もしも歳が離れていたら   作:夕暮れの家

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第29話

温泉旅行といえば日頃の疲れを落とすためのものであるはずなのに、なぜだか行く前よりもずっと疲れをためる羽目になってしまった旅行が終わり、今度こそ思う存分自分の勉強を家に缶詰めしてやりつくしたお盆休みも終わり、家庭教師の仕事もぼちぼち再開し始めた。

 

だが、今日は家庭教師は休みの日だ。親父は朝早くから仕事に出かけて行ったし、らいはも今日は友達と遊びに行くと言ってついさっき家を出て行った。

 

夏休み明けには学生が長期休暇中怠けていなかったかの確認テストがある。もちろん怠けていたつもりなどないが、今年はいろいろとイレギュラー続きだ。

 

やれるときにやっておかなければならない。あの時の約束と再会できても、俺がそれで立派な人間になれたわけでもなし。それに、やはり俺にはこれしかないのだから。

 

カリカリと、静かな家の中に紙に鉛筆を走らせる音だけが響く

 

この雰囲気は嫌いじゃない。集中するにつれ頭の回転は加速度的に上がっていき、問題を解くペースも上がっていく。

 

心地いいものなのだ。難問に取り組むと、ふだんは使わないような箇所に血液が流れ込んで、無事解き終えることが出来たのなら、少しの疲労と充足感が残る。

 

きっと運動が大好きな奴らはスポーツにこのような快感、達成感を見出しているのだろう。そういうところに惹かれているのだろう。

 

自分が小学生の時はもちろん体を動かすのは好きだった。自分はそんなことを考えていたのだろうか、と鉛筆を顎に当てて考えたところで問題を解く手を止めてしまったことに気づいた。

 

「昼ごはんにするか。」

 

時計を見れば、もうすぐ短針が一番高い場所に上ろうとしている。時間もちょうどいい、と思い、らいはが作っておいてくれた昼ご飯を冷蔵庫から取り出した。

 

思えば一人だけで食事をするのも久しぶりな気がする。このお盆休みはもちろん、その前も

しばしばあのマンションで昼食をとっていたし、家で食べるときはらいはと一緒に食べていた。

 

以前は一人でとる食事など何でもなかったことなのに、少し寂しさを感じてしまっている。自分がおかしくて、強く手をたたき合わせることで頭の中から追い出すことにした。

 

 

ガタリ、ゴトリと玄関のほうからの音にいざ記念すべき一口目を運ぼうとしていた手を止める。

 

「郵便かな。」

 

玄関まで行ってポストの中身を改めてみると、中にあったのは封筒が一つだけ。あて名は俺、…はて、手紙を送ってくる相手なんていたか。いや、絶対いないな。そもそも知り合いが絶望的に少ないからな!

 

さて、送り主は…

 

「…学校?」

 

 

 

 

 

「ゼハッ ゼハッ!ヒュー、ヒュー…。」

 

「君、大丈夫かい…?」

 

「は、はい大丈夫です、お気遣いなく…。」

 

危なかった、色々あったせいですっかり忘れていた。完全に頭から抜け落ちていた。

林間学校の存在を…!

 

あの封筒が林間学校の書類についての補足でなければ絶対に思い出せなかっただろう。

 

ボランティアで参加する高校生への説明会、今日じゃねぇか…。

 

そのことに気が付いたのが十分前。学校到着までの最短タイム更新だ全く。

 

息も絶え絶えになっているのを守衛のおっちゃんに心配されながら校門をくぐり、教室へ向かう。ドアを開けると、既に数人集まっているようだった。

 

まだ始まっていないことに安堵を覚えながら、端のほうの席に腰を下ろした。暑い中走ってきたせいで足は痛いし制服が汗に濡れて不快だ。火照った体は、つけられているれ棒のおかげで少しずつ冷えて行っているものの、やはりまだ熱を持ったままだ。

 

…これで風邪なんて引いたら笑いものだな。汗が乾いて本格的に体が冷える前に吹いてしまおう、そう思ってカバンに手を入れタオルを探す。

 

「忘れたか…。」

 

カバンの中を探っていた手を止め、ため息を一つ。時間がたてば乾くだろうがそれまでは不快な感触は続くし何より本当に風邪をひきかねない。どうしいたものか

 

「これ、使うといいよ。」

 

「あぁ、ありがとう。」

 

すっと目の前に差し出されたタオルを反射的に礼を言いながら受け取り、流れ落ちてきた汗をぬぐう、っていや待て。

 

「誰だよお前、っていうか使ってよかったのかこれ。」

 

「気にしないでいいさ、君と僕の仲じゃないか!」

 

「そ、そうか。で、誰?」

 

やたらキラキラした雰囲気と勢いに若干辟易としながら再度問うと、そいつはピタ、と動きを止めてギギギギ、なんて音が聞こえてきそうな動作と共にこちらを振り返り、逆に質問を投げてきた。

 

「分からないのかい?本当に?」

 

「知らないから誰だって聞いてるんだろうが。」

 

そろそろ鬱陶しくなってきたんだがな、本当に誰なんだこいつ。俺が忘れてるだけで話したことあったか…?

