勢いよく前を歩く二乃のところまで走って行ってしまった。
「なんなんだ一体…。」
その髪に隠された耳が真っ赤だったことに、風太郎が気が付くことはついぞなかったという。
「…何やってるのよあんたは。」
「だってぇ……。」
「はぁ、先は長そうね…。」