 

「ふ、ふふふ…!他人には興味はないというわけかい。流石は上杉君だ。だが!武田祐輔という名前ならば知っているだろう!」

 

「知らん、誰だそれ。」

 

「ぐはっ!」

 

正直に答えたらなぜか胸を押さえて蹲ってしまった。しまったな…、もしかして有名人だったのか?生憎うちにはテレビがないからそういうのには人一倍疎いんだが。

 

「あー、すまん。俺は芸能人とかそういうのは全く知らなくてな。」

 

「なぜここで芸能人の話が出てくるんだい?とにかく!僕は中間、期末と君に次いで2位だった武田祐輔だ。次の中間テストでは負けないぞ上杉君!」

 

いや、そうなら最初からそう言えよ…。

 

「…あぁ、そうだったのか。満点以外とったことなかったから2位以下のこととか気にしてなかったわ。まぁ頑張れよ。」

 

「ごはぁっ!」

 

それっきり武田は動かなくなってしまった。本当に何だったんだ一体。

 

 

 

「えー、じゃあお前ら三人は肝試しの手伝いを中心にやってくれ。頼むぞ。」

 

「よろしくね、上杉君、前田君!」

 

「おい、くっついてくんじゃねぇよコラ。」

 

「えー…。」

 

「なんだいその顔は!後輩たちを怖がらせるのに全力をつくそうじゃないか!」

 

「小学生なんてちびるくらい怖がらせてやるよコラ。」

 

林間学校、さぼろうかな。

 

 

 

 

 

 

「もう!なんでまともな私服をまったくもってないのよ!信じられない!」

 

「いや、だって制服さえあれば事足りるしな。それに服に金使うなんてなぁ…」

 

「それがありえないって言ってるのよ、はぁ…。」

 

「なんか、すまん。」

 

「もういいわよ、ちゃんと服選んであげるから。」

 

「いや、本当にすまんな。二乃一人でこんなことにつき合わせちまって。」

 

二乃と二人でショッピングセンターの中を並んで歩く。ほんの数か月前なら想像もできなかったことだ。あの時の二乃は本当に俺のことを嫌っていたからな。

 

今は嫌われてはいないとは思うのだが…、やはりそこまで好かれているわけでもないのが実情だろう。それでもいいと思えてしまうのはやはり最初の好感度が低すぎたゆえだろうか。

 

ともかく、いまはなぜこんなことになっているのかの説明から入ろうか。今日の朝のことだ。林間学校のことがすっかり頭から抜け落ちていた俺は当然準備もしていないわけで、必要なものを買いそろえることもしていなかった。

 

これはいかんということで買いに行こうとしたのだが。

 

「あれ?お兄ちゃん出かけるの?今日家庭教師の日じゃなかったよね?」

 

「あぁ、ちょっと林間学校に行くのに足りないものを買いにな。」

 

「じゃあ服も買うんだよね、お金たくさん持った?」

 

「服?なんでそんなもの買うんだ。制服でいいだろ?」

 

そう返した途端、らいはの顔から表情が抜けて、ガッと肩を掴まれた。

 

「お兄ちゃん、正座。」

 

「は?いやちょっとーーー」

 

「正座。」

 

「…はい。」

 

「いい?お兄ちゃん、そんなんだからデリカシーがないって言われるんだよ!ずっと制服でいいなんてホントに思ってるの?そもそも林間学校ってい言ってるけど実際はスキー氏に行くんでしょ?そんな場所で制服で耐えられると思ってるの?無理に決まってるでしょ!それに五月さんたちの奴の手伝いで行くんでしょ?それなら少しくらいかっこいい私服を用意するくらいしなよ、女の子と一緒にお泊りに行くのにずっと同じ服とかありえないよ、大体お兄ちゃんはいつもーーー」

 

「わ、分かったらいは!俺が悪かった。買ってきますとも!」

 

「…よろしい。」

 

怒ったらいはに口で勝てたためしがない。普段だってらいはの言うことは基本的に正論なのであまり口論に意味などないのだが。まぁしかし確かに雪が積もってる地方の寒さには制服では耐えられないだろう。どこかの古着屋にでも行って暖かそうな服を買うとしようか。

 

「ねぇお兄ちゃん。」

 

玄関に出て靴を履いていると、らいはに声をかけられた。その声はもう先ほどまでのように怒ってはおらず、むしろ穏やかなものだ。

 

「偶には自分の事にお金を使ってもいいんだよ、…いつもありがとう。」

 

「らいは、だがな…。」

 

「というわけでお兄ちゃんが古着屋なんて使わないように五月さんたちに見張りを頼みました!」

 

「はぁ!?」

 

 

―――で、今に至るというわけである。

 

「まさか今日は二乃以外皆用事があるなんてなぁ。」

 

らいはが電話を掛けた時にはすでに家に二乃しか残っていなかったというのだから驚きだ。一花と四葉は割と一人で出歩いているイメージはあるが、他の二人もとなるとなかなか珍しいのではあるまいか。

 

「ホントよ、なんで私だけ…。」

 

「本当にすまんな、俺と二人きりは気が進まないだろ?」

 

なんとはなしにそう口にすると、隣を歩く二乃の気配が少し剣呑なものになってしまったのを肩越しに感じた。首をひねり斜め下を見ると、俯いて表情が見えない二乃の姿があった。

 

「なんで、そう思うのよ。」

 

「なんでって、お前、俺の事あまり好きじゃないだろ?」

 

「そんなことっ!」

 

「ちがうのか?」

 

俯いたまま立ち止まってしまった二乃の表情は相変わらずその前髪に隠されて見えないままだ。ただ、その手は固く握りしめられ震えている。まるで数か月前に戻ってしまったかのような感覚を覚えてしまう。

 

「…なによ。」

 

一歩、二歩とこちらに近づきこちらをきっ、と見上げてくる二乃の目じりに少しだけ、光るものが見えた気がした。

 

「なによっ!あんたこそ私のこと嫌いなんでしょ!私がひどいことたくさん言ったから!やっぱり、やっぱり許してくれてなかったんでしょっ!」

 

「お、おい二乃!」

 

周囲を歩く人が少しだけ足を止める。声を上げる二乃に視線をやり、こちらに避難するような眼を向けてくる。しかし、そんなことを気にする余裕もない。

黒い蝶を髪にそえた少女の目は、こちらを真っすぐに見つめているのにも関わらず、なぜか揺れている。

 

「許すって言ったのに、気にすんなって言ったのにっ!私といるの嫌なんでしょっ」

 

すぐに軽はずみなことを言ったことを後悔した。強く見えるが、本当は誰より繊細な子だとわかっていたのにキチンと向き合っていなかったことに気づかされた。

泣きながら連続して叩きつけられる小さなこぶしは、痛くはない。ぶつけられる場所は痛くはないけど、全く違う場所が、凄く痛かった。

 

「置いていかないでよ、きらわないでよぉ…。」

 

思えば俺は、この子を傷つけてしまってばかりだ。最初はおれが不用意に五人の中に入り込んでしまった所為。そして今も、勝手にあの件は終わったものと線引きをして、二乃のことをよく見ていなかった所為だ。

 

「あの時のことは本当に気にしてないんだぞ、二乃だってもう気に病まないんでいいんだ。」

 

「…嘘よ。」

 

「嘘なんてついてない。」

即座に否定しても二乃が信じてくれる様子はない。こちらの否定にかぶせるように言葉を発し、聞きたくないと首を振る。いつの間にか叩くのをやめ、こちらの服を握りしめている手は、少し震えていた。

 

「じゃあ、………ってよ。」

 

「は?」

 

「だからっ! 私の事嫌いじゃないなら…、あたま、なでてよ……。」

 

「いや待て、なんでそうなる?」

 

急に飛躍した話に思考が追い付かず、ついその場に似合わない素っ頓狂な声をあげてしまった。どう考えてもそれは悪い返答だったのだろう。

 

「やっぱり、私の事は…。」

 

俺の反応を否定と受け取ってしまったのか、二乃の瞳が再び潤み、視線は下がる。

…迷うことはないな。百の言葉を重ねるより、一つの行動のほうがよっぽど説得力を持つこともあるのだ。

 

「すまん。ちゃんと話せなかった俺が悪いな。

 

…嫌いなわけないだろ、俺はお前ら五人といるのが好きなんだ。」

 

恐る恐る二乃の頭に手を乗せて、丁寧に動かす。いくららいはで撫でるのはなれているとは言え、頼まれてやるのは初めてのことだし、相手はあれだけ俺のことを拒絶していた二乃だ。

 

いや、この考え方は良くない。口で気にしていないといってもこれでは気にしているみたいではないか。二乃が泣くほど追い詰められてしまっていたということは、俺は無意識に二乃と他の四人をどこか分けてみていたのかもしれない。

 

「本当に、すまん。」

 

なんだか今日は誤ってばかりだな、と苦笑しながら手は止めずに動かし続ける。そうしてそのまま少し経つと、あれだけ固く握られていた二乃の手からは力が抜け、相変わらず下を向いているので表情は見えないものの落ち着いたようだった。

 

「ねぇ、私たちといるのが好きなら、私のことも…、その……好き、なの?」

 

「あぁ、当たり前だろ。」

 

「……ふふっ。」

 

そう答えるとようやく二乃の雰囲気が少し和らぎ、笑ってくれたようだった。周囲も少し前からただの兄妹喧嘩だと思ってくれたのか咎めるような視線が生暖かいものに変わっている。

 

そのまま二乃の頭に置いたままだった手を放そうとすると、自分の手よりも一回りも二回りも小さい手につかまれて止められた。

 

「もう、ちょっと。」

 

「…そうか。」

 

ずっとどこかで距離を測りかねていた二乃との関係が、今日少しだけいい方向に変わった。ほんの数か月前までは俺の顔を見るたびに敵意丸出しでにらんできた少女は今、

 

 

隣で穏やかに、笑っていた。

 

 

 

 

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